<魔術師/魔術師>

 

「・・・ミスティ。くっつきすぎではないですか?」

 ナインハルト・シュピーゲルはため息と共に本から顔を上げた。いつもの図書館、いつもの席。そして、背中にぺたーとはりつくいつもの妹。

「ん〜?」

 ミスティ・ミラーは機嫌のよい猫のような声を漏らして顔をあげた。

「他の生徒が見ているのですけどね・・・」

「いいじゃない。仲のいい兄妹だってみんな思ってるよ」

「・・・そう・・・かな」

 ナインは眉をひそめて耳をそばだてる。今使っている体はかなり優秀なものだ。聴力もカスタマイズされている。

(シスコン・・・)

(やっぱ12人いるのか・・・?)

(いいなあ・・・ちちゃいこ、いいなあ・・・)

(淫逸・・・!)

「ミスティ。今すぐ降りなさい」

「はーい」

 案外素直にもたれかかるのをやめたミスティは隣の席に座ってぺたんと机につっぷした。

「つまんない〜」

「別に俺のところに居なくてもいいでしょうに。店へ戻ってもいいわけですし、この学園の中にだって何人か教え子が居ると聞きましたよ?」

 やれやれとナインは再び本へ眼を落とす。

「まったく、何を教えたのだか・・・」

「あの頃じゃないんだからそんな無茶はしないよ。魔術を教えた子が数人居るってだけ」

 ミスティはぼんやりと図書室を見渡す。

 たくさんの生徒達がいる。探せば顔見知りも何人か居るだろう。

 だが。

「つまんないんだよねー。あの子達も好きだけど結局のところ弟子だからねー・・・私の教え方のせいもあるんだけど上限関係がしっかりしちゃって」

「・・・それで無法者っぽい隼人に眼をつけたわけですか。でもあいつはあれで上下関係はキッチリしたがる方ですよ?」

「うん〜。だから退屈」

 ナインは苦笑して『妹』に目を向けた。

「友達を作りなさい。この街は無限の可能性を秘めているそうですからね。望むならきっと対等な友人くらい現れますよ」

「・・・だと、いいけど」

 魔術師はまどろみがちにそう呟いて自分の左胸に手を当てる。服の上から感じる固い感触に一つため息。

「だと、いいけど」

 

 

 時間は、朝へとさかのぼる。

 

「・・・・・・」

 一人の少女が佇んでいた。

 朝日が昇る直前の空を睨んだまま右手に握った携帯電話の電源を切り足元の旅行カバンへ放り込む。

 次いで視線を送ったのはカバンの隣に置かれた小さな置物。青く塗られた木製の小鳥。

「・・・一音。『囀るは定め、幸せ求め羽ばたく汝が名は導きと知れ』」

 澄んだ声と共に放たれた言葉に、人の手で作られた鳥がぶるりと震えた。

「ぴ・・・」

 一声。高い囀りと共に木で出来た翼は羽ばたいた。ふわりと宙を舞い、少女の肩へと舞い降りる。

「童話にモチーフを求めるのは惰弱かとも思いますが、有効な言霊であることも事実」

「ぴ」

 呼びかけられた木鳥は敬礼するような動きで答え、そのまま右の翼で斜め前を指した。

「まずは・・・向こうですか」

一つ頷いて少女は旅行カバンを持つ。

「・・・待っていて」

 呟き、一歩前へ・・・虚空へと足を踏み出す。風がその小柄な体躯を包み込んだ。

 落下。

 だがその表情には焦りも恐怖もない。

「一音。『包みたるもの、我が身の一部たる汝が名は翼』」

 ビルの間を渦巻く風のうねりを無視して響く澄んだ声とともに少女の携えた旅行カバンがわずかに開いた。その隙間から飛び出した白い布は少女の体をくるりと包みその背後で両端を広げる。それは、確かに二枚の翼に似ていた。

「・・・待っていて」

 少女はもう一度つぶやき眼下を見下ろす。

 外種都市、龍実町。

 目指す人は、そこに居る。

 

 

<赤き魔人/旅行カバンの少女>

 

 早朝。

「・・・・・・」

 沈黙のうちにその男は拳を突き出した。空気を切り裂く鈍い音のみを相手に黙々と型を繰り返す。左右の連撃から打ち下ろし、胴打ち、右の肘。左の肘での突き上げ。

 派手な動きは無い。素人目には地味としか言いようのない単調なその動きはしかし、武術家を名乗る者が見ればその場で求道を止めかねないほどの精度でもある。

 最適たる動きに余計なものなどありはしない。

「・・・噂どおりですね」

 男は背後からかけられた声に動きを止めた。最近伸ばし始めた赤い髪をかきあげて振り返る。

「何がだ?」

 静かに問う視線の先には長身の彼の腹あたりまでしか背の届かない少女が居る。

 傍らには、旅行カバンとおぼしき革張りのトランクが一つ。年に似合わぬ無骨で大きなものだ。

「この街には致命的なほどの異物が当たり前のようにゴロゴロしているという噂についてです。アザースや魔術師、それにアペンド・・・非常識が常識である街と聞いています」

「その答えはYESでありNOだ。この街に何か特異なものがあるのは事実だがその例を俺に求められたところで、俺自身には何ら特異な部分はない」

 彼を知るものが聞けば鉄拳によるつっこみが入るか無言で狙撃されそうな台詞に、少女は軽く肩をすくめるだけだった。大人である。

「その台詞はあなたが己の力を当然と考えているからですよ、具現形質者。強大な力をそうであるとわきまえずに振るう。それでいて人として破綻していないというのなら・・・そうですね、あなたを称するには『魔人』の一言を持ってすれば足りるでしょう」

 少女の酷評とも賛辞とも取れる台詞に男は苦笑した。

「・・・『魔人』の山名春彦か・・・響きは、気に入ったが・・・」

 ひとしきり笑い、その鋼鉄のごとく揺ぎ無い眼が少女をうつ。

「それで、この街に何用だ。魔術師」

「・・・・・・」

 少女は目を閉じ、ん・・・と小首を傾げる。

「人探しですよ。あなたとこうして会話している事自体は偶然です。でも、こうして交わした言葉には意味があります。あなたと出会えた縁も私の目的と関係があるのでしょう」

「・・・因果は巡る、か。残念ながら、知り合いが言うに、俺の属性は大極だ。個として完結しているが故に、あらゆる因果とも繋がっていない」

 残念だったなと言う春彦に、魔術師と呼ばれた少女はふるふると首を振った。

「いいえ、それでこそ来たかいがあるというものです。今こそ確信しました・・・あなたほどに偏った具現形質を持つ人ですら穏やかな笑みを浮かべていられる街なら・・・きっと姉はここに居ます」

 春彦は少女の眼差しに込められた真摯な・・・そしてやや緊張気味の心を読み取って微笑む。

「そんなに気を張っていては肝心な時にしくじるぞ。この街に馴染もうというのなら、肩の力を抜け。大丈夫だ・・・ここにはおせっかいが多いからな。きっと皆、好き勝手に手伝ってくれるだろう」

「あなたがこうして助言してくださってるようにですか?確かにおせっかいな方が多いようですね」

 言われて、赤い魔人は肩をすくめた。

「・・・大切な人が居なくなるというのは、辛い事だからな・・・」

 少女と春彦は数秒間見つめあい、どちらからともなく目をそらした。

「あなたの言葉、好意を持つに十分ですね」

「・・・すまんが、恋人は間に合っている」

「はい。私としても少々年の差も気になりますし」

「それは残念だ」

「残念ですか」

「冗談だがな」

「私もです」 

 それきり、少女は魔人と別れた。

 

 

<雪の少女/妹>

 

「・・・む?」

「はい?」

 道端に立っていた少女に自分の顔をしげしげと眺められ、その上で不審気なうなり声を上げられるなどという経験は滅多に味わえるものではない。藤田雪乃は軽く首をかしげて戸惑った。

「なにか御用ですの?」

 とりあえず足を止めて問うてみると、少女は自分の肩をじっと見詰める。

「・・・間違い、ないようですね。探し始めてから半日、こんな容易く見つかるとは思わなかったのですが」

 小さな肩には青い羽の小鳥がとまっていた。正確に言えば、小鳥の形をしたもの、が。

それは木製の鳥。なかなかに愛嬌の有る顔つきをしたそれは不意にコキリと首をかしげて口を開いた。

「ドリィ」

「やめなさい。時事ネタは直ぐに風化するものです」

 命を持たないそれの鳴き声に落ち着いた声でつっこみを入れる少女に雪乃はずざっと後ずさる。

「い、今・・・喋りましたわよ!?」 

「私も一応人間で、かつ生きています。それは言葉の一つや二つ放ちますが」

「あなたでは無くっ!その、その鳥の人形ですわ!」

「ふふふ・・・鳥なのに・・・人形」

 謎の笑みを浮かべて少女は傍らの旅行カバン・・・140センチを切るその小さな身体には不釣合いに大きなものだ・・・にちょこんと腰掛けて首をかしげた。

「・・・森永愛子を、知っていますね?」

 瞬間、雪乃の表情が変わる。

「・・・ええ、知っていますわ。それで・・・あなた、どなたですの」

 話をそらしているとも取れるその言動に雪乃は目つきをやや鋭くした。

「・・・わたくし、最近少々野蛮が移ってきている気がするので、あまり手荒なことはさせないで欲しいものですわね」

「あなたと争う気はありません。必要も認めません。どうやら、あなたは姉を案じてくださってるようですから」

 やや満足げな声に雪乃は軽く胸を張った。

「当たり前ですわ!わたくし、これでも愛子さんの一の親友であると自負・・・」

 誇らしげな台詞が途切れる。

 その単語が脳内で意味を為すまで十と六秒。

「姉!?いいいいいいい今っ!姉とかおっしゃりました!?」

「!?・・・そこまで驚かれると私までつられて驚いてしいますが・・・ええ、姉と言いました」

 旅行カバンの少女はとんっと地面に降り立ちふわりとお辞儀をしてみせる。

「なんと言いますか、設定上森永愛子は私の姉ということになっていまので」

「ぴ」

 少女に合わせて首をぴょこりと下げる肩の鳥(木製)に戸惑いながら、雪乃は目をしばたかせる。

「妹さんが居るとは聞いていましたが・・・」

「姉一人、妹一人の姉妹ですのでそれは私のことです。今日は、忙しい母に代わりこちらでの様子を伺いに来ました」

 さらっと言い放つ少女に雪乃は目を真円にしてあわあわと右往左往する。

「え、えっと、わたくし、愛子さんのお友達をさせていただいております藤田雪乃と申します!す、末永く宜しくお願い致しますわ!」

「・・・森永家に嫁ぎでもするのですか?あなたは・・・」

 異様なオーラを放ちながら詰め寄ってくる雪乃に少女はやや引きつった表情で呟き後ずさった。

「と、ともかく・・・姉は今、どこに居ますか?」

「宿題の資料を探すと言ってシュピーゲルと一緒に図書館に行きましたわよ。今からでも急げば居るかもしれませんわ」

 腕時計(最近ようやくデジタル表示に慣れてきた)を眺めて雪乃が言うと少女はふむと頷く。

「わかりました。その図書館と言うのはどこに?」

「六合学園の図書館ですわね。本来なら万難を排してでも案内したいところなのですが・・・今日はあるばいとで、抜けられない日なのですわ」

 バイト先のアイス屋の名物であるフィギュアアイスは雪乃特製の品だ。霊力を使って作っているので他の人には作れないうえに、タイミング悪く今日は作り置きもない。

「お構いなく。この街の地図はありますので勝手に探させて頂きます」

 言い置いて少女は旅行カバンを持った。肩で木鳥がくぅと喉を鳴らす。

「では、交わされた言葉の縁に感謝します。また後ほどお会いしましょう」

「え、ええ・・・」

 言葉を挟む余地を与えず少女は背を向け歩き始めた。雪乃はもう一度腕時計を見て数秒迷い、結局こちらも歩き出す。

「まあ、後ほどと言っていましたし・・・」

 

 

<弟子/探索者>

 

「さて・・・」

「ピ」

 少女は肩に止まった木の鳥を軽く撫でてから一歩踏み出した。今は開け放たれている鉄製の門扉、その内側こそが広大な六合学園の敷地である。

 校門そばに校内新聞と共に置いてあった地図を片手に図書館へ向かった少女はそれを頼りに図書館へと歩き出し。

「・・・・・・」

僅か数分で足を止めた。

「・・・迷いましたね」

「ピ(早っ!)」

「この地図が役に立たないのです。絵ばっかりで説明が無い。これでどうしろと言うの?」

 肩の鳥が呆れたように言ってくるのに少女は口を尖らせる。

「ピ(やーいこのビジュアルおんち〜)」

「だまりなさい」

 少女は肩の鳥の頭を軽くはたいて首を傾げる。

「とは言え、またあなたに働いてもらうしかないですね」

「ぴぴ(労働省によると一日の労働時間は・・・)」

 抗議なのか羽根をばたつかせる木鳥をに少女は『優しく』微笑んで見せた。

「ぴ・・・(葬送の鐘が、鐘が、聞こえる・・・嗚呼、シコル、ドリアン、柳にスペック、ドイル!もうじきそっちに・・・)」

「失礼な」

 途端に硬直して弱弱しく鳴く木鳥に少女はため息をつく。

「ともかく、お願いしますよ。ドリィ」

「ぴ(自分でも時事ネタは駄目って言ってたじゃないっすか。風化しますよ。ピクニックだ!)」

「黙りなさい。さすがに古すぎですよ」

 はたして、理解できる人が居るのだろうか・・・?

「ともかく、早く探しなさい。日が暮れます」

「ぴぴ(っつうか、そんな必要も無いみたいっすよ。そこの角を曲がったところに縁の糸がぶらさがってるっすから)」

 少女はしばし沈黙し、それからぺちりと木鳥の頭をはたいた。

「それを早く言いなさい」

「ぴ!?(横暴!悪魔!ナイチチ!)」

 瞬間、少女の顔がにこぉっ!と笑顔を形作る。

「・・・焼却炉、どこでしょうね?ドリィ、探してくれる?」

「ぴ!?(お嬢、待つッす!ナイチチはナイチチなりにファンが多いっす!ナイチチで怒るのは世界中のナイチチに失礼っす!だいたい小学生なんスからナイチチであたりまえっすよナイチチ!じゃなかったお嬢!)」

「だから、!ナイチチ!言わない!」

 連呼された禁断のワードに少女は小鳥の首を細い指で締め上げた。木がキシキシと歪む。

「ぴ、ぴ〜(ムリヤリ貼り付けた笑顔が怖いっす〜)」

 その時、不意に。

「ナイチチ?」

「ナイチチ言わないッ!」

 どこかから投げかけられた言葉に反射的に叫んでから少女はビクリと震えた。

「お、おう、よくわかんねぇけど、すまねぇ」

 その声に含まれた殺気に一歩後ずさったのはタンクトップとジャージという軽装の少年だ。首にかけたタオルで汗を拭っている。

 乾隼人。それが少年の名である。

「あ・・・」

 少女は一瞬だけ目に動揺の色を浮かべ、数回まばたきしてそれを隠す。

「・・・失礼しました。あなたに言った言葉ではありませんので気にしないで下さい」

「?・・・ああ、ま、いいんだけど」

「ピ」

 戸惑いの混じった返答にバツの悪い思いをしている少女の肩で木鳥が小さく鳴いた。

「え?・・・ああ、この人が」

 少女は首を傾げ、そっとため息をつく。

「やれやれですね。どうにも尋ねづらい雰囲気です」

「?・・・なんだかしらねぇけど・・・おまえ、森永の家族かなんかか?」

「!?」

「ピ!?」

 言葉の不意打ちに少女は思わず飛びずさった。肩の木鳥が慌てて上空に退避する。

 ・・・飛べたのか。

「おいおいおい、なんだよそのリアクション。俺はこれでもあいつの・・・」

 友達、と素直に言うのがやや恥ずかしく口篭もった隼人に少女の目がギラリと光る。

「彼氏ですか」

「違う!と、友達だ!ただの!」

 泥沼に足を浸しかけている事に気がついた隼人が慌てて否定すると少女はゆっくりと頷いてみせる。

「彼氏ですか・・・」

「人の話は聞けよてめぇは!」

「姉の・・・彼氏。つまり、私の彼氏も同然になる」

「ならねぇよ!なんなんだよ!誰なんだよ!」

 怒鳴る隼人の肩にひょいっと木鳥は舞い降りた。そのまま、ぺちぺちと肩を翼で叩いてみせる。

 ・・・慰めている?

