<入学式・爆発・六合学園へようこそ・森永愛子>

 

「はぇぇぇ・・・」
 森永愛子は感嘆の声を漏らした。
 大きな学校、個性的な学校だとは聞いていたが、ここまでたくさんの新入生がいてここまで無茶苦茶だとは。
 にぎやかな人の波に半ば流されながら愛子は手の中の書類に目を落とす。
「F組・・・F組さんのお席はどこでしょう?・・・わ、とと・・・」
 よろめきながら見上げた立て札には『B組』とあった。愛子は『ほぇ?』と首を傾げてまた歩き出す。

入学式が始まるまでもう時間がない。それなりに顔を引き締めて辺りを見回した愛子だったが・・・
「あ」
 3秒で立ち止まった。
「わぁ、ちょんまげさんです!ちょんまげさん!」
 のんきだ。
 そして、こういう状況でのんきだと。
「おい、どいてくれ!」
「はい?・・・はぶっ!」
 往々にして、邪魔なものである。
 走ってきた少年の直撃を受けて愛子はくるくると回転しながらのけぞった。
「は、よ、わ」
 手をぶんぶんと振り回し何とかこらえようとしたところに第二撃を食らって今度は前のめりになる。
「はぇぇぇ!?」
 こらえきれず倒れそうになった体を、
「失礼」
 しなやかな腕が抱き止めた。
「はぇ?」
 きょとんとしながら何とか直立した愛子の瞳に、一人の少年が映る。
「怪我はありませんね?」
 金髪碧眼の整った容姿をした少年だ。同じ新入生だろうか?まだ新品の制服を着ている。
「あ、あう、すいませんで・・・した?」
 謝る途中でびっくり顔になった愛子に逆に少年がいぶかしげな顔になる。
「どうしました?」
「あ、いえ、その・・・お手数かけたです!すいませんでした!」
 愛子はあわててぺこりと頭を下げ、そそくさとその場を離れた。
「はう・・・不作法をしてしまいました」
 少し離れたところで胸をなで下ろし、愛子は少し首を傾げる。
「美形さんでしたね。でも・・・今のかたは・・・」
 呟き、ぷるぷると首を振る。
「悩んでる場合ではありませんね。ええと、式が始まるのは・・・」
 落とした視線の先に、空っぽの手のひら。
「あれ?書類さん?」
 何度も手をぐーぱーしてみても出てくるはずもない。
「はぇぇぇ!?さ、さっきので落としちゃったんでしょうか!?」
 愛子はあわあわとその場で回転し始めた。くるくるというより、むしろじたばたと。
「おい、なに回ってんだよあんた・・・馬鹿みたいだぞ」
 いつまでも続くかと思われたその無意味な行動は、案外早く力強い手のひらでつかみ止められた。
「はぇ?」
 我に返った愛子の腕を放して少年は呆れたように首を振る。
「なんだかしんねぇけど、これ探してたんだろ?さっき盛大にこけそうになったときに吹っ飛んだやつ」
「あ・・・」
 少年がぶっきらぼうにつきだした書類を見て愛子の顔がぱっと明るくなった。
「あ、ありがとうございます!恩人さんです!」
「べ、別にたいしたことじゃねぇだろ・・・じゃあな」
 満面の笑みにたじろいだ少年はばつが悪そうにきびすを返す。
「あ、ちょっと待ってください」
 遠ざかる制服の袖を愛子はあわてて引っ張った。
「うぉ!?何だよ?」
「えっと・・・F組さんの席、どこだか知りません?」

 


『次は、学園長挨拶です』
 そのアナウンスに講堂中の在校生が沸き立った。ゆっくりと演壇に登る筋骨隆々とした男に期待の視線が集まる。
(来るぞ来るぞ・・・!)
 在校生達の声なき声を一身に集め、学園長・・・豪龍院醍醐はゆっくりと口を開いた。
「新入生のみなさん。入学おめでとう。私が学園長の豪龍院です」
「なにぃぃぃぃぃぃ!?」
 どよめく在校生席をよそに学園長は淡々と話を続ける。
「これからはみなさんも高校生です。何かにつけ責任というものが問われる立場になるわけですが・・・」
「うぉぉぉぉ!?なんだ!一体どういう趣向なんじゃぁっ!?」
「はぇぇぇ・・・なにをそんなに驚いてるんでしょう?」
 狂乱する在校生をきょろきょろと眺めて愛子は呟いた。豪龍院醍醐という男を知らない新入生にはいまいち状況が掴めていないのだ。
「そうだねー。どーしたのかね?」
「なんか変なんでしょうか?」
 うんうんと頷く両隣に視線をやって愛子は一瞬だけきょとんとした顔をする。
「ええ、そも人生には大事な三つの袋があり・・・」
「結婚式!?」
「やっぱおかしいぞっ!いや、おかしいのはいつものことだけど、なんつーかおかしさの方向性が違うっ!」
 講堂を包むその叫びが消えた瞬間。
「わーっはっはっはっはっ!」
 在校生にとっては聞き慣れたその叫びが講堂中に響きわたった。
「とうっ!」
 演壇の真上、天井のスポットライトの影から何か巨大なものが落ちてくる。それは空中でくるくると回転し、いまだしゃべり続けている学園長の背後にずどんと着地した。
 そこにそびえ立つのは、身長2メートルを誇る筋肉の城。頭部にはもちろん派手な色のマスクが装着されている。
「ん・・・?」
 ようやく気づいたのか、スピーチをやめて学園長が振り返った瞬間。
 その首へと。
「絶・好・調ぉぉぉっっっ!」
 『本物の』豪龍院醍醐はマサカリのようなモンゴリアンチョップを打ち込んだ!
「な、ぴー!?」
 喋っていた方の学園長は奇妙な叫びとともに首から火花を走らせる。
「うわぁ!うちの自信作がぁっ!」
 その惨状に在校生の一団が声を上げた。途端。
「風紀委員出撃っ!奴らを引っ捕らえろ!」
 そんな声とともに天井からバラバラと少年少女が降ってきた。全員左手に『風紀』の腕章をつけている。
「まずい!撤収!」
 悲鳴を上げた生徒達の中心にいた少年が何やら丸いものを地面に叩きつけると、そこから噴き出した煙が講堂中に広がった。
「煙幕かっ!ひるむな!」
「マッドサイエンティスト部の科学力を見たか!」
「ば、馬鹿っ!所属をばらすな!」

