僕は退屈していた。
 緩慢に崩壊を続けるこの世界に、とか自由すぎて何が自由かもわからなくなってきている人生に、とかそういうのじゃない。要するに、暇なのだ。

 サラリーマン生活も3年目に入ってようやく一人立ちしたと言えば聞こえはいいが実体はといえばこうやってたった一人夜行列車で出張だ。何が一人立ちだ、ただの使いっ走りじゃないか。
 今時珍しい向かい合わせになったシートに座って僕はもう何回目かもわからなくなった溜息をつく。
 今停車しているこの駅で三駅目、残り・・・九駅だったかな?それとも十?十一だっけ?
「・・・どちらにしても、まだ一時間以上あるのは確実か」
 呟いてまた一つ溜息をつく。
 この致命的な退屈加減に対し僕の装備はといえば書類三組に新聞が一部。ボールペンに万年筆に赤ペン。
 この組み合わせから僕はどう言う打開案を組み上げればいいのだろう。
 静かに深く僕は考えた。
 結論・・・新聞を読む。三回目だけど。
 いい加減暗記し始めた記事にもう一度目を落としていく。
 地下鉄の脱線事故・・・この電車は大丈夫だろうな?
 某宗教団体間系裁判の続報・・・後20年はかかるだろうなこれは。
 コンビニ強盗多発・・・最近は包丁じゃなくてピストルだから怖いな。
 関西のあの球団の近況・・・せめて、Aクラス入りしてくれ・・・
「駄目だ・・・」
 僕は無言で新聞を畳んだ。新聞は情報を得るための物であって娯楽じゃないということを再確認しただけだ。何もおもしろくない
 つまらない。暇。退屈。そもそもこの車両に僕一人というのが殺人的だ。僕は他にやることもないので溜息をつくために大きく息を吸い込み、
「隣、よろしいですか?」
 背後からかかった声にそれを中断して振り返った。
 そこには一人の男が立っていた。中肉中背、これといって特徴がないことが特徴とも言えそうな極めて平均的な男だ。
「ええ、どうぞ」
 僕がそういって居住まいを正すと、彼はどうもと軽く頭を下げてから隣の席に座った。足下に小さなバッグを置いて僕の方に向き直る。
「この電車すいてますね・・・誰も乗ってないかと思いましたよ」
「まあこんな時間ですしね」
 軽く肩をすくめると彼はにっこりと微笑んだ。
「お仕事ですか?」
「出張ですよ。それもこんな時間に・・・急でしかも経費削減。嫌な時代です」
「仕事はいつの時代でも大変ですよ。フリーターが言っても説得力無いですけどね」
 僕が苦笑すると彼は思いついたようにぽんと手を打った。
「あの、今暇ですか?」
「ええ、世界暇人協会認定暇試験一級にA判定が出そうなほど暇ですよ」
「・・・相当暇なんですね」
 彼の哀れみの視線に僕はちょっと傷ついた。
「まあそれはそれとして、ちょうどいいですね。僕の暇つぶしに協力してくれませんか?」
「暇つぶしですか。何をするんです?」
 男は再度にっこりと微笑んだ。
「ゲームです。実は私、暇つぶしの達人でして・・・あっという間に時間が過ぎる暇つぶしをご提供しますよ?」
 達人・・・何か凄そうだな。
「いいですね。やりましょう」
「では少々お待ちを」
 男はバッグから一組のトランプを取りだした。
「トランプですか?」
 僕は少々拍子抜けして尋ねてみた。
「その通りです。ブラックジャックはご存じですか?」
「ええ。いわゆる21ってやつですね」
 男はにっこり笑って頷いた。
「なら話は早い。すいませんがこのトランプをよく切っといて下さい」
 トランプか。そりゃあ暇つぶしの定番だし結構好きだけど・・・
「意外と普通ですね」
 僕は思わずそう言ってしまった。
「おもしろいのはここからですよ」
 男はバッグの中に再び手を突っ込んだ。
「これからするのは変形ブラックジャック・・・通称デッドマンです」
 そして、中から黒光りする金属塊を取りだした。
「ピ、ピストル!?」
 僕はシャッフルする手を止めて叫び声をあげた。
「ええ、よくできてるでしょう?たくさん持ってるんですけどこれが一番良いできなんですよね」
「なんだ、モデルガンですか・・・」
 僕は呟いてその銃を手に取った。6連発のリボルバーだ。そういうのにあまり詳しくない僕には種類までは解らないが、手にずっしりと来るその重量感は男心をどこかくすぐるものがある。
