99/10/20   02:13   緑林公園 

 男は人生最後の光景となるであろうその風景を少し涙ぐんだ眼球で見回した。
 もう日付が変わって二時間は経つその公園には人の姿はない。ただ深く音のない闇の中に木々がのっそりとした姿を見せるのみだ。
「ぅっ・・・ぅっ・・・」
 男はすすり泣きながら脚立に登り持参したロープを頑丈そうな枝に結び、もう一方の端をわっかにしてぶら下げた。
 しばらくの間脚立の上で震えていた男は震える手でその輪を掴みその中に恐る恐る首を通す。
 ガタン・・・
 その時、震える足が音を立てて脚立を踏み外した。
「・・・!・・・!」
 そのために来たとは言え、思わぬ早さで訪れた濃密な『死』の気配に男は空気を得られない喉を震わせて無音の絶叫をあげた。
 大きく見開かれた瞳から涙が止めどなく落ちる。
(痛い・・・!苦しい・・・!嫌だ・・・死にたくないっ!)
 虚空を・・・そこにある闇を瞳に映し男は文字通り必死に祈った。
(誰か・・・誰でもいい・・・ロープを・・・ロープを切ってくれッ!)

 ブツン・・・

 音がした。
 支えを失って落下した男は強く打ち付けた腰をさするのも忘れて宙を仰ぐ。
 切れた・・・
 自分の首と、折れそうもない太い枝。それを繋いでいたロープが鮮やかな断面を見せている。
「な、なんだ・・・?」
 ひゅーひゅーと鳴る喉から掠れた声が漏れる。
 ロープの断面の近くにそれは有った。
 刃。
 男の脳裏にそんな言葉がよぎる。実際に浮かんでいるそれは暗い空に紛れてはっきりとした形はわからない。だが男には、それが刃だということが何故かわかった。
 見つめる先で、刃はあたりに溶け込むように消える。

 後には、尻餅をつき喉をさする男だけが残された。


99/10/19 09:14 アーデボナリービル3F 『キッチュ』会議室

「お呼びでしょうか編集長?」
 桜井あやかは指定された会議スペースに入り既に座っていた男に声をかける。
「ああ桜井君。座ってくれ」
 愛想のいい中年といった印象の編集長は頷いて自分の正面の椅子を手で示す。だだっ広い部屋を簡素なついたてで仕切っただけのいい加減な会議室であり、その名に反して打ち合わせや雑談にしか使われないこの部屋だが椅子だけはいい物を使っている。なんでも先代の編集長の趣味らしい。
「何か飲むかい?」
「いえ、今は特に」
(『困惑』に・・・『躊躇』?珍しいわね)
 編集長の感情を共感したあやかは内心で首を捻る。
「編集長・・・ひょっとしてまた何か事件ですか?」
「うん・・・まあ、そうなんだけど」
 少し口ごもった編集長は意を決して話を始めた。
「君が休暇を取っている間に・・・君のコーナー宛の葉書が大量に届いてね」
「オカルト情報局にですか?」
 ブームも去った今では人気コ−ナーとも言えなくなってきている自分の担当スペースなだけに、あやかは少し戸惑った声をあげた。
「しかもその大半がある一つの街からなんだよ・・・琴崎市っていう東京郊外にある街なんだけど。知ってるかい?」
「いえ・・・記憶にありませんね」
 編集長は軽く頷いた。
「気になったんで僕も読まして貰ったんだが・・・おかしいんだよ」
「おかしいって・・・そりゃあ怪奇現象ですから」
 即答された編集長は苦笑して手をぱたぱたと振る。
「いや、そういうことじゃなくてね。そうだな・・・例えば、変な落ち方をした隕石があったとする。それを目撃した人たちがこぞって投稿をする。これっておかしくないよね?」 頷いたあやかを見ながら編集長は困惑の表情を浮かべたまま話を続ける。
「ところが今回の大量投稿は内容がバラバラだ。もちろん同じ現象を目撃したらしい葉書もあるけどそれにしたって二、三十種類はある」
 あやかは編集長が『困惑』している理由を理解して大きく頷いた。
「確かに変ですね・・・でも、同じ人間が偽名を使っているってことも・・・」
「いや、それも無いみたいだ。全部調べたわけじゃないが筆跡はそれぞれ違ったし・・・こう言っちゃ何だがあのコーナーにそこまでの熱意を傾ける奴も居ないだろう」
 ちょっとむくれた表情のあやかに編集長は軽く苦笑した。
「ともかく、その街で何かが起きている。それは間違いないようなんだ」
「で・・・私に取材に行けと」
 頷きながら放たれたあやかの言葉に編集長は再び困惑の顔に戻る。
「そう。僕の立場としてはそう言わざるを得ない。この『キッチュ』を預かる身としても、君の・・・力を知る者としても」
 口を閉じた2人を他のスペースで歓談する喧噪が包む。
 あやかにとって恩人とも言えるこの編集長は、2人の出会いに関わる事件において彼女の『能力』の存在を知っていた。だからこそ、『能力』が関わるかもしれないこの取材にあやかを使うか否を迷っているのである。
「・・・心配いりませんよ編集長。私の力はこういうときの為にあるって思ってますから」
 あやかはそう言ってぽんと自分の胸を叩いた。彼女の能力が編集長の『信頼』と『不安』を感じ取る。
「そうだね・・・でも約束してくれ。無茶はしない、危険な能力者が居るとわかったらすぐ逃げる、そして・・・無暗に能力を使わない。いいね?」
 深い『慈愛』・・・親が抱くようなそれを感じてあやかは顔をほころばせた。
「大丈夫ですって。編集長は心配性ですね」
「・・・君に何かあったらご両親に申し訳が立たないからね」
 溜息と共に呟いてから編集長は改めて背筋を伸ばした。
「では桜井あやか君。君に琴崎市における取材を担当して貰う。コーナーそのものは高峯あたりに引き継がせるから君は取材に専念してくれ。どんなに時間がかかっても構わないから、安全に頼むよ」
「はい!頑張ります!」
 

