むかしむかしあるところに、純情で可憐、一途で暴力的なお姫様と気弱で軟弱、女好きで・・・やっぱりこっちも一途な従卒がいました。
 ふたりは物語の主役ではなく、にぎやかしであり狂言回しだったのですが・・・彼らにだって二人だけの物語があるのです。
 これは、脇役の2人が主人公の物語。


 ピンポーン。
 安っぽい音がするチャイムを鳴らして浅野景子は数秒待った。
「返事無しと。入るぞ」
 言いながらドアノブに手をかけた浅野を佐野孝明は慌てて止める。
「いつもいつも無断ではいるのはまずくないですか?」
 浅野はニヤリと笑ってチッチッと指を振る。
「どーせ中でなんかおもろいことやってんだろうから、返事が無くて鍵が開いてたら中にはいるのが正解なんだよ。待っててもどうせ出てこないぞ」
 言うが早いかドアを開けて無断で部屋に上がってしまう。
「あ!センパイ!」
 佐野も慌てて後を追う。こうなったら自分だけ律儀に待っててもしょうがない。
 浅野はぞんざいに靴を脱ぎリビングへ向かう。
 かって知ったるなんとやら。第二の自宅のようにちょくちょく遊びに来ている山名家である。今更遠慮する気もない。
 辿り着いたリビングでは山名春彦と冬花が『だるまさんが転んだ』のように動いたり止まったりを繰り返していた。
「な?勝手に入ってきて正解だったろ?タカ」
「・・・不正解ですよフツー」
 得意げに大きな胸を張る浅野に佐野は困ったような笑顔で呟く。
「で、何の用だ浅野?」
 『だるまさんが転んだ』に飽きたのかソファーに座って尋ねてくる春彦に浅野はおうと頷いてコートのポケットから映画のチケットを取りだした。
「これを渡しに来た。この前の温泉のお礼がてらにな」
 言いながらふと気付く。お気楽トリオのうち、打撃つっこみ担当の三上友美が居ない。
「・・・二枚」
「ですね」
 内心首を捻る浅野をよそに春彦と冬花は呟いて顔を見合わせた。
「友美は出かけているが・・・居たらどうするつもりだったんだ?浅野」
 心の中で『何ぃっ・・・』と呟きながら浅野はプランBを選択した。
「わかりきってる事言わせるなよぉ。どっちを選ぶか見て楽しむつもりだったぞ」
 ニヤリと笑って言い切った浅野を横目で眺めて佐野は肩をすくめる。
「とか言ってますけど、浅野センパイもホントは・・・」
 そこまで言ったところで佐野は突然白目をむいて倒れ伏した。
「ま、ともかくたまには楽しんでこい。じゃ」
 浅野は咳払いなどしながら佐野の後頭部をどついたばかりの木槌を懐にしまい、ぐったりしている彼の襟首を引きずって出ていく。
「・・・春彦さん、アレはさすがにお亡くなりになってるような気が」
「・・・大丈夫だ。こういう世界において、俺達は決して死ねないんだ・・・」
 気の毒そうな呟きを背に浅野はさっさと部屋を出て足早に山名家から離れる。
「・・・浅野センパイ、もう歩けるんで襟首掴んで引きずるのは勘弁して下さい」
 5分ほどして、佐野孝明は弱々しく呟いてみた。
 ずるずるずるずるずる・・・ぴたり。
「おぅ、悪ぃな。忘れてたぞ」
 浅野景子はやる気無さげに言い捨てて佐野をその場に放り出す。
「あたたた・・・」
 打ち付けた腰をさする佐野を後目に浅野は気怠そうに煙草をくわえた。懐から取りだした黒いジッポーで火を付け大きく紫煙を吐き出す。
「なんでこう余計なことばかり言うかねえ・・・」
 ジト目で睨む浅野に佐野はにっこりと微笑んで見せた。
「おもしろいからです」
 めこん。
 浅野は無言で木槌をふるった。佐野は悲鳴すら出せずに悶絶する。
「はぁ・・・」
 浅野は溜息など着いてそれを眺めた。
 気怠い。
 いつものこととは言え、今回もまた作戦失敗。やるせない。
「三上さんの嫌いなホラー映画のチケットを持っていって、当然嫌がる三上さんと遠慮して辞退するであろう冬花さんの代わりに山名さんと映画を見る・・・作戦は良かったんですけどねー」
 佐野は痛む額をさすりながら起きあがってうんうんと頷いた。
「そ、そんなことは考えてない!」
 浅野は叫んでからチッと舌打ちする。
(こいつも妙なところで鋭いからなぁ・・・)
 心の中で呟いてから浅野は唇の端にくわえてた煙草を投げ捨ててぎゅっと踏みつぶした。
「それはともかくとして、『偶然』なんだがカラオケの割引券がある。タカも来るか?」
「成る程、映画のあとはカラオケですか。山名さん歌うの好きですしね」
 浅野はにっこりと笑って佐野の目の前に木槌を突きつけた。
「死ヌ?」
「さあ、行きましょう!駅前のJOYJOYですね!」
 うむと頷いて浅野は前に立って歩き出した。
(はぁ・・・やっぱオレとアイツには縁ってもんがないのかな・・・)
 同じようなことを、半歩後ろをついてくる男も考えているのにも気付かずに。