 男はにっこり笑ってもう一丁同じタイプの銃を取りだした。 
「えっと・・・弾は・・・」
 もう一度バッグをごそごそと漁り、これまたよくできた弾丸をバラバラとサイドボードにおく。全部で12発だ。
「このモデルガン、どうするんです?」
 尋ねると男はバッグを閉めながら説明を始めた。
「デッドマンというのはアメリカの開拓者達が究極の娯楽として開発した賭トランプでしてね・・・トランプとしてのルールはブラックジャックと一緒なんですが、勝者の手札にエースが含まれていたとき、敗者はあることをしなくてはならないのです」
「あること?」
 男は笑って銃を持ち弾倉が空なのを素早く確認してからこめかみに銃口を当てた。
「ロシアンルーレットです」
 言って引き金を引くとカチンと音を立てて撃鉄が落ちた。
「もっとも、当時のガンマン達がこれをロシアンルーレットと呼んでいたかは知りませんけどね」
 男はもう一度弾倉を開け一発だけそこに弾丸を詰めた。サイドボードにその銃を置き僕の持っていた銃にも一発だけ弾を込める。
「お互いの銃にはスタート時は一発だけ弾が入っています」
「スタート時?」
「ええ。ここがこのゲームのおもしろい所でして・・・勝者の手札によって様々な増減が起きるのです。と、言っても絵札だけですけどね。スペードなら相手の銃に弾が一発増える、クラブだと逆に自分の銃の弾が一発増える。ハートだと自分の銃の弾を一発減らせますがダイヤだと相手の銃の弾が減ってしまうのです」
 僕は頭の中でルールを整理してみた。
「えっと、ルールはブラックジャックと共通。スペードとダイヤは相手の弾を増減、クラブとハートは自分の弾を増減・・・で、エースで勝つと罰ゲーム開始と」
「はい、あってますよ。ちなみにこのペイント弾は中のインクが飛び散らないタイプなので服とかは汚れません。躊躇わずに頭へガツンとどうぞ・・・ちょっと痛いかも知れませんけどね」
「そりゃ怖い」
 僕は言ってトランプをもう一度切り直した。確かにこれはおもしろそうだ。
「じゃ、どっちが親をやります?」
「二人しか居ませんから・・・自己申告ということで。ああ、そうそう。カジノルールですのでお互いオープンする手札は最初の一枚だけです」
 僕は頷いて切り終わったトランプをサイドボードに置いた。男はバッグから二冊雑誌を取りだしその片方を自分の太股の上に置く。
「テーブル代わりです。どうぞ」
「ホント用意がいいですね」
 感心しながら太股の上に受け取った雑誌を置いた。
「では、スタートです」
 男はそういってカードを一枚雑誌の上に置いた。ハートの6だ。
 僕も同じようにカードを置く。スペードのQ。
「スペードの絵札ですね。これで僕が負けると弾が一発増えてしまう。ちょっと気合いを入れなくてはならないようですね」
 男はそう言って山札からカードを一枚取った。それを伏せて置き少し考えてからもう一枚取る。
「・・・はい。私はこれでいいですよ」
 僕は山札から一枚カードを取った。ハートの8・・・もう一枚取るのは危険だ。
「僕はこれで」
 男は頷いてカードをひっくり返した。
「6、5と来てダイヤのQです。合計21ですね」
 僕はわざとらしくがっかりしてから伏せたカードを表にした。
「僕はスペードのQとハートの8・・・18ですから負けですね」
「ええ。とは言え・・・ダイヤだからあなたの銃の弾を一発抜いて下さい」
 僕は男がさっきやっていたのを真似して銃の弾倉を開けその中の弾を抜き取った。
「空になっちゃいましたけどいいんですか?」
「はい。0〜6までどれでも有りです」
 男は言いながら手早くカードをシャッフルした。
「では次いきますよ?」
 言うが早いか一枚目のカードを取る。ハートのAだ。
「最高じゃないですか」
 僕は呟きながら自分のカードを取る。ダイヤの2だ。
「5カードルールもありますからね」
 言いながら男は次のカードを引いた。ちょっと考え込み一人頷く。
「はい、これでいいです」
 僕はカードを引いた。スペードの6。もう一枚。今度はダイヤの4だ。
「これは難しい・・・」
 エースなのに二枚止めと言うことは彼の手札は21の可能性が高い。勝負所か?