99/10/20 03:06  賃貸アパート 『三笠荘』

 藤原秀夫は震える手でアパートの鍵を開けた。
「・・・・・・」
 無言で部屋に入り電気をつけるために天井からぶら下がった蛍光灯のコードを引こうと手を伸ばす。
 ぱちん。
 蛍光灯に明かりが灯り、それを眺めて藤原は硬直する。
 その手は、コードの10センチほど前で止まったままだ。
「お、俺・・・どうしちゃったんだ?」
 呆然と呟きながらベッドにへたりこむ。
 本当ならば、藤原はもう死んでいるはずだった。
 就職したばかりのスーパーが潰れ泥棒にタンス貯金を根こそぎ持って行かれた。家出同然に東京へ飛び出してきたため両親には頼れず友人も少ない。とどめに付き合っていた彼女にも振られた。
 打つ手無し。八方ふさがり。
 そんな彼が選んだのは自殺だった。連発で訪れた不幸の直前に見た映画に、首を吊って死ぬシーンがあったのがきっかけかもしれない。
 だが、藤原はまだ生きていた。
 ロープが切れたのは何かの偶然かもしれない。だが、今のは?
「まさか!」
 藤原は勢い良く立ち上がった。
「俺、超能力者になったとか!」
 興奮気味に呟きながらベッドの脇に落ちていたティッシュの箱を拾って妙なポーズを取って念を凝らす。
「浮かべ!」
 藤原は一声叫びティッシュの箱を勢いよく投げあげた。
 ごん。
「痛ッ!」
 落ちてきた箱の角で頭を痛打して藤原はうずくまった。
「いてててて・・・なんでだ?さっきは出来たのに・・・」
 重すぎたのかと思い今度はペンで試してみる。さすがに刺さりはしなかったが結果は同じ。
「・・・やっぱ駄目か。そうだよな・・・俺なんかにそんな力あるわけないよな」
 肩を落として呟き藤原は蛍光灯の紐を引っ張り電気を消す。
(これからどうしよう・・・もう首吊るのはやだな・・・痛いし)
 ぼんやりしながらベットに向かう足が、さっき放り投げたペンを踏みつけた。
「う、うわっ!」
 フローリングの床にペンという取り合わせはよく滑る。藤原はたちまちバランスを崩し仰向けに勢いよく倒れ・・・
「あ・・・あれ・・・?」
 床に頭を打ち付ける寸前でその落下は止まった。
「浮いてる・・・浮いてるよおい!」
 呆然とうめく体がふいっと浮かび藤原は再び床に足をつける。
 何が何だか理解できずにただ左右へ振られた視線。それが何かを捉えるまで長い時間はかからなかった。
「・・・なんだ?これ」
 呟く藤原の前に、確かに何かがある。黒い何か・・・それはあたかも、
「闇?」
 闇が、形をなしたかのようだった。
「・・・ロープが切れたときも、何か浮いてたよな」
 言った途端、目の前の何かは刃に形を変える。
 しばしぽかんとそれを眺めていた藤原の顔が徐々に歪んでいく。
「は・・・はは・・・ははは」
 引きつった顔で、藤原はいつまでも笑い続けた。


99/10/20 16:35  喫茶店「オーディナリー・ポップ」

「・・・・・・」
 黒翼は無表情にコーヒーをすすった。
 狩っても狩ってもこの街には能力者が現れる。しかもその大半が放置できないような危険な能力だ。
「不自然だよな」
 呟きながらサンドイッチを掴み無造作に囓る。
 コーヒーはまあまあ、紅茶は最悪の味だが食べ物はそうじてうまいのが自慢の店だ。このサンドイッチも味、ボリュームともに申し分ない。値段もお得だ。
「まあ、気にしてもしょうがない・・・」
 言いながら二つ目に伸ばされた手が止まった。
「あいつら・・・」
 すっと細められた目が、カラカラとベルを鳴らしてドアを開けた男女に向けられる。
 背の高いブレザーの男と少し小柄な女の組み合わせ。
 黒翼の感覚が間違っていなければ、その2人は両方とも能力者だった。


99/10/20 15:45  三咲学園前遊歩道 

 あやかは顎に指を当てて学生の流れを眺めていた。
(うーん、どの子にしようかな)
 心の中で呟き感覚を広げる。
 自分に興味を持ってくれてなおかつ明朗な性格の生徒が良い。あやかの能力はそう言った用途に向いていた。
「ねぇねぇお姉さん、誰か待ってんの?呼んできてやろうか?」
 不意に話しかけてきた少年を見てあやかは内心でびっくりした。
(かっこいいじゃない!でも・・・極端に『楽し』んでるわね。それに『親切』で話しかけてきたのも確かだけどそれ以上に『下心』?うーん、顔は広そうな気はするんだけど。予定通りだといえば予定通りだけどこのハイテンションは・・・)
「おーい、お姉さーん。聞いてる?」
 目の前でぱたぱたと手を振られてあやかは我に返った。
「あ、あははは・・・も、もちろん聞いてるわよ?」
「そう?なんかイっちゃってたよ?」
 からかうような少年の言葉に少し赤くなる。
「うーん、可愛いなあ。どう?どこかでゆっくり話さない?もちろん用事が終わってからでいいよ」
「可愛い・・・私これでも24・・・」
 子供っぽく見えるのを気にしているあやかは憮然として呟く。
「ま、いいからいいから。そうだ、この近くに喫茶店あるんだよ。そこ行こ。そこ」
「うーん、まぁいいか。実は私、雑誌の編集者なのよ。『キッチュ』っていう雑誌知ってる?」
 言われて少年はポンと手を打つ。
「あ、俺よく読むよあれ。オカルトコーナーがインチキ臭くて良いんだこれが・・・」
「・・・あれ、私の担当。悪かったわねインチキ臭くて」
 ジト目で睨むあやかに少年は笑って肩をすくめて見せた。
「誉め言葉だよ一応。そっかー・・・あれの担当さんはこんなに美人だったのか」
 一人うんうんと頷く少年にあやかは少したじろいだ。
(軽い・・・なんてノリの軽さ・・・しかも驚くくらい『喜ん』でるわね)
「えっと・・・それでね。この街で色々不思議な事件が起きてるって言うじゃない。そのことを色々聞きたいんだけど・・・君、そういう話に詳しい方?」
「よくぞ聞いてくれました!自慢じゃないけど友達多いよ俺は!んでもって聞き上手だからもう情報の宝庫!何でも聞いてよ」
 あやかは少年のハイテンションぶりに押されながら彼の感情を感じ取る。
(『嬉しい』?私の役に立つことが?それともナンパ成功が?まぁ悪い子じゃなさそうね)
「オッケ。じゃあ君から話を聞かせて貰おうかな」
「そうこなくっちゃね。じゃあついてきてよ」
 言うが早いか歩き出した少年をあやかは慌てて呼び止める。
「ちょっと待った。その前に自己紹介。私は桜井あやか・・・君は?」
「俺か?俺の名は姫山三郎。よろしくな!綺麗なお姉さん!」


