<10:35:龍実町内コンビニ:CODE”CD・CS”>

 新年まで、残り85分


「はぁ、ついてないなぁ」
 蓮見京子はため息をついた。意味もなくレジのキーを叩いてみたりもする。
 大晦日の、しかも20世紀最後の大晦日の夜に予定もなくコンビニで働いている自分。しかもお客は一人、バイトは二人。あまりにも暇。
「蓮見さんため息ばっか。いいじゃないの、どうせ11時で上がりなんだし・・・深夜勤の人たちよりマシじゃない」
 同じく暇そうにカウンターを拭いていた同僚はそう言って苦笑した。
「そりゃあ遠藤さんはこれ上がったら彼氏と初詣でしょ?あたしは一人寂しく寝正月よ」
「あはは、それでもまだいい方だって。私の地元の友達なんて大晦日にデスティニーランドでバイトしてたよ?」
 京子はくいっと首を傾げる。
「そう言えば安浦出身なんだっけ・・・でも、楽しそうじゃない、デスティニーでのバイトって。カウントダウンとかも見れるだろうし」
「それなのよ。確かにカウントダウンやってるし、店によっちゃクラッカー渡されたりみんなで歌を唄ったりすごいのよ。それなのに・・・そいつ、0:00ちょうどに地下で在庫整理させられてたのよ。それも一人で、延々と」
 だだっ広い地下倉庫でコンクリートの壁に囲まれて黙々と段ボール箱を畳み続ける少年の姿を想像して京子は深く頷いた。
「・・・たしかにそれは虚しいわね」
「でしょ?元気でやってるかなぁ、スギポン・・・」
 かなえが遠い目をした時、不意に店のドアが開いた。
「いらっしゃいませ・・・」
 呟きながら京子は入ってきた客を観察した。
 妙に目を血走らせた男が二人。きょろきょろとあたりを見回す仕草がどうにもこうにも不審だ。
「ちょっと!遠藤さん!」
 今だ回想の真っ最中らしいかなえの袖を京子はくいくいと引っ張った。
「え?何?」
「あのお客さん、何か変だと・・・」
 言えたのはそこまでだった。店内に居るのが女性客一人と京子達だけと見切った男達がレジに駆け寄ってきたからだ。
「か、金を出せッ!」
 男の片方が出刃包丁を京子に突きつけながら乾いた声を出す。
「そこの女!動くな!」
 もう片方が懐から抜いた拳銃をお菓子棚を物色していた女性客に向ける。
「マジでついてない・・・」
 京子は引きつった顔のまま喉元に突きつけられた刃物を眺めた。
「早く出せっ!あるだけ全部だ!」
 包丁の男が叫び、かなえはちらりと京子を見てからノロノロとレジを開ける。
 その時。
「おい、動くなっつってんだろうが!」
 拳銃男の緊迫した声に、京子は震えながら刃物を見つめるのをやめた。
「うるさいな。オレは急いでんだよ。レジでガタガタやられちゃあ0時までに戻れねぇじゃねぇか」
 黒いレザーコートをはためかせ、かご一杯にお菓子と酒を詰め込んだ女性客が無造作に近づいてくる。
「来んじゃねぇ!撃つぞ!」
「お、お客さん!動かないで!防犯訓練とかじゃ無いんですよ!?」
 拳銃男と京子の叫びが交錯した。黒い女性・・・浅野景子はニヤリと笑って買い物かごを地面に置く。
「撃てるもんなら撃って見ろよ。ほら、カモン」
 間近に迫った銃口にまったく恐れる様子もない浅野に、逆に怯えた様子の拳銃男が手の中のリボルバーを握りしめる。
「く、くそっ!死ね!」
 拳銃男は引きつった顔で引き金を引いた。
「きゃあっ!」
 京子は目を閉じた。惨劇を予想し、強く強くまぶたを閉じる。
 だが。
 聞こえるはずの音が・・・悲鳴も、銃声も、声さえも聞こえない。
「え・・・」
 京子は恐る恐る目を開けた。
「リボルバー式の拳銃ってのはな?」
 浅野はニヤニヤと笑いながら解説を始める。
「引き金を引いても撃鉄さえ落ちなきゃ弾ぁ出ないんだよ」
 その撃鉄は、素早く伸ばされた浅野の右手がしっかりと掴んでいる。確かにこれなら弾は発射されない。
「な・・・」
 呆然と呟いた男の顔面を浅野は閃光のような左掌底で貫いた。よろけた男から拳銃をもぎ取りその銃把で後頭部をしたたかに殴りつけて昏倒させる。
「チャンス!」
 そしてほぼ同時にかなえも動いていた。
 レジカウンターを蹴って136センチの極端に小柄な身体が宙に舞う!
「そうりゃあ!」
 突然相棒を失い呆然と後ろを向いていた男の手から包丁を蹴り飛ばし、かなえはその右足の反動を軸に空中で左足を振り上げた。
「さよなら20世紀!ジャンピング踵落としコンビネーション!」
 溢れる柔軟性でほぼ180度振り上げられた足が、体重・加速度・重力の全てを一心に集めて包丁男の顔面を強打する。
「ぶっぽぉっ!」
 妙な悲鳴を上げて床に沈んだ男を見下ろしてかなえは満足げに足首を回した。
「うん、21世紀を間近にしてますます絶好調って感じ?」
「え、遠藤さん!大丈夫なの!?」
 京子の叫びにかなえはカラカラと笑う。
「ああ、だいじょぶだいじょぶ。この程度のトラブルしょっちゅうだし。それよりどっかに紐ないかな?この馬鹿二人を縛っときたいんだけど」
「う、うん・・・宅急便用のがあるけど・・・」
 京子は半ば呆然と呟き真っ白の頭で男達を縛り上げるかなえを見つめる。
「・・・ところで、オレの買い物はいつ会計して貰えるんだろな?」
 浅野は京子の顔の前で手をひらひらさせながらため息をついた。