「なんか・・・屈辱だ・・・」

「堕ちるとこまで堕ちきった感がありますね。元気を出してください。後は昇るだけですよ」

 少女はトドメだか励ましだかの言葉と共に手を差し伸べた。木鳥はパタパタと羽ばたいてそこに飛び移り、元通り少女の肩にとまる。

「それで、姉の彼氏のひと」

「彼氏違う」

「では、私の彼氏のひと」

「殴るぞ」

 唸る隼人に少女は薄く笑い、すぐにその表情をひっこめる。

「私が姉の妹だと何故気がついたのですか?顔が似ているのですか?」

「妹なのか・・・いや、別段顔とかは似てねぇな」

 隼人はガシガシと頭を掻いて言葉を捜した。不用意に口走ってしまったが、似てると思った根拠は匂い・・・しかも、現実のものではなく最近目覚めてきた犬神としてのオーラ感知能力によるものだ。おいそれと口には出せない。

「・・・まあ、雰囲気だな。雰囲気」

「・・・そうですか」

 少女は納得いかないながらもとりあえず頷いた。何か隠しているとは感じたが、隠し事はお互い様である。

「姉に会いに来たのですが・・・居ると聞いた図書館がどこにあるのかわからないのです」

「ああ、だだっぴろいもんな。ここ」

 隼人はうんうんと頷き少女に背を向けた。

「よし。ちょっと待ってな。案内する」

「あ・・・いえ、場所さえ教えていただければ・・・」

 少女の戸惑いにパタパタと手を振って隼人は校舎の角を曲がっていってしまう。

「・・・仕方ありませんね」

 呟いて後を追うと、隼人は制服と木にぶら下げてあったサンドバッグを肩に担いだところだった。

「悪ぃけど、うちの部室によってからな。どうせ通り道だからいいだろ?」

「ええ。お手数かけるのはこちらですから。構いません」

 頷く少女を従えて隼人は歩き出した。数十メートルを経てたどり着いたそこは古びた武道場。

「ここは・・・?」

「剣術部練習場。最近は風間道場とか呼ばれてたりもするぜ。うちの部長は凄ぇから」

 少し誇らしげに言いつつ練習場のドアを開け、隼人は中を覗き込んだ。

「美樹姉ぇさん!俺、用が出来たからもう上がるぜ!師匠にはそう言っといてくれ!」

「ん?OK!」

 奥の卓袱台でスルメイカなどはむはむと噛みながら飲茶していた天野美樹は湯飲みを置いて振り返った。

「っと、隼人ンがまた新しい女の子に弄ばれてる!やるぅ!」

「待て!またってのはなんだ!ついでに弄ばれるのは俺かよ!?」

「・・・正確な認識だと思いますが」

 隼人の突っ込みに冷静に突っ込み返すあたり、この少女もただものではない。

「美樹姉ぇさんも知ってんだろ?森永愛子!あいつの妹だ!」

「ああ、そりゃ手を出したらまずいよね。姉妹どんぶりだ」

 にまぁっと笑って『やだよこの子は』と手のひらを上下にパタパタ動かす美樹に隼人の血圧が更に上昇する。

「根本的にだ!俺と森永の間には何もねぇ!」

「ほう、姉はどうでもいい存在だと」

 勢いで叫んでいる隼人の背筋にゾクリと冷気が吹き込んだ。獣の本能が警鐘を鳴らす。ニゲロニゲロドアヲアケロ。

「い、いえ・・・大事な・・・友人・・・です」

 思わず敬語になった隼人に少女はチッと舌打ちをする。

「チキンですか・・・」

「くっ・・・」

「をうをう、さっそくもてあそばれてるねぇ。うん、もてもてだ!」

 異常に嬉しそうな美樹に少女は肩をすくめ、ニヒルに笑う。

「この方、いじりやすいので」

「気に入っちゃったんだ。でも駄目だよ?横恋慕はホースキックでゲラウヒァだよ(※注 GetOutHere)」

 ニュフフフと不気味な笑いを浮かべる美樹に少女はややムッとして反論しようとしたが。

「・・・ええ、気をつけます」

 その目があまりにも優しく見つめてくるのに気づき素直に頷いた。

「ん、いい子。じゃあ行ってらっしゃい!」

「おう、行ってきます」

 軽く手をあげて出て行く隼人と一礼して去っていく少女がドアを閉めると同時に美樹はゴロンと横向きに転がった。床に頬をつけたまま、スルメをはみはみと齧る。

「頑張れ若人達〜・・・あたしもさ、もちょっとだけ、頑張ってみるからさ」

 誰も居ない練習場で、美樹は一人呟いた。

 

 

<霧の鏡/未だ名持たぬ言霊師>

 

「ナイーンっ!森永はどうした?」

「乾さん、声が大きい・・・」

 図書館の中をずかずかと歩き大声を張り上げた隼人の袖を少女は戸惑いがちに引っ張った。肩の木鳥もピ、と咎めるように鳴く。

「気にするなって。こんな広いんだぜ?少しくらいうるさくしたところで殺されるわけ・・・じゃ・・・」

 声が途切れた。ついでに全身も凍りつく。

 それを為したのは・・・至極あっさりと彼へ向けられた銃口だった。

いきなり沸いて出たとしか思えない唐突さで現れた、隼人を取り囲む7人の少女達。それぞれの手に握られたリボルバー拳銃が一分の乱れも無く彼の頭に向けられている。

「乾さん、殺されない程度に頑張りましょう」

 銃口に囲まれている隼人を眺め、ちゃっかりとその輪から脱出している少女が熱意の無い声で言ってくる。

「何を頑張る!?っつぅか、おまえら何者だ!」

「「「「「「「図書委員です」」」」」」」

 7人同時に答えられて隼人はうっと言葉に詰まった。

「私達は図書委員会武装自衛隊所属スノーホワイト分隊です」

「仕事はあなたのように人間離れしていてかつ常識も無いひとへのおしおきですぅ」

「わかってると思いますが、図書館ではお静かに」

「っていうか本読まなそうだから帰れ」

「っていうか吊り目が怖いから帰れ」

「わぁ。若菜ちゃんと由香菜ちゃん、息ぴったり!さすが双子!」

 周囲の6人が次々に言い放ち、最後に残ったリーダーらしき図書委員はため息と共に肩をすくめる。

「言っておきますが、剣術部の部員は我が委員会のブラックリストに載っています。全員人間離れしてるのはわかってますから、騒いだ場合躊躇無く発砲します」

「・・・葵姉ぇさんは死ぬぞ。確実に・・・」

 冷や汗を流す隼人の脳裏に『あたしだって死ぬわよ!』という天野美樹の声が横切ったりもしたが。

「あー、ええと・・・すまん」

 取り敢えず、素直に頭を下げる。

「チキン・・・」

 少女のボソリと言ってきた言葉にこめかみを引きつらせながら隼人は図書委員達に両手を上げてみせた。

「ずっと静かにしてんのは無理だから用事済ませてさっさと消える」

「・・・了解しました。その提案なら信用できます」

 言いながらリーダーの図書委員は片手を軽くあげて前後に振った。それを合図に他の委員達は音もたてずに貸し出しカウンターやら書庫やらに戻っていく。

「では、お静かに願います」

 合図をした図書委員は構えたままだった拳銃を後腰につけたホルスターにしまって一礼した。そのまま小さな笑顔と共に去って行く。

 ・・・意外にも、その笑みはなかなかに可愛らしかった。

「あ、ああ。気をつける・・・」

「・・・軽薄」

「ピ」

 思わず口元を緩めた隼人に少女と木鳥の冷たい声が突き刺さる。

「うる・・・ごほん」

 思わず叫びそうになった隼人は途中で気付いて口を閉じた。去ろうとした体勢のままこっちを見ている先ほどの図書委員を意識してことさらに穏やかな声で言い直す。

「うるさいぞ。騒がせるな」

「・・・・・・」

図書委員は微笑みながら去って行った。

そこへ。

「・・・藤田さんに報告しときましょうか?隼人」

「な・・・!」

 かけられた声に反射的に叫びかけて隼人は無理やり口を閉じた。ちらりと見やると先ほどの図書委員は本棚の影からこっそりとこっちを見ている。

「・・・なんなんだよ、ナイン」

「お兄ちゃんはね、気の多い乾くんにちょっとしたペナルティをって言ってるんだよ」

 答えたのは、聞きなれた同居人のものではなく幼さを感じさせる少女のものだった。大き目のトートバッグを片手にニコニコと笑っている。

「ミスティ、俺の楽しみをとらないでほしいんだけどね」

 その傍らでナインハルト・シュピーゲルは苦笑しつつ隼人へ目を向けた。

「で?何の用かな隼人。それと、そっちのお嬢さんは?」

「ああ、聞いて驚け。なんと森永の妹だ」

 その言葉にミスティはニッコリと微笑みながら軽く両手を打ち合わせて見せた。

「わあ、びっくり」

「わざとらしい!っつうかおまえがびっくりするのかよ!」

 反射的に小声で突っ込みを入れた隼人はそのままの姿勢で硬直した。

 1秒、2秒、3秒。

「・・・って、おまえ、誰?」

「あら?うちの店で1日だけバイトしたでしょ?」

 ミスティは一瞬だけ表情を色っぽいものに変えてからまたクスリと子供らしい笑顔を浮かべる。

「え?お?あ?」

「・・・あなた、魔術師ですね」

 理解できず意味を成さない音節を口にするばかりの隼人に代わって口を開いたのはこれまでずっと傍観を決め込んでいた少女だった。

「・・・あなた?あなたも、の間違いじゃない?愛子ちゃんの妹ってのもほんとかしらね?」

 ミスティは冷たい声で言い返し、手にしたバッグを地面に置く。

「・・・姉の周りに魔術師が居るというのは、黙視しかねます」

 少女もまた鋭い目つきでミスティを睨む。肩の木鳥が音もなく肩から飛び立った。

「凶暴なこと。この国の魔術師はみんなそうなのかしら?性格も国柄と同じで閉鎖的」

「排他的ということなら英国の魔術師であるあなたも同様だと思いますが。性格も国柄と同じで湿っぽいようですね」

 数秒の沈黙を経て二人は同時に口を開いた。

「・・・『束縛は安寧、汝が名は縛鎖』!」

「・・・ウィップオブホールド!」

 声と共にそれぞれのカバンの口がガチャリと開き。

「やめんか」

「やめなさい」

 つぺし、と二人の脳天にチョップが打ち込まれるのもまた同時だった。

「い、乾さん!何をするんですか!」

「お兄ちゃん!?邪魔しないで!」

 口々に言ってくる少女魔術師達に隼人とナインは顔を見合わせてからジト目になる。

「「図書館では、お静かに」」

「・・・はい」

「・・・お兄ちゃんは、女の子に甘いと思う」

 不満げに呟いてにらみ合いに戻る少女二人にため息をついてナインは隼人のほうに向き直った。

「で?・・・彼女が森永さんの妹だというのは本当ですか?」

「ああ。本人が言ってるってのもあるけどよ、愛子のヤツと同じ匂いがする」

 隼人は言って辺りを見渡す。

「森永は・・・居ねえみたいだな。もう帰ったのか?」

 さっきの図書委員はまだこっちを見ていた。ふと視線があうと図書委員は本棚の影に隠れてしまう。

「?」

「どうしました?隼人」

「あ、いや。森永は?」

 首を捻る隼人にナインは肩をすくめる。

「ええ、帰りました。宿題はもう片付きましたからね。俺は読みたい本があったのでそのまま残ったのです」

「そうか。じゃああれだな。寮のほうに行こうぜ・・・おい、いつまで睨みあってんだ?」

「・・・そうですね。この不愉快な魔術師と一緒に居るのも、苦痛ですし行きましょう」

 冷たい笑みで言い放つ少女にミスティは口の端をきゅっと吊り上げて意地の悪い笑みでこたえる。

「さて、お兄ちゃん。そろそろ帰ろっか。ちなみに私、大公寮に部屋持ってるんだけど知ってた?」

 沈黙、そして再びにらみ合い。

「・・・何のつもりです?モグラさん?」

「・・・別に?他意はないから。木霊さん?」

 魔術師同士でしかわからない悪口を投げ合う二人にナインは額を押さえてため息をつき、隼人は呆れたように空を仰いだ。

「・・・『穿つもの』・・・」

「・・・リッパーオブ・・・」

 再度視線を鋭くする少女達の頭を隼人はぞんざいにペチペチと平手で叩く。

「よせっつーの。図書委員が怒るぞ」

 振り向くと、本棚の影からのぞいている顔がちっちゃな笑みと共にひっこむところだった。なんとなく気分がいい。

「・・・これは、本格的に藤田さんへの報告を考慮しますか」

「・・・血の惨劇が目に浮かぶね。お兄ちゃん」

「・・・姉の周りにこんな色事師が居るとは・・・制裁が必要かしら」

「・・・ピ」

 その場の全員から冷たい目で見られて隼人は一人拳を握り締めた。

 

 まあ、概ね自業自得だが。

 

 

<桜雪の少女/数詠みの女>

 

同時刻。

「カキ氷のシロップ抜きをひとつ〜」

「お、冬花ちゃんまいどあり。いつものスペシャルやね?」

「はい。お願いしますね」

 行きつけのアイス屋を訪れた冬花はのんびりした声と共に大きく頷いた。店番をしていた店長はグッと親指を立てて厨房の方へひっこみ、1分ほどして山盛りのカキ氷のカップを持って帰ってくる。