99/10/20 16:40  喫茶店「オーディナリーポップ」

「着いた!ここだよここ」
 言いながらドアを押し開ける姫山のハイテンションに苦笑しながらあやかは店内に入った。ドアに着いたベルがカラカラ鳴るのがちょっと可愛い。
「さ、座って座って」
 促されて窓際の席に座り店内を見回す。大して広くもない店内にテーブルが三つ。カウンターに椅子が4つ。小綺麗な内装はすっきりとした印象でまとめられていてあやか好みだ。
「・・・ちょっと気に入ったかな。ここ」
「でしょ?食べ物もおいしいよ。特にスパゲッティとサンドイッチがおすすめ」
 へぇと頷いてからあやかは首を傾げた。
「そのわりに空いてるね」
「そうなんだよな。うちのがっこに近すぎるからかな。この辺って他に何もないし」
 言いながら2人は店内を何となく眺める。店内の客はあやか達の他にはカウンターでサンドイッチを囓ってる男しか居ない。
「あやかさん何か食べる?俺はコーヒーだけ頼むけど」
「あら、姫山君もコーヒー派?私もよ」
 何気ないあやかの言葉に姫山はちょっと顔をしかめて首を振る。
「いや・・・俺は紅茶党。でもここの紅茶は・・・無茶苦茶まずいんだよね。どっちにしろ俺は自分で入れた紅茶じゃないと満足できないけど。ねえマスター!何でここの紅茶はあんなにまずいの?」
 最後の部分はカウンターの中でコーヒーカップを拭いていた店主らしき男に向けられる。
「さあ。僕は自動的じゃないからね」
「あ、やっぱりこの店の名前ってそういう意味なんだ」
 肩をすくめるマスターを見ながらあやかは一人呟いた。
「ま、いいや。マスター!ブレンド2つ!」
 姫山は注文を済ませてからあやかに向き直る。
「で?何が聞きたいんだっけ?」
「えっと、この街で頻発してるって言う不思議な事件なんだけど・・・姫山君は怪奇現象とかって信じるほう?」
 メモを取りだして尋ねると姫山はうーんと首を捻る。
「そうだな・・・この街にいると、信じないって方が無理に思えてくるんだよね。ちょっと注意して噂話を聞いていけば尾鰭を取っ払った大元ってのが確かに存在するのがわかるもんなんだよね・・・大概はどこかの誰かが考えた適当な作り話なんだけど・・・この街の噂は最後の最後で明確な場所と時間に突き当たる話が多いんだ。特に最近はその傾向が
はっきりしてるよ」
 雰囲気に似合わぬ正確な分析にあやかは内心で驚愕した。この少年、どうやらただのナンパ屋ではないようだ。
「例えば・・・どんな事件があるの?」
「うちの学校ネタで言うと時計台事件かな。噂としてはよくある話でね・・・私立三咲高校の時計台には女の幽霊が出るらしい!って感じ?」
 姫山はウェイトレスが運んできたコーヒーを受け取って砂糖をがばっと放り込む。
「うわ・・・甘そう」
「この位がちょうどいいんだって・・・で、時計台なんだけどさ。実際見たって奴が多いんだ。それもセンセから生徒、はては噂を聞きつけてやってきた野次馬まで。そして、ある日を境にぷっつりと目撃談が無くなる」
 あやかはメモを置いてコーヒーを飲んだ。はっきり言ってあまりおいしくはない。
「それって変ね。噂ってそんなぷっつり無くなるモノじゃないわよね?」
「ビンゴ!それなんだよ。実は俺もその時計台は見に行ったんだけどさ・・・確かに以前は感じた『ヤバさ』を今は全く感じねえんだ」
 勢い込む姫山にあやかは少し首を傾げてみせる。
「・・・『ヤバさ』?」
「あ、うーんと・・・信じて貰えるかわかんないけどさ、俺ってそう言うのがわかるんだよ」
 姫山はそう言って鼻の頭を掻く。
「霊感?」
「いや、なんつーか・・・ここにこれ以上居ると何かおこるっつー感じ。別にお化けとかそういうのだけじゃなくて。何となくだけど今まで外れたことはないんだぜ?」
 あやかは頷きながら『感覚』を広げてみた。
(信じて貰えるかの『不安』と、どんな反応を示すかの『興味』?)
「そっか。やっぱりこの街には何か起きてるんだ」
「・・・俺の勘については無反応?」
 問われてあやかは苦笑した。
「職業柄そういうモノがあるってのはわかってるから。それって貴重な才能だから大事にした方がいいわよ?」
「へぇ・・・やっぱ専門家は違うなぁ。尊敬しちゃうよマジで。で、尊敬ついでにこのまま夕食なんか一緒にどう?」
 いいながらぐいぐい身を乗り出す姫山の額を指で押し返してあやかは苦笑を深くした。
「調子に乗らない!何かおもしろい噂があったらお昼ご飯くらいはおごってあげるけどね」「うーむ。ローマは一日にして何とやらか・・・」
 姫山は腕組みしてうんうんと頷く。
「はい、名刺。何かあったら携帯に電話してね。ただし用もないのにかけないよーに」
 あやかはコーヒーを飲み干して立ち上がった。姫山もそれを見てよっと立ち上がる。
「じゃ、今日はこれで。あやかさんこの街にはどれくらい居るの?」
「うーん、わかんないな。しばらくは居ると思うけどね。長い取材になるようだったらどこかにアパートとか借りるかも」
 伝票を掴んでレジに向かうあやかの後ろを無暗に楽しそうな姫山が続く。
「じゃあ寂しくなったら呼んでよ。いつでも駆けつけるからさ」
「・・・他の女の子と遊んでなければ、でしょ?」
 苦笑しながらの台詞に姫山はあいたーっと頭を掻く。
「いやだなあ、ボクの瞳にはあなたしか映ってないよマドモアゼルアヤカ」
「はいはい」
 会計を済ませたあやかは苦笑をいっそう深くして店を出た。姫山も笑いながら後に続き店内にはマスターとウェイトレス、そして男だけが残る。
「・・・貴重な才能、ね」
 男は・・・黒翼は呟いて冷笑した。
 確かに貴重とは言えるかもしれない。だが、その才能を何に使っているのか・・・
 それを考えて黒翼はまた笑った。
「経験者ぶった口をきいていたがな・・・あんたよりはガキの方がまだしも能力者としてのレベルは上だぜ?」
 一人呟いて最後に残ったサンドイッチを口の中に放り込みぬるくなったコーヒーで飲み下す。
「時計台事件か・・・」
 一瞬よぎった追憶を振り払い黒翼は傍らに掛けてあったコートを掴む。
 さっきの2人組は違ったようだが、彼の端末が発した警報の原因はまだわかっていない。 『黒翼』としての仕事がある限り、のんびり思い出に浸る時間などあるわけがなかった。


