<乾隼人・侵入者・アフロ→>

 

「はんぱぁなゆめのひっとかけっらがぁ〜」

 この街に来てからファンになった歌手の歌を口ずさみながら乾は寮の廊下を歩いていた。

「めぇをと〜じてはなれぇなぁ〜い」

 湯上りの上機嫌も手伝って足取りも軽く乾は自分の部屋のドアに手をかけた。鍵はかけてないのでそのままばんっとあける。

「きみぃはいまぁ〜なに〜し〜てる・・・?」

 電気をつけようとした手と共に歌が止まった。

「・・・なにしてんだ・・・?」

 歌の流れのまま、やや呆然とした声で乾は呟く。

「しっ!黙ってドアを閉めろ!」

 かすれた声で叫ぶ男が、部屋の隅に居た。

 全身を黒いレザー地のボディースーツに包み、顔には大きな暗視ゴーグルをつけた男。

「・・・・・・」

 乾は顔の筋肉をひくつかせながら電気のスイッチをパチンとつける。

 が。

「つかねぇ・・・」

 カチカチとスイッチをいじるが電気は一向につかない。

「電気の配線は既に切ってある!さっさとドアを閉めろ!」

「・・・・・・」

 乾は無言でドアを閉めた。闇に閉ざされた部屋の中に男が持ち込んだらしき機械類の作動ランプだけがぼんやりと浮かび上がる。

「で、何者なんだてめぇは・・・俺をどうしたいんだ?」

「は?おまえの話が何で出てくんだ?」

 乾の問いに侵入者は心底不思議そうに問い返した。

「んだと?俺の部屋に忍び込んどいて・・・」

「そうか、おまえ、新入生か」

 侵入者はぽんっと手を打つ。

「いいか1年、この大公寮は男子寮のA棟のほうが何メートルか女子寮のB棟より大きいんだ。もともとは廊下と廊下が向かい合う構造で窓がこっちからは見えない構造なんだが・・・角部屋のここからなら!角度の関係でカーテンさえ空いてれば中をのぞけるんだ!」

 ズドーンっと雷のエフェクトと共に叫ぶ侵入者に乾は冷や汗を止められなかった。

「・・・つ、つまりおまえ・・・」

「僕は強襲覗き職人!大人しくしていればおまえに危害は加えない。写真を撮ってすぐに出て行くさ。ただ・・・騒ぐようだったら」

 くっくっくと笑う侵入者。一方で乾の顔にもにやりと笑みが浮かぶ。

「騒ぐようだったらどうだってんだ?・・・っと、その前に」

「なんだ?」

 乾は意味もなく声を潜めた。

「この部屋から覗けるのって、どんな娘なんだ?」

 ・・・彼を責めてはならない。

 見たいざかりの、年頃なのだ。

「ああ、おまえと同じ新入生だ。なんだかしらないけど部屋にカーテンがないのを仲間が見つけてきてなぁ。えっと、名前はたしか森永・・・」

「も、森永・・・愛子・・・か?」

「そうそう!なんか頭のてっぺんにぴよんって髪が立ってる奴!」

 乾は額を押さえて唸り声を上げた。

(ったく・・・あいつはどうしてそう無防備なんだ・・・)

 たった数日の付き合いでも愛子のキャラクターは容易に把握できていた。

誰かが自分の部屋を・・・というよりも自分の着替えやらなにやらを覗くなど、考えもしていないのだろう。

「あれでも一応クラスメートだからな・・・おとなしく諦めるなら痛い目にあわねぇですむぜ?」

 落ち着きの悪い髪の毛をガリガリとかきながらそう言った乾に進入してきた男はにやりと笑って腰に下げていたスタンステイック・・・電磁警棒を引き抜いた。

「ふっ、僕が何故<強襲>覗き職人と名乗っているかわかってないみたいだね!痛い目にあうのは・・・」

 言葉が途切れた。男は暗視装置越しに見える自分の手を・・・何も握っていない空っぽの手を眺めてぽかんと口を開ける。

「痛い目にあうのは・・・なんなんだ?」

「なっ!?」

 不意に耳元で囁かれて男はびくっとのけぞった。

「え?お、おまえ入り口の傍に!?」

「おまえの目が、ついてけてねぇだけだ」

 部屋の隅から隅までをまばたき一つより早く駆け抜けた乾はそう言って男の腹へと拳を叩き込んだ。

「ぐぶっ!」

 胃がひしゃげるような衝撃に男はその場にどさりと倒れこむ。

「ったく、根性の曲がった奴だな・・・」

 乾は吐き捨てるようにそう言った後、急に落ち着きをなくした。

「・・・・・・」

 その目が、カーテンの方をちらちらとうかがう。

 ・・・再度言おう。彼を責めてはならない。健康な男子高校生がこの状況におかれてノーリアクションで居られようか?いや、絶対に無理(断言)。

「・・・確認だよ、確認・・・どこが部屋かわからないと無意識に見ちゃうかも知れねぇし・・・」

 誰にともなく言い訳をして乾は震える指先をカーテンにのばし・・・

「さ、させんっ!ぼ、僕が見れないのならいっそっ!」

「ぬわっ!」

 気絶してると思っていた侵入者の声にびくっと飛びのいた。

あわてて視線を床に転がった男に向けた乾はそいつが掲げたものに目を丸くする。

 緑色の、丸いそれは、映画やマンガで何度と無く見たことのあるものだった。

 ようするに、手榴弾である。

「嘘だろ!?」

 ピンは既に抜かれている。今からそれをもぎ取って本体に戻すのはさしもの乾にも無理だろう。

「ちっ!」

 だから、決断した瞬間にはもう、乾は動いていた。窓ガラスを突き破り、夜の闇に身を躍らせる。その背後で・・・

 ズドンッ・・・!

 鈍い爆音がした。粉々になった窓ガラスが乾を追うようにバラバラと宙を舞う。

「よっ・・・と」

 地上三階分の落下エネルギーを強靭な両足で吸収して乾は裸足で路上に立ち上がった。

「覗けなかったからって自爆死かよ・・・」

 ぞっとした顔で立ち尽くす乾をよそに寮の中は一気に騒がしくなる。

 そして。

「どいたどいた!救急医療室部が通るぞ!」

「くぅ・・・僕の・・・ベストショット・・・」

 乾の部屋に侵入した男はだーっと涙を流しながら担架で運ばれていった。あちこち火傷をしていて髪がアフロになっている以外目だった傷は無い。

「・・・本気で人外魔境だな・・・ここは・・・」

 

 

<9と1・新居・喧々諤々>

 

 コンコン・・・

「はい、開いてますよ」

 部屋の中に響いたノックにナインは読んでいた本から顔を上げた。

 彼にあてがわれていた部屋は本来二人部屋のサイズである。しかし、基本的にアザーズの生徒は個室にしておく方針がある為、数が足りなくなった個室の代わりに二人部屋を一人で占拠というスタイルになったのだ。

もちろん、次のアザーズが入学か転校してくるまでという条件で。

(爆発騒ぎから1時間32分、連絡があってから40分。慌しいな・・・)

「・・・ども」

 戸惑ったような低い声と共にがちゃりとドアが開いた。

「こんばんは。君が今日から俺と同じ部屋・・・の?」

 笑顔でこれから寝食を共にする仲間に挨拶しようとしたナインの動きが止まる。

「あ、ああ。すまねぇな。こんな中途半端なタイミング・・・で?」

 入ってきた少年のばつが悪そうな声も途中で途切れる。 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 沈黙のまま、見詰め合ってすごす数秒、数十秒。

