<バスでGo!・ルームメイトは?・とりあえず海>

 

「あ、雪乃さん。海ですよ〜」

「!」

 愛子のほんわかボイスとは対照的な鋭い動きで雪乃はべたっとバスの窓に張り付いた。

「こ、これが・・・海・・・お、大きいですわ・・・!」

 山育ちの雪乃は口をぱかっと開けて呆然と窓の外に広がる青に声を漏らす。

「は〜いはい、もうすぐホテルに着くからねぇ?着いたらイイコトしてあげるからねぇ」

「・・・点呼と部屋割りです」

 緋文美教師と美文教師のやりとりも耳に入らない様子で生徒達は近づいてくる海に歓声をあげ続ける。

 そんな車内を見渡しながら乾隼人はボキボキと首の骨を鳴らしてナインに話しかけた。

「しかし1年で臨海学校、二年のときに修学旅行、三年は任意で林間学校・・・金かかりすぎだろ。仕送りすくねぇのに」

「俺も今は収入がありませんからね・・・それは同感ですが、旅行の規模を考えれば破格の安さですよ。補助金があちこちから出てるそうですので。全額払えなどといわれればこんなものではありません」

 苦笑まじりにそう言ってナインは通路の向こう側に座っている愛子に向き直った。

「ところで、森永さんは海、来たことがあるんですか?」

「はいです。小さい頃は毎年のように転校してたですから、海の近くに住んでいたこともあるですよ」

 ナインはほぅと呟いて目を細める。

「それは、大変でしたね」

「いえいえ、ナインさんほどじゃないですから〜」

 邪気の無い一言にナインは肩をすくめた。

「わかるんですか?」

「ナインさんには、いろんな国の風がついてきてくれてますですよ」

 車内に歓声があがった。見えてきたホテルがかなり豪華なものだったのだ。

「・・・あなたも、望まず移動を強いられてきたのですか?」

「わたしは問題の多い子供でしたので、周りのかたがたにいっぱい迷惑をかけちゃうですよ。どうしても長い時間は・・・ですね」

 暗い台詞に、しかし表情は変わらずニコニコしたままで。

「あ、そろそろ到着ですねー」

 言っていそいそと手荷物をまとめ始めた愛子にナインはふむと思考をめぐらす。

(ふっきれてる?あきらめている?いや・・・もっと根本的に・・・)

「おらナイン!網棚の鞄おろしやがれ!」

「やれやれ・・・人が物思いにふけってる時に失礼な男ですね・・・ 

 会話を、叫び声を、笑い声を詰めたバスはこれから3日を過ごすことになる海へとやってきた。

「楽しいはずの旅行が鮮血と悲鳴に彩られたものになるとは、その時点では誰も予想しては居なかったのだ・・・」

「アミちん何言ってんの?」

「お約束だよっ!」

 

 