「あ〜ぁあ〜・・・津O海峡、ふ〜ゆげ〜しき〜〜〜〜」
 朗々とこぶしを効かせて歌い上げる浅野に佐野は心から拍手を送った。
「いやぁ、やっぱ演歌を歌わせると光る物がありますねセンパイ!」
「はっはっは。まかせとけ」
 得意げに胸を張って置いてあったウーロンハイを掴んだ浅野は『しかしオレのレパートリーって異常に渋いな・・・』などと心中で呟いてグラスを煽った。
「じゃ、次は僕ですね」
「おう。何歌うんだ?」
 佐野はマイクをぐっと掴んで拳を突き上げた。
「プッチモ・・・」
「却下だ」
 佐野はそのままの姿勢で首を傾げた。
「モーニング・・・」
「却下」
「スピー・・・」
「却下。しかもちょっと古い」
「じゃ、じゃあ僕は何を歌えばいいんですっ!?」
 大げさにおののく佐野を浅野は半眼で睨み付ける。
「なんで女のボーカルの、しかも低年齢層ばっか歌おうとすんだよ。不気味な」
「最近結構歌う人多いんですよ。センパイも一緒に歌います?」
 うっと眉をひそめて浅野は置いてあった唐揚げを口に放り込む。
「オレはそういうの苦手なんだよ・・・むぐ・・・意外にうまい」
「まあまあそう言わずに。はい、マイクです」
 マイクを押しつけられて顔をしかめる浅野に佐野は笑顔で囁いた。
「山名さん、意外と好きらしいですよ。プッOモニとかタOポポとか・・・」
「まあ、それは全く、何も、かけらも関係ないんだがタカがそこまで言うんならすこし歌ってやろう」
 言って立ち上がった浅野を佐野は苦笑して見つめる。浅野はちょっと顔をしかめて睨み返した。
 言ってるうちにイントロが始まり2人はモニターに向き直った。
『おひるやっすみ、すーぷぱっすたにかんどー』
 2人は綺麗にはもり、振りまで付けて熱唱を開始する。
『きんよーび、あっしたはやーすーみ〜。こんやはなんもなくて(あぁ)つまんないーけーどー・・・』
 メインが浅野、コーラスが佐野である。『あぁ』が不気味だ。
『にちよぉっ・・・にちよぉっ・・・にちよぉっ』
 2人は歌い終わってぴたっと動きを止めた。
「・・・・・・」
 曲が終わり、大して広くもないカラオケルームの中を沈黙が包む。
 2人が動き出さないままにモニターから新曲の案内などが流れだす。
 しーんとした空間の中で、先に口を開いたのは佐野だった。
「・・・センパイ、ノリノリでしたね」
 言われた浅野はがくっとしゃがみ込んだ。
「・・・なんでこう、つられるのかなぁオレは・・・」
「可愛かったですよ」
 言いながら笑う佐野の鳩尾にガラス製の灰皿をねじ込んで浅野は改めて椅子に座り直した。
「まぁこれはバカアキのノリに付き合ってやっただけであって、間違ってもオレ自身の趣味ではないので注意するように」
 言って一人頷く頬がちょっと赤い。
 呼吸できずにのたうちながらもそれを可愛いなどと思って見ている自分を、佐野は少し凄いと思った。