 そして。

「爆発事故を起こしたというのは君でしたか乾君・・・!」

「俺がやったんじゃねぇ!いい加減なこと言うなキザ野郎がっ!」

 ナインの呆れたような叫びに乾は鋭い犬歯を剥き出しにして怒鳴り返す。

「・・・俺がキザだというよりも、君が下品なんだと思いますけどね・・・」

 どちらかと言えば自分は温厚であるとナインは思っている。思っているが、こめかみに浮かんだ青筋がどうにもおさまらない。

「うるせぇっ!敬語で喋る男にはろくな奴がいねぇってきまってんだよ!」

 もとより短気な乾は瞬間で怒りが限界領域を突破している。

「まったく・・・よりにもよって同室が君?何の冗談だい?」

「ついてねぇな俺も。よりにもよってこんなのと毎朝顔を合わせるのかよ」

 二人はそう言い合って奇妙に静かな笑みを浮かべた。

 笑顔のまま、立ち上がったナインと荷物を床に置いた乾はじりじりと間合いを詰め・・・

「うりゃぁああああああ!」

 先に動いたのは乾だった。床を踏み抜かんばかりのスピードで飛びかかりナインの顔面めがけて力任せに拳を叩き込む。

 だが。

「未熟」

 呆れたような声と共にナインはやすやすとそれを避けていた。滑るように一歩横にどき、素早く乾の足を蹴り払う。

「どわぁああああっ!」

 乾は高速機動中に足払いを受けて顔から床に突っ込んだ。ずりずり床のフローリングを顔ですべり壁にぶつかってようやくその動きが止まる。

「いくら早くてもそんなに真正面から突っ込んできてはね・・・」

 ナインは呟いて乾に歩み寄った。

「これにこりたら今後は・・・」

「うるせぇっ!」

 途端、ばんっと飛び起きた乾がナインに掴みかかる。

「こうなっちまえば腕力勝負だ!」

「そうでもないんですがね・・・」

 馬乗りになろうとする乾と逆にマウントポジションを取り返そうとするナインが互いの服をつかみ合った瞬間だった。

「はーいはい、そこまでどすぇ?」

 のんびりした声と共にその二人の頬を僅かに掠めて何かがビンッ!と床に突きたつ。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 二人は同じようにこわばった顔を床に突きたった何かに目を向ける。それは、照明の光を受けてきらきらと輝いている。

「・・・なぎなた?」

 日本の武具に造詣が深い乾が呆然と呟いたとおり、それは薙刀の刃だった。

「ほら、はやく立ちなはれ〜」

 床に半ばまで突き刺さっていた刃が軽々と引き抜かれるのにあわせて二人はおそるおそる視線を上に上げていく。

「・・・女?」

「・・・たしか、管理人の?」

 そこに立っていたのは、優雅な和服をたすきで動きやすくまとめた女性だった。柔和な顔立ちは母性を感じさせるが、その表情のまま薙刀を振り回してる姿が・・・

「物凄く怖ぇ・・・」

 呟きに微笑みで答えて管理人は乾の首筋へピタリと薙刀の刃を当てる。

「うちの目が黒いうちは寮内では静かにしていてもらいますえ?」

 しばしの沈黙の後。

「・・・はい」

「・・・はい」

 二人は同時に頷いた。

 

 

<1−X・席代え・→不破亜美子>

 

「おーっほっほっほ!おはよう子猫ちゃんたち!」

 X組・・・森永愛子達の所属するクラスには担当の教師が二人居る。一人は副担任の御伽凪美里、そしてもう一人がこの桐生緋文美である。

「・・・今日はハズレか・・・」

 誰かの呟きも無理はない。どういう基準か、入れ替わり立ち代り現れる二人の教師のうち美里は言動が怖いが仕事は的確にこなす。だが緋文美の場合・・・

「あぁん、生徒が私をいぢめるぅ〜・・・もっと、もっとぉ!」

「・・・・・・」

 怖い上に、仕事をしない。

「なぁに?もう終わり?緋文美つまらないわぁ。しょうがないから先に進めちゃおうかしらん」

 結局、無視するのが最も効果的なようではある。

「さて、今日は入学からの一週間の締めくくりよぉ。まずは席替えね〜」

 つまらなそうな顔で緋文美はどんっと教壇に30センチ四方くらいの箱を置く。

「好き放題に座らせるとお友達が偏るからってみっちゃんがうるさいのよん・・・あ、私とお友達になりたいならどんどんきてねぇ」

 そこまで言って、緋文美はぺろりと自分の唇を舐めて見せた。軽く目を細めて妖艶な視線でクラス中を舐める。

「・・・可愛がってあげるわ・・・」

 甘い囁きに男子生徒達がビクリと震え、女子生徒達がその有様を軽蔑したような目でそれを睨む中。

「じゃあ席決めのくじびきはじめるわよぉ」

 緋文美は一転してどうでも良さそうな声で箱をベシベシ叩く。

「あいうえお順で名前呼ぶから来てねぇ〜?」

(こ、この先生は・・・)

 生徒たちの呟きに気づいた様子もなく緋文美はペラペラと名簿をめくった。

「赤井ちゃーん、雨宮ちゃーん、秋野ちゃーん・・・」

 男女問わずちゃん付けの呼び声に応じて席を立ち、生徒達は箱の中から折りたたまれた紙を取って戻ってくる。中に書いてある数字が、新しい席順のようだ。

「伊成ちゃーん、乾ちゃーん」

「おう」

 昨日からのことを引きずっているのか不機嫌そうな乾が。

「シュピちゃーん」

「はい」

 妙な略され方を無視して穏やかにナインが。

「藤田ちゃーん」

「・・・はい」

 慣れないちゃん付けに不服そうな雪乃が。

「マナちゃーん」

「な、なんでわたしは名前の方なんでしょう?」

 大きな目を更に大きく見開いて愛子がそれぞれくじを引き、席に戻る。

「はいはーい、では座る順番を発表するわねぇ。ひいた紙の数字と黒板の席順票を見てそこに座ってねぇ」

 机の数だけ書かれた数字をばんばんと叩く緋文美の声にしたがって生徒達は荷物を持ってぞろぞろと移動する。

 そして。

「げ」

「何てことだ・・・」

「・・・愛子さん」

「あ、席もお隣さんですねー!」

 乾とナイン、雪乃と愛子はそれぞれの席の隣に見知った顔を見つけて声を上げた。そのまま顔を横に向けると今度は乾と雪乃、ナインと愛子の視線が合う。

 入学式以来ずっと一緒に居るメンバーが、あいかわらずそこに居た。

「代わり映えしねぇ・・・」

「君!そういう言い方はないだろう!?」

 乾のげっそりした呟きにナインが非難の声を上げる。

「あぅ、その、喧嘩さんはよくないと思うです・・・!」

「やらしておきなさい愛子さん。どうせ挨拶みたいなものです」

「は〜いはい、そこの4人組ぃ、遊んでないでさっさと座っちゃってねぇ」

 緋文美のからかうような声と共にクラス中の視線を受けて愛子たちは慌てて席に着いた。既に『4人組』としてひとまとめにされているのがなんとなく照れくさい。

「さぁて、席も無事にきまったことだし、後の時間はこのアタシが・・・」

 ようやく全員席に着いたのを見渡して緋文美は再度艶かしい視線で教室を舐める。

「愛についてじーっくりと・・・」

「却下です」

 声と共にどすっと鈍い音が響き渡る。

「さて、珍しく職務を果たしていると思って静観していましたが、頃合のようですので後は私が引き継ぎます」

 いつの間にか緋文美の隣に立っていた女性・・・御伽凪美里はたった今緋文美のわき腹にえぐり込んだばっかりの右拳を軽く振り、つけていたナックルパートを指から引き抜く。

「さて、来週から正常な授業が始まるわけですが・・・」

 言いかけて美里は声も無く床に転がっている緋文美を見下ろして眉をひそめた。

「桐生先生、そんなところで寝ていられては邪魔です」

「ぅぅ、みっちゃん、超クール・・・」

 あえぐ緋文美を手錠と猿轡で手早く拘束し教壇の下に押し込んでから美里は無表情に教室を見回す。

「今日はその準備として課外学習を行います。とはいえ、たいしたことをするわけではありません。あなた方はこの後町へ出て自由に行動してください」

 美里はそう言ってからざわりとした教室を一瞥して静かにさせた。

「その間中、あなた方には監視がつきます。目的はあなたがどの程度社会に適応しているかの監視です。適応していないとみなされた場合、この週末はそれへの指導矯正に費やされますので了承してください」

 教室内が再度「うげぇ」とか「きちぃよそれー」とかいうざわめきに満ちたが今度は美里も止める様子が無い。

「逆に言えば、今日に限って言えばかなり無茶をしても大丈夫だということです。大概のヘマは我々が完全に隠蔽しますので。以下連絡ですが、昼食はどこか適当な所で済ましてください。午後2時30分には教室に集合していること。遅刻した場合そこの窓から吊るします。以上、解散」

