3月12日、朝10時。
 遊びに来ていた母親を見送ったその足で三上友美は山名春彦の部屋に帰ってきていた。
「・・・うん、帰ってきたって感じよね」
 ”やってきた”のではなく”帰ってきた”。自然にそう感じられる自分に少し嬉しくなって友美は微笑みながら合い鍵を使って部屋に入った。
 玄関でそっと靴を脱ぎ音を立てないように気をつけながら入ってすぐの所にある春彦の部屋のドアに手をかける。
(さて、今日はどーやって起こしてやろうかしらね)
 くひひと笑いながら友美はドアを開ける・・・はずだった。
「起きてる。ご苦労」
 その手が空中を掴んで止まる。
 理解できずに空白思考のまま硬直している友美の前に既に着替えまで済ましている春彦が立っていた。
「あ、あれ?春彦?」
「うむ」
 呆然と呟く友美に目を合わせず春彦は頷いて居間に行ってしまう。振り返りもせず、眠気の欠片も感じさせない足取りで。
「え?え?え?」
 後には、壊れたレコードのように呟き続ける友美だけが残された。


「・・・・・・」
 友美は眉をひそめて春彦を見つめる。
「・・・・・・」
 春彦は無言で朝食をかき込んでいる。その隣で冬花も無言のまま焼き鮭をつついている。
「何か変」
 友美は呟いた。
「すっごく変。何なの?何かあったわけ?これってなんかのイタズラ?」
「別に?」
「何もありませんよ?」
 苛立たしげな声をあげる友美に何気なくそっぽを向いたまま春彦と冬花が答える。
 不審気な友美をよそに春彦はさっさと食べ終わって自分の部屋に向かった。
「むー」
 唸りながら食事を終えて歯を磨いている友美の後ろにすっと春彦が現れた。
「友美、大学に行くぞ。急げ」
「早っ!?」
  友美があたふたと口をゆすいでいる間に春彦は友美の鞄とコートを持ってきていた。
「行くぞ」
「あ、ちょっと!」
 叫ぶ友美の手を強引に引いて春彦は家を出た。
「春彦っ!」
「何だ?」
 返事はしながらも春彦は淡々と大学への道を歩く。
「何なの?昨日何かあったわけ!?」
「・・・別に」
 友美は春彦の後頭部をキッと睨んで立ち止まった。春彦も一緒に立ち止まる。
「嘘ね。だったら何で朝からこんなにぎくしゃくしてんのよ」
「俺は普通だ」
「だったらまず手を離してよ!」
 春彦は言われてやっと友美の手を離した。
「・・・すまん」
 赤くなった手をさする友美に一言残して春彦はまた歩き出した。
  そのまま無言で二人は大学に到着し、無言で講義を受け無言で昼食を取る。
「やっぱり絶対変よ!なんなわけ!?あたしに言えないことでもしたわけ!?」
 食事が終わっても尚無言の春彦に耐えきれなくなって友美は再び叫んだ。
「・・・別に」
 対する春彦の台詞は相変わらず素っ気ない。
「あたし、帰る」
 友美は硬い表情でそう言って荷物を掴んだ。
「午後の講義はどうするんだ」
「サボる」
「・・・そうか」
 視線をはずした春彦を睨んで友美は食堂から飛び出した。


「・・・落ち着きなさい友美・・・何気なく、うん。何気なく聞くのよ・・・」
 そのまま家に駆け戻ってきた友美は呟きながら部屋のドアを開ける。
「ただいま・・・」
 玄関を抜け、リビングに向かうと食卓に頬杖をついてなにやら考え込んでいる冬花がそこにいた。
「冬花さん・・・」
 呼ばれても冬花は無反応に窓の外を見つめている。友美は大きく息を吸い込みもう一度呼びかけてみる。
「冬花さん!」
「え!?え?あ・・・友美ちゃん?いつの間に・・・」
 びくっとした冬花に友美は恐る恐る用意してきた質問を放った。
「・・・冬花さん、昨日何かあったの?」
「・・・・・・」
 冬花は唇を何度か動かすがそこから声は出ない。
「何かあったんでしょ!?言ってよ冬花さん!」
「友美ちゃん・・・」
