<訪れた白狼・誇りと血脈・痕>

 

『すいません、ちょっとお聞きしたいのですが?』

 

 

「!?」

 下駄箱に手をかけた乾隼人は、放課後の校庭に睨むような視線を投げた。

「?・・・どうしたんですの?乾」

「・・・いや、なんか声が聞こえたような気が」

 藤田雪乃に尋ねられ、呟いて首を振る。

「それは、声くらい聞こえますわよ。あちこちから」

「そういうのじゃねえ。聞き覚えのある・・・嫌な声だ」

「お知り合いの声ですか?」

 首を傾げる森永愛子と共にナインハルト・シュピーゲルは辺りを見回してみた。部活に励む生徒達。下校途中の女の子達の笑い声。どこかから聞こえる殴り合いの音。爆発音。

「・・・概ね、普通ですね」

 そう結論した自分がかなり六合学園に汚染されていると苦笑しながらナインは呟く。

「ああ。きょうは嫌な夢を見たから・・・そのせいだろうよ」

 

 

『あ、その人ならほら、1−Xの』

『その教室は何処に?』

 

 

 首をコキコキと鳴らす隼人に雪乃はからかいをこめて目を細める。

「夢?授業中にかしら?」

「そうそう、6時間目は古文だからぐっすりと・・・んなわけあるか馬鹿!」

 がっ!と吠えて隼人は舌打ちをした。

「昔の夢を、ちょっとな・・・くそ、あの気障ったらしい顔・・・思い出すだけでもむかつく!」

 

 

『すいません。・・・は、どこに居ますか?』

『もう帰ったよ。ついさっきだからまだ下駄箱の辺りに居るんじゃない?』

 

 

「隼人、物に当たるのはよしなさい」

 下駄箱を蹴りつけた隼人の肩をナインは掴みとめる。

「わかってるよ、んなこたぁ!ああ、クソ・・・おまえの喋り方、あいつに似ててむかつく!」

「・・・誰かは知りませんが、完全に八つ当たりというものです」

 呆れたような声に隼人はぷいっとそっぽを向いた。

「そいつはわかってるって言ってんだろ!?」

「落ち着きなさいな。まったく・・・そこまで嫌いなんてどんな方なんですの?」

「話したくもねぇ奴だ」

 

 

「ほぅ、奇遇ですね。僕も君のことは口に出したくないんですよ」

 

 

「なっ!」

 その声は、隼人の耳に届いた。いや、誰の耳にも、はっきりと届いた。

「なんでてめぇがここに・・・」

「やれやれ。相変わらず野卑な喋り方ですね・・・半年近くたったところで、何も変わらない」

 数メートルを隔てて立ち止まった男。

 白い学生服を着た、柔和な容貌の男。銀色の髪が目にまぶしい。

「この方・・・」

 愛子は呟いて乾と男を見比べる。金色の瞳が映しだす、彼らの『本質』を。

「ど、どなたですの?この方」

 向かい合った二人の剣呑な雰囲気に雪乃が声をかけた瞬間だった。

「ったばれええええええっ!」

 隼人は、突如男に飛び掛った。

だが。

「本当に・・・まったく変わらない」

 声と共に男の姿が隼人の視界から消える。

「なにぃ!?」

「いつもの、ことです」

 振り下ろした拳が空を薙ぐ感触に驚愕の声を上げた隼人の後頭部に衝撃が走った。

「乾っ!」

 雪乃の悲鳴を聞きながら隼人は床に叩きつけられる。

「・・・何度試したところで、同じことだと思うのですがね」

 一撃のもとに彼を打ち倒した男は冷ややかな口調で言い放った。

「く・・・そ・・・まだだ!」

 隼人は歯を食いしばって飛び起き、男の顎へと真下から突き上げるような拳を打ち込む。

「・・・無理ですね」

 呟いたのはナイン。その言葉の通りあっさりとその一撃をかわした男はがら空きになった隼人のわき腹を無造作に殴った。

「が・・・!」

 空気の塊を吐き出して身体を『く』の字に曲げた隼人。やや下がったその頭を・・・

「君は、しばらく寝ていなさい」

 男は鋭い回し蹴りで刈り倒した。

「ぐ・・・」

 ぼぐっ・・・という鈍い音と共に隼人は床に膝をつき、ゆっくりと床に沈む。

「乾ぃっ!」

 雪乃は真っ白になった思考の中で叫び、飛びつくように隼人の身体を抱き起こした。

「お・・・れは・・・」

 視点の定まらない目で尚、男を睨もうと視線をさまよわせる隼人に顔を歪め、雪乃は自らも鋭い視線を男に向けた。

「・・・あなた、何者です!事によっては・・・!」

 叫ぶ雪乃の髪が白く染まり、周囲で冷気がパチパチと弾ける。

「ほぅ、雪妖ですか」

 男の呟きと共に立ち上がろうとした雪乃。その肩を、ナインは静かに押さえた。

「シュピーゲル!何故止めるんですの!?」

「・・・忘れたんですか?先に殴りかかったのは隼人です」

「だからって・・・!」

 激昂する雪乃にそれ以上構わずナインは感情を消した顔で男と向かい合う。

「こんにちは。俺はナインハルト・シュピーゲル。彼のクラスメートです」

「・・・ほう」

 男は呟き、ナインの視線を受け止めて笑った。

「・・・ふふ、そう怒らないで欲しいね」

「事の正しさと感情は別です。隼人は馬鹿で、気にいらないことも多いが・・・俺の、友人ですからね・・・!」

「シュピーゲル・・・」

 驚きのこもった雪乃の声には反応を見せず、ナインは真っ直ぐに男の瞳を覗き込む。

「俺という鏡の前で、偽りは通用しません。あなたは何者で、何の為にここへ来たのか・・・答えなさい」

「む・・・雲外鏡・・・?いえ、外来のようですね・・・ふふ、普通なら能力と気付かないようになっている強制力とはずいぶんと変わっている」

 ナインは目の前の相手をコピーしようと一瞬だけ考え、即座にその考えを消した。

(このアザーズ、かなりの大物。キャパシティを食いすぎて他のキャラクターが維持できなくなる。素直に鏡をやっていたほうが良さそうだな)

「答えなさい。鏡である俺自身を打ちこわしでもしない限りこの能力から逃げられませんよ」

「もしくは、何も喋らないかですね。あなたがどういう存在かは断定できませんが、その能力は偽れないだけではないですか?おそらく、無理に喋らせることはできない筈です」

「さて、ね?」

 沈黙は、数秒で終わった。破ったのは、男。

「いいでしょう。あなたには敬意を表する必要がありそうですね・・・僕の名は誠司。ここへは、彼に会いに来ました」 

「あの・・・いいですか?」

 いままで黙っていた愛子はおずおずと口を開いた。二人分の視線を受け止め、戸惑いがちに見つめ返す。

「あの、あなたは・・・乾さんのご家族ですか?」

「愛子さん・・・?」

 雪乃の疑問に愛子はこくりと頷く。

「はいです。わたしには・・・見えるです。乾さんと誠司さんは・・・」

「同じでは、ありませんよ。まさにそこが、今回僕がここへ来た理由なのですから」

「う・・・るせ・・・ぇ」

 呻き、身を起こそうともがく隼人を誠司と名乗った男は厳しい視線で見下ろした。

「僕の名は大神誠司。そして彼の名は乾隼人。同じ血に連なるにも関わらず苗字の違う理由・・・」

「ぉおおおおおっ!」

 隼人は身体を支える雪乃の手を振り払って誠司に殴りかかる。

「それは・・・隼人は出来そこないだということですよ!」

 だが、その拳が届くより遥かに早く誠司の手刀が隼人の喉に突き立っていた。

「が・・・」

「・・・貴様!」

 雪乃は崩れ落ちる隼人を抱きとめて雪乃は誠司をにらみつけて叫んだ。

「ほう・・・?」

 瞬間、誠司は鋭いステップでその場から飛びのく。一瞬前まで居た場所を鋭いツララが射抜き、壁に刺さって砕け散った。

「僕の知っている限り常温で生活し、かつ霊力を放出できる雪妖というのは族長クラスのみです。それも、相当に優秀な、ね。ふふふ・・・皮肉なものですね。隼人のそばにあなたが居るというのも」

 誠司は両手を広げて敵意の無いところを示した。

「彼の名もね、本来は大神隼人なのですよ。だが、本家の犬神格でありながらその力を発揮できなかった。隼人は・・・獣人になれぬ出来そこないなのですよ。故に、本来の苗字を名乗ることを許されず、狼に劣るもの・・・犬として、今の名をつけられた」

「え・・・」

 普段、雪乃がからかっていた言葉。犬と呼ばれて激昂していた隼人。それを面白がって更に・・・

「わ、わたくしは・・・犬と・・・」

「隼人、聞こえていますか?今回僕は大神本家の代表としてきました。大神家は君にもう一度チャンスを与えることにしました。一週間後、僕は再度君の前に現れます。そのときに僕を倒すことが出来ればあなたの追放を解き大神姓を名乗ることを許しましょう」

「な・・・に・・・?」

 隼人の掠れた声に答えず誠司はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「もっとも、その際僕は獣化します。君が勝とうとするならば、なんとかして獣化してみせることですね」

「そんな暴力で決めるなんて・・・!」

 雪乃の抗議に耳を貸さず誠司は隼人を一瞥して背を向けた。

「いいですね。一週間です。場所はまた後で伝えます」

 瞬間、すっと音も無くその姿が消えた。

「はわー・・・早いです・・・」

「・・・俺にもよくは見えなかったんですが・・・流石ですね」

 愛子が頭上の木を見上げているところを見ると、そこを伝って走り去ったらしい。

「あ、あの、乾、あ、いえ、隼人・・・」

 雪乃はしどろもどろになって隼人から目をそらした。罪悪感が胸を締め付ける。

「わ、わたくし・・・その、そんなつもりじゃ・・・」

「うるせぇっ・・・!」

 隼人は一瞬だけ顔を歪めてから雪乃の手を振り払い、わずかによろけながら立ち上がった。

「そんな顔するんじゃねぇ!俺を・・・そんな目で見るな!」

「わ、わたくし・・・」

 戸惑う雪乃を睨み大きく首を振る。

「俺を憐れむんじゃねえっ・・・くそっ・・・!」

「あ・・・!」

 吐き捨てるように言って身を翻した隼人を掴み止めようとした雪乃の手が空を切る。

「お、お待ちなさい・・・!」

 後を追い走り始めたその背をしばし見送り、愛子もまたひとつ頷いて走り始めた。

「わたしも隼人さんをおっかけるです!」

「・・・ええ。あいつのこと、お任せします」

 一方でナインはゆっくりと歩きながら思考をめぐらせる。

(藤田さんは隔絶された里で生まれ、他者との交流経験が不足している。比較的キャパシティの広いこの学園である程度成長したとはいえ・・・同じく他者との交流が不得手な隼人を包み込むにはまだまだ未熟)

 無表情に判断し、足を速める。

(二人の接触は妨害する必要がある。最終的にはどうあれ、今この瞬間に必要なのは森永さんの包容力だ。悪いが藤田さんには彼を見失っていてもらおう)

 足止めの策を考えながら、ふとナインは苦笑した。

「こういうのは・・・もうやめにしたはずだったんだがな・・・なぁ、アイン君?」

 

 

<王者の登場・立ち上がる為の敗北・追い風>

 

 