 相変わらずあっさりと言い捨てて美里は教壇の下に手を突っ込み、緋文美の襟首を掴んだ。そのままずるずると引きずって教室から出て行く。

「・・・えーっと」

 それを見送って愛子は首をかしげる。

「要するに半日ほど外でぶらついてろってことですわね」

 雪乃は肩をすくめながらそう言って愛子に向き直った。

「そういう事ですし、その、わたくしと、あの・・・」

 くちごもりごにょごにょと口の中で言葉をこね回してる雪乃に愛子はきょとんとした顔をしたが、そのままニコッと笑みを浮かべる。

「よかったら一緒に行きませんか?」

「え、ええ。まぁ愛子さんがそういうなら私は構いませんわよ」

 嬉しさをすまし顔に押し込めようとして失敗しながら雪乃はぶんぶんと頷いたが、

「よかったですー。じゃあ隼人さんとナインさんも一緒に行きましょう!」

「ってなんでそうなるんですの!?」

 一瞬後には元気よく男二人の袖を掴む愛子に全力で突っ込みを入れる羽目になった。

「はぇ?なにがですか?」

「そ、そんな当然のように・・・」

「大勢の方が楽しいですよ?」

 心底不思議そうな顔で首をかしげる愛子に雪乃はぐっと言葉に詰まる。

「っていうか、俺を行くの方で計算してねぇかおまえ」

「君、せっかく誘っていただいているんだ。もう少し態度を改めたらどうだい?」

 顔をしかめて呟く乾にナインがやや不愉快そうな顔で呟く。

「知るかよ。なんで俺がおまえらと仲良しごっこしなくちゃなんねぇんだ」

「・・・駄目ですか?」

 愛子がびっくりしたような悲しんでるような瞳で見つめてくるのを見て乾はうっとたじろいだ。

「いや、俺は・・・」

「いっしょのほうが、楽しいと思うですよ・・・?」

 お願いの視線にだらだらと脂汗が流れる。

「だから・・・」

「隼人さん・・・」

 抵抗は、10秒も持たなかった。

「わかった・・・一緒に行けばいいんだろ・・・」

「ありがとうなのです〜!」

「わーい、はーくんと一緒っ!」

 返ってきたのは、何故か元気のよい答えが二つ。

・・・増えている。

「おまえ、昨日のなんだか痛い女」

「はわっ!やな覚え方されてるよー!」

 痛い女、こと不破亜美子はバンザイをするようにぶんっと手をあげて悲しそうな顔をしたが一瞬でもとの笑顔に戻った。

「ま、いっか!ともかくはーくんと一緒っ!」

「はーくん・・・?お、俺のことか?」

「うん、かわいいでしょ?」

 元気のよい言葉に隣で愛子がぶんぶんと首を振る。

「かわいらしいです〜!」

「・・・そうかしら」

 対照的に不気味そうに眉をひそめた雪乃にナインが同意の頷きを送った。

「というわけで出発っ!はーくんも一緒に声出してほら!出発ぅ〜!」

「・・・ああ、もうどうにでもしてくれ・・・」

 

 

<→鬼島猟・龍実川と車道・不破亜美子→>

 

「いやぁ、風が気持ちいーねーっ!」

 校門を出たところで亜美子はぐっと伸びをした。片手にぶらさげた小さなバッグを振り回すように。

「そうですね。日本は四季折々、素晴らしい自然を感じさせてくれます」

「春はあったかくて・・・ちょっと眠たかったりするですけどね」

 ナインと愛子の声を聞き流して雪乃は眉をひそめる。

「それはそうと、これからどこへ行くんですの?意味もなくぶらぶらするのは遠慮したいですわ」

「どうせ飯食わなきゃなんねぇんだろ?龍実駅にでも行こうぜ」

 乾はやる気なさそうに言ってあくびをかみ殺した。

「あら、犬のわりにいい意見ですわね。お手」

「だから!誰が犬なんだよ冷血女っ!」

「ちなみにアミちんてばわんちゃん大好きだよっ!お手!」

 悪意がない分だけたちが悪い亜美子に青筋を立てている乾を冷や汗などかきながらなだめて愛子は雪乃へと向き直る。

「じゃ、じゃあ、とりあえず龍実駅に行きましょうです!」

「そうですわね。まぁ犬の散歩くらいの気持ちで・・・」

「しつこいんだよてめぇは!」

「あら失礼。おほほほほほ・・・」

「あははははは」

 吼える乾にわざとらしく笑う雪乃。意味もなく笑い続ける亜美子。まったくのこと、収拾がつかない。

「大丈夫ですよ森永さん。あなたが動けば藤田さんは一緒に来ます。乾のほうもそうなれば不破さんと二人になってしまいますからね。あわててついてきますよ」

 言いながらナインはやわらかく愛子の手を取った。

「はぇ!?」

「ななななシュピーゲルさんっ!なにをしてくれちゃってますんですのあんた!」

 驚きのあまり喋り方のおかしくなっている雪乃に意味もなく爽やかな笑顔を向けながらナインはさっさと歩いていく。

「あわわわわ・・・」

 こちらは喋ることすらままならない愛子をひっぱるようにしてナインは歩き出した。

(手を握られただけで照れるというのも・・・若いなぁ)

 目論見どおり賑やかについてくる一同を軽く見回してからすっと自然に愛子の手を離す。

(さて・・・先導するのも性に合わないしね)

 そのまま気づかれない程度に歩く速度を緩めたナインが最後尾にうつり、かわりに早足の乾が先頭に立った頃。

「あ、川ですよー!」

「あら・・・?」

 曲がり角の先にあらわれた涼しげな川面に愛子と雪乃が声をあげた。龍実川・・・龍実町の真ん中を突き抜けている、両岸を芝生の土手に包まれた河川である。

「ふふふ、今日は飛び込んだりしませんわよ愛子さん」

「あはは、また風邪ひいちゃったら大変さんですからね」

「・・・なに言ってんだおまえら?」

 何故か楽しそうに川を眺めている二人に乾は首をかしげ、そのままの姿勢で『ん?』と声を漏らした。

「おい、なんか・・・川んなかで暴れてる奴が居るぞ?」

「えっ?どこかなっ!?」

 テンションのまったく下がらない亜美子のうきうきした問いに乾は水面の一点を指差してみせる。その先には、水をばしゃばしゃと跳ね上げて取っ組み合ってる制服姿の少年が二人。