「ほい、300円やで」

「ありがとうです〜」

 冬花は満面の笑みで代金を支払い、そのままの表情で店内を見渡す。窓に面したカウンター席は全部で6席。今は二人組の女子高生と白いYシャツにジーンズの女性が一人。

 特に考えることもなくシャツ姿の女性の近くに腰かけ、ぶら下げていたバッグから水筒を取り出してカキ氷にかけた。

「・・・・・・」

 そして、神妙な顔でカップにスプーンを刺し、それを口に運ぶ。

「・・・!」

 一瞬の沈黙を挟み、その表情がぱぁっと緩んだ。

「試作2145号・・・上出来です!やっぱり原点回帰ですね!ストロベリーは、ひょっとしたら世界を救うかも!?」

 嬉しげに小声で叫び、シャクシャクとカキ氷を食べ始める。冬花はこのアイス屋における常連の一人だった。

彼女自身、霊力込みで考えれば世に比類なきカキ氷職人であると自負しているが、それだけに氷を持ち歩く難しさもわかっている。魔法瓶に入れてさえ、劣化は避けられない。

 もう少し霊力があれば作りたてのまま保存できるのにとも思ったりするが無いものねだりをしてもしょうがない。

幸い、日にもよるがこの店のカキ氷は自分で作ったものと大差ないほどに高レベルである。

「ん〜!おいしい〜」

 心の底から緩みきっていると、隣の女性がクスクス笑っているのに気がついた。

「?」

「ああ、失礼。あまりに意外な結果が的中したものでね」

 手元の小さな機械をいじりながら女性は笑う。ディスプレイ部分が大きく、見慣れない記号の書かれたボタンが大量についてはいるが一応電卓らしい。

「結果が的中ですか?」

 不思議そうな冬花の声に女性は頷いた。

「ああ。まさかアイス屋で『カキ氷を愛する少女、一族の技にて、喜色を浮かべる』なぞという結果がでるとはね。どこかで計算を間違えていたのだと思ったけど・・・ふふ、私の腕は落ちていないらしい」

「???」

 理解できず首をかしげると、女性は悪戯っぽく微笑んで窓の外を眺めた。

「事象は全て定められている。ランダムに見える選択ですら過去に起きたあらゆる事象が結合して発生した、『それしかない答え』なんだよ」

 言いながら、電卓らしきそれに驚異的なスピードで数字を打ち込んでいく。

「自由意志が無いという意味ではないよ。意思というものをシミュレートするのが可能というだけでね。かのラプラスの魔ではない生身たる私程度ではたいして精度はあがらないが・・・それでも30分程度の過去未来は詳細に計算できる・・・」

 カン・・・と小気味いい音と共に『=』キーを叩いた女性は窓の外を指差した。

8秒後、そこで髪の長い女子高生が転ぶ」

「え?」

 聞き返す冬花に女性は五指を立ててみせる。同時に、通りの向こうから六合学園の制服を着た少女が姿を見せた。片手に携帯電話を持ち、メールでも打っているのかそこから目を離さない。

「・・・髪が、長いですね」

「4・3・2・1・・・」

 女性は微笑みながらカウントダウンし、グッと拳を握る。

「null」

 途端。

「きゃぁっ!?」

 窓の外で悲鳴が上がる。小石か何かにけつまずいたらしく、少女はその場に膝を着いて転んでいた。手から飛んだ携帯をバツが悪そうに拾い上げてそそくさと去ってく。

「・・・当たりました・・・ね?」

 目をパチパチとしばたかせる冬花に女性は笑い、傍らに置いてあったカップから残った一カケラのアイスをすくい、口に入れる。

「ようするに、私は占い師なのだよ。霊感とか魔力とか、そういうものは一欠片も無いが、計算だけは得意でね」

「凄いです〜私、『本物』の占い師さん、初めて会いました」

 しきりに感心する冬花に占い師は肩をすくめる。

「はは、とはいえ私はグローバルなことのほうが得意なんだ。現に人探しをしに来たというのに夕方になってもまだ見つからない」

「人探し、ですか?」

 冬花はくいっと首をかしげて、そのまま笑顔で大きく頷いた。

「大丈夫ですよ。きっと。この街は親切な人がいっぱい、いっぱい、いっぱい居ますから。みんな助けてくれますよ〜。わたしも・・・大切な人に、会えたんです」

 最後に照れた表情を見せた冬花に占い師は優しい表情になった。母性を感じさせるその表情からして、それなりの年齢なのかもしれない。見た目には30代中盤以降には見えないが。

「ああ、そうです。よろしければお手伝いしましょうか?」

「ありがとう。だけど、一つの変数に二つの数字を入れてしまえば最初の数字は消えてしまう。君は買い物の途中だろう?見たところ袋の中には生ものもある。痛むぞ」

 静かに言って占い師は立ち上がった。

「だから、気持ちだけいいさ。ありがとう」

そのまま、電卓をポケットに突っ込んで去って行く。

「不思議な人でしたねぇ・・・」

 呟いてシャクッとカキ氷を食べる・

「効く〜!五臓六腑に染み渡りますねぇ〜!」

 ・・・君も、だいぶ不思議だ。

 

 

<瞳の少女/仮面の少女>

 

「ほれ、ここが六合学園学生寮。通称『大公寮』だ。由来はしらねぇ」

 何故かついてきたミスティを交えた隼人達は少女を連れて寮へと帰って来た。

「外来の方は受付で記名しなくてはいけないのですが、よろしいですか?」

「ええ。わかりました」

 ナインの案内で受付に向かった少女はカウンターの向こうに座っているのが自分より更に年下の少女であることに戸惑いの表情を浮かべる。

「弥生、森永に客だ・・・っと、泊まってくのか?」

「ええ、姉に許していただければ」

「あいつにNOはないだろ。じゃあ宿泊ありで来客だ」

 管理人の娘である弥生はうんと頷いてごそごそとカウンターの下をあさり、プラスチックの板にクリップで止めてられた来客名簿を取り出した。

「あの・・・ここに・・・名前と、連絡先を・・・」

「ええ。書けばいいのですね」

 少女がペンと名簿を受けとった時、不意に背後から声がした。

「あら?隼人にシュピーゲル・・・と、愛子さんの妹さん?」

「雪乃?」

 誰よりも聞きなれた声に振り返ると、バイトから帰って来た雪乃がきょとんとした顔で立っていた。

「な、なんであなた達が一緒に?」

「俺としては何でおまえがこいつを知ってるのかが疑問だ」

 顔を見合わせて首をかしげる二人にミスティはヤレヤレと肩をすくめる。

「決まってるじゃない。私たちが会う前に、会っていたんでしょ?あの小娘は因果を辿って探してたみたいだから彼女と会ってたって不思議じゃないわ」

「・・・と言っている、あなたもどなたですの?なにやら・・・常人ではなさそうですが」

 目を細めて警戒する雪乃にミスティはナインの腕へ抱きついて笑顔を浮かべた。

「お兄ちゃんの愛しき妹です〜」

「・・・いえ、赤の他人です。それはもう、完全に」

「ほら、もう照れ屋さんなお兄ちゃんで」

「・・・本気で嫌がっているようにも見えますわよ?」

 などとどうでもいいようで割と重要な話をしている間に受付は終わっていたらしい。

「はい・・・えと、左側のエレベーターは男子寮ですので、女の子は入っちゃ駄目なの。気をつけてね」

「ええ。別段、飢えた獣の檻にサービス巡業するつもりはありませんから」

 少女はおもしろくもなさそうにそう言って隼人達を見上げる。

「おまたせしました。姉の部屋に連れて行ってくれますか」

「ピ」

 肩に乗った木鳥が羽根を広げて鳴くのを眺めて、隼人達は一斉にジト目になった。

「・・・雪乃。あれについてなんか聞いたか?」

「・・・特には」

「・・・俺たちも聞いていませんね」

「ピ、ピ・・・?」

視線が集中し、木鳥は少女の肩の上であとずさる。

「この子は私の・・・」

 少女はそこで言葉を切って自分の肩で緊張している木鳥を見下ろした。

「お友達、ですの?」

「ペットだろ」

「使い魔というのが妥当なのでは?」

 口々に言ってくるアザーズ達を見渡してニヒルに笑う。

「・・・奴隷です」

「ピー!?」

 驚愕と思われる絶叫と共に肩からずり落ちかける木鳥を無造作に鷲掴みにして少女はニッコリと微笑んだ。

「嘘に決まっているでしょう。小心者ですね」

「ピ、ぴ・・・?」

「おまえ、下僕ですもの」

「ピーィィィィィッ!」

 悲しげな叫びに『嘘嘘嘘。ふふふふふ・・・』等と言っている少女に一同が頭を抱えた瞬間だった。

「・・・あれ?」

 不意に、声がした。

 少女を囲む隼人達の外側に、一人の少女が立っている。

「みなさんおそろいさんで、どうしたんですか?」

 のほほんと言ってくる少女。ちょっと大きめのジャージにゆったりとしたトレーナー。何故かネコミミフードつき。

 森永愛子が、そこに居た。

「あ、愛子さん。実は・・・」

 真っ先に気付いた雪乃の声が、途切れた。

いや、むしろ断ち切られた。

「おねえちゃまぁ〜〜〜〜〜〜〜!」

 ロビー中に響き渡る、ハートマーク付きの絶叫で。

「な、なにぃぃぃぃぃ!?」

 その変貌振りに隼人達はよろめき倒れ・・・

「は、はぇぇぇぇ!?」

 とうの愛子は真正面の鋭い角度から繰り出されたタックルに堪えきれず背後へと吹き飛んでいた。

「おねえちゃま!」

「はぇ!?な、なななななんです〜?」

 しりもちをついた姿勢で愛子は自分の胸・・・かなり大きい・・・に顔をうずめている少女に困惑する。

「あの、どなたさんです〜?」

「は?愛子さん?」

 雪乃はキョトンとした表情で愛子の顔を覗き込んだ。

「あの、わからないんですの?その子のこと」

「はぇ?ええと?」

 こちらもキョトンとした表情の愛子の胸を十分に堪能したのか、少女は満面の笑みで顔を上げる。その顔を眺め、首を捻り。

「あ」

「思い出しましたの?」

 雪乃の問いにニッコリと頷く。

「新聞の集金屋さんですね?今月はまだ払ってないです」

「それは無いっ!むしろ新聞なんて取ってないだろ!?」

 隼人のズビシィッと決まった突っ込みに愛子は本気で驚いた顔をしてまた考え込む。 

「ああ、もう!妹だ妹!」

「隼人さん、妹さんが居たですか?わたしにもいるですよ?」

「っ!居るけど違うっ!その、おまえの、妹が、そいつだぁああああっ!」

 ズギャァァァンとかドギュゥゥゥゥンとか音がしそうな動きで少女を指差す隼人に愛子は不思議そうな顔をし、それから少女にもう一度目を移す。

「妹さん?」

「おねえちゃま☆」

 しばし見詰め合ってから愛子は『あっ』、と声を漏らした。

「みるくさんですか?」

「みるくだよぉ!おねえちゃま!」

「!?・・・『みるく』!?」

 名前らしき単語に驚愕の声が漏れる。フルネームにしたら森永ミルク。

「お久しぶりです〜。大きくなったですね〜」

 言いながら愛子は大振りなスイカの直径ほどの幅を手で示した。

「最後にお会いした時はこれくらいでしたのに」

「ちっちゃ!」

 のけぞる一同をほっといて愛子とみるくはニコニコと笑う。

「そりゃそうだよおねえちゃま。12年ぶりだし」

1歳さんでした〜」

「幼ッ!」

 もはやいちいち描写するのも面倒な驚きを見せる一同をよそに姉妹は手を取り合って立ち上がる。

「えっと、みなさん。妹さんのみるくさんです」

「「「「知ってる」」」」

 全員でつっこみを入れて隼人達は何やら重いため息をついた。

「ま、あれだ・・・とにかくこれで案内終わりだな。あとは二人でゆっくりしろよ」

「隼人にしては珍しい気配りのある言葉ですね・・・では、俺も失礼させていただきます」

 ナインは静かに笑って隼人と共に男子寮のほうへ向かう。

「あ、お兄ちゃん。私も〜」

 駆け寄ってきたミスティに情け容赦なく兄チョップを振り下ろして二人は去って行った。

「えっと、じゃあみるくさん。わたしの部屋に行きましょうです。雪乃さんとミスティさんも一緒にいかがです?」

「わ、わたくし達もいいんですの?積もる話もありますでしょう?」

 おずおずと言われて愛子は首をかしげながらみるくに目を向ける。

「う〜ん、みるくさん、どうでしょう?」

「みるくはね、別にかまわないよおねえちゃま!」

 無邪気な笑顔で答えるみるくに雪乃はクスリと微笑んだ。

(さっきまでの横柄な態度は肉親に会えない不安の裏返しだったんですのね)

「じゃあ、ちょっと待っててくださいです。飲み物を買いに来たところだったですから」

「うん!まってる!」

 言い置いてペットボトルの自動販売機の方へ駆け去る愛子をブンブン手を振って見送ったみるくは一息ついて雪乃とミスティの方に振り返った。

 そして一言。

「・・・気の利かない人たちですね」

(こ、この子・・・!こっちが素ですわ!)

 心底あきれ果てたような冷たい眼で睨まれて雪乃はワナワナと手を震わせる。

「いやぁ、見事な猿芝居ね。無料じゃなければ見る気も起きないわ。どこぞの山奥で練習でもしてきたらどう?」

「ならば疾く消えなさい。姉の友人である藤田さんはともかく、あなたなどに姉妹の時間を邪魔されては不愉快です。さっさと穴倉に帰ってガラクタでも作ってなさい」

 情け容赦無く交わされる言葉の殴り合い、しかも互いにノーガード。

「・・・二人とも気を静めたらいかがですの?はしたない」

 やや引きぎみに雪乃が言うと二人の魔術師はギョロリと同時に睨んできた。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・わ、わたくしは間違ったこと言ってませんわよ・・・ね?」

 そこはかとなく弱気だ。

「・・・まあいいでしょう。確かにこんな目立つところでは問題があります」

「・・・そうね。時間はたぁっぷりあるしねぇ?」

 好戦的な視線と言葉にみるくはにっこりと殺気に満ちた笑顔をつくり・・・

「おまたせさんです〜」

「ううん!ぜんぜん!」

 愛子の声が耳に入った瞬間、0.2秒で無邪気な笑顔に表情を改めた。

「・・・文楽人形みたいですわね」

「・・・宇宙刑事の変身並みに早いわ」

「何のお話さんです?」

 きょとんと聞いてくる愛子の横で『余計なこと言ったら瞬殺』と眼光を放つみるくにミスティは一瞬だけ反発しかけたが。

「べっつにぃ?ささ、愛子ちゃんの部屋に行こっか。名物のお茶会、私も参加させてもらうからね〜」

 

 

<少年部屋/少女部屋>

 

「・・・どう思う?」

 みるくとミスティを交えて食堂でとった夕食の後。部屋に戻ってきた隼人はナインに声をかけながらテレビの前にどかっと座る。

「みるくさんのことですね?」

 ナインは冷蔵庫から発泡酒の缶を二本取り出して片方を隼人に放る。剣術部経由で買ってきたものだ。

・・・みーさんを通せば、大概のものは手に入る。

「ああ。森永のやつ・・・家から追い出されたって言ってたんだがな」

「あちこちの親戚をたらいまわしにされていたと聞いたことがあります」

 情報を交換し、向かい合って缶を軽くかかげる。

「っうことは、同じ意見って事か」

 同時にプルトップをあげ、一口飲んで二人は再度口を開いた。

「・・・あの『妹』はどうしてここへ来たのか、ですね」

「ああ。勘当されてる奴に実家の奴が会いに来るっつうのは・・・俺の例もあるからな」

 