 3時間たっぷり歌いきって2人は駅前を歩いていた。
「しかしおまえも丈夫な喉をしてんなぁ」
「センパイこそ普段あまり歌わないわりに上手ですよ」
 何となく喋りながらぶらぶらと歩いていた2人の足がぴたっと止まった。
「どうしましたセンパイ・・・あ」
 視線の先にはゲームセンターがあった。新作が入るのが早いのでいつも賑わっているそのゲームセンターの格ゲーコーナーに、見覚えのある人影が二つ。
 言わずとしれた春彦&冬花である。
「うむ。弱K・前弱K・レバー時計回しに半回転弱Kだ」
「あ。お手軽なわりにダメージ大きいんですね」
 どうやら初心者の冬花に春彦がコーチをしているようだ。
「あ、勝ちましたよ春彦さん!」
「・・・意外に上手いな」
 表情が明るい。心から楽しんでいるようだ。
「・・・よぉし」
 浅野は呟いてこっそりと店内に進入した。
「あ、センパイ!」
 慌てて佐野も後に続く。
「どうする気なんですか?(ヒソヒソ)」
「ちょっと世間のつらさってもんを教えてやるんだよ(ヒソヒソ)」
 浅野は『くひひ』と笑いながら冬花の座ってる対戦台の向かいがわに座った。
「冬花さん、たしかほとんどゲームやったこと無いんですよ?(ヒソヒソ)」
「はっはっは。人は敗北の味を覚えて強くなる(ヒソヒソ)」
 言うが早いか浅野はコインを投入してスタートボタンをぱしっと叩いた。
「あっ、あっ、春彦さん!乱入されちゃいました!」
「初心者に・・・他の台が空いてるのだからそっちでやればいいものを」
 春彦は眉をひそめるがいくつも並んでる筐体を回り込んでまで無粋な乱入者の顔を確かめようとは思わなかったようだ。
『ラウンド1・・・ファイト!』
 そうこう言っているうちにゲームは始まった。
『燃えろぉっ!』『ベイパーキャノンッ!』
「・・・センパイ、草薙八神テリーでストライカーが香澄って・・・無茶苦茶本気じゃないですか」
「もちろん」
 浅野は上機嫌に鼻歌など歌い冬花の操る巨漢を炎を発する青年で追いつめていく。
「わ、わ、やられちゃいますー」
 緊張感のない悲鳴を上げる冬花をよそに春彦は腕組みをして唸った。
「・・・よし」
 しばらくしてひとつ頷く。
「小ジャンプで接近、その際ジャンプ攻撃はするな。着地と同時にレバーを二回転して強P・・・できるか?」
「はい。やってみますー」
 一方浅野側では・・・
「よし、一人目抹殺!」
 相手の体力ゲージを残りギリギリにまで追い込んだ浅野がニヤリとして呟いていた。
 画面では冬花のキャラクターが低い軌道で飛び込んでくるところだった。
「ここはきっちりガードして弱連打でとどめだな」
「・・・センパイ、無茶苦茶堅実ですね」
 だが、浅野の予想に反して敵キャラは攻撃せずにそのまま着地する。
「な!?」
 浅野は慌ててバックステップしようとレバーを後ろに入れるが・・・
『マキシマリベンジャー!』
 それより一瞬早く画面が暗転し、冬花のキャラの超必殺技である投げが極まっていた。
『うわぁぁぁぁっ・・・』
 それなりに傷ついていた浅野のキャラは大ダメージを喰らってエコーを残しながら倒れる。
「う、嘘・・・読み負けた!?」
 浅野は呆然と呟いた。
「あ、勝ちましたよー!さすが春彦さんですー!」
「読みを当てたのは俺だが、指示についてこれた冬花のセンスをこそ誉めるべきだろう」
 盛り上がってる春彦達に対して浅野&佐野の空気が重い。
「・・・ま、まだ一本じゃないですか」
「そ、そうだよな・・・でも・・・春彦がついてんだよな。向こう・・・」
 ぎこちなく言葉を交わす2人の脳裏に不吉な予感がよぎる。
「何となくコツがつかめてきたんです」
「うむ。いい感じだ」
 向こうから聞こえてくる会話に顔を引きつらせて浅野はレバーを握り直した。

 予感通り浅野が敗れ去るまで、そう時間はかからなかった。

「・・・・・・」
「・・・・・・」
 真っ白に燃え尽きて浅野と佐野は顔を見合わせた。対照的に春彦と冬花はハイタッチなどを交わして勝利を喜び合う。
「本当に勝っちゃいました!」
「俺も驚いた。今の対戦相手、かなり上手かったんだが・・・二本目から動きが悪くなった。一本目で動揺したからか?・・・どれ、どんなやつだ?」
 対戦台の向こうから聞こえた声に物言わぬ屍と化していた2人はびくっと我に返った。
「・・・む?誰もいない。撤収の早い奴だ」
 向かい側の対戦台を見に来た春彦は首を振って冬花の方に戻る。
「あ、あぶなかったですね」
「ああ。秘技、壁の真似・・・危険な試みだった」
 壁に張り付いていた2人は春彦が背を向けた隙を狙ってそそくさとゲームセンターを抜け出した。
「まさかほんとに負けるとは」
 浅野は足早にゲームセンターから離れながら呟いた。
「・・・オレは昔の方が強かったな。余計なことを考えなかった分」
 苦い顔をする浅野の後ろを半歩遅れてついてきた佐野は笑いながら首を振る。
「でも、弱くなった分魅力的になりましたよ」
 浅野はぴたりと足を止めた。
「どうしました?」
 こちらも立ち止まって尋ねる佐野の顔を浅野は上目遣いに見つめた。
「タカ・・・ううん、孝明」
「ななななななんですいきなり!?」
 いきなり名前で呼ばれて佐野はのけぞって後ずさる。
「・・・・・・」
 浅野は俯き加減に佐野に歩み寄りその頬をそっと両手で包む。
「セセセセセセンパイ!?」
「孝明・・・」
 甘く囁かれて佐野は硬直した。
 ひどく長いようにもあっという間にも感じられる一瞬・・・
 そして。
「そういう恥ずかしいことをいうのはこの口か!?この口かっ!?この口かぁっ!?」
 浅野は両手の指を佐野の口に突っ込み思いっきり『いーっ』と引っ張った。
「ヘンハイ!ヒハヒ!ホホフホフヒハヒヘフ!(訳:センパイ!痛い!もの凄く痛いです!)
 ひとしきり引っ張って佐野の口をだるだるにした浅野は、ふんと鼻を鳴らして踵を返した。
「おまえがそれっぽい台詞を言うなんて十年早い」
「あたたたた・・・」
 再び歩き出した浅野の後を口を押さえた佐野が追いかける。
「はぁ。馬鹿なことをしてたら腹減ったな」
「うぅ、僕の悶絶は馬鹿なことで済まされてしまうんですね・・・」
「当然だろ?」
 あっさりと頷いて浅野はポンと手を打った。
「よし、飲みに行くか」
「カラオケボックスでさんざん飲んだじゃないですか」
 苦笑する佐野にちっちっと指を振る。
「あれは喉が渇いたからだ。今度は本格的に、飲むために飲む!飲む前に飲む!」
「まぁ、どこへでもお供しますけどね」
 うむと頷いて浅野は手近な居酒屋に足を向けた。


