2-1 食卓百景(2)
「ふう」
衛宮士郎はニ杯目のお茶を飲み干して一息ついた。
生徒会室の良いところはいくつもあるが、まずはポットと湯飲みと急須という三種の神器が常備されているということがあげられるだろう。これは当然にいつでも緑茶が飲めるということであり、極めて気分が落ち着く。
第二点に、そもそもここは一般の生徒が足しげく通う場所ではないので静かだ。これもまた落ち着く。
そして第三であり最大の利点なのだが・・・ここには赤いあくまも黒いさくらもキ○ガイ神父もサーヴァント達もいないのだ。これ以上落ち着く場所があるだろうか? いや、ない。
確かに凛のことは好きだ。いろいろひっくるめてやっぱり好きだ。桜も同じで大切な家族だと思っている。日本一の妹と思っています、といったところか。
出会ったばかりのサーヴァント達とだって、それぞれの個性が出っ張りがちな所も込みでこれから仲良くしていきたいと願う。それは嘘じゃない。
しかし。
駄菓子菓子。
彼女たちとの生活が、なんというか疲れるのもまた事実なのだ。なにかと疲れる。なんやかんやでべらぼうに疲れる。ついでに肉体的にも大ダメージを負うことが多い。これに関しては何故かどんな大怪我をしてもすぐに治るからいいのだが。
贅沢な悩みと言うなかれ。どんなにおいしい料理でも大量に出てくればその合間に一杯のあっさりとした水が欲しくなるのだ。箸休めを馬鹿にしてはいけない。
そんなこんなで時には静かにすごしたいという要望。それを満たしてくれるここは士郎にとって聖地とも言える場所となったわけである。
「む、どうした衛宮。妙に満たされた顔だが?」
「いや、お茶がうまいなあ、と」
声をかけてきたのは柳洞一成。円蔵山の中腹に立つ山寺、柳洞寺の跡取り息子にしてこの生徒会室の主、ようは生徒会長である。
「ふむ、妙に疲れているようだな。幸い茶葉ならたくさんある。心ゆくまで飲むがいい・・・と言いたいところなのだが」
そこまで言って一成はちらりと壁の時計を見る。
「残念ながら昼休みというのは有限でな、そろそろ食べ始めないといかんだろう?」
「ああ、そうだね」
士郎は頷いて弁当箱の包みを解く。現れた彩りも豊かな二段重ね弁当に一成はほうと感嘆の声を漏らした。
「今日はまた一段と豪華だな。羨ましい限りだ」
「あ、欲しいのがあったら言ってくれ。今日のは量も多いし遠慮なく持ってっちゃっていいから」
一成は自分の弁当―――ご飯の白さがやけに目立つ質素なものだ―――を見下ろし、片手で拝むようにして頭を下げる。
「それはありがたい。どうにも俺の弁当は単色で困る」
「そうだな・・・親父さんの言いつけなんだっけ?」
うむと頷き一成はから揚げとコロッケと生春巻きをひとつずつ自分の弁当箱へ移した。
「しかし、雑多だな。貰っておいてなんではあるが、節操のない取り合わせだ」
不思議そうな表情に士郎は苦笑した。雑多なのも無理はない。この弁当、実は三人による合作である。士郎自身が作っていた弁当に桜と凛がこれもこれもと突っ込んでいった結果、量も多く各自の趣味が反映された奇妙な三色弁当が出来上がってしまったのだ。
「まあ・・・船頭多くすれば船も山登るよな」
「? よくわからんが、いただくとしよう」
一成が不思議顔で箸を手に取ったときだった。
コンコン、と静かにドアが打ち鳴らされた。ついで、音もなくその戸を開けてスーツ姿の男が入ってくる。
「失礼。柳洞は居るか・・・?」
男の名は葛木宗一郎。その極端な真面目さ故に方向性こそ正反対ながら知名度では藤ねえこと藤村大河と並ぶ有名教師である
葛木は立ち上がろうとした一成を手で制して傍らに立った。そのままふと気づいたかのような仕草で士郎の方に目をやる。
「衛宮、食事中すまないが少しここで話をしていても構わないだろうか?」
「あ、はい。大丈夫です」
助かる、と礼を言って葛木は一成と何やら事務的な話をしだした。
「提案のあった予算配分の件だが・・・」
とか。
「はい。ですがただでさえ文化系は活動発表の場が少なく」
などと話しているのを横目に士郎は海苔を中に巻き込んだ玉子焼きをはむっと口にする。
葛木教師。真面目で堅物。万事において正確で精密なものを好み、常に岩のような堅く厳しい表情をした男。
「む・・・」
その無表情な顔に別の無表情を思い出して士郎は思わず唸った。やっぱり、この人も実体は極度の変態だったりするんだろうか・・・? あのキ○ガイ神父と同じように一皮向けば中身は何をしでかすかわからないサイコロを振るような言動の人だったり?