「・・・なにか、見たことのあるような人たちですわね?」

 雪乃はその二人を眺めて首をかしげる。

「それはそうでしょうね。あの二人は同じクラスですから」

「恥ずかしながら、そうね」

 ナインの解説に生真面目そうな声が続いた。声のした方に目を向けると川べりの土手を登ってくる眼鏡の少女と目が合う。

「わたしも同じクラス。名は南英香。あっちで馬鹿やってる川井と水城とは悲しいことに同郷よ」

 そういった途端。

「馬鹿はねぇだろ南っ!」

「お前は馬鹿だろ修一!違うのは俺だけっ!」

 互いに数回ずつ水の中に叩き込まれてずぶ濡れの少年たちが南の後を追って土手を駆け上ってきた。

「言ってくれんじゃねぇか友則くんよぉ?もう一回ぶん投げられてぇみたいですねぇ?」

「ああ!?さっきだってそう言った自分が5回も投げられてんだろうが!」

「けっ!その間にお前は6回投げられてる!」

「水増しすんじゃねぇ!まだ4回だ!」

 ののしりあい、再び互いのえりくびを掴みあう二人に南は深くため息をついた。三つ編みの髪をゆらして首を振る。

「二人とも、これ以上故郷の名誉を粉砕するのはやめてくれる?」

 言葉と共にぺちんと頭をはたかれて二人は同時に互いを指差した。

『だってこいつが』

 綺麗にはもった弁解を聞かず南は二人の額をもう一度ぺちんとはたく。

「どっちでもいいのよそんなこと!もう、クラスメートの前で恥かかせないでよね・・・」

 やれやれと首を振る少女の言葉にあははと笑い声をあげたのは亜美子だった。

「大丈夫だよっ!こっちにも同じような関係の人たちが居て同じようなことやってるからっ!」

「あんだと不破ぁっ!俺のことかそれは!?」

 途端に不機嫌そうに叫んで詰め寄ってくる乾の手をあはは〜っと笑いながら亜美子は背後へと軽く飛んでそれをよけた。

 その瞬間。

「あぶないですっ!」

 愛子の悲鳴が当たりに響き渡っていた。

 とびのいた亜美子のいる場所は車道。そして折り悪くそこへ・・・

「きゃああっ!?」

 滅多に通らない車が走り込んでいた。

「ちっ・・・!」

 乾は舌打ちと共に体を活性化させた。過剰に分泌されたアドレナリンでゆっくりに見える世界の中でダッシュを始め・・・

「だぁっ!」

 立ち尽くす亜美子の体を抱え込んで横っ飛びに道の逆側へと飛び込む。つま先をかすめる車の感触にぞっとしながらも二人の体は舗装されて居ない地面へと無事転がった。

「いってぇ・・・くそ、何も考えず動くんじゃねぇよ不破・・・!」

 乾は悪態をつきながら亜美子の体を離してその場に座り込む。

「あ、あはは、ごめ・・・」

 亜美子は照れ笑いを浮かべながら自分の手元に目を向け、表情を無くした。左手でぶらさげていたバックがなくなっている。

「ば、バック!バックどこっ!?」

「うわ!?なんだよ!?」

 いきなり叫び、四つんばいでおろおろとあたりを這い回り始めた亜美子に乾は戸惑いの声を上げた。

「ふ、不破さん?さっき持ってたバックのことなら、そこに落ちてるけど?」

 びっくりしたのか眼鏡をややずらした南が指差す方を亜美子は血走った目で睨み、そこに中身をぶちまけたバックが落ちてるのを見て再度悲鳴を上げる。

「・・・そんなに大事なものなのですの?」

 それを見つめて雪乃は呟いた。手伝おうという発想は出るが、必死になってバックに飛びつく亜美子の雰囲気は介入を許さない。

「・・・鞄が大事じゃ、ないとおもいます。その中の何かが・・・」

 愛子は小さな声で呟く。彼女の目に映る亜美子の感情は恐怖に近い。それはバックを抱きかかえながら飛び散った筆箱やらノートやら文庫本やらを拾い集めてる間も変わらない。

「ない・・・ないよぉっ・・・どこ・・・ない・・・」

「おい、不破?どうした?」

「なにが無いんですか?」

 乾とナインの声が聞こえた様子も無く愛子は膝と靴下を土まみれにしながら亜美子は地面を這いずり回る。

 誰もが声をかけかねて口をつぐんだ頃。

「・・・これか?」

 その場に居た誰のものでもない低い声と共に亜美子の目の前に古ぼけた手帳が差し出された。

「っ!」

 亜美子は声にならない悲鳴と共にそれに飛びつき、胸に抱え込む。

「あった・・・」

「・・・これか」

 安堵のあまりかぼろぼろと泣き出した亜美子を見下ろしてその男は頷く。背が高く、筋肉質のがっしりとした体格の男。表情の覗えない無愛想な顔には左目の上から顎まで届く長い傷跡が穿たれている。

 その特徴的な容姿に見覚えがあったナインは記憶の中をあさってその男の名前を口にした。

「鬼島猟君・・・でしたか?」

「ああ」

「悠長に自己紹介してる場合でもねぇだろうが・・・!」

 乾は手帳と鞄を抱いて震えている亜美子に近づき、その顔を覗き込んだ。

「おい・・・どうした?大丈夫か?」

 ゆっくり、そして静かに問いかけられて亜美子の視線がぼんやりと乾のそれと重なる。涙が止まり、恐慌が収まり、そして・・・

「・・・!」

 一気に顔色が青ざめた。

「不破?」

「あ・・・だ、大丈夫、なんでもないから!」

 亜美子は転びかけながら立ち上がり、真っ青な顔であとずさる。

「おまえ、大丈夫ってどこがだよ!?」

「ともかく大丈夫!さよならっ!」

 乾の声と視線から逃げるように踵を返し、亜美子は走り去った。

「ちっ・・・!」

 その背を見て舌打ちしながら走り出そうとした乾の手をナインのひんやりとした掌が掴みとめる。

「やめておいたほうがいいですよ。誰にだって触れられたくないことはあります。特に『俺達』はそうでしょう?」

 静かな、そしておそらくは正しい言葉に乾はぐっと言葉につまったがそれでも強く首を振る。

「それでも・・・あれをほっとくなんてのは・・・俺は、嫌だ・・・!」

「隼人さん」

 力づくでナインの拘束をふりきろうとした乾はそっと頬にあてられた掌の柔らかな感触にその動きを止めた。

 いつのまにか、正面に愛子の顔がある。

 気のせいだろうか?その特徴的な大きな瞳が時々金色に見えるのは?

「今は、駄目ですよ。不破さんが恐れていたのは隼人さんに何かを知られることですから・・・」

「俺・・・に?」

 問い返す乾を眺めて考え込んでいた南はふむと頷いて口を開いた。

「乾君。確かに彼女を放置するのはあまりよいことではなさそうね。そっちはわたしたちにまかせておきなさい。うちの馬鹿二人と一緒に探しておくから」

「・・・・・・」

 不満そうな乾に南は眼鏡の後ろで軽く笑う。

「何か言いたそうね、乾君。じゃあ・・・この言葉を出されたら男という生物は必ず従わなくちゃいけないという魔法の言葉を伝授するわ」

 背後の川井と水城が苦笑する雰囲気を感じながら南は笑みを深くする。

「つまりね・・・『乙女心のわかんない奴は嫌われるわよ?』って言葉」

「は?」

 言うだけ言って歩き出した南に呆然と視線を向ける乾をよそに川からやってきた三人組はさっさと亜美子の消えた方へと歩み去る。

「・・・まぁ彼女の言うとおりなんでしょうね。あちらはまかせて俺達は予定通り龍実駅に行きましょうか」

「そいうですわね。ここで考え込んでいてもどうなるものでもありませんわね」

 よくわからない展開にとまどっていた一同の中でもっとも早く立ち直ったナインの提案に雪乃は頷き、傍らの愛子に視線を向ける。

「はいです。じゃあ、行きましょう鬼島さん」

「む」

 一人川面など眺めていた鬼島は不意に話を振られて戸惑ったような声を出した。

「おいおいおい、近くに居れば誰でも誘うのかお前は?」

 気分を入れ替えたらしい乾のつっこみに愛子はきょとんと首をかしげる。

「そんなわけないですよ?」

 言ってにこっと微笑む。

「鬼島さんは、クラスメートさんです」

「・・・普通は、それだけじゃあ誘わねぇんだよ・・・」

 呟いて乾は他の二人に視線を向ける。

「おまえらはどうなんだよ」

「見くびらないで欲しいところですわね!愛子さんが見境なしなことは『友達』のわたくしが一番よくわかっていますわ!」

「・・・なんだか無茶苦茶を言ってますね。まぁ、俺はかまいませんよ」

 そんな会話を無言で眺めて鬼島は視線を愛子に戻す。そのまま沈黙が約十秒。

「・・・ああ」

「よかったですー!じゃあ行くですよ?」

「・・・ああ」

 

<龍実小学校・兄と妹・鬼島猟→>

 

 川のそばを離れ住宅街に入ってから数分。

「それにしても・・・車が多いですわね」

 しばらくしてから雪乃が呟いた言葉に愛子とナインは顔を見合わせた。

「・・・そうですか?」

「・・・さっきから二、三台しか通ってませんが?」

「ですから人の住んでるところに車が・・・あ」

 雪乃は言いかけて顔を紅くした。そのまま黙り込む。

「ははぁん・・・」

 乾はそれをみて意地の悪い声をだした。

「なるほどなるほど、藤田雪乃さんが住んでたところは車が通れないような田舎だったと、まぁそんなところですか?」

「くっ・・・そ、そんなことありませんわよ馬鹿犬!わ、わたくしは車に乗ったことだってあるんですわよ!」

 墓穴。

「普通あるだろそれくらい。んで?何回だ?」

「・・・1回だけ・・・ば、爆笑するんじゃありません!」

 むきになって叫ぶ雪乃と珍しく優位に立って笑いが止まらない乾を眺めて最後列を歩いていた鬼島はふむと頷いた。

「仲が良い」

「そうなんですよー」

 本人達が騒がしく怒鳴りあっていて気づかないのをいいことに愛子はニコニコと頷く。

「外から来たのだな」

「お二人がですか?そうですよー」

「というよりも、俺を含め全員が寮暮らしです」

 その答えに鬼島はもう一度頷く。

「そうか。俺はこの街の生まれだ」

「あ、それでは家族さんと一緒にくらしてるですね!うらやましいです!」

「・・・ああ」

 楽しげな愛子を眺めてナインはふと疑問を抱いた。顔にはそれを出さぬまま考え込む。

(乾にしろ藤田さんにしろ・・・人間社会に適応する為の教育としてここへ来ているはず。でも、森永さんは?彼女は人間の筈だが・・・何故ここへ?)