 ホテルに到着した一年生たちはクラスごとに分かれて点呼を済ませてそれぞれ割り当てられた部屋に向かう。

「では隼人さん、ナインさん。また後でです」

「ええ、夕食までの2時間は自由だそうですのでその辺を歩きましょう」

「乾、はしゃぎすぎて部屋を壊すんじゃありませんわよ」

「壊すかっ!てめぇこそオートロックのドアに締め出されるんじゃねぇぞ!」

「おおとろっく?」

 きょとんとした雪乃に構わず乾とナインはさっさと自分たちの部屋へと向かう。

「大トロ食う?」

「雪乃さん、微妙に混乱してるですね」

 愛子は笑顔で雪乃の手を引いてこちらも歩き出した。

「おいしいですわよ?大トロ・・・」

「そうですねー、おいしいですねー」

 限りなく脱線していく雪乃の思考回路に相槌を打ちつつ愛子はエレベーターに乗る。

「えっと、何階さんでしたっけ」

「鮪・・・あ、5階ですわよ。503ですわ」

 愛子はぷちっとボタンを押して雪乃に向き直った。低い作動音と共に動き出したエレベーターの中でくいっと首をかしげる。

「雪乃さん、お体はだいじょぶさんですか?」

「別にわたくしは何も・・・と言っても誤魔化せませんわね」

 反射的に首を振りかけた雪乃は愛子の瞳に金色が混じっているのを見て苦笑した。

「さすがに夏というものはきついですわね。暑いとは聞いておりましたがここまでとは・・・霊力を全開にしてる反動で時々頭の働きが悪くなりますし・・・」

「冷たいものでも飲むですか?」

「後でカキ氷でも買って食べますわ・・・つきましたわね」

『5階です』

 到着を知らせる電子音声に雪乃はびくっと震えてから深々と頭を下げる。

「これはご丁寧に・・・」

「ありがとうございますです〜」

 何故か愛子も一緒になってエレベーターのボタンに頭を下げて二人は廊下に出た。てけてけと歩いて503号室へとたどり着く。

「ん?・・・森永と藤田か」

 4人部屋のそこには既に先客が二人いた。腰まである美しい黒髪が印象的な少女と小柄な体と丸い眼が目立つ少女が会話を止めて愛子たちを見る。

「カンさんと伊成さん、二日間よろしくです〜」

「あなた方なら落ち着いてくつろげそうですわね」

 彼女たちのクラスでは珍しい良識派の関美龍とおとなしい伊成きつねの取り合わせに雪乃は満足げに頷く。

自分も良識派だと思っている彼女が一般的には変人のカテゴリーに入っていることを本人は気づいていない。

「うむ・・・楽しむべきときには楽しむ、休みべき時には休む。それでこそ大人というものだ」

 美龍はそう言って静かに笑いベッドに腰掛けた。その膝に伊成がちょこんと座る。

「・・・ん」

 満足げな顔で足をぷらぷら揺らす伊成に困惑の視線が二対そそがれる。一人ニコニコしているのは当然愛子だ。

「・・・伊成、なにをしている?」

「こん?」

 きょとんとした眼で見上げられて美龍は困った顔で黙り込んだ。

「関さん達ってそういう関係だったんですの・・・?」

「そういう藤田達も同じような噂を立てられているのだがな?」

 確かに、と軽く苦笑して雪乃は荷物をあいているベッドのわきに荷物を置く。

「さて・・・わたくし達は軽く散歩でもするつもりなのですが、関さん達も来ますか?」

「美龍でいい。気持ちは嬉しいが、伊成が眠そうなのでな。ついててやろうと思う」

「・・・こん」

 頭を撫でられた伊成は気持ち良さそうな顔で美龍にもたれかかった。

「では、いってくるです」

「いってきますわ」

「うむ。気をつけてな」

 重々しく頷く美龍に手を振って二人は廊下に出る。

「・・・道ならぬ恋人というよりは、親子ですわね。まるで」

「はいですねー。可愛らしいですね〜伊成さん」

 

 

 一階ロビーのソファーにだらーっとした姿勢で沈んでいた乾はエレベーターから愛子と雪乃が降りてきたのを見て体を起こした。

「おめぇら遅いぞ〜」

「おまたせさんです〜」

「いえいえ、俺達も今来たばかりですから」

 ぱたぱた走ってきた愛子にナインは笑顔を見せてから立ち上がる。

「そういえば男子は6人部屋でしたわね。他はどんなメンバーでしたの?」

 数歩遅れてやってきた雪乃の台詞に乾は肩をすくめた。

「川井、水城の馬鹿コンビに牟寺名と御越・・・さらば安眠ってヤツだぜ」

「あなたに言われるのもなんでしょうけども、たしかに騒がしそうなメンバーですわね」

「ええ。とりあえず俺が何故そのメンバーに混ぜられているのかが疑問なのですが・・・」

 ナインのぼやきに愛子は困った笑いで答えない。

「なに言ってんだよ。むしろハードボイルドな俺が何故馬鹿部屋行きに?」

「君のどこがハードボイルドなんですかね?」

「全部だっ!」

 愛子はそのかけあいに目を細め、苦笑を浮かべる。

「このあたりが理由だと思うです」

「・・・二人で一緒だと、途端にうるさくなるんですわよね・・・」

 雪乃も軽く苦笑した。

「さ、早く行きましょうか。早く、少しでも早く」

「そーだねっ!海が呼んでるよっ!」

 答えたのは、無意味に元気な声と突き上げられた握りこぶしだった。

「ぐわっ・・・!またおまえか不破!」

「アミちん、今日も元気っ!」

 叫びながら不破亜美子はYeah!とバンザイをする。

「こんにちはです亜美子さん。亜美子さんもお散歩さん、いかがですか?」

「こら森永っ!勝手に・・・!」

「うん、行くよっ!はーくんと一緒っ!」

 文字通り飛び跳ねながらそんなことを叫び続ける亜美子に乾は深く長いため息をついた。

「くそ・・・いつもこのパターンじゃねぇか」

「あなたごとき犬畜生にかまってくれる女の子がいるだけでも幸せと思うべきですわ」

 棘のある台詞に乾はむっとした顔で唸り声を上げる。

「だから俺を犬とよぶんじゃねぇっつうの・・・!なんだ今回は畜生までつけやがって・・・」

(・・・鈍感だな、隼人・・・)

 ナインは心の中で肩をすくめながらいつものように愛子に向き直る。

(まぁ、藤田さんのように直球勝負な子も嫌いではないけど俺はやっぱりスローな変化球の方が好みだな)

「で、森永さ・・・」

 居ない。

「秋野さ〜ん、こんにちわです〜」

「・・・?・・・、・・・・・・。ああ、こんにちは・・・」

 ふらふらと歩いていたクラスメートに駆け寄って挨拶をしている愛子の背を眺めてナインは一人苦笑した。

「変化球、というより消える魔球、もしくは隠し玉ってところですかね?」

「なに言ってんだ?おまえ」

「いえ。そろそろ行きましょう。このまま彼女を放置しておくと際限なく人数が増えそうですから」

 

 

<雪乃と海・海の家『浜里』・存在の虚偽>

 

 

