<あるばいと・アザーズの事情・取り敢えず基本>
「あるばいと・・・というものをいたしますわ!」
秋も深まるある日、食事中にいきなり叫び出した雪乃に愛子たちはきょとんと箸を止めた。
「・・・無理だろ」
「なんでですの!」
日替わり定食に付いてきた味噌汁を片手に言い切った隼人に雪乃は憤慨して叫ぶ。抱えたどんぶりの中でそうめんが揺れた。
「いや、だっておまえ・・・っていうかうちのクラスの面子、戸籍とかねぇんじゃないか?」
「ほぅ。君からそんな理性的な発言が出るとは意外ですね」
感心したように呟いたのはナインだ。ちなみに食べていたのは焼き魚定食である。
「んだと!?」
「あはは、大丈夫っすよ」
吠える隼人に神戸由綺(力うどん)はパタパタと手を振って見せた。
「入学時に偽の戸籍と住民票はつくってるっす」
「マジかよ。犯罪じゃねぇか・・・」
「俺たちアザーズに対して犯罪は適用されませんよ。本来存在しないわけですからね。まぁ、なんかやればそれなりの処罰機関が動きますけどね」
肩をすくめるナインに『はぇぇ』とよくわかっていなそうな相槌をうって愛子(週に一度はオムライス)は神戸に顔を向ける。
「じゃあ、普通にアルバイトさんできるですか?わたしもちょっと興味あるです」
「森永さんは普通に人間の戸籍持ってるっすから別に関係ないっすけど・・・ボク達のアルバイトとなるとちょっと制限がかかるっす。万が一のときにごまかしがきかないと困るっすからね」
神戸は言って足元の鞄をごそごそと探る。
「なにか試験でもあるんですの?」
「まあそんな感じっす。最初にバイトするときは学園と契約している指定の職場にしてもらうってだけっすけどね」
取り出した封筒から出てきたのは写真入りのカタログだった。様々な店の名前が底に並ぶ。
「どれどれ・・・ほぅ、思ったよりも多彩ですね。時給こそあまり高いとは言えませんが大概の職種は揃ってるんじゃないですか?」
ナインの言葉に雪乃と愛子はカタログを覗き込んだ。
「そうですわね。わたくしの考えていたのはほとんど全部ありますわ」
「あ、これなんかどうです?隼人さん」
「俺かよ!・・・まぁ、仕送り少ねぇしいいけどよ・・・」
そして、その週の土曜日。
「基本ですわっ!」
「なんのだよ・・・」
張り切って叫ぶ雪乃の姿が龍実駅前のファミリーレストランにあった。ついでに働くことになった愛子と隼人も一緒だ。
「バイトのでしょ。はいはいみんな、ちゅーもく!」
その3人を前に小柄な女性がパンパンと手を打つ。青を基調としたメイド服風の制服が可愛らしい。
「私は遠藤かなえ。みんなの教育担当になります。よろしく!」
元気のいい挨拶に雪乃たちもペコリと頭を下げた。
「さて、君達は六合からのお試し組だったね。とりあえず今日一日、接客してみて出来そうだったら本格的に採用って事で」
ポン・・・というチャイムと共に天井に取り付けられたモニターに数字が浮かぶ。
「お、早速注文か」
隼人の呟きに遠藤はうんと頷く。
「座席表の見方はわかる?・・・じゃあまずは人畜無害そうな森永さん行ってみよう!注意点は・・・ナンパされたら即座にNO!わかった?」
「らじゃです!おまかせくださいです!」
愛子はびしっと敬礼をしてフロアへ向かった。
「っていうか、人畜無害ってあんた・・・」
などと言いながら隼人たちは物陰からそれを見守る。
「ご注文、うけたまわるです!」
愛子は満面の笑みでテーブルの客に告げた。
「お、可愛いじゃん」
「あぁ?俺はパース。餓鬼じゃなぁ」
「おまえ馬鹿!?いまどき中学生だっていけるぜ俺!」
客は、男の4人組だった。どこぞの雑誌にでも載ってそうな、センスが良いといえば良い、マニュアル通りと言えばマニュアル通りな服で着飾っている。
「はい?・・・あの、ご注文・・・」
「コーヒーと、あと君をお持ち帰りで!」
「おまえいつの時代の人間だよ・・・で?君何時あがり?」
「高校生?どこのガッコ?」
立て続けにまくし立てられて愛子ははぇぇぇ?とのけぞる。
「あ、あのですね・・・」
「・・・殺」
物陰からそれを伺っていた雪乃は無表情に呟いた。その髪が白く染まりかけているのを見て隼人は無言で後頭部を殴る。
「阿呆!こんな人目があるところで派手な事するな!俺が・・・」
「・・・うふふふふ」
俺が行く、と言いかけて隼人は不気味な笑い声を聞き振り返った。
「遠藤主任?」
「あの馬鹿野郎・・・性懲りもなく・・・」
呟く遠藤の周囲に慣れ親しんだ気配を感じて隼人は反射的に神経加速の準備をして後ずさった。
・・・その気配は、一般に殺気と呼ばれている。
「お、おい、主任?おーい・・・」
「遠藤さん?」
二人の呼びかけに遠藤はキリキリと音を立てて首を回し不自然に爽やかな笑みを浮かべた。
「これから、実演をします」
言って、フロアのほうへ歩き出す。
「演目・・・殺人・・・!」
「いえ、ですからNOです〜」
「そう言わずに・・・綺麗な手をしてるねぇ?」
ニヤニヤ笑いながら愛子に手を伸ばした男はいきなり薄暗くなった店内に照明を見上げた。
「んな・・・!」
見えたのは、視界一杯に広がったスニーカーの踵。
ペグシ・・・!
