「やっほ。おはよっ、風間!」
「おう」
 今日も家の前で鉢合わせした風間恭一郎と天野美樹は軽く手を上げて朝の挨拶を済ました。
「なんかもう、毎朝恒例で飽きてきたわね」
「・・・通学に刺激を求める感性が俺にはわかんねぇ」
 軽口を叩きながら学校に向かうのもこの一週間ですっかり慣れた。
「で?こっちに来て初めての土日は満喫できたか?」
「そりゃあもう。前の学校は県立だったから土曜も学校あったもんで嬉しゅうて嬉しゅうて。一日かけて家中ぴかぴかにしちゃったわよ」
 嬉しそうに二の腕を叩いて美樹はガッツポーズを取る。
(・・・家庭的な奴)
 肩をすくめて恭一郎は内心で笑う。
 しばらく歩いてから公園に入る。いつものベンチでお目当ての少女は本を読んでいた。
「よお、葵。行くぞ」
「あ、恭ちゃんと美樹さん。おはようございます」
 にっこりと笑って神楽坂葵は立ち上がった。頭の上で猫耳状の髪の毛がぴよんと揺れる。
「おはよ、葵ちゃん。何読んでたの?」
「ふふふ、これよ」
 葵は笑いながら本の表紙を美樹に見せた。
「2000年度版家庭で飼う熱帯魚?へえ、葵ちゃん熱帯魚好きなんだ」
「うん。夏休みにはダイビングにも行くの」
 葵は言って「ね?」と恭一郎に視線を向ける。
「こいつの部屋見たら驚くぞ。ありゃ海底だ」
 軽く笑いながら恭一郎は歩き出す。
「海の中に漂ってる感じって言って欲しいなあ」
 葵はちょっと口を尖らせて一歩遅れて後を追う。息のあった、付かず離れずのタイミングと距離だ。

『あいつら、ぜったいできてるよ  天野美樹 』


「おい風間、ちょっと聞きたいんだけどよ」
 背後から声をかけられた恭一郎は荷物を自分の机に置きながら振り返った。
「なんだ広田か。どーした?」
 面倒くさそうな恭一郎の声に広田は眼鏡を軽く指でずり上げてジト目を送る。
「まさかとは思う。でも、どーしても気になる」
「何だよ」
 広田は大きく息を吸い込み吐き出した。その指が一番廊下側の席を指差す。そこに真新しい机が一つ。
「今日、うちのクラスに転校生が来る」
「はぁ!?この間そこのH2女が来たばっかだろうが」
「なによそのH2って」
 いきなり指差された美樹はクラスの友達とダベるのを中断して恭一郎を睨んだ。
「知らねえのか?某重工製のロケットだ」
「・・・ひねりすぎよあんた」
 呆れる美樹をよそに広田は眼鏡の位置を直す。
「話し、続けていいか?ともかく転校生は来る。そして俺の情報網によれば、その転校生は・・・外人だっ!」
 広田は意味もなく恭一郎に指を突きつけて叫んだ。その背後にピシャッ!と稲妻が走った・・・ような気がする!
「が、外人って・・・外人かよ!?」
「そ、そりゃあんた外人でしょ。外人なんだから」
 雰囲気に飲まれた恭一郎と美樹は無意味におののいて見せた。
「広田君、その転校生の人はどこの人なの?」
 それまでニコニコしながら恭一郎を眺めていた葵が首を傾げて尋ねる。  
「アメリカ人らしい。なんでも某航空会社の重役の娘らしいぜ。なんかでっかいプロジェクトがあるとかで日本に来たらしい。両親はかなりの親日家だってよ」
「で?それがどうしたんだ情報屋」
 ぞんざいに尋ねられた広田は少し声をひそめて上目遣いに恭一郎を睨む。
「その転校生、かなりの美人らしい」
 じゅるっと誰かが涎をすすった。
「ふっふっふ・・・洋物も・・・制覇」
「やーん久美子ストレートぉ」
 あまり深く考えたくない会話を背中で聞き流して恭一郎は続きを促した。
「で?」
「俺が聞きたいのはずばりっ!その転校生に貴様がいち早く手をつけてないかだっ!」
 広田の叫びに恭一郎はがくっと傾いた。
「つけてるわけねぇだろうがっ!てめぇは俺をなんだと思ってやがるっ!」
「貴様は前科持ちだ風間恭一郎っ!美人転校生という独り者男の夢を教室に入ってきてから30秒で粉々に打ち砕いたことを忘れたとは言わさんぞ!貴様の手の早さを俺達は身にしみてわかって居るんだ!」
 恭一郎は激しく嫌な顔をする。
「勝手に砕けてろっ!俺が知るかそんなもん!天野にアタックしたいなら勝手にすりゃあいいだろうが!俺には関係ない!」
 そこまで叫んでからニヤリと笑う。
「もっとも、こいつの凶暴性に耐えるには相当の神経がいるけどな」
