2-7 名付けられざるものもの

 言うまでも無いが、現在の衛宮家は女の子で埋め尽くされている。
 それは当然に生活ラインが増えるということであり、各施設の使用待ちなども多く発生するわけだ。
 幸いなことに衛宮邸はもともと多人数での生活を想定していて洗面所とトイレは2箇所ずつ合ったりするのでまだいいが、そうでもなければ毎朝聖杯戦争が発生するのは避けられなかったであろう。己の最強を証明せよ!
「あーいい湯だったなっと」
 そんな中、残念なことに一つしかない施設が風呂である。広いのはいいが、数は一つ。必然的に順番は厳格に決められていたりする。
 まず一番手はランサー。何かと速さにこだわり、かつ江戸っ子気質の彼女は一番風呂を極めて好む。食事前に入る派の中でもひときわ早く5時ごろには入浴して後は軽装でぶらぶらしている。入浴後の牛乳はもはや神聖な義務といえるだろう。
 二番手はあんり&まゆ。遊びながらの入浴なのでやや長く、お湯の減りが激しい。桜が商店街の薬屋で貰ってきたプラスチック製のようはアヒル隊長も大事なパートナーとして同行。
 食事前派最後の入浴者はバーサーカー。長身で体格も良いので、アルキメデスがエウレーカし(見つけ)た通り彼女が入るとお湯が大量にこぼれてしまう。綺麗好きなのか、入浴時間も長い。
 入浴後に「がぅ」とお湯を足してメンバーチェンジ。食事の後の一番手はギルガメッシュだ。何やら身体にいい入浴剤のマニアらしく彼女の後に入ると日替わりでいろんな湯が楽しめると好評。
 二番手はイスカンダル。大声で謎の歌を歌いながら入浴するのですぐにわかる。ちなみに衛宮家では珍しいスポンジ派であり、専用のボディーシャンプーで全身泡だらけにして入浴を楽しむ。時々フライングしてギルガメッシュが入っている間に『一緒に入るんだねっ!』と侵入することもあり。宝具の一斉射撃を喰らって逃げ帰ってくることが多いが3回に1回は強行突破しているあたり、やはり並みの英霊ではない。
 続いて入るのは凛か桜。食器洗いというスキルを身につけたセイバーが一日交代で二人を手伝い、手伝ってもらっている方が先に入る。
 凛は案外風呂に入っている時間は短い。どうも魔術の助けを借りて効率のよいボディケアを心がけている模様。ついでに髪に魔力を蓄えるのも日課だそうだ。
 桜は逆に長い。放っておくと幾らでも入っているので大概凛が急かしに行く。風呂の後には究極の審判、体重計との戦いが待っており、ほぼいつも憂鬱な顔で出てくることになる。戦わなきゃ。現実と。
 次いで風呂に向かうのはセイバー。彼女の風呂は早い。ランサーと同レベル、もしくはそれ以上の早さだ。だからと言って別段雑だとかいうわけではないのだが、やはり無造作な感じは拭えない。そもそもの文化圏の問題でもあるが、今後少女としての覚醒が待たれる。
 余談ではあるが、ランサーは自分以外の全てのメンバーの風呂を覗いた経験をもっており、本人曰く
「オレの役割は全員と接敵して生きて帰ることだからな」
 とのこと。一度セイバーの直感スキルに発見されエクスカリバーを喰らいそうになったものの、まだまだ懲りていないようだ。むしろ野望は燃え盛っている模様。
 そして、そのランサーに今のところ唯一覗かれていない新入り、佐々木はその後の入浴と決まった。食器洗い終了後もあちこちの細かい拭き掃除を楽しげにやっているので声をかけられず、気が付いたらの結果だが本人もとりたててこだわりは無い模様。ただ、風呂道具一式と共にとっくりと猪口を持ち込んでいるのが覗きに挑戦して撃退されたランサーによって報告されている。

