「おはようございます。北の方」
 頭上からの声に葵は本から顔を上げた。
「あ、エレンちゃん。おはようございます」
 にっこり微笑んで葵は腰掛けていた噴水の端から立ち上がる。
「今朝は何の本ですか?」
 エレンが尋ねると葵はくるりと本を回して裏表紙を見せた。
「・・・実戦お菓子百選、ですか」
「うん。私って不器用だから料理とか苦手で・・・エレンさんはお料理得意?」
「残念ながら私もそちらの方面には疎くて」
 二人してため息をつく。
「何を二人して黄昏てんだ?」
 そんな二人に恭一郎は不審気に声をかけた。その隣で美樹もきょとんとしている。
「あ、恭ちゃんと美樹さん、おはよ〜」
「おはよ。どしたの?ため息つくと幸せが逃げちゃうよ?」
 葵はてへへと苦笑いを浮かべた。
「うん・・・美樹さんはお料理得意なんだよね?」
「そだよ。ちっちゃいときから家事はあたしと父さんの分担制だったし」
 さも当然というように頷く美樹に葵は更に深く落ち込んだ。
「おまえが家事をこなせるとは・・・人間ひとつやふたつ取り柄はあるものだな側室」
「だから、側室ゆーなっての」
 美樹は口の中でブツブツと呟いた。エレンが転校してきてから一週間ほどはきちんと訂正していたのだが一向に修正する気配がないのでどうでもよくなってきているのだ。
「で、何で今更料理なんだ?」
 恭一郎の台詞に『今更って・・・』と美樹が小声でつっこむ。
「うん。今日から勧誘週間だからお菓子でも用意しようかなって。でも、やっぱり私にはむずかしいよ・・・」
「勧誘週間?なにそれ」
 きょとんとする転校生二人に恭一郎はやれやれと首を振った。
「あちこちにポスターも貼ってあっただろうが。ゴールデンウィーク前のこの一週間は新入生への勧誘活動が解禁される勧誘週間なんだ。部員数即部費がうちの原則だから獲得競争は熾烈だぞ」
 そしてちょっと区切ってから続ける
「ついでに、話こんじまったんで切迫した時間の余裕も熾烈だ・・・」
「!?」
「!?」

『きーんこーん、きんこーん・・・     予鈴 談(?)』


「ほな、あんまり熱くなりすぎんようにな」
 例によってやる気のない声でホームルームが締めくくられると同時に教室はいつも以上の喧噪に支配された。
「よいかっ!我等サッカー部一同、くれぐれも野球部には負けるな!」
「文化部の意地を見せるんだ!映画研、出撃っ!」
「今こそ・・・キハ系列の魅力を・・・全ての人に・・・」
 ある者は集団で、ある者は単独で興奮を表しながら教室を飛び出していく。
「よし、じゃあ俺も行ってくるか」
 呟いて恭一郎は木刀を持って立ち上がった。
「あれ、アンタも勧誘するんだ」
 さも意外そうな美樹の声に恭一郎は肩をすくめる。
「別に部員が欲しいわけじゃねえけどな。なんか、こう・・・みんなが盛り上がってるのに参加してないと損した気になるだろ?」
「ああ、わかるわかる。対岸の火事に火をつけるって奴だよね(注:ちがいます)」
「それを言うなら火事場泥棒だろう側室(注:かなりちがいます)」
 恭一郎はジト目で二人を睨んでから葵に向き直った。
「ともかく俺は勧誘活動してっからな」
「うん。程々に頑張ってね恭ちゃん」
 微笑む葵にひとつ頷いて歩き出そうとした恭一郎をエレンは慌てて呼び止めた。
「あ、殿・・・私も行っていいでしょうか?」
「勧誘にか?」
 首を傾げる恭一郎にエレンは力強く頷いてみせる。
「実は前々から考えては居たのです。殿!私も剣術部に入部させて下さい!」
「おう。いいぞ」
 即答した恭一郎に美樹は思わずつんのめった。
「えらく簡単に決めちゃうのね。なんかテストとかないわけ?」