99/10/20 19:17   琴崎駅前、白鷺通り

 藤原は上機嫌で歩いていた。
(俺は超能力者だ!俺は選ばれたんだ!俺は特別なんだ!)
 脳裏を言葉がぐるぐる回り顔がにやける。
 昨日まで彼を支配していた世界に対する敗北感や喪失感は完全に失われていた。
 何しろ、自分には『力』があるのだ。あれからさんざん練習したので使い方は大体わかっている。自分の『能力』は、どうやら『闇』を操るというものらしい。形はほぼ思った通りに変えられるが『闇』そのものがないと発現はしない。あまりにも小さな闇も操りにくいようだ。
「くっ・・・くくっ・・・」
 笑みが声に出て藤原は表情を少し引き締めた。超能力者たるものそんな軽薄な顔をしていてはならない。何しろ自分は特別なのだ。
「ん・・・?」
 何か聞こえたような気がして藤原は立ち止まった。
 この街は決して治安が悪いわけではないが、争いごと一つ無い平和な街というわけでもない。喧嘩やそれに類するトラブルはいつだって起きうる。
「行ってみるか」
 呟いて藤原は争うような声が聞こえた方へ足を向けた。
 なにしろ自分は特別なのだ。もめ事ならば解決してやる義務がある。

「・・・だから、もう来るなッて言ってんのよ!」
「うるせえなぁ。おまえには関係ねえって言ってんだろ?」
 凄い剣幕でまくし立てる少女に面倒くさそうに大柄な男が答える。
「こっちにとっちゃ大アリよ!あんたらがたむろってるからうちの店大損害じゃない!少しでも悪いと思ってるなら二度とくるなこのOOOO!OO!OOOOOO!」
 どちらかといえば可愛らしい口から次々に飛び出す下品な罵声にそこら中にだらしなく座り込んでいたガラの悪い男達はだいぶたじろいだ。
「おまえ・・・女なんだからもうちょっとだな」
「ほっといてよOOO男!ともかく、うちには二度と顔を出すな!それとお姉ちゃんがあんたになびく可能性は皆無なんで今すぐあきらめた方がいいわよ」
 言われた男は苦い顔で立ち上がった。
「だからうるせえってんだよ!おまえには関係ねえんだから引っ込んでろ!いくらあの人の妹だからってボコるぞ!?」
「はん!やってみなさいよOOOOO男!あんたみたいなOOOにそんな度胸あるわけ無いじゃない!群れなくちゃ何もできないOOO野郎が!」
 少女の威勢のいい・・・で済ますにはだいぶ下品な啖呵に男達は一斉に立ち上がった。
「しょうがねえ・・・おめえら!少し遊んでやれ!」
 声に答えて男達は一歩踏み出す。
 藤原がそこへやってきたのはその瞬間だった。
「待て貴様ら!」
 思わぬ乱入者に男達も少女もきょとんとした目で藤原を見つめる。
「女の子一人に十人以上で襲いかかろうなんて恥を知れ!この俺が成敗してくれる!」
 ポーズまで決めて叫ぶ藤原に冷ややかな視線が何本も注がれる。
「あー、わかったわかった。いいから帰れ。な?悪い事言わないからさっさと病院にだな」 気の毒そうに言ってきた男に藤原は自信に満ちた笑みを向けた。
「ふっ・・・相手の実力がわからないのは二流ってもんだぜ」
 言いながらゆっくりと男達に近づく。表通りから少し離れたこの路地にはそこかしこに闇がある。その全てが、彼の武器なのだ。
「いいから帰れ!」
 少し脅してやろうと思い男の一人が近づいてきた藤原の襟を掴んで締め上げた。
 次の瞬間。
 どすっ。
 鈍い音がした。
「あ・・・う・・・」
 藤原を掴んでいた男は鳩尾を強打されてずるずると崩れ落ちる。
 男を殴った闇の塊を空気に紛れさせて藤原は含み笑いをもらした。
「よくも高橋を・・・!てめえどうなるかわかってんだろうな!?俺達バーボンヘッズを敵に回すんだぞ!?」   
「何度聞いても・・・頭悪そうな名前」
 叫ぶリーダーらしき男をよそに少女はジト目で呟く。
「ふっ・・・どうなるかだと?決まってるじゃないか」
 藤原はニヤリと笑ってそっくり返った。
「お前ら全員・・・病院送りだ!正義の制裁、受けてみるがいい!」
 自信ありげな叫びに男達が一斉に飛びかかる。
「・・・頭、わいてんの?」
 少女の呟きを藤原は聞いていなかった。それが一つの喜劇であり、悲劇だった。