 

「・・・それで、愛子さんの様子を見に?」

 雪乃の問いにみるくは大きく頷いた。

「そうだよ!お母さんはお仕事でいそがしいから、みるくがかわりにきたの!」

 元気良く答えた言葉に雪乃は軽く首をかしげる。

「・・・そういえば、愛子さんのお母様は何をなさっている方ですの?」

「え?」

 何気ない質問に、しかし愛子は硬直した。アイスティーの入った紙コップを手に、微動だにしない。

「・・・愛子さん?」

「・・・お母さんは、経営コンサルタントなの。結構大きな会社が顧客なんだよ?」

 答えたのはみるくだった。紙コップにオレンジジュースを継ぎ足しながら答える。

「とは言っても、実家にお金入れなくちゃいけないから自由に出来る金額は結構少ないの。仕送りが少なくてごめんっておかーさんが言ってたよ?」

「あ・・・あはは、大丈夫ですよー。アルバイトもしてますし」

 途端いつもどおりの笑みを浮かべた愛子に雪乃はやや不審なものを感じたが、まあいいかと冷茶のコップをあおる。食後のお茶会はいつだって飲み物の奪い合いだ。

 

 

「ナイン、もう一本いくか?」

「貰いましょう」

 割り勘で箱買いしているので備蓄は潤沢だ。特に隼人には金のかかる趣味が無いのでエンゲル係数は高い。

「にしても・・・おまえが何も手を打ってないってのも珍しいな。それともこっそりなんか仕組んでるのか?」

「失礼な。俺は全てのレディに優しいのです」

 大げさに手を広げて肩をすくめるナインに隼人はフンと鼻を鳴らして冷蔵庫から出した缶を投げる。

「その『全てのレディ』の中でも『綺麗な眼をしたレディ』は別格なんじゃねぇか?」

「・・・別に、俺にそういう感情はありませんから」

 表情一つ変えずに言い放ってナインは缶を受け取る。だが、返答が一瞬だけ遅れたことも、事実だ。

「言ってろよ。それはともかくだ、俺もあの子からは悪意は感じ取れなかった」

「そうですね。トリッキーな性格はしているようですが、森永さんに向ける思慕は本物です。ただ・・・気付きましたか?」

 5本目を互いに飲み干して二人は互いの腹を読みあうように視線を交わす。

「あのレディは・・・」

「ああ。なんかしらねぇがかなり切羽詰っている。何か・・・覚悟してやがる眼だぜ。ありゃあ」

 

 

「それでね、あさってくらいまで、泊めてほしいの」

 上目遣いにお願いされて愛子はくいっと首をかしげた。

「?・・・みるくさん、学校は大丈夫さんですか?」

「うん!みるく、せいせきゆーしゅーだから少しくらい休んでも大丈夫!」

「そ、それは大丈夫さんとはいわないです・・・」

 困った顔をした愛子にみるくは半瞬だけ目を閉じ、

「でもお母さんはいいって言ったよ?」

 にこっと笑ってそう言った。沈黙は、これも一瞬。

「・・・それなら、いいですよ〜」

「ぶい!」

(愛子さんの急所を一突きに!黒い!・・・この子・・・腹黒いですわ!)

 

 

「結局のところだ、もりながのやつが・・・ああ、ええと、なんだ?おい」

「喋ってたのは・・・君でしょう・・・っぐ」

 既にろれつの回ってない二人組はふらふらと揺れながらまだ飲んでいた。

「ああ、ぅえ・・・あいつ、母親を・・・しん、しん・・・」

「神聖化・・・ですか?そういう傾向は・・・ありますねぇ・・・」

「おうよ!俺は一応犬神様だけどなぁ〜・・・変身できねぇけど・・・」

「それ言ったら・・・俺は・・・幽霊系ですけどねえ・・・関係ありませんが・・・」

 超回復力でアルコールを分解できる犬神と実体を持たないドッペルゲンガーの二人だが、封印章さえあれば酔うことが出来る。本性に戻れば悪酔いもしないこともあり、すっかり酒好きになっている二人だった。

「どぅえあ!だからだ!母親のことになるとあいつは周りがみえねぇ!俺らが!たまにゃあめんどうみてやらにゃあかんだろう!ええ!?」

「わかってます・・・よ・・・俺だって・・・彼女は・・・大事ですからね・・・」

「ぅお!?ついに白状しやがったな!?こいつめー、こいつめー、ろいるれー・・・」

「っ・・・それいうなら・・・隼人だって・・・藤田さんとはどこまでいったんですかこのエロ犬め・・・」

 ブンブンと拳を振り回して詰め寄ってくる隼人にナインもいい加減に腕を振るって応戦する。その気になれば完全武装の1個中隊を殲滅できるタッグとは思えない低レベルなバトルである。

「こいつめー・・・」

「下品なー・・・」

 ボカボカと可愛げも威厳もない殴り合いは延々と続き。

「隼人ちゃん!ナインさん!飲みすぎですぅ!」

 少女というにも尚幼い声が割って入ってようやく止まった。少女は片手にマスターキー、もう片方の手に洗面器を握っている。

「あう・・・弥生ぃ・・・」

「もう〜隼人ちゃん、最近飲みすぎだよ?ナインさんまで!」

 腰に手を当てて怒るその様は、本人はいかめしくしているつもりなのかもしれないがどうにも可愛らしい。

「・・・すいません・・・ぅ」

「・・・弥生。すまん・・・暴れたんで酔いが・・・ぅぉ」

「きゃあっ!ほら、洗面器!」

 

 大惨事・・・それは、わりと日常。

 

 

 そして、夜半過ぎ。

「・・・・・・」

 みるくは静かに眼を開けた。

「・・・・・・」

 目の前には、静かな寝息をたてる愛子の顔。

「・・・お願い。外れていて」

 みるくは呟く。

「・・・お願い」

 自分が訪れた意味が、ありませんように。

 

 

<外なる者たち/探索者>

 

「あっ!みるくちゃんだー!おはよう〜〜〜!」

「え?あ、お・・・おはようございます」

 朝食を取る為に食堂へやってきた愛子とみるくは足を踏み入れた途端に湧き上がった歓声にギョッとしてあとずさった。

「な、なにごとさんでしょう?」

「さ、さあ?」

 顔を見合わせる二人を数十人の女子生徒達が取り囲む。

「きゃあっ!可愛いっ!」

「こ、この子が愛子っちの妹さん・・・ハァハァ」

「うわ!変態かおぬし・・・しかし、愛いのう」

「みるくたん、マンセー!」

 人の口に戸は立てられられない。しかもその口が娯楽に飢えている女子高生の群れともなればその伝達速度は音速を超える。実に光速の60%にも昇るのだ。

「触ってもいい?」

「つまんでもいい?」

「なめ、舐めさせて・・・」

「いっそ○○○しちゃっても・・・」

「はい、そこまででっす!」

 素に戻って硬直したみるくとアワアワとよろめく愛子を救ったのは小柄な少女の一喝だった。

「はぇぇ・・・おはようございます神戸さん〜」

「はい、おはようっす森永さん。妹さんもおはようっす」

 Tシャツにキュロットという軽装に何故かメガホンを携えた神戸由綺はチャキッと音を立てて左腕に風紀委員の腕章をはめた。朝から気合の入った顔で群がる少女達に割ってはいる。

「ほらみなさん!お客さんに襲い掛かっちゃ駄目っす!特に最後の人!後で風紀的指導っす!」

 警句に少女達はキャーなどと叫んであっさりと去って行った。乙女の朝は何気に忙しい。いくら面白そうでもそんなに長居出来ない。

「さて・・・改めておはようっす。森永みるくさん。風紀委員の神戸っす。ゆっくりしていってほしいっす」

 ニッコリ笑顔で差し出された手をみるくは一テンポ躊躇してから握った。軽く握手してすぐに離す。

「まあ、森永さんの妹さんなら心配ないとは思うっすけど・・・騒ぎは起こさないようにお願いするっす。では、また・・・」

「はい、また後でです〜」

 ぶんぶんと手を振る愛子をちらりと見上げてみるくは目を細めた。

(今の人も外種。昨日会った友人達も外種。何故こんなにも?・・・拙い。この環境は、『良く無い』・・・)

「みるくさん?どうかしましたか?」

「ううん、なんでもないよおねぇちゃま。ほら、あさごはんたべよ?」

 ニコニコと手を引くみるくに愛子はふにゃりと頬を緩めて頷いた。もとから緩んでいることの多い表情がきょうはもう緩みっぱなしてある。溶け出したりしないか、みるくはなんとなく心配になった。

「まずは食券さんを買いますですよ〜」

 寮生の食事は朝・夕に関しては食堂でまかなわれている。朝はバイキング形式、夜は定食形式で供給されるその食事は六合学園料理部出身の鉄人料理人達の手で質、量ともに満足のいくサービスが提供されている。

 ちなみに、今のみるくのような外来客でもちゃんと食券を買えばOKだ。

「ここの、朝定食って書いてあるボタンですよ〜」

「はい!おねぇちゃま」

 100円玉3枚と引き換えに吐き出された緑色のカードを手に料理の並んだカウンターへ向かう。寮生は学生証、外来者はこの食券カードを持っていなければ警報がなるシステムだ。

「おねぇちゃまは何を食べるの?」

「わたしは、いつもパン食なんですよ〜。サラダとオムレツも欠かせないです〜」

 みるくはあることに気づき、ちょっと考えてから口を開く。

「ひょっとして、玉子焼きが甘かったりすると・・・」

「みるくさん!そんな卵さんに対する冒涜を口に出しちゃ駄目さんです!それは害悪です!罪悪です!非道!外道!邪悪さんですっ!」

 途端、普段見せないような早口で叱責してくる愛子にみるくは引きつった笑みであとずさった。

「ご、ごめんなさい・・・」

「あ・・・えと、こちらこそ、ごめんなさいです・・・」

 我に返りあたふたと頭を下げる姿にみるくはフルフルと首を振る。

「ちょっと試してみたの。お母さんと同じ反応だね。お母さんも玉子焼きに砂糖入れると激怒するの」

「え?・・・えーと・・・あの・・・」

 みるくは恐縮している愛子にニッコリと笑って頷く。

「えへへ、じゃああらためて食べにいこ?ほら、あそこに甘そうな玉子焼きが」

「みるくさん!そんな卑猥な言葉を口にしちゃ・・・!」

 以下、略。

 

 

「愛子さん、準備できましたか?」

 軽いノックとともに雪乃は隣室に声をかけた。

「あ、はいです〜」

 時刻は8時00分。予鈴がなる8時20分まではまだまだ余裕がある。

「おまたせしましたです」

「おまたせ〜!」

 ガチャリと開いたドアから出てきたのは制服に着替えた愛子と、昨日とは違うワンピースを着たみるくだ。

「みるくさんは今日どうなさるんですの?」

「うん!わたしはね、今日はね、おねぇちゃまの学校を見学に行くの!」

「神戸さんが見学の手続きを取ってくれたですよー。授業の邪魔をしなければ好きにしてていいそうです〜」

 嬉しげな愛子の手を握り、みるくはにこーと笑う。

「探検なの!」

「ぴ」

 肩の木鳥と顔を見合わせて『ねー』などと言っているみるくは年相応の無邪気さで、雪乃は戸惑いを隠せない。

「どうしましたです?雪乃さん」

「え・・・あ・・・な、なんでもありませんわ。さあ、そろそろ行きません?」

 

 

「じゃあ、また後でね〜」

 みるくは校門で愛子にぶんぶんと手を振って別れた。自分の教室がある校舎へ去って行く後姿が見えなくなったところでスッと目つきを鋭くする。

「・・・それで、あなたは何をするためにそこに居るのですか?」

「べつにぃ?どこかの陰険な魔術師が悪さしないか見張りになんか来てないよ〜?生まれてから、たかだか十年くらいしか生きてないようなお子ちゃまを警戒してもしょーがないし〜」

 睨み付ける視線に唇の端だけを吊り上げる笑いで答えてミスティ・ミラーは手にした扇子をパチパチと広げる。

 ニヤニヤ笑いにみるくは一瞬だけワンピースのポケットへ目を向けたが、軽く首を左右に振った。

「まあいいでしょう。朝から事を荒げるのも無粋です。10秒以内に私の視界から消え去れば許してあげます。そのまま姉の周囲をうろつかなければ今後も生存を許可します」

「なるほどなるほど。で?遺言はそれでいいの?」

 あくまで挑戦的な台詞にミスティは静かに微笑んだ。同じく微笑むみるくと視線を合わせず、ゆっくりと近づく。

「うふふ・・・」

「あはは・・・」

 予鈴のチャイムが鳴り響く、人気のない校舎の片隅で笑いあう少女が二人。

 冷えわたる静寂。

どこからか飛んできた紙くずが風に煽られカサカサと音を立てて通り過ぎる。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 笑い声も消え、二人は眼を合わせないままに数歩を隔てて向かい合った。

 一触即発。今にも破裂しそうに張り詰めた空気が・・・綻ぶ。

瞬間。

「はい、そこまで、する」

 起伏の無い声と共に二人の中心に少女が一人、降ってきた。

「!?」

「!?」

 互いに先制攻撃の隙を覗っていた魔術師二人は慌ててその場から飛びのき眼をむく。

「な・・・ドリィが反応しなかった!?」

「この私に気配一つ感じさせない!?」

 驚愕の視線を受け止め、少女は風紀委員の腕章を指差して首をかしげた。

「風紀委員だから?」

「聞かれても・・・」

 戸惑うみるくと違い、仮にも学園関係者であるミスティはその少女の正体にすぐ気がついた。

「風紀委員長の・・・ミカナギ・・・さんだったかしらね」

「うん。みーは、みー。生徒以外、敷地内での魔術戦、禁止」

 ピンと人差し指を立てて言ってくるみーさんの表情は例によって無表情だが、それだけにどの程度本気なのか読めない。

 それはつまり、一瞬後にはその超絶的な運動性が牙を剥くかもしれないということだ。

「・・・オーケイ。私も学園当局に逆らう気はないから」

 両手を挙げてミスティは数歩下がった。そのまま肩をすくめる。

「まあ、お子ちゃま魔術師ちゃんも粋がらないことね。意地を通すのは大事な時だけ。いつもフルスロットルじゃ大事な時にしくじるわよ?」

「・・・私は冷静です。言われるまでもありません」

 忠告の言葉にムッとして口を尖らせるのを見てミスティは『だからお子様なのよ』と笑って手にしたままの扇子を一振りした。途端、その小柄な身体は消えうせて扇子だけがコンクリートの地面に落ちる。その扇子も一瞬後には灰化し、元から何もなかったかのごとく風にまぎれて消滅した。

「な・・・」

「幻覚。学園嘱託魔術師、ミスティ・ミラー。得意はアーティファクト製造。特に幻影関係はウィザード級」

 みーさんは淡々とそう言いながらみるくの前に立った。くいっと首をかしげ・・・

「めっ」

「・・・めっ、て・・・それだけですか?」

 その超然とした空気に緊張していたみるくは戸惑いの声と共に臨戦態勢を解いた。

「うん。あまり常識はずれのこと、しない、よい」

 それだけ言い残してみーさんはひょいっとジャンプした。ワイヤーに吊られているように軽々と二階の窓へ飛び込み、それきり見えなくなる。

「・・・・・・」

 みるくは呆然とその場に立ち尽くし、引きつった笑みを浮かべた。

「あなたに・・・言われたくないですね・・・本気で・・・」

 