額の中心に踵落としが直撃した鈍い音に残りの3人はさっと青ざめた。特に、そのうちの一人の顔色は既に死人に近い。
「・・・か、かなえ・・・おまえまだここでバイトしてたのか・・・もう高校も卒業しただろうに・・・」
「はろぅ?先輩ぃ?」
遠藤はにっこりと微笑んでそう言った。だが、その額にはくっきりと青筋が浮かんでいる。
「以前言いましたよね?先輩・・・もうウェイトレスに手を出したりしないって」
「待て!待ってくれ!お、俺達は客だぞ!?」
必死の説得に遠藤は重々しく頷く。
「かつて、とある人が言いました。『店員として戦ったらお客には勝てないわ!遠藤かなえとして戦いなさい!』と」
「G3かよ!あんたは!」
つっこみを入れながら駆け寄った隼人は遠藤を羽交い絞めにして男たちに視線を向けた。
「おい、あんたら逃げろ!この人は本気だ!殺られるぞ!」
「知ってるよ!おい!行くぞ!」
その機を逃さず男たちは立ち上がり、踵落としで気絶した男を手際よく抱えて店外へと逃げ出した。
・・・妙に手際がいいところを見るとこういう状況に慣れているのかもしれない。
「はぇぇ・・・助かったです〜」
のんびり胸など撫で下ろしている愛子の額を隼人はピンっと指ではじいた。
「おまえなぁ、ああいう事になったら俺らを呼べよ。下手に引っ張るから大事になったじゃねぇか」
「はぅ、申し訳ないです〜」
ぺこぺこと頭をさげる愛子に遠藤は修羅の形相からゆっくりと普通の笑顔に表情を変えた。
「あー、いいのいいの。あいつこの辺に生息する害虫だから。駆除しなきゃ」
笑顔だが、まだ台詞が怖い。何か因縁でもあるのかもしれない。
「・・・と、ともかく裏に戻ろうぜ」
「さて、無事森永さんはおわったから・・・」
どこがだよ!というつっこみを我慢して隼人と雪乃は次の台詞を待つ。
「そうね、次は藤田さんに行ってもらおうかな。君も美人だから気をつけてね」
「おまかせください。問答無用で張り倒しますわ」
「張り倒してどうする!」
隼人の突っ込みに遠藤もうんうんと頷く。
「蹴りにしなさい」
「そっちかよ!」
「了解ですわ」
「するな!」
結局のところ、非の打ち所のない美人である雪乃である。
当然男性客の反応は最高に良い。だが。
「ぱ、ぱれりら・・・ぱえぴら・・・ぱ、ぱら、ぱえ、ぱえり・・あ?お、お待たせしました・・・」
「うぉおおおおおお!可愛いぃぃぃ!」
「な!?な!?な!?電話した通りだろ!?」
どうにもこうにも、何かが違う客層がついてしまっているようでもある。
「俺!ビーフストロガノフ!」
「び、びふ?」
「ウェイトレスさん!スパイシージャンバラヤ!」
「すぱしーぽ?」
「あ、俺はパパイヤマンゴージュース!」
「ぱ。ぱぱんにゃ?」
「ゼフィランサスサイサリスデンドロビウムガーベラケーキ!」
「ぜふぃらさりでどろ・・・うぅぅぅぅぅ・・・」
「お姉さま!愛してるって言って・・・!」
「愛して・・・なんでですの!」
「わっ!ゆ、雪乃さん!お客様叩いちゃだめです〜!」
飛び出していく愛子を横目に隼人は窓の外へ視線を逃がした。空が青い。
「・・・駄目だな、これは・・・」
遠藤もまた腕組みなどしながら同じ方へ視線を退避させる。雲が白い。
「・・・そーだねー・・・」
現実逃避したところで、耳に届く大暴れの音は消えはしない。
結局、その日は皿が30枚ほど割れた。
<無限領域・永遠雪原・鏡像空間>
「・・・ええと、どういう店なんでしょう?これは・・・」
何百、何千という膨大な万華鏡にかこまれて雪乃は呆然と呟いた。
「・・・とりあえず、万華鏡屋っていう職業がわからねぇ・・・」
隼人もまた複雑な表情で呟く。
ファミレスでのバイトを『時期尚早ですわ!』と諦めた三人は次の職場へとやって来ていた。
できるだけお客の少なそうなところを紹介してくれと神戸に頼んだのだが・・・
「素敵な雰囲気です〜」
ひとり嬉しそうな愛子を除いては、やや引き気味である。
「あら、あなた達が六合の?」
そのとき、声と共に、店の奥に座っていた人物が立ち上がった。
「ぉお・・・」
隼人は思わず声を漏らす。
やってきたのは、モデル体型の雪乃をも上回る極悪なボディーラインの女性だった。
腰まである長い髪の色こそ黒いが瞳は緑色なので日本人ではないのかもしれない。
「・・・隼人、今の声は何ですの?」
「うふふ、正直な子は、お姉さん好きよ」
女性はクスクスと笑い、隼人の顎をつつつ・・・と撫でる。
「うぉお!な、何すんだあんた!」
「あらあら、彼女の前ではまずかったかしら?」
「誰が!彼女!ですか!」
頬を真っ赤に染めて叫ぶ雪乃に女性は口元を押さえて笑った。
「うふふ、冗談よ。わたしがこの店の店主、霧間鏡子。学園からバイトが来るって言うのは聞いてたけど・・・3人とも興味深いわね・・・」
その笑みの妖しさに雪乃はすっと目を細める。
「・・・そうですか。興味深いですか」
「警戒心が強いのはなかなかいいことね。『あなた達』にとっては。でもわたしはあなた達をどうこうする気は無いから安心していいわ。六合と喧嘩するわけにはいかないしね」
肩をすくめ、鏡子は髪をぱさりとかきあげた。
「とりあえず、やることは店番と掃除。後は適当にだらけてていいわよ。割れ物が多いから気をつけてね。掃除道具はカウンターに入ってるから」
言うだけ言って店の奥の扉へ消える長身を見送り、雪乃は顔をしかめる。
「怪しいですわ・・・ええ、絶対に、あや・・・」
「ああ、そうそう」
雪乃は言いかけたところに戻ってきた鏡子に硬直した。
「万華鏡、覗かないようにね・・・大変なことになるよ」
「はいです〜!」
元気よく答える愛子とぎこちない表情でそっぽをむいてごまかす雪乃に微笑んで今度こそ鏡子は奥へと引っ込んだ。
「・・・掃除すっか?雪乃」
「・・・ええ、そうですわね」