「ふう・・・少し疲れたな」
 藤原はわざとらしくそう言って少女に向き直った。
「君、怪我はないか?」
「あたしは怪我してないけどさ・・・」
 少女は言いながら辺りを見回す。
「こいつらは・・・だいぶ怪我してると思うよ」
 狭い路地に男達は転がっていた。一人の例外もなく昏倒している。
「大丈夫。手加減はした」
 口ではそう言ったが実はあまり手加減などしていなかった。最初はそのつもりだったのだが、何故か途中からその気が失せてきたのだ。闇を刃物状にしなかったのはせめてもの自制だった。
「それにしても・・・なんか手を触れてないのに吹っ飛んでたように見えたけど」
 少女のうろんげな言葉に藤原は少しドキッとした。
「き、気のせいじゃないかな?では失礼!」
 それだけ言い残して駆け出すと少女は慌てて声をあげた。
「あ、ちょっと待ちなさいよ!」
「礼なら不要だ!」
 ヒーロー口調でそう叫んで藤原は一目散に走り去る。
「礼が言いたいんじゃない!言いたいのは文句よ馬鹿ッ!」
 少女の叫ぶ台詞は、遠ざかる藤原に届かずに闇へ消えた。


99/10/20 20:15   琴崎駅前繁華街

「くっくっく・・・」
 忍び笑いを浮かべながら藤原は駅前を歩いていた。
 こみ上げる優越感が心地良い。こいつもこいつもこいつもこいつもみんな平凡な人間だ。だが自分は違う!力がある・・・特別な力が!あいつよりもあいつよりもあいつよりも俺は優れている!
 どん・・・!
 肩がすれ違った男にぶつかった。
「痛てえなおい!」
 言いながら去っていく男の足下、彼自身の影に藤原は無意識に集中していた。
 ぅおん。
 微かな音と共に闇が凝り固まり男の足を薙ぎ払う。
「うわっ!?」
 無様にひっくり返った男に背を向けて藤原は歩き出した。
 気分がいい。
 俺は何でも出来る!俺には誰も逆らえない!そうだ・・・働くところがないのも振られたのも金がないのも全て関係ない!俺は特別だ!金なんかその辺から取ってくればいい!俺の力ならそれも簡単だ・・・!
「あっ・・・そこの君!?」
 心の中で叫びながら歩いていた藤原の手を誰かが不意に掴んだ。
「なんだ?」
 不機嫌な顔で藤原は自分を呼び止めた女を見つめた。まったく、特別である自分の邪魔をするなんて思い上がった女だ。
「あなた・・・今『能力』を使ってたわよね?」
 背の低いその女の言葉に藤原はびくっとした。
 なんだ!?こいつ、俺が力を持ってることに気がついたのか?いや、そんなはずがない。凡人にわかるはずがないんだ。何しろ俺は特別なんだから!
「な、何を言ってるんです?『能力』ってなんですか?」
 白々しく言ってみるが女は緊張した顔のまま、彼の手を離そうとしない。
「さっき・・・どういうモノかはよくわからなかったけど確かにあなたは男の人を転ばした。私にはあなたの『苛立ち』が『わかった』の」
 藤原は戦慄した。こいつは・・・この子どもみたいな顔の女は危険だ!俺の能力のことを知っている!
「は、離せ・・・」
 藤原の言葉に女はきっぱりと首を振る。
「駄目!今のあなたは危険よ!『悲しみ』と『苦悶』・・・それに『苛立ち』・・・そんな状態で『能力』を使っちゃ駄目よ!」
 女の鋭い声に藤原の中で何かがうぞりと蠢いた。
(この女邪魔だ・・・消しちまうか)
 それが殺意だと気付くまでしばらくかかった。
 大した時間ではない。だが・・・殺意に後押しされた無意識が『刃』を振るうには十分な時間だった。
「っ・・・!」
 女は何故わかったのか刃が薙ぎ払う一瞬前に手を離し飛び退いていたので無傷だったが、なびいた黒髪のはじっこが少し切れて宙に舞う。
「ちっ・・・仕留めそこなったか・・・」
 藤原は呟いて踵を返し走り出した。
 この女は危険だが俺が手を下す必要があるほどではない。
 その考えが、全能感と不安感がせめぎ合った結果だということを、藤原は気付いていなかった。
 そして、最後まで気がつかなかった。


99/10/20 21:45   緑林公園

「はぁ・・・!はぁ・・・!はぁ・・・!」
 あやかは弾む息を整えながら辺りを見回した。
 街で偶然見つけた能力者を追って来たのはいいが、なにやらだだっ広い公園の中で男を見失ってしまった。
「どこ・・・?」
 呟いて視線を右へ左へと走らせる。
 残念なことに彼女の能力はすぐ近くにいる人の感情を感じることしかできない。こういうことに使えないのは不便だが、それでも自分は能力者なのだ。誤った道を進もうとしている能力者を放って置くわけには行かない。
『・・・あんた何者だよ』
 立ち並ぶ樹の間から聞こえた声にあやかはバッと向き直った。
「私は桜井あやか・・・あなたと同じ『能力者』よ!あなたは?あなたの名前は!?」
『・・・俺は、藤原秀夫。あんたも・・・あんたも闇を使えるのか?』
 距離がいまいちつかめないその声は、少し震えているように聞こえた。
「私の能力は他の人の感情を一緒に感じるというモノよ!」
 どの辺にいるのかわからないので取り敢えず叫び返す。
『なんだ。そんなもんか』
 声は、明らかにホッとした感じを含んでいた。
「やっぱり俺は特別だ・・・俺だけがこんな凄い力を使えるんだ!」
 あやかはびくっとして硬直した。声は・・・藤原と名乗る男の声は、すぐ後ろから聞こえたのだ。
「い、居なかったのに・・・さっきまで、確かに居なかったのに・・・」
 恐る恐る振り返るあやかに藤原はニヤニヤと笑ってみせる。
「闇をマントみたいにして体に巻き付けたんだ。俺の能力はこんな使い方もできる・・・凄げえぜ・・・へへ・・・俺って凄げえ・・・」
(『優越』に『歓喜』・・・それに、『殺意』!?)
 あやかは歯を食いしばり大きく前へ・・・藤原の居ない方に跳んだ。一瞬前まで自分がいた空間を何かが薙ぎ払う気配がする。
「俺は特別なんだ・・・だから、俺以外をどうしたっていいんだ・・・!」
 歯をむき出して笑う藤原をあやかは尻餅を着いて見つめた。

