入学式に出会ったその少女は、快活な笑顔と共にこう言った。

「なあ、この学校には妖精が二人いるって話を知ってるか?」

 つなぎ姿で校内を闊歩し、知らないうちに設備を直す穂群原のブラウニーこと衛宮士郎
 白衣をさらさらなびかせて細々とした仕事をまめにこなす穂群原のシルキーこと衛宮由紀香。
 共にこの学園の卒業生であり、片や用務員、片や保健教諭であるこの二人の働きっぷりたるやもはや人知を越え一つの現象と化していると云う。

      ホムラバラセブン
 俗に言う穂群原七不思議の一つである。

「まあ、知ってるかと言えばよく知ってるかなあ・・・」
 何が嬉しいのかニヤニヤと笑う少女に僕はずれた眼鏡を直しながらそう答えた。
 知るも知らないもその二人と僕の苗字は一緒だし、あの二人の伝説はたぶん今現在もリアルタイム更新中なのだから知らんぷりもできないだろう。
 僕の表情に何を感じたか女の子はふむとしきりに頷き、その綺麗な顔をずいっと近づけてくる。あ、よく見ると彼女はコンタクトレンズのようだ。
「じゃあこれは知ってるか? そのブラウニーの方、実は正義の味方らしいんだが」
「・・・・・・」
 あまりの至近距離と思わぬ台詞に黙り込んだ僕に、その子はくすくすと笑って目を細める。

 彼女の言う通りだった。僕の父、衛宮士郎は正義の味方である。それ故のブラウニー。家事妖精の称号は伊達じゃあない。それは僕達家族と親しい人々なら誰でも知っていることだ。
 病的なまでのお人よしで、困っている人が居たら助けないと気がすまない偏屈者。藤村おば―――いかん、藤村お姉さんが言うには子供の頃からずっとだというから筋金入りだ。
 母さんはそこが大好きだとのろけるが孝太叔父さん辺りには毛嫌いされているその性格は有名だが、みんなが知らないことが一つある。

 それは、父さんは正真正銘、本物の正義の味方だということだ。
 
 僕は、物心ついた頃から見るだけで物の構造を理解するという特技があった。誰にでも出来るとおもっていたそれを幼稚園の友達に話して嘘つきだと言われた日。僕が見ているこの世界はみんなとは違うものなんだと知った夜。
 世界中で自分だけが化物なんじゃないかと怖くなって泣きついた僕に、母さんは夜になったら土蔵へ行ってみなさいと教えてくれた。お母さんが教えたってことは内緒でねと言いながら。

 そして、いつものように土蔵に篭っていた父さんは僕の話を聞いてからこう言ったのだ。


 ひとつ最初に言っておかないといけないことがあるんだ。
 ―――俺はね、魔術使いなんだよ

 思わぬ言葉に呆然としたのも僅かな時間、投影を見せられてしまえばもう信じざるを得ない。
 父さんは幼い頃の自分と僕を重ね、色々と話を聞かせてくれた。時折長い旅行に出かけている間、何をしているのかを。この世界の裏側には、魔術と吸血鬼が入り混じる世界があるのだということを。

 それ以来、時々僕は夜の土蔵で父さんの鍛錬を見学するようになり、父さんはしばらくしてから友達に作ってもらったという眼鏡を僕にくれた。
 それが魔眼殺しというのを知ったのはずっと後の事。その頃の僕はただただ厄介な目を押さえることができるようになったのが嬉しくて、自分も魔術使いになりたいとねだったものだ。
 ちなみに、答えは断固としたNOだった。魔術師として生きるということの厳しさもあるが、それ以上に父さんは人に教えるには向いていないそうだ。僕にも回路はあるのだが、それを鍛える手段を上手く伝えられないと真顔で断言された。断言するな。
 本当なら、天才と名高く今は魔術協会の若き重鎮でもある父さんの師匠を頼ればいいのだろうが、その人は、もう10年以上この町には帰ってきていない。

 


「おーい、聞いてるか?」
「あ、うん。聞いてる聞いてる」
 追憶にひたっていた僕は女の子の不機嫌そうな声に我に返った。
 失態だ。父さん曰く、女の子の話は火のついた導火線と同じ。無視したら命に関わるとの事。
 実際何度か命を落としかけた人の話には、重みがある。

「妄想はそれぐらいにして、ちゃんと人の話を聞けよな。それと、次に無視したらと殺すからな?」
「え―――あ、はい。善処します」
 唐突な台詞に反射的にガクガク頷くと、その子はニヤリと笑みを浮かべてみせた。
 あれ?
 なんだろう。その笑顔を見た瞬間からひとつの単語が頭から離れない。
 こんな単語、女の子に、綺麗な女の子にはそぐわないのに―――

 ―――あくまって単語が離れない・・・!