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・!」

 たっぷり10分ほども走り続けた隼人は何処とも知れぬ校舎裏でようやく足を止めた。地に膝をつきうなだれる。

「くそ・・・俺は・・・」

 荒い息の中こみ上げる感情のままに呟いた瞬間だった。

「あの、隼人さん」

「!?・・・森永!?」

 背後からかけられた声に隼人はビクリと身を震わした。

「やっと追いついたです・・・」

「おまえ・・・どうやって・・・」

 愛子の運動能力は隼人とは比べ物にならないほど低い。とっくに引き離していたはずなのだ。ここに居ることなどわかるはずが無い。

「わすれたですか?わたしの目を・・・」

 ゆっくり振り返ったそこに、愛子は息を切らせて立っていた。

・・・その目・・・全てを見通す力を秘めた瞳が今は、これまでに無いほど純粋な金に染まっている。

「自分でも不思議なくらい・・・今は目が言うことを聞いてくれているです」

「それがどうした!俺が力を使えねぇのを馬鹿にしてんのか!?」

 隼人の八つ当たりに愛子は目を伏せた。瞳の色が黒に戻る。

「わたし、そんなつもりないです・・・」

「うるせぇよ!なんなんだよ!もうわかっただろ!?俺は出来そこないなんだよ!ほっとけよ!」

 怒鳴り、何度となく地を蹴りつける。

「奴らめ!俺をここに捨てといてもう一度チャンスだと!?あいつに勝てるわけねぇってわかっていて・・・!どうせ見えてるんだろ!?俺とアイツの力の差が!」

 叩きつけられた言葉になんとか答えようと愛子は顔をあげ・・・

「あ・・・」

 思わず呟いた。

「・・・それくらいしておけよ1年生」

 隼人の背後。大きな木にもたれかかって一人の少年が立っている。

「な・・・んだと!?」

 顔を歪めふりかえった隼人に少年はニヤリと笑う。だが、目は笑っていない。

「自分の弱さを人に押し付けるな・・・無様すぎるぜ。そういうのはな」

 引き締まった細身の身体、外向きにはねた髪。鋭い眼差しに今は静かな怒りを込めてこちらを見据えている。

「誰だよおまえは!なんなんだよ!人のこと口を突っ込むなよ!」

「俺が誰かなんてことはどうでもいい。誰が見たところで・・・自分を心配してくれる女に八つ当たりしている餓鬼には同情の余地はねぇからな」

 少年は言い放ち、片手に下げていた木刀を袋から引き抜いて隼人に突きつける。

「そして、この俺がそれを見つけた以上・・・コイツの出番なのも・・・当然だろう?」

「うるせぇって言ってんだろうが!」

 隼人は少年の言葉を強引に断ち切って地面を蹴った。

(知らねぇ癖に・・・!絶対に歯が立たねぇ相手が居るってのを・・・!)

 この世に怖いもの無しとでも言いたそうな自信に溢れた目を睨みつけ、その顔面の中心へと拳を放つ。

「あ・・・隼人さん、その方は・・・!」

 愛子の声が一瞬だけ聞こえて。

「迷いは剣を殺す。剣が拳だとしても、たいした違いはねぇよ」

 少年の声がそれにかぶさると同時に、隼人の視界の天地が逆転した。

「なんだとぉ!?」

 身体が浮き上がる感覚。それを理解した次の瞬間には地面に叩きつけられた痛みがそれに取って代わる。

 繰り出した右腕を掴まれ、投げ倒されたということに隼人は数秒かかって気付いた。

「ひとつわかっとけ。どんなもんに負けたのかは知らねぇけどな・・・そいつが強かったんじゃねぇ。おまえが、弱かったんだ」

「てめぇ・・・」

 見下ろし、冷徹に告げる少年の声に隼人の中で何かが弾ける。

「死ぬぜ・・・」

 誠司への敗北の惨めさ。雪乃からの同情への恥辱。愛子が力を制御できることへの言われない嫉妬。

 全てが重なり合い、混じり合い、心の中のリミッターを粉々に打ち崩す。

「負けから立ち上がってからが、一番・・・」

 少年が何かを言い終わるよりも早く隼人は飛び起きた。瞳孔が縦に割れ、体中に力が漲る。

「があああああああっっっ!」

 言葉未満の咆哮と共に隼人の拳が少年に迫った。

「ぅおっ!?」

 本能がかき鳴らした警告に従って少年が首をそらすと頬が薄く裂けて血が小さく噴き出す。

「凄げぇじゃねぇか!ほとんど見えなかったぜ今のは・・・!成る程!おまえ、アザーズだな!?」

「だぁあああっ!」

 楽しげに笑って距離をとった少年に隼人は間髪入れず迫り、人間の限界を超越したスピードで右腕を突き出す。

「とんでもなく速い・・・だが、それだけだ」

 瞬間。少年の姿が視界からかき消えた。

「消え!?」

「無双流、風牙っ!」

 驚愕の叫びと力強い咆哮が交差し、隼人の胴体を少年の木刀が薙ぎ払う。錐揉みのようにスピンしながら吹き飛ばされた隼人は地面に叩きつけられる前に地面に手足を伸ばし、四つんばいで着地した。

「き、消える・・・?てめぇもアザーズか!」

「高速で視界の外に出ただけだ。その狭い了見がおまえの弱さだってことにいい加減気付けよ一年坊主」

 少年は自分の肩をとんとんと木刀で叩いてリズムを取りながら隼人を見据える。

「俺は人間だ。それも『最強』にはなれず、真の『無双』にもいまだ届かないただの剣術家だ・・・それでも、守るべきものは持っている」

 隼人はその言葉を無視して動き出した。怒りに任せて飛び掛る。

「だぁああっ!」

「外技、針転舞・・・」

 再び振るった腕は木刀の撫でるような動きに巻き込まれ何も無い空間を殴りつけ、少年の方は一挙動で隼人の背後に回りこんだ。

「目では確かに捉えきれないが・・・おまえのスピードはただの高速だ。神速には程遠いぜ?」

「言ってろ!」

 隼人はその場で振り返り後手に回る愚を冒さず一旦前方へ走り抜けてから少年に向き直り再突撃を開始した。

「人間が・・・ただの人間が俺の速さについてこれるはずが・・・!」

「速さってことならな、おまえなぞよりよっぽど高速の戦闘をする、しかもいい女を・・・俺は知っているけどな!」

 言いながら少年はサイドステップで一撃目をかわし、次いで振り回された横薙ぎの裏拳も軽く身をそらしただけで回避する。

「なんでだ!どいつもこいつもひょいひょいかわしやがって・・・!俺のスピードは視認できねぇレベルの筈だ!それだけはあいつも認めたってのに・・・!」

「アザーズには多いんだよな・・・生まれつきの能力を過信する奴が。だが・・・!」

 地面を滑るようなすり足で後退する少年を睨み隼人は4度目になる突撃の為に地を蹴る。

「うるせぇよてめぇは!生まれつきの能力差は覆せねぇんだ!どうやっても!」

「その甘ったれた根性が・・・おまえを負け犬にしてんだよ!」

 隼人の足が、一歩目のまま地に付かない程の極小の時。

 その一瞬以外の時間を切り落としたかのように。

「んなわけねぇ!なんでもうこんな近くに・・・!」

 少年は、隼人の傍らを駆け抜けていた。

「一閃っ!」

 隼人の絶叫ごと胴を打ち払い、吹き飛ばし、少年はそのままの勢いで背後に抜けて動きを止める。

「努力と根性なんてことを言うつもりはねぇがな・・・届かない筈の高みを目指す為に技は生まれ、磨かれてきたんだぜ?」

「か・・・くそっ!」

 再度地面に叩き伏せられた隼人は内臓が全て押しつぶされたような痛みに呻き、ふらりと立ち上がる。

「は、隼人さん・・・これ以上は体が・・・」

 ようやく口を挟めた愛子の言葉に首を振り、真直ぐ少年を見据える。痛みでクリアーになった頭の中に怒りはない。苦しみも、屈辱も・・・全て消えていく。

「人間に・・・俺より早い奴が居るのか?てめぇ以外にも」、

「純粋なスピードってんなら世界でも数えるほどだろうけどな。戦闘速度ってんなら、この学園内にすら何人も居る」

 少年はニヤリと笑い、巨木を背後に立っていた。

「・・・俺、俺は・・・強くなりたい。俺に出来るのはそれだけだから・・・」

 拳を握り、前かがみになり、力を蓄える。

「なら、見せてみろよ。今を越えるために、今出来る最高の一撃を」

「・・・今度こそ、本当に死ぬかもしれないぜ」

 口では言いながら、隼人はそれを信じていない。

 ほんの十メートル先・・・彼の足ならば一秒に満たない時間で攻撃できる至近距離に立つその少年は、凶悪な笑みで両手を広げる。

「死なねぇよ。俺は。なにせ・・・」

 隼人は奥歯を噛み砕きそうなほどかみ締め、人外の力を二本の足に漲らせた。

(俺の全力を・・・一滴も残らない位振り絞った全力を・・・叩きつける!)

 食いしばった歯の間から肺が破裂しそうなほどに息を吸いこむ。

「なにせ、俺は風間恭一郎だからな・・・!」

 少年が・・・風間恭一郎が言い放つと同時に隼人は全力で地面を蹴った。

「ああああああああああああああああっ!」

 吸い込んだものを全て咆哮に変え、爆発じみた勢いで隼人の身体が突撃を開始する。

(この一撃の後はぶっ倒れてもいい!もっと、もっと速く!)

 アドレナリンが引き伸ばす無限に近い一瞬の中、恭一郎はだらりと腕を下げた自然体のまま動かない。

(反応できねぇほどの高速を・・・!)

 あと2歩。まだ恭一郎は動かない。

(いける!その顔面にぶち込んでやる・・・!)

 拳を振り上げる。まだ恭一郎は動かない。

(まだ腕も足も動いていない!防御も回避ももう遅い!)

 突進力をそのまま殴る力にのせて隼人は身体ごと叩きつけるように拳を突き出した。

(こっちはもう打ち込んでる!いくらこいつでも手も足も・・・手・・・!?)

 加速していた思考が停止する。ほんの0.01秒。そのごくわずかな『さっき』に確認した腕が、その肘から先が、無い。

(ど、どこだ!?腕はどこだ!?)

 本能的に発した問いに、停止した頭脳は何も答えない。ただ。

「ここだ」

 目前に迫った恭一郎の声は、しっかりと聞こえた。

 顔の前、隼人の拳との中間に現れた木刀を握った腕も、はっきりと見える。

「・・・無拍子」

 呟くような声と同時に、隼人の拳に木刀の固い感触が伝わる。

(これが・・・技って奴か!?だが、この勢いは止めれる筈がない!)

「このまま打ち抜くだけだ!」

 拳の砕けそうな痛みを無視して隼人は拳を振り切った。

 バンッ・・・!

 そして、木と骨の打ち合わされる硬い音と共に恭一郎の身体は勢い良く後方へ飛んだ。

 背後には木の幹だ。叩きつけられれば良くても骨折は免れないだろう。

「やった・・・?いや、感触が軽い!」

 隼人は目を見開き叫んだ。木刀とそれを握った手に隠れ、半分以上隠れた恭一郎の顔、その口もとに浮かんでいる笑みを目の当たりにして。

「勝ったって思った瞬間が・・・一番逆転されやすいんだぜ?」

 強烈無比な拳撃を自ら背後に飛ぶことで受け流した恭一郎は手足を勢い良く振って身体を回転させた。地に背を向け、顔を天に向ける。

「神楽坂無双流っ!」

 そして、叫びと共に目前に迫った木の幹を蹴りつけた。

 タン・・・!

 異様に軽い音は真正面から蹴りつけるのではなく、斜め下へ押し込むように蹴り込んだ結果だ。勢いを殺さぬまま飛翔する方向を反転させる為に。

「三角跳びかっ!?」

「半分は、あたりだっ!」

 壁に投げたボールが跳ね返るように樹の幹を蹴った恭一郎の身体はバク宙の要領で放物線を描き、上下を反転したまま隼人の頭上へと襲い掛かる。

「・・・無茶苦茶だ」

 拳を振り切った姿勢の隼人には避ける余裕などない。唯一自由になる眼だけが、頭上の恭一郎をまぶしげに見上げる。

「それが、俺だ!喰らえ・・・!」

 そして、飛翔と落下の勢い全てを込めた抜き打ちの一撃が隼人の肩口、肉の厚い部分へと撃ち込まれた。

「絶技、裏天照っ!」

 ズドンッ・・・!