「ナインさん、ご家族は?」

「両親はドイツに居ますよ」

 考え事をしながら笑顔で嘘をつくナインに愛子が気づいた様子はない。

「わたしはおかーさんにおとーさん、あと妹が一人居るです」

「・・・妹」

 鬼島はその単語に呟きをもらし、愛子を眺める。

「俺も、妹が居る」

(そっくりだったら、どうしようか)

 ナインは考え事モードのままでそんなことを思って、かるく苦笑した。思考がどうでもいい方向に流れたのに気がついたのだ。

「・・・もっとも、妹は普通の人間だが。両親も」

「はぇ?」

 淡々と紡がれる鬼島の言葉に愛子はきょとんとした顔をした。

「・・・獲得形質の潜在遺伝ですね。先祖返りという奴ですよ」

「・・・ああ」

 ナインの言葉を肯定し、鬼島は右腕でぐっと拳をつくる。

「もっとも、俺は鬼だから見た目としてはたいして人間と変わらない。角も爪も引っ込めることができるしな」

 あっさりと言い放った鬼島にナインは顔をしかめた。

「鬼島さん・・・あまり自分の種族を明かさない方がいいと思いますが?特に森永さんは・・・」

「構わない。ただ、妹にはそれを秘密にしている。それだけわかっていてほしい」

「はぇ、あ、はい。わかったです?」

「・・・感謝する」

 きょとんとしている愛子に鬼島は重々しく頷く。

 そして。

「実はそこの小学校に妹が居るものでな・・・」

 びっと指差した進行方向に、龍実小学校があった。

「授業時間ですから別段気にすることも無いと思いますが?」

 ナインの疑問に鬼島は自分たちが既に校庭をかこむ柵の隣をあるいているのを確認してから首を振る。

「あいつの行動力と野生の勘を舐めては・・・」

「あ!にいちゃんだぁ!」

 その言葉を遮って元気のよい声が響いた。

「な、なんだぁ?」

「なんですの?」

 先頭で騒いでいた二人を含め全員の視線が声の主をさがして立ち止まる。

「にいちゃぁん!」

 二度目の声は、頭上から響いた。同時に小さな影が降ってくる。

「む」

 ばふっと頭に抱きつかれて鬼島はこまったような声を出した。降ってきたのは小柄な少女だ。体操服にショートパンツなのは体育の時間だったからか。

「あ、あの、今・・・木の上から降ってきたように見えましたが?」

 校庭から張り出している木の枝を眺める雪乃の声はそれよりずっと大きな声にかきけされて届かない。

「にいちゃんだぁ!どーしたの?今修行中でしょ?」

「授業中だ。そしておまえもだ。萌」

 萌と呼ばれた少女はにははと笑って鬼島の頭にかたぐるまの体勢で座る。

「だってにーちゃんのにおいがしたんだもん」

「獣ですかこの子は」

 あきれたような雪乃の声に萌はむ?と顔をそちらにむけた。

「にーちゃんがおんなづれ!・・・でもこの人だったらだいじょぶそうだからいいや」

「ど、どういう意味ですの・・・?」

「ゆ、雪乃さんおちついてくださいです・・・あ、あの。萌さんはおいくつでしょうか?」

「にゃ?」

 鬼島の頭の上で萌はいそがしく体を動かす。

「むむむ、こっちの人は、ライバルっ!」

「どういう判断基準ですの!?」

 雪乃が再度激昂するのをナインがなだめるのを無視して萌はうーんと唸った。

「でも、いいにおい。・・・えと、萌は11歳だよ」

「小学校6年生だ」

「鬼島さんが大きいのでわかりませんでしたが・・・その年齢でそのノリはややアンモラルなのでは?あなた方・・・」

 鬼島の補足にナインはややたじろぐ。

「にーちゃんにーちゃん!遊ぼ!」

「・・・授業中」

 無表情な中にやや困ったような表情を浮かべる鬼島の髪を萌はぐいぐいとひっぱる。

「えぇ〜?遊ぼうよぉ!遊ぶっ!」

「あの教師を説得できたなら、いいぞ」

 鬼島はふと思いつき柵の内側を指差した。そこに居るのは額に青筋を立てた若い教師が一人。

「・・・鬼島さん、またですか?」

「あぅち。若松センセ」

 担任の教師に睨まれて萌はしおしおと小さくなって鬼島の頭にしがみつく。

「謝って授業に戻れ」

「ぅぅ、にいちゃんもいっしょにあやまってよぅ」

「・・・・・・」

 断ろうとした鬼島はしばし考えてからため息をつく。

「森永・・・」

「はいです!妹さんの方にいってあげてくださいです」

 短い言葉に愛子が笑顔で頷くと鬼島は一つ頷いてから校門の方へと向かった。

「ばいばーい」

 頭の上でひょこひょこと萌が手を振っている。

「さよならですー!」

 

<龍実駅前・龍実における代金の重要性・乾隼人→>

 

「やっとついたぞおい」

 乾は呻くように言って息をついた。

「あら、この程度の距離歩いただけで疲れたんですの?犬なのに」

「・・・疲れてるんじゃねぇ。意味もなく多発しやがるイベントにうんざりしてんだよ」

「あぅ、すいません。わたし、だいぶ楽しんじゃってます・・・」

 恐縮する愛子にナインは苦笑しながら首を振る。

「それでいいんですよ。女性二人と共に居ながらうんざりなどという言葉を口にするような奴がいけないんです」

「・・・おまえはいちいちむかつくなぁおい」

 犬歯をむき出しにして怒りかけた乾だったが、ふと真顔になって首を振る。

「いや、今はそんなことを言っている場合じゃねぇな。腹が減った」

「・・・真面目な顔でなにを言い出すかと思えば」

 呆れた表情のナインに乾はややむっとした表情になった。

「大事だろうが!おまえだって飯食うだろ!?」

「あいにく俺は通常の食事は必要としない形質ですけどね」

「ちなみにわたくしも水さえあれば一ヶ月や二ヶ月は平気ですわよ」

 つき返された冷たい言葉に乾は一転して哀れみの表情になる。

「おまえら・・・つまんねぇ形質してんなぁ・・・」

「ちなみにわたしは人間ですのでおなかがへってるです」

 言って愛子は辺りを見渡す。お昼時とあってうるさいほどに賑わっている駅前の商店街に立ち並ぶレストランや定食屋が彼女に来い来いと手招きしている気がした。

「はい、いま行くです・・・」

「だ、誰に返事してるんですの?しっかりなさい!」

 ふらふらと歩き出した愛子の肩を掴み止めて雪乃はぺちぺちと彼女の頬を叩く。

「はぅ!?お手数かけました・・・」

「・・・ははは、じゃあどこかのお店を探しましょうか。乾、どこの店がいいとおもいますか?」

「こういうときだけ俺にふるか。まぁいいけどな。じゃあそこの牛丼屋でどうだ?」

 指差した先にはひとすじ300年のあの店がある。

「・・・やはりあなたに振るのは間違いだったようですね・・・女性連れで牛丼屋・・・」

「いいだろ!?うまいじゃねぇか!安いし!量あるし!」

「・・・安いのは、いいことですわね」

 雪乃は顎に手を当てて思案する。はっきり言って彼女は貧乏だ。いずれはなんらかのバイトを始めて生活資金にしようとは思うものの仕送りが期待できない現状では学費以外は全て藤田から貰った餞別でまかなわねばならないのだ。

(・・・とりあえず、『ギュウドン』という食べ物がどんなものかを確認しなくてはいけませんわね)

 乾とナインが怒鳴りあっているうちに雪乃はそっと3人から離れて牛丼屋の前に来た。

(ははぁ、なるほど。牛のドンブリで牛丼なんですわね)

 店の前に張ってあったポスターを眺めて一人頷き、店内に目を向けると・・・

 バンッ・・・!

 と、音を立ててドアが開いた。そこから飛び出してきた男が脱兎の勢いで走り去る。

「はい?今のは・・・?」

 思わず呟いた雪乃の言葉が消えるより早く再度ドアがばんっとはじける。

「待てぇい喰い逃げ〜っ!」

 飛び出してきたのは背の低い女性だった。牛丼屋の制服らしいスカートをひるがえし、いっそ爽快なスピードで前の男を追いかけ・・・

「天誅!」

 ばっと1メートル近く跳躍して空中で鋭く踵を振り下ろした。

 パキュッ・・・!