「生中追加!」
 浅野はジョッキをどんと置いて叫んだ。
「セ、センパイ・・・相変わらずいい飲みっぷりですね・・・」
 佐野は苦笑しながらジョッキを傾ける。
「何だ?そのしみったれた飲み方は。がーっといけがーっと」
 言うが早いか運ばれてきたジョッキを掴み盛大に煽る。
「この前の温泉旅行、べろべろになってたらしいじゃないですか。あんまり飲み過ぎない方がいいんじゃないですか?」
 佐野が枝豆をプチプチと皿の上に開けながら尋ねた言葉に、浅野はジョッキを置いて苦い顔をした。
「あれか・・・ちょっと気が立ってたもんでついペースが早くなっちまった。瓶ビールの5本や6本普段ならどうってことねえんだけどな」
「はぁ、センパイでもそういうことあるんですね」
 佐野が感心したように頷くと浅野は苦い顔のまま首を振った。
「・・・普通なら、ねえよ」
 呟いてソーセージの盛り合わせから一本取り囓りつく。
「む。こいつはいける・・・83点をあげよう」
「点の辛いセンパイの80点以上は貴重ですね。どれ、僕もひとつ・・・」
 浅野のひそかな趣味に、食べ歩きというものがある。付近の定食屋を「地獄舌の浅野」の異名と共に恐怖のどん底に陥れたほどである。
 まずいと暴れるから。
「・・・はぁ。それにしたって冬花には参ったな。キャラクター的にゲーム系は駄目かと思ったんだが」
「そうですね。おっとり系のボケキャラは8割以上の確率で反射神経が壊滅状態にあるものですから」
 佐野はピザを囓りながら相槌をうつ。 
「だろ?アイツ、なんか取り憑いてんじゃねえのか?ゲームOンターあOしの霊とか」
「・・・それは実在の人物じゃありませんよって突っ込む以前に、かなりレトロですねセンパイ・・・」
 浅野はうっと顔をしかめて焼きそばをすすった。
「せめてファOコンロッキーとか」
「うわ。それも古い上にマイナーだろ」
 マニア以外をざっくり置いてけぼりの会話で2人は笑いあった。
「センパイ・・・冬花さんのこと、どう思ってますか?」
 ひとしきり笑った後、箸を置いて佐野は呟いた。
「・・・山名の所に現れた居候」
 浅野はぶっきらぼうに呟いてジョッキを傾ける。
「冬花さんって、何者なんでしょうね?どこから来たんでしょう?」
「知らねえよ。それに興味もない」
 佐野は意外に鋭い視線で浅野を凝視した。
「本当に?」
「くどい。別にアイツが誰だろうとオレには関係ないだろうが」
 浅野は苛立たしげにジョッキを机に置いた。ガチンと派手な音と共に卓上の皿が揺れる。
「・・・どこから来たのかもわからない人に、山名さんを取られるかもしれないのに?」
 抑揚のない声で佐野ははっきりとそう言った。
「・・・・・・」
 浅野は答えず煙草をくわえた。片手で火を付け、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
「センパイより前に山名さんと出会ってずっと一緒にいた三上さんならともかく、誰かもわからない冬花さんに取られるのは嫌だ。あんな奴は嫌いだ。そう思っていませんか?」
「孝明」
 浅野は気怠そうに呟いた。
「何が言いたい」
「冬花さんを排除することは簡単です。社会的にも人格的にも不安定な彼女なら」
「もう一度言う。何が言いたい」
 佐野はいっそあっさりと言い放った。
「冬花さんを憎んでませんか?浅野さん」
 喧噪に溢れた居酒屋の中で、2人の間だけに質の違う空気が張りつめられている。
 硬直した、痛々しい空気を味わいながら浅野はぐいっと視線を動かし佐野を見つめた。
「おまえ・・・」
 呟いて苦笑する。
「演技、下手だぞ?」
「・・・バレバレですか?」
「バレバレだ」
 言って浅野は苦笑する。
「うーむ。シリアスっぽく糾弾したつもりだったんですが・・・」
「馬鹿者。オレにそんな演技が通用するか。その程度じゃ本音はださねえよ」
 佐野は肩をすくめて再び箸を取った。
「でも、気になるんですよ。浅野さんの冬花さんに対するスタンスが。単純に邪魔者として憎むほど器が小さくないのは知ってますけど、冬花さんを避けてる節も見受けられますからね」
 浅野は溜息をついて首を振った。
「アイツはいい娘だよ。無茶苦茶いい娘だ。友美も可愛いけど・・・あいつは、冬花はオレ達の中で一番女らしくて・・・」
 笑う。
 ほろ苦く。
「少し、眩しすぎるな。オレには・・・」
 浅野は手を上げビールの追加を注文した。
 佐野はそれを見ながら呟く。
「センパイは・・・」
 ん?と向き直る浅野に佐野はやんわりと笑いかけた。
「浅野さんは、十分女らしいですよ。優しさ、繊細さ、可憐さ・・・は無いかもしれませんけど・・・僕の知っている浅野さんは、誰よりも可愛い女性です」
「・・・何言ってやがるんだよ」
 浅野は少し早口に言って煙草をもみ消した。顔が赤い。
「ずっと見てましたからね。保証しますよ。山名さんを見ている時の浅野さんの瞳は・・・三上さんにも冬花さんにも負けない輝きを持ってますよ」
「・・・・・・」
「まるで、獲物を追う鷹のように」
 無言で振り下ろされたビール瓶ではり倒されて佐野はテーブルに突っ伏した。
「バカアキ・・・おまえには感心するよ。どうしておまえはそこまで馬鹿なんだ?」
「いやあ、なんていうか芸人としての血がわさわさ騒いじゃって」
 頭をさすりながら起きあがった佐野に浅野は柔らかな微笑みを向けた。
「でも・・・ありがとな」
「いいえ。どういたしまして」