『危険な能力者が居たらすぐに逃げる。いいね?』

 脳裏に編集長の言葉がよぎる。
 そうすればよかった・・・せめてもうちょっと観察してから接触すればよかった・・・
 自分の短慮に唇を噛みながらあやかはじりじりと後ずさる。
「どこに行こうッてんだ?」
 藤原は呟いてパチンと指を鳴らした。
「きゃっ!?」
 あやかは手足をがっちりと押さえられて悲鳴を上げた。それにもかかわらず、自分を押さえつけているのが何なのかあやかにはわからない。
「どうだい?俺の闇は・・・」
 だらしなく笑いながら藤原はあやかに近づく。
「闇・・・」
 呟いて手足をよく見れば、確かに黒い物が自分の手足にまとわりついている。
「へぇ?可愛いな。俺の女になるって言うなら助けてやってもいいぜ?」
 藤原の脳裏に少し前まで付き合っていた大学生の姿が映る。無職になった途端自分を振ったあの娘より目の前の女はずっと美人だ。やはり自分は特別だと確信する。
 だが。
「・・・馬鹿が居る。しかも2人も」
 冷たい声が聞こえて藤原は慌てて辺りを見回した。
「だ、誰だ!?」
 叫んで振り回した視線がベンチに座り缶コーヒーをすする男の姿を捉えた。
 悠然と缶を傾ける男は黒く長いコートの下にどうやって着るのかよくわからない複雑なデザインの服を着込んでいた。こちらに向けられる視線が鋭く、怖い。
「あんたの仲間か?」
 藤原に問われてあやかは呆然と首を振る。
 彼女の記憶が間違っていなければ、あの男は喫茶店に居た客の筈。でも、何故ここに?
 いや、そんなことを言っている場合じゃない!
「そこのあなた!早く逃げて!この男は危険よ!」
 必死で呼びかけるあやかに男は冷笑を返し立ち上がった。飲み終わったらしい缶をゴミ箱に放り投げ2人に歩み寄る。
「この状況がわからないの!?あぶないのよ!お願いだから逃げて!」
「黙れ」
 男の短い声は驚くほどの悪意に満ちていた。
「な・・・」
「ヒステリーは迷惑だ。しばらくそこで黙っていろ」
 絶句したあやかに代わって今度は藤原が口を開く。
「止まれ!それ以上近づくと痛い目を見るぞ!?」
「やってみろよ」
 足を止めない男に藤原は激高した。
 この自分に!全能なるこの藤原に逆らう奴が居る!
「なら・・・死ねェェェェェェッッッッ!」
 甲高い絶叫と共に藤原は両手をつきだした。
 ぅおん!
 闇がきしみながら無数の刃になり男へと突き刺さる!
「あぁ・・・!」
(忠告を聞かないから・・・だからこんな事に・・・)
 目の前の惨劇を防げなかったという悔恨にあやかは目を伏せて呻いた。
 だが。
「な・・・な・・・!」
 聞こえたのは藤原の驚愕する声だった。
 不審に思い顔を上げたあやかの目に軽く手を上げている男の姿が映る。
「嘘・・・」
 思わず呟く。闇の刃は確かに男を襲った。だが、その全てが突き刺さるギリギリで止まっているのだ。
『消滅・殲滅・壊滅』
 頭に響く不思議な声で男が呟くと闇の刃は澄んだ音を立てて砕け散った。同時にあやかの手足を拘束していた闇も宙に融けるようにして消える。
 藤原の顔が驚きと恐怖でぐちゃぐちゃに歪んだ。
「あ、あなた・・・何者なの?」
 思わず漏れた声に男はニヤリと笑った。
「黒翼」
 短い返答の後、男・・・黒翼は2人の反応をじっくりと眺める。
「無反応。と、言うことは2人とも天然モノか。無駄足だった・・・」
 溜息らしきものをついた黒翼は気を取り直したように再び藤原に近づく。
「ひぃっ・・・!やめろぉっ!俺に近づくなぁっ!」
 藤原は叫びながらいくつもいくつも闇の刃を打ち出して後ずさった。
「そんなモノが通用するわけねえだろ?昨日今日目覚めたばかりだなおまえは?」
 黒翼は呟いて飛んでくる刃の群に指を二本立てていわゆる指鉄砲のようにした腕を向ける。その腕の周りに黒い何かがパチパチと弾けるのをあやかは確かに見た。
『崩壊の衝動、断罪の疾風・・・黒くはばたく狂乱のビート!』