縄やら手錠やらを手に襲い掛かる風紀委員強襲部隊と怪しげな光線銃や煙幕弾で応戦し、逃げようとするマッドサイエンティスト部員達がぶつかり合い、行動の中は阿鼻叫喚の様相を呈してきた。
 その大混乱の中、愛子はというと・・・
「あう、あわ、あえ・・・?」
 ひたすらに、慌てている。癖なのか、その場でじたばたと回転して。
「くっ!校長ロボ!離脱しろ!」
 マッドサイエンティスト部の声に答え、校長ロボは首をグルグルと回転させながら出口へと突進した。
「はぇ?」
 そして、間の悪いことに、その進路上にはパニクってる少女が、一人居る。
「はぇぇぇぇっ!?」
 こっちへと突進してくるいろんな意味で怖い物体に愛子は逃げることも出来ず悲鳴を上げた。
 混乱した頭の中で過去の記憶やら今晩の献立だとかが忙しく交差し、愛子は覚悟を決めてその場にうずくまろうとした。だが・・・
「大丈夫!まかせるっす!」
 底抜けに陽気な声とともにその視界をショートカットの頭が遮る。
「とぉりゃぁあっ!」
 少女は気合いの声とともに手に持っていた網を・・・4メートル四方はあろうかという投網をものすごい勢いでロボ校長へ投げつけた。
「ぴぽ!?ぴーっ!」
 全身にからみつく網に校長ロボが悲鳴(?)を上げる。
「大漁っす!」
 少女がそう言って網を絞り上げた瞬間。
「・・・えい」
「ぴ、ぴぽー・・・!」
 やる気のない声とともに校長ロボは、突如ネジ一つまで解体されて床に散らばっていた。
「ほぇ?」
 ついさっきまで確かに何もなかった空間に突如現れた少女に愛子は目を丸くする。
「委員長!あいかわらず見事っす!」
「・・・ぶい」
 少女・・・神戸由綺の賛辞に風紀委員長はわずかな笑みとともにVサインをして見せた。もう片方の手にはさりげなくドライバーが握られている。
「はぇぇ・・・お二人とも凄いですねぇ」
 つられてパチパチと拍手をしながら愛子はあれ?と首を傾げる。
「こっちの人は普通ですけど・・・こっちの人は・・・」
 聞こえないように小さく呟いた言葉を、しかし由綺はしっかりと聞き止めていた。
「はいっす。ボクは、そうっすよ」
「あ・・・」
 と愛子が呟くと同時に、
「全員確保完了!連行しますよ委員長!」
 風紀委員の集団がこっちに向けて呼びかけてくる。
「由綺」
 委員長は微妙に視点の合ってない目で愛子に会釈してから由綺の肩を叩いて踵を返した。
「はいっす、じゃあまたっす森永さん!」
 ぶんぶんと手を振って去っていく由綺に頭を下げ、愛子ははたと気がつく。
「・・・はて、今の方は何故私の名を知ってらしたのでしょう?」

 


<出会い・『4人』・36人のアザーズ>

 

 むやみに派手になってしまった入学式の影響もあってか、被害者・・・もとい、新入生達は教室に戻る頃にはすっかりうち解けあっていた。
「それにしても、同じクラスさんだったんですねぇ」
 机にちょこんと腰掛けてにこにこと見上げる愛子の視線の先に、軽く笑みを浮かべた金髪の少年が居る。
「俺のほうは気づいてたんですがね。あの騒ぎでしたから挨拶の一つも出来ず、すいません」
 いえいえと笑ってから愛子はその隣に目を向けた。
「そちらのあなたも、さっきはありがとうです」
「・・・ああ、大したことじゃねぇし」
 毛先の堅そうな髪をかき上げて目つきの鋭い少年がそっぽを向く。
「君、その態度は女性に対していかがなものかな」
「うっせぇな。俺は男女平等に愛想が悪いんだよ」
 そう言って言葉通り険悪な視線で睨み付けてくる少年に金髪の方の少年も顔をしかめた。
「あぅ、えっと喧嘩は駄目なのですっ!」
 慌てて愛子がわってはいると少年二人は明らかに不承不承と言った感じで互いに視線をはずす。
「はぇぇぇ・・・」
 安堵のため息をもらしながら愛子はふと視線を巡らした。
 おしゃべりに興じる一団があるかと思えば窓際で外を眺めている男子もいる。学校紹介のパンフレットを眺める女子が居ると思えばとりあえずどこに座ろうか悩んでいる生徒もいる。
 まあ、概ねどこにでもある風景だ。
 なのだが。
「どういうことでしょうね?」
 愛子の目には、見たことも無いような奇妙な光景が写っている。不可思議な、偶然ではありえない風景。
「あのー」
 どーいうことなんでしょと首を傾げた愛子の視界にすいっと少女が現れた。
「は、はい!?」
 考え込んでいたところに割り込まれて思わずたじろいだ愛子はがくんっとのけぞった。あとずさった拍子に座っていた机から身体がはみ出たのだ。
「あぶない!」
「あぶねぇ!」
 瞬間、二つの声が交差し・・・
「はわ?」 
 愛子の身体は二組の腕でがっちりと支えられていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 愛子を支えたままで、金髪の少年と目つきの鋭い少年が不愉快そうににらみ合う。
「あの、ええっと、ありがとうなのです・・・」
 恐縮した声に、二人は女の子を抱き止めている事実に気づいて慌てて愛子から手を離した。
「気をつけろよ。おまえ、とろそうだし」
「君、そんな言い方はないだろう」
 再びはじまったにらみ合いにため息をつき、愛子は騒ぎの原因になった少女に視線を向けた。
「えっと、ごめんなさいです置き去りさんにして。何かご用ですか?」
「あー、いや、たいしたことじゃないんだけど・・・今座ってるのって適当だよね?席順とかないよね?」
「はい。適当さんです」
 そっかと頷いて少女はにっこりと微笑んだ。
「ありがと。あ、私、畑中一美っていーます。よろしく」
「いえいえ、わたしは森永愛子です。字は愛の子供と書いて愛子ですね」
 ぺこりと頭を下げあう二人の少女に軽く笑みを浮かべて金髪の少年はふむと頷いた。

「そう言えば俺達も自己紹介はしてませんね。俺はナインハルト・シュピーゲル。見ての通り日本人ではなくドイツの生まれです。呼びにくいでしょうから縮めてナインとでも呼んでください」
「はい。よろしくさんですナインさん。で、あなたのお名前は?」
 にこにこと視線を送られてもう一人の少年はちっと舌打ちをした。
「・・・乾。乾隼人」
「はい。よろしくさんです乾さん」
 全開の笑顔を向けられて乾はちょっと赤くなった顔をさらにそっぽに向ける。

「隼人だ。苗字は・・・気にくわねぇ」

ほぇ?と首をかしげる愛子に一美も同じように首をかしげる。
「あれ?あなた達も初対面だったんだ。なんかうち解けた感じだから前から友達だったのかと思ったよー」
「いえいえ、入学式で初対面さんです〜」
 あははと笑いあう一美に愛子は内心で『この方もそうですねぇ』と呟く。
「おっと、そーいや私行くトコがあったのよ。これで失礼するね」
「はい。また後でです」
 頷く愛子に手を振って、一美はすっと身を翻した。軽い足取りで廊下へのドアへとステップを踏み・・・
「あとでねー!」
 振り返ってそう言い、ドアに手を伸ばした瞬間。
 からららら
 一足早く、そのドアが開いた。
「・・・え?」
「あわ!?」