そして。
「あきましたわ・・・」
「客、来んのか?この店」
1時間後。早くも二人はだれていた。一人愛子だけがニコニコと掃除を続けているが、あまり効率は良くない。
「というより、この町に何人ほど万華鏡を欲しいと思っている人が居るのかしら」
「・・・ほぼゼロだろ。どうかんがえても」
薄暗い店内に篭っているのは、はっきり言ってこの二人には合っていない。
「まぁまぁですお二人とも。ほら、お客さん来たですよ」
カラン・・・
愛子の声と共にドアにつけられたベルが小さく鳴った。入ってきたのは気の弱そうな中年の男性だ。スーツ姿のところを見るとサラリーマンかもしれない。
「いらっしゃいませ・・・!」
張り切って声をかけた雪乃にびくっと震えた男は慌てて頭を下げ、大小色とりどりな万華鏡の飾られた商品棚に手を伸ばす。
「これは・・・!」
一つ覗いて呟いた男は、矢継ぎ早に様々な万華鏡を覗いていった。
「なんですの・・・?」
「さあ・・・」
その様子に雪乃たちはきょとんとして顔を見合わせる。
男は手を止めることなく数十を覗き、ふと手を止めた。口が呆然と開かれる。
「お客様・・・?」
不審に思って雪乃が声をかけると男はバッと顔をあげた。
「こ、ここここここれ、これはいくらだ!いくらでも払うぞ・・・!」
「ひっ!?・・・あ、あわわわわ・・・」
万華鏡を握り締めて詰め寄ってくる男に雪乃はのけぞって怯える。それを見た隼人は不愉快そうに間に割って入った。
「離れろおっさん・・・!」
反射的に飛び出してしまい引っ込みのつかなくなった隼人が低く叫んでいる間に愛子は男の握っている万華鏡にぶら下がっている値札を首を傾けて読み取る。
「えっと、3000円ですね〜」
「わ、わかった・・・!」
男は震える手で財布を取り出しその中から千円札3枚をテーブルに叩きつけて走り去った。
「おっさん!消費税・・・!」
「ああ、いらないわ。定価だけうけとって」
慌てて叫ぶ隼人の背後から声がした。いつの間にやってきたのか鏡子がそこに立っている。
「じゃあその調子でお願いね?わたしは奥の工房で作業してるから何かあったら呼んで頂戴」
言うだけ言ってさっさと奥へ消えた鏡子を雪乃はジト目で見送った。
「・・・怪しいとおもいません?」
「いや、なんつーか怪しくないとこを探す方が難しいだろ」
雪乃の呟きに隼人も同じような表情で答える。
「あの、働かせていただいてるんですし細かいことは・・・」
「っていうことは愛子さんも怪しんでるんですわね?」
「えと、このお店全体に強い力が渦巻いてますし・・・」
雪乃は辺りを見渡し、腕組みをし、首を捻り、天井を眺め、それから近くにあった万華鏡を手にとった。
「待て。覗くなって言われただろうが」
「こんな怪しいんですわよ!?確かめないと身の危険を感じますわっ!」
隼人の制止を聞かずしその覗き穴を覗いた瞬間。
「は?」
どこかの雪原に立っている自分に雪乃は気付いた。
「え?わ、わたくし・・・?」
慌てて辺りを見渡す。木々の間に開けた、半径十メートルほどの広場。その風景には見覚えがある。
「ここは、いつもの・・・え?え?」
「ん?どうした雪乃」
不意に、背後から声がした。慌てて振り返ると、そこに白い髪の少女が居る。
「ササメ・・・?」
「?・・・そりゃまぁ、アタシはササメだけどね」
首をかしげる少女の赤い瞳を、雪乃は知っていた。閉鎖された雪妖の里にもたらされた唯一の『外の血』・・・霊力に劣り、その代わりに強靭な体を得た異形の雪妖。
かつてこの雪原で密かに会い、語り合ったその友の名を細雪という。
「ササメ・・・!」
「な、なんだ?どうした?姫」
飛びつくように抱きつかれて細雪は戸惑いがちに抱き返してきた。
「ササメ・・・戻ってきてくれた・・・!」
「は?戻るも何も・・・オレはどこへも行かない。親友のおまえを放っておくわけないだろ?」
優しい笑み。だが、それ故に雪乃の中で疑問符が燈る。
(おかしいですわ・・・ササメはこんな笑み、浮かべなかった・・・里の老人達と戦っていた彼女にそんな余裕は無かった・・・だから同じ孤独を持ったわたくしと会うようになって、でも笑いあうことだけは無くて・・・)
「大丈夫。アタシはいつも傍に居るからな」
(これはただ、わたくしがそうであって欲しいと願った夢。では、今わたくしは夢を・・・?わたくしは今何処に・・・?)
『雪乃さん。ここは万華鏡屋さんですよ?』
不意に、愛子の声が響き・・・雪乃は古びた店内に立ち尽くす自分に気がついた。その手からこぼれ落ちた万華鏡を慌てて隼人が受け止める。
「なんだ!?いったい何が見えたんだ!?」
「きゃ!・・・そ、そんなこと言える訳ありませんわ!」
いきなり目の前に現れた隼人の顔に雪乃は反射的に平手打ちを叩き込んでいた。
「何故!?」
「あ、つい・・・」
当然と言えば当然の激昂に雪乃はポリポリと自分の頬を掻く。
「えへ?」
「可愛く笑って誤魔化すな!」
「やれやれ、騒がしい娘達ね・・・女三人集まれば姦しいとはこのことかしら?」
そうこうするうちに奥から鏡子が現れた。やれやれといった表情で三人を見回す。
「ちょっと待ちゃあがれ!俺は男だ!」
「たいした問題じゃないわよ」
鏡子はそう言ってにやりと笑った。
「まったく・・・見ちゃいけないって言ったのにね・・・アザーズが覗くと、下手すれば喰われちゃうわよ?というよりも・・・もう体験済みかしら?」
その笑いに隼人は表情を険しくした。睨みつけた瞳孔が縦に割れる。
「てめぇ・・・何者だ・・・?」
「ふふ、可愛いわねぇお嬢たん」
「男だっつってんだろうが!」
「私はね・・・」
「だから話聞けよコラ」
かまわず鏡子は服の胸元からペンダントを取り出して見せた。小さな金の鏡に二匹の蛇がまきついた装飾のペンダントヘッドが妖しく光る。