「んなもんねえよ。っつーか、エレンは既に部員名簿に載ってるからな。ついでにおまえも」
 しばし、沈黙。
 そして。
「なんでやねぇぇぇんっ!」
 咆吼と共に美樹の裏拳がぱぁぁんっ!と綺麗な音を立てて恭一郎の肩口をはたいた。
「む!?良いつっこみだ・・・やるな・・・」
 呟いて腕組みなどする恭一郎の襟首をがしっと美樹は掴んだ。
「なんでそういうことするわけ!?他に入りたい部活あったらどーする気だったわけ!?」
「あんのか?」
 美樹は襟を締め上げるのを中断して考え込んだ。
「・・・無いけど」
「だろ?よく放課後にうちの部室でダベってるし。エレンの方はそのうち言い出すと思ってたからな。こないだ思いついて名簿に書いといた」
「成る程、先見の明という奴ですね!」
 目を輝かせてエレンは何度も頷く。
「そーいうもんだいかしら・・・」
 まだぶちぶち言っている美樹の手を振りほどいて恭一郎はエレンに視線を向けた。
「ともかく、来るんだろ?一緒に来いよ」
「はい!」
 勢いよく頷くエレンを連れて恭一郎はゆったりと教室を出ていった。
「ったく。ところで葵ちゃんはどうするの?あいつと一緒じゃないわけ?」
「うん。私は別任務なの」
 葵はそう言って背筋を伸ばしびしっと敬礼をした。
「神楽坂葵伍長、恭ちゃん少佐の命により敵情視察の任務につくであります!」
「敵情視察って・・・剣道部でも見に行くの?」
 当然の疑問に葵はぷるぷると首を振る。
「ううん、ただ単に他の部活を見て回るだけ。明日から恭ちゃんも見て回るらしいからその下見かな」
 そこまで言ってぱんと手を打ち合わせる。
「そうだ!美樹さんも一緒に行こうよ!うちの勧誘合戦は見てておもしろいよ〜」
「おもしろいって?なんかやんの?」
 葵はぶんぶんと頷いた。
「うん!それぞれの部活のパフォーマンスがすっごいの!何と言っても目玉は金曜日の合同発表会だけどね」
「ふぅん。そだね・・・暇だし、見に行こっか」

『神楽坂葵伍長及び天野美樹臨時伍長、偵察任務につくであります!
                          神楽坂葵』

 
 実際、校内はどこにこれだけの人間が居たのかと言うほど賑わっていた。生徒数1000名以上を誇るマンモス校の面目躍如である。
「ほぇえ、なんかいっぱいやってる・・・」
 驚くを通り越して呆れた声を美樹は漏らした。
「っていうか、なんか多すぎない?この学校って部活いくつくらいあるわけ?」
「今年度登録を除いて93個。うち10や20は部員が全員卒業しちゃったり飽きちゃったりで廃部になると思うけど同じくらい登録されてるから概ね100個くらいかな」
 笑顔のままですらすらと葵は答える。
「はぁ、すごいわね・・・」
 状況と葵の頭の中の両方に感心しながら美樹は辺りを見回した。
 普段は昼寝や弁当組の食事くらいにしか使われていない中庭が今は屋台や展示で埋めつくされている。
「お姉さんお姉さんっ!」
 威勢のいい声に振り返ると近くの屋台で何やら料理を作っていた男子生徒がニコニコしている。ネクタイの色を見ると3年生だ。
「うちの料理はうまいよっ!食ってくかい?一枚200円だよっ」
 男はそう言って鉄板の上のお好み焼きらしき平べったいものをフライ返しで屋台の天井近くまで放り投げる。くるっと回転したそれが再び鉄板に着地すると辺りの生徒から『おおっ』と歓声がもれた。
「へぇ、料理部かなんか?」
 ちょっと興味を引かれて尋ねた美樹に男はちっちっと指を振った。
「ただの料理部じゃあありませんぜ?うちは、攻撃的料理部でいっ!」
「・・・攻撃・・・的・・・」
