「やれやれ、やっと帰ってきたなぁ」
 その女性はようやく見えてきたその看板を見つめて呟いた。黒い皮コートに黒いレザーパンツ、その手を包む手袋の色も黒だ。
「約3年ぶりですからね。その間ほとんど連絡も取れませんでしたし」
 半歩遅れてついてきていた背の高い男が微笑むのを横目で眺めて女性は・・・浅野景子は肩をすくめる。
「しょうがねぇだろ?居場所が分かるとまじぃんだから。俺達の商売は」
「それもそうですね・・・ああ、それにしてもやっとこの重い荷物から解放される・・・」
 男、つまり佐野孝明は頷いて荷物を背負い直した。
「ずいぶん増えたよなぁ土産物も・・・どのくらいの国を回ったっけか」
「さぁ。20や30じゃきかないと思いますけど」
 どちらからともなく頷いて二人は再び歩き出した。季節はおりしも春。あの頃と同じように柔らかい風の中に甘い香りが僅かに漂う。
 二人は一軒の喫茶店の前で足を止めた。大きくはないがこぎれいな外観のその店は、昼前と言うこともあって誰も客が居ないようだ。
『OPEN』と書かれた札が下がっているドア。その横の壁に小さな看板がある。
「ははは、かわってねぇなあ!」
 浅野はその看板をぱしぱしと叩いて笑った。
「そうですね・・・掃除好きが居ますからね」
 佐野はどうでもいいような答えを返しながら自らもその50センチ四方の小さな看板を眺める。
 桜の花びらと雪の結晶がかたどられたマークと共にそこには短い言葉が刻まれている。

     『CherrySnow』・・・それが、その店の名前だ。


 カランカラン・・・

「いらっしゃいませ・・・あら?」
 カウンターの中で一人洗い物をしていた女性が入ってきた浅野と佐野を見て目を丸くした。神秘的な赤い瞳を。
「よう冬花。ひさしぶりだな」
「はい・・・おかえりなさい。浅野さん、孝明ちゃん」
 ぴっと手を挙げた浅野に同じようにしゅたっと手を挙げ返して冬花は微笑んだ。洗い物を中止して拭った左手に指輪が光る。
「ちょっと待っててくださいね・・・春彦さん!友美ちゃん!浅野さん達が帰ってきましたよ!」
 奥に向かって叫んだ声に対する反応は劇的だった。
「何ですとぉ!?」
 厨房からフライパン片手に飛び出してきたのは友美だ。体つきに若干女らしさが増し、髪も伸ばしているがその快活な笑みは大学時代と全く変わらない。右手の薬指で光っているのは冬花のものと同じデザインの指輪だ。
「ホントだ!おかえり浅野さん!ついでにバカアキも!」
「よう友美。ずいぶんと久しいな」
「僕はついでですか。さらに言うならいい加減きちんと名前で呼んでくださいよ・・・」
 ニヤリと微笑む浅野、情けない顔になった佐野を見比べて冬花は静かに微笑む。
「久しぶりにみんな揃いましたね・・・」
「ああ。3年と28日ぶりの同窓会だな」
 喜びに弾む声を引き継いだのは店部分と住居部分を繋ぐ扉を開けて現れた男だった。
「よう山名!相変わらず睡眠時間が長いのか?」
 からかうような浅野の声に春彦は軽く肩をすくめた。後ろで束ねた長髪が揺れる。
「忙しい時間帯は俺がメインで働いている。朝ぐらい寝かせてくれ」
 言ってコーヒーを入れ始めたその左手には、当然指輪が光っている。エンゲージリングを三つ作るというプランを言い出したのは冬花だ。
 当初友美は春彦と冬花が結婚したら他の家に引っ越すつもりだったのだが、冬花の猛烈な説得にあい今も同居している。
 ・・・常識外れの冬花の行動の裏には雪妖の里の風習が絡んでいるのだが・・・彼らのプライバシーなのでここで詳しいことを語るのはさけよう。
「浅野さん達、朝御飯は食べたの?」
 友美の問いに浅野はニヤリと笑って首を振った。
「入国ん時にどたばたしたもんでな。まだなんだよ。もちろん奢りだよな?」
「・・・仕方あるまい。それにしても、また密入国か?」
 春彦はやれやれと肩をすくめてカウンターに座った二人の前にコーヒーを置く。
「おうよ。まぁ金もだいぶ貯まったことだし、しばらくは日本でゆっくりするつもりだけどな」
 浅野はそう言ってコーヒーをすする。
「ここでこっそり真相をうち明けましょう。金銭的にはずいぶん前から余裕があったんですけど、ようやく浅野さんの中で心の整理が・・・ぎゃあっ!?」
 得意げにしゃべり始めた佐野が悶絶する。浅野の靴の鉄板入りの踵が佐野の足の甲を骨も砕けよと踏みしめたからだ。
「ああ、オレも丸くなったよなぁ」
 浅野が感慨深げに呟いていると、カランカランと心地よい鈴の音が鳴り響いた。店のドアに取り付けられたものだ。
「いらっしゃいませ~」
 冬花が相変わらずのんびりした声と共に頭を下げる。
「よう冬花さん!俺、いつものな」
「あたしもいつものお願いします」
「私もです」
 賑やかに入ってきた三人組の客は賑やかにテーブル席に座った。
「・・・繁盛してるみたいだな」
 浅野の言葉に春彦はああと頷いた。
「龍実大に近いからな。冬花と友美目当ての男どもも多いが・・・それを除いても常連は増えた」
「あいつらはどうなんだ?」
 なにやら騒がしく会話している三人組を顎で示すと春彦は笑って首を振る。
「あいつらか。おもしろいぞあいつらは。特に真ん中の木刀男がおもしろい」
「あれ?キョウ君達も来てたんだ。あいつら、またいつものメニュー?」
 厨房からモーニングセット(渾身の力作)を運んできた友美がコキンと首を傾げる。
「ええ。私は飲み物の方を用意しておきますね」
「OK!超特急で作るよん!」
 友美はぐっと親指を突き出してまた厨房に戻った。
「ははは、あいつらも仲良くやってんだなぁ」
「無論だ。まあ、いろいろと大変なときもあるが普通の男の二倍楽しみがあるからな。俺は・・・」
 文字通り神速で三人前の料理を作り上げた友美が大きなトレーを持った冬花に皿を渡す。危なげない足取りで注文の品をテーブルに運んで冬花もまたカウンターへ戻ってきた。
「さて、友美と冬花もグラスを持ってくれ」
 春彦は微笑みながらアイスコーヒーのグラスを差し出した。
 すぐにその意図に気がついた浅野と佐野も久しぶりの友美料理をかき込むのを中断してコーヒーカップを手に取る。
「さて・・・まずはあの冬に」
 春彦が静かな笑みと共にグラスを掲げた。
「三年ぶりの再会に」
 冬花は暖かい笑みを浮かべてグラスを両手で捧げる。
「あたし達五人の未来に」
 友美は快活な笑みでウィンクをしながらグラスを突き出す。
「僕たちが出会えた奇跡に」
 佐野はいまだひりひりする足の甲に引きつった笑みでカップを震わす。
「悪運強く生き延びて、そして笑っているオレ達に」
 浅野は不敵な笑みと共にカップを器用に指先で回す。

『乾杯!』


 二ヶ月の奇跡で、2人は出会いそして別れた。
 そして、新しい季節には新しい奇跡が。
 何度でも。

         ~CherrySnow SnowPhantasy・・・fin~