 冬花は俯いて答えない。
「あたしは・・・」
 友美はぎりっと歯を食いしばった。
「冬花さん、あたしは春彦が好き」
 反射的に顔を上げた冬花に友美はゆっくり静かに語りかける。
「小さいときからずっとずっと春彦だけを見つめてきたの。誰よりも春彦の事を知ってるし、誰よりも春彦のことを愛してる。少なくともそう信じてる」
 友美は冬花の赤い瞳を正面から見つめた。
「冬花さん・・・冬花さんも、あいつのこと好きなのよね?」
「・・・はい」
 冬花はゆっくりと、だが確かに頷いた。
「それなら、何があったのか教えて?お願いだから・・・」
 長い逡巡の後冬花は口を開いた。黙っているわけにはいかなかった。友美は冬花にとって大事な友人であり・・・そして本当ならかなうはずのないライバルであるはずだったのだ。
「キス、しました・・・それで、必要だと言われました」
「そっか・・・」
 友美は俯いて呟いた。
「あ、あの、友美ちゃん!?」
「あたし、あれ以来ちゃんとした告白もしてないわけだし振られたってわけじゃないのよね。それ以前で駄目だったってだけで・・・」
 ゆっくりと冬花に背を向けて自分の部屋に歩き出した友美に思わず冬花は立ち上がった。
「ま、待って下さい友美ちゃん!」
「来ないでッ!」
「っ!」
 一歩踏み出したまま冬花の足が止まった。
「来ないでよ冬花さん・・・」
 かすれる声で友美は呟いた。
「見られてたら・・・泣けないじゃない・・・」


 大学の敷地内、大きな木の下に置いてあるベンチで春彦は天を仰いでいた。
「よう、何やってんだ?」
 不意にかけられた声に目をやると、相変わらず黒ずくめの女がそこに立っていた。
「浅野か」
「友美はどーしたんだ?」
 浅野は言いながらすとんと春彦の横に腰を下ろす。
「帰った。三限はサボるそうだ・・・俺もこうしてサボってるが」
 溜息と共にそう言った春彦の顔を、浅野は細めた眼で見つめた。
「ヤったな?」
「何をだよ」
「ナニをだ」
 二人の間を沈黙が包む。
「下品だぞ。浅野」
「・・・そだな」
 浅野は一瞬苦笑してから真顔になった。
「実際、おまえが何かしたんだろ?言えよ。オレ達の仲だろ?」
「どんな仲だよ・・・」
 春彦はジト眼で浅野を睨んでからもう一度溜息をついた。
「冬花とキスした」
「まさか友美に見られたのか!?」
「いや。だが・・・どうも気付かれたようだ。女は怖い」
 浅野はほろ苦く笑って見せた。
「男が鈍すぎるんだよ。特におまえはな」
「・・・そうだな。女の気持ちって奴が、俺は致命的にわかっていない気がする。あいつらは二人とも傷つけたくないんだがなあ・・・」
 再び空を見上げた春彦に浅野は今度は完全な苦笑をむける。
「ほんと、鈍い奴だよおまえは・・・」
 しばらくして浅野はニヤリと笑って立ち上がった。
「ま、当事者間でゆっくり話し合うんだな。邪魔者は消えるからさ」
 言うだけ言って歩き出した浅野に訝しげな視線を向けた春彦は、入れ替わるようにこちらへ歩いてくる少女に気がついた。
「冬花・・・」
 ゆっくりと歩いてきた冬花は浅野とすれ違うときに軽く会釈をしてから春彦の前にすっと立った。
「・・・どうした?冬花」
 冬花は春彦を見つめてしばらくの間動かなかった。
「・・・春彦さんは友美ちゃんのことをどう思ってますか?」
「何?」
 ようやく放たれた言葉に春彦は困惑した。
「友美ちゃんのこと・・・好きですよね?」
「何故、そんなことを?」
 冬花は目を伏せた。
「知りたいんです。教えては・・・くれませんか?」
 春彦は誤魔化そうとして躊躇った。冬花の言葉ににじむ必死さが逃げを許さない。
「あいつも・・・大切な女だ」
「好きなんですよね?」
 春彦は苦い顔で天を仰ぐ。