「おぅ。今日はオレの奢りにしといてやる。はらっとくから先に外ぉでてろ」
 さんざん飲んだくれた浅野は同じく飲んだくれた佐野に手を振ってレジに向かった。
「ゴチになります」
 佐野は思わぬ幸運に感謝しながら自動ドアをくぐり通りに出る。
「・・・考えてみれば、僕が奢った回数も膨大だからあまり得ってわけじゃないんですけどね」
 一瞬呟いて首を振り空を見上げる。
 浅野に奢って貰える。その幸せだけを見つめる方が精神衛生上良さそうだ。
「・・・・・い!」
「ん?」
 不意に聞こえた声に佐野は首を捻った。
「・・・・・かよ」
「・・・・・・す!」
 とぎれとぎれに聞こえる声はどうも穏やかな調子ではない。
「・・・なんだろう?」
 佐野は好奇心に駆られて足を踏み出したがふと足を止めて振り返る。
「センパイをほっぽりだすわけにも・・・いかないよなぁ」
 まだ店内にいる浅野に思いをはせて佐野はうんうんと頷いた。
「・・・嫌ですっ!」
 ひときわ大きな声が響く。
 佐野は瞬時に走り出した。
 ちょっと先の裏路地。その声はそこから・・・!
「別にどおってことねえじゃん?遊びに来たんだろぉ?」
「だからってあんたみたいなのは嫌よ!」
 はたしてそのせまい路地に居たのはいかにもがらの悪い男二名に気の強そうな少女が一人、その少女にしがみついて怯える少女が一人だった。
 どうみても、親睦を深めてると言った様子ではない。
「おい!なにやってんだ・・・ですか?」
 勢い良く叫んだ佐野は男にぎろっと睨まれて慌てて語尾を変えた。
「・・・失せろ」
 簡潔に言われて佐野は言葉をなくし立ちつくす。
 元々荒事に向いてる性格ではないのだ。
「あ、浅野さんを呼んできた方が確実・・・かな?」
 呟いたところで、がらの悪い男Aが気の弱そうな少女の手をぐっと掴んだ。
「いいから来いよ!いいとこ連れてってやるからよ!」
「や・・・やめて」
 少女は弱々しく抗議して抗うがその細い腕では男の腕を引き剥がせない。
「ちょっと!やめなさいよ!」
 慌てて気の強そうな方が止めにはいるが男Bにこっちも押さえつけられてしまった。
「・・・・・・」
 佐野はあたふたしながら今来た方と少女達の居る方を交互に見つめる。
 助けを呼ぶか否か。
「離して・・・離してよ!」
 ひときわ大きく気の強そうな少女が叫ぶ。その瞳に、うっすらとした涙を見つけて佐野の腹がすぅっと冷えていった。
「おい!」
 言いながら佐野は男達に近づいた。
「ナンパするんだってルールがあるだろ!?」
 男の肩に手をかけてぐっと自分の方を向かせる。
「まだ居たのか。失せろって言ってんだろ?殺すぞ?」
 限りなく直線的な脅しと共に男Aはギロッと佐野を睨め付ける。
「う、失せろって言われてはいそうですかって帰れるか!お前らこそ失せろ!」
 佐野は一気にそう言って震える足を隠そうとした。無駄かもしれないが。
「ったく・・・だりぃやつだな」
 男Aは呟いて佐野に向き直った。
「っく!」
 佐野は身構えて男Aの顎に向けて鋭い右ストレートを放った・・・つもりだった。
「よっ・・・と」
 男Aは佐野の拳をあっさりと避けてカウンター気味のフックで佐野を地面に叩き付ける。
「いてっ!」
「・・・な、なんだこいつ。無茶苦茶弱いぞ」
 拍子抜けしたように男Aは呟いた。一瞬だけ明るくなった少女達の表情が再び絶望に染まる。
「だ、大丈夫・・・絶対助けるから・・・」
 佐野は少女達に笑いかけてから立ち上がった。
 男達はやれやれといった顔で肩をすくめる。
「ほっといてこいつら連れてこうぜ」
「そうだな」
 頷いて男Bは少女に手を伸ばした。
「させるかぁぁぁぁ!」
 佐野は絶叫をあげながら男の腰にタックルをかける。
「う、うおっ!」