 

<休み時間/昼休み>

 

「ねーねー愛子ちゃん」

「はい?」

 休み時間、窓の外を眺めてぼぅっとしていた愛子は肩を叩かれて振り返った。

「身体の調子がなんか悪いのよ。ちょっと見てくれないかな〜?」

 立っていたのは肩までの茶髪をゆらした快活な少女だった。畑中一美、実は既に死亡済みの正真正銘幽霊である。

「?・・・トゥエニィさんはどうなさったですか?」

「今日はお休み。パーツが磨り減ったとかで修理に行っちゃった」

 実体を持たない畑中は自動人形の身体に取り憑いて生活している。かなり古いタイプらしくあちこちが故障しがちなので同じシリーズの自動人形であるトゥエンティフォウ・メイデンにちょくちょくチェックしてもらっているのだ。

「わかりましたです。ちょっと待ってくださいね〜」

 愛子は畑中から一歩離れ、眼をいつもより大きめに開く。途端、その黒瞳が薄い金色の光を宿し始めた。

「ええと、手足に異常はないですね〜。おなかは・・・あ、なんだかすこしカタカタした感じです。ええと、左のわき腹辺りですよ」

「左・・・」

 言われた畑中は唸りながら首を捻る。沈思黙考十数秒。

 そして。

「あ!昨日メンテナンスしたとこだ!っていうか思い出した!ドライバー、身体ん中入れっぱなしだー!」

「はぇぇぇぇ!?」

 ジタバタ騒ぎ出す畑中につられて愛子もまたドタバタとその場で回転する。

「だ、出さなくちゃ!ってこのままじゃ蓋開けたら色々出てくる〜!」

「い、色々ですかっ!」

「青春のメモリーとか若き日のアヤマチとか乙女の恥ずかしいアレとかいっぱい!」

「アレですかっ!それは一大事なのですっ!」

「・・・保健室でも行けばー?」

 無意味に元気な二人を見て声をかけたのは、白い髪に褐色の肌、金の瞳という神秘的な容貌の少女だった。

「はぇっ!?そ、そうです!畑中さん!」

「うん!保健室へGO!工具持って!ってドライバーはおなかの中だ〜!」

「はいは〜い。どぞ」

 頭を抱えて絶叫する畑中に少女はポケットから取り出したドライバーを差し出す。

「ををうっ!?サンキュー!ジニーちゃん!」

「ありがとうさんですっ!」

 ペコペコと頭を下げながら走り去って行く二人に手を振って答え、ジニー・・・ジャルニーン・フィルフェーニャはアハハと軽快な笑みを浮かべた。

「フィルフェーニャさん、いつもドライバーとか持ち歩いてるの?」

 それを眺めていたクラスメートの問いにジニーはブンブンと手を振って否定する。

「そんなわけないよ。ジニー、物出すのとくいだから。ワン・ツー・スリー!」

 言いざまパチリと指を鳴らすと、宙からポンっと音を立てて造花が落ちてきた。

「ああ、フィルフェーニャさんって魔神なんだっけ。ランプの」

「ぶぶ〜!指輪の魔神だよん。アラジンの話って、原作にはジニーと同じ指輪の魔神も出てくるのに、ランプの魔神ばっかりクローズアップされてて不満だよ〜」

 スルスルと造花から万国旗を引っ張り出しながらジニーはそう言い、ふと背後に視線を投げる。

「どうしたの?」

「ん?気のせいみたい。誰か教室を覗いてたような気がしたんだけど・・・ひょっとして、先生かなぁ・・・最近よく来るし」

 

 

 そのまま時が過ぎて昼休み。学生達の行動パターンは概ね3パターンに分けられる。

「飯だぁあああああっ!」

 先陣を切って購買部へと駆け出した川井&水城コンビをやれやれといった表情で南英香が追いかける。これがパン組。

「こん?」

「ああ。ちゃんと作ってきている。屋上だな」

 弁当箱を片手に、もう片方の手で伊成きつねの手を引いて関美龍が屋上へ向かう。言うまでもなく、弁当組だ。

「おーい鬼島〜!今日も彼女が迎えに来てるぞ〜!」

「・・・む」

「か、かかかかか彼女って・・・わ、わた、わたし・・・」

「何言ってんのよ、もなー」

「今更、今更」

「ボクたちも微妙に生あたたか〜い眼で見守ってるよ!ほら、早く行かないと席が無いよ」

 そして、大半を占める学食組。なんやかんやで毎日盛り上がる教室をニコニコと眺めて愛子はパンッと手を打ち合わせた。

「ではみなさん!わたしたちも食堂に行きましょうです!」

 元気良い言葉にナインたちは頷いて立ち上がり、それぞれの財布を手に廊下へ出る。

「雪乃、今日のA定ってなんだっけか」

「たしかお好み焼き定食ですわ。お好み焼きと刺身、それとご飯ですわね・・・無茶苦茶な取り合わせですけど」

「いえ、関西ではお好み焼きやたこ焼きでご飯を食べるのは普通です。おかずなんですよ。広島焼きになると主食扱いになりますけどね」

 いつもどおりの展開は、しかし廊下に出るまでだった。

「おねぇちゃま!ごはん、いっしょにたべてもいい?」

 教室から出た途端横合いから飛びついてきたのは当然にみるくだ。満面の笑みで愛子を見上げている。

「みるくさんです〜!・・・みなさん、かまいませんですか?」

「え、ええ・・・か、かまいませんですわよ・・・?」

「レディの同席は大歓迎です」

「・・・いいんじゃねぇか?別に」

 やや怯え気味の雪乃と、どうでもよさそうな隼人をよそに、一人にこやかだったナインは、しかし一転その表情を曇らせた。

「・・・それで、何故あなたまでここに居るんです?ミスティ」

「ええ?だってミスティ、おにーちゃんの妹だもーん」

 口を三日月のように吊り上げて笑顔らしきものを浮かべるミスティにナインは長い長いため息をつく。

「みなさん、よろしいですか・・・?ミスティも一緒で・・・」

 

 

 食堂に到着した愛子達は二手に分かれた。当たりの弱い愛子とみるく、ミスティーを席取りに回して隼人達が食事を買いに行くという作戦である。

「痛ぇぞこら!肘を引っ込めやがれ!」

「無礼千万ですわよ!」

「うわっ!乾&藤田だ!逃げろっ!」

「「二人セット!?」」

 まあ、いろいろな声も聞こえてくる。

「にぎやかだね。おねぇちゃま」

「はいです〜。お姉ちゃん、この雰囲気が大好きなんですよー。あ、隼人さん!左の方開きますですよー!」

「任せとけ!」

 愛子の見切った隙へすかさず隼人は切り込んだ。身体をねじ込み、カウンターへ食券を叩きつける。

「A定とD定!」

「あいよー!」

 食堂のおばちゃんが威勢良く答えるのに満足してふと隣を見た隼人は『ん?』 と首をかしげた。

「あ・・・乾さん」

 その視線の先で一人の少女が声を上げる。

「あんた、図書委員の・・・」

 隼人の言葉に少女は僅かに顔を赤らめて髪をいじり始めた。

「ええ。昨日はどうも・・・」

 落ちつかなげに呟きながらそそくさとカウンターへ乗せた食券は『お米ライス』。

「・・・どういう食いもんだ。それは・・・」

「え?さっぱりしていておいしいですよ?」

「いや、そういう問題じゃ・・・ま、いいか」

 理解不能と見切りをつけた隼人はふと違和感を感じて首をかしげる。

「あー・・・なんつぅか、昨日とはちょっと感じが違うな」

「え?」

 少女は一瞬だけきょとんとし、口を尖らせた。

「ええ、そうですよ。どうせ私は仕事が終わったら地味ぃな女です。図書館から出たらただの意気地なしですよ」

「あ?・・・あ、いや別にそういう意味じゃなくて・・・」

「いいんです。よく言われますから・・・」

 背中に流れる黒髪を弄り回してすねた表情をする少女に隼人は本能的に危機感を覚えて冷や汗をかき始める。

「ち、違うぞ。そりゃあ派手ってわけでもねぇけどよ」

「やっぱり・・・」

「違うってんだろうが!昨日より表情が柔らかいなって思っただけだ!ついでに、派手じゃないと地味は違うし、あんたは十分可愛いっうんだよ!」

「え・・・?」

 沈黙が続く3秒。食堂内の喧騒が二人の間を駆け抜けてゆく。

「な、何を言って、言って、言!?」

「あ、いや、なんつうか・・・思わず本音が・・・」

 再度沈黙。真っ赤になって所在無さげに視線をそらす少女。

こちらも赤くなってそっぽを向く隼人。

「・・・楽しそうですわねぇ、隼人・・・」

 そして、その背後でどす黒いオーラを放つ少女が一人。

「!?つめてぇ!うぎゃあああああああっ!」

 

 

「あー・・・」

 人ごみの中から響く悲鳴に愛子は思わず声を漏らした。

「ごめんなさいです、みるくさん。ごはん、ちょっと遅れますです〜」

「大丈夫なの?なんか、人ごみの中で能力使ってるよ?」

 軽く顔をしかめて言ってきたみるくに愛子は苦笑する。

「大丈夫さんですよ。この学校の人たち、何処からともなくツララを取り出すくらいなら驚きもしないですよ」

「・・・それは・・・あまり笑えないような気がするね・・・」

 みるくもまた苦笑を装ってはいるが、その目は暗い。

「おねぇちゃまも結構能力使ってるよね。さっきも混雑の流れを見切ってたし」

「はいです。最近は目が言うこと聞いてくれるようになったですよ〜」

 嬉しそうに愛子が笑っていると、それぞれ不機嫌そうな顔をした雪乃と隼人が戻ってきた。

「・・・ったく、何を怒ってるんだか」

「怒ってませんわよ!失礼な!」

 隼人はみるくに、雪乃は愛子に、ナインはミスティに取ってきた食事を渡して席に着く。

「まあまあ、お二人ともお食事時に怒るのは良くないさんですよ?」

「だから、こんな下郎相手にいちいち怒ったりはしませんわ!」

「うるせえブルジョワ。その棘のある台詞が怒ってるっていうんだろうが」

 睨みあう二人に愛子はやれやれとため息をつきながらピンッと人差し指を立てる。

「いいですか?いつも言ってるですけど、喧嘩は駄目さんです。特にお食事時に喧嘩をするのはお食事さんに対する冒涜ですよ?虚数空間で分解しつくされちゃいます」

「・・・いつも思うんだがよ、森永。毎回毎回、締めの台詞がわけわかんねー」

「!?隼人!愛子さんの思いやりの塊に毎度毎度の唾棄するがごとき発言!愛子さんが許しても私が許しませんわよ!?」

「ミスティ、そちらの醤油を取ってくれませんか?」

「うん・・・あ、これソースだよ。醤油はそっち」

「外野!少しは参加しなさい!」

「参加しないから外野だと思いますが?」

 答えながらナインは醤油を取り皿にあけ、刺身定食に箸をつけた。出所不明ながら、学食の魚は美味だ。実は科学部が作ったとか、錬金術研究会が作ったホムンクルスだとかいう噂はとりあえず頭の片隅に放り込む。

「おにーちゃん、中華隠味定食、名前負けだね。普通だよこれ」

「奇抜な味を求めるなら第二学食の方へ行くべきですね。あっちに行くと森永さんが怒るので俺達はこちらに来ていますが」

「だって!・・・だ、だって!たまごが・・・たまごさんが・・・あんな酷い目にあわされてるの!わたし許せないです!許しちゃいけないんです!たまごさま・・・!」

 愛子は大きな目を更に見開いて力説し、右手に力強く握ったスプーンをオムライスに突き立てて口に運ぶ。

「嗚呼・・・」

 感極まったのかはらはらと涙を流しながらオムライスを食する愛子に雪乃と隼人は思わず苦笑をもらして顔を見合わせる。

「・・・なんか、こいつ見てるといろんなことがどうでもよくなってくるな」

「・・・そうですわね。食事が冷めてしまいますし・・・食べましょうか」

 二人してA定食のお好み焼きに箸をつけるのを眺め、みるくは一人、目を細める。

(結果的に、場が収まった・・・偶然?それとも、そうなるべくしてなったの?)

「みるくさん!愛子さんがあなたの分の玉子焼きまで食べ始めましたわよ!?」

「!?」

 それは、あまりにも日常の風景だった。

 ごく自然に超常の技を振るう者たちも、馬鹿騒ぎも、それを仲裁する少女も。

(システムとして、安定している。安定点として利用している)

 みるくは、決断した。

(様子見は、終わり・・・行動するしか、ない)

 

 

<策略/準備>

 

 コンコン。

「ん?」

 突然のノックに、ベッドに寝そべってティーンズ向けファッション誌をめくっていた少女は上半身を起こした。

 コンコンコン。

「?誰だろ」

 ポリポリと掻く頬の色は褐色。首を傾げて揺れる髪は白。

 ここは大公寮。ジニーこと、ジャルニーンの私室である。

 コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン!