「もう一枚だ!」
 僕は勢いよくカードを引いた・・・スペードの、5。
「男は度胸!」
 もう一枚引く・・・クラブのJだ。合計、27・・・ドボン。
「駄目でした。27です」
 僕は苦笑しながらカードを開いた。
「僕はAとJ・・・21だったんですけど、ハートとクラブで効果は相殺しちゃいましたよ」
 男も苦笑を返してカードを開く。彼の銃の弾は一発減って一発増え結局元通りだ。
「でも、エースで負けちゃいましたね」
 僕は言って銃を手に取った。
「まあ、弾が入ってないんでおもしろくはありませんけどね」
 男の言葉に軽く肩をすくめながら弾倉を勢いよく回転させ、僕は銃口をこめかみに当てた。
「け、結構緊張しますね」
 震える手を隠して笑ってみせる。モデルガンでその上弾が入ってないのだから気楽にやればいいのだが・・・やはりちょっと怖い。
「・・・えい!」
 カチン・・・
 耳元で金属音がして僕は大きく息を吐いた。
「じゃあ次行きましょうか」
 男は笑顔でトランプを切っている。
「このゲーム、気に入りましたよ」
 僕はそう言って切り終わったトランプから一枚カードを引く。
「そういって貰えれば幸いです」
 男も一枚引く。僕はダイヤのA、彼はクラブの6だ。
「エース・・・ここは頂きますよ」
 僕は呟いてカードを引いた。
 スペードの・・・10。
 まあ、これでも21だしよしとするか・・・
「これでいいですよ」
 僕がそう言うと男は少し不安そうな顔をした。
「・・・自信ありそうですね。こりゃやばいかな?」
 男はカードを引いた。もう一枚・・・もう一枚。
「これが限界か・・・いきます」
 僕は唾を飲み込んで伏せカードをひっくり返した。
「21」
「20です・・・負けました・・・」
 男の手札は6、4、ハートのKだった。
「さてさて、どかんと一発撃って貰いましょうか」
 僕がそう言って促すと男は曖昧な笑顔で自分の銃を取った。
「じゃ、じゃあ・・・行きます」
 男は引きつった笑顔でそう言い弾倉を回転させてからこめかみに銃口を当てる。
「・・・・・・」
 手が震えている。よく見れば顔にはびっしりと汗が。
「くっ・・・!」
 カチンッ。
 撃鉄が落ちた瞬間男はびくっと体を硬直させ一瞬後大きく息を吐いた。
「だ、大丈夫でした・・・」
 懐からハンカチを取りだして顔を拭う男に僕は苦笑して語りかける。
「ずいぶん怖がってましたね」
「いやお恥ずかしい・・・でもそれが醍醐味なわけでして」
 まあ、そうと言えばそうなんだけど・・・本当に凄い怖がりようだ。
 まるで、実弾のように・・・
 実弾?
 僕はその可能性に気付いてぞっとした。万が一、この弾が実弾だったら?
「まさかね・・・」
「何がです?」
 男の言葉に僕はびくっとした。
「その弾・・・ペイント弾なんですよね?」
 男は黙って僕の目を見つめた。無表情な顔でゆっくりと口を開く。
「・・・実弾だといったら、どうします?」
「ひっ・・・!」
 僕は思わず悲鳴を上げた。慌てて男が手を振る。
「嘘です嘘です!間違いなくペイント弾ですってば!」
 男はそう言って苦笑した。
「雰囲気出しすぎですよ!今本気で怖かったですよ!?」
 ひとしきり叫んでから僕は荒々しくカードを引いた。
 ・
 ・
 ・
 それからしばらくはお互い引き金を引かずにゲームが進んだ。まあ、エースは53枚中4枚しか入ってないのだ。そうそう引く物でもない。
 弾倉の中には僕の方は3発、彼の方に2発弾が入っている。そろそろ危険域だ。
「では次・・・いきます」
 男はカードを引いた。ハートの9だ。
 僕もカードを引く。クラブのJだ。
「うーん、これ以上弾は増やしたくないんですけどねえ・・・」
 僕が呟くと男は笑ってカードを引いた。ちょっと首を傾げてもう一枚。
「厳しいな・・・まあ、これでいいですけど・・・」
 男の声を聞き流して僕はカードを引いた。ダイヤの8だ。
 どうかな・・・彼の手はどうも駄目らしいけど、これ以上弾倉の弾は増やしたくない。「もう一枚」
 僕はカードを引いた。引いたのはスペードの6・・・予定通りドボンだ。
「ドボンです」
 僕がそう言うと男はにっこりと微笑んだ。
「引っかかりましたね」
 男の手札は、9、2、スペードのAだった!