 そして。

「鍛錬して、寝るか・・・」
 もっとも遅く風呂に入るのが、この衛宮士郎だ。住人中最短の入浴時間でもって風呂を出た士郎は脱衣所で寝巻き代わりのトレーナーとジャージに着替えてぺたんぺたんと廊下を歩く。
「ん?」
 土蔵へ行こうと中庭への縁側に来た時だった。そこに座る浴衣の女性を見つけて士郎は足を止めた。
「佐々木さん・・・湯涼みですか?」
「ふふ、晩酌の続きです。旦那様もいかがですか?」
 佐々木は軽く朱に染まった頬で微笑み、徳利を片手に隣を手で示す。
「えっと、じゃあ少しだけ」
 士郎は薦められるままにそこへ座り、空を見上げた。
「まずは一献」
 佐々木は自分の使っていた猪口に酒を満たして士郎に差し出す。
「あ、どうも」
 士郎はそれを受け取り、一気にそれをあおった。最近でこそ藤ねえの目があって飲むことも少なかったが、かつては切嗣におもしろ半分で飲まされたものだ。
「あ、これはおいしい」
 すっきりとした辛口だ。中々に上物かもしれない。
「・・・いいお家、ですね」
 佐々木はくすりと微笑んでそう言った。投げた視線は閉じられたふすまに遮られて居間までは届かない。
「いい家になった、というべきかもしれませんけどね」
 士郎は頷き、猪口に酒を満たして返す。
「ありがとうございます」
 くっと干して熱くなった吐息をひとつ。
「わたくし・・・外の世界は初めてなんです」
「え? ・・・だって佐々木小次郎なんですよね? 中条流の免許持ちで、小倉藩剣術師範の。諸国で修行してた筈では?」
 刀剣関係には詳しい士郎の指摘に佐々木は静かに首を振る。
「それは、『佐々木小次郎』の来歴ですね。わたくし個人とは、別なのです」
「?」
 きょとんとするその表情にまた一笑み。酒を注いで佐々木は語りだす。
「わたくしに名前はございません。わたくし自身にも詳しいことはわかりませんが、どうやら勢力争いに負けたどこかの藩の大名家の者だったようですね」
 酒の水面に映る月を眺めて一息。
「妾腹か何かだったのでしょう。表に出ては面倒なことになるわたくしは幸いにも殺されること無く寺に預けられました」
「! ・・・それが柳洞寺?」
 ええと頷く。
「あの山門の内側で、わたくしはすることも無くただただ日々を過ごしておりました。寺にやって来た武芸者の方を真似て剣など振るってみたり、掃除や洗濯、料理などを覚えたりしながら」
 思い出す。あの単調な日々を。平和で、何一つ失われること無く、何一つ得る事も無かった彼女の一生。
「燕を斬ろうと思い立ったのも暇にあかせてなのです。どうやら天賦の才というものがあったらしくわたくしは見様見真似でも誰より鋭い剣技を持ってしまいましたので、難しい課題がほしかったのですよ。それからは毎日毎日、手の皮が擦り千切れるまで剣を振り、癒し、また振り・・・いつしか身についたのがあの技というわけですね」
 それは、どれほどの修練によるものだろうか。
 伝説となる魔技。その本質は無限に続く努力の槌に鍛えられた刀だったということになる。
「出来るようになったそれを武芸者の方々に見せると皆様大層驚きになられまして、教えを請われたりもしました。どなたも習得できなかったようですけどね」
 それはそうだ。
「そして、その中にいらっしゃったのです。佐々木小次郎殿という剣客の方が。農民出身という割には風流を好む楽しいお方でしたが、おそらくこの方が燕返しの名を世に広めたのでしょう。その後、彼がどうなったのかは存じませんが、佐々木小次郎殿の名、彼が広めた『燕返し』、それらしい箔をつけるための逸話・・・中条流やら師範やら・・・の話がくっついていき、宮本武蔵という剣豪の敵役としての『佐々木小次郎』という存在ができあがったわけです。佐々木小次郎なる剣士は、実は存在していないのですよ」
 徳利を傾ける。どうやら空になったようだ。
「でも・・・実際にささ・・・ええと、あなたはここに居るわけですよね?」
「ええ。何故そんなことが行われたのかは呼ばれた身であるわたくしには存知得ませんが、あの地が『佐々木小次郎』縁であると知った誰かが召喚をし、『佐々木小次郎』に近かったわたくしが具現化されたのでしょう」
 名を持たぬその女性は月を見上げた。あの寺で、生涯を過ごしたあの場所でいつもそうしていたように。
「名前も借り物、呼ばれたことも間違い。そんなわたくしは、何者なのでしょう? 渇望した外の世界へこうやって出てきた今・・・実は、それに怯えています。こうしてお話していても、わたくしが誰だったのか、先程語った記憶が本当に自分のものなのか、全てあやふやで―――」
 その笑顔の儚さに、士郎は強く首を振った。
「何者なのかなんてことは・・・あなたが自分をどうしたいかで決めていいんだと思います」
 思い出すのは赤い記憶。炎の中、命を救ってくれたあの人の、安堵の笑み。
「俺は・・・俺の名も本物じゃないんです。エミヤシロウってのは、親父に拾われてから付けられた名前。その前に何シロウだったのか定かじゃないし、今じゃ本当の親の顔もわからない」
「・・・・・・」
 見つめる瞳に、言葉を紡ぐ。
「俺が衛宮を名乗るのは、それが正義の味方の名前だからなんです」