「うっさいわね木刀付き変質者!」
 まあまあと割ってはいる葵の両脇で恭一郎と美樹は睨み合う。
「・・・つまりだ風間。ほんっとうに、転校生のことは知らないんだな?」
「くどい!知らねえっつーたら知らねえっ!」
 広田はそれを聞いて重々しく頷き教室の中央に立った。
「聞いたか皆の衆っ!今度こそフリーの美人転校生だっ!我々はっ、やるぞっ!」
 高々と拳を振り上げて叫ぶ広田の周りにクラスの男子が輪になって並ぶ。
「応ッ!今こそ、豊かな青春をっ!」
 男達は一斉に拳を突き上げた。

『こ、こいつらは・・・ 天野美樹 』


 きーんこーん。きーんこーん。
 チャイムと同時に教室のドアが開いた。
「みんな、ホームルーム始めるでぇ」
 やる気のなさそうな声と共に担任が入ってくる。
 男達は機敏な動きでそれぞれの席へ戻る。その瞳と耳は廊下に立って居るであろうその少女の情報を少しでも得ようとフル稼働状態だ。
「その様子やとみんなもう知ってるみたいやな。うちのクラスにまた転校生や。しかも外人さんや。ついでに言うと職員会議でぼーっとしとったらいつのまにかうちのクラスになっとったんや」
 クラスのあちこちから「だめじゃん」という呟きが漏れる。
「まあそういうわけで、転校生のエレンちゃんや。入ってき?」
「はい」
 簡潔な答えと共に一人の少女が教室に入ってきた。
 綺麗ななブロンドの髪をショートカットにしている。生真面目そうに引き締められた顔は、広田の報告通りの美人だ。
「む?」
 黒板の前に立つエレンを見て恭一郎は腕組みをした。
「どしたの?実はやっぱり知り合いだとか?」
 首を傾げる恭一郎に真後ろの席の美樹が囁くと、
「・・・おまえより更に胸がでかい」
 唸るような声が返ってきた。
「・・・・・・」
 ぶすっ。
「・・・シャーペンで刺すな」
「うるさい変質者」
 小声で下らない言い合いをしている間に担任は黒板にチョークで転校生の名前を書いた。ちょっと右上がりの字だ。
「さ、挨拶し」
「はい。エレン・ミラ・マクライトです。どれくらいこちらに居られるかはわかりませんが私は日本が好きですので出来るだけ長い間この国に留まりたいと思っています」
 流暢な日本語でそう言ってぺこりと頭を下げるとクラス中から感嘆の声が挙がった。
「じゃ、席は廊下側のアレやさかいよろしゅう。ほな」
 担任は出席簿に『全員出席』と書き込んでさっさと出ていった。少し呆気にとられたようなエレンが後に残る。
「む」
 再び唸った恭一郎に美樹は冷たい視線を向けた。
「今度は何?葵ちゃんより胸が大きいとでも言うの?あたりまえっしょ?」
「・・・ひどいよ美樹さん・・・」
 葵が机の上に『の』の字を書いていじける。
「いや、そうじゃなくてな・・・」
「エっレンちゃぁぁぁぁん!」
 言いかけた恭一郎の声を遮ってクラスの男子が合唱する。
「え?」
 我に返ったらしいエレンに総勢20人の飢狼が押し寄せる。
「彼氏!彼氏とか居るの!?」
「アメリカのどこから来たの!?」
「趣味!趣味はっ!?」
 口々に叫びながら詰めかけた男達の波にのまれてエレンの姿は一瞬で見えなくなる。
「・・・あんたら転校生が来るたびにああいうことやってるわけ?」
「えっと・・・まあ、概ね」
 葵が困ったように答えながら「ね?」と横に視線を向けると恭一郎はにやっと笑って首を振った。
「確かに。だが、今回はちょっと違うと思うぞ?・・・あいつの動き、武道をやってる体さばきだ。しかも、剣術系の」
「え?」
 美樹が聞き返した瞬間。
「覇ぁっ!」
 裂帛の気合いと共に、ぴしっ!ぴしっ!ぴしっ!と連続した打撃音が走った。
「うひゃぁ!?」
 情けない声をあげながら最前列の男ども(含む広田)が吹き飛ぶ。
「下がれっ!私は貴様達に興味はないっ!」
「じゃ、じゃあ女の子に興味があるの!?」
「それも無いッ!」
 興味津々と言った感じで尋ねた女子の言葉を更に大きな声で否定する。
「私は日本が好きだ!礼儀正しく誇りに満ちた武士道に則った凛々しい日本男児がな!だが今の日本人はどいつもこいつも堕落している!特におまえ達はだ!・・・この分では、ここの剣道部にも私を満足させられる漢はいないな!」