「ぐぇっ・・・!」

 そのまま鈍い音と共に地面に沈んだ男の首筋をごきりと踏みつける。

「ふっふっふ、この遠藤さんが働いてるところで食い逃げなんていいどきょうねー?」

「ひぃっ!?殺さないで・・・!」

「うわっ!?あんた昔安浦で置き引きやってた奴じゃない!やっぱ懲りてなかったんだ!?」

 店員は叫びながら男の髪の毛を掴み、ずるずると引きずって店内に帰っていく。途切れ途切れの悲鳴が響き・・・

そして、絶対的な沈黙。

「・・・さて、どこで食事しましょうか!」

 雪乃は足早に残りの三人の所に戻り不自然に爽やかな笑顔で告げた。

「だから牛丼・・・」

「それは駄目ですわ・・・ええ、それだけは断固拒否します!」

 強く拒否された乾はちっと舌打ちをして背を向ける。

「ああそうかよ。じゃあ俺だけでもそっちで食うから好きにしな」

「あ、隼人さん!」

 振り返りもせず去って行く背中を呼び止めようとする愛子の肩を雪乃はぎゅっと掴んだ。

「さぁさぁ、わたくしたちはさっさとこの『ふぁみりーれすとらん』にでも入りましょう!」

「あ?え?あの、雪乃さん?」

 

 

<乾の昼・迷い子・→藤田雪乃>

 

「・・・ああ、認めてやるさ。あいつは、正しかった・・・」

 乾はそこに立ち、呆然と呟いていた。

 ぶらりと入った牛丼屋。別に特別なところの何も無い普通のチェーン店。

 そう、特別なところは無い。

 床に声も無く気絶している男が居たりしなければ。そして、肩から殺気のオーラをただよわしている店員が居なければ。

「いらっしゃいませ。ご注文をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 笑顔と殺気のコンビネーションに乾は額から汗を流して特盛りと卵を頼んだ。

 

 

 15分後。

「ごちそうさん」

 呟いて立ち上がった乾の前にすっと音も無く店員が立った。

「ありがとうございます。650円です。600と、50円です!」

 その視線が炎と化して燃え盛っている。

「お、おぅ」

 それに押されて乾は後ずさりながら財布を出し、じゃらじゃらとコインをカウンターに置いた。そのまま素早く店を出る。

「くそ、そういうことならさっさと言ってくれ・・・」

 今はいない雪乃に悪態をついて辺りを見渡す。おそらくどこかの店に入ったのだろうが探すのもなんだか気まずい。

「・・・とりあえず、どっかぶらついて時間潰すか」

 呟いても誰もつっこまなければ怒りもしない。それに寂しさを感じる自分に少し驚きながら乾は歩き出した。

 特に目的は無い。特に欲しいものがあるわけではないしウィンドーショッピングの趣味も無い。

(つまんねぇなぁ・・・)

 あっさりと商店街の端まで来た乾はそのまま適当な方向へ歩き出した。地理はよくわからないが、元の位置に戻れないということだけはありえない。

 ぶらぶらとやる気なく歩いていた足がふと止まったのは、十数分がたってからだった。

「・・・・・・」

 眉の間にしわを寄せて数秒立ち止まり、また歩き出す。

 ざっ、ざっ、ざっ・・・

 てけ、てけ、てけ・・・

 足音に耳を傾けながら再度足を止めると背後の足音もピタリと止まる。また歩き出せば足音もそれに続く。

(なんだ?あれか?監視って奴か?)

 乾は軽く息を吸い込み、そして。

「だっ!」

 一声叫んでいきなり走り出した。早いが、亜美子を助けたときと比べればずっと遅いダッシュ。

「!?」

 背後から息を呑む気配が伝わってきた。一瞬置いて。足音が早くなり・・・

 びたん。

「う、ぅぅぅぅぅぅぅ・・・!」

 何かが叩きつけられる音と押さえた泣き声。

「は?」

 予想とは違う展開に乾は思わず足を止め、振り向いていた。目に映ったのは地面に倒れた小さな少女。

少女は年にすれば4、5歳か。倒れたまま顔だけをこっちに向け、声を殺して泣きじゃくっている。

「な、なんだよおい。俺か?俺が悪いのか?」

 乾は動揺も隠せないまま呟き少女の元に駆け戻った。

「だ、大丈夫かよおい?怪我・・・そう、怪我とかしてねぇか?」

 やや乱暴に抱き起こされた少女は鳴き声をおしこめたしゃっくりのような音をたてながら目をごしごしとこすって涙を拭う。

「ぅぅ・・・」

 まだ潤んでいる小さな瞳に見つめられて乾はこちらも軽く唸る。

(困った・・・かなり困った・・・)

「大丈夫だな?大丈夫なんだな?じゃあ、俺はもう行くから・・・」

 さり気無く立ち上がって歩き出そうとした乾はシャツの背中をぎゅっと引っ張られてのけぞった。

「・・・おい」

「ぅ・・・」

 少女は口を固くつぐんだまま乾を見上げる。その右手は乾のシャツを力いっぱい握り締めており、離そうとしない。

「あのなぁ、俺になんかようなのか?」

「・・・はぐれた」

 しばしの沈黙の後に放たれた言葉に乾はしげしげと少女をみつめる。

「はぐれたって、誰とだ・・・?」

 なかば答えのわかっている問いに対する答えは、

「ママ」

 やはり予想通りであった。

「んで?なんで俺についてきてんだよ。助けたりしねぇぞ。俺は。他にあたんな」

「・・・・・・」

 少女は乾の言葉を聴いているのかいないのか、シャツを握ったまま動かない。

「おまえなぁ、他に誰か居るだろ?な?」

「ぁぅ」

 少女はぶんぶんと首を振って今度は両手でぎゅっと乾のシャツを握る。

「・・・俺がいいのか?」

「ん」

 少女はぶんっと首を振る。

「・・・しゃあねぇか」

 乾はため息と共に小さく笑った。

(迷子は・・・悲しいからな)

「わかった。俺が一緒に探してやる」

「!?・・・ありがとう・・・ございます」

 少女はぱっと顔を輝かせて乾のシャツから手を離し、深々と頭を下げた。その隙に逃げるという選択肢が一瞬だけ乾の頭をよぎったがすぐにそれをもみ消す。

「おう。やけに礼儀正しいな。で?母さんってのはどんな人だ?」

「美人」

 即座に、そして一言で言い返されて乾は沈黙する。

「・・・とりあえず、やる気は出たぞ」

 何度でも言おう。彼は健康でちょっと野生がむき出しな高校1年生だ。

「・・・所詮、犬畜生ですものね」

「ぬばっ!?」

 背後からの冷たい声に乾は思わず声を上げた。

「綺麗な、ひと」

 見上げている少女の呟きどおり、背後に整った顔立ちの少女が立っているのは間違いない。だが、その少女の額に青筋の一つも浮かんでいようこともまた、乾は確信していた。

(っつーか、俺は悪くないだろ?これはよぉ)

 心の中で呟き振り返ったそこに。

「まったく、男ってのは・・・」

 藤田雪乃は憤然と立っていた。

 

 

<落ち着かないときは・二人・藤田雪乃→>

 

 時間は10分ほどさかのぼる。

「あ・・・」

 フォークの使用を早々に諦めて箸でパスタをすすっていた雪乃は窓の外を見て思わず声を上げた。

「どうしました?」

「い、いえ、別に・・・」

 ナインの問いを曖昧にごまかして雪乃は残りの麺を口の中に押し込む。

「あれ?隼人さんですよ」

 だが、愛子はあっさりとその視線の先を見破って楽しげな声を出した。

「そ、そんな人が居るような居ないような気もしますわよね?」

 雪乃は動揺もあらわに口走り、ややひらきなおり気味に視線を窓の外に投げる。

見つめる先には、やや青ざめた顔で牛丼屋を眺めている乾が居た。

(・・・やっぱり、ちゃんと言っておいたほうがよかったかもしれませんわね)

 その様子に罪悪感を感じているうちに乾はポケットに手を突っ込み、つまらなそうな顔で去って行く。

(・・・別にわたくしが悪いわけじゃありませんわよ。ひとりで行ってしまったのは彼のほうですもの)

 ウェイトレスの持ってきた抹茶パフェを忙しく口に運びつつ・・・もちろん、箸でだ・・・雪乃はむぅと唸った。

(ええそうですとも!べ、別にわたくしはなんとも、その・・・)

