<妖精・お茶会・小包さんいらっしゃい>

 

「はろー!愛子ちゃーん!雪乃っち〜!」

「・・・失礼致します」

 アザーズ生徒は家庭環境が複雑だったりそもそも無かったりで寮暮らしをしている者が多い。

 雪乃のように家出同然にやってきたのも居ればナインのような風来坊も居る。中には自分の信者が豊富な資金を提供してくれるというケースもあるが、概ね皆貧乏だ。

「いらっしゃいです〜」

「ちょうどお茶が入ったところですわよ」

 そういった事情もあり、愛子たち帰宅部グループの間では放課後などに集まってお茶会を開くのがこのところのブームとなっていた。

 なにしろ、外でお茶するには財布がせつない。泣けてくる。

「亜美子ちん、クッキー持参したよっ!みんなで食べよっ」

 ちなみにお茶そのものは部屋の主が出し、お茶菓子は招かれた方が持ってくるのが暗黙のルールだ。

「あはは、それにしてもみんなして彼氏いないの丸わかりだねっ!」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 まぁ、そんなこんなでまったりと過ごしていた、とある放課後。

 

 コンコンコン

 

 愛子の部屋に、軽いノックの音が響いた。

「ふぁい〜?」

 愛子は口の中にクッキーを入れたままで慌てて返事をする。ちょっと破片が飛んだ。

「愛子さん・・・お行儀悪いですわよ?」

 雪乃は苦笑しながら愛子の口元をハンカチで拭う。

「はぅ・・・申し訳ないです・・・」

 照れ笑いまじりに立ち上がり、パタパタと廊下に向かう愛子と満足げに微笑んでいる雪乃を交互に見つめて亜美子は微妙な表情を浮かべる。

「ねぇねぇねぇヒライちょん。アブノーマルな香りが濃厚に・・・」

「百合キター!最高だね〜。本書こうか?」

 盛り上がっている不破亜美子とヒライユミに雪乃はむっと顔をしかめた。

「・・・人聞きの悪い。わたくしはただ、愛子さんが何よりも大事なだけですわ」

「個人的に言わせていただければ、それこそがレズ魂と呼ばれるものかと思われます」

 トゥエニィがつっこみを入れている間に愛子はドアを開ける。

「はいはいはい〜って、あれ?」

 開けた視界には誰も居ない。

「・・・透明な方でしょうか?」

「・・・下」

 首をかしげて左右を見渡す愛子に、ぶっきらぼうな声が答えた。

「はぇ?」

 見下ろすと、見上げてくる小柄な少女と視線がぶつかる。年のころは5歳か6歳位だろうか。ややつり目な眼差しでこちらを静かに見上げている。

「・・・弥生さん・・・ですか?」

 目に映る容貌は確かに見慣れた寮管理人の娘だ。だが、愛子の瞳はその少女が別人だと告げている。

「姉ほど甘えた顔してないつもりだが」

 はたして、眼下の少女はそっけなく首を振ってため息などついてみせる。

「ボクは皐月。弥生の妹・・・」

「はぇ!?ご姉妹さんでしたか。よく似ていらっしゃいます〜」

「似てないと、自分では思ってる」

 言って、皐月は抱えていた箱を愛子の方に差し出した。

40センチ四方のその箱は紙で包まれ、その上にペタペタと何枚も複雑な模様の書かれたシールが張られている。

「宅急便だ」

「はぇ?わたしに・・・でしょうか?」

「・・・先ほど貴女あてに届いた。本来は放送で呼び出すのだが散歩がてらに」

 愛子に箱を渡して皐月はショートパンツのポケットから受け取り票を出した。

「ここに判子を。無ければ血判でもいい」

「けっぱん?」

「・・・サインでいい」

 聞いてた以上だな・・・等と呟いている皐月に首をかしげながら愛子は受け取り票にサインをする。

「はい、できたですよ〜」

「ああ。では、確かに渡したぞ」

 皐月は受け取り票を回収して軽く頭を下げた。そのまま踵を返し颯爽と去って行く。

「ご苦労様でした〜」

「・・・なに、ついでだ」

 片手を挙げてエレベーターホールへと消えた皐月を見送り愛子は『はぇぇ〜』などと息をついた。

「かっこいい方です〜」

「・・・個人的な意見を言わせていただければ、見た目通りの年齢なのか疑問に思われます」

「そもそも姉妹であんなに性格が違うってのはおかしいですわよ?」

 その両肩ごしに顔を出したトゥエニィと雪乃の言葉に笑みを漏らす。

「そうでもないですよ〜。みるくさんはわたしなんかより全然しっかりしてるですし」

 言われた雪乃はきょとんとして愛子の顔を見つめた。

「みるくさん?」

「個人的な調査によれば、森永様の妹様です。ちなみに、今年で御年13歳になられます」

 淡々と答えるトゥエニィに雪乃はなるほどと頷き、一瞬おいて眉をひそめる。

「・・・なんでそんな情報握ってるんですの?あなた」

「メイドですので」

 即答されて言葉に詰まる雪乃に深々と頭を下げてトゥエニィは愛子に向き直った。

「森永様。お茶が冷めますので部屋にお入りくださいませ」

「あ、はいです。すいませんです」

 愛子は言いながらパタパタとテーブルに戻り、その上に受け取った箱を置く。

「しかし何でしょうね?これ」

「宅急便だよねっ!実家からの仕送りとかかなっ?」

 興味津々と言った様子の亜美子に愛子は微妙な笑顔を受かべた。

「それは無いと思うです・・・なんの連絡もありませでしたし」

 呟き、目を凝らす。

「はぇ?おかしいですね。なんだか中がぼんやりしてて見えないです」

「愛子さんに・・・ですの?」

 雪乃はきょとんとして愛子の顔を覗き込む。その目はやや薄いが確かに金色に輝いているのだが。

「個人的な知識を披露させていただきますと、この箱に張られているのは妖精避けの護符です。その辺りが原因ではないかと」

 トゥエニィの言葉に一同はその箱に視線を注いだ。うさんくさそうな表情を皆で浮かべた瞬間。

 

 ガタガタガタ。

 

「きゃっ!」

「動いたよっ!」

「動いたですね〜」

 のんびり呟く愛子の背中に隠れて雪乃はおそるおそる箱の方を見た。

「な、何をのんきに言ってるんで・・・」

 

 ゴトゴトガタン。

 

「な、ななななな・・・」

 慌てて隠れなおす雪乃にだいじょぶですよーと声をかけ、愛子はペリペリと護符をはがしていく。

「大丈夫かな?どっかの厨が送りつけてきたウィルスとかだったりしない?」

「よく見えませんけどその手の気配はしないですから〜」

 十枚にも及ぶ護符をはがし終え、包装してあった包みをはがす。

「さて、開けるですね」

 言いながらフタに触れた途端。

 ポンッ!と、まだ完全に開ききっていないフタを跳ね飛ばすような勢いで何かが飛び出してきた。

「開いたー!」

「な、な、な・・・」

 雪乃は愛子の肩越しにそれを見つめてあわあわと口を動かす。

「な、なん・・・」

「かわらしい方ですううううううううっ!」

 なんですの?と言いかけた声がかき消された。

「わ。びっくりしたよっ!愛子ちゃん」

 目を潤ませている愛子の視線の先。そこに・・・

「ふ、フラニィもびっくりしたのであります・・・」

 大声にややふらふらしながら、小さな少女が飛んでいた。

 年齢が低いという意味ではない。身長、約20センチ。文字通り小さい羽をパタパタと動かして一生懸命に飛んでいるそれは・・・

「・・・フェアリーですね」

 言ってトゥエニィは少女の羽をひょいっとつまむ。

「わ、な、なんでありますか!?」

 ぶら下げられた格好になった少女の声を無視してトゥエニィはその小さな体を目の前に持ってきて眺める。

「国に居た頃よく見ました。マイスターのお言葉によれば『何処からとも無く湧いてきて悪さをするのだから害虫と変わりない。潰すのが一番』とのことですが・・・」

「む、虫扱いはあんまりであります!フラニィは悪さなどしないであります!」

「同じくマイスターのお言葉によれば、フェアリーの言葉を信じるのは空からキャンディーが降ってくるのを待つようなものだ、と」

 無表情に言ってトゥエニィは首をかしげた。

「やはり、ここはひと思いに潰してしまいましょう」

「わー!いわれなき虐待に対してフラニィは断固として抵抗するであります!これは我々による〜我々の〜我々の為の戦い〜であります!」

「はぇぇ・・・か、可愛らしいですぅ〜・・・」

 ジタバタ暴れる妖精の姿に愛子はとろんと顔をとろけさせて震える。どうやら、どこか深い所のツボに直撃したようだ。

「愛子さん!しっかりなさい!」

「はぅ!・・・あ、ゆ、雪乃さん・・・お手数かけたです・・・」

 まだ目の焦点が合っていない愛子の姿に雪乃はふぅと息をつく。

「つまり、その娘はふぇありぃとか言うアザースだと?」

「はい。個人的な記憶によれば、我々オートマタと並ぶイギリスの代表的アザーズであり、中には人払いの結界の中に街を作って暮らしている者すら居るとか」

「妖精郷であります!フラニィもそういうとこの出身であります!」

 勢いづいて叫ぶ妖精少女にトゥエニィは軽く頷いた。

「なるほど。脱走したのですね。では個人的に銃殺で」

「わーっ!違うであります!代表なのであります!テストなのであります!ロクゴーガクエンに入学するでありますっ!」

 瞬間、愛子たちは『はぃ?』と身を乗り出す。

「・・・入学?」

「そうであります!フラニィは里の代表として!妖精全体の地位向上の為に勉強するのであります!」

「はぇぇ、ずいぶんと小さいうちからお勉強なさるんですねぇ〜」

「・・・個人的に指摘させていただければ、小さいの意味が違うと思われます」

 とりあえずのツッコミを入れてトゥエニィは妖精をつまんでいた指先を緩めた。

「話を聞きましょうか。殺虫剤は用意してありますので」

「ど、毒ガスは条約違反であります・・・」

 

 

<猫・仕事と私情・来訪者>

 