「わからない。昔は・・・13年前は確かに好きだった。だが今は、あいつが俺にとって何なのか・・・わからない。相棒か?親友か?それとも・・・」
 そこまで言って春彦は冬花に視線を向けた。
「しかしこれだけははっきりとわかる。俺は、おまえが好きだ」
 冬花は微笑んだ。消えそうな、はかなく透明な微笑みを浮かべ目を閉じる。
「駄目ですよ・・・私には、その資格はありません」
「資格?愛されることに資格など・・・」
「私は駄目なんですよ・・・私は今、本当の私じゃないんですから」
 春彦は何も言えずただ冬花を見つめた。冬花は目を閉じたまま淡々と言葉を紡ぐ。
「記憶が戻ったらどうなるかは私にもわかりませんけど・・・少なくとも今の私は、『冬花』は居なくなります。そんな私に、あなたに愛して貰う資格はありません・・・」
「・・・記憶が、戻りそうなのか?」
 春彦の呟きに冬花は静かに答える。
「最近、色々と思いだしてきています。今はわずかで断片的ですけど・・・ひょっとしたらもうすぐ戻るのかもしれません」
「しかし・・・」
 春彦は言葉を濁らせた。冬花の記憶・・・それは春彦にとってあえて無視してきた問題だったのだ。
 心因性記憶喪失の人間は、記憶の回復と共に喪失中の記憶を失うことが多い。そうならなくとも、人格を形成する重大な要素である記憶が変わればその人間は同じ人間とは言えなくなる。冬花という人格は、どちらにしろそこで消えるのだ。
「春彦さん、お別れを言いに来ました」
「な、何!?」
 すっと目を開き放たれた言葉に、春彦は驚愕して立ち上がった。
「本当は、春彦さんもわかっているんですよね?私が・・・私がメインになっちゃいけないって。私達がいつまでも一緒にいられるわけじゃないって・・・」
「だが俺は・・・俺は、おまえが・・・」
 食いしばった歯の間から春彦は呻くように呟く。
「春彦さん・・・春彦さんは、私が現れなければ友美ちゃんと結ばれていたはずですよね?」
 一瞬以上続いた沈黙の後、
「・・・ああ」
 春彦は苦々しく頷いた。
「私は、春彦さん達の側という居心地のいい場所で休ませて貰っていただけの女ですから・・・だから、これ以上深みにはまってしまう前に行くことにします」
「どこへ・・・どこへ行くって言うんだ!」
「言ったら・・・追いかけてきてくれるのはわかってますから秘密です。取り敢えずは戻った記憶の断片を頼りに家を探してみます」
 柔らかな微笑みを浮かべて冬花は額を・・・春彦が買ったあのニットキャップをかぶった額を愛おしげに指で触れた。
「本当は来たときと同じ身一つで出ていこうと思ったんですけど・・・これだけは貰っていきますね。記憶が戻った後もあなたのことを忘れないですむように」
 それだけ言って冬花は春彦に背を向けた。
「ま、待て冬花!」
「私は・・・私は、冬花ではないんです。今は名前すらわからない・・・そんな女です」 
 冬花は振り向かずに春彦から遠ざかる。
 あるいは、振り向けずに。
「・・・友美ちゃんを大事にしてあげて下さいね?友美ちゃんはとても純粋で、とても傷つきやすい女の子なんですから」
「おまえはどうするんだよ!おまえはこれでいいって言うのか!?おまえだって笑顔の下でいつも怯えているくせに!」
 冬花は答えずただ足を進める。
「おまえだけ傷ついて・・・そんな終わりでいいのかよ!冬花ぁっ!」
 結局、冬花は一度も振り向かずに去っていった。
 肩をふるわせ、低い嗚咽を漏らしながら。


 のろのろと鍵を開けて春彦は家のドアを開けた。
 ゆっくりと靴を脱ぎ無言でリビングへ歩く。
「・・・・・・」
 春彦は既に日が落ち、暗闇の中に沈んでいるスイッチを手探りで見つけて電気をつけた。
「あ・・・春彦、おかえり・・・」
 食卓に突っ伏していた友美は顔を上げて弱々しく微笑んだ。
「ああ・・・」