「しかし暑いですわね・・・」

「おう、最高だな!」

 ややぐったりしている雪乃とは対照的に乾は跳び跳ねんばかりの元気さだ。

「あはは、海風がきもちいーねっ!」

 こちらは本当に飛び跳ねながらついてくる亜美子の姿に雪乃はぐぅっと顔をしかめる。

「余計暑くなるからやめてくれませんこと?ばるばるばー・・・」

「ばる・・・?」

「え、えと!不破さんは海、好きですか!?」

 謎の単語にきょとんとした亜美子に愛子は慌てて話しかけてごまかした。

「え?海?うーん、亜美ちん海は好きなんだけど、来たことはあんまりなんだよっ」

「俺は山育ちだけど海には結構来てたな・・・」

 乾は呟いて顔をしかめる。

「ああ、くそ・・・やなことばっかり思い出す」

「ん?はーくん、海嫌いなのかな?」

 ちょっと困ったような表情になった亜美子に乾はバタバタと手を振ってみせた。

「いや、海っつーか水は好きなんだよ。今回はあいつらと一緒ってわけじゃねぇし」

「ふっ、やっぱり犬かきで泳ぐんでしょうね?おほほほほ・・・ほ・・・」

 雪乃は精一杯背筋を伸ばして高笑いをあげ・・・

「きゅ・・・」

そのまま真後ろに倒れ込んだ。

「ゆ、雪乃さん!」

「な、なんだ!?おい、どうした!?」

「な、なんでもありま、ま、まつい・・・」

「松井?巨人かなっ?」

「多分『暑い』、だと思いますよ」

 涼しげな顔でそう言ってナインは手でぱたぱたと雪乃に風を送る。

(以前森永さんが彼女のことを『雪の人』とか言ってたが・・・なるほど、スノーマン・・・スノーウーマンか?なのだな)

「あわ、あわわわわ、ゆ、雪乃さん!雪乃さん!死んじゃ駄目なのですッ!」

「なに!?し、死ぬのかコイツ!?」

 ゆっさゆっさと雪乃の体を揺らしながら口走った愛子の台詞に青ざめた乾の額を白い手がびたんっとはたいた。

「この程度で・・・死にませんわよ馬鹿犬・・・」

 雪乃はふらふらと立ち上がり大きくひとつ深呼吸をする。

「落ち着きましたわ・・・」

「・・・何なんだよ一体。暑いの駄目なのか?」

「隼人、それは見ればわかるでしょう?種族の特徴についてはあまり聞かないのがわれわれのルールですよ」

 ナインにたしなめられて乾は不満そうにだが口をつぐむ。

「雪乃さん、とりあえずあそこに海の家がありますからアイスでも買って食べましょう」

「海のYeah?

「家です。それがよさそうですね森永さん。ちょっと行ってみましょうか」

 雪乃のボケをさりげなく受け流してナインは乾の肩をぱんっと叩く。

「隼人、藤田さんを背負ってください」

「な、何で俺が!おまえがやりゃあいいだろう!」

「そうそう、はーくんはあみチンを背負うんだよっ」

 言いざま背中に飛び乗ってきた亜美子に乾はぬぉっと叫んで前のめりになる。

「・・・愛子さん、軽く支えていただけます?この超絶愚鈍変態駄犬に背負われるのは三全世界が崩壊しても嫌ですので!」

「んだとこら!?っていうよりお前も降りろ!不破!」

「ん〜、はーくん背中が筋肉質でせくしーだねっ!」

「隼人、あきらめなさい。で・・・大丈夫なのですか雪乃さん?俺が背負ってもいいですよ?」

「ええ、冷たいものが補充できるならいくらでも無理がききますので」

 雪乃は小さく微笑んで愛子に支えられながら海の家にむかって歩き出す。その傍らにいつでも手を貸せるよう身構えているナインが、後ろに結局不破をおんぶしたままの乾が続いた。

 小屋という表現がぴったりのひなびた海の家に足を踏み入れた雪乃たちはぺたんっと椅子に腰掛ける。

「ふぅ、日陰は涼しいですわ・・・」

「大丈夫ですか?雪乃さん」

 心配げな愛子に雪乃は弛緩した顔でパタパタと手を振って見せた

「ウォウ、ジャア、モウマンタイ・・・(訳:私は大丈夫です)」

「・・・やっぱり駄目みたいですね・・・」

「ご注文聞くっす!」

「カキ氷!シロップは何でもいいからすぐに3杯以上お願いしますわ!」

「あはは、勢いって大事っすからね。すぐ持ってくるっす」

 パタパタとサンダルで床を叩きながら頷くエプロン姿に一同は等しく黙り込んだ。

「・・・神戸さん?」

「こんにちわっす皆さん。楽しんでるっすか?」

 一足早く我に返ったナインの声に神戸由綺はびしっと手をあげる。

「おまえ、なんでこんなところでそんな格好してやがんだ?」

「ん?はーくんってエプロン萌え派なのかなっ!?アミちん、裸エプロンしてもいいよ?」

 不必要に陽気な亜美子にうっと口ごもった乾に軽蔑の視線を浴びせて雪乃は由綺の方に向き直る。

「その辺の追求にも興味がありますけど、とりあえず冷たいものを・・・」

「ああ、ごめんなさいっす。他の人たちもカキ氷でいいっすか?」

「ええ、隼人はほっとくとして・・・森永さんと不破さんはどうですか?」

「いいですよ〜」

「うんっ!べりべり大好きっ!」

 由綺は元気な返事に楽しげな顔で頷いて店の奥に引っ込み、5分とたたず人数分+5杯のカキ氷を持って帰ってきた。

「おまたせっす」

「早ぇえ!しかも無茶苦茶いっぱいありやがるっ!」

 がうっ!とつっこむ乾に由綺は爽やかに笑ってひょいひょいと各自の前にカキ氷を置き、そのまま自分も手近な椅子に座り込む。

「さささ、遠慮なく食べるっすよ」

「いや、言う前から食ってる奴が一人居やがるしな」

 そう言う乾の視線の先には流し込むようにカキ氷をむさぼる雪乃が居る。

「み、見てるだけで頭が痛くなってきやがる・・・!」

(と、いうか・・・共食いなのか?)