 同じく、放課後。

 行動力がつゆだくで溢れている生徒達が全員飛び出していった教室に神戸由綺は一人座っていた。

「・・・ちょっと、寂しいっすね」

 窓際の席に座り、なんとなく呟く。

「暇っすね・・・」

 風紀委員とは忙しい仕事だ。とりわけ由綺のように、まがりなりにも戦闘能力がある委員は逮捕権を含む様々な特権と引き換えに常時パトロールを行う義務を持つ。

 だが。

「はぁ・・・」

 由綺はため息をついて机につっぷした。

「向いてないっすよ。ほんとに、こーいうのは・・・」

 彼女にしては極めて珍しい事に疲れた顔で呟く。

「向いてないって何がだ?」

「自分、正面突破とかが好みっすから、こういう影から・・・ってぬぁあああっす!」

 独り言のつもりがいつの間にか会話になっている事に気付き由綺は椅子から転げ落ちた。

 ガチッ

「にゅおっ・・・」

 頭を床へと盛大に打ち付けて悶絶する。

「お、おい大丈夫か!?今なんかセトモノが割れるみてぇな音しやがったぞ!?」

「だ、大丈夫っす・・・ボクは頑丈と馬鹿力がとりえっす・・・」

 そう言いながら由綺は立ち上がろうとした。

「と、わ・・・」

 だが、視界がうにょりと揺れ、思わずその場でよろめく。

「あぁ、脳震盪起こしてやがんな?」

 倒れかけたその体が、がしっと誰かに受け止められた。

「お恥ずかしっす・・・」

 由綺は苦笑して声のするほうに目を向け・・・

「い、乾さんっすか!?」

 慌ててその手から飛びのいた。

「お、おう。俺だけど・・・」

 真っ赤になってあわあわとこっちを見つめる由綺の姿に声の主・・・乾隼人は戸惑いがちに答える。

「ぶか、部活に行ったんじゃなかったんすか?」

「行ったけど、宿題出てたろ?地理の。ノート忘れちまってたんで取りに来たんだ」

 隼人は自分の机に入れっぱなしの教科書やらノートやらをかきわけ、中身のほとんど入っていないペラペラな鞄の中に突っ込んだ。

「これでよしっと。んで、神戸こそなにやってたんだ?放課後に会うのは珍しいな」

「いや、その・・・ボクはパトロールの途中で休憩っす・・・」

 なんとか答えて由綺は赤くなった頬を平手でバシバシ叩く。

「ちょ、ちょっと気合充填中っす・・・」

「・・・いいけどよ、叩きすぎじゃねぇか?真っ赤だぞ?」

「も、問題ないっす!なんで赤いかはボクにもよくわからないっす・・・」

「?・・・よくわかんねぇけどいっか」

 首をひねって隼人は手近な椅子にどっかりと座る。

「部活、行かないでいいんすか?」

「ああ。既にボコられ済み・・・なんか宿題もらっちまったけど・・・明日だ明日」

 すねたような表情に由碕の頬が緩む。

「大丈夫っすよ。乾さんは強いっす。もっと強くなれるっす」

「そう言われれば嬉しいけどな・・・ひょっとして勢いで言ってるか?」

 苦笑気味の声に由碕はぐっと拳を握った。

「勢いじゃないっす!」

「お、おう」

 力強い声に隼人は思わず後ずさる。

「勘っす!」

「勘かよ!同じじゃねぇか!」

 がうっ!とつっこんで隼人は肩で息をつく。

「なんか最近、つっこんでばっかだよ俺・・・」

 男のつっこみキャラは少ないので重宝するのだ。

「でも、本気っすよ。自分、これでもいろんな強者に会っているっす。乾さんからはそっちがわの風を感じるっす!」

「・・・ありがとよ」

 隼人は頬など掻きながら口の中で呟いた。ストレートに言われると、なんだか妙に照れくさい。

「あー・・・そういやさ」

 照れ隠しに思いつきで口を開いた瞬間だった。

「にー・・・」

 小さな鳴き声が、隼人の鋭敏な聴覚に届いた。

「あん?なんだ?」

 言い置いて、窓の外からタイミングよく聞こえたそれに視線を向ける。

「どうしたっすか?」

「いや、猫かなんかの鳴き声が」

 その声の弱弱しさが気になった隼人は大体の位置を予想して近くの窓を開けてみた。

 途端。

「にー・・・!」

 一匹の黒猫が、外に生えている樹の枝を蹴った。声こそ小さいが、なかなかの勢いで教室へと飛び込む。

 ・・・しかも、隼人の顔面直撃コースで。

「うぉっ!」

 一瞬反応が遅れた隼人の顔に猫の暖かい体がぺたっと張り付いた。

「ぃてぇ!」

 一瞬置いて、頭に爪を立てられた痛みが走る。

「やややややや、猫さん!乾さんの顔にしがみついちゃ駄目っす!」

「ぐも・・・も・・・」

「にゃ!?うにゃぁあ!?」

 大惨事である。

「ほ、ほら、とりあえず離れるっす・・・」

「に、うにぃ・・・」

 なだめられた猫はようやく落ち着いたのか爪を引っ込めた。

 引き剥がされ由綺に抱えられた猫を横目に、ようやく息が出来るようになった隼人はゼヒゼヒと咳き込む。

「よもや・・・猫に・・・負けるとは・・・」

「ややや、勝ち負けっすか?これ・・・」

 言いながら猫を床に降ろす。

「に・・・」

 だが、猫はふらりとよろめき、そのまま床にへたり込んだ。

「どうしたっすか猫さん!元気力が足りないっすか!?」

「なんだ元気力って・・・とりあえず外傷とかねぇから疲れてるだけじゃねぇか?・・・ん、ずいぶん汚れてるな」

 隼人はとりあえずその猫を抱き上げて身体を調べる。

「みー、にゃう、にゃにゃうう」

「・・・すまん。何言ってるかわかんねぇ」

「みゅー・・・」

 がっかりしたように首を落とす猫を見て由碕は大きく頷いた。

「OKっす。ようは猫の言葉がわかる人を連れてくればいいっす!」

「何!?居るのか!そんな都合のいい奴」

 のけぞる隼人に由綺はグッと親指を立てた。

「ちょっと待ってて欲しいっす!すぐ連れてくるっす!」

「おう。ま、俺はこいつの様子見てるからゆっくりな」

 そのまま、猫とにらめっこをするようにして待つこと数分。

 ずたたたた・・・ぱたぱたぱた・・・

「ん?」

 二種類の足音が接近するのを聞き取って隼人は顔を上げた。猫も耳をピンッと立てて立ち上がる。

「お待たせしたっす〜!」

 威勢良く叫びながら由綺は教室に飛び込んできた。そしてその後から、手を引かれたもう一人の少女も現れる。

「急ぎすぎだよ神戸さん〜」

「え?」

 その少女を隼人はよく知っていた。

「いやいやいや!勢いってわりと大事っす!」

「疲れたよ〜・・・って、あれ?乾くん?」

 きょとんとした顔をする少女。その頭上にはネコミミ状の髪の毛が揺れている。

「猫と話すなら!神楽坂先輩っす!」

「おまえは阿呆かぁぁっ!」

 自慢げに胸を張る由綺に隼人は絶叫した。その反応速度は0.01秒を割っている。

「大丈夫っす!さぁ先輩!この猫さんにどうしたのか聞いて欲しいっす!」

「神楽坂姉ぇさんは人間だろうが!しゃべれるかっつぅの!」

 葵はあははと笑って頷き、足元の猫のほうに目を向けた。

「にゃぁ?にゃにゃ?なーごー?」

「喋れるのかよっ!」

「あはは、冗談だよ〜喋れない喋れない」

 葵はしゃがみこみ、猫を抱き上げる。

「聞き取れるだけ」

「わかるのかよっ!いい加減怒るぞ俺も!つっこみ疲れた!」

「そんな涙目にならなくてもっす・・・」

 由綺は冷や汗を掻きながら隼人をなだめる。

「乾くん。わたしが動物の声を聞けるのは本当だよ。理解できない単語も多いけどね」

「神楽坂家はもともと巫女の家系らしいっすから。遺伝形質っすね」

 葵は猫をじっと眺めて微笑んだ。

「聞き取れるだけで伝える事は出来ないんだけど・・・この子は人間語がわかると思うから大丈夫」

「ホントかよ・・・いろいろと」

 隼人は胡散臭げに葵を眺めていたが、ふと身を正す。

「葵姉ぇ・・・目、少し光ってるぜ・・・あいつと違って青だけど・・」

「浄眼って奴っすね。神楽坂先輩、お願いするっす」

「うん。猫さん、どうしたの?何か困った事とかあったの?」

 ゆっくりと語りかけられて猫はじっと葵を見上げた。数秒の間首をかしげ、おずおずと口を開く。

「にー・・・にゃぁ、なごぅ」

「・・・えっと、誰かを探してるって言ってるよ。誰の部分がよくわからないけど」

「にゃう、にゃん。にぃにゃぁ、ふぅ」

「よく話を聞いてくれるニィニ・・・う〜ん、固有名詞かなぁ?えっと、私に似てるっていってるよ」

 隼人は腕組みをして唸った。

「葵姉ぇさんに似てるっつうことは・・・」

「猫さんっすかね?」

「ンなわけねぇだろぅが!人間だよ人間っ!」

 由綺の言葉に絶叫し、急に気弱な顔になる。視線の先にはひょこひょこと揺れる猫耳髪。

「多分・・・」

「この子が探してるのは人間だよ〜。ついでに私も人間だよ〜」

 すねたような言葉にすんませんと謝り隼人は真面目な顔に戻った。

「マジな話、葵姉ぇに似てる奴・・・っていうか、猫の言葉とかわかりそうな奴ってあんまいねぇよな」

「伊成さんと麦野さん・・・あとはやっぱり」

 二人の視線はとある席でピタリと止まる。

「森永だな。なんつっても」

「そうっすね・・・猫さん、その人は目が金色に光る人ですか〜?」

 神戸の言葉に猫はくにっと首をかしげた。

「にゃごにゃん、にゅ〜」

「えっと、キンイロってなに?だって」

「・・・色くらいわかれってつっこむべきなのか、こうやってスムーズに会話できてる事をつっこむべきなのか・・・」

 隼人はため息をついてひとつ頷く。

「まぁいっか。こうしててもしょうがねぇし行ってみようぜ。森永ならこの時間、寮に居るはずだしな」

「うん。恭ちゃんにはわたしから言っておくよ。心配せずに行ってらっしゃい」

 微笑む葵に頭を下げて隼人は猫を受け取った。

「っす。よし、行こうぜ神戸」

「あ・・・ぼ、ボクもっすか?」

 ぴくっと震える由綺にきょとんとする。

「なんだ?来ないのか?」

「いえ、行くッす!是非!」

 何故聞き返したのかもわからぬまま由綺はぶんっと頷いた。勢いあまってつんのめり、あわてえ姿勢を立て直す。

「何やってんだ?・・・あれか?得意の勢いってやつか?」

「そ、そっす!勢いっす!」

 二人のやり取りを眺めていた葵は何かに気付きクスリと微笑んだ。

「ふふふ・・・がんばれー」

「・・・何がっすか?」

 首をかしげる由綺に葵は首を振って微笑む。

「がんばれ〜」

 

 

<妖精・むしってトゥエニィさん・出動>

 

 

「では、個人的に話をまとめさせていただきます」

 トゥエニィの言葉に愛子たちは和やかに頷いた。飲み干した紅茶のカップを流しに持っていき、クッキーの食べかすをビニール袋が張られたゴミ箱に捨てる。

「まず、あなたは学園へ転入する為にやって来た。間違いないですね?」

「その通りであります!妖精も隠れ住んでれば良いという時代ではなくなったのであります!」

 親友の親に紹介された雪乃はともかくとして、クラスメートの多くは人間と交わって生きる為の勉強をしないかとそれぞれの故郷に使者が来たというのを物語の始まりとしている。特に珍しい事ではない。

