0-1 Crimson Air Crosed World
かつて、遠坂凛はその少年が真赤い校庭で繰り返し繰り返し走り高跳びをしているのを眺めていたことがある。幾度と無く挑み、幾度と無くしくじり、しかし届かぬ高みへと手を伸ばすその姿をいつまでも、いつまでも。
凛にも、おそらくはその少年にもわかっていた。掲げられたバーは彼の身体能力の限界より遥かに高いところにあると。
それでも、少年は挑み続ける。
凛には理解できなかった。届かぬと理解していて尚挑み続ける少年の、その意思が。
彼女は何事につけ見切りが早い。その時点で達成しうることはどんなに可能性が低くとも成し遂げるが、出来ないことは最初からやらない。出来る条件を整えるまで回避する。
それは彼女が優れているが故の手法だ。条件さえ整えれば大概のことは出来るが故の余裕とも言えるかもしれず、自己の資質と鍛錬に自信があるからこそのその自信を凛は誇りに思っている。
だが、だからこそ、それは尊いものに見えた。
出来るとか、出来ないとか。その挑戦に意味を求めず無限の可能性に手を伸ばすこと。凛には無い何かがとても眩しかったことを、今も覚えている。
そして、今。
視線の先、あの日と同じ真っ赤な世界に少年は居た。少し遅くなった放課後、校門へ向かう途中にふと振り返った校舎、その窓に切り取られた教室の風景に。
一人たたずんでいた衛宮士郎という名のその少年は傍らの机に工具箱を置き、凛の眼にはストーブの屍骸としか思えないモノに手をかざし。
瞬間。
「っ!?」
凛は思わず半歩後ずさっていた。驚愕の思いと感情から切り離した判断力が激突し、せめぎあう。
曰く、彼が魔術師の筈は無い。衛宮の家は魔術とは関係が無い筈。
曰く、魔力を物体に通す存在は例外なく魔術師である。
そして、遠坂凛は魔術師であった。魔術師とは、理をもって情を殺すもの。
(そう。認めなさい。彼は魔術師だった・・・巧妙に魔力を隠していた、モグリの)
知らず、拳を握り締める。
魔術師が、身近に潜んでいた。よりにもよって、この時期に。
聖杯戦争が始まる、このときに。
(・・・なら、確かめなくちゃ)
何を?
(聖杯戦争・・・それに彼が関わっているかどうか。聖杯戦争は情報戦。わたしの領地とも言えるこの学校にわたしの知らない魔術師が居るのはまずい。最低限マスターかどうかだけでも確認しておかないと)
どうやって?
(普段すれ違っても気づけないほど魔力の隠蔽に優れた相手よ。魔術師である事に気付いたと悟られればきっと警戒される。こちらがサーヴァントを召還してから接触すればサーヴァント同士は感知しあえるからわかるかもしれないけど、それじゃ手遅れになるかもしれない)
何がどう手遅れなのかとかという点からは無意識に目をそらして凛は口元に握った拳をあてて考え込んだ。
(と、なれば・・・むしろ魔術師と気づいてないふりをして近づくべき? ただの同級生、ただの女の子っぽく?)
なんとなく、バッグから手鏡を取り出して覗き込む。髪に乱れが無いか確認し、にっこりと優等生っぽく笑ってみてから凛は自分の行動に気がついてピキリと表情を凍らせた。
(な、何をしてるのわたし? ・・・って、そう。そうよね)
ひとしきり狼狽してから一人納得。
(これが一番合理的、かつ確実な方法。うん、危険かもしれないけど・・・)
視線の先には赤い部屋の中、無言でストーブを修理する少年。あの日のまま、ただひたむきに。
(そう、これは情報戦。別段その、なんというか、そういうのではなく、あくまでも聖杯戦争の一環としてね、うん。それ)
どれだ?
(つまり・・・女として彼に近づいて、その―――恋人ってことになれば、上半身をあらためる機会ぐらいつくれる! 多分! きっと! なんとなく!)