入ってきた女の子と出ようとした一美の声が交差する。その二人を支配する厳然とした律法、すなわち慣性の法則。

よーするに、動いてる物は急には止まらない。
 結果。


 がつん。


 やけに重い音をたてて、入ってきた少女と一美のおでこが激突した。
 この場合、二人とも同じくらいの身長だったことが悲劇を助長したと言えよう。
「大丈夫ですか!?」
「・・・またかよ!」
 慌てて駆け寄る少年二人に反射神経の差で一歩遅れて愛子もぱたぱたと倒れている二人に駆け寄ろうとし、きょとんとして足を止める。
「これは?」
 倒れている一美のポケットから飛び出したらしい六合の紋章をかたどったらしいペンダント。
 足元に落ちていたそれが、ただのペンダントでないことが、愛子の目には見えていたのだ。
「いたた・・・ちょっと、気をつけていただけません!?」
 一方、教室に入っていた少女はようやくショックから解放されたのか額を押さえながらようやく立ち上がったところだった。
「お怪我はありませんか?」
「ええ。一応ね」
 助け起こすナインにぞんざいな返事をして少女は顔をしかめたまま立ち上がった。透き通るような白い肌ときっちりと切りそろえられた長い黒髪が目立つ、日本人形のような美少女だ。
「ちょっと、聞いてますの!?」
 少女は倒れたままぼけっと天井を眺めている一美にツカツカと近寄りその肩に手を伸ばした。
「こっちを向きなさい!」
 そう言って一美の肩を揺さぶった瞬間・・・

 ごろん。

 音を立てて、一美の首がもげた。
「は?」
「へ?」
 少女も、ナインや乾も、そのほかの生徒達もみんなきょとんとして呟く。
「はぇぇぇ、大変ですね〜」
 相変わらずのんびりな愛子をよそに、真っ白な空気があたりを支配した。
「お。おま、おまえ、それ、首ッ!?」
 乾の引きつった叫びで少女ははっと我に返った。
「きゃぁっ!?」
 自分が支えている首のない身体に気が付き、反射的に手を離す。
 カツン・・・!
 制服を着た小柄な身体はやけに堅く高い音を立てて床にぶつかった。はずみで、胴体から手と足が外れて転がる。
「・・・これは・・・人形?」
 ナインは足下に転がってきた右腕を無造作に手にとって眉をひそめた。その隣で愛子は軽く首を傾げながら口を開く。
「あの〜、だいじょぶですか?」
「いや、大丈夫じゃねぇのは見たらわかんだろ」
 反射的につっこんでから乾はふと気が付いた。愛子の見ている先は床に転がる謎のバラバラボディではなく、そのかなり上だ。
「いえいえ、立ってますよ、そこに」
 愛子は微笑みながら何もない空間を指さす。
「は?」
「はい、ああ・・・この状態だと喋れないそーです。身体の方を組み立てれば元に戻れるそうですよ」
 にこにことそう言う愛子にあたりの生徒達は顔を見合わせ、そのうちの何人かはさりげなく自分の胸を押さえた。
 そこにある、さっき愛子が拾い上げたのと同じペンダントを。
「・・・失礼します」
 静かな声が、人の輪に割り込んできた。
「ああ、14番の改造型ですね・・・構造は、あまり手が加わっていないようですし道具なしでも直せるでしょう・・・」
 声の主である無表情な少女は呟きながら淡々と一美の身体を拾い集める。
「あ、あのー。その人の体って・・・」
 近くにいた女子生徒の問いにちらりと視線をあげた無表情な少女はてきぱきと一美の身体を組み立てながらすっと目を伏せた。
「ごらんの通り、人形です。私よりもずいぶんと型番は早いので機能はぞんざいなようですがその分扱いやすいと思います」
「あなたより?」
 問い返す声に答えず少女は最後に残った一美の首をねじ込むようにして胴体に戻す。
「組みあがりました。入ってください」
 少女の不可解な言葉に愛子はぽんと手を打った。
「これがいるんじゃないですか?」
 愛子がペンダントを一美の首にかけると、すっと虚ろだった瞳に光が戻った。
「いやぁ、失敗失敗っ!」
 勢いよく飛び起きた一美に周囲の生徒達はうぉっとのけぞった。
「封印章は身につけていないと効果はございません。お気をつけください」
 淡々と言われて一美はてへへと舌を出す。
「はーい!でもよかったぁ。クラスにあたしの身体直せる人が居て」
「申し遅れました。私の型式番号は24−Maiden・・・メイデンシリーズの24番目にして最後の作品です」
 脳天気な声に無表情な声が答える。
「あ、あたし畑中一美。幽霊〜」
 陽気に叫んで幽霊を名乗る少女は無表情に立っている人形を名乗る少女と握手を交わした。
「・・・ちょっとまてよおい」
 誰かの呟きに教室中がざわめく。
「なんで・・・こんなにいっぱいお仲間が居るの?」
 その言葉の続きが放たれたのは他の口だった。そのほかの生徒たちの顔にもそれぞれの表情で同じ言葉が刻まれている。
「・・・・・・」
 沈黙。
「あの、みなさん気づいてなかったんですか?」
 愛子は一人驚きに乗り遅れてきょろきょろとあたりを見渡す。
「この教室、人間って私だけですけど?」
 さらに沈黙。
 そして。
「なにぃぃぃぃぃぃぃ!?」

 


<クラス・担任と副担任・かたくなな結晶>

 