「わぅ!このむやみやたらにノックする癖は先生だ!」

 転げ落ちるようにベッドから飛び降りたジニーがドアを開けるとそこに・・・

「ふふふ。ひさしぶり、ジニー」

 すらりとした長身の女性が立っていた。緑の瞳を悪戯っぽく細めて笑っている。

「うわ、しかもミスティ先生大人モードだし!」

「ちょっと手を貸して欲しいのよ・・・ややこしい子が一人居てね」

 ジニーの横を通り過ぎて室内に入ったミスティはふぅとため息をついた。

「相手は言霊使い。まずまずの実力だけど、まあお子ちゃまね」

「?・・・先生が手こずるくらいなんですか?」

「それはないわね。でもこの国の魔術師は総じて結界張るのが得意だからねぇ。外から破るには、ちょっとやっかいなのよ」

 ニヤリと笑って取り出したのは銀の輪っか。

「そういうわけでね。魔術師の真骨頂って奴をみせてあげようとおもって」

 ジニーはそれを眺めてパチンと指を鳴らす。

「そういうことなら、了解でーす!」

 

 

 ナインはふぅと息をついて目を閉じる。

F-121-8

 呟きと共にその体が少女のそれに変わった。何の変哲も無い、目立つところの無い、ただの少女だ。六合学園の制服を着ている。

「魔術とは手足の延長であり、その真髄はその中に含まれない」

 そっと囁いてナインは苦笑した。そのまま歩き出す。

「行きましょうか。ミスティ」

 

 

 みるくは、短いためらいの後口を開いた。

「おねえちゃま。一緒に行きたいところがあるんだけど、いい?」

「?・・・今からですか?」

 愛子は首をかしげて時計を見た。PM5:40・・・冬も近づくこの時期にはもう夜と言っていい時間だ。

「うん。駄目?」

「駄目さんではないですよー。でも今じゃないといけないんですか?」

「・・・うん」

 みるくは、頷く。今でなければ・・・間に合わないかもしれない。

「じゃあ、はいです。行きましょうみるくさん」

「・・・うん」

 もう一度頷き、愛子の手を取って立ち上がる。

暖かい。暖かくてやわらかく、そして華奢な手だ。

(母さんとは、違うな・・・)

 部屋を出る。寮の廊下は部活帰りの生徒と早風呂の生徒が入り混じり、そこかしこで談笑の花が咲いていた。

「あ、愛子ちゃん!出かけるの?」

 どうやら愛子はそれなりに顔が知られているらしい。あちこちで声をかけられた。何故か抱きつかれたりもしている。

(親しげな隣人達。そして、その中の何人かは外種・・・)

「おー!みるくちゃんかわいー!」

「ありがとー!」

 両脇をかかえて高い高いをされながらみるくは可愛らしい笑顔を意識して作る。

(可愛くなんてない。私は、こんなにも悪意ある存在なのに)

 思いを欠片も顔には出さず、みるくはニコニコと微笑んだ。

 その表情は、愛子のものと妙に似ていた。

 

 

<言霊と呪具/森永愛子>

 

 寮から歩いて十数分。豊かな常緑樹に彩られた森林公園へ二人はやってきていた。愛子は手ぶらに薄着。対照的にみるくの手にはいつもの旅行カバンが握られている。その肩に、木彫りの鳥の姿は無い。

「?・・・みるくさん、公園がどうしたんですか?」

「・・・ごめんなさい」

 返答は短く。

「一音!『閉ざすは漆黒、汝が名は絶布』!」

 そしてそのまま軽く飛びのきみるくは鋭い言葉を放った。

 刹那、愛子の視界が黒に閉ざされた。

「!?・・・!・・・!?」

それを為したのは黒い布。自らの意思を持つかのように独りでに愛子の顔に巻きついていく。

「・・・ごめんなさい。でも、今は視界を塞いだだけだから・・・怖がらなくて、いいです」

 言い訳のように呟き足元に視線を落とす。彼女の『言葉』に応えて黒布が飛び出してきた旅行カバンに。

「いくら貴女の目でもその布は見通せません。一万三千百二十五の言霊の全てを把握するなど、実体を持った脳では処理できない筈ですから」

 淡々と呟き、みるくは愛子の目の前まで近づいた。

「最初にまず言っておきますと・・・私が今回訪れたのは、貴女の眼を封印する為です。当初は能力だけを封じるつもりだったのですが、ここまで覚醒してしまうとそれも不可能です。申し訳ないのですが、見るという概念・・・視力ごと失ってもらいます」

 冷たい声で言い放ち、みるくは愛子の顔へと手をかざす。

「痛みはありません。術後のフォローとして眼の代わりになる呪具も持参しています。ですので・・・逃げないでいただけると、助かります」

 沈黙。

 愛子は、動かない。

「・・・ありがとうございます。始めましょう」

 それを肯定と解釈したみるくは深く呼吸し、背筋をピンと伸ばした。頭蓋の内側で力を呼び起こして組み上げる。

「では、行きます・・・」

 だが。

「はい、そこまで。お子ちゃまのお遊戯はそこまでにしときなさい?」

 不意に挟まれたのは、第三の声。

 からかうような、魔女の一言。

「!?・・・この声・・・ミスティ・ミラー!」

「ありきたりなリアクションね。さすがお子ちゃま」

 瞬間、声と共に愛子のポケットからコロリと何かが転げ落ちた。

銀色に光るそれは・・・

「指輪・・・?・・・まさか呪具!?」

「アーティファクトって言ってもらえる?」

 からかうような声を発して地面を転がった指輪。そこから煙が噴き出した。

「っ!」

 反射的にその煙を避けて飛びのく。一跳びで十歩分以上の距離を稼いで煙とその向こうの愛子を睨むと、視界を覆う白煙の中に二つの人影が現れた。

「オルタナティブ・ワールド。良い出来でしょ?ジニーちゃん」

 一つは、赤を基調にしたロングドレスも鮮やかに微笑む魔女。妙齢の姿をしていてもその悪戯っぽく細められた緑の目が、彼女がミスティ・ミラーであると物語る。

「はい。まっさか自分の本体以外でこんなに居心地いいものがあるなんて思いませんでしたよー」

 ウィンクを返すのはビキニ風に改造したYシャツと極端に丈を短くしたスカートに身を包んだ褐色の肌の少女。指輪の魔神たるジャルニーン、それが彼女の名だ。

「何故、ここに・・・!?」

「あらあら、私が・・・このミスティ・ミラーが何故ここにいるかを聞くの?あなたを監視していたことくらいわかってるでしょ?」

 硬い表情で睨むみるくにミスティは嘲笑を浮かべる。

「やー、センセ。みるくちゃんはどうしてこの空間に入ってこれたのかって聞いてると思いますよ〜?」

「ん?このちゃちな結界のこと?ふふ、やっぱりお子様ちゃんは魔術師の真価ってものがわかってないのね」

 反射的にムッとした表情を浮かべたみるくにもう一度笑い、ミスティはチッチッチと人差し指を振ってみせる。

「あのねぇお子ちゃまちゃん?言霊でもってこの公園そのものに『入って来れない』属性を追加したのはまあ合格。規模も威力も年を考えれば十二分でしょうね。でも」

 言葉と共にもう一振りした人差し指に地面に落ちていた指輪がひょいっと浮かびあがりはめられる。

「お子ちゃまちゃんと、愛子ちゃん本人は侵入を許可されるでしょ?二人の身につけるものも、そこに潜んでいたわたしたちも、ね?自分が言霊遣いだってこと、隠さないからこうなるのよねぇ」

「補足しておくと、魔術師同士が戦うときは相手がどんな術を使うかを把握して、どういう選択肢があるか読みきった方が大概勝つんだよー」

 そう言ってパチリとウィンクを投げるジニーと冷たい笑みを浮かべるミスティを一瞥し、みるくはギリッと奥歯を噛み締める。

「寮を出るとき、抱きついてきた女・・・あれが仕込みだったわけですね・・!」

 そのときに、魔術の媒体である指輪を愛子のポケットに忍ばせたのだ。

「魔術師の真価は魔術の腕じゃないのよ。本当に大切なのは身につけた力の使い方。結界術そのものは見事だったけど、それに満足したのが敗因ってわけね」

 ミスティは嘲るように言って空を見上げる。遥かな高みにポツリと見える染みは、この公園に張られた結界を維持する呪具。

 空色の、木鳥。

「・・・邪魔など、させません」

「あのねぇ、必死なのはわかるけど・・・」

 ミスティは嫣然と笑い、すっと目を細める。

「魔術師や聖堂騎士、そしてアザーズを相手に延々と戦い、彷徨いつづけてきた私に・・・本気で敵うと思っているの?」

「排除する必要があるならばそうするまでです・・・!二音、『束縛は安寧、汝が名は縛鎖』!」

 吼えるような声と共に旅行カバンが開いた。中から飛び出した二本の鎖が絡みつく大蛇のようにミスティとジニーに迫る。

「お子ちゃまねぇ・・・『ロッド・オブ・ワルツ』」

 ミスティは目を細めて両の握りこぶしを一振りした。開いた手のひらを突き破るようにズブリと長さ20センチほどの小杖が生まれ、宙に浮く。

「っ・・・!」

 二人を縛り上げる筈の鎖は直前で進路を変え、踊るように宙を舞う杖に絡み付いて地に堕ちた。それを確認したみるくは舌打ちと共にポケットからハンカチを取り出しバックステップと共にミスティへと投げつける。

「一音!『穿つもの、汝が名は布槍』!」

 空中で一瞬静止したハンカチは言葉と共にねじれて硬質化した。小さな槍と化したそれは、ライフル弾の如き速度でもって撃ち出される。

 一秒の数十分の一に満たないような刹那、今度はジニーが動いた。パチリと指が鳴らされると同時に布槍が空中で静止する。

「速いね速いね!じゃあこんどはジニーちゃんが芸をみせてあげよー!」

 言いざま、もう一度指を鳴らす。

「ワン・ツー・スリー!」

 瞬間。真っ白なそのハンカチは同色のハトに姿を変えた。クル?と喉を鳴らしてどこかへ飛び去る。

「チッ・・・」

それを見送ってみるくは足元で口を開けるカバンを平手で叩いた。それに答えて浮かび上がった紙皿を睨み力を練り上げる。

「6音!『空断つ雲雀!汝が名は飛刃!』」

「準備が遅いわよ。それなら、リッパー・オブ・コイン!」

 6つの軌道を描いて襲い掛かる刃と化した皿を同じく側面を刃と化した50円玉が撃墜した。澄んだ音と共にそれらが地面に落ちるよりも早く、言霊使いは次の言葉を放つ。

「2音!『封ずるは煉獄、汝が名は闇箱』!」

「ごめーん、それ、燃やしちゃうよ〜。レディ・セット・ゴー!」

 トランクから飛び出ると同時に巨大化して二人を飲み込もうとする紙箱はジニーの指が鳴らされると同時に一気に燃え上がり、灰と化して消える。

「あきらめたらどう?キミは優秀な魔術師ではあるけど・・・私は、悪いけど更に優秀なの。しかも、魔神まで同時に敵に回してはどうしようもないでしょう?」

「・・・ええ。格の違いなど、とうにわかっています」

 みるくは呟き、布に視界を閉ざされたまま立ち尽くしている愛子をちらりと見る。

「それでも、譲れない場面は・・・ありますッ!」

 そして、のけぞるようにして限界まで息を吸いこんだ。

 彼女は、言霊使いだ。

 術とはつまり、語り掛けである。そこにある『物』に語りかけ、その本質に新たな姿を与える力。源は、術者の想いの強さ。

(この戦いにかける想いは、負けない・・・!)

故に、喉が張り裂けそうな大音声でもって武器を・・・言葉を放つ!

「二千七百六十八音!『切り裂くは絶音、汝が名は風神刀』・・・ッ!」

 

 言葉に、大気が、震えた。

 

 公園中の空気が震え、ィン・・・と異音をたてる。

「・・・2768音?」

 ミスティは呆れたように呟いた。

「センセ、多分そのなんちゃら音っての、術をかける対象の数ですよね?」

「ええ。今回は・・・私達の周囲の大気の言霊に干渉したようね。仕込みも無しで・・・少し見くびっていたかしら」

「・・・確かに私は11歳、修行を始めてから5年しか時を経ては居ません。ですが・・・」

 みるくは脳髄が焼けきれそうな負荷の中、搾り出すようにうめく。

「森永の家が・・・守名たる我ら一族が伝えし技、けして侮らせはしないっ!」

「あー・・・まあ、いくら私でも3000近くのカマイタチを防ぐことは無理ねぇ。今使ってる身体は戦闘用だから壊れてもいいけど」

「うわ!センセ!ジニーはどーすんですかぁ!もろ生身!」

「そこはそれ!根性でガンバ!」

 のんきな会話に、みるくは切れた。

「侮るなと言ったァッ!」

 絶叫と共に、待機していた真空の刃が一斉にミスティとジニーを襲う。三千の軌道でもって見えない刃が迫り・・・

 瞬間。

「・・・おいたが、過ぎますね」

 落ち着いた声と共に、閃光がそれを追い抜いた。

「こんなもん当たったら痛いじゃすまねぇだろうがッ!」

 一瞬の輝きを網膜に焼き付けて光は消え去る。

舌打ちまじりの台詞を風に残し、ミスティ達の姿と共に。

「な・・・え・・・?」

 呆然とみるくは呟き、慌てて周囲を見渡す。

「このあたりが、経験の差って所ね。仕込みは完璧だったということよ」

「・・・センセ、ジニーにも内緒はずるいと思う」

 はたして、彼女達はみるくの背後に居た。真空の刃がズタズタにした地面から遠く離れた場所に。

「つぅか、もういいだろ?降りてくれ・・・」

 やや赤らめた顔をわざとしかめて誤魔化す乾隼人にしがみついて。

「真空の刃をすり抜けて・・・?」

「いえいえ、隼人にそこまでの器用さはありませんよ」

 みるくの漏らした言葉に応えたのは木陰から姿を現した金髪の少年だった。

「俺もまあ、アザーズですからね。芸の一つもあるんですよ。鎌鼬を消し去って通路を作る程度の芸ならば」

ナインは肩をすくめて歩を進め、隼人達の傍らに立つ。

「そいつを通って俺がこいつらをかっさらったってわけだ・・・だから!いい加減降りろ!押し付けるんじゃねぇ!」

「・・・あら、いいの?今なら触るだけじゃなくて、もっと先まで許してあげるわよ?」

「をぅ!センセ、卑猥!でもジニーもサービス〜」

 二人がかりでハニーな攻撃を喰らっている隼人にやれやれと呟き、ナインは視線をずらした。

 少し離れた場所で、拳を振るわせる少女に。

「いつもいつも・・・楽しそうですわね・・・犬畜生・・・!」

「っ!?雪乃!?馬鹿!俺がやらせてるわけじゃ・・・ぅおお!?な、なんだこの柔らかさ・・・」

「・・・藤田さん。気持ちはわかりますが、処刑遊戯は後でゆっくりなさってください。視線で人が殺せそうな目つきはやめて、メリケンサック状の氷とか作らないで、とりあえず今は森永さんを」

 ナインの言葉に我に返った雪乃は黒い布をかぶせられたまま微動だにしない愛子の方へ駆け出した。

「やめなさい!姉が大事ならば、私の邪魔をしないでください!1音!『捕獲者たる種は生きるのみに有らず、汝が名は土枷』!」

 間髪を居れずみるくの声が響く。罠としての属性を得た地面が雪乃の足へとからみつくが・・・

「小賢しい!」

 刹那、純白に少女の髪が染まり、触れた部分から土の触手は凍りつき、砕け散った。

「愛子さんの目を潰そうなどと言う人の言葉が信じられますか!」

「・・・その瞳を放置するわけにはいかないのです!私は、森永として義務を果たさねばならないのですから!」

 今や5対1にまで追い込まれた言霊遣いはそれでも叫び、雪乃を遮らんと愛子の前に立つ。

「私にだって切り札くらいある!この身が朽ちるとも・・・!」

 顔をゆがめ、吐き捨てるようにみるくは叫ぶ。その鬼気迫る声にナイン達が戸惑いの表情を浮かべて身構え。

 そして。

「・・・もう、やめましょう?みるくさん」

 声が、した。

「え・・・?」

同時に、みるくの肩に優しく手が置かれる。

「ほら、みなさんも怖い顔は駄目さんですよ〜?」

 その場の全員がポカンとした表情で立ち尽くす中、森永愛子は少し困ったような笑みで手にした黒布を畳んだ。

「・・・あの布、自分で外せるものだったんですのね」

「・・・今までのバトルって、なんだったんだ?」

 半眼で呟く雪乃と隼人を横目に、ミスティは静かに首を振る。

「いいえ。そんな筈はないわ。嫌って程複雑に入り組んだ呪いによって、中に向けては『見る』という行為を禁じ、外に向けては『触れる』という行為を禁じていたもの。少なくとも、普通に外せるわけがない。それが今、ただの布と化しているということは・・・」

1万を超える言霊を全部解除した・・・?」

 言霊使いの少女は知らず呟き、震えた。

 これでは。

 まるで。

「猶予はないようです。わたしの命と引き換えにその目を封じさせてもらいます!」

 言霊使いはその表情を悲壮に歪めて喉を震わせ。

「隼人っ!」

「応ッ!」

 人外の者達がそれを防ぐべく地を蹴り。

「世話が焼けるわね・・・チェイン・オブ・フォーチュン!」

魔術師が舌打ちと共に呪具を構え。

 