 美樹がジト目になってる横で一年生の男子生徒が200円を屋台の生徒に突き出した。
「すいません、一個下さい」
「へぃ毎度っ!熱いうちに食ってくんなっ!」
 屋台の生徒はお好み焼きらしきそれを手早く紙に包んで渡す。客は何の疑念もなくそれを受け取ってかぶりついた。
「・・・・・・」
 美樹は何通りかのオチを予想してそれに対するつっこみを脳裏に描く。
 そして。
「うまい!」
「なんでやねん!」
 予想外のリアクションにつっこみを思いっきり暴発させた。
「いやぁ、これ無茶苦茶うまいですよ!」
 一年生はニコニコしながらお好み焼き(?)を平らげる。それを確認した周囲の生徒達はわらわらと屋台に押し掛けた。争ってお好み焼き(?)を注文する。
「へいっ!ちょっと待ってくんな!すぐ焼き上がるぜ!」
 屋台の男は手早く生地をこねて具や調味料をぶち込み鉄板の上にそれを広げていく。
「おっかしいなー。絶対なんかあると思ったのに・・・」
「そうだね。屋台が変形合体するとか・・・」
 美樹と葵は首を捻りながらもう一枚注文しようと出来始めた行列に並ぶ一年生を眺める。六合の中でも特に『濃い』所にいる二人は一般生徒と比べてずいぶんと疑り深い。
「あれ?」
 そんな二人の視線を受ける少年がふと呟いた。
「なんか・・・体が熱い・・・」
 上気した顔で目をしばたかせる。
「熱い・・・体が・・・否!魂がっ!そう、俺は今、猛烈に熱血してるっ!
「うわー、懐かしー」
 拳を握りしめ絶叫した少年に葵はパチパチと拍手を送った。
「っていうかその年で知ってる葵ちゃんもなんなんだか・・・って言ってる場合じゃないって!」
「ぬぅおおおおおおおっ!最強っ!バーニンっ!こんな列並んでられっかぁぁぁ!うきゃきょぉおおおおおおおおおおお!!!」
 少年は叫びながらキレのいいダッシュで走り去った。しんとした周囲にお好み焼き(!?)を焼くパチパチという音だけが残る。
「獣の心を取り戻す奇跡のお好み焼き・・・まさに攻撃的だぜこんちくしょい!」
 屋台の男は嬉しそうに叫んで鉄板上の(自称)奇跡のお好み焼きを次々にひっくり返していく。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 並んでいた生徒達は無表情に去っていった。
「おいっ!ちょっとまてぇい!俺のお好み焼きのどこが気にくわねえってんだ!」
「成分がにきまってんでしょうが!」
 叫び返した美樹に屋台の生徒はふふんと胸を反らした。
「大丈夫だ。依存性はない」
「どこがだいじょうぶなのよぉっ!」
「そりゃおめぇ・・・あぅ・・・」
 絶叫する美樹に言い返そうとした屋台の生徒はふらっと倒れた。
 いつ現れたのだろうか。倒れた生徒の背後に仏頂面の女子生徒が立っている。どこを見ているのかわからないぼんやりとした瞳で倒れた生徒を抱え上げるその少女は、左腕に『風紀』の2文字が入った腕章をしていた。
「風紀委員権限により、閉鎖。責任者は連行」
「あ、みーさん。ご苦労様」
 葵がにっこりとお辞儀をするとみーさんと呼ばれた少女は僅かに口の端を緩ませてからずるずると屋台の生徒を引きずりながらどこかへ歩み去った。
「えっと・・・何なの?今の・・・」
「みーさんは風紀委員だよ。羽目を外しすぎた人に注意するのが仕事なの」
「いや、あの男に何をしたのかが気になるんだけど・・・」
 美樹は呆然と呟いてから首を振った。まあ、気にしてもしょうがない。
「さ、他のとこ見にいこっか」
 葵の催促に頷いて美樹は再び歩き出した。

「はいはい、勧善懲悪部のショーは4時からだよー」
「人力車部のタクシーサービス、やすくしとくよー」
「ストラックアウトに挑戦してみないかっ!?」