 ナインはなんとなく怖いことを考えながらカキ氷を口にはこび、思い出したように由綺に声をかける。

「で?何故そんな格好でここに居るんですか?」

「ああ、知り合いの店なんで手伝ってるっすよ。シーズン中はほとんど休みがないってぼやいてたんで」

「・・・知り合い?」

 瞬く間に3杯のカキ氷をながしこんだ雪乃は不思議そうな顔で首をかしげる。

「はいっす。ボク、ここに実家があるっすから。正確にはもうちょっと向こうの漁港っすけどね」

「ああ、そういえば神戸さんは海の人さんですね」

 愛子はニコニコと頷きながらカキ氷をかきこみ、そのままこめかみを押さえて悶絶する。

(海の人、ね)

 ナインは脳裏のメモにその情報を書きとめながらあえて別の話題に切り替えた。

「ところで藤田さん。もう体は平気なのですか?」

「ええ、もう大丈夫ですわ。はじめてバスで移動したもので、ちょっとはしゃぎすぎてしまって・・・力を使いすぎてしまいましたわ」

 4杯目にスプーンを差し込みながら答える雪乃に乾はあきれたように首を振る。

「しかし不便な形質してやがるなぁおまえ。明日の海水浴、来れるのかよ」

「大丈夫ですわよ。ちゃんと冷たいものさえ摂取して体温を下げれば問題ありません。水の中ならもっと楽でしょうし」

「学園の方で冷却用のドリンクを用意してるそうっす。今晩にでも届くそうっすから明日は忘れず水筒を持ってってくださいっす」

 由綺はぐっと意味のないガッツポーズでそう言ってから、ぶんっと振り返った。

「いらっしゃいっす!」

「あれ?神戸ちゃんだ」

 入ってきたのは、すらりと背の高い少女だった。ショートカットの髪が傾げられた首と一緒にさらさら揺れる。

「ああ、ヒライさん。いらっしゃいませっす。ささ、ここ座るっすよ」

「あ、いいの?」

 ヒライという少女は大きな目をきょろきょろと動かした。

「はいです。どうぞどうぞさんです〜」

 愛子が勢い良く頷くのを見てヒライは満面の笑みで彼女たちのテーブルにつく。

「神戸ちゃん、ひょっとして店員なの?」

「うぃっす。ご注文どうぞっす!」

 ぐっと拳を握る由綺にヒライはおおっとわざとらしくのけぞった。

「バイト、カコイイ!」

「はい?」

「あはは、ネット用語だよ由綺ちん。逝ってよし!」

 亜美子は叫びざまヒライとがしっと握手などする。

「とりあえずこの話題はあぼーん」

「自作自演クン発見!」

 繰り広げられる謎の会話に乾はやや引きがちに口を挟む。

「・・・っていうか、おまえ同じクラスだよな?つーことは・・・」

「うん、アザーズだよ。っていうかね、ユミの顔、見たことない?」

 そう言って自分の顔を指差すヒライに全員の視線が集まった。

「・・・なんか、見たことあるぞ・・・思い出した!テレビのコマーシャルだ!」

「うん、アミちんも知ってるよっ。歯磨き粉かなにかの宣伝だね」

 乾と亜美子の叫び声に雪乃は目を丸くする。

「で、では、あなた芸能人というモノなのですか!?」

「正確にはデジタルアイドルっていうんだよっ」

 亜美子の補足にヒライはうんと頷いた。

「そう。CGで作られた架空のアイドル・・・の、さらに偽者がこのヒライユミだよ」

「・・・偽者?」

 ナインの問いにケラケラと笑う。

「みんなが見たことあるのはもちろん本物の方だね。で、そのデータをもとにどこぞのオタがパクリっていうかパチもんっていうか・・・そういうのを作ったの。で、公開されたデータがいじられたり追加されたりして、そのうち弾みで自我が出来たのがユミだよ。あ、神戸さん。ユミ、オレンジジュースね」

「はいっす」

 愛子はその瞳にぼんやりと金色の光を宿しながらヒライを眺めていたがしばらくしてぽんっと手を打つ。

「なるほどです。だから0と1しか見えないんですねー」

「・・・プログラムっていうのは、最終的には二進数に変換されますからね・・・」

 ナインは呟き、なかば溶けてしまったカキ氷を発泡スチロールのカップに口をつけて流し込む。

「しかし憑喪神系としてもかなり稀有な例ですね。実体がないという点では俺もそうですけど」

「あ、そうなんだ。シュピーゲルちゃん、仲間なんだね」

 ヒライは嬉しげにナインの手の甲に指を這わした。艶かしい感触にナインのうなじの辺りにぞくっと快感が走る。

「・・・ヒライさん?」

「を?これは失礼。改造されるうちに18禁なプログラムも一杯抱え込んじゃってて。いろんなプレイできるよ。ユミ」

 あちゃあと舌を出すヒライにナインは苦笑気味に首を振る。

「別に構いませんけどね。役得というものです・・・そうですね・・・仲間、なんですね」

 呟きには、陰が濃い。

(存在がない・・・ナインと呼ばれるべき・・・我々)