 しかし。

 

「みるくさんっ!」
一言だった。

ただの一言で、全ての状況が、その場に停止した。魔術師は手を止め、人外の者達は立ち止まり。そして言霊使いは呆然と口をつぐむ。

 それを為したのは、ただの声。なんの威力も魔力もない、ただ一言の言葉が全てを押しとめている。

「今の・・・誰だ?」

 隼人の呟きは彼らの代表意見だった。

その声はいつだってのんびりと響く筈なのだ。何をされても彼女はニコニコと笑っていて、一度たりとも、その声が荒げられたことなど、なかったのに。

 一度、たりとも。本気で怒ったことなど、なかったのに。

「そんなことを言っては・・・駄目です」

 だが、森永愛子は厳しい表情でもって言葉を放つ。

「わ、私は!何をしてでもその眼を封じなければいけないんです!」

「それなら・・・わたしの眼くらい、ここで潰しちゃってもいいですっ!でも・・・!」

 愛子は絶叫に近い強さで叫ぶ。

「命に代えてもなんて・・・絶対言わないでください!そんなこと、意味がないです!」

「物理的になんとかできるようなものではないんです!それにあなたはわかっていない!あなたの眼は放置すればあなた自身にとって危険なものになるんですッ!」

 気圧されながら叫び返したみるくに愛子は首を横に振る。

「わかってないのは・・・あなたの方です!命に代えてもなんて最低です!死んで叶う願いなんて意味ないです!そんなの・・・ただの横着です!」

 怒声にみるくはビクリと震えた。

「命に代えて、その後どうする?死んでしまい、後のことを放り出して、それでどうするつもり?残された人はどうしたらいい?あなたが為す筈だった事の全てを放棄して、未来をかき乱すだけかき乱して・・・それで自分だけ安穏と逝くつもり?そんなことが許されると本当に思っているの?あなたは!」

 矢継ぎ早に繰り出される言葉に隼人は戸惑いの表情でナインのほうに目を向ける。

「お、おい、どうしたんだよあいつ・・・」

「・・・今は、静観しましょう」

 ナインは目を細め、隼人たちを制する。それを見たミスティもまた、ナインと似た表情で愛子に目を向ける。

「答えなさい!今すぐに!すべて放り出して自分の願いだけ叶えるなんて、そんな自分勝手をあなたはするつもりなの!?」

 強く澄んだ声の余韻が空気を揺らして消えた。それきり口を閉じた愛子とみるくの視線が交差し、沈黙がその場に重く鈍く漂い。

 そして。

「・・・・・・ぃ」

 聞こえるか聞こえないかという微かな声が、した。

「ごめんなさい・・・」

 それは、みるくの口から漏れ出したものだ。

俯いた少女の表情は伺えない。

「・・・・・・」

 沈黙する愛子の見守る中、みるくはバッと勢いよく顔を上げた。

「ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!ごめんなさいッ!」

「は、はぇ!?」

 みるくは、泣いていた。ぼろぼろと涙を流し、くしゃくしゃの顔で。

「ゆ、ゆるしてくださいっ!おねがい・・・嫌いにならないで・・・!」

「あ、え・・・?」

 すっかりいつもの表情に戻って戸惑う愛子に縋りつき、みるくはぼろぼろと涙を落として叫びつづける。

「なんでもするから、お願い、怒らないで・・・!」

「は、はぃ・・・あ、えと、ごめんなさいです」

「・・・あなたが謝ってどうするんですの・・・」

 遠距離からの雪乃つっこみに戸惑いの視線を返し、愛子は痛いほどに抱きついてくるみるくを見つめる。

「あの、えっと、お願いですから泣きやんでくださいです・・・みるくさん・・・わたしの眼、どうして使っちゃ駄目なんですか?」

「・・・言えない・・・理解したら、多分とりかえしがつかなくなる・・・」

 涙と共に呟くみるくを体から離し、愛子はとりあえずポケットから出したティッシュで鼻をかんでやる。

「わ、私、ひとりで出来る・・・」

「はい、ちーん」

 恥ずかしげにしながら結局されるがままの姿を見てナインは一つため息をついた。

「どうやら、俺達の出番はここで終了ですね。後は邪魔になるだけですし退散しましょう」

「・・・大丈夫ですの?」

 疑わしげな視線を少女に向けている雪乃にミスティはひょいっと肩をすくめた。

「大丈夫でしょ。あの子、もう心を制圧されちゃってるから。それに・・・」

 言って、ナインの方へ顔を向け、声を出さずに唇を動かす。

『彼女の実力では、あの存在には太刀打ちできないでしょうしね。お兄ちゃん』

『・・・否定はしませんよ』

 ナインもまた声を出さずに答え、一度首を振ってからもう一度口を開いた。

「というわけで森永さん、俺達は先に帰っています」

「え?は、はいです」

 ガクガク頷く愛子に笑顔を返し、ナインはさっさと歩き出す。

「・・・俺達も行くぜ。雪乃」

「うう・・・ああ、もう・・・!愛子さんっ!何かあったらすぐ連絡を・・・」

「早く来いって」

 納得できないという表情でじたばたする雪乃の襟首を掴んで隼人はさっさとその場を立ち去る。

「ったく、空気読め。空気」

「いた、痛いですわっ!苦しい・・・ええい、無礼千万ですわよ!」

 公園の外から怒声と冷気が伝わってくるが、それはまた、別の話。

「ジニーちゃん、私達も退散ね」

「はーい、先生。じゃ、わんつーすりーっと」

 最後にミスティとジニーが白煙の中に消えると、その公園の中に残っているのは愛子とみるくの二人きりになった。張られていた結界が解けたのか、街の喧騒があたりに戻ってくる。

「・・・ごめんなさいです。みるくさん。きつく言い過ぎてしまいましたですね」

 おそるおそる声をかけると、みるくは俯いたままふるふると首を振った。

「こちらこそ、ごめんなさい。ほんとは・・・母さんが来る筈だったんです。ただ、様子を見るためだけに・・・でも、それだと危険かもしれないと思って、戦える私が先回りして姉さまに会いに来ました・・・」

「危なそうだったら、わたしの眼を潰すためですか?」

「はい。でも、甘かった。私程度で抑えられるようなものでは・・・なかった」

 こわばった表情で呟くみるくに対し、愛子の表情は柔らかい。

「わたしにもわたしの眼がなんなのかはわからないですけど・・・そんなにあぶないものなのですか?」

「・・・わからない。わたしや母さんが危惧しているものなのか、本当はそれすらわからない。でも、もしそうなら・・・姉さまの眼は、不幸しか呼ばない。それについては母さんと私の意見は一致しています」

 みるくは勇気を振り絞って顔を上げた。

「正直に言います。私は、一度も会った事の無い姉さまよりも母さんの安全を重視する為にきました。今回の騒動は、私の独断です。母さんは一切関わっていません」

 だから、というよりも早く愛子はみるくを抱きしめていた。

初めて、自分から。

「大丈夫さんですよー。おかーさんには、ないしょにしておいてあげますです!」

「い、いえ、そうではなく、あの、私のことはどうでもいいんです、母さんは悪くないということだけをですね・・・」

「うふふふふ・・・みるくさん、大好きですよ〜」

 聞いていない。

「ああ、もう。どうでもよくなってきてしまったではないですか・・・」

微笑の暴力にみるくはたやすく陥落した。暖かな身体に包まれている安息に、危機感が緩んでいく。

(この安らぎすら、能力の産物という可能性もある)

 思考し、しかしみるくはそれをあえて無視した。

(構うものか。この暖かさすら嘘だというなら、この世に本当などというものは無い。否。私が、認めない)

「みるくさん。愛子は、駄目なお姉ちゃんです。みなさんに助けていただけないと何も出来ないし、この眼が無いと・・・そのおかえしすら、できないんです」

 頭上からの声に、胸にうずめた頭を振って否定の意を返す。

「ありがとうございますです・・・でも、自分が一番よくわかってますですから」

「自分だけがわかっていないことも・・・いっぱい、ありますよ・・・」

 みるくは、決断した。

(彼女がこうであることは、私と母さんが背負うべきことだから)

「姉さま。姉さまの眼を封じることは・・・どうやら私には無理のようです。奇跡認定レベルの解呪能力者でも居なければ・・・」

 抱きしめてくれている愛子の手をそっとほどき、一歩さがる。

「おそらく、根本的には使い手たるあなた自身を殺すことが唯一の解決法です。でも・・・可能性だけでそんなこと、できるはずもありません」

 愛子は、困ったような笑みで佇んでいる。

「だから、私があなたを監視します。無論あなたの邪魔にはならないよう配慮します。おそらく、実際に顔を合わせることは今後二度とないでしょう」

 みるくは、無表情を装い喋りつづけている。

「基本的には私の言霊で操った呪物を介しての監視となりますね。私自身はこの町のどこかに部屋を借りましょう」

「・・・こっちに住むですか?おかーさんのもとを離れて」

「ええ。もともと地元の中学校には行かないつもりでしたから、丁度いい機会です」

 沈黙する愛子を質問無しと判断したみるくは一息ついてから再度口を開く。

「何か要望はありますか?私に出来ることなら、なんでもしますが・・・?」

 その言葉に愛子はニヤリと笑った。彼女にしては珍しい、企んだ表情だ。

 もっとも、おやつをちょっと多くせしめようとしている子供程度の表情でもあるが。

「では、要望さんです」

「・・・ええ、何なりとどうぞ」

 みるくはやや身構えて愛子に向き直る。

 溜めを作って2秒、3秒、4秒・・・

「みるくさんは、可愛らしいみるくさんでいてくださいです!」

「・・・ゑ"?」

 喉の奥から、微妙な声が飛び出した。

「それと、お姉ちゃんと一緒の部屋に住んでくださいです」

「い、いや、その・・・」

 思いがけない言葉に思わず汗が出る。

「お姉ちゃん、アルバイトが好調なんでお金持ちさんですよー?かわいらしいお洋服、いっぱい買ってあげるです!」

「い、いえ、私はこちらが地ですので・・・その、そういうのは・・・」

 しどろもどろのみるくに愛子はどんよりと黄昏はじめた。

「かわいい妹さんがほしいですー・・・わたしより凛々しいのは反則だとおもうですー・・・フリルがいいですー・・・おねぇちゃまがいいですー・・・いっしょにくらしたいですー・・・何なりとって言ったですー・・・」

 すねまくる愛子に、みるくの反抗心は瞬時に白旗を揚げた。だらだらと冷や汗を流しながらギシギシと首をきしませて頷く。

「・・・わかり・・・ました・・・」

「ました?」

「う・・・わ、わかったよ。おねーちゃま!」

 やや引きつり気味に笑顔をつくったみるくを愛子は満面の笑顔で抱きしめた。

「うふふふ・・・ようこそ、六合学園へ。です!」

 

 

<友達/友達>

 

 その夜。

「あ、やっぱりここだった」

 少女の身体に戻ってから女子寮の屋上にやってきたミスティ・ミラーはお目当ての少女を発見して呟いた。

「・・・・・・」

 少女・・・森永みるくは不機嫌そうな顔で振り返り、フェンスにもたれかかる。

「これ以上、私に何の用です?あざ笑いにでもきましたか?」

「口調、口調。かわいくないなー、それー」

 心底楽しそうなミスティの声にみるくはひたいに青筋をたて、手をプルプルと震わせながら笑顔を作った。

「な、なにかなーミスティさん?」

「ぴー・・・(お嬢、不憫っす・・・)」

 ちなみに、今の服装は愛子が買ってきたネコ耳フード付きのパジャマだ。ちょっとだぶだぶな所がまた、一部の嗜好の人にたまらない魅力を乱射している。

「いやいやいや、かわいーかわいー。うふふふふ・・・」

「貴様・・・くっ、な、何も用がないなら、みるく、もう行ってもいいかなぁ?」

「ぴぴ・・・!(お嬢!ファイトっす!耐える姿は美しいっす!)」

  相変わらず肩にとまってさえずる木鳥の声援にみるくは苦い顔をして歩き始めた。

「あ、ちょっとまった」

 立ち去ろうとする少女にもう一人の少女が声をかける。

「なんです・・・っ、えっと、なにかな?」

「いや、もう堪能したからそれはいーんだけどね」

 ミスティは肩をすくめて笑った。

「私さ、これで一応、100年以上生きてるのよ。生まれ持った体はとっくの昔に壊されてるし」

「・・・は、はい?」

「あっはっは〜驚いてるな?ちびっこ魔術師見習い補佐駆け出し心得」

「・・・からかう為に呼び止めたわけですか・・・!?」

 むっとした表情のみるくにミスティはちっちっちと指を振る。顔そのものは幼女とも言える造作だが、その表情は大人のそれに戻っている。

「まぁ聞きなさい。かつて私には兄がいてね・・・二人して魔術を極めようと研鑽の日々を送っていたのよ。でも、兄はやり過ぎた。アーティファクト作成者としての頂点を求め・・・聖遺物に手を出したのよ」

「聖遺物?・・・聖杯とか聖櫃とかのことですか?」

 神と呼ばれる程の強力なアザーズは時にその力の一部を宿した『何か』を生み出すことがある。魔術とは系統が異なり、しかしそれを上回ることすらある『何か』を。

「そう。聖遺物と魔術は組み合わせることで桁違いの力を得ることが出来る。研究に行き詰っていた兄はそれを求めてそこそこ歴史のある教会を襲撃したのよ。成功し、手に入れたのはひとかけらの骨。聖人の遺骨だったらしいわね。兄はそれを使い、生涯最高最後の作品を作り上げた。まあ、概ね究極に近い一品よ」

 肩をすくめ、ミスティは続ける。

「でも、それで終わりのはずが無いわよね。奪われた聖遺物を取り返す為にやってきたのは、ローマ公認の能力者集団・・・先進国の多くに影響力を持ち、秩序と人類の守護者を名乗る者達。あなたも聞いたことがあるでしょう?聖堂騎士団のことよ」

「・・・ええ。世界最大最古の能力者集団。いざと言う時の容赦なさでも知られていますが、本来そんなに危険な方たちではないと聞いていますが?」

 ビッグネームにやや緊張の面持ちになったみるくにミスティは肩をすくめた。

「そうね。神の愛を語るだけあって表向きは慈悲深い連中だわ。でも、私達には・・・容赦ない方の顔が来たのよ。兄のせいでだけど」

 兄の一言に込められた苛立たしげな響きを怪訝に思いながらミスティは大人しく耳を傾ける。年上の魔術師の言葉が、今までに無いほど静かだからかもしれない。

「驚いたわよ。どこかへ失踪していた兄がいきなり帰ってきたかと思ったら工房に篭りっきりになるし、出てきたと思ったらとんでもないアーティファクトを見せられるし・・・とどめには聖堂騎士団の襲撃よ。死ぬかと思ったわね。っていうより、一度死んだんだけどね」

「はい?」

「死んだのよ。その頃既に剣の一突きや二突きでどうにかなるような体じゃなかったんだけど、わざわざ毒を送り込まれてねー・・・当時17歳、花も恥らう乙女に向かってわざわざ体中が腐り落ちる毒よ?指先から顔まで腐っちゃってもうグログロ」

 明るいトーンで話すミスティにみるくは表情を暗くした。何でもなさそうに語ってはいるが、そんな筈は無いのだ。

(この強靭な魔術師とて、その時にはきっと恐怖と苦痛で身もだえし、震え・・・)

「ちなみに、それやった奴は私の魔術で体中の皮膚だけ剥ぎ取ってやったけど」

「残酷なことを笑顔で言わないでくださいッ!気持ち悪すぎます!」

 ケラケラ笑うミスティにみるくは全身の鳥肌を掻き毟った。

(・・・甘かった。この人、そういう繊細さとは無縁だ・・・!)