 様々な部の生徒が叫んで回るのを眺めながら二人はぶらぶらと歩き続けた。
「いやしかし、変な部が多いわね」
「普通の部活もちゃんとあるんだけどね。野球部とか。ベースボール部の方が人気あるみたいだけど・・・」
 美樹は首をコキンと鳴らした。
「・・・野球とベースボールって、どう違うわけ?」
「野球部はね、高野連にも加盟してる普通の野球部なの。ベースボール部はメジャーリーグっぽい野球を楽しむ部活だよ。乱闘とかが凄いの」
 葵ははんなりと笑いながらそう答えてふと足を止めた。
「どしたの?」
 美樹に問われてちょっと首を傾げる。
「なんだろ?凄い人だかり」
 そう言って指差した先には確かにひときわ大きな人だかりが出来ている。
「行ってみよっか。おもしろそうだし」
 言うが早いか美樹はその集団に向けて歩き出した。ちょっと遅れて葵も後を追う。
「くっそー!つよすぎっぞ!?」
「誰か勝てねえのかよ!」
 だいぶヒートアップしてるらしい人だかりは隙間が無く何をやっているのかが見えない。
「うーん、何やってるんだろうね?」
 葵は一生懸命背伸びをして中を覗こうとしたが140に満たない身長ではとても届かない。
「ねぇ、何やってるの?これ?」
「ん?」
 美樹に肩を叩かれ人だかりの一番外側にいた生徒が振り返る。
「中が見えないんだけど・・・」
「ああ、辻試合だよ」
 こともなげに放たれた言葉に美樹はポカンと口を開いた。
「一回300円で挑戦できるんだってよ。勝てば一万円貰えるらしい」
「・・・何よそれ。ほんとここの学校って何でもありね」
 美樹は呆れかえってため息を付いた。そもそも、それのどこが勧誘なのだろうか。
「うぎゃぁあっ!」
「おおおおぉぉぉぉぉぉ!」
 人だかりの中心から悲鳴が聞こえると共に歓声が起きた。
「すげえ!これで12連勝だ!」
「駄目だぁ!勝てっこねぇ・・・!」
「おい、どいてくれ!」
 騒いでいる人だかりの一部がわきにどいて負けたらしい大柄な学生が両脇を支えられながらふらふらと去っていく。
 やっと出来た隙間から美樹と葵は仲を覗いてみた。
 竹刀を片手に下げた男が鼻歌など歌いながら辺りを見回している。その額の汗を隣に控えた金髪の少女がタオルで拭い・・・
「って風間!?」
「あ、恭ちゃんだぁ」
 恭一郎は聞き慣れた声に視線を動かした。
「よぅ。見にきたのか?」
「あああああああああんんた何やってんのよっ!」
 美樹は恭一郎に駆け寄りその襟首を掴んでぶんぶんと振り回した。
「こら!やめろ側室っ!」
「これはっ!勧誘じゃ!無いでしょ!こぅのバカチンがぁッ!」
 恭一郎の頭がぐりんぐりんと回転する。
「えぇい!目が回るだろうが!」
 恭一郎は一声叫んで美樹の手を振り払った。
「わ、恭ちゃんふらふら・・・」
 葵はあわててよろめいた恭一郎を両手で支える。
「まったく・・・辻試合なんて馬鹿を誰がしてるかと思えば・・・」
「俺の強さを新入生に見せてやりつつ金も儲かる。一石二鳥だろうが」
 何とか立ち直って恭一郎はふんと胸を張った。
「だからって・・・」
「うるさいぞ側室!我等のために歓迎会を開いてやろうという恭一郎様の暖かい心遣いもくみ取れぬぬのか!それでよく愛人を気取ってられるものだ!」
「気取っとらんわっ!」
 反射的に叫び返してから美樹は困ったような顔で恭一郎を見つめた。
「えっと、ホントに私達のためなわけ?」
「・・・ま、そうかもな」
 恭一郎はそっぽを向いてそれだけ呟いてからぐるっと周囲の人だかりを見回した。
「他に挑戦する奴はいねえのか!?竹刀が俺の体に触れたらそっちの勝ちなんだぞ!?」