「次に、名前はフラニィであること。日本へ来たのは学園への入学目的。名目上転校生ということで受け入れの許可も出ている、と」

「出ているであります!フラニィの実績が認められれば郷の若いフェアリーたちも来るつもりであります!」

 テーブルの上で直立不動の体勢を取り、背筋を伸ばしてフラニィは叫ぶ。

「自分は語学が得意だったので日本語を覚えるのが早かったであります!だから一番槍の名誉を得たのであります!」

「でも、なんかおかしいよねっ!ふらぴーのジャポン語っ!」

「・・・あなたが言うのも、なんだかですわね・・・」

 騒がしい一同を見渡してトゥエニィは重々しく頷いた。

「では、とりあえず殺虫剤で」

「ほ、捕虜の扱いは国際条約にのっとって公正に行うことを要求するでありますっ!」

「っていうか、何故か今回は乙女ちゃんが辛口だねっ!どうしたのかな?」

 亜美子の問いにフラニィは窓の外へ視線を向ける。

「・・・私の生まれた工場に、よく妖精が潜り込んでは悪さをしていましたもので。私自身ネジやら歯車やら、よく盗まれました」

「ふふふフラニィはそんなことしないであります!」

 震える妖精をよそに愛子はぽんっと手を叩いた。

「あ、じゃあトゥエニィさんはイギリス出身なんですね〜」

「・・・それにしては日本人ぽい容姿ですわね」

 黒髪や顔立ちなど、確かにそのような印象を受ける。

「外装は自由に交換可能な仕様です。ただ、私に限りましてはマイスターの手で外装交換に制限がかけられていますので手足等の大きなパーツに関しては取り外しが出来なくなっております」

「を?じゃあこっちの方はどうなってるのかなっ?」

 きひひと笑いながらにじり寄る亜美子の額を片手で押しとめてトゥエニィは考え込んだ

「問題は、何故この虫が・・・」

「虫じゃあないであります!」

「虫が入った箱が森永様の部屋に運ばれてきたかです・・・失礼します」

 箱を包んでいた紙を手に取り、しげしげと眺める。 

「送り先は確かに森永様の部屋になっております。差出人はヴィッシュ・ドーネルとあります」

「ヴィッシュ閣下は我々の郷が呼んだロクゴーガクエンのエージェントでありますっ!手続きなどは閣下がやってくれたであります!」

「ヴィッシュ・ドーネルって名前は学園のデータベースに名前があるよ。ヒライがハッキングしたところには活動内容まで書いてなかったけど欧州駐在員って立場になってた」

 ヒライユミの言葉に一同は再び首をひねる。

「学園に転入するのが本当として、何故こんな時期に、しかも学園じゃなくて寮の愛子さんの部屋に送られてきたんですの?」

「時期ということでありますなら、郷の長老達を説得するのに思いのほか時間がかかってしまっただけであります!場所については、フラニィにはまったくわからないであります!」

「・・・まぁ箱詰めでは・・・よく生きてましたわね。飲まず喰わずで・・・」

 恐ろしげに呟く雪乃にフラニィはビシッと敬礼して見せた。

「寝てたら一瞬だったでありますっ!」

「個人的に解説させていただければ、箱に張ってあった札の中に冬眠させる呪符があったと思われます」

 言ってトゥエニィはフラニィの羽根を無造作につまむ。

「出発前にエージェント様に行き先を聞かなかったのですか?」

「知らないであります。フラニィはお手伝いが出来れば後の事はあまり考えない性質であります!」

「・・・なるほど。では二度と何も考えないでいいようにしてあげましょう」

「わわわわわっ!トゥエニィさん!殺虫剤さんは危険です〜!」

 無表情に殺虫剤のキャップを外したトゥエニィに愛子は慌てて飛びついた。

「が、頑張って思い出すでありますっ!だからアウシュビッツの再現はよしてほしいであります!」

 机の上で五体投地してひらべったく懇願するフラニィを眺めてトゥエニィは深くため息をつく。

「わかりました。私はオートマタです。鬼でも悪魔でもありません。羽をむしる程度で我慢します」

「我慢してないっ!トゥエニィっちそれ我慢してないっ!っていうか、さり気無くアザース種差別!?」

 亜美子のつっこみに冗談ですと答えてトゥエニィは宅急便の伝票を見た。

「さて、この伝票には送り主が六合学園になっていますね。ただの連絡不行き届きなのかそれとも何か意図があってのことか・・・これ以上の情報は出なさそうだと判断します。アザーズがらみとなれば電話でと言うわけにも行きませんし、彼女を連れて御伽凪教師に会ってみる事を提案いたしますがいかがでしょうか?」

「おお!乙女ちゃんがはぢめてフラニィちゃんを人間扱いしたよ!凄いねっ!」

 祈るように手を胸の前で組んで目を輝かせる亜美子にトゥエニィは静かに一礼する。

「今までのは冗談ですので」

 顔をあげ、すっと片目を閉じる。

「一応」

 

 

<猫・空振り三振・リバース猫まっしぐら>

 

 

 六合学園付属生徒寮・・・通称大公寮は男女二棟、各6階建てである。男女各寮は1階部分だけ繋がっており男女共用のロビーとなっている。

 購買部と自動販売機、大型テレビ数台というなかなかの環境という事もあり夜にもなれば暇をもてあましていたり新しい出会いを求めていたりする生徒達が溢れかえるそこではあるが、午後五時を少し回っただけという時間もあり今はあまり人が居ない。

「俺はここで猫と待ってるから神戸は森永連れてきてくれ」

「わかったっす。2階から上はペット禁止っすから気をつけて欲しいっす」

 由綺の言葉に隼人は眉をしかめる。

「そうだったか?なんかあちこちに動物が居たような気がするんだが・・・」

「一応取り締まってはいるっすよ。鳥と魚以外は禁止っすから。でもうちの生徒は一筋縄ではいかないっす。一度なんてワニ連れて歩いてるのを見つけたんで逮捕しようとしたっすけど・・・」

 隼人は口を半開きにして冷や汗をたらす。

「・・・暴れなかったか?ワニ」

「暴れはしなかったっす。その代わり、飼い主を背に乗せて物凄いスピードで走り去ったっす。しかもやっとの思い出捕まえたらメカワニだったんすよ!自分、騙されて悔しいっす!」

 そういうレベルの問題か。

「あー・・・ま、いいや・・・ともかく連れてきてくれ・・・ほら、おまえも手ェ振れ」

 隼人は猫の前足を持ちぶんぶんと振ってみせる。

「あはは、可愛いっす。じゃ、ちょっと行って来るっすよ」

「おう」

 ドタバタと走り去る由綺を見送って隼人は近くのソファーに座り込んだ。

「ん?」

ふと思いつき猫の両脇を掴み、目の前にでろーんとぶら下げてみる。

「にゃ、にゃう?」

「・・・よく見ればけっこう美人だなぁおまえ」

 これで中々に動物の好きな隼人であった。その過去には動物ぐらいしかまともに相手してくれなかった虐待の日々が転がっていたりするのだが・・・

「首輪がねぇってことは野良か?にしちゃあ毛並みがいいが。っつうかボサボサなのがもったいねぇな。ちょっとじっとしてろ」

「にゃ!?にゃにゃ?」

 ポケットからブラシを出してごしごしと猫の毛並みを整える姿に、そういう暗い影は微塵も見えない。

ちなみに、このブラシは大神一族の変身時御用達の高級品である。隼人本人は変身できないが。

「んむ!完璧だ!よしよし」

「にゃん・・・」

 体中の毛を整えられた猫は小さく鳴きながら隼人の顔を見つめ、数秒してその膝で丸くなった。

「おう。そのままおとなしくしてろよ。すぐ森永が来るからな」

 待つこと数分。

「乾さん、お待たせっす!」

「来たか・・・ってあれ?一人か?」

 勢いよく走ってきた由綺の周りには、確かに誰も居ない。

「森永さん、留守だったっす!ぬかったっす!」

「・・・ああ、なんかこう、人生ってこんなんばっかだよなぁ。何やろうとしても一度や二度は回り道させられるんだよ。むしろ待ち伏せで襲われたりしなかっただけましか」

 ため息をつく隼人に由綺は冷や汗をだらだらと流しながら固い笑いを浮かべた。

「いや、なんていうかそこまでボコボコでバイオレンスな人生なのは乾さんくらいの気も・・・あ、なんでもないっす・・・」

 目の前の野獣の瞳孔がすっと縦に割れるのを見てぶんぶんと首を振る。

「ともかく愛子さんの行方を捜すっすよ。ちょっと待ってて欲しいっす」

「を?携帯!?くそっ!俺らは誰一人として持ってねぇのに・・・」

 由綺は業務用っすと言い置いて柱の影でごにょごにょと電話の向こうと喋り始めた。数十秒の短い通話の後にそそくさと戻ってくる。

「わかったっす。数分前に寮を出て学園の方に向かってるそうっす。この際、追いかけるっすよ」

「っていうか、誰と話してたんだ?おまえ」

 途端困り顔になったのを見て隼人は苦笑した。

「なんか業務上の守秘義務とかいう奴っぽいな。わりぃ」

「・・・いえ、助かるっす・・・ありがとうっす・・・」

 ちょっと暗い表情になった由綺の肩をぱんっと叩く。

「よし!じゃあ行くぞ!猫!聞いてたか!?」

「にゃ?・・・にゃん!」

 猫はぴくっと耳を動かしてからよじよじと隼人の頭に上った。器用にバランスをとってそこに座り込む。

「・・・も、物凄い懐かれようっすね」

「・・・いや、俺もびっくりだ。そんなに嬉しかったのか?毛づくろい」

「にゃう」

 隼人は猫の答えにしばし沈黙し、喉の奥で唸る。

「わからん。葵姉ぇは何故わかる?」

「いや、能力っすからねぇ・・・」

 苦笑しながら由綺はびしっとドアを指差した。

「さっ!行くッす!世の中ノリと勢いで渡っていけるっす!」

「それはおまえと天野先輩だけだ!」

 

 

<妖精・空からキャンディー・誤解、もしくは正解>

 

「あのー、中、狭くありませんですか〜?」

 愛子はぶら下げた紙袋の中に声をかけた。

「快適とはいえないであります!しかし、任務とあらばどんな逆境にもフラニィは・・・」

「黙らない場合殺虫剤が参りますのでご了承ください」

 途端沈黙した袋の中を一瞥しトゥエニィは困った顔で愛子に向き直る。

「森永様・・・仮にも隠す為に使っている紙袋にお話なさるのはおやめくださいませ。個人的に一般常識と照らし合わせれば・・・かなりきわどい人に見えますかと」

「はぇぇ、すいませんです〜」

「それにしても、サイズが小さいからいけないのですわ。六合学園に入学するなら封印章くらい作ってもらえますでしょうに」

 見たいテレビ(再放送ドラマ)があるとのことで自室に戻ったヒライと亜美子を抜いた三人はフラニィをビンに入れ、さらにそれを紙袋に納めて学園へ向かっていた。

「封印章って、みなさんがもってるペンダントですよね?あれがあればフラニィさんでも人間さんサイズになるんですか?」

「個人的に調査したスペック表によればありとあらゆる概念形質を無効にし、平均、一般的な意味での人間の形質にするとか」

 ペタペタ、スタスタ、無音と三者三様の足音で歩く。

「ともかくフラニィさん。それまでは大人しくしているんですわよ?」

「了解であります!お任せくださいであります!」

「ですから・・・いえ、もういいです」

 紙袋を相手に延々と喋り続ける二人にトゥエニィはため息をつき、自分の行動に少し驚いた。

(擬態機能が知らぬ間に充実していますね。カスタマイズを受けたわけでもないのですが)

「あ、フラニィさん。そういえばお手伝い妖精さんって何をお手伝いさんなさるんですか〜?」

「家事とかを手伝ってくださるんではないですの?うちの屋敷にもお手伝いの座敷童子が居ましたが」

「フラニィの専門は、もっぱら恋愛であります」

 袋から聞こえた声に愛子と雪乃は顔を見合わせる。

「・・・恋愛?」

「恋愛に障害はつきものであります!その障害を軽々ジャンプするための多角的支援を任務としているであります!」

 フラニィの声がどこか熱っぽくなった。

「恋愛平原に佇む少年少女はまさにサバイバー!限られた物資!時間制限!ライバルとの出し抜き出し抜かれの戦いと最後に芽生える友情・・・そしてそこですかさず裏切る!」

「う、裏切るですか!?」

「厳しいものなのですわね・・・」

 勢いに押された二人の引き気味の相槌にフラニィの瞳にかっ!と炎が燃え上がる!