「雪乃さん?」

「ふぇい!?」

 口の中にパフェのアイスを放り込んだ直後に不意打ちで声をかけられて妙な声を上げてしまった雪乃は白い肌をわずかに染めて声の主に目を向ける。

「な、なんですの?愛子さん」

 帰ってきたのは、優しい微笑と眼差しだった。心の中まで見通されているような澄んだ瞳に雪乃は思わず言葉を失う。

「落ち着かないときはですね?まず、動いてみるですよ。なにをしたいのかわからなくても誰にしてあげたいのかわかってるなら、まず声をかけてあげるですよ?」

「わ、わたくしは・・・べつにその、この程度のことですし・・・」

 窓の外にもう乾の姿は無い。

「藤田さん。たしかにつまらない事ですし放っておけば明日にはどちらも忘れてるでしょう。でもそれは、今呼び止めなくては永遠にこの違和感は解消できないってことですね」

 ナインの静かな言葉に雪乃は戸惑い、再度愛子に目をやる。

「はいです。わたしたちはこのあたりでぶらぶらしてるです。隼人さんを連れてきてあげてくださいです」

「・・・お願いします」

 ひとつ頷いて雪乃は立ち上がった。

「・・・ちなみにここのお代金は?」

「割り勘さんです」

「割り勘ですね。すいませんが」

 

 

 あわただしく雪乃が出て行った後、しばらくの間ぼんやりとその背を見送ってからナインと愛子は息をつく。

「さて・・・俺達のほうはどうしましょうか?」

「どうしましょうか?わたしはもうちょっとまったりして・・・」

 言いかけて愛子の口が閉じた。代わりに目が大きく開く。

(・・・何かを、見てるな・・・ここは、静かにしておくか)

 口に出さず呟いて見守るナインをよそに愛子は窓の外を食い入るように眺め、ばんっと勢いよく立ち上がった。

「あの、ナインさん!」

「ええ。行きましょうか」

 話を切り出す前に返答されて愛子は『はぇ?』と首をかしげる。

「なにか気になるものを見つけたんでしょう?さっきの藤田さんではありませんが、早く行きましょう」

「・・・はい!」

 嬉しそうに頷いて愛子はナインと共にレジに向かった。二人していそいそと会計を済まして外に出る。

「で?なにを見つけたんですか?」

「迷子を捜してるおかあさんです。とっても心配してるですよ」

 早足でさかさかと歩き、愛子は道端できょろきょろと辺りを見渡している女性に声をかけた。

「あの!お子さんを探すの、手伝っていいですか?」

 

 

<約束・氷蝶・変貌・霊眼>

 

「で?なんでおまえが居るんだよ藤田」

「そ、それは、その・・・く、くうき!そう、空気ですわ!なにやらこちらの方から幼児暴行の匂いが・・・」

 苦し紛れに雪乃が口走った言葉に乾は怒るよりもむしろ呆れ顔になった。

「おまえ・・・なんか変なもんでも食ったのか?」

「ぼるしちすぱげてぃーとかいうのを・・・って、そんなことはどうでもいいんですっ!問題は、その子ですっ!」

 びしっと指差されて迷子の少女は小さく震えて乾の後ろに隠れる。

「な、なんで隠れるんですの!?」

「おまえが怖いからだろ」

 乾はそっけなく言ってしゃがみこみ、目の高さを少女と合わせて軽く笑った。

「ちょっと気は短ぇけど、そんな悪い奴じゃねぇんだよこいつ。少し我慢してくれるか?」

 雪乃が何か言おうとするのを手で制して乾はじっと少女と見詰め合う。そして。

「・・・うん」

 少女はこっくりと頷いた。

「よし。じゃあ探そうぜ。母さんとはぐれたのはどの辺なんだ?」

「・・・わかんない。このへんだと思う」

 曖昧な答えを聞いて雪乃は自分もしゃがみこんだ。

「それで?おかあさまはどんなお顔なのかなぁ?」

「・・・ぅ」

 雪乃の問いに、しかし少女は答えない。

「な、なんで黙ってるんですの!?」

「馬鹿かおまえは」

 乾はぺちんと雪乃の額を指先ではたく。顔はやや呆れ顔だ。

「なにするんですの!?」

「子供だからって、ンな見下した態度してる奴ぁ十分に馬鹿だ」

 ぐっ・・・と言葉に詰まった雪乃に構わず乾は再度少女に向き直る

「なぁ、俺がおまえの母さんは見つけてやる。約束する。だから、おまえはそんな顔するな。お前は一人じゃないから、な?」

 少女は一度俯き、まだ瞳に溜まっていた涙を握った小さな拳でごしごしと拭う。

「・・・うん」

「よし。それじゃあ質問な」

 小さく、だがしっかりと頷いた少女に力強く頷き返して乾は改めて問いを放った。

「母さんとはぐれたのは俺とおまえがあった辺りなんだろ?で、母さんの顔とか着てるものとかは?」

「美人。黒髪綺麗。今日は紫の着物」

「・・・見てたら絶対に気づくような特徴ですわね」

 コミュニケーションを諦めて聞き役に回っていた雪乃の呟きに乾は一声唸って立ち上がる。

「そうだな・・・しゃあねぇ。地道に歩いて探すしかねえな・・・」

「それなら人数が多い方がいいですわね。愛子さん達もこちらに呼びましょう」

 あっさりと言う雪乃に乾は眉をひそめた。

「呼ぶったってどうやってだ?俺もあのキザ野郎も携帯なんざもってねぇぞ。おまえもだろ?」

「確かにもってませんわね。ですが、とりあえずこっちに来て欲しいことさえ伝えれば、愛子さんが見つけてくれますわよ」

 ちょっと嬉しげに言って雪乃はふと少女の方に目を向けた。

「・・・その子に、向こうを向かせておいてくれませんこと?」

「あん?ああ、そりゃあいいけどよ」

 首を捻りながら乾が肩を叩くと少女は素直に雪乃に背を向ける。

「では・・・」

 それを確認してから雪乃はすっと両手を胸の前で合わせる。髪が純白へ染まると同時に手の間に凍気が凝縮していき・・・

「お行きなさい」

 雪乃が手を開くと同時にそこから氷の蝶が生まれ、青い空へと飛び去っていった。

「な、なんだ?今のは・・・」

「氷蝶・・・まぁ伝書鳩みたいなものとでも思ってくれれば間違いではありませんわ。今日の天気ですと片道でしょうけどね」

 

 

 一方、愛子とナインは商店街のはずれで少女を探していた。

「見つかりませんねぇ」

「迷子は基本的にじっとしていないものですからね・・・目的地であるこの商店街から見失ったポイントまでをさかのぼってみるしか・・・おや?」

 ナインは疑問の声と共に空を見上げた。

「あ・・・あれは雪乃さんのですねぇ」

 つられて視線を上にやった愛子はそこに見知った雰囲気を感じて目をしばたかせる。

 やや長い距離を飛んできた影響で半ばまで解け、形を失いかけていた氷蝶はその愛子のところへ水を滴らせながら降下し、彼女の掌でくたりと羽を寝かせる。

「何か書いてありますね・・・」

 ナインは溶けて読みにくい文字に苦労しながら短いメッセージを読み上げる。

「迷子保護してます援護求む」

 二人は思わず顔を見合わせた。くるっと首を背後に向け、少し離れたところで通行人に娘を見なかったかと尋ねている母親を眺める。

「・・・これで人違いという偶然は、いくらなんでもないでしょうね」

 ナインは呟き、愛子の手の中で溶け崩れた氷蝶にため息をつく。

「とはいえどうやって藤田さんに連絡をとりましょうか」

「・・・ナインさん」

 愛子はやや真剣な顔で声を潜めた。

「あの、わたしの目の事、気付いてますよね?」

「・・・ええ。俺が生まれた国ではそういう目の事を妖精眼・・・フェアリーアイと呼んでましたよ。妖精の女王の祝福を受けた目だと」

「雪乃さんや隼人さんなら何キロ先に居ても見つけられるんですけど・・・障害物があると、見通せる距離がずっと少なくなっちゃうんです」

 口を閉じ、きょろきょろとあたりを見渡す。

「えと、そこの電信柱の上ならだいぶ先まで見通せそうなんですけど、なんとかわたしでも登れる方法ってありますか?正攻法以外で・・・」

「そうですね・・・わかりました。ある意味非常時ですからね。すこしズルをしましょうか」

 ナインは呟いて着ていたシャツのボタンを手早くはずしていく。

「な、ナインさん!?」

「驚かず、妖精眼で俺を見ていてください」

 言い置いて今度はズボンのボタンをはずしてベルトを緩める。背後の母親がまだこちらに注目してないのを確認し・・・

「35−M−16」

 ナインは小さな声でそう呟いた。瞬間、その長身が光に包まれる。

「え・・・っと」

 こちらも小さく呟いて愛子は目をぱちぱちとしばたかせた。変わらず目の前に立っているナイン・・・だが、その顔も体格も、全く別人のそれになっている。

「時間がありません、掴まってください」

筋骨隆々とした巨漢と化したナインに言われて愛子は視界を幻想寄りに切り替えて身をゆだねた。

 愛子の妖精眼にうつっているのはいつもと変わらぬナインのシンボルだが、実際に体に触れているのはゴツゴツとした、普段とは似ても似つかぬ筋肉質の腕である。

(しかし、人前で変わるとは俺も舞い上がりすぎか・・・?)

