3-2 魔術探偵胸無リン


「起立っ、礼」
「さようなら〜!」
 号令と共に本日の拘束時間はようやくに終了した。土曜日は半ドンでありいつもの半分だけだとはいえ、気になることがある身には少々長いのも事実。
「さて、さっさと追いかけなくちゃいけないわね」
 凛は呟いて今日の分の教科書やノートを鞄に収めた。勿論机の中は空っぽだ。横着して置きっぱなしにした事など一度たりともない。
「あ、遠坂さんさようなら!」
「ええ、さようなら」
 挨拶されればあくまで上品に挨拶を返す。理想の優等生、遠坂凛というブランドはいまだ有効である。二重人格とも言われる器用さでもって演じるそのキャラクターに、今は多少虚しさも感じるのだが。
(まあ、一応家訓だしね。優雅たれってのも)
 心の中で肩をすくめた凛は廊下へ出て左右を見渡す。そう遠くないところに、目的の背中を発見。
「先生」
 追いかけるときもあくまで早足。走るなんてはしたない真似はしない。どこぞの女学院にいけば余裕で薔薇の名前を貰えると自負している。色? 聞くまでも無いだろう。
「・・・遠坂か」
 追いついた相手は彼女の担任教師であるところの葛木宗一郎だ。常に変わらぬ鉄面皮が、ゆったりとこちらを見下ろす。
「あの、ちょっとお聞きしたいことがあるのですが・・・?」
「ふむ。ここでいいのか?」
 尋ねられ、辺りをうかがう。廊下のど真ん中で話すにはやや物騒な話をしようとしているのだが・・・
「ええ、すぐ済みますから」
 凛はあえて場所を変えはしなかった。これから聞く内容そのものは聞かれても構わない類のものだし、凛の想定する最悪のケースだった場合は人目があること自体が抑止力になるかもしれない。
「衛宮君から聞いたんですけど、柳洞寺の周りに不審な人が出るってほんとですか?」
 つまり、聞きたいこととはそれだった。昨日の騒動の中でどうにも事実と繋がらなかった情報。
「ああ。私自身、昨日も見た」
 葛木は淡々と言い、軽く頷く。凛はやや緊張を高めながら更に追求しようとし―――
「こ、この気配・・・」
 慣れ親しんだ・・・いや、慣れてしまった気配を感じて硬直した。階段の方からなにやらざわざわと騒いでいる声もする。
「・・・なんだ?」
「・・・コメント、できません」
 凛の力ない呟きと共に、廊下を歩いていた生徒達が一斉に道を開けた。出来あがったた空間を無表情に歩いてくるのは、予想通り黒衣の男であった。
「・・・ああ、やっぱり・・・」
 ぐったりと肩を落とした凛の前で立ち止まったのは、言うまでもなくがっちりとしたロンゲのもじゃ男。我等が言峰綺礼その人であった。
「どうした凛。その姿勢だと元気がないように見えてしまうぞ」
 親しげな声に周囲の生徒達が一斉にざわめく。
「凛!? 凛っていったかこの野郎!?」
「し、親しげに・・・! ちょっといい男だからって!」
「だ、誰だ!? 誰なんだあいつは!」
「父親だ」
 シン・・・と静寂。
「むしろ母親かもしれん」
「わけわからんわ!」
 凛は叫びざま鋭い左フックでテンプルを狙った。綺礼はふわりとしたダッキングでそれを回避。
「―――Float like a butterfly, sting like a bee」
 その流れに葛木は感心したような顔で呟きを漏らす。何か感じ入るところがあったようだ。
「お、おい今遠坂さん・・・」
「い、いや、見間違いだろ」
「で、でも今ブンッて凄い音したぞ?」
 ギャラリーがざわめく。背後に書き文字で『ざわ・・・ざわ・・・』と書かれそうなほどに。
「ふむ、凛、この無表情な男は何者だ」
「あんたが言うかあんたが・・・この人は葛木先生。わたしの担任よ」
 説明に綺礼は一瞬だけ鋭い目つきになる。その眼光に葛木もまた一瞬だけ気配を変え元に戻った。
「・・・血の匂いがするようだが」
「・・・お互いにな」
 二人は他には聞こえぬ低い声で言葉を交わし、数十センチの間隔をとって向かい合う。
「ちょ、ちょっと綺礼! 先生!」
 その間に漂う濃密な殺気に凛は思わず声をあげた。さっきまではざわめいていた生徒達も本能でそれを感じたのか誰一人口を開かない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 無駄な恫喝などはしない。互いにプロだ。その余分な一瞬が死を招くことを、その身で知っている。二人はただ静かに互いの気配を読み合い・・・
「「!」」
 同時に、二人の手が閃く!

「「じゃんけんぽん」」
「「あっちむいてホイ!」」
「「じゃんけんぽん」」
「「あっちむいてホイ!」」
 葛木の蛇のようにのたうつ手が紫電の如きフェイントをかけて指差せば綺礼は魔術行使すらしないまま、肉体に備わった反射神経のみでそれを回避しそっぽを向く。
「「じゃんけんぽん」」
 綺礼が全身の捻りから繰り出した馬蹄崩拳(グー)を葛木の掌底(パー)が迎え撃った。
 視線の交差、葛木の腕がしなり、大きく弧を描いて視界の外から突き出される。
(上・・・否、右!)