「そんな馬鹿な!こんないっぱい・・・」
 誰かの叫びにうんうんと一同は頷く。確かに、一般人と比べて絶対数が少ない亜種霊長類・・・通称アザーズがひとクラス30人以上もいるというのは異常な光景だ。
「でも、本当なんっすよ」
 カラカラとドアを開ける音ともにその疑問に小柄な少女が答えた。
「あや、あなたはさっきの?」
「こんにちわっす森永さん・・・それとみなさんも初めまして。風紀委員の神戸由綺っす。ちょっと海ごもりしてたら留年しちゃったんでみなさんと同じクラスっす。よろしくお願いするっす!」
 一同、度肝を抜かれてはぁと頭を下げる。どの部分に突っ込めばいいのか迷ったのだ。
「まぁそういうわけで事情はある程度知ってるんすけど、ちょうど先生方が来たんで説明はそっちにしてもらうっす。みんな、席につくっすよ?」
 由綺に促されて生徒達が不承不承手近な席に着くと、はたして真っ赤なスーツに身を包んだ女性が一人、しゃなりしゃなりと教室に入ってきた。
 なんだか、教師と言うよりは水商売といった印象のその女性は教壇に立ちゆっくりと教室中を見渡す。
 そして。
「おーっほっほっほ!ご機嫌いかがかしらアタシの子猫ちゃん達?」
 生徒達は、それまでと違う意味で静まり返った。
「アタシがみんなの担任になった桐生緋文美よぉん?よろしくねぇ?」
 喉元をなで上げるような甘い声に生徒達は絶句して動けない。
 愛子は、ほぇ?と首を傾げているが。
「あぁん、みんな反応が冷たいわぁ・・・これが学級崩壊って奴?」
 緋文美はよよよと泣き崩れぷるぷると震える。
「ああ・・・ああ・・・」
 顔を伏せたまま緋文美はしばらく震えていたが、やがて。
「ああ!もっといじめてぇぇぇっっ!」
 緋文美は奇声とともに身もだえた。
 和美の首がもげたときとは別種の戦慄に生徒達が後ずさろうとした瞬間。
 ばきん。
 堅く重い音が教室中に響きわたった。
「静粛に」
 崩れ落ちる緋文美の背後に、超然とした表情の女性がいつのまにか立っている。
 女性は血のついたトンカチを何事もなかったかのように懐にしまい、すっと頭を下げてみせた。
「こんにちは。副担任の御伽凪美里です。ごらんの通り何の役にも立たない担任の代わりに私が連絡をします」
「あぁん、みっちゃんひどぉい。もっといじめてぇ!」
 感極まった様子で叫ぶ緋文美を美文は無言でコンパクトに縛り上げ、どうやったのか小さなダンボール箱に押し込んだ。
「さて、みなさんお気づきのようにこのクラスは人間外専門のクラスです。我々としてはあなた方を差別する気はありませんが区別はします」
 平然と、そして淡々と美文は話を続ける
「基本的に校内では人間の姿をしていることが第一の条件です。朝のうちに一件もめたようですが、支給した封印章は身につけているときのみ、あなた方の身体を人間の姿に変化させます。自力で人間の姿になれないみなさんはくれぐれも気をつけてください」
 てへへと頭をかく一美をちらりと眺めてから美文はふぅと息をついた。
「ともかく、人の姿さえしていれば多少の無茶をしても結構です。その点のみ、厳重に注意するように。では、明日は教科書の配布と選択授業についての説明です。遅刻などしないよう寮暮らしのひとは危なそうなひとに声をかけてあげてください。解散」
 言うだけ言って美里は緋文美が詰まっていると思われるダンボール箱を脇に抱えてさっさと出ていってしまった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」 
 しばらくの間二人の恐るべき教師が戻ってこないのをうかがってから生徒たちはほっと息をついた。
「さすが六合学園だぜ。一筋縄じゃいかないな・・・」
「あたしびっくりして本体に戻っちゃうかと思ったよ・・・」
 あちこちからもれる安堵の声を聞きながら愛子はとととっとナインたちの元へと駆け寄る。
「みなさん、おうちは寮ですか?」
 問われてナインは笑顔でうなずいた。
「はい。ということは森永さんもですか?」
「はいです。隼人さん、隼人さん、隼人さんも寮ですか?」
「三回も言うな!・・・ったく・・・俺も寮だけどよ・・・」
 相変わらずぶっきらぼうな声に愛子は満面の笑みを返す。乾は意味もなく照れて目をそらしてしまった。
「じゃあ、みんな一緒に帰れますですね!・・・あ!」
 愛子は不意に声を上げた。視線の先に、不機嫌そうな顔で足早に教室を出ようとする少女が一人。
「あの!えぇと、名前がわからないんですがそこの雪の人!」
 大声での呼びかけに少女は顔だけ振り返った。
「おうち、寮ですか?寮でしたら一緒に・・・」
 と、言えたのはそこまでだった。
「・・・藤田雪乃。変な呼び名をつけないでいただけますか?」
 黒髪の少女は不機嫌そうな顔のまま愛子をひと睨みして教室を出て行く。後ろ手に閉めた扉がガタンと鋭い音を立てる。
「はわー・・・怒らせてしまいました・・・」
「なんだよあいつ。態度悪ぃな!」
 しょぼんとする愛子とは対照的に乾の語気が荒い。
「人には人の事情があるのでしょう。あまり責めるのも酷というものですよ」
 ナインは適当に相槌を返しながらさりげなく目の前の少女を眺める。
(雪の人・・・か。彼女の『目』には・・・なにかあるな・・・)


 廊下を足早に進みながら雪音は不機嫌な顔を崩さない。
「騙されるものですか」
 呟き、キッと前を見つめる。
「友達なんて・・・ましてや、人間なんて・・・」
 脳裏に彼女の唯一の『友達』であり、数年前に突然姿を消した少女の姿がよぎる。
 『人間』とのハーフだったその少女。
「ササメ・・・」


<文明と学習・猫・真昼の月>

 

 仏頂面のまま河原を歩いていた雪乃はそこに立っていたものに気づき足を止めた。

「・・・・・・」

 それまでの落ち着き払った態度から一転してそわそわとあたりを見渡す。

 誰も居ないことを確認して一度大きく深呼吸。

「・・・よし」

 そして雪乃はゆっくりとそれに・・・自動販売機に歩み寄った。

「落ち着きなさい藤田雪乃・・・仕組みはわかってますのよ?なにも・・・なにも怖いことなんてありませんわ・・・」

 自分に言い聞かせて、震える手で財布を取り出す。

「100円・・・じゃない、120円・・・」

 手のひらに並べて何度も数えなおし、雪乃はとりあえず100円玉を投入口に入れようとした。

 カツン。

「入らない!?」

 パニックになりかけた雪乃はふと気がついた。

「・・・横向きに入れるんですわね」

 カチャンカチャンと硬貨を入れるとボタンに光がともる。

「えっと、これを・・・押せばいいの・・・ですわね?」

 深呼吸をし、何度もボタンに手を伸ばし、意味もなく咳払いなどしてから雪乃は恐る恐るボタンを押した。

 びーっ!