11:15:虎ヶ崎市路上:CODE”DH”

「うー寒っ・・・」
 京子は自転車のペダルを踏みながら小さく震えた。
 あの後、警察を呼ぶのは面倒だとコンビニ強盗達を近くの路上に身ぐるみ剥いで放り出してからかなえは何食わぬ顔で深夜勤と交代し、京子もわけのわからぬままに帰路についていた。
 吹き付ける寒風に耐えながら高い塀の側を疾走する。
 この一帯は虎ヶ崎市でも金を持ってる人間が集まる地帯であるが故に一つ一つの塀が高く、そして長い。当然吹き付ける風もほぼ真上から吹き下ろしてくるわけで・・・
「ん?」
 京子はふと呟いた。
 真上から吹き付ける風に混じって喧噪が耳に届いたのだ。
「パーティーでもやってるのかな・・・」
 何となく自転車を止め、高い塀を見上げる。
 塀のこちら側には一人寂しく家路につく女がいて、向こう側にはにぎやかな大豪邸がある。塀の上にだって高笑いを上げる少年が・・・
「って何ぃ!?」
「はっはっはっはっは!甘い甘い甘い!そんなんで俺が捕まえられると思ってんのか!?何せ俺は風間恭一郎だぞ!?」
 塀の上に仁王立ちになり、少年・・・恭一郎はしきりに塀の中へ叫んでいる。小柄な少女をぬいぐるみのように抱えて。
「え、えっと恭ちゃん・・・のんびり挑発してる暇ないような気がするんだけど・・・」
「おう、そうだったな」
 のんびりと言葉を交わす二人を見上げながら京子は目を白黒させる。
「ゆ、誘拐・・・にしてはなんか親しげ・・・駆け落ち?」
「というわけで、時間がないからさらばだ!」
 呟いている間に何か状況が進行したらしい。恭一郎は塀の中に向けてニヤリと笑って見せ、そのまま塀の外へと飛び降りた。
「え?」
 そう、京子の真上に。
「あ」
 空中で、恭一郎と京子の視線が絡み合う。
(・・・どいてよ)
(・・・できるならとっくにしとるわい)
 一瞬とも永劫ともいえる邂逅の果てに。
 ごちん。
 鳴り響いた音は、えらく堅かった。
「くっ・・・結構キたぜいまのは・・・」
「ぅぅ、もうどうにでもしてって位ついてない・・・」
 激突した頭をさすりながら二人はうめく。
「あわわ・・・だ、大丈夫?」
「俺はな。・・・美樹!追っ手は!?」
 いち早く立ち直ったらしい恭一郎の叫びに近くの電信柱によじ登って双眼鏡をのぞいていた美樹はしゅたっと音を立てて地面へと飛び降りた。
「なんかすごい数のメイドさんが走り回ってたわよ。モップとかはたき持って・・・ほら」
 言って指さす方をみると、確かに思い思いの武装をしたメイドさんとボディーガードの人たちが修羅の形相で門から飛び出してくるところだった。
「うむ、長居は無用だな。ずらかろう」
「ってそこの額押さえてのたうち回ってる人はどうすんのよ」
 美樹の問いに恭一郎は少し考え込んだ。
 少し。
「とりあえず、置いとくわけにもいかんだろ」
 即決して、京子の腕をがしっと掴む。
「!?」
 未だ朦朧としている京子に恭一郎はニヤリと笑って見せた。
「行くぜ!ついてこいよ!」
 叫ぶが早いか葵を小脇に抱えて猛然とダッシュする。