「魔術師、霧間鏡子。通り名はそのままミスティ・ミラー。アーティファクトメーカーとしてはそれなりに有名なつもりだけどね」
「魔術師?」
「アーティファクトメーカーだと?」
ぽかんとしている二人に構わず鏡子は愛子ににじり寄った。頭に手を載せて撫で回しながら瞳を覗き込む。
「うふふ・・・それにしても興味深い眼ねぇ。どう?片方でいいからわたしに売らない?なぁに、痛くなんかしな・・・」
「し、失礼いたしますわ・・・!」
その途端、雪乃は愛子を横抱きにして猛ダッシュを始めた。
「あ、待て雪乃!おい・・・!」
慌てて隼人も後に続く。
「・・・冗談なんだけどねぇ?」
後には鏡子一人が残された。軽く苦笑して落ちていた万華鏡・・・隼人が放り出していったものだ・・・を拾い上げたその姿がふっとぼやける。
「逸材だったんだけどなぁ・・・ま、楽しめたから、いっか」
現れたのは小学生くらいの姿の少女。これまでの大人びた容姿とは緑色の瞳以外全く共通点がない。エベレストと砂場の砂山くらい違う。
「ふふふ、お兄ちゃんの居場所もわかったし・・・ラッキーかな?」
ちなみに、次の日の学食でバイトの顛末を聞いたナインは、がっくりとうなだれて頭を抱えた。
「・・・あの子、日本に来てたのですか・・・」
呟いた言葉に愛子がきょとんと首をかしげる。
「?・・・お知りあいですか?」
「・・・ノーコメントで、お願いします・・・」
<隠れた才能(1)・隠れた才能(2)・隠れた才能(3)>
「とりあえず、居心地は最高ですわね」
その店に対する雪乃の第一声はそれだった。着込んだ制服はピンク系のエプロンと小さな帽子、白いブラウス。左腕にロゴ入りワッペン。
アイスクリーム屋『バーゲンラック・アイスクリーム』・・・それが第三のバイト先だった。
「メニュー多いですよー」
妙に嬉しげな愛子の声に雪乃もメニューを覗き込み、首をかしげる。
「・・・?なんでカキ氷が?」
「よくわかりませんけど、常連さんのリクエストだそうです〜」
和やかに語り合う二人をよそに、カウンターの片隅に暗黒空間を作り出している男が一人。
「・・・待てやコラ・・・何故だ!?何故俺までまたここにいる!?しかもなんで俺までおまえらと同じ制服なんだ!?」
ならば何故着てくる乾隼人。
「・・・学園祭の時も思いましたが、何故に隼人は女装が似合うのでしょう?」
「やっぱり足が綺麗だからじゃないですかね〜?」
言われて雪乃は首をかしげながら隼人の足をしげしげと眺める。
「無駄毛もありませんわね・・・剃ってるんですの?」
「学園祭の時に剃られたんだ!俺が剃ったんじゃねぇ!生えてこねぇんだよ!何故か!」
大騒ぎをしている間に
「あ、いらっしゃいませ〜」
一組のカップルが来店した。
「ご注文をうかがいますわ」
「あ・・・え・・・」
ファミレス仕込の営業スマイルにカップルの男の方はぽーっと立ち尽くす。
「ちょっと俊一!なにデレデレしてんのよ・・・!」
「ああ・・・えっと、チョコチップミントとトリプルベリー・・・シングルで」
注文を聞いて愛子がひょいひょいとカップに盛り付けを済ませて雪乃に渡す。
「お待たせいたしました。525円になります」
「じゃ、これで・・・ところで店員さん、名前・・・」
「!・・・俊一っ!」
でれっとした顔で男が千円札を差し出した瞬間、どむ・・・という低い音と共にその顔が苦悶に歪んだ。見れば、見事なボディーブローが下っ腹に突き刺さっている。
「お、おつり、475円ですわ・・・」
「ありがと!ほら、行くわよ俊一!」
「あ、ちょっと待て京子!痛ぇって!」
男の方をずるずると引きずって出て行くカップルをきょとんとして見送り雪乃は首をかしげた。
「・・・?わたくし、なにかまずい対応しました?」
「・・・知らねぇよ」
隼人はちょっと不機嫌に唸り愛子はくすくす微笑む。
「なんや楽しそうやな〜」
そんな中、店の奥から店長が姿を見せた。目の細い、体格のいい女性だ。
「しかしなんやな。女の子3人で華やかなんはええんやが」
「俺は男だってことくらいわか・・・」
二軒目のネタに叫びかけた隼人は鳩尾に食い込んだ拳に沈黙した。
「女の子はおしとやかやないとあかん」
「・・・え、ええ、そそそそうですわね・・・」
戦慄に口ごもる雪乃にかまわず店長はぐっとガッツポーズをとる。
「ともかく、売り子さんは揃ったんや。そろそろ反撃したいところやな」
「な、何にですの?・・・人死はさけていただけると幸いですわ・・・」
怯える雪乃に店長はきょとんと首をかしげた。
「・・・なんでアイス屋が命散らさなあかんねん。うち、そんなばいおれんすな生活してへん」
なんともいえない表情で雪乃は黙り込む。
「そ、それでですね、どなたと戦うんですか?」
「ああ、よくある話やねん。近所にでっかいチェーン店ができたんや。同業者の」
指差されて雪乃と愛子が窓から顔を出すと、数件先に『パーティー・やん』という看板があった。
「うちは商売つぅより趣味でやっとるからな。品質がえぇ分どうしても価格やらなんやらで負けてまうわけや」
「・・・それでこんなにすいてやがったの・・・がぶっ」
起き上がりざまに顔面へ膝。
「ちょっと店内が涼しいだけや。ともかく、ここで一発見返したるんや。品質さげるのだけは嫌やから、プラスαの部分でな」
店長Goodと拳を握る。
「あんたらが居るなら店内のイメージアップは間違いあらへん。新フレーバーもぎょうさん用意しとる。そやけど・・・あと一押し、欲しいんや」
「はぁ、一押しですか?」
「そや。美少女店員だけやったら向こうにもおる。味はうちが勝っとるけど向こうは値段が安い。店がでかい分、うちが負けるのは見えとる。別に勝たんでもええんやけど・・・潰されるわけにはいかへん!常連さんが居る限り、うちはここでアイスを売りたいんや!」
ボグッ・・・!