「ひっ!?」

 電子音に思わず後ずさった自分に赤面しながら取り出し口からコーラの缶を取り出して雪乃は感慨深げにひとつ頷く。

「自動販売機・・・制覇・・・」

 そう。彼女の故郷たる雪妖の里には電化製品がほとんどないのである。

 ちなみに、電話は村に一台だけある。

『ありがとうございましたー、また買ってねー』

「!?・・・こ、これはご丁寧に・・・」

 いきなり響いた声に頭を下げてから雪乃は缶を片手にその場を離れた。

「・・・まさか喋るとは。自動販売機、あなどれませんわね・・・」

 普通は喋れない。

「ともかく、今回は完璧ですわ、この調子でどんどん制覇していきますわよ!」

 自分に言い聞かせて雪乃は寮へ続く道を歩き続けた。苦労してプルトップを上げてちびちびとコーラを味わう。

「これが・・・文化の味・・・」

 昼過ぎということもあって龍実川のほとりに人影はない。雪乃はコーラを片手にぶらぶらと歩く。

 春の暖かい日差しに目を細め、雪乃は少し顔を曇らせた。本来彼女たち雪妖にはこの恵みは味わえない。

ぽかぽか程度の陽気でも雪妖にとっては過酷な酷暑だ。大概の雪妖は冬以外の季節を知らずに死んでいく。

「だからといって・・・何故出て行ったんですの・・・」

 呟いたときだった。雪乃の足が止まった。

「え・・・」

 川面が、ばしゃばしゃと波立っている。

「猫?」

 何がどうなったものか、一匹の子猫がもがきながら川を流されているのだ。犬とは違い、基本的に猫は泳げない。

 雪乃はあわててあたりを見渡した。

「誰か!誰かいませんの!?」

 だが、声は誰もいない川原をむなしく漂って消えた。

「くっ・・・」

 雪乃は唇を噛んでもがく子猫を見つめる。こころなしか、動きが弱々しくなっているような気がする。

 だが。

「わたくしも・・・泳げないんですのよ・・・」

 雪妖の里は一年中雪に閉ざされた秘境だ。川も湖も凍っていて泳ぐどころではない。

 苦しげにもがいていた猫の動きが一瞬止まった。小さな体が一瞬沈み、再び水面を蹴立てだす。

 だが、その力はあまりにも弱い。

「くっ・・・仕方、ありませんっ!」

 それを見て取った瞬間雪乃は走り出していた。風をはらんでばっと広がった長い髪が、一気に白く染まる。

「凍っ!」

 叫びとともに振った手の先から不可視の冷気が川面めがけて吹き荒れた。瞬時に凍結した水面へと雪乃は歯を食いしばって恐怖に耐えて跳躍する。

「つっ!」

 ひびの入った氷に青ざめながら雪乃は水面を走った。背後では日差しに負けた氷が音を立てて崩れ落ちている。

「通り抜けざまに!」

 片手で冷気を放ちながら姿勢を落とす。

「かっさらいますわ!」

 雪乃はスライディングの要領で凍結した水面をスカートで滑り、ちょうど流れてきた子猫をもう片方の手ですばやく掴みあげた!

「後は駆け抜けるだけですわ」

 しがみついてくる猫を胸に抱き直して雪乃は再び凍った川面を走り出そうとする。

 だが。

「えっ・・・?」

 視界がぐらりと揺れる。

「霊力が足りない!?」

 放出していた冷気が途切れて足場の氷が急速に解けていく。

「ぬかりましたわ・・・」

 水の中へと放り出された雪乃は猫をしっかりと抱きしめたまま闇の中へと落ちていった。

 

 一方。

「ポストさんは・・・どこでしょう?」

 乾達と別れて愛子は一人龍実川のほとりを歩いていた。片手に一通の葉書を握り締めている。

「やはりナインさんについてきてもらうべきだったでしょうか。世の中にはポストを探して遭難する方も居ると聞きますし」

 はにゃぁとため息をついて川辺に腰掛ける。

「困りましたで・・・す!?」

 言葉ほど困った様子も無くのんびりと川面に向けた瞳が、不意に大きく見開かれた。

「人ですっ!」

 ほんのわずか、ちらりとだけ見えた影に愛子は立ち上がった。葉書とカバンをその場に放り出して走り出す。

「今助けに行きますですっ!」

 一声叫んで愛子は躊躇なく水面に身を投げた。制服にしみこんだ水が重い。

(どこです!?)

 泳ぐというより沈みながら愛子はせわしなく手足をばたつかせる。はっきり言って、自分もおぼれているだけなようでもある。

(・・・時間がないです)

 心の中で呟いて愛子は大きく目を見開いた。真円を描いた瞳が薄く光を放つ。

(!?雪乃さんですっ!)

 見えるものと見えないものが逆転した視界の中にぐったりとした猫とわずかに輝く雪の結晶を見つけて愛子はじたばたと泳ぎはじめた。

 体に纏わりつく水を突っ切り流れていく雪乃と猫の体を力いっぱい抱きしめ・・・

 そこまでだった。

 もともと体力があるほうではない愛子の体から一気に力が抜ける。

(あ、ちょっと・・・まずい・・・です・・・?)

 それっきり、愛子はぐったりと水に身をまかした。意識を失った体は川の流れに負けて沈んでいく。

 

 だが、そのとき。

 ばしゃっ!

 川の流れを切って何かが愛子の体を絡め取った。そのまま流れに逆らって勢い良く川べりへと二人と一匹の体を引っ張り上げる。

 

 

「・・・任務完了っす」

 

 

<ずぶ濡れ・愛子と雪乃(1)・がらんとした>

 

「・・・ん・・・」

 雪乃はひとつ呻いて目を覚ました。

ぼぅっとした頭を振りベッドの上に体を起こす。

「わたくし・・・川に・・・?」

 見渡すと、ようやく見慣れてきた六合学園の寮の部屋だ。カーテンすらない窓の外はもうどっぷりと日が暮れている。

「おかしいですわね・・・なにか違和感が・・・?」

 呟いた時だった。

「あ、お目覚めさんですねー」

 不意に、目の前に少女のニコニコ顔が現れた。

「うひゃぁっ!?」

 ごちん。

 思わず後ずさった雪乃は背後の壁に頭を打ち付けてその場で悶絶する。

「あわ、あわわわわ・・・大丈夫ですか雪乃さん!?」

 ニコニコ顔をおろおろ顔に変えて少女はゆっさゆっさと雪乃を揺らす。

「つっ・・・別に・・・たいした事ありませんわ・・・!」

「はわっ、怒ってます?」

「怒ってません!揺らさないでください!頭に響くでしょうが・・・って、あなたは確か?」

 きょとんとした顔で指差されて、大きめのトレーナーを着た少女は・・・愛子は再びにっこりと微笑んだ。

「はいです。同じクラスの森永愛子です。ここは、私の部屋ですよ」

 言われてからようやく雪乃は部屋に対して感じていた違和感の正体に気がついた。物が少ないのは彼女の自室も同じだが、愛子の部屋には更に徹底的に私物が無い。

「・・・いっそ、いさぎよいとでも表現すべきなのかしら」

 呟いて雪乃は気を取り直した。さり気無く置かれたテレビにやや気を取られながらも愛子に正面から向き直る。

「森永さん・・・少しお聞きしたいのですが・・・」

「はい?なんでしょう?」

 ふにゃっと微笑む愛子にやや戸惑いながら雪乃は不機嫌そうな表情を作った。

「わたくし、たしか川に落ちたはずですわね?何故こんなところで寝てるんですの?それと・・・」

 言いよどんで視線を自分の体に向ける。

「なんでこんな鬼のようにピンク色のパジャマを私が着てるんですの!?しかもこんなひらひらな!」

「かわいいですよね」

「たしかに・・・ではなくて!ああ、もう・・・」

 頭を抱える雪乃に愛子はうーんと首を傾けた。

「川に落ちたほうなんですけど・・・えっと、助けようとおもって飛び込んだ私も一緒に溺れちゃったんでよくわかんないです」

「あ・・・あなたは・・・」

 呆れ顔になりかけた雪乃の顔がさっと青ざめる。

「あの子!あの子はどうなりました!?まさか・・・!」

「猫さんですね?大丈夫ですよ〜私が目を覚ました時には川べりで三人そろって寝かされてましたから。猫さんはすぐ目を覚まされて心配そうに藤田さんを見てましたよー」

 意味もなく能天気に笑う愛子を睨むように眺めて雪乃はため息をつく。

「・・・それで、今私がここに居るってことは・・・」

「はいです。私が背負ってきたですよ。ちなみに猫さんとは寮の入り口でお別れしたです」

 やや長身の雪乃に対してやや小柄な愛子。さぞかし目立ったことだろう。それを考えただけで雪乃は頭痛がする気がした。

「まったく、必要以上に目立ちたくは無いのに何でこうなるんですの・・・?」

「うんめーですね!」

「どこが!っていうよりなにがですかっ!」

 無闇に嬉しそうな愛子につっこんでから雪乃は立ち上がった。

「おトイレですか?」

「帰るんです!制服はどこですの!?」

「あぁ、洗濯屋さんですよ〜」

 愛子はぽんっと手を叩いて壁に張ってある寮内の見取り図を指差す。

「1階にお洗濯部が経営してる洗濯屋さんがあるんですよ〜なんでも新入生は制服を汚しちゃうことが多いらしくて、半額の100円で預かってくれました。あ、今日の夜には受け取れるらしいですよ?」