 鈍い音と共に波紋のような痛みが全身を駆け、隼人の身体は地面へとめり込まんばかりに叩きつけられた。

「が・・・!」

「隼人さん!」

 うつ伏せに倒れて動かない隼人に駆けより愛子はその体を苦心して抱き起こす。

「傷は・・・だいじょぶです。骨も折れてません・・・」

 瞳を金色に染めた愛子の言葉に、着地した姿勢のままで見守っていた恭一郎はやれやれと首を振る。

「思ったとおり頑丈だな・・・打点をずらしてたから粉砕は無いにしてもヒビくらいは入るかと思ったんだけどな」

「そんな・・・乱暴さんは駄目ですよ」

 眉を下げ、困った顔になった愛子に恭一郎は肩をすくめる。

「まぁ・・・あんだけのスピードで動き回る骨格だからな。人間よりは頑丈だろうって予想もあった」

 言って隼人の顔を覗き込む。

「どうだ?惨敗した感想は」

「・・・俺が弱いってのは・・・わかった」

 目は開かずにそれだけ言ってきた隼人の頭を愛子は思い切って胸元に抱き寄せた。

「も、森永っ!?」

 やわらかい感触を後頭部に感じて隼人は飛び起きようと暴れかけ・・・

「やめとけって。せっかくの役得を」

 呆れたような声と共に鳩尾へと木刀を突き立てられてぐったりと愛子の身体に倒れこむ。

「か、風間さん!」

「おう、悪りぃな。続けてくれ」

 ぱたぱたと手を振って少し離れたところでそっぽを向いた恭一郎から自分の腕の中でぐったりとしている隼人に視線をうつし、愛子は考え考え口を開いた。

「えっとです・・・わたしは、隼人さんはすごいって思うです」

「俺が?どこがだよ」

 すねたような言葉に、愛子は顔を笑いの表情に動かす。

「わたしは・・・わたしも、駄目な子なので家を出されたです」

「は?」

 呆然と声を発した隼人に愛子は薄っぺらい笑顔を向ける。

「わたしは小さいころに家を出て、親戚のおうちのご厄介になってたです。理由はよく覚えてないですけど・・・おかーさんは『愛子は悪くないのよ』って言ってくれたのを覚えてるです」

 隼人はぐっと目をつぶり、頭を振る。

「わかった・・・すまねぇ、もういい」

「・・・わたしは、あきらめたです。自分だけじゃ誰の役にも立てないですから、みなさんのお力を借りてるです。でも、隼人さんは、自分の力で立ち上がろうとなさってるです」

「わかったから・・・俺が甘えてただけなのはわかったから・・・もう、そんな顔はしないでくれ・・・」

「隼人さんはいつも戦ってるです。わたしには見えるですよ?隼人さんがあきらめてないのが。おかあさんも言ってたです。全ての証明は挑んで初めて解決にむかうです。どんなに難しい公式でも、挑んでいけば・・・いつかとけるです」

 隼人は、そのわかるようなわからないような例えに苦笑して空を見上げた。まだ高い太陽と青く澄んだ空。そして、風。

「俺・・・ほんとにさ・・・強くなりてぇんだよ。これしかできねぇし・・・あの檻の中で、自分がどれだけ強くなれるのか、今日は何ができるようになるのか・・・それだけが楽しみだったから・・・」

 罵られ、嘲られ、痛めつけられ・・・その中でのこれまで。

「ああ・・・だから、これは悪くねぇな・・・ここまで気持ちよく負けたのは初めてだぜ」

 呟く隼人と愛子の表情をしばし観察してから恭一郎は二人に近づいた。

「鍛えてたって言ったな。おまえ、どんな鍛え方してたんだ?」

 問われた隼人は愛子に支えられて起き上がり、あぐらをかいて座り込む。

「そうだな・・・走ったり、重いもん背負ったり、ロープ登ったり・・・」

「まぁ基本だな」

 恭一郎はふむふむと頷いた。

「海に放り込まれたり、両手両足縛られたままでひたすら殴られたり・・・ああ、崖から落とされたりもよくあった。痛ぇぞ。あれ」

「それはただの虐待だ!ついでに、最後のはただの殺人だ!」

 隼人はそうだったのか・・・と呟いて顔をしかめて唸りだす。

「マジで気付いてなかったのか?・・・ああ、ともかく・・・それで納得いったぜ。おまえの戦いはただの暴力だったからな。身体の発達具合に似合わず」

「・・・暴力だと?」

「殺気立つなよ。俺が振るっていたのは武力。制御された、目的の為の力。おまえが振り回していたのは暴力。感情のままにぶちまけるだけの力だ」

 恭一郎はニヤリと笑って隼人の頭をぽんっと叩く。

「つうかさ、おまえが負けるのはそこだろ・・・戦い方を知らねぇからだと思うぜ。俺の目からみりゃあ弱点だらけだ」

「・・・悪かったな。穴だらけで」

 不機嫌そうに唸る隼人に恭一郎は『にぃっ』と笑ってみせる。

「おいおい、頭使えよ。目に見える弱点があるって俺は言ってんだぞ?」

「それがどうした!」

 顔をしかめている隼人の隣で愛子はくいっと首をかしげる。

「えと、それを直せば簡単に強くなれるですか?」

「正解!ご褒美にアメ玉をあげよう」

「あ、ありがとです・・・?」

 本当に取り出したアメを受け取って愛子は取り合えずそれを舐めはじめた。

「・・・けっこう、おいしいです」

「おう。やっぱ本場アメリカ製はいけるぜ」

「・・・本当か?」

 隼人の呟きに恭一郎は大きく頷く。

「ああ。大味でどうしようもない菓子が多いがエレンはわりといい味覚をしてる」

「そっちじゃねぇ!弱点直せば強くなれるって話の方だ!」

 握った拳を震わせているのを見て恭一郎は斜め上に視線を向けてふっ・・・と笑う。

「まあ、そう興奮するな。わざとだから」

「そうか、わざとか・・・わざとかよ!」

 絶叫つっこみに息を切らせて隼人は頭を抱えた。

「ここはシリアスなシーンだろ?・・・な?な?な!?」

「固くなりすぎてるからほぐしただけだ。ところで・・・さっきおまえが怒鳴り散らしていた内容から見て・・・誰か強い奴と戦う予定が有るのか?」

 真顔に戻った恭一郎をやや疑わしげに見て隼人は頷いた。

「ああ。生まれて今日まで、一度も勝てなかった奴だ。一族でも最エリートの白狼。人間時でも勝てないそいつが、今度は獣人化する・・・勝ち目なんかこれっぽっちもねぇ」

「さっきおまえがやったのは獣人化って奴じゃないのか?なんか目だけ獣になってたけど」

 恭一郎の疑問に首を振る。

「あれは俺のオリジナル技だ。俺は・・・獣人化が出来ない。どうも、身体が根本的に人間よりらしい。で、本来なら身体を変化させる為の生体電流だけが無駄に走りやがるもんで、なんとかそれを使えねぇかなって思って」

「・・・ワイヤーアップ・・・神経電流加速か。俺の仲間にはアドレナリンを異常分泌させることで加速する奴が居るけど、原理が違うな」

 恭一郎はふむと頷いて木刀をもてあそぶ、

「そうか・・・だが、勝ち目がねぇってわけでもねぇな。おまえの場合、今まで負けつづけなんてたいした問題じゃない。それなりに武術の道に踏み込んだ目で見れば、おまえの弱点ってのは丸見えで、かつ致命的だからな」

「俺の、弱点か・・・」

 呟く隼人の肩に恭一郎はぽんっと手を置く。

「ワイルドを装ってるわりに女に免疫が無いとかな。シャイボーイ」

「・・・・・・」

 隼人は無言で拳を振り抜いた。不意打ちにも慌てず恭一郎は上体をそらしてそれを回避。

「くそ!どうしてこうもあたらねぇんだ!」

「それが、おまえの弱点その1。攻撃前に視線の動きと表情でタイミングや何処を攻撃するのかがまる分かりってこと」

 呆然と硬直する隼人の目の前になんの前触れも無く・・・コマ落としのような唐突さで木刀が現れ、、軽く鼻の頭を押した。

「そこを直して突き詰めていくと、この『無拍子』の領域へと到達する。そこまでいく必要もねぇが、取り敢えず対策練らねぇとどーしようもねぇぞ」

「そんなすぐに治せるかよ・・・」

「普通なら治せねぇだろ。だから工夫するんだ。簡単なところではサングラスをかけるとか、相手の周りをぐるぐるまわって背後に差し掛かった瞬間に殴りかかるとか」

 恭一郎は指を折りながら思いつく対策を挙げていく。

「砂を蹴り上げて目隠しにする、いっそ攻撃方法を遠距離系・・・石投げとかにする。目をつぶって万歳突撃」

「なんか、どれも趣味じゃねぇなぁ」

 そんなこと言ってる余裕ねぇけど、と苦笑する隼人に恭一郎は笑みを深くした。

「いや、同感だな。ならやるべき策は一つだろ。相手に読まれてもかまわねぇくらいのスピードでぶちのめせ」

 隼人はそれを聞いて考え込んだ。しばし目の前の少年を・・・限りなく大きく見えるその少年を見つめる。

 決断は、すぐに下された。

「頼む!俺を鍛えてくれ!俺はあんたなら信じられる!」

 隼人は叫び、バッと頭を下げる。

「ってもな・・・俺は剣が専門だし素手だとからきし弱いぞ」

「いいんだ。どうせ今からきっちり格闘技習ったって覚えらんねぇ!弱点だけ叩きなおしてくれればいいんだ!頼む!この通り!」

 隼人はその場で土下座をして叫ぶ。不思議と恥ずかしさや屈辱は感じない。この男と一緒に居たいと問答無用に思わせる・・・そんな魅力を恭一郎から感じ取ったのである。

「・・・俺は、おまえを鍛えない」

「・・・どうしても、駄目なのか・・・?」

 悔しげな声に恭一郎はにやっと笑った。

「ただ、導くだけだ。おまえは自分で強くなれ。道は俺が示してやるから・・・自分の足で前へ行け。天を背負い、地を踏みしめ、自らのかざした刃でもって運命は切り開いていくもの・・・それが、神楽坂無双流の流儀だからな」

「お・・・おう!」

 その言葉がYESだということを理解して隼人は飛び起きた。

「よ、よろしく頼むぜ!師匠!」

「こぅのっ、馬鹿弟子がぁああっ!足をふんばり腰を入れぃ!」

 瞬間、恭一郎の鉄拳が隼人の顔面にヒットする。

「な、なんだ!?何が気に入らなかったんだ!?」

 あまり痛くないその一撃を喰らって面食らう隼人に、恭一郎は頭をかいた。

「あ・・・いや、すまん。『師匠』っていう言葉から反射的に・・・俺の中では師匠のイメージがこれなもんで・・・」

「そ、そんなによく殴るのか?師匠の師匠って」

「いや、俺のじゃなくて・・・」

 まさか、恋人に見せられたビデオに出てきた東方が紅く燃えてる人の印象が濃すぎたからだとは言えない。

「と、ともかく・・・一週間後なんだろ?明日から放課後にここに来い。俺に出来る限りのことはする。あとはお前次第だぜ」

「わかってる。俺は・・・もう、前に進むしかねぇんだ」

 

 

<風神のやり方・天より降り積もる雪・神を守る風>

 