「ぐ・・・何故そこで殴る!」
「あ、いや、今のはただの弾みや」
「・・・・・・」
隼人はすねてそっぽを向いてしまった。
「つぅわけで・・・なんかあらへんかなぁ。うちにしかあらへん名物。あんたらの生写真つきとか」
「却下ですわ!」
くわっと目を見開いて拒否する雪乃を眺め考え込んでいた愛子はちょいちょいとその袖を引っ張った。
「・・・雪乃さん、雪とか氷とか、操れるますよね?アイスはどうですか?」
「・・・あいすくりぃむは・・・やったことありませんけど一応出来るはずですわ。でも味は変えられませんわよ?」
小声で尋ねられた雪乃は同じく小声で囁き返す。
「大丈夫です。たまには、ほんとたまには愛子におまかせなのです」
愛子はにこっと微笑んで、レジに置いてあったペンで紙ナプキンに絵を書き始める。
「ペンギンさん、キリンさん、くまさん・・・」
次々と描かれる動物達はかなりディフォルメされた可愛らしいものだ。相当に上手い。
「愛子さん、絵がお上手なんですね・・・隠れた才能って奴ですの?」
「彩色しないスケッチ専門ですけどね」
愛子は十種類ほどの動物を書き終え、その脇に『ストロベリー』や『バニラ』と言った文字を書き添え始めた。
「!・・・読めましたわよ。そういう形のアイスを売ろうというわけですわね?」
パチリと指を鳴らして叫んだ雪乃に店長はパタパタと手を振ってみせる。
「あかん。形はらぶりーなんやけど・・・この形につくろ思ったらガチガチにせなあかん。そんなアイス、食いにくいやろ?」
「そこはわたくしにおまかせくださいな」
雪乃、ビニール手袋をはめた手にアイスをひとすくい落とし、指先で慎重に形を整える。
「な、なんやて!?なんでそこ折れへん・・・うわっ、細かっ!」
3分後、雪乃の手のひらに載っていたのは5センチほどの小さなペンギンだった。愛子のデザイン通りのデフォルメされたかわいらしさが光る。
「どうぞ」
「・・・柔ぁらかい・・・なんでやねんっ!」
恐る恐るかじった店長は信じられないといった目で残った部分を丸ごと口に放り込んだ。
「わたくし、雪国の生まれですから」
「ああ、なるほどなぁ・・・ってそんなんでこんな無茶できるかいっ!」
ぱんっ・・・と綺麗な突っ込み。
「まぁ、伝統芸のひとつだとでも思ってください」
「むぅ、アイス職人として納得できへん・・・そやけど、なんかいける気ぃするで!これ!ちょっとあんたら奥に来ぃ!」
腕を掴まれて雪乃はびくッとのけぞった。
「り、りんちですか!?」
「するか阿呆!」
引きずられていく二人を眺めて隼人はため息をつく。
「・・・俺一人か。俺一人で店番か。しかも女装。この店・・・今日で潰れんじゃねぇか?」
そんな中、客が来る。
「い、いらっしゃいませ!」
裏声で答えて隼人、ノリがいい。しかも、なんかはまってる。案外隠れた才能があったのかもしれない。
「あら、可愛いらしい店員さんですね」
やってきたのは白い髪の少女。いきなりの台詞にカチンとくるが、どうみても本気な様子に毒気を抜かれる。
「えぇと・・・ご注文をどうぞ・・・」
引っ込みがつかず裏声のまま対応。
「カキ氷!シロップは持込なんで氷だけお願いしますね〜」
「・・・ああ、あんたが噂の常連か・・・ですの?」
無理やり敬語にしたら雪乃口調になってしまいむっとする隼人。
「うふふ、懐かしいですね。昔、そういう喋り方のお友達がいましたよ。大切な・・・」
少女の笑みに、何故か隼人まで微笑んでしまう。
(・・・すげぇ。森永より強烈なのんびり空間を展開する女が居るとは・・・)
戸惑いながらカキ氷をつくる。300円。
「ありがとうございました・・・」
白い少女が出て行ってすぐ、奥から雪乃が顔を出す。
「お客様ですの?」
「ん?ああ、なんか白いヤツが来た」
「悪魔でも来たんか?」
「その白いヤツじゃねぇ!なんつぅか、森永に似た感じの・・・」
「?・・・よくわかりませんわね・・・」
そして数週間が過ぎ。
愛子考案、雪乃勢作の変形アイスは大好評であった。季節柄、あまり大きくないのがよかったらしい。
「くくく・・・ふふふ・・・ほーっほっほっ!これが!これが!くぉれが!わたくしの実力ですわ!」
学食で雪乃は力強く拳を握った。なんだか目が血走っている。
「・・・デザインは森永じゃねぇか」
「はぇ?でも実際に造形してるのは雪乃さんですから」
ぱたぱたと手を振って愛子はふと不安げな顔になる。
「ところで雪乃さん・・・お体、大丈夫です?」
「あん?どういうことだ?」
隼人の問いに愛子はちょっと困り顔になった。
「最近雪乃さんの力、弱ってる気がするです・・・」
「だ、大丈夫ですわよ愛子さん!これでも一族最強って言われたり言われなかったりですわ!」
「・・・でもよ、最近おまえ平日もたまにバイトしてるじゃねぇか。体の維持にも使ってんだろ?能力。本当に持つのか?」
乾の言葉に、雪乃は唇を尖らせてそっぽを向いた。
「人のこと気にするひまがあったら隼人も売上に貢献すること考えたらどうですの?また女装すれば客受けが良くなりますわよ?」
「・・・俺は、真面目に話をしている」
挑発してお茶を濁そうとしていた雪乃の意図を隼人は正面から断ち切った。
「何を考えてるかは知らねぇけど、自分の限界を見極められねぇヤツはろくな事にならねぇぜ」
鋭い視線・・・それも、自分を気遣っての眼差し。気づいてしまった雪乃は頬が熱くなるのを隠せない。
「わ、わたくしは・・・その・・・」
口篭もる雪乃と黙ってそれを睨む隼人。二人を眺めてナインは軽く首を振った。
(隼人は成長した。余裕が出来たのかな。だが・・・まだ、若い。彼女の性格にあわせた言い方が出来ていない)
『そう思うならフォローしてあげたら?お兄ちゃん』
『それでは結局隼人のためにならない・・・』
脳に直接響いた声に反射的に思考波で答えてからナインは顔をしかめた
「・・・・・・」
無言で愛子に向き直り、髪の毛をかるくはらう。
「はぇっ!?ど、どうしましたナインさん?」
「いえ、ちょっとゴミが」
『あ、お兄ちゃんちょっと・・・!』
脳の中で喚く声を無視してナインは愛子の髪から摘みとった直径2ミリほどの小さな鏡を床に落とし踏み砕く。
(覗き見など、趣味の悪い。やはり本人か・・・)
「と、ともかく、わたくしは大丈夫なんですっ!」
「俺は霊力とか一切見えねぇし感じ取ることも出来ねぇんだよ!口で言われなきゃわかんねぇだろうが!」
「あ、あの、おふたりとも喧嘩さんは・・・」
ナインが静観している間に漂いだした険悪な雰囲気に愛子はおろおろと割って入る。