 怒鳴るが生徒達は顔を見合わせるだけで誰も前に出ようとはしない。
「うーむ。さすがに活きのいいのは全員狩っちまったか」
「十二人だっけ?怪我とかさせてないでしょうね?」
「肩やすねを叩かれたくらいで人間は怪我せん。しかも今回は竹刀だ。もうちょっと恭一郎様を信用しろ側室」
 言い合う美樹とエレンをよそに葵はぽんと手を叩いて恭一郎を見上げた。
「そういえば、中村さんは?こういうことがあったら真っ先に来そうだけど・・・」
「ん?そーいやまだだな。さすがに懲りたんじゃねぇのか?」
「あれしきで懲りるものかっ!」
 不意に聞こえた澄んだソプラノに恭一郎は軽く肩をすくめた。
「やっぱきやがったか・・・」
 人混みをかき分けて一人の女子生徒が進み出た。剣道着に竹刀を下げ、長めの髪をポニーテールにまとめている。
「誰?あれ?」
「中村愛里さん。剣道部の副部長さんなんだよ」
 葵が説明している間に愛里は恭一郎と数歩の間を取って対峙していた。その視線が恭一郎の傍らに立つエレンを捉え、整った顔が軽くしかめられる。
「エレン・ミラ・マクライトさん・・・剣道部の入部を拒否したのに何故この男のいい加減な部活にいるのですか・・・」
「恭一郎様は私の探し求めていた比類無き主君だ。私は剣道というスポーツがやりたいわけではない。ここが、私の居るべき場所だ」
 断言するエレンに愛里はよりいっそう不機嫌な顔になった。
「・・・風間恭一郎、許すまじ。勝負よ!」
「いいぜ。だが、ちゃんと300円払えよ。俺に勝ったら一万円だ」
 恭一郎はぽきぽきと関節を鳴らした。
「お金なんかいらない。その代わり私が勝ったら剣術部なんてふざけた部活は即刻廃部、神楽坂さんとマクライトさん、ついでに風間も剣道部に来て貰うぞ」
「なんだと!?」
 憤るエレンを制して恭一郎は苦笑した。
「葵とエレンはともかく・・・俺もなのか?」
「そ、そうよ!・・・あ、あれだぞ!?勘違いしないでよ?あんたはおまけだし・・・そう、そのふざけた性根を叩き直そうって言うだけだからね!?えっと、腕・・・剣の腕だけはいいし・・・」
「わかってるって」
 恭一郎は頷いて葵達に下がっていろと指示した。
「さ、来いよ」
 愛里は大きく深呼吸をしてからすっと竹刀を構えた。何とも言えない風格のようなものが164センチの体にみなぎる。
「ねぇ葵ちゃん・・・いいの?相手は剣道部の副部長なんでしょ?風間、勝てるわけ?」
「うん。恭ちゃんは無敵だから」
 にっこりと微笑む葵に美樹は首を捻って対峙する二人に視線を移した。
「それに・・・」
 葵が言いかけたところで恭一郎が動いた。
「とぅりゃぁっ!」
 肩口へ打ち込まれた一撃を愛里は鋭い剣閃で弾き返した。恭一郎の竹刀がそれを握る両手と共に頭の上まで跳ね上げられる。
「貰ったぞ風間っ!」
 がら空きになった胴めがけて愛里は大きく踏みだして竹刀を繰り出した。お手本通りの綺麗な軌道を描いて竹刀が恭一郎の右脇腹を襲う。
 だが。
「はッ」
 軽い声と共に恭一郎の右足が跳ね上がり愛里の手首をこつんっと蹴った。動きの中心を押さえられた竹刀がぴたっと止まる。
「し、しまっ・・・!」
「そうりゃっ!」
 声が交差し・・・
 半瞬後、振り下ろされた恭一郎の竹刀が愛里の頭をこつんっと叩いた。
「俺の勝ち、と」
 恭一郎がそう言って肩をすくめた瞬間愛里はがっくりとうなだれた。
「二十・・・三連敗・・・」
「弱っ!」
 思わず叫んだ美樹をエレンは呆れたような目で見つめた。
「何を言ってるんだ側室。副将殿は強いぞ。基本に忠実で、早く、うまい。さすがといったところだな。うむ」
「じゃあ何でこんなあっけなく勝負がつくわけ?」