『ちょ、ちょっと!引っ張らないで・・・うわっ!きゃっ!のきゃん!
                                蓮井京子』


「うう・・・ぐすっ・・・ついてない・・・ゲージマックス」
 いつもの公園に響くすすり泣きに恭一郎はポリポリと頬をかいた。
「ああ、いや、あれだ。すまん」
「すまんじゃないわよっ!それが人間を約1kmにわたって文字通り引きずり回したあげくに吐く台詞!?死ぬかと思ったじゃない!」
「ご、ごめんなさい・・・あの、お怪我はありませんでしょうか・・・」
 全身ズタボロになった京子の涙目の怒声に葵はすまなそうに頭を下げる。
「・・・怪我は、ないけどね」
 そのあまりにすまなそうな表情に怒りの萎えた京子は深いため息をついた。
「ああ、あたしの自転車・・・壊されてなきゃいいけど・・・買ったばっかだったのに」
「え、えっと・・・多分葵ちゃんちの人たちが回収してくれてると思うわよ」
 慰めるように京子の肩をぽんぽんと叩く美樹を眺めて恭一郎は無闇にえらそうに頷く。
「そうそう、世の中ポジティブにいこうぜ。なぁ葵」
「うん、イケるイケる!」
 最近覚えたばかりのネタを披露するほのぼのカップルに美樹は『むぅ』と唸り声をあげる。
「あんたの場合、もうちょっとは反省した方がいいと思うわよ」
「はっはっは、誉めたって何も出ないぞぅ?」
 楽しげな3人を眺めて京子はもう一度ため息をついた。
 ちょっと前までは、自分も彼らのように笑っていた。毎日が冒険のような日々を送っていた。客観的にみれば何でもない日常でも、あいつが一緒なら、それは特別な時だった筈だったのに。
「・・・いいなぁ」
 唇からこぼれた呼吸とも声ともつかないかすかな呟きを、しかし恭一郎は聞き逃さなかった。一瞬だけ瞳を細めてからニヤリと笑う。
「求めよ、さればあたえんってな。見たところ暇みたいだし、どうだ?俺達と一緒に来るか?」
「・・・え?」
 自分でも気付かないような僅かな呟きに反応されて目を丸くする京子に美樹はぶんぶんと頷き笑みを向けた。
「あたしの家で年越しパーティをするのよ。よかったら一緒に飲まない?さっきのお詫びも兼ねてさ。宴会は人数が多ければ多いほど楽しいしね!」
「うん、それがいいよ。みんなも歓迎してくれると思うよ?」
「で、でも・・・迷惑じゃ・・・」
 うんうんと頷く葵と既に歩き出しそうな恭一郎達を交互に見つめて京子は戸惑いの声を上げる。
「ん?用事でもあんのか?」
「ないけど・・・」
 恭一郎の問いに首を振って、京子は腹を決めた。
「わかったわ、じゃあ・・・お邪魔しようかな」
「はぁい、一名様ご案内ぃぃぃ〜」