「隼人さんは雪乃さんが心配なだけですし雪乃さんだってそれが嫌じゃないのになんで喧嘩さんなんですか〜!」
(・・・そしてここにも若い子が一人)
ナインはため息と共に額をおさえた。他のことに気をとられている間に介入する期を完全に逃してしまったようだ。
「っ・・・べ、別に俺はこんな馬鹿がぶっ倒れようとどうしようと知らねぇよ!むしろ痛い目にあって反省しろ!」
「なんですってこの馬鹿犬!」
「誰が馬鹿だ阿呆氷!」
隼人はバンッと机を叩いて立ち上がった。
「は、隼人さ・・・」
「知らねぇ!聞かねぇ!」
慌てて声をかけた愛子に言い捨ててさっさと食堂から出て行く。
「・・・不愉快ですわ!」
それを見送った雪乃も吐き捨てるように言ってその場を去り、後には愛子とナインだけが残された。
「・・・大失敗です・・・わたしなんか飛んでいってまえ〜です〜」
愛子はテーブルにがっくりと突っ伏す。
「珍しく配慮の無い一言でしたからね・・・藤田さん、そんなに消耗しているんですか?」
「はいです・・・いつも雪乃さんを包んでいるふわふわが、どんどん薄くなってるです」
ナインはふむと頷き、二人の去っていった方に視線を向けた。
(隼人は後でさりげなく誘導するとして・・・藤田さんの方は・・・体は多分大丈夫だけど、セーフティがかかったときに・・・)
「森永さん。二つ、頼んでいいですか?」
「はぇ?なんでしょう?」
首を傾げる愛子にナインは軽く微笑む。
「ひとつに藤田さんの心のケアをお願いします。特に何もしないでもいいので、とにかく傍にいてください。もう一つは・・・あまり気が進まないのですが・・・」
<おひらき・リダイレクト・合わせ鏡の魔術師>
「来たで来たで来たでキターー!」
店長が叫びながら厨房に飛び込んできたのは、それから数日後の日曜日だった。
「・・・・・・?・・・あ、ええと、なんでしょう?」
最近は店頭に立つよりも厨房でアイス造りに専念している雪乃は数秒の間をおいて首を傾げる。服も売り子服ではなく店長と同じコック服だ。
「・・・あんた、ほんまに大丈夫なん?今日は特に疲れた感じやけど・・・」
「も、もちろん!特大丈夫ですわのこと・・・!」
叫びながら雪乃は店長の視線からテーブルを隠す。見られれば能率が上がっていないのは隠しようが無い。
「ところで!何が来たんですの?」
あからさまな誤魔化しに店長は顔をしかめたが追求はしなかった。
「ああ、あれや。『パーティー・やん』のお偉いさん連中が来よったで!さすがにこんだけ近所にファンが増えたら無視できへんからな!」
雪乃はニヤリと笑って胸を張った。
「わかりましたわ。そうとなればこっちも全力です。愛子さんのデザイン画から最高の一品を作りますわ」
「をを!あのごっつい龍やな!いけるんか?いままで一回も作ってへんやろ?」
愛子が書いたデザイン画は動物や小物など全て合わせれば数十点に及ぶ。
これまではその中から作りやすく見栄えがするものを選んでいたのだが・・・
「あれはあんまり手間がかかるんで作ってなかっただけですわ。一個だけ作るのなら、なんの問題もございません」
雪乃は作業台に向き直り、アイスの塊をそこに乗せる。
雪妖にとって『凍っているもの』は全て眷属だ。自分の体に等しい。
(さぁ、わたくしの言うことを聞きなさい・・・)
胸の奥、『真雪』と呼ばれる根源から溢れ出す霊力を手のひらからアイスクリームに注ぎ、雪乃はまず龍の角部分を作ろうと引っ張った。
だが。
「あ・・・」
「え・・・?」
ぐにゃりと。雪乃の手の中でアイスは潰れる。
「ちょ、ちょっと失敗しましたわ・・・」
慌てて作り直そうともう一度引っ張ると、あっけなく固まりから千切れてしまう。
「大丈夫です!ちゃんと作れますから!」
なんどこね回してもアイスは形にならない。溶け、千切れ、崩れていく。
「なんでですの・・・!?言うことを聞きなさい!」
「おい店長!もうストックがねぇぞ!」
そのとき、厨房に隼人が駆け込んできた。
「何やってんだ!品切れのままあいつらほっとくのか!?」
「あぁ、それはやな・・・」
店長の歯切れの悪い答えに隼人は厳しい顔つきになった。
「・・・雪乃か」
「わたくしは大丈夫です!すぐ最高の一品を作って届けますわよっ!」
もはや意味も無くアイスの残骸を殴りつけている雪乃に店長は目を閉じた。
「おひらき、やな」
「出来るって言ってます!」
「商売っつぅもんを舐めるんやないっ!」
繰り返す雪乃に店長は部屋中を揺らすような怒号でもって答えた。
「・・・っ・・・」
雪乃は初めてのことに混乱し、喋ることすらできない。
「出来へんことを出来る言い張っても無駄や。身体を維持できへんレベルまで力を使ってもうたから無意識に制限がかかっとるんやろ?」
「店長・・・あんた知ってたのか?俺達のこと・・・」
隼人の問いに店長は肩をすくめる。
「うちはあの学校のOBや。アザーズの存在かて知っとる。そやからバイト先として紹介されとるねん。嬢ちゃんがどんな種族かは知らへんけどどういう状態かは見ればわかる。これ以上は一人では無理や」
言って踵を返す。
「藤田ちゃん。物を売るってのはな、金稼ぐってのはな、そんな甘いもんちゃうねん。どんな頑張っても期限までにできへんなら無駄なんや」
「で、ですが・・・」
雪乃は抗弁しようとして何も言えず、口をつぐんでしまう。
「オーダーが入ってそれが出せへんのやから、謝るしかあらへん。ちょっと行ってくるわ」
「あ、あの、わたくしも・・・」
言いかけた雪乃に店長はプラプラと手を振った。
「この店はうちの店や。うち以外の誰にも謝る権利はあらへん」
去っていくその背中に何も言えず雪乃はうなだれた。背後でゆっくりと、アイスであったものが溶けていく。
「・・・で?」
隼人は苛立たしげにそう言った。
「これで終わりにする気か?」
雪乃はばっと顔をあげる。
「これ以上・・・わたくしにどうしろって言うんですの!?ええ、そうですよ!わたくしは結局なにひとつまともに出来ない世間知らずの・・・!」
「うるせぇ!黙れ馬鹿!」
思わず殴りつけた壁がバンッ・・・と鋭い音を立てた。
「人に言われてはいそうですかって訳か?あげく泣きごと言って甘えてんじゃねぇよ!おまえ、俺より頭いいだろうが!それを使えよ!この程度で諦めんな阿呆!」
「ぐ、具体的な策の一つも出せずに人をアホウ呼ばわりですか!ええ、ええ!諦めませんとも!わかってますわよ!すぐに復活して見せますわよ!」
雪乃はパンッ・・・と自分の頬を叩いて続きを声に出さず想う。
(・・・あの時・・・隼人が立ち上がったみたいに・・・!)