「正義の・・・味方ですか?」
 きょとんとした表情に力強く頷く。
「苦しんでいる人を助ける人。犠牲を出さず、みんなを等しく救い上げていく存在。そういうモノの、これは名前。俺はそう思って名乗っています」
 セイバーから真実は聞いた。衛宮が、衛宮切嗣がどういう正義の味方だったのかを。
「俺が正義の味方だと思っていた親父は、全てを救ってなんか居なかった。最小限を切り捨てることで最大を助ける。そういうことしかできなかったんだ。全部を助けたいって思っていても」
 人は神にはなれない。それは平凡な末路の話。
 それでも。
「それが現実だとしても、俺は正義の味方を目指す。一切合財、全部を救える奴になる。借り物でも偽物でも構わない」
 それが。そういう事のできる奴が。
「正義の味方のエミヤが、眩しい夢なのは、事実なんだから」
 そう。誰もが願う幻想。それは、そうあれかしと願われるからこそ存在する存在。たとえそれがありえないとしても。それを間違いということは、それだけはできない。
「あなたが誰かわからなくても、名乗る名前が幻でも、それを名乗っているあなたは確かにここに居ます。『正義の味方を目指す衛宮士郎』と喋っているあなたは、目指している限り『佐々木小次郎』で居ていいんだと、思います。俺自身、まだまだ悟れたわけでもないですけどね」
 二人は、もはや伝えることも無く見詰め合う。
 そして、数十秒の沈黙の果てに。
「ありがとうございます。旦那様・・・」
 名無しの女は穏やかに微笑んだ。飾ることなく、心から。
「い、いえ。どういたしまして・・・」
 だから士郎はごにょごにょと呟いて目をそらした。顔が火照る。暑い。猛烈に照れくさい。
「あ、あの! これから、なんて呼べばいいですか!?
 わざと大声で聞いてみた。わかりやすい照れ隠しに女はくすりと笑って首を傾げる。
「さて・・・『おい』とでも、『おまえ』とでも」
「い、いやいやいや、そういう呼び方ではなくて! 名前、佐々木小次郎だと男っぽくないですか?」
 指摘され、あらと考え数十秒。
「では・・・佐々木・・・こじ・・・小鹿、とでも。ふふ、少々幼げでしょうか?」
「小鹿さん、ですか」
 なんだか風味とでも語尾に付きそう風味です。
「ええ。でも、あなた様に嫁いで苗字が変わるまで、しばらくは『佐々木』とお呼びいただきたいのですが、よろしいですか? 旦那様が始めて呼んでくださった名前で・・・」
「・・・うん。じゃあ改めて宜しく。佐々木さん」
「・・・はい。旦那様」
 佐々木はすっと正座し、三つ指ついて深々とお辞儀をした。慌てて礼を返す士郎にクスリと笑い、再び縁側に腰掛けなおす。
「よいしょっと」
 士郎も改めてその隣に座りなおし空を見上げた。月夜の夕涼み。かつて父としたように、静かに。
「・・・・・・」
 その横顔を眺め、背後にちらりと視線を向けてから佐々木は微妙に微笑んだ。くすくすと笑いながら頭をそっと傾ける。
 ぽすっ、と。
 柔らかな髪の感触。暖かな重み。
「!? ・・・!?!?!?」
 士郎の時間は停止した。恐る恐る視線を横に向けると、彼の肩に頭を乗せた佐々木の笑い弓の目と視線が合う。
「な、な・・・」
 士郎が硬直のまま何とか口を開いた瞬間。
「なにしてんのよあんたらぁあああああああああっ!」
 背後の襖が勢い良く弾けとんだ。
「はっはっは、やるなぁ少年!」
「わぁーい! だねっ!」
「あらあら〜」
「ま、まゆ! 離脱!」
「い、いや、シロウ、これは違うのです!」
「先輩・・・くすくすくす」
「が、がぅ」
「み、見るな! こっちを見るでないぞ雑種!」
 そして、雪崩のように倒れこみ折り重なる魔術師&サーヴァント。一山252円消費税総額表示対応済。
「・・・・・・」
 硬直。衛宮士郎の処理限界をとうに超えた事象に思考回路ロック、リブート。ただいま再起動中。
「ふふふ・・・」
 その光景に佐々木は悪戯な笑みのまま士郎の胸に指を這わせる。
「さぁ、旦那様。夜伽いたしますよ?」
「!? ・・・リン。夜伽、とはなんですか?」
 直感で不穏な空気を読み取ったせいバーばすぱっと立ち上がって凛に訪ねた。
「要するにね、ごにょごにょにょにょ・・・」
 修羅の笑みで立ち上がった凛が耳打ちすると、セイバーの顔はぼんっ!と爆発するように赤くなる。
「し、シロウ! は、破廉恥にも程があります!」
「ぅえ!? お、俺がやれっていったわけじゃないぞ!?」
 反論しつつ飛び上がり、士郎は中庭へと走り出す。逃げられるかどうかが問題ではない。せめて抵抗の意思を・・・
「問答無用!セイバー!砲撃準備!」
「了解です! 約束された―――」
 凛はすっと片手をあげ、華麗にそれを振り下ろす!
「砲撃開始!」
「勝利の剣ぁぁぁぁぁ!」

 

「あ、流れ星だ! 遠坂さんと仲良くなれますように、遠坂さんと仲良くなれますように、遠坂さんと仲良くなれますように!」
「・・・いや、流れ星は下から上には飛ばないだろう」
「ってゆーか、あんなびかーって光らないじゃん」
 一日もかかさず迸る白光は、なんとなく公園に集っていた女子高生三人組にいい話題を提供したという。