1-2 兆候と登校
「ん? そろそろ桜は出る時間じゃないか?」
セイバーのおかわり三杯目で無くなった炊飯ジャーの中身を再装填し、急速炊飯のボタンを押してから士郎はリビングへ戻ってきた。
炊飯ジャーとにらめっこをしているセイバーは放っておいて自分の湯飲みに茶を継ぎ足す。
「あ、ほんとです・・・じゃあ先輩、お先に失礼しますね」
そう言って桜がテレビの時報と腕時計を見比べながら立ち上がったときだった。
りりりりりりりり―――
居間の電話が、軽快なベル音を鳴らした。
「・・・黒電話か。今時に」
「いいだろ?別に・・・ちゃんと話せるんだから」
アーチャーのつっこみに抗議している間に電話の受話器は士郎のものではない手で握られている。
「はい衛宮です」
「って何故に我が家のような顔で取るかな遠坂!」
『・・・切嗣の息子は優しくしてくれたか? 娘よ。だがしっかりと避妊はしておくのだ。楽しむのはいいが私もこの年で爺さんと呼ばれたくは・・・』
ブチン。
「―――間違い電話だったわ。衛宮君」
爽やかだった。キラキラと光の粒子を振りまくかのような、太陽の欠片をかざしたかのような笑顔。
ただし粒子は毒燐粉で太陽はメルトダウン寸前の炉心。きっと体は殺気で出来ていた。
りりりりりりりり―――
「は、はいっ! 衛宮です!」
再度鳴り始めたベルに凛が魔力回路を全開にすると同時に士郎は全速力で受話器を掴んでいた。背後ではアーチャーが凛をなだめている。かなり必死だ。
『・・・私だ。言峰だ』
「む。あんたか。なんの用だよ。っていうかなんでうちの電話番号知ってるんだよ」
問いに電話の向こうで低く笑う声が答える。
『先に二つ目の問いの方を答えるが、調べ物が苦手な魔術師等というものはありえん。氏名共に名乗った相手、しかもまともな名簿にすら名の載るような人物の住所電話番号家族構成程度、調べられぬようでは魔術書の解析などできるわけもあるまい?』
そのあたり、ただ一つの魔術しか習わずまっとうな教育を受けていない士郎にとって未知の分野ではあるのだが、とりあえず無視。
「・・・で? 用件は?」
『うむ』
声が、真剣味を帯びる。
『昨晩から私は聖堂教会、妻は魔術協会と連絡を試みているのだが一向に連絡がつかない。もとより日本はどちらの組織にとっても鬼門であり、活動も鈍いのだが・・・緊急時の詰め所にまで連絡がつかないのは異常だ』
淡々と述べる綺礼に士郎は困惑を隠せなかった。もとよりモグリの魔術使いである彼は組織の力関係にもうとい。
「えっと・・・それはどれくらい異常なんだ? おまえより異常か?」
「異常だ」
きっぱりと言い切る声に、士郎は眉をしかめて唸り声をあげる。
「それは、深刻だな・・・」
『深刻なのだ。故に私達はこれから直接それぞれの組織の拠点へ行って現状を確かめることにする。数日留守にするのでその間にするつもりだった仕事を頼みたい』
「・・・仕事? おまえのか?」
問い返すと電話の向こうから低い笑い声が聞こえてくる。
『いや、むしろ衛宮士郎。おまえ自身向きの仕事だろう。正義の味方の、仕事だ』
皮肉のこめられた口調に士郎はぐっと奥歯を噛み目を閉じる。
「内容は?」
『なに、簡単なことだ。逃亡し潜伏した他のサーヴァントを捕獲しろ。殺しても構わん。むしろ殺すべきだろう』
あっさりと言われ、士郎は閉じていた目を開き居間を見渡した。目に映るのは魔術師と英霊達。一晩経ち、同じ食卓を囲んだ今―――彼にとって皆が人間か否かなど、たいした問題には思えない。
「・・・もし用事がなかったら、それをあんたがしていたってことか?」
問いに帰ってきたのは先程よりも明確な笑い声。不明を笑う嘲笑。
『無論だ。ギルガメッシュの協力を得ればサーヴァントを殺すことは容易い。あれはそういう属性の英霊だからな』
「っ・・・ふざけるな!」
不意の怒声に居間は静まり返った。皆一様に士郎を見つめて口をつぐむ。