「いやあ、13ですからね〜もう一枚かと思ったんですけどあなたがクラブの絵札を引いてたでしょう?わざと負けると思って罠をかけてみました」
 ・・・やられた。僕はまんまとはめられたわけだ。
 苦笑しながら弾倉に弾を詰める。これで4発目か・・・
「これは駄目かもしれませんね」
 僕はそう言って弾倉を回した。
「弾はまだありますか?これ当たっちゃったらもう1ゲームしましょうよ」
 そう言ってこめかみに銃口を当てる。
「いいえ・・・」
 男は静かに首を振った。
「このゲームは、一回きりしかできないゲームです。途中で止めることも、再び挑むこともできません」
 言い終わって男は唇の端を片方だけ吊り上げた。
「どうしました?早く引き金を引いて下さいよ」
 僕はこめかみに銃口の冷たさを感じながら硬直していた。
「あの・・・途中で止める事が出来ないってどう言うことですか?」
 男はさっきまでの友好的なそれとは明らかに違う笑顔で答えた。
「簡単なことです。このゲームを途中で止めた者は相手に撃たれるからですよ。罰として、ちゃんと6発弾が入った銃でね」
 ペイント弾だ!これはペイント弾だから問題ない!
「・・・再び挑めないと言うのは?」
 男は喉だけでくっくっくと笑い声を上げた。
「ご想像にお任せします・・・さあ、早く撃って下さいよ」
 大丈夫・・・!さっきと同じだ!この男の悪ノリだ!そうに決まっている!
「くっ!」
 カチンッ!
 金属音と共に僕はこわばっていた体に血が戻っていくのを感じていた。
「おめでとう。ゲーム続行です」
 男はにこやかに笑ってそう言ったが僕にはそれが・・文字通り悪魔の微笑みに見えた。
「も、もう止めませんか?あなたの勝ちでいいですから!」
「さっきも言ったでしょう?駄目です、と」
 男は言いながら銃口を僕に向けた。
「ひっ!」
 僕は立ち上がろうとしたが足がすくんでしまい動けない。もし動いたとしても相手は銃を持っている。背中から打たれておしまいだろう。
「このゲームを終わらせたいのならば、さっさとカードを引きなさい」
 男はそう言って銃をおろしカードを引いた。ダイヤの10だ。
 僕もなかばやけくそになってカードを引く。クラブの3。
「もう一枚・・・これでいいでしょう」
 男はカードを引き満足げに微笑む。
 僕は震える手でカードを引いた。ダイヤの8・・・合計で11だ。もう一枚山札からカードを引いてくる。こんどは・・・スペードの、K!
「これでいいです・・・21!」
 僕がそう言って伏せカードを見せると男はわざとらしくがっくりして見せた。
「残念・・・私は18です」
 言いながら自分の銃に弾を込める。奴はこれで3発、僕は4発・・・確率的には、次はないと思った方がいい。
 男はその事実をまるで気にしていないかようにトランプをシャッフルしカードを引く。
 引いたカードは・・・スペードの、A!
「くっ・・・」
 僕は歯を食いしばってカードを引いた。ダイヤの4・・・何でこういう中途半端な数ばかりを引く!
「もう一枚・・・おやおや、これはいい」
 男は呟いてニヤニヤと微笑む。
「・・・もう引かないんですか?」
「ええ。どうぞどうぞ」
 僕は男を睨み付けながらカードを引いた・・・ダイヤのA!
 落ち着け・・・落ち着くんだ・・・今あいつに勝たれたら5発の弾倉でルーレットだ・・・そんなことをしたら確実に死ぬ。勝つぞ・・・勝てばいいんだ!
「もう一枚!」
 僕は叫びゆっくりとカードを引いた。ハートの2・・・合計は、7か17だ。僕はもう一枚カードを引いた。
「これは・・・」
 思わず呟いてしまった。
 引いたカードはハートの5。合計で12、もしくは22。22はドボンだから無しとして12だ・・・
 どれか絵札が出たらドボン。しかし引かなければ・・・やはり負けてしまう。
「もう、一枚だ!」
 僕は目をつぶってカードを引いた。目の前にカードをかざしゆっくりと目を開く。
 スートは・・・クラブ。
 数は・・・4だ!