 美樹の台詞にちょっと傷ついた顔をして愛里は立ち上がった。
「剣道に蹴りはないっ!毎回毎回汚い手を使うのよこの男は!」
「ま、セオリーを崩すのが俺のやり方だからな・・・もうちょっとおまえが下手だったら逆に手こずってるかもな」
 言いながら恭一郎はぽんぽんと愛里の頭を叩いた。
「うううううううるさいぞ風間恭一郎!次はっ!次こそはっ!」
 叫びながら愛里は人混みをかき分けて走り去った。

『あ、こら!金払えよ中村っ!     風間恭一郎 』


 結局その後挑戦者が現れなかったので恭一郎達はその場を片づけて見物に回ることにした。
「うちの学校は格技系の部活の数が多く質も高い。もっともうちのようなマイナー系も多いがな・・・ん?」
 あちこちの部活を冷やかしながら歩いていた恭一郎がふと足を止める。
「どうしたの?恭ちゃん」
「なんだありゃ?」
 呟いて指差した先に一人の女子生徒が居た。
 黒髪を三つ編みにしてひとまとめに垂らしている。大きめな眼鏡が野暮ったいがそこが可愛いという人もいるだろう。
「あ、あの・・・見ていってくださ・・・あ・・・」
 少女は何かの部活の勧誘らしく道行く生徒達に一生懸命声をかけているが、どうにも押しの弱い物腰に誰一人足を止めようとしない。
「あれじゃ駄目ね。こーいうのはノリ、気合い、声の大きさの三つで勝負が決まるのに」
「だろ?あそこまで気の弱そうな奴がよく勧誘に駆り出されてんなあ」
 恭一郎は呟きながら少女に歩み寄った。
「よう、何の部活だ?」
「え?」
 がっくりとうなだれていた少女は恭一郎の声に顔を上げてそのまま硬直した。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 行きがかり上じっと見つめ合う二人。
「は!?はわわわわわわっっ!?」
「な、なんだ!?」
 硬直が解けた瞬間に奇声を上げて後ずさった少女に恭一郎も思わず後ずさる。
「あ、あの、あの、あも、じゃなくてええとその、わ、わたっ・・・」
 落ち着き無く視線を彷徨わせながら一生懸命に口を動かしている。
「・・・取り敢えず落ち着け。ほら息を吸って」
「は、はい・・・すぅぅぅぅぅ・・・」
 少女はがくがくと首を振ってから大きく息を吸い込んだ。
「吐く」
「はぁぁぁぁぁぁ」
「吸う」
「すぅぅぅぅぅぅ」
「吐く」
「はぁぁぁぁぁぁ」
「吸う」
「すぅぅぅぅぅぅ」
「吸う」
「すぅぅぅ・・・はふっ!?」
 少女は白目をむいてそのまま後ろへとひっくり返った。
「あれ?」
「あれ?じゃないでしょおがっ!?だ、大丈夫!?」
 慌てて少女を抱き起こした美樹の隣にしゃがんで恭一郎はぽりぽりと頬を掻いた。
「いや、お茶目なギャグのつもりだったんだが・・・」
「古典的すぎるわよっ!ついでに言うとギャグは時と場所を考えなさいっ!」
「う?うぅ・・・」
 美樹が怒鳴ると同時に少女はうっすらと目を開けた。
「大丈夫ですか?頭とかくらくらしませんか?」
 葵が微笑みながら訊ねると少女はゆっくりと頷いて辺りを見回した。
「立てる?手、離すけど・・・」
「あ、はい。大丈夫です」
 美樹に言われて少女は自分から立ち上がった。おどおどとした上目遣いで三人を順繰りに見つめる。
「あの・・・すいません。ご迷惑をおかけして」
「いや、全くの事故だ。問題ない」
「・・・あんたの人為的な陰謀だと思うわ」
 腕組みなどした恭一郎に美樹は白々とした声でつっこみを入れた。
「えっと、それで・・・何のご用でしょうか?」
「いや、何の部活か聞こうと思っただけだ。勧誘してたんだろ?」
 少女は、あっと呟きながら頬を赤らめ、それからおもむろに握った右手を恭一郎の鼻先に突きつけた。