「でもね、騎士団の連中は探してた聖遺物を見つけられなかったの。どうしてだと思う?」

「決まっています。既に、作成した呪具に使われていたから、でしょう?」

「正解!ご褒美に体中が腐り落ちる毒を一瓶プレゼント・・・!」

「いりませんッ!・・・瓶を出さないッ!首を傾げないッ!不思議そうな顔しないッ!」

 残念そうにカバンへ毒の入った瓶を戻してからミスティは静かな微笑とともに空を見上げる。

「そうなのよ。兄が作ったアーティファクトの核としてそれは使われていた。そして、聖堂騎士団の連中はそれを発見できなかったのよ・・・わかるはずないわよね。だって」

 言葉と共に、はだけられた服。あらわになった幼い胸。その中央、やや左より。

「それは永遠の生命を求めた兄の手でホムンクルスの製造に使われて・・・そして、騎士団に腐り潰された身体の代用品として、私がそれに自分の魂を移して逃げたのだから」

 ほっそりとした身体に埋め込まれたのは鏡。銀色の光が、はねる。

「兄の名はカレイドスコープ。幻術使いにして、幻実を現実へ変える者。一万の幻影の投影者。万華鏡の魔術師。すなわち、カレイド・スコープ」

 畑違いの言霊使いにすら感じ取れるその鏡の魔力は、たとえば姉の目にはどう映るのだろう?気圧されながら、みるくは頭の隅で考える。

(『ものすごいピカピカさんです〜〜〜!?』とか?)

「まあ、人間的にはおよそ最悪だったけど、天才だったのは間違いなかったわね。この身体は幻像と実体の特性を併せ持っているから不老不死だし姿を変えるのも自由。おかげで聖堂騎士団から逃げ切れたわ。存在するかしないかわからない、霧の向こうの魔術師・・・ミスティ・ミラーなんて二つ名もついちゃったけどね」

「・・・何故、そのような話を私に?」

 魔術師は、自らの手札を明かすことを嫌う。それは目の前のミスティ自身も語っていたことだ。

「ん。私は・・・今も聖堂騎士団に追われてるわ。日本は文化が融合しすぎていてあの手の単一思想勢力は入ってきにくいから、六合学園に保護されることで一応の安全を確保してるけどね」

(高校が、魔術師を、保護?)

 みるくは首を捻りながら耳を傾ける。

「まあ、命を狙われないのは嬉しいけどさ、これはこれで結構寂しいのよ。先生と尊敬してくれる人は居ても、友達は・・・いないから」

 その言葉は、みるく自身にも経験のある事実だった。彼女にしてみても、魔術師の道を選んで以来、学校や近所に友達は持てなかった。

表面上普通を装っていても生活の基盤に非日常を抱え込んでいては、日常の話には着いて行き難い。

TVやゲームの話題も、アイドルや流行歌も、必死に覚えた。だが、付き合いが長くなれば付け焼刃なのは隠せない。そんなに頑張って回りに溶け込もうとしている自分も、馬鹿らしく思える。

結果、元気で無邪気な少女というイメージだけ残り、本当の友達はできない。作るのが怖い。所詮、演技の自分なのだから。

表情を暗くする少女を眺めてミスティは微笑み、ゆっくりとその言葉を口にした。

「だから、友達になろう?」

「はぁ」

 やや落ち込み気味だったみるくはその台詞が理解できずなんとなく声を漏らす。

「うん。それがいー。お子様はお子様なりに、おもしろい奴だし」

「ちょ、ちょっと待ってください。と、友達って一体なんですか!?」

「・・・お子様、なかなかに哲学的なことを言うね」

 わざとらしく考え込むミスティにみるくはパッと顔を紅くする。

「い、意味くらいわかっています!」

「ホントに?友達って、なに?」

「う・・・」

 辞書的な意味ならいくらでもわかる。言霊使いとしての修行は日本語の勉強と一部重なる。ただ、友達と呼べる人の記憶が、彼女には、無い。

 それなのに、理解しているなどと何故言えようか。

「ほれほれ、やっぱわかんない。頭でわかっててもね、実際に体験しないとわからないもの、いっぱいあるぞー」

「そ、それはそう、ですが・・・」

 躊躇う。

(友達など、特別なものではないはず。実際昔は少数でも生息していたとレッドデータブックに・・・。って何を混乱しているのですか私は・・・いや、レアものとかも関係なく。ゲットだぜ!ってそれも違って。ああもう、落ち着きなさい私!)

「り、理由!そうです、何故私などと友達になろうと言うのですか貴女は!」

「ん?戦ったから」

「強敵・・・と書いてトモ!?」

「みるくちゃん、結構濃いなー」

 ミスティはニヤリと笑ってから表情を引き締める。

「魔術師として、キミは私より弱い。それを自覚していて、なお私に突っかかってくるキミが、私には新鮮だったからかな。対等に見てくれる相手が・・・ずっと欲しかったのよね」

 みるくは、無意識のうちに赤面していた。なんだか無性に恥ずかしい。その恥ずかしさが、長く居なかった『友達』としてミスティを見始めているからだと気付き、火照りが強くなる。

「だから、私の秘密を一つキミに教えたのよ。今、私の胸の鏡を知っているのはおにいちゃん・・・ナインハルト・シュピーゲルとあなただけ。そして、今のところキミの秘密を知っているのも私とおにいちゃん。そしてあなたのご両親だけなんじゃない?」

「・・・私の、秘密ですか?」

 身構えたみるくにミスティは頷く。やや物憂げに。

「正確には、森永一家と、魔眼の彼女の関係について。今回の騒ぎで気付いちゃったから」

 それは、みるくにとっては相手を殺してでも護ろうと思っていた秘密である。

「だから・・・あなたにとって致命的な秘密を私に?」

「うん。キミなら努力家だから頑張れば私を殺せるでしょ」

 冬の始めの冷たい風に、二人はそろって震えた。

「年下で、生意気で、実力不足で、強がってばかりなシスコンのキミだけど。でも、どうやら私はそういう人が嫌いじゃないみたいね」

 そう言ってウィンクしてくるミスティに、みるくは苦笑した。

 はっきり言って、目の前の魔術師には何度も煮え湯を飲まされた。今に至ってもからかわれてばかりで腹が立つ。

 しかし。

 それでも。

「・・・年上で、傲慢で、自分勝手で、ブラコンかつ性悪なあなたですが・・・そうですね。私も、あなたが嫌いではないようです・・・」

 それだからこそ、手を伸ばそう。

 姉が望むように、素直な自分を装って。いつか、それが演技でなくなるように。

「よろしければ、私と・・・友達になってくれませんか?」

 

 

 

                           To Be Continued

 

 

<余話・鏡の少年・数詠みの女>

 

 翌日のことになる。

「ここ、いいかな?」

 かけられた声にナインは顔をあげた。いつもの図書館、テーブルを挟んだ向こう側には、白いシャツを着た女性が居る。

「・・・ええ、どうぞ」

「ありがとう」

 女性が会釈して座るのを眺めてナインは読んでいた本を閉じた。彼女の容貌については、既に聞いている。

「・・・森永さんの母親ですね?」

「続柄で呼ばれるのは好きじゃないな。真宵って呼んでほしい」

 言って真宵は一息ついた。

「はじめまして、娘が世話になってしまったね」

「娘、ね」

 ナインは呟き、正面から真宵を見つめ返した。

「愛子さんにはこの学園に入ってから世話になり通しですし、みるくさんは俺の妹の友人になってくれたようですしね。世話になっているのはこちらですよ。二人ともに、ね」

「二人とも、か。ふふ、そう言ってくれると助かるね」

 頬杖などついて真宵は小さな笑いを浮かべる。

「でも・・・この結果は不可思議だよ。私の占いがここまで外れたことなど無い」

「占い、ですか。失礼ですが方法は?」

「数詠みさ。純粋な計算のみで未来を読む。人間の力がアザーズに追いついた証拠なんていう人もいるけど・・・そんなたいそうなものでは、ないのかもしれないね」

 ナインは肯定も否定もせずに手元に閉じた本の表紙を撫でる。

「理系なのでしょう?婉曲的に言っても仕方が無いと思いますがね」

「・・・そうだね。私は今回の件で確信したよ。森永愛子という名をもってしまったあの子が、力を完成させつつあると。私の読んだ未来はみるくが訪れ、あなた方に破れて戻ってくるというもの。でも、結末は最後の最後で大きく変わった」

 窓の外、空気は冷たいが日差しは暖かい。

「顛末は聞いているよ。未来がずれたのは、あの子が介入してからだそうだね」

「それを彼女の能力によるものと考えるわけですね?」

「君は、違う意見かい?」

 問いに問い返されたナインは視線を外し、いつものように外を眺める。

「確かに彼女によって状況は動きました。ですが、彼女はその人格、その言葉だけでも人を動かせる女性です。能力が使用されたと即断するのは危険ではありませんか?」

「そうだね。それもまた、一つの正解だよ」

 静かな声に僅かな照れくささが混じる。その表情を横目で伺いナインは言葉を続けた。

「・・・彼女がそういう女性であるのは、あなたから受け継いだ資質でしょう。ことあるごとに引用されるのがあなたの言葉である以上は」

 ナインは思い出す。数々の言葉、数々の笑顔。

「あの子は、あなた達に優しいかな?」

「ええ。あなた方の計画通りに」

 言葉。それと共にナインはポケットから引き抜いたものを机の上に置いた。

 小さな地球儀。ゆっくりと回転したそれは止まる様子無く、ふたりを見守る。

「・・・それは?」

「隔絶結界。内側の全ては外側にもれません。妹の作品ですよ」

 戸惑い。それはナインと真宵、どちらに多い感情だっただろう?

(俺は、何故苛立っている?)

(私は、何を怯えている?)

 感情は、制御できるはずなのに。

 それが共通の思い。

「彼女は昨日、豊かな感情を見せてくれましたよ。いままでの表層的な擬似感情ではない怒りと悲しみを」

「・・・・・・」

 真宵は、答えない。

「俺は人格というものを誰よりも知っています。俺自身が、仮面としての表層人格そのものですからね。彼女の人格も、表層に被せたものと俺は思っていました。あなたの定めた法則に従い能力をふるう安全装置だと。何故なら・・・」

 真宵は、答えない。

「あれは、人間の人格としてはあまりにも、欠落が大きすぎるからです。怒ることも悲しむことも無い人間など存在し得ない・・・それらの感情こそが人間の、証明たるが故に」

 真宵は、答えない。

「・・・あるいは昨日の一件はその仮面が外れて本来の彼女が現れたと見ることも出来るでしょう。可能性の話としてはね」

 真宵は。

 小さく笑った。何かをあざ笑うように。

 その視線は、外側に向けられたものではなくむしろ・・・

「成程。そのように話しを持っていくということは・・・あなたはその意見を正解と決めかねているということだね?」

「ええ。もっとも、正解に近いとは思いますよ。あなたがここに来なければそれを信じていたでしょう」

 表情の欠片も無くナインは口のみを動かす。

「あの時の喋り方が、あなたのものに酷似してさえいなければ」

「まあ、親娘だからね。似ていることもあるだろう?」

「親娘、ですか」

 ナインは真宵の瞳を正面から見つめた。きつく口を結び、自らの内側に鏡を思い描く。

「俺は鏡。あなたを映す鏡です。その俺に、もう一度言えますか?その言葉を」

 変化は一瞬。金髪の少年の姿がぼやけた後には、全く同じ顔をした女性が二人、そこに残されていた。

「・・・俺の眼を見て、尚それを言えますか?」

 ゆっくりとまぶたを上げるナインに真宵は眼を伏せる。

「・・・言えるなら、こんなことにはなっていないよ・・・でも、嘘はついていない。あなたになら、それはわかってもらえると思う」

「ええ。ですが、それが全てでないこともわかっています」

 ナインは首を振り、再度姿を変えた。銀の髪を持つ、青年の姿に。

「俺はもう、近しい者を作るつもりはない。鏡であることに徹しようと、もう50を越える年月の昔に決めている。だが・・・」

 鋭い視線。それは銀の瞳でもって、真宵を突き通す。

「こうであれと強制する者は、許さない。他者の存在を身勝手な恣意で決める者を、俺も妹も、けして許さない。それだけは・・・絶対に許さない。あなたがそうでないことを、祈る」

「・・・・・・」

 真宵はまぶしそうに目を細めた。

「好きなんだね。あの子が」

「俺は・・・もう、人を好きにはならない。俺が望むのは、彼女達が自分らしく生きて・・・自分らしく死んでいくことだけだ」

 沈黙。

 そして。

「ふふふ、いい子だね。あなたは」

「・・・150歳以上年下に言われるのも、複雑な気分ですがね」

 どちらからとも無く笑みを漏らして二人は肩をすくめた。ナインの姿がいつものものに戻る。

「何故彼女を家から出したんです?あなたとしては手元に置いておきたいでしょうに・・・」

「全ては、口に出せない。私が弱いのが原因だとだけ告白しておくよ・・・」

 真宵は自嘲の笑みとともに、呟いた。

「そう。あの子には、なんの罪も無いんだ」

 ナインは口を開かず、ただ微笑む。

「彼女の為にここへ来たのでしょう?・・・会ってはいかれないのですか?」

「会えないさ。私はまだこの問いへの解を得ていないんだ。解きかけの方程式だけ持ってあの子に会うのは失礼な気がしてね」

 その気持ちは、わかる。だからこそ、ナインはここで待っていたのだから。

彼にとって、大事なものになっているのかもしれない少女の為に。

「それこそ、傲慢というものでしょう?」

 苦笑を一つ。自分らしくないおせっかいに。

「そう、あなた風に言うならば連立方程式の片方を眺めていたところで正解は出ない。と言ったところですかね?愛子さんは・・・会えたというだけで、きっと喜びますよ」

「・・・いいね、それ。貰っておこう」

 同じような苦笑をもらして真宵は立ち上がった。

「さて・・・その台詞、あの子にも教えてあげにいってこようかな」

「この時間ならアルバイトですよ。場所は・・・」

「大丈夫。私の計算は、そのくらいは外さない程度になら正確だよ」

 言い残して去り行く背中にナインはもう一度微笑み、そして机の上の地球儀をしまう。

「・・・本当に、らしくないな。ナインハルト・シュピーゲル。鏡のすることじゃないだろうにね」

 途端に蘇るのはざわめき。学生達の生活がそこにある手触り。

「でも・・・こういう自分もわるくない。自分を持つのもわるくない。そう思わないかな?」

 ナインはそれに耳を傾けながら再び本を開いた。

「なあ、アイン・ダートシュルツ君」

 

                                  -To Be Continued -