 ォォォォォォォォォォォ・・・

 黒翼が頭に響く声で鋭く叫んだ瞬間、低く唸るような音を立てて空間が軋んだ。
 パリン・・・
 次の瞬間、澄んだ音を立てて闇の刃が砕け散り、その延長線上にいた藤原はビクンと身をよじらせて硬直する。
「・・・・・・」
 黒翼はゆっくりと藤原に近づく。
「あ・・・」
 あやかは呆然と呟いて立ち上がり黒翼の背を追った。
「ぅ・・・ぁ・・・」
 藤原は口をだらしなく開けたままぴくりとも動かない。
 とん・・・黒翼は再び指鉄砲をつくり藤原の額にそれを当てた。
「ちょ・・・どうするの?彼を・・・」
 あやかの声に答えず黒翼はニヤリと笑った。その黒いコートの周りをパチパチと何かが弾けて回る。
「なるほど・・・それが原因か」
 低く呟いてからすっと視線を鋭くする。
『藤原秀夫に命ずる。己が手で己が首をくくれ』
「えぇっ!?」
 黒翼の声にあやかは驚愕の声をあげた。
「ぁ・・・ぉ・・・」
 藤原は言葉にならない音を口から垂れ流して立ち上がり歩き出す。
「ど、どこへいくの藤原君!?」
 叫ぶあやかを後目に黒翼はどこに隠していたのか頑丈そうなロープを携えて藤原の後を追う。
 藤原は昨晩も訪れた大きな木の前で立ち止まり、そこに倒れていた脚立を起こしてゆっくりと登った。
(い、嫌だ・・・!俺はこんなコトしたくない!死にたくねえよぉっ!)
「・・・ぁ・・・ぃ」
 必死に叫んだつもりの声はくぐもった呻きになるだけで言葉にならない。
『己が手で己が首をくくれ・・・己が手で己が首をくくれ・・・』
 頭の中で同じ言葉が何度も飛び交う。そんなことをしたくないのはわかっているのだが体はその言葉を忠実に実行すべく黒翼が投げてよこしたロープを掴む。
「や、やめて藤原君!・・・あなた、彼に何したのよ!?」
 駆け寄ったあやかをうるさそうに一瞥して黒翼は彼女に『指鉄砲』を向けた。
「え・・・?」
『縛』
 呟いたあやかの体が一歩を踏み出した状態で固まる。明らかに不自然な姿勢だがそれを痛いとかつかれるとか思う神経も麻痺したのか何も感じない。
「やれやれ・・・本来『能力者』はこの手の精神制御系の『力』が効きにくいものなんだが・・・あっさり効果が出たな。やはり出来損ないか・・・」
 黒翼が呟くのが聞こえる。
「で、出来損ないってどういう意味!?」
 体は動かないが、不思議と口はよく動いた。
「そのまんまの意味だ」
 黒翼は呟いて脚立の上の藤原を見上げる。ちょうどわっかを作り終えてそこに首を通すところだ。
「や、やめて・・・一体何を・・・あなたの能力はいったい何なの!?」
 あやかの台詞に黒翼はニヤリと笑った。
「・・・『電波』だよ。聞いたことあるだろ?」
「か、火星か木星あたりから命令してくるっていうあれ!?」
 黒翼はちょっと嫌な顔をした。
「そういうのとは・・・違うとは言えねえけど・・・俺の『精神電波』は脳のシナプスが伝える電波パターンに偽の命令を流し込む『能力』だ。応用すれば色々使えるのはさっき見せた通りだがな」
 ちょっと言葉を区切り視線を藤原に戻す。
「こいつに使ったのは本来の洗脳効果だ。首を吊るように命じた」
「止めさせて!」
 叫ぶあやかに黒翼は冷たい視線をむけた。
「何故?」
「なぜって・・・だって人殺しよ!?」
 黒翼は肩をすくめる。
「自殺だよ。第一、こいつはおまえを殺そうとしたぜ?」
「この人も可哀想な人なのよ・・・たくさんの不幸がまとめて彼を襲って・・・それで精神のバランスを壊してしまっただけ!本当は悪い人じゃないのよ!私にはそれが『わかる』!」
 ついには絶叫となったあやかの言葉に背を向けて黒翼はぽつりと呟いた。
「藤原秀夫・・・命令を実行しろ」
「・・・ぉ・・・ぇ」
 藤原は嫌になるほどあっさりと脚立から飛び降りた。
 ぐっ・・・
 頑丈なロープが藤原の喉を締め付ける。
「やめて!やめてよぉ・・・!」
 あやかの瞳から無力さ故の涙がこぼれる。
「・・・さっき、『わかる』っていったな?」
 黒翼の呟きにあやかは歯を食いしばり睨む視線を向けた。
(人でなし!殺人者!悪魔!馬鹿!鬼!変質者!)
 思いつく限りの悪口を心の中で叫んでいたあやかは不意に『能力』が働くのを感じた。
(これ・・・『憤怒』に『憐憫』・・・それに『もどかしさ』?なんで・・・?)
「それがおまえの出来損ないたる所以だ。おまえの能力はおそらく『エンパシー』・・・共感能力という奴だろう。相手の感情を自分のものとして感じ取る力だ」
 言い当てられてあやかは身じろぎする。体の硬直は徐々に解けつつあった。
「その能力でこいつの苦境を『わかって』いながら、おまえは肝心なことに気付いていない。いや、『わかって』やれていない」
 淡々と言葉を紡ぐ黒翼の背後で樹からぶら下がった藤原が執拗に宙を睨め付ける。
 それに気付いた黒翼は肩をすくめて藤原に声をかけた。
「無駄だ。能力の使い方に関する記憶を消去した。能力そのものが消えたわけではないがその使い方がわからなければ発動はしない」
 藤原はその言葉を聞いて絶望のあまり全身から力が抜けるのを感じた。
 頼みの綱が・・・『闇』が使えなければ自分は無力だ。何も出来ず、何の価値もないただの駄目人間だ。
(もう・・・駄目だ・・・でも、これで予定通り・・・か)
 心の中で呟いてから締め付けるロープに身をゆだねようとした瞬間、藤原の耳に小さな音が聞こえた。
 チ・・・チチチ・・・
 それは頭上のロープから聞こえる気がした。
(まさか・・・ロープが・・・ロープが切れかかってるのか!?)
 藤原は必死に身を揺すり頭上へと手を伸ばした。
(くそっ!死んでたまるか!こんな事で死ぬもんかっ!こんなわけのわからない奴に殺されるなんて、そんなの絶対嫌だッ!)
 必死でもがく頭の中に、もう命令は聞こえない。
(くっそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!)
 ひときわ大きく心の中で叫びロープを引っ張った瞬間・・・

 ブチッ!