「・・・なんだ?」
 恭一郎が呟くと同時にその手の先に『ぽんっ』と音を立てて小さな造花が現れた。
今はこれが精一杯・・・
 少女は言いながら造花をつまみスルスルと万国旗をのばして見せた。
「うんうん、カリオストロっていいよね」
 妙に嬉しそうに頷く葵をよそに恭一郎はその小さな造花を受け取ってしげしげと眺めた。
「つまり、手品部なわけか?」
「えっと、あの、はい・・・部員、私一人ですけど・・・」
 恥ずかしそうな手品部の少女に美樹は首を捻って訊ねてみた。
「手品ってそんなに人気無いの?こんなに生徒が居るんだし手品が趣味な奴くらいいくらでも居るんじゃない?」
「それは、その・・・手品を専門にしている部活がいくつもあるんです。トランプ系のイカサマを追求するトリック部と透視とかスプーン曲げがイカサマであることを証明するのが専門の対ESP研究会、騙し絵を研究するエッシャー部・・・手品部は歴史は長いんですが、ステージマジック中心主義を打ち出して以来何度も分裂してしまったのです・・・」
 少女はぽそぽそと呟いてから少し涙ぐみ鼻をかんだ。
「えっと、たしか手品部は去年5人居た3年生が卒業して一人だけ居た2年生部員が自動的に部長になったって聞いたよ」
「・・・ってことは、あんた3年か?」
 恭一郎の何気ない呟きに少女はびくっと身を捩らせた。
「すすすすすいませんごめんなさいここここんな頼りないのが3年生でかつ部長なんかやっててごめんなさい!」
「いや、何を謝ってんだあんた・・・俺としてはむしろたった一人でも部活を続けようというそのガッツが気に入ったけどな」
 その言葉に少女が顔を上げた瞬間だった。
「おーっほっほっほっほっほっ!」
 耳をつんざくような高笑いがあたりに響きわたった。
「ほーっほっほ・・・かはっ!?ごほっごほっごほっ!」
 変な風に息を吸い込んだのか咳き込んで涙目になっている乱入者を見ながら美樹は思わず呟いた。
「なんてレトロで深刻な馬鹿・・・」
「だれが馬鹿よ!そしてレトロよ!」
 一声叫んでから乱入してきた少女・・・少女だったのだ・・・は我に返って口元に手をあてた。
「まったく・・・駄目な部活には駄目な人間しか集まらないようですわね」
「うっさいわね!そーいうあんたは何者なのよこの縦ロール!今時なかなか見れないわよ縦ロールっ!しかもなによそのとってつけたようなお嬢様言葉は縦ロールっ!夫人なの!?デビo夫人?O蝶夫人なわけ縦ロールっ!」
 ほとんど脊髄反射だけで叫び返した美樹の言葉に乱入少女は耳まで赤くなって拳を握りしめた。縦ロールがぷるぷると震える。
「この私に・・・EM部の部長である桂城美代に対して言いたい放題言って下さるわね・・・綾野さん、これが答えというわけですわね?手品部はEM部に宣戦布告をすると、そう言うことなんですわね?」
「・・・え?ち、ちが・・・」
 手品部の部長・・・綾野霧香はおろおろしているところに話を振られて口をぱくぱくさせた。
「せいぜいこの下品な新入部員を少しは使えるように育てることですわね。勝負はこの前提案したとおり今週末の合同発表会でどちらの発表が受けるか・・・私達が勝ったら手品部の名称は私達が頂きますわよ。いいですわね!?」
「なんかよくわかんないけど誰が下品よ薔薇女!私達が勝ったらその縦ロールをばっさり落としてやるから覚悟してなさい!」
 乱入少女はこめかみをひくひくさせながら踵を返した。美樹はびゅんっと中指を立てて去って行く背中を見送る。
「まったく・・・なんなのよあの化石みたいな高ビー女は・・・」
 呟いたところでようやく美樹は気が付いた。