「こっちが勝手に呼んだんだろ!? 簡単に殺すとか言うんなよ!」
『別段その方法を強制するつもりはない。私はそれが最も確実であると思うだけだ』
一拍おいて綺礼は続ける。
『引き受けると、とっていいのだな?』
「ああ。あんたに任せてはおけない。サーヴァント達は俺が探し出して保護する」
きっぱりと言い切る士郎に綺礼はふっと笑って後を続ける。
『では情報を伝える。バーサーカーと思われる魔力反応がアインツベルンの城付近で確認されている。極めて強力なサーヴァントだ。早急に対処してほしい』
「あいんつべるんの城? どこさ、そこ」
『凛が大まかな場所は知っている。サーヴァントを連れて行けば発見も早いだろう』
淡々と告げられる言葉に大きく息を吸い、吐く。それで士郎の腹は決まった。
「わかった。今日にでも行ってくる・・・相手の情報はあるのか?」
『無い。本人に聞いてみてはどうかね?』
いきなり襲われなければな、と暗に告げる綺礼の言葉を無視。
「・・・そうするさ。じゃあな」
『うむ』
受話器を戻し振り返ると、全員の視線が集まってきた。士郎は気を落ち着かせる為に一拍おいてから凛に目を向ける。
「遠坂、あいんつべるんの城ってわかるか? バーサーカーのサーヴァントがその辺りに居るらしい」
「!? ・・・なるほどね。確かに論理的だわ」
凛は一瞬だけ驚きの表情を見せてから頷いた。
「アインツベルンっていうのは遠坂や桜の居る間桐・・・マキリと同じ聖杯戦争の始まりに携わった魔術師の一族よ。当然、これまでの全ての聖杯戦争に参加しているわ。そして、その為にわざわざ自らの城を移築してきているのよ。この冬木市にね」
「城を?丸ごと!?」
のけぞって驚く士郎にちょっと満足しながら凛は人差し指をぴんっと立てて講義を続ける。
「まあ、それに対抗して館建てた馬鹿も居るんだけどそれは置いといて・・・セイバーにしろアーチャーにしろ、とりあえずマスターっぽいわたし達のもとに来たわけでしょ? ってことは今回召喚されたサーヴァントは、本来マスターであるべき者の元へ向かったと見ていいと思うのよ」
仮説だけどね、と結ぶ凛にセイバーはふむと頷いた。視線は台所の炊飯器から離れないが話は聞いているようだ。
「つまり、バーサーカーはそのアインツベルンの魔術師が召喚した、もしくはする筈だったサーヴァントと推測できるということですね? リン」
「そういうこと。多分他のサーヴァントも本来のマスターを探してるんじゃないかしら。そうなると厄介ね・・・聖杯を手にすることしか考えてない連中ならこの状況でも戦争始めるかもしれないし」
「なんでさ。こんな無茶苦茶な状況じゃ、ちゃんと聖杯ってのが手に入るかもわかんないじゃないか。だから遠坂もとりあえず休戦って事にしたんじゃないのか?」
士郎の朴訥な問いに凛ははぁと息をつく。
「わたしは元々聖杯なんか欲しくないもの。それがうちの家に伝わる願いだからひとつ手にいれてもいっかな? くらいの感じで」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
唖然とした表情を浮かべたのはセイバーと桜。なるほどなと頷くのが士郎。知ってたよと皮肉に笑うのはアーチャー。あんりまゆはよくわかっていないらしく畳にゴロゴロ転がっている。
「でも、他の魔術師は聖杯が欲しくてたまらない連中なわけだから、今サーヴァント倒しても聖杯出てこないんじゃないかっていう単純なことに頭が回らない奴がまじってる可能性は否定できないわ」
「そっか・・・昨日の、パゼットさんって人はどうなんだろう?」
「うちのマスターは気にしなくていいぜ?」
士郎の疑問に答えたのはふすまをスタンッと開けて現れた長身の女性だった。
「あ、ランサーさん。おはよう」
「おう、今朝もいい天気だな少年」