 竹刀を突きつけられてしばらく呆然としていた男子勢は、バッと立ち上がり再びエレンを包囲した。
「む、やる気か?」
 すちゃっと竹刀を構え直したエレンに男子達は・・・
「かっこいいっすエレンさん!」
「・・・は?」
 感動の視線と声をあげた。
「惚れた!惚れたっす!」
「俺、どこまでもエレンさんについてきます!」
「ま、待て!だから私はだな・・・!」
 慌てたようなエレンの姿が再び人の波に埋もれる。
「・・・なんか、凄い娘ね」
 竹刀でどつかれながらもエレンに詰めかける男子勢を眺めて美樹はやれやれと呟いた。
「日本男児ねぇ・・・今時そんな侍みたいな奴がいるかよ。時代錯誤な」
「でも」
 呆れたような恭一郎を微笑みながら葵が見上げる。
「恭ちゃんは男らしいと私は思うよ」
「・・・どーだかな」
 恭一郎は言って肩をすくめる。
「そーよね。剣道部に来るみたいだしあんたなんか真っ先に無礼討ちにされちゃうんじゃない?」
「ああ、それはねーだろ」
 揶揄するような美樹の言葉に恭一郎はそっけなく首を振った。
「俺は剣道部じゃねえからな」
 言ってまだ騒いでいるエレン達に視線を向ける。

『えぇい、寄らば切るっ!   エレン・ミラ・マクライト』

「剣『術』部ぅ?なにそれ!?」
 騒々しい学食の喧噪に負けない大声で美樹は叫んだ。
「うるせえな!叫ぶな!」
「あんたも叫んでるじゃない!」
「まあまあ、二人とも。周りの人に迷惑だよ?」
 キツネうどんのどんぶりをテーブルに置きながら困ったように葵がなだめる。
「おう。すまねえ」
 恭一郎は苦笑しながらニラレバ定食(340円)を葵の正面に置いて座る。
「で?何なのよその剣術部ってのは。剣道部とは違うわけ?」
「剣道はスポーツだ。武術の一種なのは確かだがあくまでも精神鍛錬や健康増進を目的としている。剣術ってのは純粋に剣を使うための術だな。実戦向けの」
 ぞんざいに手を合わせてから味噌汁をすする。
「まあ部とは言っても部員は俺と葵くらいだけど」
「少なっ!」
 美樹はオムカレー定食(250円)をつつきながら呆れた叫びを上げた。
「それじゃ部活じゃなくて同好会じゃないの?」
「この学校はね美樹さん。顧問、生徒、活動内容の三つがあればどんな部活でも承認してくれるんだよ。承認してくれるって言っても部費は基本的に人数に比例して分配されるから私達みたいなちっちゃな部活だと学校内で練習できるってだけだけどね」
 葵の説明に美樹はふぅんとわかったようなわからないような返事をした。
「で?木刀暴走鬼のあんたはともかく葵ちゃんまでそんな物騒な部活に巻き込んでるわけ?」
「あ、ちがうの。私が頼みこんで入れて貰ったの」
「・・・俺は剣道部に行けって言ったんだけどな。知ってっか?中学んときはこいつ剣道部のマネージャーだったんだぜ?」
 恭一郎はニラレバをかきこみながら肩をすくめる。後で歯を磨かないと口がくさくなるだろう。
「だって・・・その時は恭ちゃんも剣道部だったから」
「・・・・・・」
 微妙な雰囲気に気まずくなった美樹は無意味にオムカレーをかき混ぜて話題を変えた。「しっかし実際どーなわけ?あの外人って強そう?」
「あん?そうだな・・・さすがに身体能力は高い。技も我流ではなくきちんと学んでるみてぇだな。思い切りもいい。まあ並の剣道部員程度じゃ太刀打ちできねえんじゃねえか?俺よりは弱いけど」
 恭一郎はニヤリと笑って傍らの木刀を叩く。
「言うと思ったわよ。・・・へぇ。外人なのに剣道が強いのか。変なの」
「・・・人のことを外人よばわりするな頭の軽そうな女」
 独り言に返事をされて美樹はスプーンを飲み込みそうになった。慌てて振り向くと背後に息を切らせてエレンが立っている。
「あ、外人・・・」
「だから、外人と呼ぶなっ!生まれは向こうでも心は大和撫子なのだ!」
「大和撫子って・・・言ってて恥ずかしくない?」
 呆れたような言葉にエレンは「うっ」と顔をしかめた。
 恥ずかしかったらしい。
「え、えっと・・・マクライトさん、どうしたの?息を切らせて・・・」
 取りなすように葵が話しかけるとエレンは辺りをきょろきょろと見回しだした。
「・・・あの連中に追いかけ回されてるのです。校内を案内するとかなんとか。だがあの人数で案内されても・・・断っても断ってもついてくるし・・・」