 翌日、息せき切って約束の場所に辿りついた隼人を恭一郎は軽く片手を上げて出迎えた。その傍らには軽くウェーブのかかった髪の少女が立っている。

「よう少年。来たな・・・ぞろぞろと」

「・・・俺は、一人で来るつもりだったんだ」

 隼人は仏頂面で背後をちらりと見た。

「はぅ、すいません。気になったんで付いてきてしまいました・・・」

「・・・・・・」

 てへへと笑う愛子と何か言いたげにこちらをちらちら覗ってくる雪乃を一瞥し、正面の恭一郎に向き直る。

「師匠だって女連れじゃねぇか」

「ああ。こいつは・・・」

「陽気で素敵なおねぇさんよ」

 恭一郎は数秒間沈黙してから首を横に振った。

「・・・だ、そうだ」

「いや、さっぱりわからねぇ」

 呆れ顔の隼人に苦笑して恭一郎は木刀で自分の肩を叩く。

「こいつは天野美樹。俺の・・・まぁ、相棒ってとこか?俺と同レベルの馬鹿で、かつ失恋マニアだ」

「誰がマニアよ。そっちこそ初対面で人の下着くわえたスケベのくせに!」

 ぷいっとそっぽを向く美樹に恭一郎はひらひらと掌を動かして取り合わない。

「中身の入ってねぇ下着なんか、ただの布だろうが。それにしてもまた・・・なんか懐かしいこと持ち出してきやがったな」

「・・・そういや、もう一年半か。早いね・・・」

 なんだか遠い目になった二人を眺めて雪乃は三歩後すさった。

「下着を・・・口で・・・破廉恥な・・・!」

 うめくように言って、はっと顔をあげる。

「こ、これが!大人の付き合いというものですの!?」

「・・・たぶん、それはちがうんじゃないかとおもうです・・・」

 めずらしい愛子のつっこみは放っておき、隼人は美樹に頭を下げる。

「乾隼人。師匠にはこれから世話になります」

「おお、礼儀正しいじゃないの。おねーさん気に入ったわ」

 笑顔でパンパンと隼人の肩を叩く美樹に雪乃はむっ!と顔をしかめた。それを横目で見た美樹の顔が対照的にニヤニヤとほころぶ。

「・・・さて、じゃあ1日目を始めるか」

 そんな光景を無視して恭一郎は手足の関節を手早くほぐし始めた。

「お、おう!」

 ストレッチを終え木刀を袋から引き抜いた恭一郎に隼人はやや緊張しながら頷く。

「まあそんなに固くなるな。とくにおまえはスピードが鈍ったらそこで終わりだし」

「ふ〜ん、タイプで行くと愛里さんに近いの?」

 近くのベンチに腰掛けて観戦している美樹の横槍に恭一郎は肩をすくめた。

「あいつはスピードそのものより、自在に方向転換できる柔軟性が武器だ。どっちかっていうと直線突撃のエレンとか貴人の方が近いだろ。愛里の話を聞いた感じじゃ、空手部の主将が更に近い戦い方をするらしいけど」

「俺は・・・近づいて殴る以外考えたことなかったからな・・・」

 隼人は昨日の戦いを思い出す。突進し、よけられ、為す術もなくやられる。その繰り返しを。

「俺のスピードならそれでいいって思ってた。だけど、俺のスピードにそこそこの奴なら対応できるっていうんなら・・・これじゃあ、駄目なんだよな」

「ああ。今日はまず・・・それを含めたお前の弱点を認識してもらう」

 恭一郎はだらりと腕をたらした自然体になってニヤリと笑う。

「かかってこい少年。取り敢えず、俺の体のどこか一部にでも触れればおまえの勝ちだ。この木刀以外だったら服だろうが靴だろうがどこでもいいからな」

「な、舐めてるな師匠・・・それ位、やってみせる!」

 叫び、重心を落として身構える隼人に恭一郎は顔をしかめた。

「減点1。叫んで相手を警戒させるくらいならさっさと攻撃する。こんなふうに。風牙!」

 瞬間、地を這うような低い姿勢で突撃し、隼人の足を木刀で薙ぎ払う。

「ぬああああっ!?」

「二輪、岩槌!」

 強烈な足払いに宙へ浮いた胴体へと柄を叩き込み、

「三輪、閃光っ!」

 そのまま、伸びのある平突きでその身体をたっぷり3メートル弾き飛ばした。

「おおおおおおおお!?」

「は、隼人っ!?・・・やりすぎですわ!」

 ごろごろ転がっていく隼人に雪乃は思わずベンチから腰を上げた。その腕を美樹が素早く掴む。

「はーいはいはい、あれは手加減モードだから大丈夫。だいたい、あれくらいでいちいち心配してたらバトル人生送ってる彼氏とはつきあえないわよ?」

「か、カレシ!?わ、わた、わた、わた・・・!」

 わたくしの一言も言えないほど焦っている雪乃をよそに隼人は恭一郎に突撃しては転がされるという昨日と同じ展開に陥っていた。

「お、俺って進歩ねぇ!」

「どこぞの炎を操る古武術の弟子か?おまえ」

 恭一郎は苦笑まじりに呟き・・・

「取り敢えず・・・これでラストだ!」

 叫びざま鋭い前蹴りで隼人を再度吹き飛ばす。

「ぐっ・・・俺は、まだやれる!」

 あまりダメージはなかったのかすぐに起き上がった隼人を恭一郎は手で制した。

「今のはどっちの勝ちだと思う?」

「わ、わかってるよ!俺の負けだろ!?でもまだ・・・!」

「ギャラリーはどう思う?」

 聞かれて雪乃はその秀麗な顔を思いっきりしかめた。

「嫌味な人ですわね・・・いぬ・・・隼人の負けですわ!そんなこと言わせて楽しいんですの!?」

「楽しいが、そういう事じゃない。森永はどう思う?」

 いきなり話しを振られて愛子は『ほぇ!?』とのけぞったが、やがておずおずと口を開く。

「あの・・・今の、隼人さんの勝ちだと思うですけど?」

 隼人は苦笑し、自分の拳を見つめた。

「いいんだ森永・・・届かねぇのはわかってたんだから・・・無理しなくても」

 それを見て恭一郎は大きく腕を広げた。

「森永、正解」

「ナニィ!?ナ、ナンデダヨ師匠!」

 思わずエセ外人のような喋りになった隼人に愛子はきょとんと首をかしげる。

「えと、あの・・・体の一部が触れたらってことだったですから・・・足の裏も、体だとおもうですけど・・・」

「そう。『おまえが』俺に触れたとき限定だなんざ言ってねぇだろ?頭が固いな少年」

「が・・・」

 驚愕に魂が抜けている隼人を見やり、恭一郎は言葉を紡ぐ。

「おまえは今、自分の力をぶつけることしか考えてない。だが、戦う以上は相手が居る。自分自分で相手を見てねぇことも弱点のひとつだ。相手に何を伝えたくて戦うのか・・・ただぶちのめせばいいのか、認めてもらうのか、足止めだけすればいいのか・・・」

 なんか説教くせぇな俺も、と恭一郎は小さく笑った。

「戦う意味もまた、戦いの数だけある。何の為に戦うのか・・・それを履き違えるなよ。少年」

「あ?お、おう」

 よくわかっていない風の隼人に恭一郎はニヤニヤした笑顔になる。

「ま、そのうちわかる。おまえも俺と同じで・・・恵まれすぎるくらい恵まれた環境に居るみたいだから。なぁ?」

 最後の『なぁ』は愛子と雪乃に向けられたものだ。

「はぇ?」

「な、なんですの?その不気味な声は!」

「・・・まぁねぇ。あんたは恵まれすぎだもんね」

 三人の少女のそれぞれのリアクションに恭一郎は大きく手を広げて答え、隼人に向き直る。

「さて、技術面だが・・・取り敢えず突撃する前に歯ぁむき出すのをなんとかしろ。接近戦での狙いがバレバレなのはしょうがねぇからこの際遠距離からの突撃一本に攻撃を絞る。おまえのスピードならタイミングさえばれなければヒット&アウェイが成立するはずだからな」

「そ、そんなにわかりやすいのか?俺の癖って・・・」

「・・・わたくしでもわかりますわよ」

 外野からぼそっとつっこまれて隼人はガクリとうなだれた。

「まぁ、覆面するとか仮面かぶるとかって手もあるからな。後は・・・6日で覚えられるかはわからないが、いくつか俺の技を使いな」

「・・・覚えるさ。あんたに負けた瞬間から・・・俺は這い上がるだけだって決めたからな」

 呟き、身を低くして構える。

「いいぞ少年。俺は出し惜しみしねぇ・・・こい・・・!」

 

 

 その日、隼人は計18回気絶した。

 

 

「・・・生きてますか?」

 自室に戻ってくるなり昏倒するように床に沈みこんだ隼人の後頭部に向けてナインは声をかけた。

「・・・生きてる。一応」

 隼人はかろうじてそれだけ答えて自分のベッドへと這い寄る。

「どれどれ、ちょっと見せてください」

 ナインはそう言いながら近づき、ベッドに登ろうとする隼人の体の各部を押したり捻ったりしてみた。

「・・・よ、せ・・・触るなって・・・痛ぇ・・・」

「ふむ、さんざん殴られてますが打ち身以外どこも傷になっていませんね。もちろん、細かい擦り傷や切り傷はいっぱいありますが」

 隼人は舌打ちをし、ベッドに登るのを諦めてぐったりと床に寝そべる。

「そんなに手加減されてるのかよ俺は・・・」

「いえ・・・なんというか・・・こんなダメージの負い方は始めてみます。打点から衝撃が拡散して体全体へ均等に散らばる。本来なら一点に集中して骨を折る一撃が広い面への打ち身になる。日本には殺さず征圧する武術体系があると聞きましたが、その一つの使い手なのかもしれませんね。あなたが戦ったのは」

 ナインは立ち上がり、湿布をもらう為に寮の医務室に向かった。

(・・・確か、その武術の名は・・・神八式・・・でしたか?)

 歩きながら、蓄えた変身可能なキャラクターの中から治療に長けたものをピックアップしていく。

「針灸・・・薬師・・・マッサージが上手い娘が70番台に居たはず。あとは・・・」

 

 

 翌日も、その翌日も。

「沈み込みが低い!足腰が強えんだからそれを信じてもっと低くだ!」

 薙ぎ払う一撃が。

「ふざけてんのか!?小細工できねぇんなら速度を上げろ!」

 喉元を抉る突きが。

「一撃打ったらすぐ動け!掴み放題じゃねぇか!」

 投げで地面へ叩きつけられる衝撃が。

「くそ・・・まだ!もう一回頼む!師匠!」

 容赦なく体に襲い掛かってくる中、隼人は十数回目の挑戦を開始した。

「・・・本当に、大丈夫なんですの?」

 それを遠く眺め、雪乃は自分が痛めつけられているかのように顔を歪める。愛子が掃除当番な為、今日もなんとなく見に来てる美樹と二人だ。

「ああ、大丈夫大丈夫。隼人くんは頑丈だし、あたしも喰らったことあるけど恭一郎の剣ってダメージが長引かないから。それに・・・」

 美樹は注意深くその戦いを観察してひとつ頷いた。

「うん。それに、隼人くん・・・どんどん動きがよくなって来てるよ」

「え・・?」

 相変わらず突っ込んでいっては打ち倒される無限運動を続けている二人を雪乃は疑わしげに眺める。

「ほら。ときどきかわしてる。あ・・・恭一郎、今の一撃、手首を返して受けてたでしょ?あれって緊急回避なのよ」

「今のは悪くねぇ。だが、それ以上でもねぇ!歯ァ食いしばっとけ!天照・・・手加減版!」

 言っている間に隼人は再度地面に叩きつけられた。即座に飛び起きて再度戦い始める。

「・・・よく見てらっしゃるんですわね。風間さんのこと」

 ため息のような声に美樹は苦笑した。

「そりゃ、相棒だから。でも・・・あいつの彼女はもっともっと見てるわよ?」

「はい!?あ、あの・・・天野さんがご交際なされてるんじゃありませんの!?」

 美樹はがくっとつんのめり、ずるずると身を起こす。

「な、なにをどうしたらそうなるわけ!?」

「いえ、なんというか、打てば響くような受け答えといい似通ったキャラクターといい、なんだか長年つれそった伴侶のような収まりのよさですので・・・」

 雪乃は目を丸くして美樹と恭一郎の間で視線をさまよわせた。

「あの、ほんとに?照れてるとかじゃありませんの?」

「・・・そ。あたしは・・・ただの相棒。恋人には・・・なりそこねたから。何も言えなかったあたしには、それだけでも贅沢だけどね」

 美樹は喉で笑い、片目を閉じる。

「だから思うわけよ。素直になれないってのは損だなって」

「な、何が言いたいんですの!?」

 雪乃は口を尖らせ、隣で笑う少女を睨む。

「あたしの目は誤魔化せないわよ?失恋マジシャンとかクイーン・オブ・ハートブレイクとか呼ばれてるのは伊達じゃないから」

「・・・酷く不名誉な称号ですわね」

 はっきり言われて少し傷ついた表情の美樹はやがて苦笑と共に空を見上げた。

「でも、そのまんまだからしょうがないか。最初の彼氏は遠距離恋愛のつもりがさっさと別の彼女作ってたし、あいつらは元から入り込む隙間が無かったし、ちょっといいなって思う男子はみーんな売約済みだしねぇ・・・」