陽気に笑いながら入ってきたランサーはあんりとまゆをまとめて部屋の隅に押しやり代わりに自分が卓袱台につく。
「な、なにするんだよ青女!」
「あらあら〜でも食べ終わったらどかなくちゃ狭いですよあんりちゃん〜」
ころころと転がっていく二人を無視してランサー姉さん、にこっといい笑み。
「少年。メシ」
「た、態度大きいわねあんた」
呻く凛をよそに士郎はよっこいせと立ち上がり台所へ向かう。
「・・・それで? おまえのマスターがどうしたと言うのだ」
代わって口を出したのはアーチャーだ。テキパキと食卓の使用済み食器を片付けながら問う。
「うちのマスター・・・っつうかむしろコトミネの奴が俺にさせようとしていた役目が、そもそもあんたらを倒すことじゃなかったってことだ。ギルガメッシュなんつーゲームマスター用の管理者キャラ用意してやがるくせにオレまでゲームのバランス調整に使う気だったんだとよ?」
俺が英霊やってんのは強い奴とガチ勝負したいからだってのによとランサーは結ぶ。
「具体的には何をすることになってたんですか?」
桜に問われて青の英霊はひょいと肩をすくめた。
「偵察。参加してるサーヴァント全員と戦い、倒しも倒されもせずに帰って来い。それが俺に与えられた命令だ。まあ、生き汚いのがオレの売りだし適任っていやあ適任かもな・・・お、さんきゅ少年」
目の前に置かれた塩シャケとノリ、問答無用のホカホカご飯、ほうれん草のおひたしといった派手さは無いが堅実にまとめられた朝食を前にランサーは満面の笑みを浮かべた。
「おう、うまそうだ少年・・・しかし箸、使えるかなオレ」
「ああ、そうですね。フォークとかいります?」
年代を考えれば、クーフーリンの食事法は多分串か手づかみだが。
「いや、やってみる。手はわりと器用だからな」
ランサーは言いながら客用の箸をぎこちなく構えカチカチとあわせ始める。
「っと、オレに構わず話を続けろよ。他のサーヴァントを捕まえに行くんだろ? オレも行くぜ」
「・・・そうね。協力してくれるとありがたいわ。何しろ相手はバーサーカーだそうだし」
「? バーサーカーってそんなに強いのか?」
士郎の問いに凛ははぁっとため息をつく。
「衛宮君、昨日は自分でも一筋縄じゃいかないとかなんとか言ってたじゃないの。まぁいいけど」
凛はなんとなく姿勢を直してから士郎に向き直った。
「いい? サーヴァントってのはクラスが先にありきなの。このサーヴァントはこのクラスだ、とかじゃなくこのクラスに該当するサーヴァントはこれ、っていう扱い。たとえばセイバーのクラスは魔力以外の全能力が一定以上で剣を使えることが条件。キャスターだったら当然魔力が一定以上あることだし弓が使えて多彩なスキルを持ってなければアーチャーにはなれなくて、敏捷性が一定以上で槍を使えなきゃランサーじゃない―――他にもいろいろあるけど、そういうなルールでサーヴァントは召喚されるの。一般的にセイバーっていうクラスは最強って言われてるけどそれはこの条件があるからなのよ。もともと他のクラスの条件をくぐれるくらいの能力がないとセイバーとして呼ばれることはないんだから、セイバーとして召還されたってだけで強いのは決定済みってわけ」
「・・・もっとも、私は剣しか使えないので他のクラスには多分該当しませんが」
セイバーは言いながら4杯目の山盛りご飯を強烈な勢いで食す。おかずは既に無く増援の沢庵のみが彼女の戦いの共だ。
「なるほど・・・それで、バーサーカーの条件ってのはなんなんだ?」
「バーサーカーは特殊なクラスよ。条件は特に無く、強いて言えば本人の伝説において発狂していると相性がいいって言われるわね」
「オレ、一応該当するらしいぜ、それ」
ランサーは言いながら煮豆を箸でつまみガッツポーズ。どうやらコツが掴めたようだ。