・・・袋の中なので誰にも見えてないが!

「大丈夫であります!新兵の皆様が致命傷を受けないように!ベテランの皆様がスムーズに事を進められるように!わたくしことフラニィ軍曹がサポートさせていただくのでありますっ!ほら、耳を澄ませば恋を語る男女の声が・・・今行くであります!」

「そうですの・・・行くんですの・・・ってきゃあっ!」

 呆然と相槌を打ち続けていた雪乃は紙袋の中から走った閃光にのけぞった。

「え?・・・え?フラニィさん?」

 愛子は目をぼんやりと金色に輝かせて通りの向こうを眺める。彼女の目には高速で飛び去るフラニィの姿が確かに映ってはいたが、脳がそれを処理してくれない。

「・・・行ってしまったんです・・・の?」

「・・・行ってしまいました・・・ねぇ?」

 呟いて二人はきょとんと顔を合わせ。

「って!まずいですわよ!?」

「はぇぇぇ!?ふ、フラニィさん出歩いちゃ駄目です〜!約束したですよ〜っ!」

 バタバタと走り出す愛子たちを見送ってトゥエニィはぼそりと呟いた。

「・・・ですから、妖精の約束が履行されることはないといいました」

 

 

「それでね、それでね。おともだちになれそうなきがするの」

「ふむ。そうか。食べ物の趣味が合うというのも意外な線ではあるな」

 制服姿の二人は他愛のない話をしながら通りを歩いていた。

「うん。でもね、それだけじゃなくて。どこかであったことあるかもしれない。ずっとずっとむかし」

「ふむ・・・」

 その片方、極端に小柄な少女の言葉にもう一人は頷き腕組みなどする。

「ここへ来る前というよりそれなら・・・む!?何か来る!?」

 そして、ばっと振り返り目の前の空間を腕で薙ぎ払った。気配を頼りに目の前に迫ったそれを掴む。

「わぷっ!?」

「何だ?」

 押しつぶされるような声に眉をひそめながらゆっくり手を緩めると、指の隙間から小さな頭が飛び出した。

「ほ、捕虜となったのでありますかー・・・ふ、フラニィはただお二人の健全かつ楽しい男女交際をお手伝いしに来ただけであります〜怪しくないであります〜」

「・・・は?」

 呆然と聞き返した瞬間、ずだだだっ!と駆け寄ってきた愛子と雪乃が到着する。

「はぇぇぇぇぇっ!しっかり見つかっちゃってますよぉっ!」

「何やってるんですのフラニィさん!」

「い、いえ!こちらのカップルさんがもうひと押しな波動を出してましたでありますので・・・」

 胴体を握られたままのフラニィが言った言葉に手の主は傍らの少女に目をやった。

「かっぷるというのは・・・この場合やはり吾等のことか?」

 二人は顔を見合わせて、それから互いの服装に目をやる。

 六合学園指定学生服。標準型。

 女性用。

 二人とも。

「こん?」

「いや、違うぞ伊成。吾もちゃんと女だ」

 

 

<猫・いぬ?・白きひと>

 

「・・・なつかれてるっすねー」

「・・・犬なんだけどなぁ、俺」

 頭の上に座り込んでいる猫を落とさないようにバランスをとりつつ隼人は歩く。

「待て、訂正だ。俺、狼」

「・・・藤田さんの影響力は絶大っすねぇ」

「にゃん」

 舌打ちなどしてぶつぶつ言っている隼人に苦笑して由綺は空へと目を向ける。空には既に赤紫の天蓋が広がっていた。

「仲、いいっすねぇ。みなさん・・・」

 どこか郷愁を感じさせるその色に、ふと胸の奥が熱くなった由綺は呟いてからその言葉に自分で驚いた。

「あん?俺達か?」

 隼人は聞き返して肩をすくめる。

「そうでもねぇだろ?放課後とか最近バラバラで行動してることの方が多いし。俺は部活があるしナインの奴はなんかしらねぇけど図書館にずっと居るし雪乃と森永は帰っちまうし」

「全員のスケジュールがすらすら出てくるところでもう十分仲良しっすよ」

「ぐ・・・」

 言葉に詰まった隼人に頭上の猫がにゃうと笑う。

「・・・楽しく、やってるっすか?」

「は?」

 唐突な言葉に隼人は眉をひそめた。

「六合学園に入学してからそろそろ半年っすよね?毎日楽しく過ごせてるっすかね?」

「なんだよいきなり。そりゃ楽しいけどよ」

「・・・それならよかったっす。ボクは一応スタッフ寄りの立場なんで気になるっすよ」

 数秒間、足音だけが二人の隙間を埋め続けて。

「・・・疲れてるのか?なんか嫌なことでもあったか?」

「え?・・・別に無いっすよ。自分、元気と勢いだけがとりえっすから。気にしないでいいっすよ」

 目をやった由綺の横顔はいつもどおり快活な笑みを浮かべている。浮かべては、いるが。

「嘘つけ。ぜんぜん駄目じゃんか。勢いまるでなし。なんかあるなら言ってくれよ。俺、察しがわりぃから・・・言ってもらえねぇと、きっとわからない」

「・・・大丈夫っすよ」

 呟いた声に思った以上の喜びがにじみ、由綺は大きく頷いた。 

「うん、まじで大丈夫っす。お気遣い、感謝するっす」

「そうか?」

 隼人は呟き、言葉を捜す。

「あれだぜ。俺としてはさ、『俺達』の中にはおまえとか不破とかも入ってるつもりだから」

「・・・はいっす・・・だから、大丈夫っす・・・」

 不器用な言葉にこたえる言葉は、耳に届かぬほど小さい。その代わりに由綺はぐっと大げさなガッツポーズをとった。

「気合入ったっすっ!ここは一つ全力疾走で森永さん達を追い抜くぐらいの勢いでGOっす!」

「抜くのかよ!」

 つっこみをいれて隼人は軽く笑った。

「だけど走るのはいいな。行くか?」

「行くっす!」

 パンッとハイタッチなどして二人が走り出そうとした瞬間だった。

「あら?アイス屋さんですね〜?」

 至近距離から浴びせられたのんびりとした声の不意打ちをうけ、二人して第一歩を踏み外す。

「ちっ・・・りゃぁっ!」

「うぶ・・・っす」

 地面に転がる寸前身をよじり隼人は宙返りのような動きで何とか姿勢を建て直した。その傍らに由綺が顔面から落下し、べちゃっと音がする。

「・・・おーい、生きてるか神戸〜?」

「頑丈と勢いだけが友達っす・・・けど・・・鼻、更に低くなったかもしれないっす・・・」

「あらあら、大丈夫ですよ〜とっても可愛らしいです」

 へろへろと起き上がった由綺の真っ赤になった顔面にひんやりとした手が触れた。

「冷た・・・!」

「あらあら・・・すこし我慢してくださいね」

 悲鳴を上げた由綺にその女性は微笑みながら言った。

「え?」

 見上げた目と女性の赤い瞳があう。その視線の柔らかな笑みに、由綺の思考は完全に停止した。呆然と見とれる。

「はい、治りましたよ」

「おっ・・・ほんとだ。赤くなってたのが元に戻ったぞ神戸」

 隼人は目をしばたかせて女性に目を向けた。

「あんた、うちの店によく来るカキ氷の人だよな。どうやったんだ?今の」

「私はちょっと体温が低いんですよ。それだけです。ふふ・・・」

 女性は言って軽く微笑む。

銀色の髪、白く透ける肌。雪乃やヒライを始めとした、いわゆる美人を身近に見る機会の多い隼人をして、あまりの美しさに呆然と見とれてしまった程の・・・それは完璧な微笑だった。

「あ・・・っと・・・だ、大丈夫か?神戸・・・」

「・・・ええ、大丈夫っすよ。別に。ガサツっすから。自分」

 我に返って聞いてきた隼人に由綺は反射的に唇を尖らせて答えた。

「なんだ?俺、なんか悪いこと言ったか?」

「え?あ、ややや、な、なんでもないっす・・・」

何故苛ついているのか自分でも戸惑いながらぶんぶんと腕を振る。

 女性はそんな二人に目を細め、ひとしきり笑ってからぺこりと頭を下げた。

「私、冬花といいます。驚かしてしまってごめんなさいね」

「あ、ボクは神戸由綺っす」

「名乗るのは初めてだな。俺は乾隼人。バーゲンラックで働いてるのはバイトで本業は学生だ」

「にゃぁ」

 軽く下げた隼人の頭の上で猫がぺこっとお辞儀するのを見て冬花はふにゃっと頬を緩めた。

「よろしくお願いします・・・ふふ、可愛らしい猫さんですねぇ」

「だろ?めったにいねぇぜ?これだけの美人は」

「う、うにゃ」

 猫は隼人の声に小さく鳴き、しきりに自分の顔を前足で撫でている。

「照れてるのでしょうか?うふふふ・・・」

「いや、猫だぜ?こいつ」

 言いつつも『ひょっとしたらなぁ』と思い、隼人は神戸に目配せをした。

(ボロが出ないうちに行こうぜ。この猫、アザーズかもしれねぇから)

(っていうか、今までの行動からしてほぼ確実っすね。行くっす)

(もう行っちゃうんですか?残念です)