 壮絶な事実をあっさりと言われて雪乃の頬が引きつる。

「雪乃ちゃん。ここ一番ってときに・・・ためらったら負けよ。あたしはこれで満足しちゃった失恋プロだけど、こういうのは目指しちゃ駄目だからね」

「・・・べ、別に・・・わたくしは隼人がどうとかいうわけではありませんわ・・・」

 紅くなってようやくそれだけ言った雪乃は、なんとなくため息などついて隼人を眺めた。

「ほんとに、まだそういうのじゃありませんわよ・・・」

 まだ、と制限をつけた自分に気付かず、雪乃はもう一つため息をつく。

「天野さんは、なんだか大人ですわね・・・」

「ん?年はいっこしか変わないんだけどね。まぁこの学園で1年も過ごせば強制的に成長させられるかも。特に、あいつは周りの人を引っ張って成長していく奴だしね・・・」

 視線の先では本日何回目かもわからない気絶状態に陥っている隼人を靴の先で蹴飛ばす恭一郎。

「・・・ほんとに成長してるんですの?」

「・・・多分」

 

 

 土日をはさんで6日目の放課後。恭一郎のもとへ現れた隼人は一通の封筒を持っていた。

「・・・招待状、ってわけだ」

「ああ、師匠。明日、龍実大学の近くの林の中で待ってるそうだ」

 今日は愛子も雪乃も来ていない。隼人に睨まれてしぶしぶ諦めている。

「そうか。俺のレクチャーもこれで終わりってわけだな」

「・・・俺は、強くなれたのか?」

 聞かれた恭一郎は大きく両手を広げて見せた。

「知らん」

「し、しらねぇって・・・」

 呆然とする隼人にいつものようにニヤリと笑う。

「おまえの前に立ちふさがった壁をぶち壊す為のハンマーは既に渡した。だが、そいつを振り上げる意思も、振り下ろす勇気もおまえ次第だ。言ったろ?俺は道を示すだけだ」

「・・・ああ。すまねぇ師匠。少し弱気になってただけだ」

 パンッと拳を掌に打ち合わせて気合を入れなおしている隼人に恭一郎は軽く頷いた。

「よし。じゃあ、最後のレクチャーだ」

 言葉を区切り、鋭い眼差しで隼人を打つ。

「最後は・・・俺と戦え!」

「な・・・そんな、師匠と戦うなんて・・・!」

 隼人はひとしきり驚きのリアクションをとってから冷たい目で恭一郎を射った。

「いつもどおりじゃねぇか師匠」

「おう、ツッコミごくろう」

 恭一郎はカラカラと笑って木刀を地面に突き立てる。

「だが今日は・・・俺が素手で戦う」

「素手?師匠、前に剣使わないと戦えないって言ってなかったか?」

「ああ。蹴りや投げは使うが・・・どの技も片手に剣を握ってることを前提にしてるからな。だが、それじゃもう足りねぇんだ」

 恭一郎の視線は厳しい。

「言ってなかったが・・・俺が強くなろうと決心したのは、ある女を守ろうと思ったからだ。どんな暴力もあいつの笑顔を曇らせないように、その為の盾になる剣であろうと決めた」

「天野サンが言ってた神楽坂サンってひとのことか?」

 隼人の問いに頷く。

「あいつは無防備だからな。それに・・・あいつの価値は、これから更に上がっていく。おまえ達アザーズが表に出始めたなら、あの全肯定の性格と政治力だ。必ずあいつにも何らかの役割が回ってくるだろうよ。そうなれば・・・学生レベルの『強い』じゃ守れねぇんだよ」

「師匠の実力ってのは学生レベルなのか!?とてもそうは思えねぇぞ!」

 恭一郎は地に突き立てた木刀に目をやった。

「剣さえあれば、プロとしてやっていける自信がある。だがそんな限定じゃ意味がねえ。素手だろうが片足もぎ取られてようが・・・勝たねばならないときには勝つ。そんな力が必要なんだ・・・ここから先に進む為に」

「師匠なりの壁ってわけか・・・徒手空拳が」

 隼人は呟いて拳を握る。

(強いわけだ・・・俺に無くて師匠にある・・・最大の強み。自分の何処を直せばさらに高いところに行けるかを見抜ける目、か)

「なら行くぜ師匠!さんざぶちのめされた成果!体で味わってくれ!」

「来い!」

 短い叫びと共に恭一郎は見よう見まねのボクシングスタイルで構えた。

「てぇああっ!」

 正面から突っ込んできた隼人はコンパクトな振りで右拳を繰り出した。恭一郎は即座に右腕を動かし・・・

「っ・・・しまった!」

 あらぬ空をその手でかき回した。体が慣れ親しんだ防御は剣での受け。だが今は木刀など握ってはいないのだ。

「っ飛べぇっ!」

 叫びと共に。

 ガコンッ・・・!

 隼人の拳が恭一郎の頬を直撃した。骨の鳴る鈍い音が響く。

「よっしゃ!初ヒットだ!」

「一発くらいで浮かれてんじゃあねぇ!」

 歓声を上げる隼人の腹へ恭一郎はすかさず拳を叩き返した。どんっ・・・とやや低い音が鳴る。

「っ・・・効いてねぇぜ師匠!」

「なら効くまで殴る!」

 叫びながら恭一郎が放った二撃目を左腕で受けがし、隼人の右拳が恭一郎の鳩尾を狙う。

「ぐはっ・・・調子乗ってんじゃねぇぞ!」

 『く』の字になった恭一郎は、しかしその場で拳を打ち返した。攻撃後で無防備な顔面に吸い込まれるように一撃が入る。

「が・・・今度は結構・・・どりゃああっ!」

 よけたり受け流したりという動きはあまり無い。ただ愚直なまでに、正面の敵に拳を叩きつけるだけの、偽りない『殴り合い』が続く。

「くそっ!足に来た!」

「よっしゃあっ!とどめ行くぜ師匠っ!」

 数十発目のやりとりの後、軽くよろめいた恭一郎を見て隼人はダンッと地を踏み鳴らした。

「ボディ・・・もらったああああっ!」

絶叫と共に渾身のボディーブローを恭一郎の腹に叩き込む。

 ズドンッ・・・!

「かは・・・っ」

 大砲を打ち鳴らしたような重く響く打撃音と共に恭一郎は空気の塊を吐き出した。その体が、拳の威力のみで僅かにだが宙に浮く。

(勝った!?いや!)

 その瞬間こそ最も危険だということを、隼人は知っていた。目の前の男に、なんどそれを教えられたことか。

 だから。

「神楽坂無双流・・・!」

 一度大きくのけぞり、崩れ落ちかけた恭一郎の口からその叫びが漏れた瞬間には隼人は既に追撃の拳を振り上げていた。

「相打ち上等っ!」

「それが、甘いっ!」

 打ち下ろす隼人の拳を睨み、恭一郎は両の掌打を突き出した。

 とんっ・・・

「は?」

 強く腹筋を引き締め恭一郎の一撃を受け止めた隼人はそのあまりの軽さに思わず声を上げた。軽く押してきただけといった一撃はなんのダメージも生み出さない。

(なんだ!?)

 疑問に思いながらも隼人はトドメの一撃をそのまま打ち抜こうと拳を振り下ろした。

 刹那。

「外技、破陣っ!」

 ズダンっ・・・!

 爆音が、二人の足元から響いた。

「が・・・!?」

 同時に、隼人の腹にも無音の衝撃が走る。引き締めた腹筋の防御が無いかのように直接内臓ではじける痛みが。

「おああっ・・・がっ!」

 胴体を突きぬけ背中ではじけたような、これまで感じたことの無いダメージに目を見張りながら、隼人の膝がカクンっ・・・と落ちる。

(駄目だ・・・力・・・入らねぇ・・・)

「っ、と」

 恭一郎は自らもよろけながらその体を素早く掴み止めた。

「おぅい少年。生きてるかー」

「生きてる・・・でも、なんだ?最後のアレ・・・」

 隼人は呻くように言ってその場に座り込む。

「俺が知ってる中では最強の奴が使ってた技でな、一発目で軽い打撃を与え、打ち込んだ振動が跳ね返ってきたところにカウンターの寸剄を打ち込む。他にも色々やってるが原理はそんなもんだ。もともと固い甲冑を着た奴に使う技だったらしいぜ」

 恭一郎もまた、その正面にべたんと胡坐をかいた。そのまま空を見上げる。

「両手打撃技だけに・・・実戦でははじめて使った。ついでに、ここまで殴られたのも久しぶりだ」

「くそ・・・しっかしよ、さっきの、マジで勝ったと思ったぜ師匠。普通膝落ちそうになってからあんな大砲打つか?」

「・・・実際、負けそうだったんだよあれは」

 恭一郎は空の蒼さに目を細めて呟く。

「でもな、俺はそれでも風間恭一郎だから・・・あいつが無敵だって言う限り・・・俺は負けられねぇのさ。俺が目指している、そしてあいつが信じている『風間恭一郎』になる為に」

「・・・よく、わかんねぇ」

 隼人は呟いて後ろに倒れこんだ。大の字になって同じ空を見上げる。

「いわゆる精神論って奴か?」

「ああ。それだけじゃまったく役に立たない代物だ。だが、ここぞという時の力を生むのも、それだ。だから俺は一番苦しいときにこう言う。『俺は風間恭一郎だ』ってな。俺が負けるだけなら甘えが許される。だが、『風間恭一郎』が負けるってのは・・・その名前を信じてくれる全ての人間に対する裏切りだ。負けられねぇよ」

 恭一郎はまだ落ちるには早い太陽に右手をかざす。

「俺は、またひとつ風間恭一郎であることを証明できたってわけだ・・・おまえは、どうだ?」

「え?」

 起き上がった隼人を残して恭一郎は歩き出していた。背中越しに声だけが届く。

「おまえがおまえらしくある事を願ってくれる人のこと、裏切るんじゃねぇぜ?・・・なぁ、乾隼人。おまえの名を呼ぶ奴らのことを・・・忘れんなよ?」

 ひらひらと手を振りながら去っていく恭一郎に隼人は深々と頭を下げた。

「ありがとうございましたっ!」

 

 

 

<そして、対峙・無双・天より白きひとひらの>

 

 翌日。

 隼人は一人決闘場へと向かっていた。

 何か言いたげなナインを無視して朝から学校をサボり、そのままの足でのことだ。

「早かったですね」

 誠司はそこに悠然と立っていた。真っ白な学生服に身を包んだ、細身の体。

「いやいや、待ちきれなくてな」

 言ってニヤリと笑った隼人に誠司は軽く眉をひそめる。

「・・・なんだか、余裕があるようですね」

「表面だけだ。実はドキドキだ。もちろん嘘だが」

 肩をすくめる姿に誠司の戸惑いがより深くなった。

「・・・なにか悪い薬でも?それとも恐怖で神経が?」

 やや心配げな誠司の言葉に隼人は唾を吐き捨てて表情を引き締める。

「おまえごときをぶちのめすことに・・・恐怖などあるか」

「・・・ただの虚勢でしたか。言っておきますが、あなたが負ければ二度と・・・」

 誠司が顔をしかめて言いかけた瞬間だった。

 ヒュッ・・・

「え・・・?」

 軽い風切り音と共に誠司の制服の第一ボタンが弾けとんだ。

「・・・御託はいい。さっさと獣化しろ」

 声は、背後から聞こえる。

「そうしねぇと、一方的にボコられて終わるぜ?」

 隼人はそう言って、もぎ取ったボタンを握りつぶす。

「・・・口だけではないようですね」

 誠司は冷たい笑みを浮かべて隼人のほうへ向き直った。視線の先に立つ隼人の瞳は既に瞳孔が縦に長い獣のそれになっている。

「いいでしょう。大神本家であるということが・・・どういうことなのか、再び味わいなさい。死にたくなければ、あなたも何とか獣化してみせることです」

 言い放った瞬間、ゴキリと頭蓋骨が歪んだ。一瞬で狼のそれに変わった頭を支える首が、両腕が、筋肉を膨張させていく。

「獣化はできない。だけど、する必要なんてねぇ」

 見る間に変身していく誠司。その爪に、その牙に隼人は何度と無く死の寸前まで追い詰められている。

 体が覚えているその恐怖。圧倒的に違う戦闘者としてのキャリア。

「俺は勝つ・・・それだけだ」

 その全てを叩き潰し、隼人は固く拳を握った。

「・・・獣化できないのなら大神家はあなたを必要としません。ここで・・・」

「御託はいいって言っただろうが!」

 誠司が狼の口から器用に放った言葉を隼人は中途で断ち切り大地を蹴る。誠司は素早く構えをとって叫んだ。

「そんな直線的な攻撃は不意打ちでしか!」

「神楽坂無双流『拳』術!」

 それに答えるのは、叩きつけるような烈声!