「誰でもいい。そこがポイントなのよ。バーサーカーの名の通り、このクラスで呼ばれたサーヴァントは戦いに狂う。そしてそれ故に能力の全てが戦いに割り振られて実力以上の力を発揮するの。本来持っているスキルや宝具と引き換えにね」
「もともとは弱い英霊から助言者としての機能を取っ払って無理矢理強くする為のクラスらしいぜ。魔力消費量も高くなるし制御も効きづらいから大概自滅するってコトミネは言ってたな」
ランサー、素早い動きで卓上のモロキューをゲット。
「そうね。だから本来はあんまり怖くないんだけど・・・今回は特殊な条件がついてるわ。受肉っていう」
凛の言葉に士郎はむ、と顔をしかめた。
「人間と同じように魔力を生成できるから魔力切れで消滅ってのもないしそもそも制御されてない。しかも・・・」
「狂戦士。目に映るものは全て破壊が基本ね」
言って、しかし凛は安心させるように表情を緩めた。
「まあ、わたしが放った監視の目は今のところ表立った問題は見つけてないしアインツベルンの城に向かったんならしばらくは人間の居る土地に戻ってきたりはしないわ。あそこ遠いから」
「・・・逆に言えば、今日明日位に見つけないと危険かもしれないってことか」
呟き、士郎はぐっと拳を握る。
「よし。じゃあ今日の放課後、その城へ行ってみよう。遠坂、場所を教えてもらえるか?」
瞬間、凛は脇に置いてあったミカンを士郎に投げつけた。
「な、なにをするだぁっ遠坂!」
不意打ちに驚き変な喋り方になった士郎に凛はひくひくとこめかみをふるわせる。
「あんた今、わたしを置いてこうとしたでしょ?」
「え?いや、だって危険だっていうし・・・」
「だったらなおさらつれてきなさい半人前ッ!」
事実なだけにぐっさりとくる一言に士郎はぐっと言葉に詰まる。
「それとも何? わたし程度じゃ頼りにならないっての?」
「それはない。覚えてるってわけじゃないけど、わかる。遠坂は最高の魔術師だ」
きっぱりと言い切る士郎に凛はかぁっと熱くなる頬を自覚してそっぽを向いた。対照的に桜の表情には陰が増す。
「シロウ。まさか私に留守番などとは言わないでしょうね?」
セイバー。とりあえず茶碗を置け。
「わかってる。頼りにしてるぞ。これで俺、遠坂、セイバー、ランサーさん―――」
「凛が行くならば俺も行かざるをえまい」
「―――アーチャー。5人か。言峰はギルガメッシュさんと一緒に行けって行ってたけどこのメンバーなら問題なさそうな気がするな。声だけかけてダメならダメでいいか」
士郎の言葉を聞きながらあんりはツンツンと自らのマスターの尻を人差し指で突っついた。弾力が心地いい。
「きゃっ!? あ、あんりちゃん何するの・・・!?」
「いいの? なんだかあんりたちもますたーも数に入ってないよ?」
「くすくす、戦いとかとは無縁だと思いたいのですよきっと〜」
まゆの台詞に桜は息を呑んだ。士郎にとっての自分が日常の象徴であるとするならば、本当の自分がそうでないとわかった時、彼にとっての自分の価値は・・・
「せ、先輩ッ! 私も―――」
「あ、桜」
慌てて声をあげるが、同時に士郎が口を開いたのを見て思わず口をつぐむ。
誰かが喋るのを邪魔すると何かの罰がある。そんな強迫観念で。
「な、なんですか? 先輩・・・」
「ん? ああ、時間、かなりまずいぞって」
「え・・・きゃぁっ!」
まずい。かなりまずい。こういう時にがおっと吼える虎は旅行中だが既に朝練は始まろうという時刻だ。
「ごめん桜。もっと早く気付けばよかったんだけど・・・」
「い、いえ、その、行ってきますっ!」
桜はお辞儀もそこそこに飛び出していった。ドタガタという音が遠ざかり、ビターンっと今日も盛大に廊下が鳴る。
「ぅぅぅ・・・」
泣き声と共に玄関がガラガラと音を立て、それを最後に屋敷は静寂に包まれた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・シロウ?」
「ん?」
「炊飯器が空です」