「ってなんであんたまで目で語ってるんだよ!」

 ピシィッと鋭いツッコミを肩口に受けて冬花はにこっと微笑む。

「いいツッコミですね〜友美ちゃんが見たら喜びますよ」

「誰だよそれ・・・ともかく、俺達は行くぜ。また店の方にも来てくれよな」

 営業トークをはさむ隼人にちょっと苦笑して由綺は会釈した。そのままさっさと歩き出す。

「さようなら〜おいしいカキ氷を作ってくれる厨房の人にもよろしく〜」

 のんびりと手を振る冬花に軽く手をあげて答え、二人と一匹はその場を離れた。

「さようなら〜」

「・・・ま、まだ手振ってるっすよ・・・」

「にゃぁ、ゃあ」

 延々と手を振り続ける白い女性の遠ざかる姿に由綺は何度も頭を下げ、隼人の頭の上では猫がぱたぱた前足を振り返す。

「いつも思うんだけどよ、あの人・・・白いなぁ」

「白いっすねぇ」

 由綺の相槌に隼人は首をかしげた。

「あれなんだよな。なんかあの人見てると誰かを連想しそうで想い浮かばねぇんだ」

「?誰っすかね。アレだけの美人となると・・・」

 同じように首をかしげてクラスメートや知り合いの顔を思い出していた由綺は視線の先に見慣れた顔を見つけて考えるのをやめる。

「あれ?関さんと伊成さんっすね。今帰りっすか?」

「ああ、乾と神戸か。珍しい取り合わせだな」

「そっちはいつもどおりの組み合わせだな」

「こん」

 関美龍と伊成きつねは隼人たちの前で脚を止め、首をかしげた。

「・・・ねこ」

「乾・・・変わった・・・そう、ずいぶんと変わった帽子だな・・・」

「生きてる!生猫だ!生っ!」

 隼人の叫びに猫は身を乗り出した、こちらを見上げる伊成と目が合う。

「・・・にゃぁ?」

「こん?」

「うに、にゃぁ」

「こん」

 妖しげな会話に隼人はジト目になり首を振った。

「獣同士で分かり合ってないで俺にもわかるように通訳して欲しいんだがな・・・」

「ふむ・・・」

 美龍は頷いて伊成の声に耳を傾ける。

「こん」

「そうか」

 そして、大きく頷いた。

「伊成にもわからんそうだ」

「なら何を話してたんだよおまえらはよぉっ!」

「わわわわっ!乾さん、暴力は駄目っす!」

 飛び掛ろうとする隼人と後ろから羽交い絞めにしてそれを止める由綺を見て美龍はカラカラと笑う。

「動物系を祖に持つからといって全ての動物と言葉が交わせるわけではない。貴殿とて狼や犬以外と言葉は交わせまい?」

「・・・俺は狼とも喋れねぇよ。獣化できねぇからな」

「乾さん・・・」

 由綺の気遣わしげな声に隼人は苦笑じみた笑みを漏らした。

「何しけた顔してんだおまえ。いいんだよ、もう。強くなるって決めたんだからよ、何がどうだったって俺は強くなるんだ。道は一つじゃねぇだろ」

「ほう、一人前の男の目になったな・・・もう少し落ち着きが出てくれば一皮剥けるのだが」

 美龍は腕組みなどしてうむと頷く。

「落ち着きがないといえば、さきほどの森永達もずいぶん騒がしかったな。なにがあったのだ?」

「森永?・・・な!会ったのか?おまえら!?」

 

 

<妖精・無意識・意識>

 

「さて、持参したこのガムテープで全身を拘束する事に、今度こそ賛成していただけると思うのですが」

「はぇぇ・・・」

「むむむ・・・」

 トゥエニィの台詞に愛子と雪乃は気の毒そうな顔でフラニィを眺める。取り敢えず美龍たちからひったくって路地裏まで走ってきたものの、通行人に見られた可能性は否定できない。

「見捨てないで欲しいであります!わ、悪かったとは思っています!もうしない・・・と思うであります?」

「聞かないでください。やはり、まずはその口を塞ぐべきでしょう」

「そんな大きなもの張られたら顔が丸ごと埋まるであります!息が、出来ませんっ!」

「成る程。私としても殺す気はありません」

 トゥエニィは言い置いてガムテープを細かく千切り始めた。

「ほ、本気のようですわね、トゥエニィさん・・・」

「ちょと、かわいそうです・・・」

 愛子は困った顔で妖精の小さな目を覗き込んだ。

「駄目ですよ?フラニィさん。約束破るのは悪い子さんです」

「・・・申し訳ないであります・・・妖精族は目先の衝動に釣られやすいであります・・・」

 しょぼんと愛子の手のひらに正座したフラニィは頭をたれてボソボソと答える。

「多分オートマタさんの部品を盗んじゃった同族は金属の収集癖があったのだと思うであります。他にも野菜盗みたくなるとか家畜に悪戯するとか・・・みんな、何か一つくらい我慢できない衝動があるであります・・・」

 パタパタ動いていた羽がその小さな体を包みこむように動きを止めた。

「実はフラニィが勉強しに来たのもそれが原因であります・・・昔は妖精の悪戯は微笑ましいっていって許してくれていたものですが、最近は本気で怒られるのであります・・・開発が進んで妖精郷もほとんど潰されてしまいましたし・・・」

「お待ちください。妖精郷は王室との契約で守られているはずです。個人的な思い出はともかくとしてそんな迫害されるほどのことは無いはずですが?」

 珍しくこわばった顔で聞いてきたトゥエニィに妖精は力無い視線を向ける。

「・・・今ではもう、有名無実ってとこであります。ティターニア女王のいらっしゃる湖の城とかになると今でも不可侵ですけど各地の森はどんどん切り開かれて力をなくしちゃったであります」

 返す言葉を見つけられない三人を見上げてフラニィはポツポツと喋り続ける。

「結局、人間にとって妖精はもう娯楽にならないようであります。世界には他に楽しい事はいっぱいあって・・・そうなってしまえば、何の役に立つでもないフラニィ達は必要とされないようです。だから、ブラウニー・・・家妖精達みたいにお手伝いの一つもすれば居場所も見つかるって思って・・・」

「っ・・・」

「愛子さん?どうなさいました?」

 フラニィを乗せているのとは逆の手で不意に目を押さえた愛子に雪乃は戸惑いがちに声をかけた。

「な、なんでもないです。ちょっと目が・・・痛かっただけですから」

 愛子は作り笑いで答えてフラニィに視線を向ける。

「大丈夫ですよ、フラニィさん。えぇと、その・・・大丈夫です・・・きっと・・・」

「・・・個人的と前置きをおかずとも・・・その判断は肯定です」

 トゥエニィはことさらに無表情のままで背筋を伸ばし、一息ついた。

「努力なさい。妖精は生物系アザーズです。そうしようという意思ひとつで自らの概念を変えられるのですから。衝動に負けるというのは、ただの怠慢です」

「トゥエニィさん?ちょっと・・・言い方がきついのではないですの?」

 冷徹とさえ言える口調に雪乃は眉をひそめて口を挟む。

「変わることのできない者も居る。そう言いたかっただけです。他意は、ありません」

「しかし今のは・・・」

 そっけなく言われてむっとした雪乃が言い返そうとした瞬間だった。

「・・・そうでありますっ!」

 甲高い叫びと共にフラニィは飛び上がった。拳を握ってクルクルと舞う。

「フラニィは学ぶんでありますっ!これしきでへこんでる暇ないのです!撃ちてしやまん、最後までなのでありますっ!」

「個人的に疑問を提示させていただければ、そんな慣用句をどこで覚えたのでしょう?」

 一転して微かな笑みすら浮かべて応じるトゥエニィに雪乃はポカンと口を開いて呆けた。

「え?え?はい?」

「ふふふ、仲良いんですよ、お二人は・・・」

「・・・わたくしにはとてもそうは見みえませんわ」

 雪乃は納得いかなげな顔で呟き、ため息と共に頭を切り替えた。

「それはそれとして・・・れ、恋愛のお手伝いっていうのは具体的に何をなさるんですの?」

 フラニィはくるりと宙で回転し、雪乃へと向き直る。

「特に自分が何をするわけでもないであります」

「「「・・・は?」」」

 瞬間、三人の声が綺麗にはもった。

「・・・個人的に判断しますと、殺虫剤とライターを組み合わせる時が来たのではないかと」

「わ、わわ!落ち着くですよトゥエニィさん・・・なにか続きがあるみたいですから・・・」

 即席の火炎放射器を構えて呟くトゥエニィを愛子は抱きつくようにして止め、怯えて震える妖精に続きを促す。

「え、えっとであります・・・フラニィは周囲の確率を偏らせるであります・・・簡単に言うとトラブルを引き起こす形質を持っているわけでありまして、恋する二人にトラブルが起これば絆が深まるのは必然であります!」

「・・・なんていうか、物凄く運任せな手段ですわね・・・火の無い所に火種をつけるって感じですわ」

 今度こそ完全にあきれ返った雪乃の言葉にフラニィは不敵な笑みを浮かべた。

「ふっふっふ・・・それがそうでもないのであります。母国では成功率実に80%を誇ってたでありますから。試しに今近づいてくる淡い恋の人々を手伝ってみるであります!」

「おやめなさいって」

 意気込んで飛び出そうとしたフラニィの小さな頭を雪乃はぺちっとはたく。

「っ、っぉおぉ・・・か、軽く叩いたおつもりだと思うのではありますが・・・ふ、フラニィ的には首の骨がずれるかと思ったであります・・・」

「あ、あらごめんなさい・・・」

 雪乃は冷や汗を流しながら頭を下げ、ふと思いついて声を潜める。

「あの、ところで・・・その『恋する二人』ってのは何処に居ますの?」

 興味深々だ。

「フラニィのラヴ探知機によれば、片方は意識しはじめ、片方はちょっといいな、位にしか思ってないでありますな。まだ恋する二人とは言えないであります」

 びしっと敬礼などして妖精の少女は答え、雪乃の肩にとんっと降り立つ。

「近いでありますよ〜・・・もうすぐ、そこを通るであります」

「ま、まぁ・・・せっかくですからちょっと見てみませんこと?」

 

 

<猫と妖精・交差・妖精>

 

「おら走れ!ペース落ちてるぞ!」

「って、いう、か!は、早すぎっす!ボ、ボクは陸の上ではそんなにスピードでないっす・・・!」

 猫を抱えて軽快に駆け抜けていく隼人の背を追って由綺は荒い息の合間に叫ぶ。

「関は雪乃達にこの辺で会ったって言ってたんだぞ!?もう見えないってこたぁかなり早く移動してるって事だろうが!」

「だ、だからって走って追いかけなくても・・・」

「勢いだっ!」

「!・・・わかったっす!勢いなら負けられないっす!」

 

 

「な・・・な・・・な!?」

 今はまだ遠いその二人の姿に雪乃は陸に上がった魚のようにパクパクと口を動かして硬直する。空気が全く入ってこないのも魚と同じだ。

「ゆ、雪乃さん!落ち着いてくださいです!」

 おろおろとその袖を握って宥める愛子をよそに、路地から顔を出して近づいてくる隼人と由綺を観察してトゥエニィは大きく頷いてみせる。

「成る程。確かに一押しされれば転がりそうな二人ですね」

「っ・・・!何を言ってるんですのあなたはっ!」

「そろそろ何か起きるであります!見逃してしまうでありますよ!?」

 冷静な分析に激昂した雪乃の肩でフラニィはパタパタと足を動かして叫んだ。

「べ、別にほっとけばいいんですわ・・・!」

「そうですか。私は気になりますので拝見させていただきます」

 ぷいっとそっぽを向く雪乃に一礼してトゥエニィは再度路地の角から顔を出す。

「と、トゥエニィさんっ!」

 動揺を隠せぬまま雪乃は叫び・・・

「み、見ますわよ!ええ、見ますとも!」

 半ばやけくそ気味に自分もその横から隼人たちを覗き見た。

 

 