「よぅし!・・・で、どうする?」
「そ、それはこれから考えるんですわよ!あなたも考えなさいっ!」
二人は顔を見合わせて唸る。無論、いきなりいい考えが浮かぶわけも無い。
だが。
「それには及ばないですよ〜」
その沈黙に第三の声が割り込んだ。
「ま、愛子さん・・・」
店番に立っていた愛子がここに居るということは・・・
「店長、もうあやまっちまったのか!?」
「いえいえ、もうちょっとだけ待ってもらうようお願いしたです」
愛子はパタパタと手を振ってそう言い、エプロンのポケットから小さな万華鏡を取り出す。
「これが勝利の鍵だ!」
「は?」
「何?」
力をこめてボケた分、からぶりした感触がさびしい。
「あ・・・それ、あのお店でわたくしが覗いたやつですわね」
「はいです。これを開けるとですね・・・開けると・・・開か・・・ないです・・・」
一生懸命万華鏡のはじっこを引っ張っている愛子にため息をつき、隼人はその手から万華鏡を取り上げた。
「ここを引っ張ればいいのか?」
「はいです・・・お手数かけます・・・」
ちょっとしょんぼりしている愛子に苦笑して万華鏡を引っ張ると、キュポン・・・という軽い音と共に端っこが外れた。
そして、瞬間。
キンッ・・・!
ガラスの弾ける甲高い音が厨房に響き渡った。同時に圧倒的な冷気が竜巻となって渦を巻く。
「な、何ですの・・・!?」
「魔術・・・です」
呆然と叫ぶ雪乃に愛子はちょっと震えながら答えた。厨房内は満遍なく氷に覆われ、凍えそうな寒さになっている。
「雪乃さんの記憶を閉じ込めた万華鏡を開いて、環境を再現したです・・・鏡子さんに手伝ってもらったです」
「里の・・・?確かにこの温度は心地いいですし、これなら体を維持するのに使っている分を放出できますけど・・・わたくしの中にあとどのくらい力が残ってるやら・・・途中で力尽きるわけにもいきませんし・・・」
眉をハの字にした自信なさげな雪乃に隼人は腕組みなどしてみる。
「・・・雪乃は俺よりずっと頭いいけどよ、たまには馬鹿になってみようぜ。師匠が教えてくれた一番大事な事・・・自分を信じる事。無理をするんじゃねぇ。無茶をするんだ。勝算があるならそこに全額賭けしようぜ?」
言って、わざとらしい舌打ちと共にそっぽを向く。
「少なくとも俺は・・・おまえならいけると思ってる」
「・・・わかって、ますわよ」
雪乃もまた違う方向を向いて呟く。
(隼人の賭けなら、わたくしも信じられますから・・・)
心中でもう一言添えて。
愛子は二人を眺めて柔らかな笑みを浮かべ、一つ頷いた。
「大丈夫ですよ。あの万華鏡に閉じ込められていたのは雪乃さんの記憶の映し鏡で・・・それには霊力も含まれてるそうですから」
「はい?」
首をかしげる雪乃を見つめ返す愛子の瞳がぼぅっ・・・と金色に染まる。
「ほら・・・わたしには見えるです。雪乃さんの体に、力が戻ってきてるです。これなら、大丈夫ですよ?」
「・・・そうなのか?雪乃?」
問われ、雪乃は自分の手のひらを眺めた。それを背後で凍るアイスの残骸に向け、いつも触れていたアイスクリームの柔らかさを思い浮かべる。
そして。
「お!?」
「あ・・・」
触れた指先の描くとおりにアイスの残骸はくにゃりと曲がった。雪乃のイメージ通りに。
「・・・いけ・・・ますわ!」
叫んだ雪乃の目に光が灯る。
「隼人!少し時間を稼いできてください!5分・・・いえ、3分あれば十分です!愛子さん!デザイン修正しますわ!時間かけた分、物凄いのをいきますわよ!」
「おう!・・・つうか、そうなるとまた女装だな・・・」
「おまかせくださいです!」
<そして、日が暮れて・シャレイドライブラ・余話>
そして、数十分後。
「よっしゃぁあああ!見たかボンボンどもぉおおおおお!」
「店長!だから人の頭を気軽に殴るんじゃねぇ!」
「はぇぇぇ!?隼人さん!暴れちゃ駄目です!店長さんも脱いじゃ駄目ですよ〜!」
表から聞こえる歓声に雪乃は目を閉じた。深く息を吐き、口元に笑みを浮かべる。
持ちうる全ての技術を投入したモデル『神龍』はどうやらライバル店にきっちりとダメージを与えてくれたらしい。約10人前のアイスを使った巨大アイス彫刻を出されれば確かにびっくりはするだろう。
「・・・売り物としては、何の意味もないんですけどね」
呟き、目を開く。見慣れつつある厨房に今はびっしりと氷が張り付いていた。わずかに溶け始めているそれを眺めて一つ頷く。
「来なさい」
散歩するように厨房の中を歩き回り、雪乃は手のひらに集めた霊力でその氷を集め始めた。
(機械、壊れちゃいますものね)
部屋中の氷を集めると、人の頭ほどの大きさの氷塊が手の中に残る。雪乃は取り敢えずそれをアイス用の作業台において眺めてみた。
「・・・・・・」
ふと、雪乃は店へと続くドアに目を向けた。表はいまだ喧騒に包まれている。
「・・・ちょっと、試しに」
それを確認した雪乃は小さな声でそう呟き、氷塊に霊力を注ぎ込んだ。霊力が通わなければありえない、『柔らかい氷』となったその塊を指とアイス用に持ち込んでいる消毒した彫刻刀で成型していく。
乾隼人という少年の頭像に。
「・・・・・・」
少し気恥ずかしくなりながら雪乃は作業台の上の彫像にぺこりと頭を下げた。
「今回は、ありがとうですわ。面と向かってはまだ言えませんが、感謝だけはしてます」
表情の変わらぬ氷の隼人に言ってクスリと笑い、その頬をつんつんと指先でつつく。
「まったく、これではどちらが馬鹿かわかりませんわね・・・」
目を閉じ、心地よい空気に身を任せた。
「本当に・・・わたくしも・・・」
考えるではなく、思い浮かぶがままに雪乃が何かを言いかけたその瞬間。
「おい!雪乃!おまえも来いって!店長を止めろ・・・!」
バンッという扉を開ける音と共に隼人の声が厨房に木霊した。
「え!?は!?う!?」
雪乃は慌てて目を開き、飛び込んできた隼人に焦りの表情を浮かべる。
「ん・・・何だそれ?俺の・・・?」
「!・・・キュケーッ!」
隼人の視線が氷像に向いたのに気付き、雪乃は思わず奇声を上げた。そのまま体を捻り、反射的に握った拳で氷像へと強烈な正拳突きを放つ。
パリンッ!