 身長183、体重68キロの決して小柄ではない体の直撃を受けて男Bは吹き飛ばされ尻餅をつく。
「この!この!この!」
 佐野は叫びながら男Bに馬乗りになり容赦のないマウントパンチを男Bの顔面に連打した。
「いたたたたた・・・この野郎ッ!」
 男Bは思わぬ反撃に悲鳴を上げながらも振り下ろされる佐野の手をがっちりと握った。
「へへへ・・・死ねよガキがっ!」
 間髪入れずに駆け寄ってきた男Aが佐野の頭を大きなスイングで蹴りつける。
「たっ・・・!」
 悲鳴を上げた佐野を男Bは振り払いアスファルトに転がした。
「弱いくせに粋がるからだ・・・オラっ!」
 べぎっ・・・蹴りが起きあがった佐野の顎に入る。
「ったくつまんねえ事しやがって・・・そら!」
 どすっ。地面に転がった佐野の脇腹を蹴りつける。
「二度と生意気な口きけねえようにしてやる!」
「二度と立てねえかもしれないけどな!」
 どすっ、ばきっ、ごりっ、ぐすっ、べきっ。
 容赦ない蹴りの連打が佐野の体を数限りなく襲う。
「やめて・・・やめてよぉ・・・」
「・・・ひぐっ・・・ぐすっ・・・」
 少女達は目の前の惨劇に涙で掠れた声を漏らすばかりだ。
「ふぅ・・・こんだけやりゃあ十分だろ」
「ああ。へへ・・・ぼろぼろだな」
 たっぷり数分間蹴り続けて男達はようやく足を止めた。
 2人の視線の先で体中泥だらけになり痣だらけになった佐野がぐったりと横たわる。
「さて、一緒に・・・来るよな?」
 ニヤニヤ笑いながら振り向いた男Aの言葉に少女達はがくがくと首を振った。
「いや・・・やめて・・・痛いコトしないで・・・」
「大丈夫大丈夫。大人しくしてりゃ痛くはねえって」
 ひひひと笑って男達はそれぞれ少女の肩を掴んだ。
「・・・やめ・・・ろ」
 弱々しい声。
 それを耳にして男達はぎょっとした顔を背後に向けた。
「手を・・・離せ・・・」
「お、おまえ・・・まだ」
 佐野はよろめきながら一歩踏み出した。
「自慢にはならないけど・・・普段からさんざん痛い目に遭ってるから・・・打たれ強くてね・・・」
 また一歩。男達は顔を引きつらせて一歩下がる。
 膝をかくかくと振るわせて腫れ上がった瞼の下から睨み付けてくる佐野は・・・
 出来の悪いゾンビのようで怖かった。
「く、かぁぁぁぁっ!」
 佐野は、男達のたじろいた一瞬の隙をついて跳躍した。
「う、うわっ!」
 飛びつかれ壁に押しつけられた男達は必死の形相で佐野の胴といわず頭と言わず殴りつける。
「くそっ!死ねッ!離せ!」
「何なんだよてめえ!何のためにこんな・・・」
「・・・き、君たち・・・早く逃げて・・・もう持たない・・・」
 罵りながら拳を振るう2人をよそに佐野は少女達の方に顔を向け弱々しい声をあげた。
「あ・・・あ・・・」
 少女達は抱き合ったまま後ずさる。恐怖のあまり足が上手く動かないのだ。
「早・・・がっ・・・」
 いいのが入った。
 立っていられなくなった佐野はずるずると地面に崩れ落ちる。
 殴られて熱を持った場所が冷えたアスファルトに触れて気持ちがいい。痛みはずいぶん前に感じなくなっていた。
「に・・・にげ・・・」
 佐野は必死に呟く。いくら打たれ強くても、さすがにもう立てない。
「こいつ・・・本気で骨ぐらい取っとかねえと駄目だな」
 汗まみれになって息を荒げた男Aが呟きながら佐野に近づく。
「ああ。女どもは俺が押さえとくから足と手の一本ずつくらいやっとけよ」
 男Bは吐き捨てるように言って少女達に近づく。
(悔しいな・・・結局無駄だったのかな・・・)
 ぼんやりと考えているうちに視界が暗くなってくる。
(あちゃー・・・これ、やばいな。やばいよなぁ・・・)
「ん・・・?何だおまえ」
(え?)