『・・・いや、それはなんか違うだろ。美樹・・・   風間恭一郎』


 美樹の家の広いベランダにテーブルを出して待っていたいつもの面々を見渡して恭一郎はずいっと京子を押し出した。
「つーわけで、飛び入りで一人増えたぞ」
「ど、どうも・・・」
 おずおずと頭を下げる京子の顔を見て中村愛里は『はうっ』とのけぞった。
「あ、あなたは!3代前、第42代長刀部主将の蓮見京子さん!」
「え?そうだけど・・・よく知ってるわね。道すがら六合の後輩だってのは聞いてたけど・・・」
 きょとんとする京子に愛里は真剣な顔で何度も頷く。
「ええ・・・三代前の剣道部の主将と恋人同士で二人で築いた伝説が26個、割ったガラスが100枚以上、こなした辻試合52戦46勝・・・風間恭一郎が現れるまでは歴代トップの暴走カップルって剣道部の中では有名な話ですから・・・」
 京子はこの世の果てを覗いたような嫌な顔をした。
「・・・その超弩級壮絶暴走無限大馬鹿男とは別れたばっかりなの。悪いけどその話はしないでくれる・・・?」
「は、はい、すいません」
 恐縮する愛里に苦笑して恭一郎はなみなみとビールのつがれたコップを京子に渡す。
「まあ、そういうことは湘南の海にでも沈めて今は取りあえず飲もうぜ。21世紀まであとたったの30分なんだしな」
 京子は軽く息をついて気分を切り替えコップを受け取った。
「では殿、乾杯の音頭などお願いいたします」
 エレンに頷き返し、恭一郎はすっと立ち上がった。
「よし、では・・・チューブみたいな奴の中を走るエアカーも恐怖の大王もHAL2000も実現してねぇが取りあえず21世紀が来る!いい年になるかどうかはそれぞれの努力次第だから俺は知らん!笑え!叫べ!飲め!以上!・・・乾杯っ!」
「乾杯っ!」
 苦笑混じりの声とグラスがぶつかる音が交差する。
「このピザ、おいしい」
「そうっすね!もっとタバスコがあると尚いいっす!」
 みーさんと神戸の風紀委員コンビがピザをかじる横で綾小路が優雅にワインを傾ける。
「はい、恭ちゃん。ソーセージの盛り合わせ」
「おう。そっちのタコスも取ってくれ」
 しばらく間飲み食いに専念していた一同だが、天からふわりと白いものが舞い降りて来はじめると自然に視線を上に向け始めた。
「・・・雪」
 呟いて空に手をかざした京子の指を見て恭一郎はくいっと片方の眉を上げた。
「なあ蓮見。その指輪いいデザインだな。どこで買ったんだ?ちょっと見せてくれ」
「・・・これ?」
 京子は自分の右手を見つめて不機嫌そうに眉をしかめる。
「貰いもんよ。いくら怒っても浮気をやめない最低男からの。はずすのを忘れてたわ。まったく・・・」
 ぶちぶち言いながら京子は指輪をはずそうとした。
「む、結構きつい」
 少しアルコールが回ってるせいかおぼつかない手で思いっきり引っ張ると・・・
 ぽんっ。
 関節に引っかかっていただけの指輪は軽い音を立てて宙に舞った。
「きゃあああああっっっ!」
 京子はさっと青ざめてベランダの手すりを越えた指輪をばしっとキャッチする。
「危ねぇっ!」
 既視感を感じながら恭一郎は叫び京子の服を掴もうとした。努力はしたのだ。
 だが一瞬遅く、その細身の体は手すりで鉄棒の前周りをするかのようにくるんと綺麗に回転した。
 不幸なことに、相変わらず重力は存在している。
 つまり。

『にゃぁあああああああああああっっっっっっっ・・・  蓮見京子』


11:36 : 浦安、路地裏 : CODE ”KG”