・・・遠坂凛は、優秀な魔術師である。自他共に認めるそれは事実である。あるのだが。
それと同じくらい、乙女でもあったのだ。致命的に。
(これはわたしの保有している戦力下で考えうる最良の手段。わたしが彼をどう思ってるとかそういうのじゃなくて、その、あの・・・ええぃ!)
赤い。山間に消えようとする夕日に負けないほど真っ赤になった頬をペシリとひと叩き。計画の根幹に感じる不安に首を振って否定。否定。否定。カット・カット・カット。
(大丈夫! これでもそれなりに容姿には自信あるし、学園内でのイメージもいい感じの筈だし・・・ラブレターだって結構もらってるし・・・こ、好みとかの問題さえなければ・・・)
不安はそっちか。
(自信を持ちなさい遠坂凛! 衛宮君に恋人が居るってのは聞かない・・・って桜はどうなのかしら?)
士郎の家に通い妻状態になっている間桐桜。これは強敵である。魔術師でもある彼女は面立ちの綺麗さや、既に彼ののど元に食い込んでいる家族同然の立場もさることながら、凛の持たない強大すぎる武器を手にしているのがあまりにまずい。
(あの胸は・・・反則よ。禁止よ・・・ヲノレ)
果てしなく湧き上がる殺意を取り敢えず思考からカットして再度検討。
(でも、たしか・・・友達に冷やかされたときに桜は家族だ! そういうのじゃない! とか叫んでたわね。たしか)
ちなみに、凛がこっそり士郎を観察していたときのことだ。照れ隠しという可能性も無いではないが、あの真っ直ぐがとりえの少年だ。おそらく本気と見ていいだろう。
(他に恋人が居るなら桜を家に迎える筈ないし・・・多分、衛宮君はフリー。桜もまだ彼を篭絡してはいない)
もう一度手鏡をチェック。髪がはねてないか? リボンの位置はこれでいいのか? 歯は? 服に汚れとかはついてないか? スカートの長さは? コートの赤さは?
(OK。全て問題無し。現状で発揮しうる最大戦力を発揮できているわ)
遠坂凛という少女の本質は攻めにあり、こちらから踏み込んでいく際にその能力を最大限に発揮する性質を持つ。何事につけ、先手を打つことこそ彼女の本領。
だから。
拳をひときわ強く握って凛は鏡から視線をあげた。仇敵を睨みえつけるような視線で教室の中の少年を見据え―――
「ってあれ?」
―――ようとして、視線が空振った。
既に、教室の中は空っぽ。赤から紫へと色を変える最後の陽光に照らされたそこにはもはや誰も居ない。どうやら、予想よりも遥かに早く修理は終わっていたらしい。
「・・・不覚」
顔を平手でおさえて凛は呻いた。策士策に溺れる。躊躇していては何もつかめないとわかっていた筈なのに。
「はぁ・・・」
ため息が出た。なんとなく勢いで突っ走っていただけに、我に返ってしまえばその反動が憂鬱となって心を掴む。
「帰ろ」
ぽつりと呟いて凛は踵を返し、とぼとぼと家路へ―――
「遠坂、何やってんだ? こんなとこで」
つけなかった。
「え? ・・・ぅエ!?」
目の前に、少年が居る。赤みのかかった髪の、真っ直ぐな瞳の少年。
衛宮士郎がそこに居た。
「衛宮君・・・なんでここに・・・?」
「? いや、帰ろうと思ったら遠坂がなんだか鏡睨んでブツブツ言ってたから」
ぁぅ・・・と呻いて凛は口に手を当てて表情をごまかす。
(でも、取り敢えずわたしに興味をもってくれてる・・・とみていいのかしら)
ちらりと見上げると士郎は不思議そうに見返してくる。相変わらず、何を考えているのかよくわからない。
「そ、その・・・ごほん、衛宮君?」
言葉がうまく出ない。この場は適当に切り上げるべきかどうかで激しく迷う。
繰り返すが、遠坂凛という少女の本質は攻めにある。こちらから踏み込んでいく際にその能力を最大限に発揮し、受けに回るといまいちもろい。魔術戦闘につけ、夜の戦闘につけ。いや、まだ未経験だがなんとなく。
「・・・体の調子でもわるいのか? 遠坂」
常に無く動揺している凛に気遣わしげな顔で士郎は尋ねる。打算、計算、一切無し。混じりけ無しの善意で。
(・・・いいな、ほんとに)
それで、決心はついた。もう理由やらなんやらはどうでもいい。この胸の衝動をそのまま叩きつける! 心臓直撃、ぶち抜きで! 抜いてどうする!