 雪乃はぞんざいに頷いてドアに手をかけた。

「一応助けられたような感じですので礼は言っておきますわ。ありがとう。でも、わたくしにはあまり関わらないでいただけます?」

「なんでですか?」

 心底不思議そうにこちらを眺めている姿をじろりと睨んで雪乃はドアを開けた。

「・・・一人が好きだからに決まってますわ」

 愛子が反応を返すより早く廊下に出て後ろ手にドアを閉める。

「まったく・・・なんなんですの?あの人は・・・なれなれしい」

 呟いて雪乃はドアに軽くもたれ、二度、三度と首を振った。

「騙されませんわよ・・・このわたくしは・・・」

 自分に言い聞かせてから雪乃は歩きはじめる。

「さて・・・ここはどこですの?早く部屋に戻りたいところですけど・・・」

 階数の表示を探してきょろきょろしている雪乃は、ふと眉をしかめた。

「ねぇ、あの子・・・」

「わぁ、かわいー」

 通り過ぎる寮生達がみな自分を指差してこそこそと話しているのだ。

「?・・・はぅっ!?」

 眉をひそめた雪乃は自分の服装に気づいてびくっと飛び跳ねた。その胸元で、ピンク色のフリルが楽しげに揺れる。

「ま、まずいですわ!これでは私のイメージがいわゆる<らぶりー>な方向に固定されてしまいます!」

「ほらほら、あれって1年の藤田さんよ?かわいー!」

「ほんと!萌え萌えっす!本書いちゃおうかしら!」

 どうも、手遅れのようでもある。

「ど、どうしたら・・・おちつきなさい、雪乃!きっと活路はどこかに・・・」

 ・

 ・

 ・

 彼女が、自分と愛子の部屋は隣りあわせであり、ずっと自分の部屋の前で悩んでたのだと気づくまでその後5分を必要とした。

 

 活路は、案外近くにあった。

 

<風呂上り・制服・疑問>

 

「・・・はぁ」

 雪乃は長い髪をバスタオルで丁寧に包んで頭の上に纏め上げた。

 時間は午後8時。夕食後の風呂上りである。

「何が嫌かと言えば、このすっとんきょうなパジャマに慣れつつある自分が嫌ですわね・・・」

 実は雪乃の部屋には寝巻きが一着しかない。当然洗濯している日は着るものがないわけで、これまでは春ということもありTシャツに短パンという格好で寝ていたのだ。

 ・・・もっとも、どんな寒い日であろうと純血の雪妖である雪乃は風邪を引いたりはしないが。

 わるいことにその寝巻きを乾かしている途中だということに気づいた彼女は開き直ってピンクのフリルつきパジャマをまだ着続けていたのである。

「さて、さっさと制服を回収しましょうか」

 愛子が言っていた洗濯屋はちょうどよく大浴場の傍にあった。雪乃は風呂上りの湯気を漂わせたままペタペタとスリッパを鳴らして廊下を歩く。

「今日の昼過ぎに制服の洗濯をお願いしたものですが。もう受け取れますかしら?」

 雪乃が店番の少女に声をかけると、少女は気の強そうな顔とピンクのフリルの取り合わせに一瞬ぎょっとしたがすぐに営業スマイルを浮かべた。

「はい、お名前をお願いします」

「藤田・・・あ、ちょっと待ってくださります?」

 預けたのは愛子だというのを思い出した雪乃が言い直そうと口を閉じると少女はにこっと笑みを浮かべた。

「津上翔一さんですね?」

「・・・誰です?それ・・・?」

「わからない人はわからないでいいのです。そういうものなのです」

 ほんとうにわけがわからない言葉に雪乃は眉をひそめながら気を取り直した。

「ええと、森永愛子という子が持ってきたはずですわ。私の首くらいまでの身長で、頭のてっぺんの毛がひと房だけ逆立ってる」

「あ!」

 店番少女はパンッと手を打ち合わせる。

「大丈夫でしたか?彼女?」

「は?何がです?」

 雪乃がきょとんとしてるのを見て少女はぷーっと頬を膨らませる。

「あのねぇ、あんなずぶぬれでガタガタ震えてたのよ?何がも何もないでしょ?ちゃんとお風呂入った?あったかくして寝てる?」

「え・・・」

 何を言っているのかと首を捻りかけて雪乃はようやく思い出した。

(・・・彼女も川にとびこんでたんでしたわね・・・)

「大丈夫、だと思いますが・・・ちゃんと着替えてましたし・・・」

「・・・ちょっとだぼっとしたトレーナーとキュロット?」

「そんな感じの服装だったと思いますが?」

 答えを聞いて少女はがくーんと肩を落とす。

「はぁ、やっぱり・・・あのね、あの服わたしのなのよ。彼女、着替えが無いって言って」

「っ・・・」

 雪乃はびくっと震えて自分の体を見下ろした。

 愛子が着せてくれた、パジャマ姿の。

(・・・そんな、馬鹿な話が・・・・)

「まぁ、あの後すぐにお風呂入ってあったかくしてたんなら大丈夫だろうけどね」

「そ、そうですわね・・・」

 動揺を隠せない雪乃に不思議そうな視線を向けてから少女はよいしょと立ち上がった。

「話しすぎちゃったかな。ちょっと待ってて」

 奥に引っ込んだ少女はすぐに二着の制服を持って帰ってくる。

「はい、これ。あの子の分も一緒でいいでしょ?」

「ええ・・・200円、でしたかしら?」

 財布を開けようとした雪乃を少女はパタパタと手を振って止めた。

「お金、前払いで貰ってるから。まいどありがとうございました〜」

「・・・どうも」

 釈然としない気持ちで大小二着の制服を受け取り、雪乃は無意識に小走りになって自室へと向かった。

 自分の部屋に片方を投げ込み、隣の部屋のドアを軽くノックする。

「・・・森永さん?」

「・・・・・・」

 数秒の静寂。そして。

「はぃ・・・?」

 小さな返事と共にドアが静かに開いた。

「あれ?雪乃さんだ・・・」

「・・・寝てらしたんですか?」

 目をこすっている愛子に問うとこっくりと頷きが返って来る。

「さすがにちょっと疲れましたんで〜」

 顔中を撫で回すようにしている愛子に少し戸惑い、雪乃はずいっと制服を突き出した。

「これ・・・あなたの制服ですわ。本当はお金も返そうと思ったのですが・・・明日にしておきます。教室で返しますわ」

「あぅ、気遣い感謝なのです・・・」

 ふらふらと頭をさげる愛子に頷き返して雪乃は早々に話を切り上げることに決める。

「では、また明日」

「おやすみなのです・・・」

 下を向いたまま手だけパタパタと揺らしている愛子におやすみなさいと小さく呟き雪乃は自室へ戻った。

 愛子がしきりに顔をこすっていたのは、熱で紅潮しているのを隠す為と気づかずに。

 