 どすん。
「あいたたた・・・」
 京子はコンクリートに尻餅をついて悲鳴を上げた。
「って、あんま痛くない?」
 二階から落ちたにしては大したことのない衝撃に首を傾げる京子に、不意に低い声が降ってきた。
「・・・どこから現れた?」
「え?」
 呟いて顔を上げると真っ黒に染められた、妙に分厚いコートを着た男が眉をひそめながら見下ろしてきている。
「あれ?」
 見回せば、何故か薄暗い路地に座り込んでいる自分に気付く。
「なにか、不意に落ちてきたように見えたが・・・」
 不審気な声に男の方へ向き直った京子の顔が不意に引きつった。
「か、刀・・・!?」
 男の手で鈍く光っているのは、時代劇などで見るものより倍以上長いが間違いなく日本刀だった。
 それも、赤黒い液体をまとわりつかしたままの。
「・・・・・・!」
 京子は声にならない悲鳴を喉で鳴らして抜けた腰のまま後ずさった。その手が何か冷たいものに触れて、京子はカチカチと歯を鳴らしながら振り返る。
「ひっ!?」
 そこには、恨めしげな目で見つめ返す死体が転がっていた。その胸には夜目にもはっきりとわかる血の染みが広がっており、コートの男の刀によって絶命しているのはあきらかだ。
「キ・・・ぐむっ・・・」
 振り絞るように絶叫しようとした口が柔らかな手のひらに塞がれ、くぐもった声が漏れた。
「頼む。叫ばないで。危害は加えない・・・約束する」
 涙目で手の主を見上げると金髪の少年が京子を見下ろしていた。顔立ちの整った、柔らかな美貌に目を奪われる。
「・・・無駄に刃をふるうのは性に合わないからな」
 肩をすくめながら呟いてコートの男・・・鹿島双月は長太刀の血糊を拭い、近くに投げ捨ててあった鞘に収める。
「その怯えようを見たところ、”外”からの観光客ね。この浦安は確かにセンヨウ全体から見れば治安がいい方だが夜に出歩くのは危険だ。ガイドに言われなかったか?」
「う、浦安?」
 聞いたことのない地名に京子は一瞬恐怖を忘れて首を傾げた。
「リャン、どうだった?」
 そんな京子を後目に双月は金髪の少年・・・つまり男装している涼子に向き直った。
「こっちも二人ほど来た。誰がディスクを持っているかは絞り切れてないようだ。全員片づける気みたい」
「そうか・・・」
 双月は呟いて転がっている死体をごそごそとあさり始める。その手が一本の短刀を見つけて止まった。
「・・・この懐刀のマーク・・・やはり琴橋重工の企業付き暗殺者だな」
 忌々しげに短刀を死体に戻す双月に京子はおそるおそる声をかけた。
「ほ、本当に死んでる・・・の?」
「”外”も最近はだいぶ物騒になったと聞いているが見たことがないのか?これが死体だ。人が死ぬと大概はこれが残る」
 事も無げに言ってのけた双月の目がすっと細められた。
「・・・敵か!?」
 その様子を見て懐に手を入れた涼子を手で制す。
「いや。ただの馬鹿だ・・・」
「その言い方はひどいなあ」
 笑いの波動を含ませて響いた背後からの声に京子はおそるおそる振り返った。
「はい?」
 そしてそのまま硬直する。
「・・・加藤、何故・・・何故、出前持ちなのだ・・・」
 まだ加藤晃一郎の奇行に慣れきっていない涼子が空っぽの顔で呟く。
「そりゃあもう、大晦日だからだよん」
 楽しげに言って白いエプロンに白いコック帽をかぶった加藤は片手に下げていたステンレス張りの保温ケースを地面に置く。
「・・・晃一郎、長い付き合いだから一応聞いておいてやるが・・・蕎麦か?」
「ぴんぽぉん!やっぱ冴えてるねぇ!」
 心底楽しそうに加藤は笑って保温ケースの中から湯気の立ったどんぶりを次々に取り出す。
「ちなみに中身はニシン蕎麦。東京風の醤油つゆだよん」
「まあ、京風のつゆの蕎麦は嫌いだが・・・」
 呟きながら双月は渡されたどんぶりを複雑な顔で眺める。
「広田くんはまだどっかで戦闘中のようだけどちょうどよくゲストもいるし4人で食べようよ蕎麦。っていうか、君は何者?」
 ぴしっと妙なポーズで指さされて状況にもノリにもついていけていない京子は目を白黒させるばかりだ。
「どうやら観光客のようだな」
 こちらも困ったような表情でどんぶりを受け取り涼子が代わりに答える。
「はいはいはい、浦安は日本からの観光客多いからねえ。ディズニーもあるし」
 加藤は頷きながら箸と七味唐辛子を保温ケースから取り出す。
「まあ、細かいことはいいやどうでも。というわけでほっとくと蕎麦が伸びるから一緒に食べようね」
 言って京子に無理矢理どんぶりを押しつける。
「戦闘継続中にのんびり食事か・・・」
 渡された割り箸をバチンと割りながら双月は肩をすくめた。
「性にあわないかい?」
 からかうような加藤の言葉にニヤリと笑う。
「・・・そうでもない」
「まあ双月さんがそういうなら・・・」
 三人してずるずると蕎麦をすすりだした一行と手の中の温かいどんぶりを見比べて京子は顔をしかめた。
「なんで・・・何でこんな状況でそんな楽しげに蕎麦食べてるのよ・・・」
 嫌悪感も露わな言葉に双月は肩をすくめる。