「衛宮君、ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど」
「? ・・・なんだ?」
きょとんとした表情の士郎を親の敵のように睨み付け、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら少女、遠坂凛の生まれて始めての勝負が始まった。
(あなたが好きなの・・・! って、そ、それはストレートすぎてちょっと恥ずかしいし、わたしとつきあいなさい! って言うとどこへ? とか真顔で言われそうだし、わたしのお味噌汁を作って・・・って先走りすぎ!しかも逆! あ、でもむしろありかも?)
自問、自答、そして自爆という終わりの無い転舞曲を繰り返しながら凛はぐっと拳を握り、意を決して口を開いた。
「衛宮君、わたしと―――」
何百何千と言う言葉から選びぬかれた、必殺の一撃!
それは―――
「やらないか?」
「え・・・ぅぇええええええええ!?」
口にする前に、別の声に上書きされて消えうせた。
「っ! 違う! 今のわたしじゃない! こっち見ない! 赤くならない!」
がぁっ! と叫びながら凛は全力で振り向いた。声の割り込んできた方へ。
「誰よ今の・・・って綺礼! あんたなんて事言うのよ! むしろなんでこんなとこに居るのよ!」
「ふむ、先んじて二つ目の問いに答えるならば君達に用があったからだ。一つ目の問いに関しては君が難儀しているようだったのでな。私なりに手助けをしてみた」
叫ぶような追求に無表情に答えたのは神父服を着込んだ重々しい表情の男。だが、その筋肉質な体つきはどうみてもただ神に仕えてるだけの人間とは思えない。
あからさまに物騒な雰囲気を漂わせているその男の名は言峰綺礼。二言で言えばマッチョ神父、一言で言えば変態である。
「て、手助け!?」
「そちらはどうでも良いことだ。それよりも・・・衛宮士郎、だな?」
綺礼に問われ、士郎は彼にしては珍しくあからさまにむっとした表情で頷いた。
「そうだけど・・・人に名乗らせるんなら自分も名乗ったらどうだ?」
ふむと頷き、綺礼はうっすらと笑みを浮かべて十字を切る。
「私は言峰綺礼。神父ではあるが、君と同じ魔術師でもある」
「っ・・・!」
「ちょ、ちょっと綺礼!」
それぞれ違う理由で動揺する若者二人に綺礼は口の端をつりあげて笑った。
「私は衛宮切嗣が魔術師である事を知っている。切嗣に息子が居たという事は最近まで知らなかったが、知ってみれば魔術師の子が魔術師であることは必然だろう?」
「・・・親父を、知っているのか?」
「よく知っているが、その辺りを知りたければ本編をやるべきだ。むしろやっていないのならばこれを読むのをやめた方がいい」
「メタな発言はやめなさい綺礼。で? わたし『達』に用って言ってたけど?」
どこへ向けたものかわからない忠告にため息をつきながら割り込む凛に綺礼は頷き、淡々と話を進める。
「知っての通り、この街の聖杯戦争はもはや開始まで猶予がない」
「・・・聖杯戦争?」
「魔術師によるバトルロワイヤルよ」
鸚鵡返しに尋ねる士郎に凛は人差し指をぴんっと立てて見せた。
「数十年に一度7人の魔術師が集まり殺しあう・・・そういうイベント。求めるのは聖杯・・・あの、聖杯よ。本物かニセモノかはわからないけど取りあえず手に入ればなんでも願いが叶うって言われてるわ。ついでに、わたしも参加予定」