「・・・ナインさんも、ヒライさんも・・・偽者さんなんかじゃないですよ。わたしには、ちゃんと見えてますよ」

「え?」

 囁くような声に、ナインは思わず声を漏らしていた。

「はい?」

 彼にしては珍しい動揺の視線で見つめられて愛子はくいっと首をかしげた。

「どうした?ナイン」

「・・・いえ、なんでもありませんよ」

 乾の問いにナインは作り笑いで首を振る。

(気のせい・・・ですね)

「まぁ、ユミはユミでマターリとやってるよ。念願のお肉製ぼでぃーも手に入ったしね」

 ヒライは戻ってきた由綺から紙コップを受け取りニコっと笑う。

「だから恋の一つもしてみようって感じなのさ。とりあえず、シュピーゲルちゃん・・・萌え!」

「・・・はぁ」

 ナインはやや呆れたような声を漏らした。それを見たヒライはパチッとウインクなどして親指を立てる。

「でも、シュピーゲルちゃんは森永ちゃん萌え?」

「ええ。まぁ好みではありますが」

「ふぇっ!?」

 のほほんと会話を見守っていた愛子は思いがけない方向からの一撃に力いっぱいのけぞる。

「・・・愛子さん。こっちいらっしゃい」

「そう怖い眼で睨まないでくださいよ藤田さん。とりあえず、180歳近く年の差がありますし、親の愛みたいなものだと思ってください」

「180!?」

 

 

<お泊り・男部屋女部屋・否鏡>

 

 

「180ですわよ?180!愛子さんや私は16歳ですから推定で200歳近いんですわよ!?ナインさんはっ!」

 興奮気味の雪乃の声がホテルの部屋内に響き渡った。

「まあ落ち着け藤田。もう夜も遅いぞ」

 ベッドに横たわったまま苦笑したのは関美龍だ。胸元に抱きついたまま一緒に寝ていた伊成も無言のままこくこくと頷く。

「驚異的な若作りですわ・・・」

「年をとらない異族・・・日本ではアザーズだったか?など珍しくも無い。吾は七十と少ししか生きておらぬが、この伊成は齢五百を越えているらしいぞ」

「こん」

 衝撃の告白に雪乃は『うげ』と少女らしくない声を上げた。

「まあ、封じられていた堂から山の中を眺めてるだけだったそうだから人間としては貴殿らと大差あるまい」

「・・・伊成さんって、狐ですわよね?なんだかそのまんまですわね」

「正確には稲荷神だ。吾と同じく名ばかりの神だがな」

 美龍の言葉に雪乃は眼を丸くする。

「あら、関さんも何かの神様ですの?」

「・・・一応、関帝聖君の端くれだ」

 そう言った美龍は恥ずかしげに肩をすくめた。

「・・・わたくしの記憶違いでなければ、関帝聖君というのは関羽という中国の武将が神格化されたものと聞いております・・・男・・・だったと思うのですが・・・?」

「・・・うむ。信仰してくれている者が多い分、バリエーションが多くてな・・・実は女だったなどという妙な説があったらしい。他の多くの神籍者と同じく吾も自分がいつから居るのかわからぬ故その辺はさだかではないのだが・・・」

「こん」

 すりすりと頭を胸元に擦り付けてくる伊成をなんとなく撫でながら美龍は苦笑する。

「まぁ、大老・・・ああ、一般的に信仰されている関帝聖君である方なのだが、それほどになれば相当の力があるが、私のようなマイナーな神では武術の腕が多少立つ程度だ。あまり気にしないでくれ」

「・・・愛子さんの目には彼女たちはどう見えてますの?」

 雪乃に話を振られて愛子はちょっと首をかしげる。

「稲荷さんはそのまま狐さんです。美龍さんは・・・そのままですね〜。ただ、気を緩めると神氣がまぶしいです〜」

 のんびり言ってくる愛子に美龍はふむと呟いた。

「そこまでの霊眼は稀有だな・・・奴が気にかけるのも頷ける」

「・・・奴?」

 途端、雪乃の頬がぷくっと膨れる。

「むくれるな。ないんはると・しゅぴーげるのことだ。そもそもこれはそういう話だったのだろう?」

「そうですけど・・・!」

 雪乃が言いかけたときだった。

「おーい、おきてるかなっ!?」

 元気の有り余った声と共に部屋のドアがバコバコと叩かれた。

「・・・あの声は・・・」

 雪乃はぶつぶつと呟きながら立ち上がりドアを開ける。

「やっほー!あみちんだよっ!」

「こんばんは。ヒライです」

「・・・何故、私まで?」

 入ってきたのは3人の少女だった。Tシャツにキュロットの亜美子、水色のパジャマを着たヒライユミ、最後についてきたのは大きな白いシャツとショートパンツという涼しげな格好をした少女。