「ん?」

 隼人は進路上に落ちているそれを見て声を漏らす。

 黄色くて、平べったい・・・バナナの皮。

「なんでこんなもんが?」

 眉をひそめてそれを飛び越してから隼人はふと顔を背後に向けた。

「おい、まさかとは思うが踏んで滑ったりす・・・」

「うひゃぁっす!」

 そこに・・・前のめりにつんのめった由綺の姿があった。一回転しそうな勢いでその足が地を離れる。

「マジかよ!?猫!降りろ!」

 抱えていた猫を放り出して隼人は慌てて振り返り、突っ込んできたその小柄な体を受け止めようと手を広げた。

そのまま一歩踏み出し・・・

 ずるり。

「あ?」

 その足が、何かヌメヌメとしたものを踏んだ。

 無論、それはバナナの皮。

 何故か、もう一枚の。

「そんなバナナ!?」

 反射的に叫んでしまった隼人は自己嫌悪で目の前が真っ暗になった。この場合誰からもツッコミが入らないのが尚痛い。

「最悪だ・・・俺は・・・もう駄目だ・・・」

「大丈夫っす!一時の気の迷いっす!乾さんはつっこみだからいいんす!しっかりしてくださいっす〜っ!」

「そ、そうか・・・?そうなのか・・・?」

 忘我の時は時間にして一秒に満たなかっただろう。

 だが、その短さも場合次第だ。そしてこの場合、その瞬間は永劫に等しい致命的なものであった。

「あわわわわわわわわわわっ・・・!」

 目の前に、由綺の顔が迫る。

 

 

「な・・・!」

 不自然な成り行きで転び、抱き合うように近づいていく二人に雪乃は息を呑んだ。

「止めるならこのタイミングしかありませんが?」

 トゥエニィが懐に手を入れてその雪乃を見つめる。

「はぇ、はや、はわ・・・!?」

 愛子は目を見開いたまま言葉以前の音を繰り返す。

「え・・・藤田さんからも・・・想いが感じられる・・・でありますか?っ!フラニィ、なんとか割り込んでくるでありますか!?」

 真っ青になった雪乃にフラニィは同じくらい青くなって羽をバタつかせる。

「べ、別にわたくしは・・・!」

 雪乃は定まらない視点を隼人達と空の間でさ迷わせながら口ごもり・・・

 

 

 中途半端に加速された意識の中で隼人は近づいてくる由綺の顔を眺めていた。

反射的に神経加速はしたものの、滑った足は完全にコントロールを失っている。もはやそれくらいしかすることもない。

 視界の中で、まるく見開かれた瞳が、高くはないが形よい鼻が、やわらかそうな頬が、そして僅かに開いた唇が大きくなる。

(・・・こいつ、目ぇ大きいな・・・)

 そんな事を考えたりもする。

「ぁ・・・」

「ぇ・・・?」

 小さな呟きと共に吐き出された吐息を肌に感じて隼人の脳裏にアラームが鳴った。

(待てよ?待て待て待て。これはまずくないか?)

 至近距離に居るのが、一人の少女であることに今更ながら気付く。

(おい・・・なんでこんなばっちりの角度で迫ってくんだよ!?)

 倒れ込む由綺の唇は狙い済ましたかのように隼人のそれに近づいてくる。二人の意思とは全く関係なく。

(ちょ・・・ま・・・)

 待てと思う暇も無く、距離は10センチを大きく割り込み・・・

 

 瞬間。

 

「駄目ぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 周囲を征圧する絶叫が響き渡った。

「雪乃っ!?」

 隼人は耳で捕らえたそれに思考が追いつくよりも早く叫び、ほんの僅かだけのけぞった。

 目の前・・・僅か1ミリほどの距離にあった由綺の顔が、少しだけ位置を変え・・・

 

 ゴチン・・・ッ!

 

 正面から触れ合った・・・お互いの額が、極めて致命的な音を打ち鳴らした。

 

 

「うわぁ・・・」

 フラニィは急加速しかけた姿勢のままで呟いた。能天気な彼女をしてそう呟くほかに言うべき言葉を持てない。

 視線の先では少年と少女が互いの額を接点に制止している。不自然な角度で固定されていた体は、重力に引かれて地面へと倒れた。

 ・・・そのまま、ピクリとも動かない。

「はぇぇぇぇぇ!?」

 愛子はあわあわと手を振り回しながら隼人たちに駆け寄った。ぐったりと倒れている二人のどちらを先に起こすかを迷って結局隼人の体を抱き起こす。

「し、しっかりしてください隼人さんっ!」

「個人的に判断いたしますと、あまり動かさない方がいいかと。首の骨が折れていたりしますと、命に関わります」

 しれっと怖い事を言ってトゥエニィは倒れたまま動かない由綺の首筋に手を当てた。ひとしきり撫で回し、脈を見、無理矢理まぶたを開けて瞳を覗く。

「・・・・・・」

 隼人にも同じ事を繰り返した自動人形の少女は静かに首を振り雪乃の元へ戻ってきた。

「藤田様、大丈夫です」

「だ、大丈夫でしたの?」

絶叫したまま硬直していた雪乃はそれを聞いて表情を和らげる。トゥエニィは淡々と頷いてみせた。

「大丈夫です。私どもは裁判になっても黙秘しますから・・・」

「な、な、何の裁判ですの!」

「傷害致死・・・?」

 無表情に言ってくるトゥエニィに雪乃は青ざめた顔にダラダラと冷や汗を流した。

「あ、あれはわたくしのせいだっていうんですのっ!?」

「あのっ!そんなこと言ってる場合じゃないと思うですよっ!」

 愛子はピクリともしない二人を前におろおろと叫ぶ。

「にゃう、にゃううううっ!」

 猫も隼人の体に前足をかけてしきりに鳴く。

「そ、そうですよねぇ、お医者さんを呼ばなくちゃです!」

「にゃ、ふーっ!ふーっ!」

「は、はいです。電話を探すですー!」

 愛子は猫にガクガクと頷いて辺りを見渡した。

「公衆電話ないです〜っ!」

「ふにゃぁー!」

 叫んでいる一人と一匹の姿に雪乃の心の中に冷たい感触が走った。

「・・・は、隼人?わたくし・・・が・・・?」

「・・・・・・」

 トゥエニィはそれを見てため息をつく。

「やはり・・・私ごときでは誤魔化せませんか」

「お医者さん〜!」

 小さな呟きと愛子の叫び声が重なった瞬間だった。

「どれ、私が見よう・・・」

 ぼそりと呟く声が雪乃の背後からする。

「え?」

 振り向いたそこには黒い人物が立っていた。季節外れの黒い外套でその体はすっぽりと包まれており体型はよくわからない。髪はひどく長い黒髪。半分隠されたようになっている顔は男とも女ともつかない。

「・・・・・・」

 ふらふらと隼人達に近寄った黒いその人物に愛子と猫はそろってきょとんと首をかしげた。

「あの・・・?」

「にゃ?」

「安心しろ。私は医者だ」

 言い置いてふと空を見上げる。

「モグリだが」

「それは医者とはいえませんわっ!」

 雪乃のつっこみにモグリ医者はふっと笑った。

「名は黒井燕雀」

「名前など聞いてませんわ!」

「通称ブラックジャック」

「な・・・ではあなたが伝説の流れ医者の!?」

 驚愕されて燕雀はふと目を閉じる。

「すまない。今適当に考えた」

「・・・・・・」

 白い少女の額にくっきりと青筋が浮かんだのを見て黒い人物は軽く頷いた。

「とりあえず、彼女の血管が欠陥ものにならんうちに診察しよう・・・」

「えと、お願いするです」

「ふにゃ」

 頭を下げる愛子達に頷いて自称医者は隼人達の体に向き直った。依然としてぐったりとしたままの二人を交互に抱き起こし、指先で肌を叩いたり呼吸の調子を見たりを繰り返す。

「・・・心配ないようだ」

 そうして数分し、通り過ぎるの人の目がそろそろ集まってきた頃に黒い人物はそう呟いた。

「互いに脳震盪を起こしているだけだ。骨にも筋にもダメージは無い。脳へのダメージも無い。静かに寝かせておけば自然に目が覚めるであろう」

「本当ですの?あなたを信用できるか、まだ疑問なのですが?」

 倒れている隼人を隠すように辺りを囲んだ雪乃は不機嫌そうに言った。その感情が、不安と後悔から生まれている事を、本人だけが気付いていない。

「成程。ならばこう言えば納得するか?この二人は、アザーズとして頑丈な体という形質を得ている。この程度のダメージは問題にもならない」

「っ・・・!あなた!」

 違う色の緊張を顔に浮かべた雪乃をトゥエニィは手で制する。

「藤田様、今はお二人を静かなところへ・・・ここからでしたら学園の保健室にでもお連れするのが先かと思われます」

「そうね・・・」

 軽く唇をかんで言葉を搾り出す雪乃へ自称医者の人物はひとつ頷いた。

「それがいい。私も付き合おう。なにしろ、保健委員だしな」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・ホケンイインとはなんでありますか?」

「うにゃ?」

 硬直した雪乃、ため息をつくトゥエニィ、そのトゥエニィの上着のポケットから頭を出したフラニィ、首をかしげる猫。4対の視線が自称保健委員のだっぽりとした外套の下に注がれる。

「ん?ほら、着ているぞ。制服」

 言いながら前を開くと、その内側から現れたのは確かに六合学園指定学生服であった。何故だか、女物の上着と男物のズボンを組み合わせている。

「・・・ツッコミどころが多すぎて個人的にはどこから指摘すれば正解か判断しかねますが・・・」

 トゥエニィは言いながら再度溜息をついた。

「最初から、それを教えてくれれば何も問題ないのではありませんか?」

 

 

<猫・少しだけ素直に・猛烈に意固地に>

 

 