「ふふふ・・・みんなマクライトさんの事が気にいっちゃったんだね。ごめんね、みんな悪い人じゃないんだけどノリがよすぎるから」
 ふにゃっと葵が微笑むとエレンもつられたように笑顔を浮かべた。態度が軟化したのを見て取って美樹はエレンに話しかけてみた。
「それでさ、エレン」
「なれなれしくファーストネームで呼ぶな軽薄そうな女」
 素っ気なく言われて美樹は危険な笑みを浮かべる。
「え、えっと。マクライトさん・・・ご飯、もう食べた?」
「いえ、まだです」
 あわてて葵が割ってはいるとエレンはにこやかに答える。
「・・・ずいぶんと扱いが違うわね。『エレン』?」
「・・・当然だと思うがな」
 険悪なムードが再び漂う。
「だあっ!うっとおしいぞてめえらっ!マクライトとやら、食うなら食え!どっか行くならどっか行け!美樹も食事中にがたがた騒ぐな!」
 言うが早いか恭一郎はどこからともなく取りだしたスプーンで美樹のオムカレーを横取りした。
「ぬあっ!?そーいうことする!?」
 美樹は一声叫び恭一郎の二撃目を自分のスプーンでブロックした。
「どぉしたぁっ!」
「させるかぁっ!」
 雄叫びと共にカチンカチンとスプーンがうち合わされる。
「・・・ごめんねマクライトさん。取り込み中みたい。私でよければ学校の中とか案内できるけど・・・?」
「いや、それには及びませんよ。それでは、私はこれで」
「そう?わからないことがあったら遠慮せずに聞いてね」
 葵の微笑みに見送られてエレンは三人のテーブルから離れた。
「・・・・・・」
 しばらくして振り返ると、恭一郎と美樹はまだスプーンでカチンカチンと戦っていた。どうやら美樹が反撃に出たようだが恭一郎は繰り出されるスプーンを鼻歌混じりに受け流している。

『・・・まったく、嘆かわしい・・・ エレン・ミラ・マクライト』


「ほな、気をつけて帰りや」
 相変わらずやる気なさげな担任の声でホームルームは締めくくられた。
「姉御っ!放課後のご予定は!?」
「剣道部の見学だっ!ついてくるなっ!」
 さっそく群がってきた男子の群をエレンはしっしっと竹刀で追い散らす。
「つーか何で姉御なんだ?」
「悪ノリでしょ。それよりあんたもこれから部活?」
 恭一郎は頷いて傍らの葵を振り返った。
「準備できたか?」
「うん。だいじょぶだよ恭ちゃん」
 微笑む葵を見ながら美樹は首を傾げた。
「ミキり〜ん!パフェ食べにいかない?」
 そんな美樹に友達から声がかかる。
「・・・ミキりん・・・」
 恭一郎は溜息混じりに呟いた。
「べ、別になんて呼ばれてようがアンタには関係ないでしょうがっ!」
「ああ、そうだな。ミキりん?」
 語尾を軽く上げながらそう言って恭一郎はニヤニヤと笑う。
「くぁぁぁっ!むっかつくぅうぅぅ・・・って言ってる場合じゃなかった。ゴメン由美ぴょん。今日はパス」
「・・・由美ぴょん・・・」
「うっさいわねっ!」
 再び溜息混じりに呟く恭一郎に美樹は真っ赤になって叫び返す。
「あはは、そだね。デートの邪魔はしないから頑張ってねミキりん」
「ぅえっ!?いや、そーじゃなくて・・・」
 面食らった美樹には構わず由美は手を振りながら去っていく。
「美樹さん、デートなの?」
 葵はきょとんとした顔で尋ねた。
「違う違う。用があるのは風間と葵ちゃんによ」
「何だよ。デートなんぞしてやらねえぞ?」
「するかっ!そーじゃなくて、あんたらの部活ってのを見に行こうかと思って」
 

『・・・ま、見るのは勝手だけどな。ミキりん?   風間恭一郎』

「で、これが練習場?」
 呆れた声に恭一郎は少し嫌な顔をした。
「うっせえな。屋根も壁もある。木刀振り回しても天井につかえない。それだけ条件が揃ってりゃ十分だ」
 三人が立っているのは、ぼろぼろに古びた平屋の建物の前だった。壁と言わず屋根と言わずヒビが入っており、見るからに歴史ある建物と言った趣だ。
「第一格技場って言ってね、六合学園創立時に造られた建物なのよ。当初は柔道部がつかってたらしいんだけど今使ってる第二格技場ができた時もう古くなってるからってここは使わなくなったの。その後10年以上放置されてたのを使わせて貰ったのよ」
 葵が長台詞の説明をしている間に恭一郎は鍵を開けて練習場の扉を開けた。