「・・・ええと、24さん、でしたわね」

Twenty-Four-Maidenです・・・呼びにくいでしょうからトゥエニーとお呼び下さい。マイスターはそうお呼びになっておられました」

 無表情に言って自動人形のトゥエニーは他の二人と共に窓際に寄せてあった椅子を引っ張ってきて座る。

「で?どうしたんですの?」

 雪乃の言葉に亜美子はパタパタ手を振って笑顔を見せる。

「いやぁ、あみチンたちの部屋、もう一人が雨宮さんだったんだけど部屋に戻ってくるなり寝ちゃったのよ。起こしちゃ悪いからみんなで遊びに来たよっ!」

「来たよっ!って・・・はぁ、まあいいですわよ。わたくしは・・・でも、伊成さんはどうですの?うるさいのが嫌いそうですけど」

 注目された伊成はきょとんとした顔で美龍を見て、ぷるぷると首を振る。

「うむ。祭りは好きだ、と言っている」

「をを、関さんゴイスー(訳:凄い)!よくわかるね。やっぱ、萌え?」

 ヒライの言葉に美龍は身を起こし苦笑を浮かべる。

「なんだその萌えというのは・・・人の意というものは、全て瞳に宿るものだ。コツさえつかめば、難しいことではない」

「いいなぁ、わたしもそういうの出来るようになりたいなぁ・・・えっと・・・」

 体をブンブンと前後にゆすりながら言っていた亜美子は言葉に詰まると同時にぎしっと体の動きを止めた。

「えっと・・・」

 そのままシャツの中に手を突っ込み首から提げていた細い鎖でぶら下げたメモをペリペリとめくる。

「えっと・・・そうそう、武侠映画部とウーシュ同好会及び中華料理は火力が命研究会に所属、校内女の子に人気がある女の子ランキング上位確実の関美龍さんっ!」

「・・・わざわざそんなことを言う為に手帳を出したのか?」

 呆れたような美龍に亜美子はあははと笑って答えない。

「人気がある、か。そう言えば藤田ちゃんも亜美子ちゃんも乾ちゃんが好きなんだよね。彼も相当人気者だね」

 何気ないヒライの言葉に雪乃はバッと身を起こした。額にだらだらと汗が流れている。

「好き!?わたくしが!?あの粗野で暴力的で短絡的で・・・ええと、その、犬に!?」

「・・・藤田様、個人的な意見を言わせていただけるなら、無理矢理悪口を言おうとして思いつかなくなったからといって、『犬』を悪口扱いにするのはいかがなものかと」

 トゥエニーのつっこみを雪乃は全く聞いていない。

「わ、わた、わたくしは恋愛ざたなどまったく興味ありませんわ!あんな男、不破さんに差し上げますわよっ!リボンつけて!」

「あはは、それ、可愛いねっ!」

 当の亜美子はケラケラと笑う。

「でも、やっぱり勝負は正々堂々だねっ!頑張るよっ!」

「だからっ!わたくしの話をきいてらっしゃいます!?」

「亜美ちん、記憶力悪いからっ」

「個人的な意見を言わせていただけるなら、記憶力は関係ないと思われます」

 無闇に盛り上がる二人とめんどくさそうにつっこむ自動人形一体を眺めて微笑んでいたヒライはふと愛子の方に視線を向けた。

「そういえば、森永ちゃんはシュピーゲルちゃんのこと、好きなの?」

「はいです。好きですよ?」

 あっさりと言い切った愛子に今度は美龍が苦笑する。

「森永。ヒライの言っているのはそういう好きではなく、男女の愛の方だ。ああ、肉欲でも良いぞ。似たようなものだ」

「個人的な意見を言わせていただけるなら、その二つはぜんぜん違うと思われます」

 トゥエニーのつっこみは、全方位全距離をカバーしているようだ。

「とはいってもですね、わたしはそういうの、わからないですよ」

 愛子は首をかしげて、それでもやはり笑顔で答える。

「・・・一人だけの為の主観者になる事は、全員に対する傍観者であるよりも傷つけられる可能性を増やすからかな・・・って、シュピーゲルちゃんなら言うのかしらね」

 対するヒライの呟きは愛子の耳に届かないほど低い。

「?なんですか?」

 聞き返してくる愛子にヒライはニッと笑って答えない。亜美子の台詞に雪乃が吠え、そこにトゥエニーが突っ込みを入れる。

 そんな中で。

「・・・めいろん、めいろん」

 小さく、澄んだ声と共に美龍のチャイナ服風パジャマの襟の辺りが引っ張られた。

「どうし・・・」

「なんですとぉおおおおおっ!」

 美龍がどうした?と聞き返すのを遮って雪乃の叫びが響く。

「凄いっ!伊成さんが喋ったよっ!」

「・・・個人的な意見を言わせていただけるなら、喋るくらいして当然です。彼女の知能はかなり高いですよ。一学期期末試験も相当の高得点でした」

「・・・ごほん。どうした、伊成」

 当事者を無視して盛り上がっている周囲にあきれながら美龍は改めて伊成に視線を向ける。

「めいろん、あのね」

「ああ」

 頷く美龍に伊成は少しはにかみながらにこっと笑いかけた。

「いなりは、めいろんがだいすきだよ」

 一瞬の静寂・・・そして、絶叫に近い歓声。

「おおおおおおおおおおおおっっっ!」

 

 