「ん・・・」

 隼人は軽く呻いて目を開けた。体にかけられていた布団に戸惑い身を起こす。どうやらベッドに寝かされていたようだ。

「なんだ?どこだここは?」

「・・・気付いたんですの?」

 枕元から聞こえた声に振り向くと、小さな椅子に腰掛けた雪乃の上目遣いの視線と目が合う。

「雪乃?・・・なんでおまえがっていうか何なんだ?一体この状況は?」

「覚えてないんですの?神戸さんと頭をぶつけて気絶したのですわ。ここは六合学園の保健室です」

 言われて隼人はびくっと震えた。

「そうだ!神戸の奴はどうなった!?無事か!?」

「・・・ええ、まだ寝てますが問題ないとのことですわ」

 ちょっと不機嫌になった様子の雪乃に隼人はそうかと答えて眉をひそめる。

「どうした雪乃?なんか俺、ムカつくことでも言ったか?」

「いえ、なんでもありませんわ」

 まあ名前呼びな分だけ勝ってますわねなどと考え、雪乃は慌ててその思考を追い払った。

「勝ち負けってなんですの勝ち負けって!」

「うわ!?なんだ!?いきなり!」

 いきなり叫ばれてのけぞった隼人の姿に雪乃は我に返り、再び俯く。

「あの・・・」

「あん?」

 僅かに口ごもってから雪乃はバッと頭を下げた。

「ごめんなさい・・・!」

 隼人はたっぷり数秒硬直してから一気に青ざめる。

「ま、まさか俺、やばいのか!?深刻な後遺症とかそういうのか!?」

「はい?」

 雪乃は一瞬きょとんとして、すぐにブンブンと首を振った。

「い、いえ、隼人の体に問題はありませんわ」

「そ、それじゃああれか?心に深い傷が・・・この半年で雪乃に負わされた分だけでもトラウマなのに・・・」

「何がですかっ!あなたみたいな無神経な犬にそんな繊細な心があるわけないでしょうが!」

 反射的に叫んでからハッと気付き、雪乃は再度俯いてしまう。その捨てられた小動物のような表情に隼人は戸惑いの表情で首をかしげた。

「・・・ほんとに、何なんだ?今更遠慮っていう仲でもねぇだろうが?」

「・・・ちゃんと覚えてますの?あなたが頭ぶつけた原因・・・わたくしの声ですのよ?」

 言われて隼人は苦笑した。

「あのバナナを投げたのがおまえだってんならともかく、んなことで何へこんでんだおまえは。らしくもねぇ。気にすんなよ」

「わ、わるかったですわね・・・!らしくなくて・・・!」

 口を尖らして叫び、雪乃はかるく息をついた。ただ一言の『気にするな』で嘘のように心が軽くなる自分を『軽薄ですわ』などと茶化しながら。

「でも、本当によかったですわ。何事も無くて」

「・・・ああ、すまねぇな。なんか心配かけたか?」

 雪乃はちょっと考えて微笑む。

「少しだけ、ですわ」

 その、常に無く優しい笑みを見た隼人はふと思いついて一人頷いた。

(そうか。冬花さんっつたか?あの人、こいつと似てるんだ。少しだけ雰囲気が・・・)

「?・・・どうかしましたか?」

「いや、なんでもねぇ。それよりおまえら、なんであんなとこに?」

「それはこっちの台詞ですわよ。なんで隼人こそあんなところを走ってたんですの?しかも、その・・・」

 ちらりと、カーテンで仕切られたもう一つのベッドに視線を向ける。

「神戸さんと一緒に・・・」

「ああ、それはな・・・って猫!猫はどこいった?おい、猫!」

「にゃ?」

 呼び声に応えて、ベッドの下からがさごそと猫が這い出してきた。眠っていたのか、軽くあくびなどしてからひょいっと隼人の胸に飛びつく。

「と、と・・・」

 慌てて受け止める隼人を横目に雪乃はわざとらしく肩をすくめた。

「・・・相変わらず動物と小さな子に人気が有りますわね・・・行く末が犯罪者じゃない事を祈りますわ・・・」

「うるせぇ!なるかっ!」

 言い合って軽く笑いあったとき、不意に保健室のドアがノックされた。

「雪乃さん、お二人は起きましたか〜?」

 入ってきたのは愛子だ。

「おう、俺は起きてるぜ。ちょうどよかった」

 胸元に猫をぶら下げたまま隼人はパチンと指を鳴らす。

「教室でこいつ見つけたんだが、なんか森永に話があるってんでよ、探しにいったんだ・・・知り合いか?」

「あ、はいです〜この学園の中に住んでるそうですよ〜。たまにお話しするです」

「・・・愛子さん、動物と話できたんですの?」

 あきれたような雪乃の呟きにはいですと答えて愛子は猫の顔を覗き込んだ。

「猫さん猫さん、愛子になにか御用ですか?」

 尋ねられて、猫は首だけを愛子の方に向ける。

「にゃう、ふにゃにゃ、にゃうん」

「えっとですね。相談がしたかった、だそうです」

 愛子の通訳に隼人と雪乃は顔を見合わせた。

「「・・・なんの?」」

「にゃうに、にゃにゃ、うん。なーご、にゃん」

 異口同音に放たれた問いへの応えに愛子はうんうんと頷き、それから手を打ち合わせる。

「なるほど、そうだったんですか〜それは凄いですぅ〜」

「「いやだから、なにが?」」

 再度異口同音に問われ、愛子はえへへと照れ笑いを浮かべた。

「あ、すいませんです。ちょっとびっくりしてたです。あのですね、その子、アザーズだそうです。昨日、急に目覚めたそうですよ〜」

「・・・は?」

「目覚める?」

 雪乃と隼人は呟き、互いに顔を見合わせる。

「たまに、あるっすよ」

 その疑問に答えたのは、間仕切りのカーテンを開けて近づいてきた由綺であった。

「あ、神戸さん、お体の調子はどうですか〜?」

「大丈夫っす。それより今の話っすけど・・・動物とか物とかもなんらかのきっかけでアザーズとして目覚めることがあるっす。猫さんの場合だと猫又とか呼ばれるっすね。急激に知能が向上して、大概はなにかしらの能力が芽生えるっすよ」

 由綺の説明に頷いて愛子はニコニコと笑う。

「それでですね、普通の猫じゃなくなってしまうと猫社会には居づらいんだそうです。で、どうしようかと思ってわたしのことを思い出したんだそうですけど・・・」

「まぁ、俺らもはみ出してるわけだしなぁ、ベースを人間と考えると」

「別にわたくし達に限らずとも、六合学園そのものがはみ出してる気もしますわ」

 二人の茶々に笑みを深くし、愛子は言葉を続けた。

「あはは、でも・・・もう解決しそうだそうですよ、居場所が見つかったそうです。あ、それと彼女の身につけたアザーズの能力ですけど・・・」

「にゃう」

 猫は一言鳴いて隼人の胸に顔を強く押し付けた。瞬間。全員の視線を受け止めていたその体がポンッ、と煙に包まれる。

「な、なんだ!?」

 叫んだ隼人の胸に、軽い・・だが、猫よりは確実に重い何かが乗っている。

「な・・・な・・・・」

 雪乃は顔面全体を引きつらせて『それ』を震える指先で指し示した。

「ふつうのいぬは吠えるから、きらい。でも、いぬいは優しいからすき」

 隼人の胸に首を擦り付ける、全裸の『少女』を・・・

「えと、見ての通りですけど、彼女の能力は人間化だそうです。まだ長時間なってると疲れるそうですけど。隼人さんと会った時は目覚めたときに変身した疲れが抜けてなかったそうです」

 愛子ののんびりとした説明は、誰も聞いていない。猫だった少女は愛子を見上げてにこっと笑う。

「ちなみに、ぴかぴかのひとはすきだけど、がちがちのひとはきらい。こえのおおきいひとはほりゅう」

「たどたどしいわりには難しい言葉知ってるなぁおまえ・・・」

 無意識の領域でつっこみを入れる隼人の目は何も見えていない。思考能力や判断力など、自分の腹の上に座っているのが何か気付いた時点で既に停止している。

「・・・それが、遺言ですの?」

 雪乃は抑揚無くそう呟いた。髪が、白く染まり冷気を帯びる。

「ぬぁっ!・・・ちょっと待て!なんでおまえが殺気立つ!」

 生命に関わるその悪寒に思考に強制再起動をかけ、隼人は青ざめた。

「裸の女の子を胸に抱いたその姿勢がっ!既にして悪!巨悪ですわ!」

「・・・藤田さん、乾さん」

 いくつものツララを回りに浮かべて叫ぶ雪乃の横に、ゆらりと由綺が現れる。

「おお、神戸!」

「えっと、風紀委員として発言させてもらうっす。藤田さん・・・」

 いつになく無表情に言って由綺は自分の制服の中へと手を差し込んだ。

「校内での淫行に対して、制裁を加えることを許可するっす!っていうよりむしろ、ボクが成敗するっす!」

「ナニィ?ナンナンデスカソレハ!?」

 予想外の展開に隼人は裏返った声で叫び、素早くベッドの上に立ち上がる。

「つか、猫!いつまでぶらさがってる!」

「にゃう、寮ではからだじゅうなでまわしてくれたのに。はじめてあったときなんて、あたしのはずかしいところに顔うずめてたのに。あたし、さびしい・・・」

「な・・・」

 首に手を回しぶら下がった元猫の目が笑っている。そういえば、猫って獲物をいたぶるよなぁなどと現実逃避をしつつ隼人はゆっくりと周囲を見渡した。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・えと、愛子はそろそろ帰るですね・・・?」

 素人目にもわかる殺気を放っている少女が二名、ふだんなら止めに入る愛子までが冷や汗をかいてあとずさる。

 一体、俺が何をしたってんだ!?

 

 絶叫を飲み込みつつ、惨劇の幕が開く。

 

 

<妖精・図書館の鏡・クラスメート>

 

 

「・・・なんで、なにもしないでありますか?」

 トゥエニィの制服の内ポケットに潜んだフラニィは小さな声でそう囁いた。

「何がですか?」

 淡々と応えて自動人形の少女は歩を進める。職員室からの帰り、手には御伽凪教師からの委任状がある。

「さっきの・・・イヌイさんとコウベさんの件、あれはフラニィの形質がひき起こしたことであります」

「馬鹿にしているのですか?」

 トゥエニィはことさらに冷たい声を装って言い捨てた。

「え、あ、あの、フラニィは・・・」

「私も英国製です。フェアリーの形質くらいは知っています。フラニィ、あなたの形質は確率の操作。良い事と悪い事が等分に発生しやすくなる・・・そういうことでしょう?だから、小さなトラブルと引き換えに仲が進展する」

 数秒の沈黙。ポケットがもぞりと動いたのは頷いたせいか。

「こんな事になったの、はじめてであります・・・語学がどうのってのは嘘で・・・フラニィは意識的に確率の変動枠を決められるのが自慢だったのであります。それを買われてここへ来たでありますのに・・・」

「しかし、今回に限ってその制御がきかなかった。トラブル・・・足を滑らすと言うトラブルと引き換えに偶然のキスなら、あなたの定めた確率だったのでしょう。しかし、実際には藤田様の介入で事態は加速し、二人は意識を失うダメージを負った」

 唇を動かさずにトゥエニィは喋り続ける。別段、そういう機能があるわけではない。ただの腹話術だ。

 彼女の人形としてのコンセプトは人間の完全なる模倣。人間の範囲内を越える動作は一切出来ない。

「フラニィ、あなたは学ばねばならない。ここがいかなる場所か、彼らがいかなる者か。そうやって、あなた自身もまたここの住人とならねばならない。できますか?」

「り、了解しております!もとより、そのつもりであります!」

 意気込む声にトゥエニィは軽く微笑み・・・それから、自分の表情に驚いた。しばし思考し、左胸に語りかける。

「ときに・・・私の心臓の音、聞こえますか?」

「はぁ、聞こえるでありますが・・・は!?か、閣下、オートマタ・・・自動人形であられますよね?!」

「ええ。24−0。24番台唯一のMaiden。この肌を切れば血も出ますし呼吸も食事もします。動力源は食べ物を発酵させた熱でゼンマイをまきなおす方式。理論上餓死もするわけですね。心臓くらいは動きます」

 ただ、それは彼女のコントロール下で、の筈であった。今はそうではない。

「変わっていくのです。何もかも」

 たとえ、無機質な人形の身でも。

「さて、最初の問いに戻りますが・・・あなたは確かにしくじりました。が、彼らはあの程度でどうこうするような存在ではありません。よって、あなたはあなた自身に対してのみ、責任を取りなさい」

