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涼宮ハルヒの憂鬱 考察と推察

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       | 涼しいにお宮の宮ぁぁぁぁっ!
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※ この考察は偏っており、実在する文章や資料、挿絵、その他の固有名詞や現象などと関係はありますが、でっちあげです。結果が当たったとしてもそれは偶然の産物です。
あっ!! 本の面白さは別よ。涼宮ハルヒの憂鬱と学校を出ようをよろしくぅ! じゃんじゃん買いにいってあげなさい。観賞用と保存用と布教用で30冊買うのよ。いいわね!?

 

1.「機関」について
 機関は、作中登場する勢力において最も手広く活動している組織である。
 長門を含めた端末数体(世界中探せばもっといるようだが、ハルヒに対して具体的に活動しているのは長戸と喜緑さん、朝倉だけの統合思念体や、朝比奈さん大小しか表に出てこない未来人と比べるとキョン達に接する人数も多く、またその活動も具体的だ。
 そもそも機関とは何なのだろうか。作中、あまりにもさらっと登場したこの組織は各地に拠点があったり未来人や宇宙人の存在や目的を知っていたりとかなりの力を持っていることが示唆されている。
 だがこの組織、設立後最長でも3年しか経っていないのだ。超能力者の発生がそこである以上、彼らと共に現在の世界を管理するという説明の通りの組織だとすれば3年以上の歴史はありえない。あまりにも時間が足りなくないだろうか? 資産家をスポンサーとして迎えたり、下手をすると警察権力にまで根を伸ばしているのだ。(パトカーの偽装は犯罪である)「実は僕たち超能力者でして・・・」などという与太話を元にこのスピードは少々不自然ではないだろうか。
 ハルヒの願望により超能力者は生まれたのだから不自然でも構わないという解釈も有りだと思うが、ハルヒの無意識が望んだことは閉鎖空間と神人を処理する存在が必要だという1点のみであり、「超能力者が連携し、普通人と共に組織を作る」などという事は必要でない。何しろ古泉の言葉によれば超能力の使い方や閉鎖空間の発生場所は自動的に頭に入ったというのだ。組織を作らなくても自動的に彼らは閉鎖空間に向かうのだろうし、逆に言えばハルヒ自身が神人を倒させる為に作った存在である以上、彼らがいるところ以外に閉鎖空間は作られない筈だ。
 ならば、何故彼らは機関を作ったのか。そして何故宇宙人と未来人に気付くことができたのか。統合思念体にアクセスできる超能力者が存在した以上、時空振を感知する能力者などというものが存在してもおかしくはないのだが、その歴史を踏まえた上で存在するのが未来人である。「機関が存在して、かつそこには時間移動を感知できる超能力者が居た」などという記録があるならば、警戒し存在を秘匿することは可能な筈である。だが、実際に機関はみくるが未来人であることを知っていた。
 
 足りない準備期間。知りえない筈の情報。この二つを埋めるには、やはり時間が必要だ。未来人と機関は連携しており、あるいはこの二勢力は同一である可能性も、ある。
 宇宙人と違い超能力者と未来人は同じ人間であり、機関は現状を維持するための知識と力を必要とし、未来人は駐留する拠点と資金を必要としている。目的も現状の維持であるという点で協力できるだけの下地はあるといえるだろう。
 それどころか、機関がみくる達の時代まで残っているとしたらどうだろうか? 本質的に、機関=未来人という図式も成立し得るのだ。
 そこまで行かないまでも、機関と未来人が連携しているであろう証拠が一つある。『憂鬱』ラストを飾る(そしてシリーズ全体のオチもこれに回帰しそうなネタである)「白雪姫」だ。
 『憂鬱』において大閉鎖空間からの脱出につかわれたのがキスで目を覚ますという白雪姫方式なわけだが、古泉は続巻(発表順だと第一作らしいが・・・)『溜息』においてこれを知っているようなそぶりを見せている。
 そもそも未来から来ている朝比奈さん(大)がそれを知っているのは不自然ではない。物語の大オチとしてハルヒが全てを知るという展開が用意されていればそれはもはや秘密ではないのだし、別段そういう展開でなくともハルヒとキョンが付き合うようになった後、何かのはずみでハルヒが昔そういう夢を見た事があると言えば大体の想像はつくだろう。現在はボケキャラをやっているみくるだが朝比奈さん(大)を見る限り将来は覚醒するのだろうし、そうでないのなら今のキャラは演技なのだろうから。
 長門に関しても同様だ。未来から過去まで俯瞰できる統合思念体は上記のようなイベントを見逃さないだろうし、デウスエクスマキナたる長門の存在にとってはどのような仮定も有りだ。そもそもオトメ心にうといキョンのこと。3年前に遡った際にしたこれまでの事の説明においてこのことを口にした可能性もありえるのだから。
 だが、古泉と機関には『溜息』時点ではそれを知る方法はない。キョンの性格上、必要なしに詳細を古泉に語ることは無いだろうし、『憂鬱』ラストの閉鎖空間において彼自身の干渉はキスするかなり前に途絶えた。
 知るタイミングのない彼がその事を示唆できるのならば、その理由には未来からの干渉があったと見るのが自然であると思う。宇宙人勢力とも接触しているのでそちらからである可能性も否定できないが・・・