「おおおおおおおおおおおおっっっ!」

 乾は雄たけびと共に手にした枕を投げた。

ぶんっ!と唸りを上げて空を切ったそれは狙い通り水城の顔面に命中し、悲鳴すら上げさせずその場に彼を昏倒させる。

「ああっ!水城っ!おい乾っ!男と男の対決に水を指す気か!?」

「うるせぇ!勝手に枕投げ始めるんじゃねえっ!流れ枕が当たるんだよノーコンどもがっ!」

 叫びざま乾は大きく振りかぶって枕を投擲する。

「はっはっは!俺は水城の馬鹿と違ってそんな攻撃・・・はぶっ!」

 素早く身をそらせたところに二撃目を喰らって川井は錐もみ状に吹っ飛んだ。そのまま白目を剥いて動かなくなる。

「・・・御越どん!ここは・・・」

「よっしゃあっ!まずは乾の馬鹿をぶったおす!」

 がしっと握手をするが早いか雨あられと枕を投げてくる同部屋の二人に乾は軽く舌打ちした。飛んでくる枕を身をかがめて回避しながら傍らをちらりと睨む。

「こらナインっ!このうるせぇ中でどうやったら熟睡できるんだてめぇは!起きろ!」

 叫べど蹴れど起きる様子のないナインに見切りをつけて乾は眉を吊り上げた。

「ああそうかよ!くそっ!どうせ俺は修羅の道を歩くしかねぇんだよ馬鹿共がっ!どいつもこいつも俺がぶちのめして静かにさせてやるっ!」

 叫び、大きく枕を振り上げた瞬間。

「・・・そこまでです」

 静かな声と共に部屋の中央にすらりとした影が立ち上がった。

「み、御伽凪先生!?」

 声は御越のものだったのか牟寺名のものだったのか・・・はたまた、乾自身のものだったのか・・・

 確かだったのは、既に投擲フォームに入っていた乾の腕は、途中で止めることが出来ないという事実。

 そして。

「うわっ!よけろセンセっ!」

 乾の声と同時に。

 ゴキン。

 鈍い音を立てて枕は美里教師の頭に直撃した。

「あ・・・」

 ずるり・・・と枕が床に落下する。

 美里教師の、90度折れ曲がった首から。

「・・・・・・」

 静寂。

 数秒後の破滅を予感させる。

「さて、皆さん」

 ひどく冷静な声で美里教師は喋り始めた。

 首は、まだ曲がったままだ。

「今すぐそこに正座すればあまり苦しまずに死ねます。逃げた場合は苦しみ、もがき、この世に生まれたことを後悔しながら死ぬことになります。どちらを選びますか?」

 キリキリと音を立てながら首を元に戻してそう告げる美里教師に乾達は一様に真っ青になった。

「い、いや、ちょっと待てセンセ・・・冷静に冷静に・・・おい!ナイン起きろ!こういうときこそおまえの嫌味っぽいトークの出番・・・おい、ナインっ!どこ行った!?」

 さっきまで身動き一つせず熟睡していたはずのナインの姿が無い。

「くそっ!あいつ逃げやがった!だからセンセ!落ち着けって!首ボキボキ鳴らしてないでっ!いや、指も鳴らさなくていいから・・・」

「・・・問答、無用です」

 美里はそこまで無表情で言って、ぐいっと唇の両端を吊り上げた。

 笑顔。

 凍てつくような・・・

Die・・・」

 瞬間、ナイフやらトンファーやら拳銃やらが忽然と美里の手に握られていて・・・

「うぉおおおおおおおおおっ!」

 乾達は、全力で窓から飛び出し、夜の闇に逃げ込んだ。

 

 

「?・・・なにか外がうるさいな」

 美龍はふと呟いた。

「いやんっ!話しそらしちゃだめだよっ!伊成さんとはどのくらいの関係にっ!?」

「萌え!幼女、カコイイ!」

「・・・個人的な意見を言わせていただければ、500歳以上のレディをつかまえて幼女はいかがなものでしょうか」

 詰め寄ってくる二人とつっこみを入れる人形にややうんざりした表情で唸りながら美龍は部屋の中を見渡して首をかしげる。

「ん?森永はどこだ?」

「また話しそらしてるよヒライさんっ!」

「ええ!肉体関係に及んでるか聞き出すよ不破ちゃんっ!」

「この二人は・・・ってあら!?ま、愛子さん!?ほんとにいませんわよ!?」

 

 