「あ、あの、ナインさん?」

「登山家の体です。これくらいの柱、あなたを抱えていても楽勝ですよ」

 と小声で言ってからナインは愛子を片手で抱えてするすると電信柱を登りきった。

「さあ、お願いします」

「あ、はい!」

 愛子はひとつ頷き、普段は無意識にかけている制限を慎重にはずす。

(ほぅ、まるで真昼の月のようだな・・・)

 真円を描いた瞳が黄金の輝きを帯びているを眺めてナインは興味深げに心中で呟く。

「えぇと、どこでしょう・・・見つけたですよ!」

 

 

<笑顔・4人組・同居人>

 

「・・・名前」

「ん?」

 愛子たちが来るのをぼーっと待っていた乾はくいくいとシャツを引っ張られて視線を少女に向ける。

「名前?」

「名前?俺のか?」

 少女が小さく頷くのを見て乾は肩をすくめた。

「隼人だ」

「ちなみにフルネームは犬隼人ですわ」

 雪乃のまぜっかえしに思わず拳を握った乾は口元をひきつらせながら何とか激昂をこらえる。

「・・・乾隼人だ」

「・・・隼人ちゃん」

 少女は満足げに呟いて今度は雪乃に視線を向ける。

「ぁぇ・・・」

「だから!なんでわたくしの時だけそんなおびえてるんですのっ!?」

「・・・だから、怖ぇえんだって」

 乾はニヤニヤと笑って雪乃にからかいの目を向けた。

「多分お前、通りかかっただけで犬が吠えるタイプだな」

「くっ・・・ええ、その通りですわよっ!ほっといてくださいな!」

 雪乃はぷーっと膨れながらそっぽを向く。

「・・・ぁは」

「お?今笑ったか?」

 乾は自分も笑顔で少女の隣にしゃがみこんだ。

「おもしれーだろ?こいつ。名前は藤田雪乃ってんだ」

「うん、藤田さん」

「俺はちゃんでこいつはさんかよ・・・」

 複雑そうな顔で呟く乾に雪乃は軽く笑みを作った。

「それだけ親しまれてるんですわよ。わたくしには逆にうらやましいくらいですわ」

「・・・ま、そうかもな・・・よっと!」

 言いながら乾は少女の体を抱え上げ、かたぐるまをしてみる。

「ぁわ、ぁは?」

 少女は戸惑った声を笑顔に変えて乾の頭にしがみつく。

「まったく、あなたは鬼島さんですか」

 雪乃はその無邪気な笑顔に自分も顔をほころばせた。乾はこちらも軽く笑って通りの向こうに目を向ける。

「お、森永達が来たぜ」

「ええ・・・あら?」

 パタパタと走る愛子、その後ろをゆっくりやってくるナインと、その傍らに居る・・・

「ママ!」

「・・・!?あの人・・・か?」

 頭の上で歓声をあげる少女に乾は顔を引きつらせた。

「ええ、俺も驚きましたよ」

 やってきたナインも同じような顔で呟く。

「弥生ちゃん、かってにどこか行っちゃ駄目どすえ?」

 のんびりと乾に近づき、母親は彼の頭の上の少女に笑顔を向けた。

「・・・うん。ごめん」

 少女は照れたような表情で乾の頭から母親の腕の中に飛び移る。

「それにしても愛子さん。まさかこんな早くお母様の方を見つけてくださったんですの?」

「いえいえ、わたしの方もお子さんの方を探しているところだったんですよー」

 のんびり言葉を交わす二人をよそに男二人は複雑な表情で母親と向き合った。

「・・・あんた、昨日の・・・」

「・・・管理人さんですよね?」

「あらぁ?」

 母親はくいっと首をかしげて微笑む。

「ようやく気付いたんどすか?」

「いえ、俺は普通にきづいてましたが」

 ナインの言葉を聴いているのかいないのか母親は笑顔のままで目だけが真顔になる。

「ちなみに、うちもみなさんの監視役やったんですけど、気付いてはりました?」

「・・・ぬかりました」

 呟いて苦笑するナインとは対照的に乾は苦い顔だ。

「・・・娘の方もか?」

「・・・隼人ちゃん、怒ってる?」

 途端にしゅんとする少女に乾は一瞬だけ黙ってから首を振る。

「いや、んなこたぁねぇよ。ほれ、言っただろ?そんな顔すんなって」

「ぁは!」

 髪の毛をくしゃくしゃとかき混ぜられて笑顔を見せる少女を優しく見守り母親は満足げだ。

「弥生ちゃんは関係ありまへんで。親子連れを装うつもりやったんですけど、ほんまにはぐれてしまったんどす」

「・・・うん」

 子の頭を愛しげに撫でる母と、それに目を細める娘。

 完全なる親子の肖像に4人はそれぞれの表情で笑みを浮かべる。

 その顔に共通するのは、羨望。

「ところでみなさん、街中で能力つかいまくってはりましたなぁ?」

 そこへ不意打ち気味に母親・・・管理人の一言。

「・・・俺は使ってねぇぞ」

 乾の発言は、誰も聞いてない。

「えと、ペナルティとかあったりです?」

「だから、俺は使ってない」

「まさか週末つぶしなんてことありませんわよね?人助けですわよ?」

「俺はなんの能力も使ってないっての!」

「隼人ちゃん、みんな聞いてないよ」

 乾はぐっと言葉に詰まってそっぽを向く。

「ええですか?監視していたのがうちやったから不問やけど、ああいぅばればれなのはせぇへんようにしてな?」

「・・・はいです」

「・・・留意します」

「・・・気をつけますわ」

 管理人は三人に頷きを返し、乾に目を向ける。

「それと乾くんは・・・」

「だから!俺はだなぁ!」

「弥生ちゃんと仲良くしてあげてくれへんか?」

 乾はきょとんと目を丸くした。数秒の沈黙を経て、そして・・・

「おう、まかせときな・・・!」

 

 

 その夜。

「隼人ちゃん、おやすみなさい」

「おう」

 丁寧にお辞儀をして管理人室へ帰っていく弥生に手を振って答えて乾は自室へ・・・二人部屋の402Bに戻る。

 ドアを開けると、備え付けの二段ベッドの上で本を読んでいたナインがそれに気付いて身を起こす。

「・・・なんだよ」

 視線を向けられた乾は居心地悪そうに毒づいて壁にもたれて座った。

「・・・正直、意外でした。子供の面倒見るのが上手いタイプとも思えませんでしたからね」

「別に得意ってほどじゃねぇよ。ただ・・・迷子ってのは、いやな気分になるもんだからな」

 再度満ちた沈黙を、今度は乾が破った。

「おまえこそもっと世渡り上手なタイプに見えたけどな。街中で堂々と能力使ったらしいじゃねぇか」

「・・・彼女の必死さに影響されたのかもしれませんね」

「森永か。確かにあいつ見てるとなんか危なっかしくて黙ってられねぇな」

 三度目の沈黙。

「あなたは藤田さんの方がお気に入りなのでは?」

「ば、馬鹿言うな!どこをどうみたらそういう結論になるんだよてめぇは!」

「どこをどう見てもそういう結論になると思いますが・・・まぁそれは置いといて・・・」

 ナインはベッドを降りて乾と正面から向き合った。

「なんだよ?」

「ナインハルト・シュピーゲルです。生まれはドイツ、種族はドッペルゲンガー。よろしくお願いします」

 言って手を差し出すナインに乾はやや呆然する。

「あなたは暫定的になら友として扱って問題ないと判断しましたから。確か日本語では腹を割って話す、というんでしたか?」

「・・・乾隼人。仮の苗字だけどな。種族は獣人」

 乾はナインの手を軽く握り返してすぐに手を離しそっぽを向いた。

「ったく、やめろよな・・・こういうこっぱずかしい儀式はよ」

「そう、そこですよ。あなたは基本的に恥かしがり屋なだけなんですね。あの小さなレディへの対応でわかりました」

 乾はちっと舌打ちしてその場に不貞寝するように寝転んだ。

「ったく。俺もついてねぇぜ。こんな奴と毎朝顔を合わせるのかよ」

「ははは、まったく、君と同室なんてなんの冗談でしょうね」

 互いに小さな笑みを言葉に乗せて、二人の少年は新しい生活の第一歩を踏み出した。