「大晦日に蕎麦を食っていて悪いのか?」
「でも!人を・・・・人を殺したのよ!?」
 双月は京子の言葉に蕎麦をすするのをやめた。
「俺もいつか誰かに殺されて死ぬだろう。ただ単に、今回は俺の番ではなかったというだけだ。おそらく、このセンヨウで刀を手にしているものは皆それを覚悟している」 
「そんなの・・・間違ってる」
「そうだな、多分間違っているのだろう」
 吐き捨てるような言葉に今度は涼子が応えた。
「だが、現状として”ここ”はそういう場所だ。それにあなた達”そっち”の人間が思ってるほどここは無法の地ではないわ。死ぬ人は多いけどそれは武装した、戦う意志のある者だけ。無抵抗の者が虐殺されたり略奪されたりすることは案外少ない」
「治安の悪い地域ではしょっちゅうだけどね」
 加藤はそう言ってニシンのしっぽをかみ砕く。
「そして、こういう土地を必要としている人間も多いんだよ。思いっきり笑うためにね」
「・・・笑う?」
 京子はふと気付いて双月達の顔を見渡した。三人とも楽しげに笑っている。かなえのように・・・恭一郎達のように・・・ちょっと前までの自分のように。
「今を逃したら、一分後には死んでいるかもしれない。だから俺達は笑う。少しでも死の瞬間に後悔しないでもいいように人生を楽しむ。蕎麦も食う」
 呟くように言って双月は思い出したように蕎麦をすする。
「その、ギリギリのエクスタシーを求めてこの地にはアウトローが集まるんだよ。もっとも僕たちは皆ここで生まれ育ってるけどね〜」
 『ね〜』と共に向けられた加藤の視線をうるさそうに振り払って涼子は蕎麦つゆを飲み始めた。元暗殺者の食事は早い。
「・・・おまえは笑っているか?」
 ささやくような声に京子はびくっと身を震わせた。
「”外”でも同じ事だと思うがな。死が目前にないとわかりづらい事だが、今のほかに確かな時間などないぞ。過去や未来を気にして現在をないがしろにしていないか?」
 京子は答えられない。
「今を精一杯生きている者だけが、いい顔で笑える。おまえはどうだ?」
 京子は答えられない。
「出た!双月の説教癖!女の子には甘いんだもんなぁ」
「・・・男は自分の道を自分で切り開く義務がある。差別なのは承知だ」
 軽口をたたき合う男勢を横目に涼子は空になったどんぶりを地面に起き京子の顔をのぞき込んだ。
「食べなよ。美味しいぞ・・・難しく考えることはない。私もここにたどり着くまでにずいぶんかかった。後悔のないように生きることは難しいが、誰にでもできることなのだ」
 涼子の言葉に言いしれぬ暖かさを感じて京子はためらいがちに頷いた。
「・・・いただきます」
 かすかに呟き、割り箸で蕎麦をすする。
「・・・!おいしい」
 少し冷めかけた蕎麦だったが、その暖かさが不思議と身に染みた。
 あるいは、ここ数日感じていたもやもやの答えが見えてきたことが暖かかったのかもしれない。
「そりゃあおいしいさぁ。僕の手作りだからね」
 ニコニコと答える加藤に双月はあきれたようにため息をつく。涼子は興味なさそうにどこからか取り出したナイフの刃こぼれを調べだした。
 薄暗い路地で車座に座り蕎麦をすする男女。
 その奇妙な図に、京子は思わず吹き出した。
「そう、その笑みだ・・・」
 満足げに微笑みかけた双月の顔からふっと表情が消えた。
「!」
 瞬時に場の空気が穏から緊へと変わる。
「覇っ!」
 京子にわかったのは大気を震わすような双月の声だけだった。その声の余韻が消える前にいくつもの金属音が重なる。
「残念ながら休憩は終わりのようだな」
 いつの間にか立ち上がり長太刀を手にしていた双月の周りに何本ものナイフが散らばっている。さっきの音は飛来したそれを切り払う音だったようだ。
「な、な・・・」
 どさっ。
 状況についていけずおろおろとする京子の目の前に何か重いものが落ちてきた。
「食後の運動と思えばちょうどいいかもしれない」
 その物体・・・頭上の窓から飛びかかってきた刺客の死体を切り裂いたワイヤーを引き戻しながら涼子は軽く息を吸って吐く。
「やれやれ、僕は食後はゆっくりする主義なんだけどね〜」
 加藤はエプロンをはずしながら手の中でじゃらじゃらと十円硬貨を揺らす。路地の外れからナイフを投擲してきた暗殺者の両眼を貫いたのと同じ十円硬貨を。
「ぼさっとするな。接敵したら一目散に逃げろ。この場を離れればそれなりに安全だ・・・来るぞ!」
 双月の低い声の警告に京子が頷くよりも早く路地の前後から一様に覆面をした男達が飛び出してくる。手に手に武器を携えて!
 キィン!
 周囲に鳴り響く金属音に身をすくめながら京子は一目散に走り出した。双月の言葉通り刺客達はこちらを無視して双月達と斬り合う。
 だが、運悪く暗殺者の一人が投げたナイフが流れ弾となりその後頭部を襲った。
「危ない!」
 そう言って突き飛ばしたのは誰だったのだろうか。
 ともあれ、京子はバランスを崩しもんどりうって倒れた。
「え?」
 瞬間、思わず声が漏れる。
 奇妙な浮遊感が四肢を支配し、体が二回三回と回転する。