 途切れそうな意識を必死で繋ぎ止めていた佐野の耳に不審そうな男の声が聞こえた。
 ベキッ。
 続けて鋭く、鈍い音が聞こえる。
「ほら、2人とも。バカアキが時間稼ぎしてんだからさっさと逃げな。それと、遅い時間にはあまり裏道をとおんないようにな」
「え?・・・は、はい!」
 たたたたた、と走る音が二つ。
「な、てめえ!」
 男Aの声、次の瞬間。
 ドスッ!
「ぐはっ!」
 重い音と共に男Aは悲鳴を上げて佐野の隣に転がった。
「なってねえな。まったくなってねえぜ」
(あ・・・この声・・・)
 佐野は必死になって狭くなった視界を声の方に向ける。
「まったく・・・馬鹿野郎が。オレを呼べよオレを」
 はたして、駆け去っていく少女達を背に一人の女性が立っていた。
 黒いレザーコート、黒いブーツ、手にはめたレザーグローブも黒。クールな容貌に今は燃え上がるような激情を露わにして、浅野景子はそこに立っていた。
「すいません。間に合わないかな、と思って・・・」
「・・・判断ミス。減点1だな」
 弱々しく呟く佐野にそう言ってから浅野はニッと笑った。
「だが、その意気や良し!プラス101点だ」
「・・・何ガタガタ言ってんだてめえら!」
 笑っている間に立ち上がった男達は低い声で叫んで浅野を取り囲む。
「キれたぜ・・・完全にキれた・・・おまえ、無事に帰れると思うなよ!?」
「へへへ・・・生きたままこの世の地獄を見せてやるよ・・・おっとその前に天国も見せてやるから心配すんな」
 男達は口々に下卑た言葉を口にしながら間合いを詰める。
「・・・見ない顔だな。この街にここまで頭の悪い奴は居ないから他の街からの遠征組か?」
 浅野は手のひらを上に向けてやれやれと言ったポーズをとった。
「ならどうしたって言うんだ?」
「いやいや。二度と龍実に来る気にはならねえだろうなと思ってな」
 言い捨てて浅野は佐野の方に顔を向けた。
「いいか?喧嘩ってのは極めてシンプルなんだ」
「くっちゃべってんじゃねえぞこのアマッ!」
 のんきに喋る浅野に男Aが叫び声をあげる。
 瞬間。
 ゴリッ・・・
 高速で振り回されたつま先が・・・極めて硬い鉄板入りのつま先が男Aの顎をえぐり飛ばした。
「・・・・・ッ!」
 脳しんとうを起こして男Aは崩れ落ちる。ぴくりとも動かない。
「先手を取る。それも最高の、必殺の一撃を一発目に持ってくる。やる前に喋るのはせいぜい二流のやることだな」
「て、てめえ・・・どうなるかわかってんのか!?」
 相棒を一撃で失った男Bはつばを飛ばして喚いた。
「わかってるに決まってんだろ?」
 浅野はめんどくさそうに吐き捨てる。
「オレのツレをこんだけ殴ってんだ。お前ら2人とも、死刑な」
 冗談ともとれる言葉。
 だがその言葉に込められた限りない冷たさに男は言葉もなく後ずさった。
「・・・つっ!」
 そして男は自分の腰を慌てたようにまさぐり、そこから小振りのナイフを・・・開いた形が蝶のように見えることで有名な『あの』折り畳みナイフを取りだした。
「く、来るな!殺すぞ!」
「・・・そのナイフで人を殺すのは結構大変だぜ?」
 浅野は冷え冷えとした声で言い放ち懐に手を入れた。
「殺すんなら、コレだ」
 そして銀色に光る自動拳銃を引き抜く。グロック19。アメリカの州警察の70%が採用している名作ハンドガンである。
「モ・・・モデルガンだよな?」
 恐る恐る尋ねる男Bに佐野は内心で首を振った。そうでないことは、身をもって知っている。
「いんや。本物。日本円にして10万以上するんだぜ」
 浅野は静かに言って男に狙いを付ける。握っただけで外れるセーフティロックもこの銃の売り物のひとつだ。
「もっとも、弾はゴム弾だから死にはしないさ」
 言うが早いか引き金を引く。