「来た!」
 僕は叫んで伏せていたカードを表にする。
「4、1、2、5、4!合計は16!5枚で21以下だっ!」
 男は一瞬目を丸くし、次いでくすくすと笑い始めた。
「いやいや・・・土壇場になってやってくれますね。私はスペードのAにダイヤの9で20だったんですが・・・くっくっく」
「笑うのはいいですが、あなたの負けです。その・・・やって貰いますよ」
 男は小さく笑いながら弾倉から一発弾を抜いた。残り2発入った弾倉を勢いよく回し銃口を自分の頭に突きつける。
 本当に、あの弾は実弾なんだろうか・・・まさか・・・そんなはずはない。自分だって同じ弾を使ってるんだ、そんな事するはずないよな・・・するはずないよ。
「楽しい・・・実に楽しい!とても楽しい!」
 男は一声叫び引き金を引いた!
 カチンッ!
 乾いた音が鳴り今回も終幕は訪れない。
 だが・・・僕は銃ではなく彼の顔だけを見つめていた。
 彼は、笑っていた。緊張感も恐怖も・・・正気すら感じさせない空虚に楽しそうな、迫力のある・・・つまりは恐ろしい笑顔で!
 僕はもう、この銃に込められているのがペイント弾だなんて信じなかった。
 こいつは・・・この男は狂ってる!
 僕は無言でトランプを取りそれをシャッフルした。いいさ・・・勝負なんだろ!?ゲームなんだろ!?勝てばいいんだろ!?
 僕は乱暴にトランプを置きそこからカードを一枚引いた。ハートのJだ。
 男は声をあげて笑いながらカードを引く。スペードの8だ。
 山札からカードを引く。ダイヤのQ・・・合計は20。ただし勝っても弾は僕が3、奴が1と大幅に不利か・・・でも、奴が次にAを引いたら?
「・・・これでいい」
 僕は手のひらの汗を拭いながら男にそう言った。
「じゃあ私の番ですね」
 男は相変わらず笑顔でカードを引く。続いてもう一枚。
「これで結構・・・19です」
 男の手札は8、5、6だった。
「僕は20です」
 男は含み笑いを続けながら自分の銃の弾を抜く。僕も自分の弾倉から一発抜き取った。
 その間に男はシャッフルを終えてカードを引いていた。クラブのJだ。
 僕の引いたのは同じくクラブのK。
「ゲームは・・・特にブラックジャックは負けないようにするのが難しい・・・」
 男は笑いの呼気に乗せてそんなことを言ってきた。言いながら引いたカードをちらりと眺め伏せる。
「それがどう言う意味かわかりますか?」
 身振りでどうぞと告げる男を睨みながら僕はカードを引いた。
「どう言う意味です?」
 スペードの8・・・合計で18。まあまあだ・・・しかし、クラブで勝つと僕の退路がいよいよ無くなっていく・・・
「つまり・・・ああ、もういいんですか?」
 笑いを急に納めた男に僕は首を前に倒して見せた。
「つまりです!弾数に余裕がないあなたは消極的に戦わざるを得ない!いつ私がエースで勝つかわかりませんからね!しかし私はまだ無茶が出来る!」
 男は叫んでカードを表にした。クラブのJと・・・スペードのK!
 男の馬鹿笑いを聞きながら僕は震える手で弾を詰めた。僕の方に4発、彼のに2発。
「どうしましたあ?顔色が悪いですよお?」
 男はいやらしく語尾を延ばしながらシャッフルを続ける。
「ほっといてください・・・」
 切り終わった山札から僕はカードを引いた。ハートのA!ここ一番で訪れた最高の手札に思わず笑みがこぼれる。
「よかったですねえ・・・」
 笑いながら引いた男の手札はスペードのJ。
 僕は震える手を叱咤しながらカードを引く。頼む!良いカードが来てくれればこの絶望的な勝負の風向きを変えられるんだ!
「来いッ!」
 引いたカードは・・・ハートのJ!ブラックジャックだ!
 僕の顔に勝利の微笑みが浮かぶ。ざまあみろ!