 

<乾と少女・足りない笑顔・「早退いたします!」>

 

あけて翌日。

「・・・・・・」

 やる気のなさそうな顔で乾は教室のドアを開けた。

 途端。

「おはよーっ!」

 元気全開な声が正面から乾を張り飛ばす。

「ぬぁっ!?」

 ややのけぞった姿勢になった乾の正面に、一人の少女が立っていた。

 やや赤味のかかった長い髪を二つの三つ編みにまとめた、活発そうな瞳が特徴的な少女だ。

「な、何だよおまえは!」

「あたし、不破亜美子!アミちゃんとか呼んでくれたらベリベリきゅーとで幸せっ!」

「うわ・・・痛い系だ・・・」

 ポーズまで決めての自己紹介に乾は顔を引きつらせて呟く。

「ががーん、あたし怖がられてる?てる?る〜?」

「怖いっつーか、むしろ哀れだ」

「がずーん・・・がずーん・・・ずーん・・・んー」

 恐ろしく正直な意見に亜美子は顔が膝につきそうなくらいの勢いでがっくりとうなだれた。そして一瞬置いて。

「ま、いっか」

 にぱっと笑顔に戻った。

「おそろしく立ち直りが早い奴・・・」

「鶏よりも記憶力が悪いアミちんなのでした」

「自分で言うなよ・・・」

 呆れるを通り越してやや怯えている乾に亜美子はにこにこと笑い続ける。

「ともかく、乾くんおはよっ!」

「ぅ・・・」

「おはよ!」

 邪気の無い笑顔と何かを期待している視線に乾はたじろいだ。

「おはよ?」

「いや、その・・・」

「おっはよん!」

「・・・・・・」

 これは挨拶しないと諦めないと判断した乾はどぎまぎしながら口を開きかけ・・・

「・・・ドアを占拠して何をなさるつもりですの?」

「うぉっ!」

 背後からの冷たい声と怒気に思わず妙な声を上げた。

「あ、藤田さんおはよっ!いい朝だね!」

 立ち直ったのか再度元気な声で挨拶する亜美子を冷たい目で一瞥し雪乃はおはようと小声で呟く。

「で?いつまでそこに突っ立っているつもり?あなた・・・確か犬隼人だったかしら?」

「乾だ!」 

 途端、乾は不機嫌そうに叫んだ。知らず握られた拳が怒りに震える。

「あら失礼。犬い隼人さん」

「わざわざ発音をおかしくするんじゃねぇっ!不自然だろうが!」

 今にも掴みかかってきそうな乾に雪乃はふふんと鼻で笑って見せた。昨日の晩から抱え込んでいた漠然とした不安感が、なんとなく抜けていく。

「・・・元気がいいのは結構ですが、遅刻になるついでに天国にでもエスケープしますか?」

 だが、そのいい気分も長くは続かなかった。言葉と共に背中に押し当てられた冷たく尖った何かが雪乃の動きを凍りつかせたのだ。

「せ、先生・・・」

 引きつった笑顔で振り返ると、そこには副担任の御伽凪美里が立っていた。

「さっさと席について大人しくすることをお勧めします。背中に開いた穴で呼吸したくなければですが」

「は、はい・・・」

「お、おう・・・」

 いち早く逃げていた亜美子に恨みの視線を向けながら雪乃と乾は揃って頭を下げた。肘で何度か牽制しあいながら空いていた席に腰を下ろす。

「では、出席を取ります」

 美里はそれを見届けてから出席簿の名前を読み上げ始めた。

(朝からひどいめにあいましたわ・・・ん・・・?)

 心の中で悪態をついていた雪乃はふと教室の隅に空席を見つけて息を呑んだ。

(まさか・・・)

「森永・・・森永愛子さん?・・・休みのようですね」

「!」

 雪乃は舌打ちをしたいような、浮き足立つような、不思議な焦燥感にさいなまれていらいらと机の表面を指で叩き始めた。

(知ったことじゃありませんわ・・・部屋が隣というだけの他人に・・・)

「なんだぁ?あいつ、いきなり休みかよおい」

 (ほっとけばいいんですわ・・・わたくしには関係ありませんもの)

 心の中でそういった雪乃はしかし、反射的に立ち上がる。

「・・・藤田さん?どうしました?額に穴をあけられたくなりましたか?」

 トイレに行きたくなりましたか?くらいの気軽さで言ってくる美里に少し怯えながらも雪乃は自分の口をとめられなかった。

「わたくし・・・」

 一度言いよどんだことで逆に弾みがつきバンッと机を叩く。

「わたくし、早退しますっ!」

 唐突な言葉に美里はふむと頷くだけだった。

「わかりました。理由は聞きませんが、もしくだらない理由だった場合臓物をひとつひとつ丁寧にちょうちょ結びにしてあげますのでお楽しみに」

 言ってドアを指差す美里に軽く礼をして雪乃は教室を飛び出した。

「・・・正当な理由があるようですね。残念です」

 残念なのか。

 

 

<愛子と雪乃(2)・蝶の風・友達>

 

 ズガン、ドガン、ゴスッ・・・!