 何故か、地面はなかった。

11:48  :  ???  :  CODE ”BW”

「な、何これ・・・」
 呆然と呟き京子はあたりを見渡す。もっとも、見渡す限り闇が続いているのであまり意味はなかったが。
「ひょ、ひょっとして・・・私死んじゃったの!?つ、ついてないここに極まれりって感じ・・・」
「いやいや、大丈夫。君は生きてるし夢でも幻覚でもないよ」
 背後から聞こえた声に京子はあわてて振り返った。もっともどっちが前で後ろなのかはよくわからないのだが。
「僕の作った断裂に落っこちるとは・・・そうとう運が悪いね君は」
 そう言って声の主である男は軽い笑みを浮かべる。
「断裂・・・?」
「そう、無限に連なるこの並列世界を移動するために僕の『力』でこじ開けたドアさ」
 全く理解できない言葉の羅列に目を白黒させる京子に男は肩をすくめた。
「まあ、どうでもいい話だよ。これは事故だ。だから僕は君を君のいる世界へ送り返す義務がある・・・回収が間にあってよかったよ」
 呟いて男は懐から小さな鈴を取り出した。
「さて、ちょうどいいアンカーがいるといいんだが・・・」
 チリンチリンと澄んだ音を立てて鈴が鳴る。
「ちょ、ちょっと・・・何をしてるの?ここはどこなの?私のいる世界って・・・」
 矢継ぎ早の問いに男は少し考えてから京子に向き直った。その瞳は鮮やかなグリーンをしている。
「ここはどこでもない・・・可能性と可能性の間の『何もない可能性』だよ。・・・うん、いいアンカーが見つかった。彼らほどの存在力があれば大丈夫だろう」
 一人頷き男は微笑んだ。
「ではさよならだ。どうせ考えても無駄だから、僕のことや君が訪れた世界のことは忘れた方がいいよ。もっとも、そこで得た変化は君のものだ・・・彼の言葉じゃないけど願いが強ければ世界すら変わる。君がこうありたいと思う自分を手放さないことだね」
「え・・・?」
 問い返す京子に男はひらひらと手を振る。
「さようなら、不意の旅人・・・よいお年を」
 その言葉が終わるやいなや、周囲の闇が一気にはじけた。
「きゃっ!?」

11:56  : 龍実第二公園 : CODE ”CS→D”