「ふふふ・・・嬉しそうですね・・・」
 男は笑ってカードを引く。
「おや・・・まあ、これでいいでしょう」
 男が言った瞬間。僕は伏せ札をひっくり返した。
「ブラックジャックだ!」
 叫ぶ僕に男はにっこりと微笑んだ。
「私は、<正しい>ブラックジャックです」
 スペードのJの横のカードをひっくり返す。そこには・・・スペードのAが静かに横たわっていた。
 それはつまり・・・
「私の勝ちですねえ・・・」
 男の視線が僕の銃に向けられた。弾倉に4発の弾を抱えた僕の銃を・・・!
「ひいっ!」
 僕は悲鳴を上げて立ち上がろうとした。
「逃がしませんよ!」
 だがそれより早く男の腕が僕の肩をシートに押しつけてしまう。「これがルールですから。悪く思わないで下さいね」
 男は左手で僕を押さえつけながら片手で器用に弾倉を開く。
「いやだ!やめてくれ!」
 僕は両手で彼をはねのけようと暴れるが男の手はびくともせずに僕を押さえつける。
「今更それですか?往生際が悪いとは思いませんかあ?」
 男は弾を込め終わった弾倉を僕の頬に押し当てて勢いよく銃を振り弾倉を回転させた。そしてはずれのないルーレットを僕の額の真ん中に押し当てる。
「嫌だ!死にたくない!」
「不発かもしれませんよお?」
「何で僕がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ!」
「だって、ゲームですから」
「ゲームで死にたくない!」
 男は銃口を僕に押しつけたままニヤニヤ笑いを僕の顔に近づけた。
「で、言いたいことはそれだけですか?他に言っておくことは?」
 駄目だ・・・僕は自分の顔が蒼白になっているのを男の瞳の中で確認した。
 歯ががちがち鳴る。足がすくむ。何とか抵抗しようと思うが手が硬直して動かない。額の中心に冷たい金属の感触。目の前には笑い続ける男!
「無いようですね。では、おわかれです」
「嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!」
 叫ぶ僕を無視して男は引き金を引いた。
「ああああああああああああああああっ!」
 パンッ・・・!
 乾いた音がした。同時に衝撃が僕の頭をシートに叩き付ける。
 額に液体が広がるのを自覚。液体はじわじわと広がり垂れてくる。
 僕は目を見開き動かない。
 男は無表情に僕を見つめている。
 ・
 ・
 ・
 数分ほど硬直したままだった僕はゆっくりと手を動かし額の液体を拭った。
「・・・・・・」
 上げた手を同じくらいゆっくりと下ろす。指先にはべったりと、青い液体が付いている。
「あお・・・い?」
 僕は空っぽの頭を通過した情報を直接口に出した。
「大丈夫、水性ですから洗えばすぐに落ちます」
 男はそう言って僕の肩から手を離しにっこりと微笑んだ。
 会ったときの友好的なそれではなく、さっきまでの邪悪な笑みでもなく、それは・・・してやったりといった悪戯っぽい微笑み。
「あ、あ・・・あ・・・」
 僕はうまく動かない口を必死で操って言葉を押し出した。
「あ?」
 聞き返してくる男に僕は全力の叫び声を叩き付けた。
「あなた何て事するんですか!いいいいいい今の!全部嘘だったんですか!?」
「嘘って何がですか?」
 男は滅相もないと手を振りながらそう答えてくる。
「だってこれ・・・ペイント弾・・・」
「ええ。だから言ったでしょう?ペイント弾だって」
 確かに。確かに彼は最初にペイント弾だって言ったしその後も一度だって実弾とは言ってない。
 言ってはいないけど・・・
「でも・・・!」
 言いかけた僕を男はにっこり笑って遮った。
「いい暇つぶしには、なったでしょう?」
 僕は反射的に時計に目を落とした。あれから一時間がたとうとしている。後数分すれば目的の駅に着くことだろう。
「・・・やっぱり、怒ってます?」
 時計を見つめて動かない僕に男は上目遣いで聞いてきた。
「・・・・・・」
 僕は無言で彼を見つめた。しばらく考え、まだ引きつっている顔面を無理矢理笑顔らしきものに整える。
「いえ、別に怒ってませんよ。確かに凄くびっくりはしましたけど・・・暇つぶしって意味では最高の暇つぶしでしたから」
 男はそれを聞いて大げさに胸を撫で下ろした。
「いやあ、それを聞いて安心しましたよ。今回はちょっと悪ノリしすぎたかなって反省してたんですよ」
 悪ノリ・・・あれをそんなモノで済ませて良いのだろうか?