「ぼーっとしてねぇで入れよ」
 言いながら靴を脱いで中に向かって軽く頭を下げる。女性陣二人もそれに続いて頭を下げ練習場へと足を踏み入れた。
「あ、中はわりとまともなんだ」
 外見とは違い掃除の行き届いた練習場に美樹は知らず呟いていた。
 畳にして12畳ほどの室内は板張りになっておりひんやりとした感触を靴下越しに送ってくる。格技系の練習場にありがちな標語や日の丸、写真の類は見あたらないが隅の方には漫画雑誌の山や小さな冷蔵庫、小さなテーブルと卓上コンロ、金色に輝くヤカン、何に使うのかバットやグローブも置いてある。
「・・・まとも、なのかな・・・」
 ジト目で見つめてくる美樹に恭一郎は苦笑を浮かべた。
「この練習場にはこの部屋と更衣室しかねえからな。部室代わりにここでくつろぐこともあるってわけだ。そもそも俺一人じゃ素振り位しかやることねえんだからずっと練習してても退屈だろうが」
「私が剣を使えればいいんだけど・・・」
 葵がすまなそうに呟く。
「目はいいんだけどな。葵は。運動神経が壊滅的に存在しない」
 恭一郎のしみじみとした言葉に葵はしょぼんと肩を落とした。
「うう、努力はしてるんだよ恭ちゃん・・・」
「わかってるって」
 ぽんっと葵の頭を叩いて恭一郎は木刀を袋から出した。
「おい天野。練習すっから隅の方にいってろ。殴るぞ」
「は?アンタそのままやるの?防具とかは?」
 きょとんとした問いに恭一郎は首を振る。
「剣術ってのは大概防具を使わない。それに素振りに防具はいらねえよ」
「せめて胴着とか」
 今度の問いは返答までにわずかな間が空いた。
「・・・面倒くせえし」
 言うだけ言って恭一郎はびゅんっと木刀を振り始めた。
「汗くさくなるわよ〜」
 野次るように呟いて美樹は取り敢えずテーブルの置いてあるスペースに近づいた。
「美樹さん、飲み物なににする?冷たいのだと缶のお茶、暖かい方はお茶と紅茶があるけど」
 葵はニコニコしながら冷蔵庫をぺちぺちと叩く。
「何で缶のお茶なの?スポドリとかが相場じゃない?」
「恭ちゃんの趣味なの。紅茶は私の趣味よ」
 美樹がふぅんと頷いている間に葵は持っていたスポーツバッグから魔法瓶を取りだした。中に入っていたお湯をフタをひっくり返した即席コップに注ぎ温度を見るために口を付ける。
「うん、今日もばっちりの温度」
 呟いて葵は冷蔵庫の隣で布をかぶっていたティーセットを持って立ち上がる。
「私は紅茶飲むんだけど、美樹さんは決まった?」
「ん。あたしは冷たいのにする」
「俺も」
 葵は頷いてそのまま靴を履いた。残念ながら練習場の中に水道がないのだ。
「じゃあ、冷蔵庫の中から選んでね。私、ティーセット洗ってくるから」
「おう」
「うん、おっけ」
 二人に見送られて葵はぱたぱたと歩いていった。
「さて、今日はどれを飲もうか」
 恭一郎は呟きながら冷蔵庫を開け・・・
「ってもう練習終わり!?」
 美樹のつっこみに顔をしかめた。
「だから、一人で出来る練習なぞ素振り程度だ。家でみっちりやってんだからわざわざここでやることもねえだろ」
「・・・なら何のための部活なのよ」
 恭一郎は無言で冷蔵庫の中を睨みその中に納められた十数種類の缶から一本を選び出してからまじめな顔で美樹に向き直った。
「この部活の意義はな?」
「・・・意義は?」
 美樹は知らず唾を飲み込んで聞き返した。
「金を使わずにダベれるスペースが確保できることだ。それと、木刀を持ち歩いていても学校当局に検挙されない」
 二人の間を風が吹き抜けた。
 美樹は無言で冷蔵庫の中を漁り有名ブランドのお茶を選んで取り出してドアを閉める。
「・・・あんたに青春の汗なんか似合わないとは思っていたわよ」
「・・・まあ、それについては否定する気もねえけどな」
 何となく気怠い雰囲気で二人して缶のお茶を飲む。キンと冷えたお茶が春先の陽気に心地良い。
「ん?そーいや葵の奴遅いな」
 しばらくして恭一郎は呟いた。
「そういえばそうね。水道ってその辺にあったよね」
「ああ。ちょっと見てくるか・・・」
 そう言って恭一郎が立ち上がった瞬間。
「恭ちゃん、ちょっといいかな」
 当の葵がひょっこりと姿を現した。
「遅かったな。何かあったのか?」
