「・・・おはよう、三枝さん」
「・・・おはようございます。衛宮くん」
 士郎の声に、三枝は少しだけ残念そうに笑みをみせた。
 ・・・その感情を士郎も共有していると、彼女は知っているのだろうか。
「あの、昨日ちゃんとお礼もできなかったので・・・お返しの相談にきました」
「別に―――」
 気にしないでいいと言いかけて口を閉じる。脳裏に浮かんだのは落ち着かなさげな表情で立ち尽くす少女の姿。鈍すぎる士郎にも、恩を売られっぱなしにされた三枝がどうなるかは容易に想像できた。
「・・・じゃあ、学校まで歩きながら話そうか」
 思い直して告げると、三枝はご褒美を貰った犬のような顔で嬉しそうになんども首を縦に振って笑みを浮かべる。

 その可愛らしい仕草を眺めて士郎は自己の内面へと目を向けた。
 正直な所自分のどこがよかったのか理解不能だが、彼女の好意は嬉しい。こんな出来損ないに優しくしてくれてありがたいと思う。
 ―――だが、その想いを受け止める事が士郎にはできない。受け止められない。
「・・・・・・」
「?」
 沈黙に首を傾げる小動物な彼女になんでもないと首を振り、行こうかと促す。

 昨日は楽しかった。
 半日にも満たないあの時間は、この上なく楽しかった。
 あの神父が他者の不幸を至福とするように、衛宮士郎は他者の幸福を至福とするが故に、この愛すべき少女が・・・圧倒的な程に普通で、奇跡的なまでに善良な少女がみせる小さな幸福がたまらなく嬉しかったのだ。

 だが。

「ああ、だからか」
 士郎は呟いて苦笑した。なんとも格好がつかない話だ。
 何故彼女を受け入れられないかなど簡単な事。
 ただ、彼女を救うには自分が邪魔だけではないか。
 衛宮士郎は人を救わなくては生きていけない。そして聖杯戦争を経験してしまった今、彼が救いたいと思う相手は、戦うべきと定める相手はもはや日常の中には無い。
 法曹になろうと思ったことがある。
 警官になろうと思ったことがある。
 医療とか、教育とか、向き不向きや能力の有る無しで無理だと諦めたものも多いが、あの冬までの自分は日常の中に誰かを救う道を求めていた。
その頃の衛宮士郎にとってならば、きっと三枝由紀香を素直に受け止める事ができただろう。
 だが、そう。言峰綺礼の言葉を認めねばなるまい。
 士郎は知ってしまったのだ。隠匿されているだけで、この世界には幾多の戦いがあると。
 たまたま自分が遭遇したのは多くある聖杯戦争の一つに過ぎない。遺物を求めて、敵対勢力を狩る為に、神秘を実現する為に。魔術師が、代行者が、吸血鬼が戦いを繰り広げていると知ってしまった。
 そして、それに巻き込まれ死んでいく無関係な人々が居ると知ってしまったこの身体は、日常にはみ出そうとするその戦いを闇の中へ叩き返さずにはいられない。
 ただ形のみに憧れて目指した正義の味方という曖昧な言葉に形を与えてしまった以上、もう自分は苦しみ、のたうちながらも戦い続けることしかできないだろうと理解できていた。
 故に、彼女を受け入れる事は出来ない。
 彼女を救いたくてたまらないが故に、彼女を受け入れられない。
 自分が苦しむことで悲しむ人が居ては、人を救う存在にはなれはしない。
 苦しみながら助けられたところで迷惑なだけだろう。
必要なのは都合のいい御伽噺。どこからともなく現れ、どこかへ消えていく正義の味方。
 苦しむのは舞台裏だけでなくてはならない。そうでなければ、士郎の望みはかなわない。
 全ては、利己的な欲望の話。
 その為に、少女の想いを食い潰して自分の理想を掴もうというのか。
「――――――」
 士郎はごめん、と少し離れたところを歩く少女に呟こうとして首を横に振った。
 そうじゃないだろう。
 彼女に償いたいなら、彼女にその言葉を背負わせてはならない。
 昨日、偉そうにぶちあげた言葉を思い出せ。
 言うべきことは唯一つ。
「―――三枝さん、ありがとう」
「え?」
 唐突な言葉にきょとんとする三枝になんでもないと首を振り、士郎は真っ直ぐ前を見た。
 彼女の事を覚えていようと思う。
 この人が不幸になるなんて嘘だと、そう思わせてくれた普通で、そして善良な少女の事を。
 冬の頃、共に居た人の記憶と共に。
 彼女が留まる夜と、自分が踏み出す朝の境界で交わされた黄金の別れを士郎は覚えている。
 二人を繋ぐ鞘を、重ねた身体を、共に握った黄金の光を、交わした言葉を、そして―――魂に焼きついた、月光の下の出会いを士郎は胸の奥に刺さった剣に刻み付けている。
 その全てと共に、こんな自分を好きだと言ってくれたこの少女の小さな背中と・・・

「あ、遠坂さん・・・」
 そして、交差点で待っていた少女が慌てふためく姿も、ちゃんと覚えておくとしよう。
 あ、逃げた。
「・・・と、遠坂さん、急いでたんでしょうか?」
「・・・うん。きっと何か遠大なる目標があるんだよ」

 昼にでも、彼女を訪ねてみようか。
 そして、もう一度イギリスの話でもしてみよう。
 目指すものは、もうぶれることはない。守りたいものも、守るための力もこの手にある。今度こそ逃げ場でもとりあえずでもない。明確な目標の元、きっとこの身体は人を守る剣になる。
 

 空には白く大きな雲。季節は確実に歩みを進めている。
 守りたいと願う世界、その象徴の少女を見守りながら衛宮士郎はゆっくりと歩き続けた。

 

                                              S×S 〜True End 「Reloaded」