 憮然としていると男はにっこりと微笑んだ。
「ドキドキしたでしょう?」
「しすぎですよ!」
 男は満足げに頷いた。全くこの男は・・・
「そのインク、乾くと落ちにくいんで今のうちに洗った方がいいですよ」
 男は銃と弾をバッグの中に戻しながらそう言ってきた。
「この車両にはトイレが付いてますからそこで洗ってきたらどうです?」
 男が指さす先を眺め僕は頷いた。
「そうですね・・・ちょっと行って来ます」
 荷物を整理する男を後目に僕はふらふらとトイレに入った。鏡がないので手探りで頭のインクを洗い流していく。
 やられた・・・騙された・・・
 僕はくすくすと笑いながら額に水をかける。
 そりゃそうだ。実弾なんて使うはず無いじゃないか。あの男の凝りに凝ったいたずらに僕はすっかりはまってしまったわけだ。
「おもしろい男だな・・・」
 呟きながらハンカチで額を拭うと軽いたんこぶが出来ていた。ペイント弾とはいえ至近距離での一撃だ。結構痛い。
 僕は額を押さえながらトイレを出た。
「あれ・・・?」
 座席に居るべき姿がない。男の姿がない。
 僕は辺りを見回しながら座席に歩み寄った。
 僕の荷物がそこにある。だが男のバッグがない。その代わりにさっきの銃の片方と一枚の折り畳んだ紙片が男の座っていた座席に置いてある。
 眉をひそめながらその紙片に手を伸ばした瞬間、減速した電車に足を取られて僕はよろめいた。遂に目的の駅に着いたのだ。
 僕は、ひとしきりよろけてから体勢を立て直して紙片を手に取る。
 開いてみると手帳をちぎったとおぼしきその紙切れには細かい字がびっしりと書かれていた。それは、彼からの置き手紙だったのだ。
 僕はそれに目を通す。

『親愛なる勝利者へ
  まずはお祝いを言わせて下さい。あなたは勝利者です。とてつもない幸運に支えられた本当の勝利者です。
 まさに奇跡だ。私は奇跡を見せて貰いました。
 なにしろ、あなたはあれを掴み取ったのですから!本当の正解を!幸運を!
 12発の弾丸の中から、たった1発のペイント弾を!』
 僕は、大きく目を見開いた。
『そうです。あの12発のうち11発は正真正銘実弾です。もしもあの距離で撃っていたら確実に死んでいたでしょう。それについては僕が保証します。
 ああ、疑っていますね。それだったら一緒に置いてある銃を撃ってみると良いでしょう。ただし誰もいないところで見つからないようにして下さい。せっかくのプレゼントがあっさり警察の手に渡るのも気持ちがいいもんじゃあありませんからね。
 何故とお思いでしょう。自分の命を懸けてまで何故こんな事をするのかと思っていることでしょう。
 私はここ数年仕事で・・・ご想像の通りまっとうな仕事ではないのですが・・・失敗したことがありません。そしてずっと考えていたのです。私がこれまでしくじらなかったのは何故なのかを。
 私が幸運だったから?周りが不幸だったから?そもそも運不運などあるのでしょうか?
 その答えを求めて私はさっきのゲームを始めました。
 気付いていたかもしれませんが、あれはイカサマです。あのゲームは最初からあの状況を作り出す為に存在したのです。奇跡が起こるか確かめるために。
 あなたは期待通り奇跡を起こしてくれた。感謝してますよ。

 私はこれから最後のゲームを始めます。奇跡が存在するなら私にもそれが起きる筈です。
 あなたが使った銃で、私もそれを起こして見せます。ただ一発の空白を選び取って見せます。
 さあ、窓を見て下さい』 
 僕は、恐る恐る窓の外を見た。
 男が居る。停車した駅のホームに降り立った男が窓越しに僕を見て笑っている。
 そして、ゆっくりとゆっくりと右手に握った銃を自分のこめかみに当てる。
「やめろ・・・」
 僕は呟いた。
「やめるんだ・・・」
 男は僕の目を見てにっこりと微笑む。
「やめろおおおおおおおおおお!」
 そして、男は引き金を引いた。

 

 パンッ・・・

 <Double Fake : End>