 気付けば、夜空を見上げていた。
「え?え?」
 呟きあたりを見渡す。目にはいるのは僅かに見覚えのある家々の屋根、そして木の幹。
「龍実町・・・よね?」
 安堵のため息が思わず漏れた。膝の力が抜けた京子は木の幹に片手をつき・・・
「ん?樹?」
 唐突に、自分が太い枝の上に立っているのに気がついた。
「うわっ!」
 驚愕にのけぞった弾みに足が滑る。
「きゃぁあああっ!」
 どすん!
 幸いそんなに高い枝ではなかったので骨には異常はないようだが、激しくひねった足首がキリキリと痛む。
「うう、ほんっとについてないわね・・・」
 涙目で足首をさする京子を照らす街灯の光が不意に遮られた。
「まさかこんな夜中に木の上から落ちてくる奴がいるとは思わなかった」
 無表情な顔に僅かな苦笑をにじませて一人の青年が見下ろしてくる。
「失礼する」
 黒いニットキャップをかぶった男はそのまましゃがみ込み京子の足をそっと掴んだ。
「な、な・・・」
「大丈夫ですよ。春彦さんはお医者さん並にすごい人ですから」
 思わず後ずさりかけた京子に男・・・春彦の背後から姿を現した少女がやんわりと制止する。真っ白な髪と赤い瞳の神秘的な容貌に京子は息をのんだ。
「ふむ、炎症を起こしているが骨に異常はないな・・・冬花」
「はい」
 ひとしきり足首を動かしたり触診したりした春彦に促されて冬花は京子の足首にひんやりとした手のひらを当てた。
「あ、あの・・・何を・・・わっ!?」
 京子は言葉の途中で悲鳴を上げた。冬花の触れた足首がいきなり冷たくなったのだ。
「はい、これで大丈夫ですよ〜」
 のんびりとした言葉に京子は目をパチパチとしばたかせる。
「あれ?痛くない・・・」
「湿布みたいなものだ。応急処置だからあまり無理はしないようにな」
 春彦はそう言ってふと公園の時計を見上げた。
「そろそろ戻らないと浅野や友美が怒るな。雪も止んだし帰るとしよう」
「はい。春彦さん・・・じゃあ、お大事に〜」
 悠然と歩み去る春彦の後をたたたたっと小走りに冬花が追いかけ、その腕にぶら下がるように身を寄せる。
「・・・と、いうか・・・何したの?あたしの足に・・・」
 今はもう冷たくも痛くもない足を不審気に眺めて京子はゆっくりと立ち上がった。
 雪は結局あまり降らなかったようだ。うっすらと土の上に残っているものも後数分すれば解けて消えるだろう。
「はぁ、何だったんだろう・・・今日は」
 呟いて時計を見上げる。
「21世紀初の0時ジャストか・・・結局一人で新年迎えちゃったわね。まったく、ついて・・・」
 京子はそこまで言ってから笑みをこぼした。
「やめたやめた!ついてるついてないの問題じゃないわね!今一人ぼっちなのはあたしの判断の結果じゃない」
 ふと気付き、スカートのポケットを漁る。予想通りそこに”それ”はあった。
 銀色に輝く、派手な装飾の入ったリング。
「あの馬鹿のことだし、浮気はやめないだろうけどね」
 呟いて右手の薬指にそっとそれを通す。
「惚れた弱みってやつかなあ・・・好きなもんはしょうがないか。今回は、あたしの方から謝ろう。できれば、もっと早くに気付きたかったけどね」
 やっと居場所に帰れたとばかりに輝く指輪をひとしきり眺めてから京子は歩き出した。
 無数の桜の間を縫って公園を出る。
 そこに、一台のバイクが止まっていた。
「え・・・何で、ここに・・・」
 呆然と呟く京子にバイクの傍らに立っていた男はゆっくりとヘルメットをはずした。
「俺にもよくわかんねぇけど、ここにいるって気がしたからな」
「またなんかの動物にでも聞いたの?俊一・・・」
 見る見る染まる頬を隠そうと京子はそっぽを向いた。
「・・・なぁ京子。浮気は絶対にしないって約束は出来ねぇけどよ、高校ん時から今までおまえ以上に好きな奴はいないんだ。それは嘘じゃない」
 同じくそっぽを向いてバイクの男は・・・畑中俊一は呟く。
「だから・・・おまえが俺のことを大嫌いだってんじゃなきゃさ、もう一回やり直せないか?俺達」
「・・・どうしよっかな」
 京子は少しもったいをつけてみた。
「まったく・・・馬鹿なんだから。嘘でももう二度と浮気しない、合コンもナンパも一切しませんって言いなさいよ。変なとこで正直なんだから・・・」
「俺はおまえに嘘はつかないことにしてるからな」
 時間の長さは一定ではない。二人の間に流れた沈黙は一瞬だったのだろうが、本人達にとってそれは永久に近い長さを持っていた。
「俊一・・・私のメット、ちゃんと持ってきてるでしょうね?」
「・・・!?ああ、ちゃんとあるぜ」
 にっと笑って畑中はシートの下にしまってあった真っ赤なヘルメットを京子に投げてよこした。
「OK!新年は一緒に迎えられなかったけど初日の出は一緒に見るわよ?湘南までぶっ飛ばして頂戴!」
「そうこなくちゃな!よっし!しっかり掴まってろよ!?」
 バイクにまたがった畑中のたくましい背中に抱きつきながら京子は軽くため息をついた。
「言っとくけどこの前の合コンの件、まだ許した訳じゃないからね。後でゆっくりじっくり弱火で煮込んでやるから覚悟しときなさいよ!」
「今はもう21世紀だぜ!?前世紀のことはさっさと忘れるのが吉だ!」
 笑いながら畑中はアクセルをグッと握る。
「いーえ、忘れないわよぉ?ちゃんと埋め合わせするまでね!私だってあんたのことが大好きなんだから!」
 京子はバイクの爆音に負けないような大声で叫び。
 心の底から笑った。
 
 新しい100年と、かけがえのない”今”の為に。


0:10   : 龍実第二公園前路上 : CODE ”B”

 余談ではあるが。

「よきかなよきかな」
 男は緑色の瞳で走り去るバイクを眺めて満足げな笑みを漏らした。
「別に僕が悪いわけではないが事故は事故だからね。アフターケアくらいはしといたよ。この世界では珍しく『能力』を持っている彼を誘導するのは簡単簡単」
「・・・よく言う。実際にやったのは俺だぞ」
 背後から聞こえた声に男は笑顔のままで振り返った。
「まあそう言わないでくれよ」
 視線の先に一人の男が立っている。黒いコートの下にどうやって着るのかもよくわからない複雑なデザインの服を着込み、今は少し苦笑気味だ。
「まあいい。ものぐさなおまえにしては上出来だよ”DK”」
「君の言うとおりだったね。人は自ら望んで変わるんだ」
 DKと呼ばれた男は頷き、もう見えなくなったバイクの走り去った方に視線を投げる。
「彼女もそう、僕もそう・・・僕らの後に続く者達もきっと、ね」
「そうだ。人の思いと意志だけがそれを為し得る・・・だが、それは取りあえず置いておこう。あやかと初詣に行く約束をしてるんでな」
「おや、それは大変だ。じゃあすぐに戻ろうか・・・僕たちの世界にね」
 言葉とともに、二人の男は空に溶け込むように消えた。