 鈍い音を立ててちぎれたロープと共に藤原は地面に落下した。受け身もとれずまともに頭を打ち意識がふぅっと薄れていく。
(は・・・はは・・・ざまあみろ・・・俺は・・・生きてる・・・)
 最後にそれだけ考えて藤原はぐったりと気を失った。
 黒翼は藤原の呟きを読みとって肩をすくめながらあやかに向き直る。
「・・・残念だったわね!あなたの思い通りに全てが進むわけじゃないのよ!あなたがどんなに凄い能力者でも!」
「・・・おまえ、本格的な馬鹿だな」
 黒翼の冷笑にあやかはきょとんとした。
「あのロープ、渡す前に切れ目を入れておいたんだよ・・・もがけば切れるようにな。そんな都合のいい奇跡なんか起こるわけねぇだろうが」
「・・・ぇ?」
 呆然とするあやかを見もせずに黒翼は倒れている藤原の首からロープを回収する。
「おまえはこの男と一緒だ。この男が狂乱したのは苦境に陥ってるからではない。その苦境を打破した・・・打破してしまった『能力』に酔い、その万能感に溺れたからだ!今おまえは言ったよな!?俺の能力がどんなに凄くても思い通りに行くわけじゃないってな!その言葉、そのままおまえに返してやる!おまえは相手の感情が読みとれるが、何故その感情を抱いているかを考える努力を放棄している!だからおまえは出来損ないなんだ!『能力』は決して万能なんかじゃない!所詮道具だ!」
 ひとしきり叫んだ黒翼は少し苦い顔をしてあやかに背を向けた。
「・・・ちっ、俺らしくもねぇ」
 舌打ちしながら黒翼は足早にそこから離れていく。
「ま、まってよ・・・なんで・・・何で彼に首を・・・」
 弱々しい声に黒翼は足を止めた。
「・・・未来を掴むのは便利な能力なんかじゃねえ。ゆらぎに満ちたこの世界を変えうるのは唯一自分の手だけだ」
 振り向いた黒翼の心の中に自分を『心配』する感情を感じてあやかは口を開けなくなった。
「この街を出ろ・・・中途半端な覚悟では・・・死ぬかもしれないぞ」
 それだけ呟いて黒翼の姿はかき消すように消えた。
「・・・ぁぅ!」
 それと同時にあやかの体から硬直がとけて彼女は無様に地面へ転がる。
「いたた・・・」
 呟きながら起きあがりのろのろと藤原を抱き起こす。意識はないがその呼吸はゆっくりと安定している。放って置いても問題はないだろう。
「黒・・・翼・・・」
 立ち上がったあやかは力無く呟いてもたつく足を動かし始めた。
 敗北感・・・そして羞恥心・・・嫉妬。
 いくつもの負の感情だけを残して彼女は第一の事件に幕を下ろした。


99/10/21 07:30        緑林公園

「ぅわ!何やってんのよあんた!」
 ソプラノの大声に藤原は目を覚ました。
「ん・・・あれ?」
 呟いて辺りを見回す。緑豊かな公園、その芝生の上で眠っている自分とのぞき込んでくるブレザー姿の少女。何故か傍らには脚立が転がっている。
「あんた昨日余計な事してった馬鹿よね?何こんなとこで寝惚けてんのよ」
 あきれたような声にゆっくり記憶が戻ってくる。
 そうだ。たしか昨日、この少女が男達に絡まれてるのを助けて・・・どうやって助けたんだっけ?
「たしか君・・・変な不良達に絡まれていた・・・」
「平坂雪名!だけど訂正。あれは絡まれたんじゃなくて絡んでたの!あいつらは全員知り合いだし短気だけど案外いい奴らなのよ!それを容赦なくぼっこぼこに・・・ふざけんじゃないわよ!?」
 ぅえ・・・?と呻いて藤原は硬直した。
 そういえばあの時は何故か妙に興奮していてよく状況を見ずに突っ込んでいったんだった。
(それにしても、何で俺・・・あの人数相手に勝てたんだろう?)
 喧嘩などほとんどしたことはない。不思議だ。
「えっと・・・ごめん・・・」
 頭を下げた藤原を見下ろしながら雪名ははぁと溜息をついた。
「まあ一応助けようとしてくれたらしいし?あいつらにはいいお仕置きだからいいんだけどさ・・・」
 言ってから改めて首を傾げる。
「で?何でこんなとこで寝てんの?飲み過ぎ?」
「いや、それはないよ。今ほとんど文無しだから・・・」
 思わず答えてから藤原は赤面した。間髪を入れずに腹が『ぐぅっ』と鳴り雪名はやれやれと首を振る。
「文無しってあんた・・・働きなさいよ。いい若いもんが・・・」
「いや、その・・・潰れたんだ。俺の職場」
 そうだ。職を無くして、振られて、泥棒に入られて・・・無茶苦茶落ち込んでいたはずなのだ。
 確かに、昨日までは。
(なんか・・・すっきりしたな)
 藤原は内心で呟いて首を傾げた。
 わだかまっていたはずの絶望感も無力感も綺麗に姿を消している。なんだか、何でも出来そうな気すらする。
(生きてるじゃないか。自分で掴み取った命なんだから、何だって出来るよな)
 そう考えて、何故そんなことを考えたのかまた首を捻る。
「おーい、聞いてる?」
 しきりに首を捻る姿を不気味そうな目を向けていた雪名の声に藤原は我に返った。
「あ、ああ・・ごめん」
「うーん、なんか不安だなぁ・・・でも、悪い奴じゃなさそうだし・・・」
 顔をしかめて雪名は呟く。
「えっと、何か言った?」
「言ったわよ。あんたうちで働かない?花屋なんだけど・・・バイト雇おうと思ってたのよね。時給安いけど美人姉妹と一緒に働けるからいいっしょ?」
 藤原はぽかんとした。次に首を捻って、最後に頭を掻いた。
「えっと・・・若そうに見えるけど、意外と年長者なんだね・・・働いてるんだ・・・」
 間髪を入れず雪名は藤原の顔面を踵で蹴りつけた。
「んなわけないでしょ!?今着てる制服はコスプレだとでも言いたいの!?」
「すびばせん」
 鼻を押さえて呻く藤原に溜息をつきながら雪名は手を差しだした。
「ほら・・・やる気があるならすぐに立つ!取り敢えず父さんと母さんに紹介すっから」
 藤原は少し考えてから少女の手を取り立ち上がった。
(こんな簡単なことだったんだ)
 元気よく歩く雪名の背を追いながら藤原は笑顔で空を仰ぐ。
 手を伸ばせば、そこには何かがある。
 どうしようもないと勘違いするのは目の前にある闇に目隠しをされてるだけなんだ。
 それを取り払ってしまえば・・・自分の手でつかめる未来がきっとある。
 なぜだかわからないながらも藤原はそんなことを考えてそこから去っていった。

 二度自殺し、二度命拾いしたそこから。
 黒いコートの男に見送られて。