「風牙ぁぁっ!」

 瞬間、凝視していたはずの隼人の姿が誠司の視界から消えた。

「なっ!?」

「ボディ、貰ったぁっ!」

 ドゴンッ・・・!

 叫びと共に誠司の腹に拳がめり込む。

「くっ・・・いまのは・・・!」

「二輪、火車薙!」

 そのまま流れるようにシフトした足払いを背後に飛びのいて回避した誠司は喉の奥で軽く唸った。

「少し、驚きました。ですがそれだけです」

「一発入った。なら、後は倒れるまで殴るだけだ」

 低い姿勢のままで言ってくる隼人に誠司の口元が笑みを浮かべる。

「調子に乗らないでください。以前からそうでしょう?あなたにあるのは・・・」

 言いながら、誠司はすり足で隼人に近づいた。

「速さだけなんですよ!」

「そんだけありゃ十分だ!」

 振り下ろされた爪を回り込んでかわし隼人は無防備な背中に拳を叩き込む。

 だが。

 ガツッ・・・!

 固い感触が、拳を走った。

「なんか入れてやがるのか!?」

「ただの、筋肉ですよ」

 声と共に、振り向く動きのまま放たれた裏拳が隼人の側頭部を薙ぎ払う。

「がっ・・・!」

 脳を直接揺らされたかと思うほどの衝撃と共に吹き飛ばされた隼人は地面に叩きつけられてバウンドする。

「所詮、非力だということです」

「はっ!それがどうした!」

 隼人は即座に飛び起きて再度突撃を開始する。

「あなたは馬鹿ですか?ダメージを与えられなければ・・・!」

 それを迎撃する左右の爪の牽制を見据え、隼人の口が笑みの形になる。肉を裂き、骨を抉るその刃が肌に触れた瞬間・・・

「馬鹿はてめぇだ・・・!」

 爆発のような勢いで隼人は加速した。

「何ですって!!?」

 頭を僅かに傾けて爪の直撃を避け、残像が網膜に残るほどの踏み込みで隼人は懐へ飛び込んだ。

「だぁああっ!」

 ズドンッ・・・!

 瞬間、砲撃にも似た打撃音が誠司の腹ではじける。踏み込む速度の生み出す勢いでもって打ち込まれたカウンターの一撃である。それは当然・・・

「ぐ・・・あっ・・・!」

 獣人特有の頑強な肉体を持ってしても中和しきれない強烈な打撃となって誠司の体をくの字に折り曲げた。

「っしゃあっ!」

「!・・・やはりあなたが馬鹿ですね・・・!」

 しかし誠司はそう叫び隼人の体に腕を伸ばす。

「すぐに離脱すれば、勝機もあったものを!」

「しまっ・・・!」

 恭一郎に指摘されたその欠点をさらしてしまった失態に隼人の顔が歪んだ瞬間。

「掴みましたよ!」

 叫びと共に誠司の腕ががっしりと隼人の首を掴んでいた。

「糞ぉっ!」

 振り払おうとする隼人の動きをその豪腕が引き留め、間髪を入れず膝蹴りが鳩尾に叩き込まれる。

「オグッ・・・!」

 こみ上げる胃液に奇妙な声を漏らす隼人の腹に、二発、三発と容赦なく膝が突き刺さる。

「今までよりはましでしたが、所詮この程度でしたか!」

 6発目の膝蹴りで隼人の体が浮いた。誠司は素早く手を離し、背後に回りこんで再びその体を掴む。

「く・・・そ・・・!」

首に回された腕が隼人の頚動脈を締め上げる。それは、完璧なまでに決まったスリーパーホールド。

「はな・・・せ・・・っ」

 首に食い込む鋼のような腕に爪を立て、全力で引き剥がそうと隼人はもがくが・・・

「無駄ですよ。ここまで入ってしまっては、もうはずれはしません」

 誠司の冷徹な声と共にその腕は一層深く閉め上げを続ける。

(畜生!畜生!畜生!まだだ!まだ終われねぇ!終われるかよ!)

 声どころか息も漏れない口を固く結び、隼人は抵抗を続けた。

「あ・・・が・・・!」

「やれやれ・・・早くあきらめれば楽になれるものを」

 誠司の声が遠くなる。視界が赤くなり、やがて白くなっていく。

(白い・・・白・・・雪・・・雪乃・・・)

 途切れゆく意識の中で浮かんだのは何故か、いつものように怒鳴り散らす雪乃の姿であった。

 

 

 

 遡ること、数十分前。

「見つけましたわ!」

 恭一郎は予想通りの来客に肩をすくめていた。

「よう。何か用か?」

「な、何か用かではありませんわ!隼人は何処に行ったんですの!?」

「雪乃さん、少し落ち着きましょうです・・・」

 激昂する雪乃をなだめる愛子にちらりと笑みの混じった視線を向け、恭一郎は木刀で自分の肩をトントンと叩く。

「あいつなら戦いに行った。知ってるだろ?」

「だから!場所を聞いてるんです!シュピーゲルから聞きましたわよ!?あなたには話したんでしょう!?」

 ふむと一つ頷いて恭一郎は目を細めた。

「ひとつ聞くが・・・おまえ、それを聞いてどうするんだ?」

「どうするって・・・それは・・・」

 口ごもった雪乃に冷たい視線を向けたまま質問を続ける。

「負けたら全てを捨てる覚悟で・・・それ故に一人で戦いに赴いたアイツのもとへ行こうというのか?」

「わ、わたくしは・・・」

「アイツの元へ行き、アイツが負けそうになっていたら、おまえは声をかけるのか?負けるなと叫ぶのか?アイツの勝ち負けをおまえが背負うのか?」

 矢継ぎ早に繰り出される質問に雪乃は思わず後ずさった。

「その、でも、わたくしは・・・」

「おまえ達にその覚悟は在るか?あいつの人生に干渉する・・・それはつまり、あいつと契るということだ。これから先、たとえその身が離れることがあってもけして裏切らず、欺かず、共にあるということだ。その誓いがたてられないのなら・・・今すぐ帰れ!」

 押しつぶされそうなその重い声に雪乃がもう一歩下がった時だった。

「はいです。わたしはずっと前からそのつもりですよ?」

 愛子は、極めてあっさりとそう言って微笑んだ。

「隼人さんは、わたし達のお友達ですから。隼人さんが嫌だっておっしゃるまで、わたしは絶対に、隼人さんを裏切ったりしないです」

「ほう、言い切るか。森永」

 感心したような恭一郎の声に一つ息を呑み、雪乃はぐっと拳を握った。

「わ、わたくしとて・・・友人を見捨てたりはしませんわ!」

「へぇ?友人と称するか?しょっちゅう怒鳴られたりからかわれているって聞いたがな」

 一瞬言葉につまった雪乃はすぐに首を激しく振る。

「わたくし・・・里ではそれなりに敬われていました。だから・・・喧嘩したり、からかったり、からかわれたり・・・そんなこと、初めてなんです。だから、その・・・隼人は・・・大事な・・・」

 結局自分でもよくわからない思考に陥り黙り込んだ雪乃に恭一郎は小さな笑みを浮かべた。

「な、何がおかしいんですの!?」

「いや、笑ったりしてすまなかった。おまえらの勝ちだな・・・ほれ、これが地図だ。走れば今からでも間に合うだろうよ」

 恭一郎の差し出した紙片を奪い取るように受け取り、雪乃はそれに素早く目を通した。

「・・・龍実大そばの林・・・?結構遠いですわ!愛子さん!行きましょう!」

「はいです!では風間さん。さよならです」

「おう。気をつけてな」

 ひらひら手を振っている恭一郎には見向きもせず雪乃は全力疾走でその場から走り去った。その後をだいぶスピードで劣る愛子がついていく。

「・・・・・・」

 そして、二人の姿が見えなくなってから恭一郎は手を下ろし、一息ついた。

「恭ちゃん、演技派だね」

 その背後の木陰からひょこりと少女が顔を出した。神楽坂葵だ。

「乾くん、来ちゃ駄目だなんて一言も言ってなかったのに・・・ふたりともすんなり信じちゃった。それに、応援しただけで人生まで背負わなくちゃいけないの?」

「大げさに言っただけで嘘はついてねぇよ。まぁ、俺なりの援護って奴だ。これであいつらは全力で応援するだろう?」

 そう言って含み笑いを漏らす恭一郎の傍らに寄り添い葵はくすりと笑う。

「乾くんは恭ちゃんと同じタイプだって話だから・・・きっと声援でパワーアップするよね」

「・・・俺はもっとクールなナイスガイだからその程度じゃパワーアップしないぞ」

 恭一郎は憮然として呟いて木刀を担ぎなおした。

「だが、勝つさ。あいつはでかくなる。俺にはかなわないがな」

「そうだね。恭ちゃんは無敵だから」

 軽口にあっさりと頷かれて恭一郎は苦笑した。葵が本気で言っていることを、彼はよく知っている。

「おうよ。俺は風間恭一郎だからな」

 故に、恭一郎はそう言って葵の髪をくしゃくしゃとかき回した。

(こいつの為に、俺はどこまでも強くなる。おまえはどうだ?乾隼人・・・)

 

 

(俺は、弱い・・・)

 乾隼人は思い出す。

 3月に大神の名を奪われた。忌名である乾を名乗らされ、この学園にやってきて。

 愛子と出会い、ナインと出会い、そして雪乃と出会った。

 閉鎖的な家に半ば閉じ込められ、蔑まれてきた16年。大神隼人の、歴史。

 絶え間ないトラブルと、初めて味わう感情の数々。乾隼人の半年。

(・・・結局、俺は大神の名にはふさわしくねぇんだな)

 泡のように浮かんだその思い。

 それに押されるように隼人は最後に残された一息で、白い世界に浮かぶ雪乃の幻に話し掛けてみた。

「・・・結局、俺は負け犬だってことか・・・?」

「甘えてるんじゃありませんわよ!?乾、隼人っ!」

 返答は、現実の絶叫だった。

 

 

「甘えてるんじゃありませんわよ!?乾、隼人っ!」

 雪乃は反射的に叫んでいた。

 視線の先には、狼の頭と毛皮を持ったヒト。そしてそれに首をしめられ、眼に光を失った隼人。

 走りつづけた代償に荒れ狂う心臓と息を再度酷使し、強い声を放つ。

「這い上がるんじゃなかったんですの!?この一週間を無駄にするつもりですの!?わたくしが知ってるあなたはそんな諦めのいい男じゃありませんわよ!」

 誠司は口元に小さな笑みを浮かべて駆けつけた二人の少女に視線を向けた。

「無駄ですよ。彼の健闘があなた方のおかげというならば賞賛すべきでしょうが、ここまでです」

「そんなこと・・・あるわけありませんわ!」

 冷静な声に、熱情の叫びが立ち向かう。

「隼人の諦めの悪さはわたくしがよく知っています!たとえ実力で劣っていても・・・何度だって立ち上がるのが隼人ですわ!」

「・・・隼人は僕に何度となく負けているよ。この学園に来るまでの16年間を知らずによく言えるね。そんなことが」

 気分悪げに細められた視線と共に突きつけられた言葉を雪乃は胸を張って正面から受け止める。

「昔を知ってるごときで何を偉そうな!わたくし達と共にあった半年を知らないあなたこそ・・・賢しげに隼人を語るのをお辞めなさい!」

 実体があるかのような強烈な言葉に突き飛ばされ、誠司は僅かにたじろいだ。

「・・・何故そこまで言えるんです!?血のつながりもない、僅かにしか隼人と接したことのないあなたが!?」

「それは・・・」

 一瞬だけ言いよどんだ雪乃の言葉を引き継いで愛子は微笑んだ。

「お友達だからですよ?他に何が必要です?」

 臆することなく言い切ったその声に力づけられ、雪乃は一度目を閉じ、もう一度誠司を睨みつける。

「血が繋がっている?ならあなたは知ってるんですの!?隼人が子供に優しいこと、イカと格闘したこと、困ってる人が居たら知らんぷりしてても最後には『どいつもこいつも』とか言いながら助けてしまうこと!好きな歌手は?昼によく食べてる定食は?服の好みは?最近はまってるゲームは?見に行った映画は?どれかひとつでも知ってるんですの!?ついでに、犬呼ばわりされたときの怒りっぷりがおもしろいところとか知ってらっしゃるとでもいうんですの!?」

 

 

(そこでボケるか・・・それ言うなら、おまえの馬鹿っぷりこそおもしれぇ)

 白い世界に響く叫びに隼人は苦笑のような思考を脳裏で呟いた。

 瞬間。

(!・・・って落ち着いてる場合じゃねぇ!)