尚、もう一点気になる記述がある。
みくる達が使用しているタイムマシンであるところのTPPDだが、これは脳内に存在するらしく、またその理論や概念は言葉では説明できないとの事。
そして古泉の持つ超能力もまた彼の脳内へ唐突に現れ、その詳しい事は言葉では説明できないらしい。この二つに共通点を見出すのは無理があるだろうか? あるいは、TPPDは人工的に時間移動能力者を生み出すインプラントマシンか何かではないかと思うのだが・・・

 

2.キョン妹と朝比奈みくるについて

 キョン妹は朝比奈みくるの挿絵とその特徴が似ている。
 『暴走』表紙のキョン妹とカラー絵最後のみくるを比較して頂ければわかり易いと思うが、髪の色と分け方が同じなのだ。目の形と塗りも同じだがまあこの辺は絵師の特徴(鶴屋さんの目も殆ど同じ塗り)なので置いておく。
 ソースが特定できないのだが、キョン妹の外見設定はみくるに近いデザインという指定があったと聞く。それをふまえてこの指定に意味があるとするならば、この二人にはなんらかの関係性があるという事になる。そうなると気になってくるのがもう一つの共通点、「キョンくん」という呼称だ。

 考えてみると、みくるが主人公への呼び方において「キョンくん」を使っているのはおかしい。みくるがキョンと初めて接したのはSOS団部室(まだこの時点では文学部室だが)であり、ここに集まったのはハルヒ=呼称キョン、長門=呼称無しの二人である。
 読者に対しては徹底して伏せられているキョンの本名だが、かの有名ないーちゃんの名前と違って伏せる意味があるわけでもないので周囲の人にはちゃんと名乗っている筈だ。
 そうである以上、ハルヒが言うところの「キョン」が本名でないことはわかっているのだし、「あだ名+くん」というアレンジを行って呼ぶのは不自然ではないだろうか? 極端な例えをするならば「りっちゃんさん」というような呼び方になってしまうのに。
 これが、聞いたあだ名が「キョンくん」であれば不都合はない。だが、前述の通りみくるが「キョンくん」という呼称を使いだすまでの間に彼女にキョンくんというあだ名を聞かせたものはいない。まだ出会ってから間もない相手を、しかも人が良く気の弱い彼女が自然にそう呼び出すのは不自然ではないだろうか。普通ならば「苗字+くん」もしくは「名前+くん」になる筈だ。

 そもそも「キョンくん」という呼称はキョンの親戚が呼び始め、それが妹に伝わり妹からキョンの友人達へ伝わって今にいたる。おそらく、高校に入ってからも呼ばれているのは国木田あたりが使っていたからだろうが、それはあくまでも「キョン」だ。女子から呼ばれている描写がないのでグレーゾーンだが、「キョンくん」の呼び方は高校では絶滅していてもおかしくはない。(ちなみに、鶴屋さんもキョンくんと呼ぶがこれはみくるからそう聞いたからであろう)
 ならば、みくるの不自然な呼称は「キョンの呼び方はキョンくんである」という事前情報に基づくと考えてもよいのではないだろうか。
 SF的かつ未来人属性な考えでいくと、いっそキョン妹が成長した姿がみくるであるなどというのも有りだ。みくる=未来であり非常に偽名っぽいし、みくるの本名バレイベントなどというものが発生してキョンが妹と同じ名前だと驚くなどということが終盤にあるかもしれない。
 ・・・だが、あの朝比奈さんが過去の自分と何のボロも出さずに戯れ続けられるというのも、少々考え辛い。それに、そうだとするとさすがに「未来人」の未来の部分が近未来すぎるだろう。いくらなんでも十年ちょっとで船がなくなるとも思えない。
 妥当なラインとしてはキョン妹の子孫・・・孫あたりが良いかもしれない。祖母が語っていた兄、「キョンくん」の話をみくるは知っており、故にキョンは彼女にとってキョンくんである。まあ、なんの根拠も無いのではあるが。

 

3.3年前の事件について

 3年前に情報フレアの爆発があった。それによって統合思念体はハルヒに目をつけた
 3年前に時空震があった。それを観測した未来人はハルヒの存在とそこより前に戻れないことを発見した
 3年前に突然超能力者は発生した。同時に脳内でハルヒの存在を知った。