そこまで考えて士郎はぶんぶんと首を振った。
いや。いやいや。ここは学校だ。聖杯戦争とは関係ない平和の象徴だ。さすがにこんなとこまで狂ってたりはしないだろう。というか、まともであって欲しい。切実に思う。
うむ、と頷いて視線を葛木に戻すと、教師は表情を僅かに緩めたところだった。
「ところで柳洞。昨夜は激しかったな」
「うほっ! いい教師っ!」
反射的に叫んで飛びのいた士郎をよそに葛木はなおも言葉を続ける。
「柳洞があんなに積極的になるとは珍しい・・・」
「そ、宗兄ぃ! こんなとこでそんな事言わないでください!衛宮だって居るんですから!」
「一成まで・・・腐ってやがる。早すぎたんだ・・・」
心地よかった空間で唐突に発生した多重性欲屈折現象に士郎は死んだ魚のような濁った目になり沈み込む。
「ん? どうした衛宮」
「気分でも悪いのか?」
途端こっちを向いた二人組の表情はいつもどおり。あまりにもいつも通り。ようは、いつも多重性欲屈折―――これはもういいか。
「・・・一成。まず言っておくことがある。俺はおまえをいい友人だと思っている」
「? ふむ。よくわからんが礼を言おう」
きょとんとしている一成に士郎はびしっと指を突きつけた。
「しかし! 俺はノーマルだ! 女の子にしか興味ない! それは覚えといてくれ!」
「!? ・・・そ、それはそうだろう。おまえに男色の気が無いのは知っている。女人にあまりうつつを抜かすのもどうかと思うが。喝」
うむうむと頷く姿に少し安心する。とりあえずいきなり背後から襲われたりはしなさそうだ。
「よかった。うん、それならいいんだ。後は葛木先生と心ゆくまで愛し合ってくれ」
その言葉に一成はピタリと動きを止めた。腕を組んで考え込み。沈黙すること数十秒。
そして。
「ば、馬鹿者! 先程の会話はそういうのではない!」
堅物と言われる生徒会長は顔を真っ赤にして叫んだ。
「いや、いいんだ。個人の趣向は尊重すべきだってことくらいわかってる。相手が、その、教師だってのはどうかと思うけど」
「だから違うと言っておろうが!宗兄・・・葛木先生は3年前からうちの寺に滞在しておる客人なのだ! 武術に優れているのでたまに教えを請うていて、昨晩も少々思うところがあり一手指南願っただけだ!」
眼鏡をずり落として叫ぶ一成を横目に葛木もうむと頷く。
「私と柳洞がそんな関係になるわけあるまい」
援護射撃に一成は顔を綻ばせ、
「柳洞が愛しているのは衛宮だろう?」
「宗兄ぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
横合いから致命傷を叩き込まれて悶絶した。
「一成、わるいけど今度から俺の背後には立たないでもらえるか・・・?」
「違うと言っているであろうがっ!」
「昨日の手合わせはそういうことか。愛する者を守るため強くなろうという心がけは良いことだ。優しくと手荒く、どちらが好みだ?」
「不審な女が寺の周りに出没すると言ったのは宗兄でしょうがぁっ! 警戒してるんですっ!」
その後、一成が機嫌を直す為に士郎の弁当が半分近く消費されることになる。
彼が食べた物がほぼ全て自分の作だった辺りに何かうすら寒いものを感じたが、士郎は努力してそれを忘れた。
忘れた方が、たぶん幸せ。