 春彦は曖昧に頷いてみせる。
「ねえ春彦、冬花さんはどこ?何か気付いたら居なくなっちゃってて。あんたと一緒だったんでしょ?」
「・・・あいつは、もうここには戻らない」
「え?」
「出ていったよ。あいつは・・・」
 友美はぼんやりとした瞳のままでしばらく春彦を見つめていたが、十数秒かけて春彦の言葉を理解し目を見開いた。
「で、出ていった!?何よそれ!?」
「記憶が戻りそうだと言っていたな。どこへ行ったかは知らん」
 春彦は無表情にそう告げて冷蔵庫から缶ビールを取りだした。
「飲むか?」
「飲まないわよ!そんな事してる場合じゃないでしょ!?すぐ探さなきゃ!」
 春彦はビールをあおってからほろ苦く笑った。
「一体誰を捜すんだ?」
「誰って冬花さんに決まってんでしょうが!ウoーリーでも探す気!?」
「冬花って誰だ?冬花っていう名前は俺が勝手に付けた名だ。おまえが探そうとしているその女はなんて名前なんだ?」
「え・・・」
 春彦は苛立たしげにビールの缶を握りつぶした。
「俺達は結局そんなことすらわかっちゃいない・・・探す資格は・・・無いな」
「資格!?何よそれ?そんなの関係ないじゃない!春彦は・・・春彦は冬花さんのこと好きなんでしょ!?キスしたんでしょ!?」
 春彦はバッと顔を上げた。傍らで自分を見上げる友美を見つめて苦しげに顔を歪める。
「俺は・・・俺はあの約束を忘れてはいない・・・たとえおまえが忘れていてもだ」
「・・・!」
 バチン!
 春彦は呆然と友美を眺めた。頬がひどく痛む。
「馬鹿に、しないで・・・!」
 友美は振り切った手を下ろしもせずに呟いた。キッと春彦を睨むその瞳から一粒だけ涙がこぼれる。
「友美・・・」
「何よそれ・・・あたしは約束がなければ関係がない女って事!?ふざけんのも大概にしてよ!」
「そんな事は思っていない!」
「そういうことなのよあんたの言ってることは!」
 友美は叫んで机を叩いた。重く鈍い音が部屋中に響く。
「いいわ。あんな約束撤回よ!いいわね!?あんなものもう忘れるのよ!?」
「友美・・・!」
「いいから忘れろっ!!」
 叫ぶ友美の眼から再び涙が落ちた。
「・・・わかった」
 春彦は吐き出すように答える。他に、どうしようもなかった。
「・・・あたしは、春彦のことが好き。この世で一番・・・どうしようもないくらい好き」
 友美は自分の胸に両手を当て、かすれる声で囁いた。
「春彦は?春彦はどうなの?あたしと冬花さん・・・どっちが好きなの?」
 蛍光灯の放つ色のない光に照らされて春彦と友美は見つめ合った。
 何も聞こえない。お互いの他に見る物もない。有るのは問いと、その答えだけ。
 長く重苦しい沈黙の果てに、春彦はゆっくりと口を開いた。
「俺は・・・冬花が好きだ」
「・・・そっか」
 友美は笑おうとした。冬花が現れたときからずっとこの時が来ることを覚悟していたし、その時は笑ってそれを受け入れようと思っていた。
 それが出来る強さが自分にはあると思っていた。
 だが。
「あ、あれ?」
 友美は頬を拭った。
「おかしいな・・・な、涙が止まらないね」
 子供のように手のひらでグシグシと涙を拭いながら友美は一生懸命笑顔らしき物を浮かべようとする。
「友美・・・」
「だ、大丈夫!もちろんあたしは大丈夫・・・肩の荷が降りてホッとしただけだから」
 最後の方は涙で上手く喋れなくなっていたが友美は何とか用意していた台詞を言いきった。
「ほんと大丈夫・・・だい、じょうぶ・・・」
 友美は涙を拭うのを諦めて春彦に背を向ける。
「あたし・・・ここから出ていくよ・・・荷物は明日にでも取りに来るから・・・」
 春彦は一度口を開いて結局何も言わずに俯いた。
 裏切り者たる身に、何も言えるはずがない。