 ひくりひくりと頬が引きつるのを隠せない僕に少女はポンッと手を打ち、思い出したように僕へと手を差し伸べる。

「ああ、自己紹介がまだだったよな。オレの名は遠坂凪。ナギーとか呼んでいいぞ」

「と、とおさかッ!?」
 瞬間、僕は裏返る声も気にせずに叫んでいた。
 まさか・・・まさかこの人が!? いや、父さんの師匠は同い年の筈。じゃあその―――
「ああ、そうだよ。一応だけど凛の娘ってことになってる。実際にはホムンクルスベースなんでそういうのとはちょっと違うんだけどな」
「ほむ・・・!?」
 確か結構前に死んじゃった伯母さんがそうだったとか聞いたことあるような!?
「ついでだから教えてやるけど、厳密にいうとオレ達異母兄弟らしいぞ。なんだかこっそり採取した子種使って作ったとかなんとか。そこまでやっといて恥ずかしいから士郎にはもう会えない〜とか言ってる凛もへたれだよなあ?」
 うわ! 魔術教会の幹部捕まえて凄い言いようだ! 
 っていうかそんな知りたくも無い事実を講堂でカミングアウトされても困る!
 なに!? 最近のソフ倫は実姉もおっけ? 知らないよそんなの!
「っていうか僕が誰だかわかってたの!?」
「おう、凛が持ってた昔の士郎の写真にそっくりだったからな! ちょっと目元がほんわかし過ぎてたから違うかもとか思ったけど最初の反応で確信した」
「あ、よく言われる。目とか母さん似らしい」
 両親の素質が重なった結果身長が伸びないのが悩みですとか言ってる場合じゃない。父さんから聞いた対遠坂マニュアル参照!

 

 1.遠坂にはどうやっても逆らえない
 2.逆らいたい事項があった場合1.を参照せよ。

 

 僕は深く頷いた。
「―――よろしく、遠坂」
「おう。昨日イギリスから到着したばっかで日本の事はさっぱりだからよろしくしろよ?」
 そう言って遠坂はカラカラと笑う。ああ、畜生。なんて女らしくないのに可愛いんだ!
 っていうかなんだこの展開! むしろ僕はどこへ向かうのだろうか!?
「あ、終業式が終わったらさっそく衛宮士郎と衛宮由紀香に紹介してくれよな」
「もう両親に報告!? ちょ、早ッ・・・!」
「十年早い」
 先走った僕を遠坂は躊躇なく撃った。
 人差し指から飛び出して脇を抉ったのは間違いなくガンド・・・うわ、話には聞いてたけどほんとに痛ーーっ!
「学費の前払いでほとんど手持ちが無くなったからおまえの家に住むだけだっての。凛の部屋、まだあいてるんだろ?」
「あ、うん。母さんのほうのお爺ちゃんお婆ちゃんとか叔父さん夫婦とか住んでたときもそこだけは使わせなかったみたいだから」
 いつかふらりと戻ってくるだろみたいなことを言ってて、母さんが怒らないか心配したっけなあ・・・
 母さん、『うわぁ、それじゃそのうち遠坂さんと一緒のおうちに・・・!』とか目を輝かしただけだったけど。
「よろしい・・・お、あれがその妖精夫婦か?」
 満足げに頷く遠坂の視線を辿れば、何やら資材を抱えてやってくる父さんと紙束を大量に抱えた母さんの姿。養護教諭も用務員も始業式での仕事はないからまた何か見つけて奔走中なのだろう。
「・・・なんていうか、話に聞いているのよりもちゃんと笑うんだな。ブラウニー」
「? そりゃ笑うだろ。人間だもの」
「いや、オレが前に会ったときは―――」
 遠坂は不審気に呟き、二人を眺める。あ、母さん転んだ―――瞬間に父さんに抱えられてる。
「・・・なぁるほど。シルキーの方の影響下なら、か。深いねなんとも」
 くく、と喉の奥で笑って遠坂は僕の方に目を向けた。
「さあ、それでは始めようか衛宮くん。おまえの事は気に入ったし、きっちり守ってやるから安心しろよ・・・っと」
 言葉と共に押し付けられた唇。挨拶か!? 挨拶で人のはぢめて豪快に奪ってくのか!?
「・・・ふふ、キスしちゃった」
 か、かわいく、なんか・・・かわ・・・かわいいにゃぁ・・・
 突然の凶行に騒がしくなる周囲。
 騒ぎに気付いてこっちを見る二人。
 文字通りの子あくま参上に震える父さん。
 ぱぁっと顔を輝かせてパタパタ走ってくる母さん。

 僕は遠坂の「守る」の意味を少し気にしながら新しい生活に思いを馳せた。
 ・・・とりあえず、寺住まいの幼馴染への言い訳から始めようかな。