 綺礼は一瞬だけ捉えた腕の振りから瞬時にその軌道を計算、コンマ1秒単位のタイムロスさえ許さず首を全力で左へ・・・
「!?」
 だが! ただモノを殺すというその行為の為だけに鍛え上げらた拳は更にそれを凌駕する! アドレナリンで加速された視界の中、ゆっくりと映し出された拳は確かに右を向いている。だがその指先は点を穿つが如く綺礼のこめかみを・・・『左』を指しているのだ!
「突き刺し針(アンカー)・・・!」
 掠れるような葛木の声と共に勝負が決したかに見えた。
 しかし・・・!
 ガッ―――
「ほぅ」
 葛木は意図せず呟いた。左を指した自らの指先、そして・・・己が頬を自ら殴りつけることで右を向きなおした綺礼を見つめて。
「・・・続けるか?」
「・・・いや、意味を持つまい」
 二人の漢はふっと笑った。言葉はもはや必要ない。邪とはいえ、拳で全ては伝え合ったのだ。
 そう、邪ん拳で。
「・・・ふふふ」
 凛は微笑んだ。目の前で繰り広げられた超人的身体能力の無駄遣い。周囲のひそひそ話に出てくる『遠坂さんの知り合いなんだって』とか『じゃあ遠坂さんも』とかというこれまでの学園生活を粉砕してくれそうな会話の数々。話が進まない苛立ち。色々なものが心の中で渦巻く。
『いいのよ? ・・・無理をしないで』
 光が降り注ぐ幻視。天空より降りてくる白い衣と白い翼、頭上に光輪を持つ凛の姿。慈悲に満ちた優しい微笑み。手にはゲパルドM1対戦車ライフル。
 粛々とした表情で『キル・ゼム・オール(皆殺しだ)』と聖句を読み上げる天使の姿に―――
「いぇっさぁぁぁぁっ!」
 凛は叫びざま両の袖に仕込んだ計6個の宝石を全て掴み出しそれを振りかぶった、が。
「待ちなさい! 早まってはいけない!」
 投げつける寸前、静止の声と共に凛達のすぐそばの窓が砕け散り誰かがそこから飛び込んできた。
「・・・もう嫌」
 ここは3階だというツッコミを盛大に無視してやってきたのは黒いスーツに黒いつば付き帽、レイバンのサングラスという黒尽くめの女性。言峰夫人であるバゼットだ。
「皆さん、注目」
 くるりと廊下を転がって勢いを殺したバゼットは立ち上がりざまそう言ってさっと手を上げる。反射的に廊下に居た全員の目がそこに握られたボールペン状の物体に向けられた瞬間。
 パシッ!
 何かが破裂するような音と共に閃光が廊下を包み込んだ。
「・・・処置終了」
 バゼットは静かに呟いてサングラスを外す。同時に廊下に満ちていた生徒達は無表情になり一様にぞろぞろと階下へと降りて行く。
「安心していいよ遠坂さん。全員記憶を失ったから」
 凛はぐったりと呟いて宝石をしまう。せめて無駄遣いをしないで済んだだけ良かったと思わねば。
「・・・MIBですか貴方は」 
 実は似たようなものではある。数年前までは魔術の秘匿の最前線に居た奥様なのだから。
「綺礼?」
 今となっては懐かしさすら感じる過去にニヒルな笑みを浮かべながらタバコを口にくわえ、バゼットはぎろりと綺礼に目を向けた。
「どうしたのかね、バゼット」
「一人で伝えられると言ってたから行かせたんだぞ!? 何をやってるんだあなたはぁっ!」
 刹那、沈み込む動きから急上昇と共に繰り出されたアッパーカットがが綺礼の顎にクリーンヒットした。牧師服の怪人の体は弾丸のように打ち出され天井に突き刺さってぶら下がる。
「あ、あれは・・・ジェット・アッパー!」
 凛は無意識に叫んでからぐっと顔をしかめた。周囲の異常な流れに巻き込まれつつあることを自覚したのだ。手遅れかもしれないが、抵抗しないわけにもいかない。
「・・・ええと、それで? 今日は一体何をしに来たんですか?」
 なんとなく敬語になりながら問うた内容に、バゼットはすっと表情を引き締めた。拳についた鮮血を振り払って口を開く。
「10分ほど前、リュード−ジ周辺で強力な魔術の行使が確認されました。凛君、あなた方は本当にサーヴァントを回収したのですか?」
「っ!」
 疑問は、確信に変わった。
「葛木先生!」
「なんだ遠坂」
 葛木は綺礼の体を無造作に天井から引き抜きながら答える。廊下に妙なオブジェクトを置かれては、通行の邪魔だ。
「先生が見たっていう不審な人ってのは佐々木さんとは違うんですよね!?」
「無論違う。彼女より若い女だった」
 舌打ち一つ、凛は床を蹴って走り出した。体面などもはやどうでもいい。
「遠坂さん!? 何かわかったのですか!?」
「甘かった・・・! あの柳洞寺にサーヴァントは二人居たのよ!」