 パンッ。

 爆竹よりも味気ない破裂音。同時に男の背後の壁に小さな穴が空く。
「な・・・な・・・」
 その場にずるずるとしゃがみ口をぱくぱくと開閉する男に浅野は頭を掻きながら苦笑した。
「すまん。間違えて実弾を入れてきたみたいだ」
 そのまま男に近づき浅野は銃口を男の額、髪のつけねのあたりに当てた。
「ひっ・・・やめて・・・人殺し・・・」
 少し熱を持った銃口の感触に男はうわごとのように呟き声を上げる。
 じょろろろろろ。
 男の下に暖かい水たまりが出来るのを見て浅野は冷たく笑った。


「BYE」

 パンッ・・・

 再び銃声が響く。長く尾を引いて響いたそれを聞きながら浅野は銃をホルスターにしまった。
「訂正しとこっかね『一発目だけ』実弾だった。もちろんわざとだけどな」
 頭をゴム弾で痛打されてぐんなりと伸びて気絶した男にそう言って浅野は意地悪そうに笑って見せる。
「さって、バカアキぃ。生きてっか?」
 すっきりした顔で振り返った浅野の視線の先で、気の抜けた佐野は今度こそ意識を失った。最後の瞬間まで、思い人を眺めながら。
 
 

「んん・・・」
 軽く呻きながら佐野は目を開けた。
「お、やっと気が付いたな。ねぼすけめ」
 視線の先に機嫌良く笑う浅野の顔と胸。やけに近い。
「あれ・・・僕は・・・」
「おう。だらしなく気を失ってるおまえを引きずってくんのは大変だったんだぞ」
 言われて佐野は視界を左右にずらした。あたりに人気はなく、ただ樹木だけが静かに2人を囲んでいる。
「いつもの公園・・・」
「ここしか思いつかなくてな。さすがにおまえん家まで引きずってく気にもなんなかったし」
「すいません」
 謝った佐野は頭の下がやけに柔らかいのに気がついた。
 寝かされている。柔らかい。真上に浅野の顔。
 三要素を組み立てて佐野はひとつの結論に辿り着いた。
「・・・至福」
 佐野は呟いた。浅野に膝枕して貰っている事実に、ようやく気がついたのだ。  
「まあ、なんだ。ご褒美ってとこか?」
 浅野はしばらくの間苦笑してからふと真顔になった。
「しかしタカ。さっきのは賢い選択じゃないぞ」
「そうですね」
 佐野は言って痛む頬を押さえた。
「自分で何とかしてみたかったんです・・・あの人のように」
 そう言って笑う佐野に浅野は顔をしかめ首を振ってみせる。
「おまえは、山名じゃない。山名にはなれない」
「はい。わかってます・・・でも、真似してみたかったんですよ。浅野さんにかっこいいところを見せてみたかったんです。失敗しましたけど」
 佐野ははははと笑って見せた。浅野もその笑顔を見て苦笑する。
「おまえの実力じゃそんなもんだ。でも・・・結果的に見れば、あの娘達は助かっただろ?失敗ってわけじゃねえさ」
 ちょっと区切り、言うか言うまいか迷ってから付け加える。
「まあ、少しはかっこよかったぞ。おまえ」
「・・・そう言って貰えれば、こんだけボコボコにされたのもつらくありませんよ」
 うんうんと頷く佐野をよそに浅野は天を見上げた。
 上弦の月。高く遠い光が柔らかくそそぐ。
 この暖かい光の下でなら聞いていいような気がして、ゆっくりと浅野は口を開いた。
「孝明・・・オレのこと、好きなんだろ?」
 不意の呟きに佐野は一瞬以上戸惑った。
「はい」
 だが、はっきりと答える。
「・・・オレは、山名が好きだ」
 対する浅野もはっきりと口にする。
 佐野は微笑みながら頷いた。
「知ってたよな?おまえは。オレが山名のことしか見ていないことも・・・その山名は、オレが見ていることにすら気付いていないことも」
 膝の上の男を見下ろして浅野は溜息のように呟く。
「それでも、おまえは俺が好きだって言うんだな・・・」
 佐野は目を閉じ浅野の腿に身をゆだねた。
「・・・浅野さんが、かっこいいから」
 思わぬ答えに浅野は眉をひそめる。
「はじめから劣勢な戦いにめげず立ち向かうあなたが、どうしようもなく眩しいから・・・僕も負けられないと思いました。例え僅かな希望でも、絶望でない限り戦う強さ。あなたのそれを、僕も持っていたいと思います」
 佐野は目を開け、にっこりと微笑んだ。
「だから、僕はあなたが好きであり続けるんです。半歩後をついて行くだけで今は満足ですから」
「・・・バカアキが。ちょっとかっこいいじゃねえか」
 浅野は言って視線を遠くに投げた。
 樹の隙間から見えるそのマンションに彼女の思い人が・・・鈍感なくせに人が困っていると必ず側に居てくれるそいつが住んでいる。
「別にオレは強いわけじゃない・・・前に進む勇気も持たない弱虫だよ。おまえの方がずっと強い」
 風が吹いた。冬にふさわしく冷たい・・・そして透明な風が。
「浅野さんは優しすぎるだけですよ。だから、いつか必要なときが来れば・・・きっと大事な一歩を踏み出すことが出来ます。それは僕が一番よく知ってますから」
「そうか・・・」
 浅野は呟いて笑う。
「ありがとな」
 微笑んだままで、浅野は膝の上で揺れる佐野の髪を撫でてやった。
 彼女の忠実な・・・最高の相棒を。


 むかしむかしあるところに、純情で可憐、一途で暴力的なお姫様と気弱で軟弱、女好きで・・・やっぱりこっちも一途な従卒がいました。
 2人の思いは、すれ違っています。もしかしたら、どちらもかなわないかもしれません。
 あきらめた方が傷つかないですむのかもしれません。
 でも、退かない勇気を2人は持っていました。傷ついてでも、自分の思いを大切にしようとする意志を秘めていました。
 後悔だけはしたくないから、やめて後悔するよりは負けて笑いたいから。
 だから。
 いつか届く日を夢見て。
 2人の戦いは続くのでした。

                               −fin−