「ねえ春彦・・・何で冬花さんを追いかけてくれなかったの?何で帰って来ちゃったの?」
 去り際に友美が呟いた言葉が春彦を抉る。
「こんなの・・・こんなの残酷だよ・・・」


 春彦は一人食卓に座り目の前の暗闇を眺めていた。
 いや。そこに映し出された幻想を見つめていた。
 そこには友美が居た。浅野が居て佐野が居て、何よりも冬花が居た。
 それは、ほんの数日前までは当たり前のように有った風景。そして、今やどうあがいても手の届かない幻想だ。
「これが・・・直前で躊躇ってしまった報いか・・・」
 呟いた春彦は背後に気配を感じて首だけで振り返った。
「・・・何故、こんなとこにいるんです?」
 そこに藤田が立っていた。トレードマークの巨大なリュックはなく、別人のような厳しい表情をしている。自称行商人の雰囲気はそこにはない。
「それはこっちの台詞だろう。勝手に入ってきておいて」
「あの娘を放って何故こんなところでいじけているんです?」
「仕方有るまい。『冬花』という虚像にすがっていることを本人から指摘され拒絶されて俺に何が出来るって言うんだ・・・いずれ消えるあいつに何がしてやれる?」
 春彦は視線を闇に戻し無表情に呟く。
「それがどうしたと言うんです!?」
 答える藤田の言葉は厳しい。
「そんな自分勝手な理由であの娘を見捨てるつもりですかあなたは!?」
「自分勝手・・・だと!?」
 春彦は立ち上がり藤田と正面から向き合った。
「何が虚像ですか!いずれ消えるというのが何だと言うんです?まだあの子はここに居るんですよ!?消えるその瞬間まで・・・いや、消えて尚愛してやらなくては、何のためにあの子は生まれてきたのですか!?」
「俺に・・・俺にそれが出来るというのか?」
 藤田は苦い顔で俯き気味に春彦を見つめる。
「いまや・・・あなた以外にはそれが出来る人は居ないでしょうね」
 春彦は無表情に藤田を見つめていたがふっと笑って肩をすくめた。
「初めてあったときにも思ったが、正論であるが故に面白みのない説教をするなあんたは」
「行く気になりましたか?」
「ああ・・・こんなのは俺のやり方ではないからな。俺はあいつが好きだ。そうである以上、世界中の誰が何を言おうと・・・たとえ冬花自身に拒絶されようと俺はあいつを離さない」
 藤田は苦笑してこちらも肩をすくめた。
「これは又傲慢な愛の宣言ですな」
「ようするに、それが俺のやり方だからな」
 ひとしきり笑いあった後春彦はすっと真顔に戻った。
「結局おまえは何者なんだ?冬花の関係者なんだろ?」
「・・・何故そう思うんです?」
「そうじゃないと思う方が不自然だろうが。初めて会ったときのリアクション、俺達を監視していた事実、冬花への気遣い・・・あいつと無関係だとしたら不気味すぎる」
「・・・あの子は、私の娘ですよ」
 春彦はちょっと嫌な顔をした。
「・・・それはどういうリアクションですか?」
「いや、ちょっとな」
「なんなら父さんと呼んでいただいても結構ですが?」
 春彦は軽く肩をすくめて見せた。
「それもいいかもしれんな・・・で、あいつはどこに居るんだ?知っているからここに来たんだろう?」
「ええ。あの子は例の公園に・・・あの樹ばっかりの公園にいますよ」
「そうか」
 春彦は頷いて部屋を飛び出した。
 

「・・・どこだ?」
 春彦は公園に駆け込み息を整えながら辺りを見回した。
「居た」
 公園のほぼ中央、今は葉しかない桜の木の下で冬花はベンチに座り空を見上げている。
「冬花ッ!」
「・・・え?」
 春彦の声に冬花は顔を上げた。
「は、春彦さん!?だ、駄目ッ!」
 慌てて立ち上がり走り出そうとした冬花の手を春彦ががっちりと掴む。
「は、離して下さい!」
「好きだ」
 冬花は硬直した。
「愛している。俺にはおまえが必要だ!」