 隼人の指が、ピクリと動いた。

「答えられないなら黙っていなさい!どうせ後少ししたら隼人があなたのことを喋れなくなるまで叩きのめしますわよ!」

(勝手に話し進めやがって・・・)

「隼人!さっさと起きなさい!諦めのいい馬鹿など、ただの馬鹿ですわよ!」

『・・・るせぇっ!』

 瞬間、声にならない声で隼人は叫んでいた。萎えていた手足に電撃のように強く・・・そして一瞬だけの力が駆け巡る。

「何・・・!?」

 戸惑う誠司の腕を掴み、隼人は前に倒れ込むようにしてそれを引き込んだ。背負い投げの要領で二人の体が空中で一回転する。

 ばんっ・・・!

「っ・・・まさか・・・!」

 体が入れ替わったことで地面に叩きつけられた上に隼人の体重を浴びせられた衝撃に、誠司の口から驚きの声が漏れた。

「隼人!早く離れなさいっ!もう一度捕まったら終わりですわよ!」

「わかってる!うるせぇってんよ!」

 隼人は締め付ける腕が緩んだ瞬間に激しくもがき、拘束から脱出する。

「よし・・・戦闘再開だ!」

 飛びのき、間合いをとって叫ぶ隼人を睨み誠司はゆっくりと立ち上がった。

「同じことです。仲間の前で無様に敗北しなさい」

「はっ!てめぇのメッキはもう剥がれてんだよ馬ぁ鹿!世間知らずの雪乃ごときに論破されてるおまえに俺が負けるか!」

「誰が世間知らず・・・って雪乃?」

 隼人が無意識のうちに名前で彼女を呼んだことに気付いて雪乃の頬が朱に染まる。

「僕に勝てるという夢でも見てるんですか?」

「一撃だ。次の一撃でてめぇをぶちのめす。御託はその後に言えよ。言えればな」

 隼人は誠司の挑発に取り合わず姿勢を落とした。ゆっくりと地を踏みしめ、息を吸う。

「いいでしょう。その言葉、ただの格好つけでないことを祈りますよ」

 誠司は狼の顔に笑みを浮かべ、いまだ余裕を崩さない。

「せいぜい力を振り絞ってください。僕に勝てばあなたも大神姓を・・・」

「俺は・・・!」

 言葉を、隼人は咆哮でもって断ち切った。

「俺は乾隼人だ・・・!乾隼人で十分だ!てめぇらがおこぼれでよこすような名前などいらねぇんだよ!」

 全身に、力を込める。普段の加速を遥かに越え、放電するほどに神経電流が走り筋肉が収縮する。

「な・・・何ですって!?」

 思いもかけないことを聴かされた誠司の見せた一瞬の動揺。

 その、刹那の時に。

「おおおおおおおおおおおおおおおっっっ!」

 咆哮が、響き渡った。

同時にパンッ!という鋭い破裂音が隼人の足元ではじける。

(速い・・・!)

 それが隼人が地面を蹴った音だということに気付いた誠司は初めて戦慄を覚えていた。

(姿が・・・見えない!僕の目を持ってしても捉えられない!?)

 もとより研ぎ澄まされており、獣人化によって更に強化されている動体視力を持ってしても隼人の突進は目にうつらない。ただ地面だけが断続的に弾け、正面から突進してくる事実を告げる。

(そうだ。このスピードでは方向転換は無い。フェイントも無い。馬鹿正直に正面から突撃してくるのならカウンターの一撃で・・・!)

 声を発する余裕すらない一瞬を何十にも切り分けた刹那。弾丸にも等しいスピードで迫る隼人の進路上にカウンターの一撃を合わせようと誠司は腕を動かそうとし・・・

(ま、間に合わない・・・!?)

 悲鳴を、あげた。彼はよけるべきだったのだ。わずかにでも打点をずらせばダメージを拡散させることは可能だった。だが。

(カウンターをも封じる・・・絶速・・・いや、それ以上!神速の・・・)

 腕がほんの僅かに動いた、それだけの猶予しか与えずに。

 

 キュボッ・・・!

 

 肉と肉がたてるにしてはあまりに鋭角なその音と共に、隼人の拳が胸の中心に突き立った。

「が・・・!」

「ああああああああああああっ!」

 悲鳴と咆哮が交差する中、拳の骨が粉々になる感触を無視して隼人は拳を振り切る。

「ぶッ潰れろぉっ!」

 そして、絶叫と共に誠司の体は突進の勢いの全てを受けて地面に叩きつけられた!

「ぐ・・・がはっ!」

 地面にめり込み、衝撃の波紋を周囲に奔らせたその肉体の胸には拳の形をした陥没がたっぷり数センチ穿たれ、口からは鮮血が飛び散る。

 ビクリと震え、そのまま立ち上がる気配は無い。

「どうだ・・・・舐めてんじゃ・・・ねぇぞ」

 隼人はそれを見下ろして呟き。

「俺の・・・乾隼人の、勝ちだ・・・!」

 かすれた声で叫びながら、地面に倒れ込んだ。

「隼人!」

「隼人さん!」

 雪乃と愛子は慌てて二人に駆け寄った。先に抱き起こしたのは、当然隼人の方だ。

「は、隼人!?・・・す、筋が・・・両手両足の腱が・・・両方とも・・・切れてますわ・・・」

 起こした瞬間だらりと垂れた手足に触れた雪乃の顔がさっと青ざめた。腱の断裂・・・アザーズといえど、下手をすれば一生立ち上がる事すら出来なくなるほどの重症である。

「勝ったんですわよ!?あなたが!それなのに・・・こんな・・・これで最後でいいですの!?答えなさい隼人!」

 思わずあふれ出した涙を拭うことすら出来ず叫んだ雪乃の腕を、愛子はそっと掴んだ。

「大丈夫ですよ。雪乃さん」

「・・・?愛子さん・・・?」

 そっと囁くような優しい声に雪乃は顔を上げた。涙に歪んだ視界に映ったのは、黄金の光を宿した二つの瞳だ。

「大丈夫です。隼人さんは獣人さんです。これくらいの傷、すぐ治っちゃうですよ」

 笑みと共に見つめるその先で、隼人の腕がピクリと動く。

「隼人!」

「・・・るせぇ・・・耳元で怒鳴るな・・・」

 隼人は一時的に途切れていた意識を取り戻し、地面に手を付いた。

「ってぇ・・・痛ぇけど・・動く・・・」

「な、治ったんですの!?」

 目を丸くする雪乃に隼人は首をかしげる。

「治った?別にどこも怪我はしてねぇぞ。そりゃまぁあちこち痛ぇけど」

「手足の筋がぶっちぎれてたんですわよ!?怪我だらけですわ!」

 叫び、隼人の手足をまさぐる。そこには、確かに腱の張りが感じられた。先ほど触った時には、間違いなく柔らかい感触しか返さなかったのに。

「ほ、本当に元通りに・・・獣人というのはそこまでの回復力が・・・!?」

「いや・・・そんなはずはないんですが・・・」

「ぅわ!?犬神誠司!?や、やる気ですの!?」

 背後からいきなりかけられた声に雪乃はビクリと飛び上がった。

「いえ。この身体ですからね」

 既に人に戻っていた誠司は苦笑混じりに自分の胸を指差し、起き上がった隼人の傍らに立つ。

「骨は粉々、破片の多くは臓器に突き刺さっていますし筋肉もあちこちが断裂しています。気軽には戦えませんね」

 その凄惨な傷に似合わぬ気軽な口調で言って軽く肩をすくめる。

「もっとも、これ以上戦う意味もありませんが」

「俺は構わねぇぜ。これまで殴られた分、まとめて返してやる」

 睨みながら言ってくる隼人に誠司は首を振って見せた。

「やめておいたほうがいいですよ。本来、僕たち犬神の回復力は西洋のワーウルフほど高くはありません。そんな大怪我が一瞬で治る筈ないんですよ」

「あいにく、こっちはピンピンしてるぜ?」

 パンッと拳を掌に打ち付ける隼人を眺め、誠司は一人ごちる。

(・・・あの感触からして、隼人の拳も砕けていた筈。雪妖のお嬢さんの言葉からして、他にもダメージがあった。それが、まがりなりにも動けるようになっているなど・・・外から何かの力を受けたとしか思えませんね)

「・・・はい?」

 見つめられてきょとんと首を傾げる愛子に誠司は苦笑した。

(いや・・・まさか、ですね)

「ともかく・・・俺の勝ちだ。文句あるか?」

「いえ。認めざるを得ませんね・・・ですが、さっきのあれは、封印しておくべきだと思いますよ。自分の身体を破壊するようなモノは技とは言いません。そういうのは、自爆というのです」

 隼人は拳を握り、そこに視線を落とす。

「使いこなすさ。人間がどこまでも進化していくのなら、その亜種である俺達アザーズにだって可能性は広がってる筈だからな・・・」

 誠司は一つ頷き、軽く息をついた。

「さて。約束ですからね。あなたに対する追放を解除しましょう。今、この時から再び大神の名を名乗ることを許します。また、本家への帰参が許されますから、もうここに居る必要もありませんよ」

「え・・・?」

 息を呑んだのは雪乃だ。

「ちょ、ちょっとお待ちなさい!どういうことですの!?」

「隼人がここに居るのは、本家から追放された結果ですからね。本家へ戻れば、次期当主候補の一人としての居場所が待っているんですよ。僕に勝ったことで出来そこないといわれることもなくなりましたし」

 あっさりと言われて雪乃は愕然とした。何かを言おうとするが、あまりにあせって言葉が出ない。

「帰りましょう。隼人。これまで君を見下していた奴らを見返せますよ」

 隼人は俯き、戸惑う。

 ながきに渡り、不具者、できそこないと蔑まれていた。だが、一族でも最上層に位置する誠司をも倒す破壊力を生み出せるとなれば。

 いまだ戦いの時代を忘れず、その戦闘能力で持って個人の価値を測る大神本家において、隼人は確かな地位を築けるということになる。

 だが。

「俺は・・・乾隼人だって言っただろ?」

 隼人は晴れやかに顔をあげた。

「そして、乾隼人にとって大事なモンは全部この学園にあるんだ。ここを出て行くなんてこと出来るわけねぇだろ?」

 誠司はやや呆然とそれを聞いて首を振った。

「大神家を捨てるというのですか?当主を継げれば、何十億という資産と何百という郎党の忠誠を得られるというのに!?」

「ああ。勘当されて困るのは学費くらいのもんだし・・・そうなったらなんとかバイトでもするさ」

 こともなげに言い放つ隼人に、雪乃は頬が緩むのを隠せなかった。

 原因不明のその現象を隠そうと、雪乃はそっぽを向いて思わずにへりと笑ってしまう。

「な、なに笑ってんだ?おまえ。不気味だぞ?」

「だ、誰が不気味ですか駄犬風情が!」

 隼人の不審気な声に耳まで真っ赤になった雪乃が叫び返した。

「んだと!?誰が駄犬だゴルァ!俺は誇り高き山犬としてだな・・・!」

「ははぁん、野良犬の遠吠えですわね?カルカンでも食べてなさい」

「カルカンは猫の餌だ!この常識無しのですわ星人!つめが甘いんだよてめぇは!」

「う・・・わ、わざとですわ!」

 いつもの怒鳴りあいをはじめた二人を眺めて誠司はふぅと息をついた。

「やれやれ。しょうがないですね」

 その口元には、嬉しげな笑み。

「まぁ、大神の血族に新たな血を入れると考えれば、外の世界に分家を作るのも悪くはありませんか」

「な・・・?」

「はい・・・?」

 その言葉に含まれる微妙なニュアンスを嗅ぎ取った二人の動きが止まった。愛子だけが、ほぇ?と首をかしげている。

「幸い、雪妖は山神系でルーツが我々と同じですから子を為す事もできますし。強力な力を持った二代目を期待しましょうか」

「二代目・・・?」

「子を為す?」

 鸚鵡返しに呟いた二人の顔がしゅぼっと紅潮した。

「な、なにをビッグな馬鹿話してやがんだおい!」

「子、こど、子供!?何がどうなって飛躍すればそういうお話にななななるんですの!?」

 だが、誠司は全く取り合わず雪乃の肩をぽんと叩く。

「まぁ、苦労なさることも多いと思いますが・・・息子のこと、宜しくお願いしますよ」

「ですからわたくし・・・は?」

 雪乃は抗議を続けようとしてピタリと硬直した。耳にした言葉に、どこか違和感を感じる。

「・・・息子?」

 感情の抜け落ちた、まったいらな声に隼人は深くため息をついた。

「だから、若づくりも大概にしろっていつも言ってんだろうがよ。親父」

「お、お父様!?」

「はわっ!ゆ、雪乃さん!?お気を確かに!」

 そのまま背後に倒れこみそうな雪乃を愛子は慌てて支えた。それを眺めて誠司はニコニコと微笑む。

「改めて自己紹介しましょう。隼人の父です。末永く宜しく。義理の娘候補さんたち」

「親父・・・こんどは顔面陥没させるぞてめぇ・・・」

「宜しくお願いしますです誠司さん」

「森永も素で答えてんじゃねぇ!」

 