 全て3年前。その1年のうちに起きた別々の事件だった可能性もあるがこれらが一連の事象だったと仮定すると、なんとなく何が起きたのかの概要が見えてくる。
 まず、情報フレアの爆発は世界全体に対して作り直しが入ったのだという事を示唆する。 これが『憂鬱』ラストのものと同様の現象だったとするならば、3年前のハルヒには何か決定的な挫折があり、それによって世界のリテイクを要求したのだという事になる。
 つまりハルヒはそれ以前の世界と決別したくなったわけであり、これが時空の断裂(=過去の拒絶)という形で残っているのではないだろうか。そして、新しい世界では同じことを繰り返さない為に閉鎖空間と神人というストレス解消装置とそのリミッターとしての超能力者を作ったという流れである。そうであるならば、挫折の原因はハルヒがヒステリーを起こして何かとんでもないことをしでかしたのかもしれない。

 

4.長門は誰が為に

「私の仕事は、涼宮ハルヒを観察して入手した情報を統合思念体に報告すること。生み出されてから3年間、私はずっとそうやって過ごしてきた」

「この3年間は特別な不確定要素がなくいたって平穏。でも最近になって無視できないイレギュラー因子が涼宮ハルヒの周囲に現れた。それが…あなた。」

 『憂鬱』において真っ先に自分の素性をあかした長門の語ったこの台詞は、しかし後に明かされた事実を踏まえると単純な字面通りとは言えなくなってくる。
 何故なら、『笹の葉ラプソティ』でわかった通り長門とキョンの出会いは「最近」ではなく3年前。そして彼女は3年間「待機モード」で過ごすと語っており・・・しかしハルヒの観察だけが彼女の任務であればあの時点、3年前の七夕の夜に長門があのマンションにあの姿で待機している必要は無いのだ。

  統合思念体の情報収集能力はほぼ全知で時間も空間も関係なく観察を行うことが出来、実際に長門は作中何度も統合思念体や自身の異時間同意体にアクセスして自身の知りえない情報を得ている。
  そう、彼女は思念体から情報を得ているのだ。長門の主任務が情報収集であるとして、本体より観測能力の劣る観測機になんの意味があるのだろうか。つまり、人型端末はあくまでも人間と意思の疎通をする為の翻訳機としての機能がメインの存在であり、彼女達が関わっているのならばその任務は人間と接触する為のものでなくてはいけないということになる。
 だが、長門はこの時点ではハルヒに接触していない。ハルヒが長門を見つけたのはあくまでも空いている部室を探した結果であり、少なくとも現在(8巻)のところそれ以前に長門がハルヒに接触したという描写はない。
 ならば何故、彼女は3年前から存在するのか。しかも、北高の制服を着てだ。言うまでもなくこの時点でのハルヒは東中の生徒である。接触する必要があるのなら、そちらの制服を着て、中学生の容姿をしている筈だろう。
 3年後の出会いに備えて待機中という文面通りの解釈は一つの答えとなり得る。だが、人間とは違い必要な時間に必要な場所に発生させることのできる人型端末を、無意味に待機させておく意味は無い。3年前に作成する事が出来て3年後に作成する事ができないのでは不自然であり、ハルヒと北高で出会う為だけに作られたのならば長門の誕生するタイミングは3年後である筈だ。極端な話、ハルヒが空き部室を探し始めた瞬間に文芸部室に発生させるのがもっとも効率的なのだから。
 機能の面でも効率の面でも、疑問が発生する。情報の瑕疵を嫌うという統合思念体のする事にしては、これは不自然だ。
 ならば、長門は何故あの場に、あの格好で居たのか。
 それは、そうでないと困る者が居るからだ。3年前、あのマンションに長門を訪ねる存在。言うまでも無く、それはキョンだ。
 「今のハルヒ」を維持する為にはキョンが過去へ戻りジョン・スミスになる必要があり、そこから戻る為に長門はあの場所に居なくてはいけなかった。長門はハルヒの為の端末ではなく、むしろキョンの為の端末だったのだ。

 何が言いたいかというと、長門萌え。

 

5.何故朝倉はキョンを殺そうとしたのか

 TV版『憂鬱』10話を大いに盛り上がらせてくれた朝倉によるキョン殺害未遂。
人型インターフェースがいかに何でも有りの存在かということを見せ付けてくれた一幕
ですが、なんでもありにしては手段がしょぼいのも事実です。
 朝倉がやろうとしたことは「放課後の教室にて、キョンをナイフで刺殺」なのですが、空間そのものや物質を変質させたり操作したりできる存在にしては、やけにやることが地味です。また、目的が「ハルヒを刺激して情報フレアを発生させる」ということにあるのなら別段キョンを殺さなくてもハルヒ自身に超常的な現象を味あわせるという方法もあった筈です。何故、朝倉はキョンを殺さねばならなかったのでしょうか?