「うん・・・なんて言うか・・・お客さんだよ」
 葵が横にどくと、その後ろから現れた金色の頭がすっと下がる。
「失礼する」
 生真面目なお辞儀と共に練習場に入ってきたのはエレンだった。剣道着に身を包み片手に竹刀を下げている。
 エレンは床の感触を確かめるように数歩歩いてから練習場の中を見回した。缶のお茶片手に座っている二人と目が合い、しばしの沈黙が12畳の空間を支配する。
「たしかマクライトだったな。何のようだ?」
 先に沈黙を破ったのは恭一郎の方だった。
「・・・一手お手合わせ願いたい」
 返事は簡潔だ。真剣な視線に恭一郎はちょっとぐったりする。
「そういうのは剣道部でやってくれ。うちはそういう部活じゃねえよ」
「そうそう。練習だって素振りちょっとして終わりだし」
 エレンはゆっくりと首を振った。
「・・・わたしとてそう思うのだが、剣道部の主将が『君の望む相手はうちの管轄じゃないね。剣術部の方に言ってみるといいよ』と言っていたのだ。一応見に来るのが筋という物だろう」
 それを聞いて恭一郎は軽く舌打ちした。
「・・・貴人の奴、面倒くさいからってこっちに押しつけやがったな」
「貴ちゃんは恭ちゃんを信頼してるからだと思うよ」
 唸るように呟く恭一郎の隣に葵はぺたんと座る。
「そもそもおまえの望む相手ってのはなんなんだ」
「真剣勝負が出来る相手だ。競技剣道という枠に捕らわれず純粋に剣の腕を競い合いたいと思っている。わたしよりも強い相手がむこうには居なかったのでな」
 エレンは言ってびゅんっと竹刀を振った。それを見た恭一郎の口のはしがきゅっとつり上がる。
「成る程。確かに俺の管轄だな・・・だがな、防具をつけての撃ち合いと違って怪我も多いことはわかってんだろうな?当たり所が悪いと木刀でも死ぬぞ?」
「笑止ッ!剣士としての覚悟くらいとうに出来ている!怪我など覚悟の上だ!」
 言い切ったエレンに笑みを深くして恭一郎はゆっくり立ち上がった。
「いい度胸だ。葵、持っててくれ」
 恭一郎は言いながら上着を脱ぎネクタイやズボンに入っていた財布や鍵束と共に葵に手渡す。
「うん。頑張ってね」
 にっこり笑う葵の頭をくちゃっとかき回して恭一郎はエレンの前に立った。
「準備運動とかするか?」
「もう済ましてきた。そちらの準備が出来次第始めたい」
 恭一郎は頷いて軽く関節をほぐす。
「・・・よし、やろうか」
「ああ」
 エレンはすっと竹刀を構えた。それに対して恭一郎はだらんと木刀を下げたままだ。
「どうした。始めるぞ」
「始まってる。いつでもかかってこい」
 伸ばした手の先でちょいちょいと手招きする恭一郎にエレンはちょっと顔をしかめ竹刀の柄を握り直した。
「・・・たぁぁぁぁっ!」
 裂帛の気合いと共にエレンは恭一郎に打ちかかった。しなやかな筋肉の生み出した加速を竹刀に乗せて疾風のごとく頭を狙う。
(捉えた!)
 すっ・・・
 恭一郎の頭を痛打するはずだったエレンの竹刀が空を切る。
「なっ!?」
「様子見なんぞしてる暇はねえぞ」
 横への体さばきだけで初太刀をかわした恭一郎が軽いステップでエレンのわきに回り込む。
「わかっているっ!」
 エレンは鋭い呼気に乗せて横凪ぎの一閃を放つ。
「それも甘いっ!」
 恭一郎は大きく飛び退いてからすっと姿勢を落とした。
「もう一度聞くぜ?手加減など、期待してないだろうな?」
「くどいっ!手加減など侮辱も甚だしい!」
 途端、空気が変わった。
 否。変わったのは、恭一郎の雰囲気だ。
「・・・行くぞ」
 言葉と共に恭一郎は弾けるように跳躍した。鋭い諸手上段をエレンはギリギリで受け流すが間髪入れずに変化した逆胴をさばききれずに数歩後ずさってよろける。
「くっ、やるな」
 呟いて姿勢を立て直そうとしたエレンの視界から恭一郎が消えた。
「!?」
 呆然とした瞬間は、どれほどの長さだったろうか。そのほんの僅かな瞬間に足を薙ぎ払われてエレンは板張りの床に転がっていた。消えたと思った恭一郎は斜め前へと身を投げ出すように前転しており、立ち上がりざまにエレンの足を木刀ですくっていたのだ。
「うりゃぁあっ!」
 声のみに反応してエレンは倒れたまま横に転がった。一瞬前まで居た床を木刀が激しく打つ衝撃が背中に伝わってくる。