「自分に・・・でありますか?」

 聞き返す妖精に応えず、トゥエニィは足を止め、その場所に目を向ける。

 そこは、図書室だった。

 

 

「・・・ミスティ、何故本を読むのに俺と引っ付く必要があるのですか?」

 ナインハルト・シュピーゲルは溜息と共に傍らを見る。

椅子をぴったりとくっつけてナインに身を寄せていた魔術師ミスティ・ミラーは小学生そのものの笑みを浮かべて首をかしげた。

「ん?だって本読むのは口実だもん。兄弟のスキンシップを取りにきたのよ」

「・・・だから、俺はカレイドスコープではありませんというのに・・・」

 首を振って再度本に目を落としかけたナインは、近づいてくるクラスメートの姿におやと呟く。

「どうしました?Miss.Maiden・・・」

 ナインの問いにトゥエニーは軽く会釈してからミスティに視線を移す。

「お二人に用があります。どこか人気の無いところまでご同行願えますか?」

「俺はともかく・・・ミスティも?」

「あ、なるほど。大丈夫。ここで話せるようにするから」

 不審気なナインをよそにミスティは足元においてあった鞄を開き、手のひらに乗るほどの小さな球体を取り出した。全体が鏡張りになっているが、一応地球儀のようだ。

「はい、起動」

 軽く叩くと、地球儀は静かに回りだした。ゆっくりとだが、止まらずに動き続ける。

「触んないでね。触って止めない限り半径3メートルくらいを別世界に仕立て上げるアーティファクトだから。この世界はここで完結してるから外に話は漏れないよ」

「流石ですね、ミスティ様」

「あなたを作ったジョージ親方に比べればまだまだ、よ。これだって元ネタはカレイドスコープのアイデア帳だし」

「・・・何故実の兄は名前で呼ぶんです?」

 冷静な指摘に、反応は無い。

「さて、では本題に入ります。本日、森永様のお部屋に彼女が入ったビンが届きました」

「ど、どうもはじめましてであります!フラニィと申しますであります!」

 ポケットから飛び出し、空中で敬礼する妖精の姿にナインとミスティは同じ仕草で首をかしげる。

「・・・どういうことです?」

「あ、少しだけ聞いてるよ。彼女、転校生。イギリスから来たフェアリーだって。おかしいな、昨日ちゃんと作って納品したけど。届いてない?」

 ミスティの言葉にナインはため息をついた。

「成程。この学園で使用されている封印章・・・ミスティの作でしたか」

「うん。これまたオリジナルじゃなくて、設計書どおりに作業しただけなんだけどね」

 義兄妹のやりとりを聞き流してトゥエニィは手にした紙を机の上に広げる。

「それなのですが・・・設計変更をお願いします。仕様は私がまとめましたので、これの通りで。個人的な知識と照らし合わせれば、技術上不可能ではない筈です」

「?・・・これくらいならできるけど・・・意味あるのかなぁこれ」

「その仕様書は正式な委任状も兼ねています。六合学園からの依頼という形ですので報酬は間違いなく払い込まれますので気にせず作ってください」

 ナインは妖精と自動人形の間で数度視線を交差し、それから肩をすくめた。

「ミスティへの用はそれとして・・・『お二人に用がある』・・・でしたね?」

「はい。シュピーゲル様への用は、この仕様書の検証です。彼女・・・フラニィは確率を操作できる形質を所持しております。が、母国では出来たコントロールがここに来て暴走気味なのですが、原因に心当たりはございますか?」

 トゥエニィの問いにナインは軽く頷く。

「相手は六合学園の生徒ですね?」

「乾様と神戸様、そして藤田様です」

 反応が早い。ナインの言葉はトゥエニィの考えを補強するに十分なものだったからだ。

「ならば、答えは簡単です。ただ単に相手が・・・そして場所が悪かっただけでしょう。この六合学園も、そして俺達自身も既にして確率が傾いた存在ですからね。能力で加速させれば・・・それは暴走もするというものです」

「そ、それは困るであります!フラニィはそれだけがとりえでありますのに・・・!」

 青ざめるフラニィに自動人形は笑みと共に手を差し出す。

「忘れたのですか?私は学びなさいと言ったはずです。あなたはこれから、能力に頼らず人を助ける方法を学ぶのです」

 

 

<余話・風紀委員・六合学園>

 

 

 そして、数日がたち。

「やあ・・・遅かったな」

 保健室へやってきた少女に、黒いコートを纏ったその人物は机から振り返らぬままに声をかけた。書類に細かい字を書き込む手は止まらない。

「・・・っす」

 軽く頭を下げて少女・・・神戸由綺はその近くに立つ。

「まあ、不用意だったと、言っていいだろう」

「すいませんっす、燕雀先輩・・・」

 ペンを止め、黒井燕雀はゆっくりと由綺のほうに視線を向けた。なにげに、本名である。

「結果はうまくまとまったが・・・最後の大暴れ、同じ風紀委員としては、な」

「・・・すいませんっす・・・」

 うなだれる由綺を見つめて黒い風紀委員は口の端を僅かに歪める。

「やはり、つらいか?監視という任務は」

「・・・嫌っす。自分は、こんな仕事がしたいわけじゃないっす」

 目はあわせないながらもきっぱりと言い切った由綺に燕雀は頷いた。

「だが、もはや君以外が主担当として監視を続けるのも嫌なのではないかな?現委員長があの風間恭一郎の傍に居るように」

 区切り、首を振る。

「乾隼人。かなりご執心のようだね」

「はぃ!?」

 声が、裏返った。ビクッと跳ね上がり自分をまじまじと見つめるその視線に燕雀の表情がはっきりとした苦笑へと変わった。

「自覚なし、だったのかね?君はただ単に彼が好きなだけだろう?」

「そっ・・・!そんなわけ、ないっす!違うっす!スカっす!外道っす!」

 ガツン。

 腕をブンブン振り回した由綺は机の端に手の甲をぶつけて「〜〜〜!」と悶絶する。

「・・・まあ、他の仲間も含めて、でもこの際かまわない。君はもはや冷静に彼らを監視できる心情にはないと言うわけだ」

「・・・・・・」

 沈黙する由綺に燕雀はなおも笑った。

「だが、それでいい」

「え?・・・ど、どどど・・・」

「ドミノピザか?好きだが?」

「いえ、あまりに無理があるっす。そのボケは」

 ジト目でつっこんだ由綺はそれでやや落ち着きを取り戻した。

「一体どういう意味っすか?自分は監視役としても護衛役としても・・・もう役立たずっす。自分でわかるっす」

 燕雀は頷き、手にしたペンでコツコツと机を叩く。

「考えても見たまえ。君は意味も無く風紀委員になったのかね?」

「スカウトっす。故郷に居る頃に」

 由綺の応えは簡潔だ。

「アザーズであることが決め手であることは確かだがね・・・君が風紀委員になるべく招かれたのは・・・我々にとって好ましい人格をしているからだよ。君は論理よりも感情を優先するタイプだ。君が好きになったのならば、彼らは信用するに足りる。監視する必要など無い」

「い、いやややややや、ボクはそんな・・・」

 燕雀はバタバタ暴れている由綺に構わず言葉を続ける。

「どうなんだね?君は彼と一緒に居たいのかな?」

「う・・・・」

「あるいは、私が専属となっても構わんが?」

「だ、駄目っすっ!」

 反射的に叫んだ由綺に燕雀は大きく手を広げてみせた。

「冗談だ。あの濃い連中に、私では混ざれない」

「・・・そっすか」

 こめかみをひくつかせて呟いて由綺は気分を落ち着かせようと深呼吸をする。

「それで・・・ボクはこれからどうすればいいんすか?」

「とりあえず、今までどおりあの4人に張り付きたまえ。例によってこっそりとな。ただこれからは黙っている必要は無い。監視している事を教えても構わない」

 矛盾した指示に戸惑う少女へ燕雀は肩をすくめた。

「今回の件、何故あの妖精が森永君の部屋に届いたかわかるかね?」

「・・・彼女達がどれだけ成長したかの試験っすね?」

 即答へのご褒美はさらなる即答。

「入学したての頃、彼女達はまさにフラニィ君と同じ状態だった。だが今・・・昔の自分を彼女達はそれなりに導く事が出来た」

「・・・この、六合を冠する学園において・・・一つ目のサイクルに彼女達がなる」

 無表情に言った由綺に黒衣が揺れる。

「その通りだ。もはや彼女達は我々の手を必要とはしない」

「それではボクが居る必要も・・・」

 俯いたその姿に燕雀はやれやれと肩をすくめた。

「彼らに言ってみたまえ。自分はもう、あなたたちに必要ないと。おそらく・・・激怒するぞ。彼らは」

「そ、そういう意味ではないっすけど」

 口ごもる由綺を横目に燕雀は保健室の窓を開ける。

「入ってきたまえ」

「うにゃ」

 声に答えて入ってきたのは、一匹の黒猫。そして・・・その背にまたがった小さな少女であった。

「にゃっ!」

「この前はお世話かけたであります!フラニィ、心を入れ替えて頑張るであります!」

「フラニィさんと猫さん?・・・って、フラニィさん羽はどうしたっすか!?」

 由綺はぎょっとして叫んだ。床に飛び降りたフラニィは人形サイズの六合学園指定制服を着込んでいた。そして、その背からは羽が完全に消えうせている。

「封印章の力でありますっ!能力も封印されているであります!」

「トゥエニィ君の提案でな。彼女はあのサイズのまま人間化している。能力に甘えぬよう、そして妖精である事を捨てないようにな」

「そんな無茶な・・・」

 由綺は呟き、それから笑顔を取り戻した。

「そんな無茶苦茶・・・風紀委員がサポートしなければ絶対に何かしでかすにきまってるっすね」

「森永君達はこれからも様々なトラブルに関わるだろう。そうなれば、見えないところに居るサポート要員というのはこの上なく便利なものなのだよ。まぁ、君はそういうのは嫌いかもしれないがね」

 見上げてくる猫、意味も無く敬礼などしているフラニィ。

「いいっすよ。最後に突撃できればOKっす!」

「風間一党と違い彼らは単独行動が多いしな。バラバラで行動している際は乾君についていくように。これは命令だ」

「め、命令なら・・・そうするっす・・・」

 赤くなった由綺とふーっ!と毛を逆立たせる猫を眺め、燕雀は喉の奥で笑った。

「やり方は一つではない。我々の仕事は弾圧することではなく支える事だ。君が好きだと思った人々を助け、許せないと思った事を取り締まるがいい」

「・・・はいっす!」

 ガッツポーズを取る由綺の顔に、もはや憂いは無い。

「フラニィも頑張るであります!何の話なのかよくわからないでありますけど取り敢えず勢いでは負けないであります!」

「ふーっ!にゃうっ!」

「ノリと勢いはボクの専売特許っすよ!負けないっすっ!」

 

 二人と一匹を眺めて黒井燕雀は立ち上がった。

 騒ぎに背を向けて保健室を出る。

「恋・・・か。出来れば、わたくしも、楽しみたいものだが、な。御伽凪よ・・・」

 歩きながら振った手首がありえない方向へ一度だけぐにりと曲がり・・・

 これは、そんな余話。