「ぬわぁっ!」
自分の顔と同じ形をしたものが粉々に砕ける様に隼人は思わず悲鳴を上げた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
しばし、沈黙が続く。
「・・・今の、なんなんだ・・・?」
数十秒を経て、口を開いたのは隼人だった。
「・・・えぇと」
雪乃は必死に言い訳を考え。
「・・・ストレス解消?」
「殺す!」
その日、アイス屋『バーゲンラック』は厨房で暴れる二人と店頭で暴れる店長の影響で店内に甚大な被害を被ったが、それ以上に常連客を増やすことに成功した。
それが一つの結末であり。
そして、数日後の事。
「お兄ちゃん、見つけたよ。かくれんぼはわたしの勝ちだね」
不意に降ってきた声にナインは深いため息をついた。
「・・・ミスティ、まさか日本にいるとはね・・・」
「あら、お兄ちゃんこそ。最後に視えたときはどこぞの客船でアメリカに向かってたのに」
「・・・気まぐれ、だよ。それよりもお兄ちゃんはやめなさいと言ってるでしょう?カレイドスコープと俺は別人なんだから」
「外見が同じで同じことが出来るんだから、おおむねお兄ちゃんだよ。記憶ならわたしが保存してるし」
「・・・それこそ、カレイドスコープの術で?」
「うん。あのいまいましい聖堂騎士団が封印したのは肉体だけ。技術はわたしの頭の中に残ったから」
「・・・君自身も戦闘向きじゃないんだから・・・この学園の庇護下にあるからといって、あまり派手に動かないようにね」
鏡子はきょとんと目を開いた。
「・・・少し驚いたよ。お兄ちゃんがわたしの・・・というか誰かに影響を与える発言をするなんて・・・」
それから、いたずらっぽく目を細める。
「あの子達の影響かな?」
「・・・俺は鏡にすぎないよ。彼女達は個性的だけど、ナインハルト・シュピーゲルという存在に影響を与えることは、出来ない」
その表情があまりにも彼女の知るナインであることに、鏡子はため息をつく。
「それなら、わたしだってミスティー・ミラーだよ?それもあなたの妹を名乗る。鏡像は確かに触れらない。でも鏡そのものを見ることが出来るなら、どうかな」
「・・・君も、彼女のことを俺に話に来るわけか・・・」
ナインは広げていた本をパタリと閉じた。
「・・・ミスティ、君は彼女の何を見た?」
「やっと本気になったみたいだね。彼女はわたしの作った万華鏡に囚われたアザーズを、声をかけるだけで解放しちゃった」
ナインは目を閉じたまま答えない。
「正直、わたしには彼女がなんなのか想像もつかないよ。この国には解呪に長けた魔術師の流派が数多くあるとは聞いてるけど、そういうのとも違う・・・」
「それは俺にとっても同様だよ」
そっけなく答えるナインにミスティは冷たい視線を向ける。
「嘘ばかり。うちに例の万華鏡を取りに来るように言ったのはお兄ちゃんでしょ?そのとき彼女言ってたよ?『これに封じ込められた寒さと霊力がいるです!』とかなんとか」
その言葉にナインは目を開け、苦笑した。ミスティはやっぱりといった表情で続ける。
「わたしの万華鏡は記憶を世界にして封じ込めるから、調節すれば雪の世界から冷気を取り出すくらいは出来るよ?でも霊力なんて取りだせるはずないじゃない」
「結論から言えば、取り出せたようだね。藤田さんはその場で即座に復活したそうだから」
数秒の沈黙。
「ねぇお兄ちゃん。わかってる?もしそれが本当なら、その子は神にも等しい力を持ってるのよ?この世界のバランスを壊しかねない・・・カレイドスコープとは違う、存在するが故の封印を受けるほどの」
「そうだね。もし俺やミスティが夢想したような力を彼女が持っているとすれば。ただ、彼女は無害だということを俺は確信しているけどね」
鏡子は不満げに唇を尖らせた。
「お兄ちゃんは女に甘い!わたし以外の女にはハバネロ並に辛口でいて!」
「ハバネロ・・・それはまた極端に辛い・・・」
ちなみに、ハバネロとは世界一辛いと言われる唐辛子のことである。
苦笑してナインは窓の外を眺める。
(そうじゃないよ。ミスティ。そんないいものじゃないんだ。俺が彼女を安全と判断したのは・・・彼女の欠けている部分を根拠にしている。それだけだよ)
閉じた本の表紙を撫でる。心理学の開祖とも言える人物の著書だ。
(無いんだよ。彼女には。哀も、怒も・・・人を攻撃することは・・・できない)
それがどういうことなのか。
それは、いまだわからない。