 これは、ハルヒが発生させる「情報フレア」なるものが何であるかを考えればそれらしき解が導けるかもしれません。
 まず、3年前の情報フレアが時間軸に壁を作ったり超能力者を誕生させたものであるとするならばそれは世界を書き換える力の発現と同意ということになります。そしてそれは、後の『消滅』事件で実現したように統合思念体を一時的に消滅させる事すら可能な力であり、しかもハルヒ自身には現時点でわかっているかぎり制御できないものです。
 つまり、統合思念体にとってさえハルヒはアプローチを誤れば情報を得るどころではない危険物であるということにます。この事は、統合思念体主流派が静観を選択していることの根拠にもなるでしょう。瑕疵を嫌うというその性質から、どのように扱えば望む結果が得られるかが計算しきれていない間は何もしないという選択になっていると思われます。

 さて、それを踏まえた上で朝倉が取りえた手段を考えて見ます。
 まずハルヒに直接宇宙人の存在を教えるというパターンですが、これは最も危険な行為です。ハルヒは破天荒ですが常識的な思考をしており、本当はこの世に不思議なものなどないと心の中では考えています。故に、統合思念体を含めた超常的な存在は超常的なまま、普通の人々は(ハルヒも含め)その存在を知ることなく暮らしています。ですが、もし彼女が宇宙にも知性体が存在していると知ってしまったらどうなるでしょうか。
 ハルヒはそれがどんなものであるかを想像し、自分の望むような存在である事を期待し、あるいは何かとんでもないことがおきてしまうのではないかと恐怖する事もあるでしょう。そしてそれは、現在存在している統合思念体にハルヒの主観による修正が加わる可能性を生むのです。
 つまり、ハルヒが宇宙人とはタコ型であると思い込んでしまえば統合思念体は巨大なタコになってしまうかもしれないのです。   
                                
ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん
 これでは統合思念体としての連続性が危ぶまれて情報を観測するどころではありませんし、いくら変化を求めているとはいえまったく自律ではないこの状態ではそれが果たされているとはいえないでしょう。
 つまり、ハルヒに効果的な刺激を与える為には前提条件として最低限統合思念体の存在を知らせないということが必要になります。直接的な接触よりも彼女の周囲を乱して情報フレアを発生させなくてはなりません。
 そこで再度情報フレアについてです。現在明記されている情報を見る限り、情報フレアの発生条件はハルヒが嫌な現実を覆そうとすることですので、意図的にそれを発生させようとするならば、ハルヒに「こんなの嫌だ」と強烈に思わせる必要があります。「これは面白い」とかではなく、絶対的な拒絶が必要なのです。
 で、あるならばこの時点でハルヒが唯一心を許している(自分からコミニュケーションをとっている事を朝倉は何度も確認している)相手であるキョンを失わせれば、ハルヒは彼を取り戻すか忘れるかする為に現実逃避―――情報フレアの爆発を起こすであろうということが想定できるのです。
 まあ、キョンに恋人誕生! とかでもハルヒが爆発する可能性はある(というか『憂鬱』ラストでそうなっちゃいましたが)のですが人間の感情を解しない朝倉(※)にはそこまで捻った黄金率作戦みたいなのを期待するのも酷でしょう。

 さて、キョンを殺さなくてはいけないとなった所で手段についてですがこれはあくまでも常識的な手段でなくてはいけません。たとえば誰もいないはずの教室で八つ裂きになっていたりしたらハルヒはキョンが死んだということよりも何か超常的な現象が起きたという事に注目してしまい、意図が破綻する可能性があります。まあ、妖怪とか旧支配者とかを想像してそれが実現するとかなら問題なさそうではありますが。

 故に、ハルヒの目を現実世界に向けさせる事で大きな問題を起こさないように配慮し、
かつ確実に情報フレアの爆発を起こす為にはキョンを自然な形で死なせる必要があったと
いうわけです。
 ちなみに、体の動きを止められるのですから心臓あたりを止めてしまえばそれで自然に
殺せるとは思いますが、その場合病死扱いになり、ハルヒが悲しみを乗り越えてしまう可能性があるので外傷を与える必要があったのだと思われます。取り戻させるには、まず奪わねばなりませんし。


※感情を解さない朝倉
 作中キョンが統合思念体に怒っていたりするように、初期の長門は感情を持っていない
わけですが、朝倉もまた喜怒哀楽の楽あたりで全動作が固定されているだけであり、感情を持っているとは思えない。TV版『憂鬱』10話でのにこやかに襲い掛かる朝倉参照のこと。
 おそらく、統合思念体はあまりに知性体として完成されすぎているのでコミニュケーションに必要な技術の多くが退化しているのではないかと思われます。パワーショベルで習字をしてもうまくできないような感じで。

 

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