「ちょ、ちょっと風間っ!今のはマジで洒落になんないでしょうが!相手は女の子なのよ!?」
 容赦ない一撃に美樹は思わず声をあげていた。それにエレンが抗議の声をあげようとした瞬間・・・
「うっせぇっ!」
 落雷のような怒声にエレンと美樹はすくみ上がった。ただ一人葵だけがいつも通りののんびりとした表情で座っている。
「剣を持って向き合うのに男も女もあるかっ!」
 美樹は呆然とその男を見つめた。風間恭一郎という名前と、その男の姿がどうしても結びつかない。
 鋭い眼光で敵を見つめるその男は、間違いなく一人の剣客だった。美樹の世界には居ない、未知の存在。
「・・・そう、私はこういう勝負を求めてたんだ」
 エレンは呟いて立ち上がった。油断を断ち切るように竹刀をひと振りして剣を頭の横に引き上げ、剣先を恭一郎に向ける。
「来い」
 相変わらずだらりと木刀を下げたまま恭一郎は立っている。もうその姿勢を余裕だとも馬鹿にして居るとも思わない。
 あれは、そういうものなのだ。
 型がない故に、あらゆる技に対応する型。
「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 気合いを入れ直してエレンは出せる限りのスピードで突きを放った。恭一郎の剣が跳ね上がりそれを受けようとするのを目の端で捉えてエレンは剣を引き戻す。
「ふたつっ!」
 叫びながらの二つ目の突きを恭一郎はサイドステップでかわす。
「みっつぅっ!」
 その動きが終わる前にエレンは再度竹刀を引き戻し全力の突きを放った。一つ目の突きで相手の剣を動かし二つ目の突きで体勢を崩し三つ目で仕留める・・・それがエレン必殺の三段突きである。
「たぁあっ!」
 恭一郎の声と『バシッ!』という裂音が交差した。
 エレンの竹刀を柄が・・・恭一郎の木刀の柄が受け止めていた。よそを向いていた木刀で受けることも崩れた姿勢で避けることもできないが、柄くらいなら動く。
「シィッ!」
 呼気と共に恭一郎は竹刀を押し返し肩口へと木刀を叩き付けた。エレンはギリギリでそれを回避して大きく飛び退く。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
 木刀を構え直したエレンの息が荒い。運動量が多い分短期で勝負が付かないと不利なのだ。
「いい動きなんだがな。俺を捉えるのにゃぁ少し足りねえな」
 とぼけるように呟く恭一郎が、どこか遠くにいるようで美樹は戸惑っていた。まさかこんなに強いとも、こんなに真面目に剣の道を歩んで居るとも考えてはいなかった。
 同類・・・そう思っていた男の真の姿をかいま見て、美樹は不安感に少し震える。
「美樹さん、大丈夫?」
 隣から聞こえた穏やかな声に美樹はハッと我に返った。
「う、うん・・・ちょっとびっくりしちゃって・・・」
 ちょこんと正座したまま葵はくすりと笑みをもらす。
「大丈夫。恭ちゃんは、恭ちゃんだよ」
 暖かい微笑みが対峙する二人の方を向く。
「そろそろ、決着だね」
 その言葉を言い終わっただろうか。
「くっ・・・たぁぁぁぁぁっ!」
 エレンはひときわ大きい叫びを上げながら恭一郎へ再度突きを放った。
「ひゅっ・・・」
 恭一郎の口から呼気が漏れ、目が細められる。竹刀が動かぬ恭一郎の喉へと迫る・・・
 刹那。
 ばんっ!
 鋭い踏み込みと共に恭一郎の木刀が跳ね上がった。後出しの不利をもろともせずその早すぎる剣閃はエレンの竹刀を打ち。
「きゃっ!」
 悲鳴と共にそれを天井近くまで跳ね飛ばした。見開かれたエレンの瞳に映る男は、それでも尚攻撃の意志を瞳にみなぎらせている。
(・・・ああ、私は負けたのだな。宣言通り・・・怪我くらいは・・・)
 真っ白な頭の中でそう呟いたエレンの頭を、今度は疑問符が駆けめぐる。恭一郎が振り上げる勢いのまま木刀を離したのだ。当然、木刀は竹刀を追うように宙に舞う。
「え?」
「そうりゃぁあっ!」
 恭一郎は竹刀を跳ね上げられバンザイのような姿勢になったエレンの右腕・・・その剣道着の袖を左手で、二の腕の辺りを右手でがっしりと掴んだ。そのまま腕を抱え上げるように背中越しにエレンの体を持ち上げ・・・
「受け身をとれっ!」
 そのままエレンを一本背負いに痛烈に投げ飛ばした!