 雪乃は勢いに任せてジャブ、フック、ストレートでドアをノックし、ドアノブを握り。

「鍵がかかってませんからあけますわよ!」

「は、はわわわわ!?」

 中から聞こえてきた悲鳴とも驚きともつかぬ声を無視して雪乃は部屋の中へと突入した。

 途端。

「ふにゃああ!?」

 どすん。

 間抜けな音と悲鳴が部屋の中に響く。発生源はもちろん、タオルを足に絡ませて床に転がっている少女だ。目を丸くしてこちらを見ている。

「っ!」

 雪乃は軽い舌打ちと共に愛子に駆け寄った。有無を言わせぬ勢いで額に手を当てる。やはり、熱い。じっとりと汗ばんでもいる。

「ゆ、ゆ、ゆ、雪乃さん!?」

「あなた、昨日と同じ服で・・・しかもこの部屋、布団もないじゃないですか!」

 叫びなが愛子を抱き上げてベッドにのせ、そのまま雪乃は部屋を飛び出した。

「雪乃さん?」

「お待たせしましたわ!」

 数十秒の間を開け、ぽかんと口を開けて呆然としている愛子の部屋へと雪乃が帰ってきた。その手には白い和装寝巻きとタオル、そして薄めの掛け布団が握られている。

「さぁ、お脱ぎなさいっ!」

「え?え?そんなご無体な〜です〜!」

 戸惑いの声を無視して雪乃は愛子の服を剥ぎ取るように脱がしていった。汗をびっしょりとかいた体をタオルで丁寧に拭って寝巻きに着替えさせる。

「お、犯されちゃうんでしょうか!?」

「ふざけてる場合じゃありません!」

「いや、あの、わりと切実に怖かったです」

 呟く愛子を無視して掛け布団をその体に載せ、頭に近い床に雪乃はぺたりと座った。

「・・・風邪、ひいてますわね?」

「あはは、馬鹿は風邪ひかないってのは嘘だったみたいですね〜」

 熱でまっかな顔をほころばせる愛子に雪乃はため息をついて目を伏せる。

「・・・あなたは馬鹿ではありませんわ・・・愚かでは、あるかもしれませんが・・・」

 呟くように言いながら雪乃は愛子の額にそっと手を乗せる。

「冷やしますわよ」

「わわっ!?」

 予告されたにもかかわらず愛子は声を上げていた。もともとひんやりとしている雪乃の掌がいきなり氷のような冷たさになったのだ。

「昨日あなたがいったのですわよ。『雪の人』と。わたくしは雪妖・・・雪の精霊たるアザーズですわ。あなたには見えるのでしょうけど、私の体のほとんどは雪そのものですわから、霊力の加減さえつければたやすいことですわね」

 実際には、そんなに簡単なことではない。人と雪、双方の性質を併せ持っている彼女が通常の気温の中で生きていられるのはそのずば抜けた霊力で体温を冷やし続けているからだ。その上で更に力を使うのはかなり難しい。

昨日やったようにものを凍結させるのよりはましだが、それなりに消耗はするのだ。

「森永さん・・・一つお聞きしたいのですが?」

「はい、なんですか?」

「何故・・・昨日わたくしを、その・・・助けようとしたのです?」

 愛子はきょとんとして目をしばたかせる。

「えと、特に理由は無いですよ?考えるより先に飛び込んでましたし」

 あっさりと言われた雪乃はぎゅっと眉の居間にしわを寄せた。

「まったく・・・馬鹿ですか!あなたはっ!」

 いいざま、ぺチリと愛子の額を叩く。

「あう・・・さっきはお馬鹿さんじゃないっていってくれたです・・・」

「前言撤回ですわ!あなた、自分も死ぬところだったんですわよ!?それだけのことをしといて理由がないってのはなんです!」

 口調は激しいが、雪乃の表情はむしろ困ったような色をたたえている。彼女自身、自分が何故ここにいるか、何を言いたいのかわかってはいないのだ。

「うーん、わけなんて、いらないとおもうですよ」

 一方の愛子は不思議そうな表情で雪乃の瞳を見つめ返す。

「友達さんが危ないときに、なにもしないなんてことできないじゃないですか」

「っ・・・」

 友達の一言に雪乃の顔がゆがんだ。

「あなたと友達になった覚えなどありませんし、友達なんてもの、わたくしには必要ありません!言いましたわね?わたしは一人が好きなのだと」

「はいです。でも、やっぱり私にとってはみんな友達さんなんです。だから、雪乃さんは嫌かもしれないですけど・・・関係ないなんて、思いたくないです」

優しい笑みに、雪乃の心が軋む。

「昨日も今も、迷惑かけてばっかりですけど、雪乃さんの為になにかしたいと、思うです」

 そう言う愛子の表情はあくまで優しい。どこまでも澄んだ、今は漆黒の瞳を向けられてひどく落ち着かない気分になる。

「馬鹿ですわ。やはり。もし・・・もしも、わたくしがあなたの友達になったとしても・・・わたくしが返せることなんてほとんど無いですのに・・・」

「ほんの少しで、いいんだと思うですよ。それがたとえ蝶の羽が生み出した風に過ぎなくても、遠いかなたでそれが嵐になるかもしれないですから」

 いきなり抽象的な話になって戸惑う雪乃に愛子はどこか誇らしげな顔をした。

「むかし、おかーさんから聞いたお話です。ほんとは難しい数学の理論らしいですけど。はじまりが小さなことでも、それが他の小さなことと絡み合っていけば、いつか大きな事になるかもしれないです」

「・・・蝶の、風、ね・・・」

 にこっと笑みを浮かべて愛子は続ける。

「私は意味もなく川に飛び込んだだけですけど、結果としては雪乃さんも猫さんも助かって、雪乃さんが私の部屋に来てくれたです。こんな幸せなこと・・・他に無いですよ?」

「・・・・・・」

 雪乃はふと疑念にかられた。

 この程度のことで幸せだと言う愛子は、これまでどんな生き方をしてきたのだろうか。

(とてつもなく恵まれた生活をしてきたのか・・・それとも・・・)

「雪乃さん?」

 どうしたのですか?と問いかける瞳を見つめ返し雪乃は迷う。

 差し出された手を、掴むのか、跳ね除けるのか。

 一人で、やっていくつもりだった。でもそうしなければならないと思っていたのは、ただ怯えていただけなのかもしれない。

 もともと、ただひとりの友達にすがる為に、自分はあの里を出たのだから。

 だと、したら・・・

「・・・・・・」

 べちん。

「はぅ!?」

 いきなり額を叩かれて愛子は小さな悲鳴を上げた。

「まったく・・・馬鹿なんですから・・・」

 怒ったような声を装って雪乃は呟く。

「あなたのような馬鹿な子には、わたくしくらいしっかりとした保護者がついていなければ不安でなりませんわね!」

「ふぇ?・・・あ・・・」

 ふたたび額に乗せられた掌の冷たさに愛子は声を漏らした。雪乃は赤くなった顔を窓の外へ向けてごまかす。

「ほ、ほら!風邪を引いてるんですからさっさとお眠りなさいっ!わたくしに二日も学校を休めとおっしゃりますの!?」

「え?いえその、別に雪乃さんまでお休みしなくても・・・」

「うっ・・・だ、だからあなたを一人にしとくと何をしでかすかわからなくて不安だといったでしょうがっ!いいから眠るんですっ!」

 べちんべちんと額を叩かれて目を白黒させる愛子と真っ赤な顔で頬を膨らませる雪乃。

 

 それは、新しい日々の始まりだった。

 

 

<そして日常・朝・愛子と雪乃(3)>

 

 朝。

「ほら、いつまで寝てるんですのっ!?」

「ひぇえっ!」

 怒鳴り声と共に部屋の中へ突撃してきた雪乃に、愛子は思わずベッドから転げ落ちてしまった。

「さぁ!さっさと起きて顔を洗いなさいっ!」

「は、はいぃいいいいい!」

 飛び起きてバタバタと廊下に飛び出していく愛子を満足げに見送って雪乃は腕組みなぞする。

「ふふふ、まったく・・・」

「うわあっ、まっくらさんですっ!」

 廊下から聞こえてくる声が少し気になるが・・・

「おおむね、事もなし、ですわ・・・」

 優雅に頷いて雪乃は彼女の新しい『友達』を待ち続けた。

 

 

 ちなみに、電気もろくに通っていない彼女の里と違い、普通の人は朝日と共に起きたりはしないということに雪乃が気づくまでは・・・あと3日ほどかかることになる。

 

「眠いですよーっ!」