 手を掴まれ背を向けた体勢のままで冬花は静かに首を振った。
「駄目ですよ・・・それは一時的な幻想です。私には本当の自分が、あなたには友美ちゃんが居るじゃないですか・・・私達はお互いに必要じゃありませんよ・・・」
「それがおまえの本心なら、俺もあるいは諦めたかもしれない」
 春彦は静かに笑ってそう言った。
「行くところなど無いのだろう?だからここに居た・・・今も手が震えている。一人になるのが怖くてたまらないくせに俺のために別れを選んだ・・・そんな女を、放っておける俺だと思うのか?」
 冬花は深く俯いて春彦にその顔を見せない。
「そして・・・おまえは冬花だ!本当は誰かだなんてどうだっていい!」
「記憶が戻りかけているのは本当です・・・私はいつ消えるかわからないんですよ?そんな・・・そんな私でいいんですか!?」
 春彦は笑って首を振った。
「おまえ『で』なんてもんじゃない。おまえ『が』いいんだ・・・それに、おまえの記憶が戻って、今のおまえとは違うおまえになったとしても・・・きっとそのおまえの事も俺は好きになる。何がどうなろうと、おまえは俺の大好きな冬花だよ」
 春彦に後ろから抱きしめられて、冬花は目を閉じて微笑んだ。
「・・・春彦さん、知ってましたか?」
「ん?何をだ?」
 静かに尋ねる春彦の胸に冬花はすっと体をゆだねる。
「あなたに名付けて貰って、私がどんなに幸せだったか・・・私を冬花と呼んでくれるその一回一回に、どれほど喜んでいたのか・・・知らなかったでしょ?」
「・・・おまえだって知らなかっただろう。おまえが側にいることで俺がどんなに安らいでいたかを。おまえの笑顔がどれだけ俺を癒していたかを」
 冬花は春彦の腕の中でくるっと回転して春彦の顔を見上げた。
「ちょっとずつでも、わかっていきたいですね」
「・・・大丈夫だ。俺達の相性が最高なのはもはや証明済みだからな」
「ふふふ・・・」
 冬花は幸せそうに微笑んだ。
「どうした?」
「不思議です・・・春彦さんが大丈夫っていうと、どんなことだって大丈夫って気がするんです」
「そ、そうか?」
「はい」
 苦笑する春彦を見上げて冬花はイタズラっぽく笑う。
「春彦さん。今私が何を考えているかわかりますか?」
 二人は口を閉じお互いの瞳をじっと見つめ合った。
「・・・キスしたい」
「あたりです」
「俺もだからな」
 言った口を冬花の唇が塞いだ。
 長いキスの後、二人はちょっと照れて微笑む。
「さあ、帰るぞ」
「はい・・・あ、春彦さん?」
 言って歩き出した春彦を冬花はちょっと上目遣いに呼び止めた。
「なんだ?」
「腕、組んでもいいですか?」
「え?」
 春彦は珍しい冬花のおねだりに一瞬ぽかんとした。
「駄目、ですか?」
 途端にしょぼんとした冬花に笑いながら首を振って見せて春彦はそっと腕を差しだす。
「駄目なわけがないだろう?」
「ふふふ・・・嬉しいです〜」
 冬花は言いながら春彦に歩み寄る。春彦は苦笑しながらそれを眺めながら、友美に一度きちんと謝っておかねばなと考えていた。
 

 だが、不意に。
「あ、あれ・・・?」
 かくっと膝を落としその場に崩れ落ちた。
「どうした冬花!?」
 慌てて駆け寄った春彦が冬花の体を抱き起こすと冬花は弱々しく唇をふるわせた。
「は、春彦さん・・・?私・・・」
 何とかそこまで言ったところで冬花はぐったりと春彦の腕に沈む。
「おい!冬花!?冬花っ!冬花っ!」
 冬花は白い顔をより青白く染め動かない。その手は力無く落ち、全身の力が抜けた体が春彦の腕にぐんなりともたれかかる。
「くそっ!なんなんだ!?こんな、こんな・・・!」
 春彦は、必死に冬花を揺さぶりながら・・・
 運命の周り出す音を感じ取っていた。

                   〜To be conteniued〜