「なんだよそれ・・・っていうか、遠坂も魔術師だったのか!?」
「そうよ。ちなみに衛宮君ちに通ってる桜も魔術師かつわたしの妹」
つい数分前までは想像もしていなかった情報の奔流に打ちのめされ、士郎はパックリと口を開けて硬直する。大パンチでも余裕で入るだろうからコンボで6割は持っていけそうだ。
「ま、ゆっくり考えていいわよ。その間にこっちで専門的な話を進めとくから」
「・・・ありがとう・・・姉御」
「誰が姉御よ!」
錯乱してる士郎に簡潔なつっこみを叩き込んで凛は綺礼に向き直った。
「で? 聖杯戦争がどうしたのよ。まだわたしはサーヴァントを召喚してないわよ」
「状況が変わった。取りあえず、当面の所召喚の必要はなくなったと言えるだろう」
綺礼は重要時をあっさりと言ってのけ、視線を凛から外す。
「私の妻は協会の魔術師なのだが、先ほどサーヴァントを召喚しようとしてな」
「妻!? ・・・って奥さん!? あんた結婚してたの!?」
「うむ、後妻だ。前の妻との間には子も居る」
「再婚!? 子供!? あんたの!?」
「その子供がおまえだ、凛」
「?! ぁぅぇおぁ!? ■■■■■■ッ!?」
「もちろん嘘だが」
凛様、速攻ガンド撃ち。
「冗談はさておき」
至近距離から放たれた黒い魔力弾をひらりとかわし、何事も無かったかのように綺礼は続ける。
「ランサーとしてクーフーリンを召喚しようとしたのだが・・・」
「ちょ、ちょっと待って! そんなことわたしに教えていいの? サーヴァントを召喚してなくてもわたしはマスターよ!?」
「かまわん。どの道このままでは聖杯戦争が正常に運営できない。この召喚はおそらく無効になるだろう」
重々しく言って綺礼は目を閉じた。
「ちなみに、何故クーフーリンかというと、くーふー凛、というわけだ。娘よ」
「まだそのネタを引っ張るか!」
ジョン・ウーばりの二挺ガンド撃ちをウォシャスキー兄弟っぽいのけぞる動きでまとめて回避し、すいっと元の姿勢にもどって言葉を続ける。
「召喚したものが、想定と違った。いや、それだけではないが、取りあえず様々な意味でおかしい。異常だ」
「あんたが一番異常よ・・・ほんと、心の底から・・・」
兄弟子兼師匠の狂った言動にげっそりしながら凛はなんとか精神を立て直す。
「で? 召喚に失敗したっていうの?」
「いや、召喚は成功だった筈だ。能力からして英霊であることは間違いないであろうし、諸処の疑問を無視すればあれは、くーふー凛だ」
「その発音はやめなさい! ・・・はぁ・・・で? 結局何がおかしいわけ?」
問われて綺礼は考え込み、しばらくして口を結んだまま首を振った。
「・・・いや、ここで説明するのは避けよう。おそらく理解してはもらえないだろうからな。本人達に直接会った方が早い」
「まあいいわ。で? 教会に行けばいいのかしら?」
凛が綺礼の工房を口にするが、返答は否定。
「いや、行き先は衛宮邸だ」
「? 俺んち・・・?」
蚊帳の外で混乱しつづけていた士郎のきょとんとした顔に綺礼はふっと笑う。
「そうだ。場所を知っている者が居たのでな。先に向かってもらった。おまえにもこの状況を理解してもらう必要が在る以上、道々説明ができるのも都合が良い。説明するのは私ではなく娘だが」
「・・・まだ言うか。キ○ガイ牧師・・・」