 森永愛子はふらりとホテルの中庭に来ていた。

 理由は特にない。賑やかな席は嫌いではないが、何故か静かな場所に行きたくなったのだ。

「・・・夜は、涼しいですね〜」

 呟きながら歩いていた愛子の足がふと止まる。

「?」

 中庭の中心に、誰かが立っている。

 銀色の髪と同じ色の瞳をした青年。年齢は、20代だろうか?眼を悲しみに軽くほそめ、空を眺めている。

 見たことのない男だ。だが・・・

「・・・ナインさん、なにをしてるですか?」

「・・・82−M−1」

 青年は呟きながらゆっくりと愛子に向き直った。その容貌がぼんやりとした発光と共に金髪碧眼の少年に・・・ナインの姿に変わって行く。

「森永さんこそどうしたんですか?」

「ちょっとお散歩さんです」

 愛子はいつもどおり笑顔で答え、ナインの横に立つ。

「ナインさんはここで何をしてたですか?」

「俺は・・・部屋がちょっと騒がしかったので、避難ですね」

 耳をすませばどこからか悲鳴やら怒号やら爆発やらが聞こえる。

「あはは、ごくろうさまです」

 しばし、沈黙。

 ナインは再度空を見上げた。その向こうにある、かつて暮らしていた国々に思いをはせて。

「・・・ナインというのはね、ドイツ語で『否』という意味なんですよ」

 ぽつりと呟いた言葉に愛子は答えない。答えを欲していないことが、彼女には視えている。

「シュピーゲルは鏡。俺の名は、否定の鏡という意味で名乗っているんです。人の姿を真似て映しだす、偽者・・・それを忘れない為に」

 200年以上の旅、それ以上に多くの顔を持ち、彼は生きてきた。

「その間に、妖精眼を持つものにも多く出会ったのですが・・・俺の中身を見通した者はいませんでした。それなのに・・・」

 ナインはそこで初めて正面から愛子に向き直った。

「あなたは、どの姿の俺でも、俺とわかるのですね・・・」

 愛子は、僅かに笑顔を小さくし、その視線を受け止める。

「わたしの目は・・・変な目ですから」

「・・・嫌いですか?異能が」

 ナインの問いは、確認でもある。

「・・・わからないです」

「・・・そうですか」

 ナインは呟いて空へと視線を移す。

(彼女は恐れている。自らの目を。だが・・・それを封じていない。そこが、わからない)

「わからないですけど・・・でも、必要だと、思うのです」

「え?」

 思考の淵に沈もうとしていたナインは不意の言葉にぴくりと眉を動かした。

「愛子は出来が悪いですから、この眼が無いとみなさんのお役に立てないのですよ」

「・・・・・・」

 苦笑のようになっている笑みを浮かべている愛子の言葉にナインは表情なく耳を傾ける。

「だから、頑張るです。おかーさんも言ってたですから。ほしいものがあるなら、ほしいものの価値よりも多くのものをみんなにわけてあげないといけないです」

「・・・森永さんは・・・何が欲しいんですか?」

 愛子はその問いに答える気は無かった。笑顔で誤魔化そうとして・・・だが、言葉は意識せず口から滑り出す。

「わたしを、必要としてくれる人、ですね・・・」

 そして本当の静寂がおとずれた。

「あは、あはは・・・ちょっと寒くなっちゃったですね!わたしはお部屋に戻るです!ナインさんはどうなさりますか?」

「・・・俺は、もう少しここに居ます」

 ナインは静かに微笑み、ゆったりと首を振る。

「じゃあ、おやすみさんです〜」

「はい、おやすみなさい」

 頭をさげ、あたふたと去って行く少女を見送ってナインは目を細めた。

「・・・俺は、鏡だと言いましたよね?俺の前では、全ての人が本音を言ってしまうのですよ。あなたでさえそれは例外ではないのです」

 呟き、再度空を見上げる。

「あなたを必要とする人・・・多分それはこのクラスに集められた者が、全てでしょう。その為にあなたは連れてこられたのでしょうから・・・」

 口元に苦笑。

「ならば、俺に提供された居場所というのは・・・やはりそういうことなのか?」

 遠くから聞こえる怒号が近づいてくるのを待ちながらナインは軽く肩をすくめる。

「今度こそ・・・魔眼の持ち主を救えるのか・・・」

 その声にかぶさるように聞きなれた絶叫が響き渡った。

「てめええええっ!ナインっ!そんなとこでのほほんとしてんじゃねぇっ!このホテルが壊滅するぞ!手伝いやがれっ!」

 吹き飛ばされ、ごろごろと地面を転がってきた乾はバンッと勢いよく立ち上がりながら怒鳴って恐怖の源へ視線を向ける。

「・・・天空より七つの剣降り注ぎ地は沸き立ち海は紅に染まり六百六十六の獣と千百二十八の蝗が全ての骸に・・・」

 そちらからゆらりと現れた『何か』は赤い光を両眼に宿し、口からは謎の台詞と白い煙を吐き出していた。

「・・・嘘でしょう?」

 思わず呟いたナインの言葉に乾は血の混じった唾を吐き出して首を振る。

「牟寺名と御越、あと安田と畑中が吊るされた!糞っ!ありゃあ人間じゃねえぞ!でもアザーズでもねぇ!」

 何故か銃剣を両の手に4本ずつ携えた美里教師が迫ってくるのを見てナインは思わず苦笑した。

「何笑ってんだよ!」

「いやいや、やはりこの学園に来てよかったと思っただけですよ。どんな時でも、暗くなってる暇が無い」

 言いざま、とんっとバックステップして今度こそ何のかげりも無い笑顔になる。

「16−M−4!俺はこの陸上選手の体を使って逃げますので頑張ってください」

「うわっ!汚っ!」

「強くなりたいのでしょう?絶好のトレーニング相手ですよ」

「強くなる前に殺され・・・うぉおお!?」

 ガチンガチンと打ち鳴らされる金属音と悲鳴、時折響く反撃しているらしい打撃音に背を向けてナインは一目散に走り去る。

(大丈夫だよ隼人。先生達は遊んでるだけだから)

 物陰で爆笑している緋文美教師を目ざとく見つけていたのであまり心配もしない。

「本当に・・・人間ってのは楽しいな。ヒルダ・・・」

 呟き、ナインは走りながらもう一度空を見上げた。70年ほど前にも、よく見上げていた空を。

「明日は海水浴だったかな。遊ぶ為に海に入るなど、ずいぶんと久しぶりだよ」

 多分、自分以外の面々もそうなのだろう。

 そして、ひょっとしたら愛子や教師二人も。

(頑張って楽しもう・・・彼女の水着姿、少し楽しみだし・・・)

「うがっ痛ぇえ!刺さってる刺さってる!」

 背後から聞こえる悲鳴はとりあえず無視の方向で。