「あっ!?」
 たしなみとして身につけた受け身を取ったエレンは木の床に叩き付けられて悲鳴を上げる。何とか受け身をとれたことと、恭一郎が床に当たる前に引っ張ったおかげで板張りにぶつかったわりにダメージはほとんどない。立ち上がれないのは、戸惑いのせいだ。
「・・・容赦しないんじゃ、なかったのか?」
 呟いたエレンに恭一郎はにかっと笑ってみせる。
「剣を向け合った以上男も女もねえ。だが、美人ってのは俺の中で別枠なもんでな」
 言ってからちらりと美樹の方を見る。
「極端に凶暴だったりしなければ、だが・・・」
「うっさいわね!あたしだって誰彼構わず凶暴なわけじゃないわよっ!」
 いつものように叫び返しながら、美樹は意味もなくホッとしていた。
 ・・・恭一郎は、やっぱり恭一郎だ。
「はい、恭ちゃん」
 葵が差しだした上着を着ながら恭一郎はとぼけるように首を傾げた。
「まあ、剣道部の平部員じゃ相手になんねえ位には強いよおまえは。相手が悪かったな。何せ俺は風間恭一郎だからよ」
 そのまま木刀を拾って恭一郎は練習場を出て行く。
「あ、恭ちゃん鍵・・・すいませんマクライトさん。すぐ戻ってきますので、お留守番をお願いできますか?」
 のんびりと頭を下げて葵も出ていってしまう。
「・・・なんなんだか」
 後に残されたのは呟く美樹と床に倒れたままのエレンだけ。
「・・・優しい、人達だ」
 大の字に寝転がってエレンは呟いた。
「優しいの?アレって」
「ああ。慢心が叩きつぶされれば落ち込みもする。だから、一人にしてくれたのだ」
 そう言って目を閉じたエレンの穏やかな表情に美樹はちょっと首を傾げる。
「あたしも、消えた方がいいよね?」
「・・・そうしてくれると、助かる」
 おっけと呟いて美樹もまた練習場から出た。意外に時間がたっていたらしく外は陽も大分傾いていた。
 歩きながらそれを見上げるついでに背後の古ぼけた練習場を眺める。
 何かが・・・美樹の中の何かがそこで変わったような気がした。
 突き止めようとするとするりと手を抜けて意識の底へ潜り込むそれは、何か暖かくそして少しだけチクリと心を刺した。

『・・・少し。ほんの少しだけ・・・かっこよかった、かも。 天野美樹 』

 翌日、例によって一緒に登校していた三人が教室に入ると異様な光景がそこに広がっていた。
「おはようございます、殿」
 エレンは床に正座し、三つ指をついて深々と頭を下げる。
「・・・・・・」
 埴輪のように口と眼を見開いて硬直した恭一郎と美樹をよそにエレンは立ち上がり相変わらず一人でニコニコと微笑んでいる葵にも深々と頭を下げる。
「北の方も、おはようございます」
「おはようございますマクライトさん。でも北の方ってなに?」
 エレンはにっこりと微笑んだ。引き締められた口元が緩むと、エレンの顔は意外と可愛らしい作りをしている。
「主君の奥様のうち、一番身分が高い方のことです」
「なによそれ!?どういうことよエレン!?」
 やっと我に返った美樹の叫びにエレンはうるさげに顔をしかめる。
「朝からうるさいぞ側室」
「誰が側室よ!しかもこいつの!?」
 指差された恭一郎はまだ埴輪のままだ。
「決まっている。私が主君と仰ぐのはただ一人だ」
「恭ちゃん、主君なの?」
 首を傾げた葵の呟きにエレンはこっくりと頷いた。
「私はずっと探していたのです。強さと優しさを兼ね備えた、我が剣を捧げるにふさわしいお方を・・・そして、ようやく巡り会えたのです。最高の主君に!」
 拳を握りエレンは晴れ晴れした顔で天を見上げる。天井しか見えないが今のエレンにそんなことは関係ない。
「それはそれでとんでもないけどあたしが側室ってのは何なのよ!?」
「何だ?葵様より上位のつもりなのか側室」
「そーじゃなくて何であたしが風間の奥さん!?」
 エレンは豊かな胸をぐいっと反らした。反射的に美樹も胸を張り返す。
「それはもちろん、恭一郎様が素晴らしいお方だからだ」
「答えになっとらん!」
 怒鳴り合う2人をよそに恭一郎は無言で自分の席へ向かった。
「かぁぁぁぁざぁぁぁぁまぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・」
 今だショックの抜けきらない恭一郎を冥界から響くような低い声が取り囲む。
 エレン姉さん親衛隊(自称)総勢十三人は死霊のような顔色で恭一郎を見上げた。
「葵ちゃんに天野さんだけでは飽きたらずついには我等がエレンの姉御をもその淫靡な触手で手込めにするとは・・・油断していた我々が馬鹿だった・・・」
「まてっ!あれはマクライトが勝手に言ってるだけで俺は知らんっ!」
 慌てて否定する声をうきうきとしたエレンの声が遮った。
「あ、殿。できればエレンとファーストネームでお呼び下さい。恭一郎様は私の特別な方ですから」
 沈黙、そして殺意のオーラ。
「・・・なあ風間?」
「・・・なんだよ」
 男達は優しく微笑んだ。さわやかなそれは、あたかも何かが吹っ切れたような・・・例えば倫理観とか、正気とか・・・
「死ねっ!頼むから死んでくれ男の敵っ!」
「ぅわっ!やめろっ!俺は悪くねえぞぉっ!」

 今日も朝から、元気がいい。