 

<そして幕は又上がり・六合学園剣術部・鏡と狼>

 

 乾隼人は、その建物の前に立っていた。

 歴史を経て、幾度も補修を受けながらその内に幾百、幾千の戦いを記憶している、その建物。

「剣術部練習場・・・ここか」

 さげられた看板・・・何故か『武運長久』『必勝祈願』などかかれたお札に混じり『喧嘩上等』『愛馬凶暴』、しまいには『安産祈願』まで貼られている・・・を見上げて頷く。

 誠司との決闘から数日。傷も体力も既に全快していた。

「あんな自爆みてぇな技じゃ駄目だ・・・俺はもっと強くならなくちゃいけねぇんだ」

 呟き、ドアを押し開ける。

「師匠!居るか!」

「あん?」

 今日も今日とて放課後のまったりタイムを練習場の片隅で過ごしていた恭一郎は羊羹をくわえたまま顔をあげた。

「おう、乾か」

 ひらひらと手を振る恭一郎のもとに隼人は歩み寄り、すっと正座する。

「師匠、今日はお願いがあって来たんだ」

「ああ。名簿にはもうのっけたぞ」

 沈黙。

「は?」

 繋がらない台詞に隼人は口をポカンをあけて首をかしげた。

「だから、剣術部の部員としておまえは登録済みってことだ。葵に調べさせたがどこにも入ってねぇみたいだからな」

 隼人はその言葉を頭の中で反芻する。

「いや、なんていうか・・・俺は剣術が習いてぇってんじゃなくて・・・」

「俺から物を習いたいっつーんならこの部に入るのが宿命付けられているのだ。現に剣道部の副主将がうちの副主将も兼任だからな」

 指差した先では、ポニーテールの少女剣士が金髪の少女剣士の突きを香港映画ばりの横転で回避したところだった。

「ふふ・・・今のはなかなか。次は私の番だな・・・乱れ紅葉・・・!」

 ポニーテールの少女は叫びざま軽やかに床を蹴った。迎撃の突きを身を捻ることで回避し、両手の二刀を上下に振るった。

 パパンッ・・・と快音が二連続で響き、滑るように着地した少女が背後で額を押さえている金髪の少女に微笑む。

12連勝。今日の帰りはまたタイヤキだな」

「うう・・・殿ぉ!このエレン、勝率が下がる一方ですが頑張っていますぅ!」

 勝負が付いたらしい二人は恭一郎のもとへ・・・正確にはそこにあるちゃぶ台の方へ帰ってきた。

「む?」

「お?」

隼人と目が会った少女達は一瞬だけ不審そうな顔をしたが、すぐにぽんっと手を打つ。

「殿!この少年が侵入部員ですか?」

「侵入してどうするのだ。エレン・・・」

 興味津々と言った様子で隼人の顔を覗き込む二人を親指で指差して恭一郎は苦笑した。

「紹介しとこう。エレンと愛里。二人とも無双流の使い手だ。エレンはここの部員だし愛里は剣道部だがこっちに入り浸ってるから大概ここに居る。練習あいてにゃちょうどいいぞ」

 あんまりと言えばあんまりな紹介に愛里は少し肩を落とした。

「入り浸・・・これでもちゃんと剣道部員の指導もしているのだ。別段、こっちばっかりに、その・・・」

「あー・・・つまり、師匠・・・」

 隼人は苦笑する。

「俺、いつのまにか剣術部に入れられてたわけか?」

「おうよ。ちなみに今は3年の部員ばかりだからな。1年はおまえと俺の妹くらいしかいねぇ。次世代の部は任せたぞ少年!」

「俺は、剣なんかつかえねぇっての!」

 つっこむ隼人に恭一郎はチッチッチと指を振った。

「剣道と違って武器は問わねぇ。形だけナイフでも持っとけ」

 問題発言に愛里が頭を抱えた瞬間。

「ただいまー!今日もまったりしとるかね諸君!」

 踊るような声と共に美樹が練習場へやってきた。続いて葵と談笑しながら四井紀香が扉をくぐる。

「美樹は知ってるな?そっちのちっちゃいのが葵、えらそうなのが妹の紀香だ」

「はじめまして。乾隼人くん。神楽坂葵です。よろしくね?」

「あの、葵姉さま・・・ちっちゃいのとかえらそうなのに対する抗議はしないでもよろしいんですか?」

 にこやかに頭を下げる葵が、戸惑う紀香が。

「後は・・・みー!降りて来い!」

「うん、降りる」

 天井にはりついていたのか、意味もなく落下してきたみーさんが。

「お、隼人くん来たね!雪乃っちから聞いたけど勝ったらしいじゃん」

「由綺がお世話になってる、聞いた。みーもお世話する」

 隼人を取り囲み騒ぎ立てる。

「いいか?乾隼人」

 恭一郎はいきなり少女集団に囲まれて慌てている隼人の胸を軽く拳で突いた。

「大事なのはな・・・こっちにある剣なんだ。夢を追う意思、かくあるべしと押し付けられた運命に逆らう刃。自分であると叫ぶための声」

 区切り、正面から見つめてくる恭一郎の声は静かだが力強い。

「俺はまだ剣の道の途上だ。それも、まだ昇り始めたばかりといって言い。そんな俺ではおまえを導くなんて大きなことは言えねぇ。だから」

「だから?」

 問う隼人に恭一郎はニヤリと笑った。

「だから、おまえも一緒に来い。なによりも・・・俺とおまえは気が合いそうだ。それだけでも十分なんじゃねぇか?」

「師匠・・・」

 隼人は呟き、再度深く頭を下げた。

「これからも・・・よろしくお願いします!」

「おうおう、真面目な顔しちゃってかわいーったら!」

 瞬間、美樹にわき腹を突っつかれる。

「あ、あのなぁ!天野さん!今はシリアスなトコなんだよ!」

「その程度気にしてたら大きくなれねぇぜ。そこんとこで逆に胸の一つも突付き返せる強さを持てよ少年。まぁその後ボコられてもしらねぇけど」

 取り敢えず、そういう方面では一生師には適わないだろうと痛感した隼人であった。

 

 

 そのころ。

「やぁ、シュピーゲルさん」

 大神誠司は図書室で読書にふけるナインの元を訪れていた。

「何か御用ですか?」

 本から目をそらさずにそっけなく答えてくるナインに誠司は小さく笑い正面の席に座る。

「僕が見て回った限りではあなたが一番格上だったようなので・・・あなたに質問をしにきました」

 静かな声にナインはすっと目を細め、周囲を見渡した。騒がしい学園において、さすがにここだけは静寂に満ちている。こちらを注視しているものもない。

「・・・聞きましょう」

 誠司は数秒の間言葉をまとめ、核心のみを突く事にした。

「森永愛子。彼女は何者ですか?」

「・・・・・・」

 ナインは顔を上げた。視線が、鋭い。

「シュピーゲルさん、本当は来ていましたよね?隼人と戦ったときに。ならば見ていたはずです。完全な獣人になってすらいなかった隼人が僕よりも早く回復するところを」

「・・・確かに、俺はあの場に居ました。隠れてね。そして隼人の傷が治ったのも、見ています。ですがそれにどうして愛子さんが絡んでくるんです?」

 誠司は窓の外へ視線を投げて回答までの時間を稼ぐ。

「幾度となく考えましたが、隼人の体が回復可能だったとしても自力では無理だったとしか思えません。雪妖の彼女にも、あなたにだってそんな力はないでしょう?」

「・・・だから、残りの一人。森永さんってわけですか?それはやや短絡的ではありませんかね」

「幾度も、考えたといいました」

 否定的な問いに誠司は即座に返答する。

「あの状況において、彼女はあまりに不自然でした。隼人が勝つことも回復することも彼女の言葉通りに発生した・・・そんな偶然があると思っているのですか?」

「彼女の目は魔眼です。人よりも多くのことが見えています。それだけですよ」

 ナインは口ではそう言いながらも、心中に疑問を抱える。

(だが、その説明・・・彼女が自分でそう言ったに過ぎない。本当にそれが真実か?彼女自身にその意図がなくとも、能力の実態を把握してないということも、ありうる)

 その迷いを知ってか知らずか、誠司は静かに語り始めた。

「昔・・・もう20年以上前ですが、とある能力者の話を聞いたことがあります。本質を見通し、それを書き換えるという凶悪にして強烈な力を持つ」

「馬鹿な。そこまでの力・・・奇跡認定局が黙ってはいまい。俺の知っている限り聖堂騎士団の連中はここ数十年日本を訪れていないぞ・・・!」

 ナインは思わず語気を強め、口調が変わっていることに気付いて咳払いをした。

「大神殿・・・その力、遺伝形質ですか?」

「いえ。一代限りの変異能力と聞いています・・・噂程度で、僕自身がその存在を確認してはいませんから断言できませんがね」

 誠司は軽く笑った。笑みが、薄っぺらい。

「シュピーゲルさん。僕はね、少し恐ろしい。形質そのものを変質させる能力などあってはならないものです。僕自身その存在を信じてはいなかったんですが・・・」

「彼女がその力を持っていると?彼女は人間です。20年前に噂された変異能力者が、 今も高校生の外見を保っているとでも?」

 ナインは無表情に言って誠司の目を覗き込む。

「・・・力を使う必要などありませんよ。僕は今、あなたを欺く必要などありませんからね。アイン・ダードシュルツ殿」

「・・・俺はナインハルト・シュピーゲルという名前ですが?」

 これは失礼と頭を下げた誠司にナインは一つため息をついた。

「わかった。俺の見解を言おう。彼女の能力が魔眼以上のものである可能性は否定できない。神にも等しい力を持った個人が、歴史上いないわけでもない」

 鋭い声で切り込み、一度区切る。

「だが、少なくとも彼女はそれを自覚してはいない。故にその力を自分から発揮することは不可能だな。そして・・・仮にそれを自在に振るえるとしても・・・森永愛子という人格は、信頼が置ける。それでは不満か?」

 誠司は目を閉じ、しばし沈黙に身をゆだね・・・そして口を開いた。

「僕が、妄想とも言えるこの話にやや信憑性を持っているのは、彼女の名に由来するんですよ・・・ご存知ですか?日本には、古くから言霊という力が根付いています。名づけられたものはその力を持つ、そういう法則があることを・・・」

「ああ、知っている」

 頷き、ナインは静かに耳を傾ける。

「件の能力は、物に潜みし本質・・・真名を呼び出し、支配する力。故に、こう称されたそうです」

 そして誠司は告げた。

「真名呼と・・・」