 どんよりとした辺りの雰囲気に。
「なぁ天野・・・おまえはいつから手品部員になったんだ?」
「え?」
 呆れたような顔で肩に手を置く恭一郎に美樹は顔を引きつらせた。
「そういえば・・・今の誰なわけ?」
「えっとね、EM部・・・つまりエンターテイメントマジック部の部長をやってる桂城美代さんだね。EM部って言ったら部員数80名近くの手品系では最大手の部活だよ」
 葵は困ったような顔でそう言って綾野を見上げる。
「でも、名前を貰うってどう言うことですか?」
「・・・手品部の名は、この学校の手品師達の代表であると言う証です。そしてその看板を所持するというのは・・・すでに廃部寸前のうちにとって最後のアイデンティティでして・・・」
 綾野は魂の抜けた顔でゆっくりとそこまで言って。
「はぅ」
 そのまま気を失ってひっくり返った。

『わ!大変!衛生兵!えいせいへーい!  神楽坂葵』

「えっと、その・・・ごめんっ!あたしの不注意でとんでもないことになっちゃって・・・あたしに出来ることならなんだってするから、だからその・・・」
 半ば物置と化してる手品部室で美樹は深々と頭を下げていた。
「いえ、いいんです。これも天命ですから・・・あはははは・・・」
 綾野は魂の抜けた顔のままでそう言って乾いた笑い声を上げた。
「いいんです・・・ええ、いいんです・・・どうせ新入部員も集まらなかったし仲間はみんなやめちゃったし・・・もう、潮時でしたから・・・」
 声が小さくなり、変わりにどばっと涙が溢れ出た。
「ふぅえええええええ!ごめんなさぃぃぃぃぃぃぃぃ!こんな私が部長なせいでついに廃部です先輩ぃぃぃぃ!」
 机に突っ伏しての号泣である。
「あ、あの・・・お願いだから泣かないでよ、困っちゃったな・・・」
「す、す、す・・・」
 美樹の言葉に綾野はくしゃくしゃの顔を上げた。
「酢?」
「すいませんんんんんんんんんんんん!」
 更に号泣。
「だぁあああああああっ!うっとぉしぃ!」
 見かねた恭一郎は思いっきり目の前の机を叩いて叫んだ。老朽化していた机の脚が衝撃に耐えきれずもげて、そこに突っ伏して泣いていた綾野がびっくり顔のまま床に転がって硬直する。
「なっちまったもんはしょうがねぇだろうが!覆水を盆に返そうとするくらいならさっさと新しい水を汲んでこい!殺ること殺らずに泣いてんじゃねぇ!」
「だだだだだだって・・・私はこんなですし・・・ステージマジックは一人じゃできませんし・・・」
 床にぺたんと座って綾野はおどおどと呟く。
「がぁぁぁぁっっっっっ!どうしてそう後ろ向き何だぁぁぁぁ!」
「えっと、綾野先輩は手品うまいはずですよね?私が覚えてる限りでは2年前の文化祭の時はメインをつとめていて、期待のホープって言われてたはずですけど」
 頭を掻きむしって吠える恭一郎を見かねて割って入った葵の言葉に綾野は控えめに頷いた。
「は、はい・・・過分にもトリを努めさせていただきました・・・でも、あの、あなた方2年生ですよね?まだ入学していなかったんじゃ・・・」
「え?あ、うん。ちょっと事情があって見に来てたんですよ」
 困ったように微笑む葵を見て落ち着いたのか恭一郎は腕組みなぞしながら大きく頷いた。
「よし、それなら問題ないな」
「・・・何が?」
 罪悪感で心なしか元気がない美樹の声に恭一郎はにやっと笑ってみせる。
「やりゃぁいいんだよ。合同発表会で。いいチャンスじゃねぇか。出来ねぇもんはしょうがねぇが出来るんならやんなきゃな」
「でも・・・あの、私一人じゃ・・・」
「ここに4人居るだろうが。葵、合同発表会規則に部員以外が参加しちゃ行けないって言う条文はあったか?」
 葵はちょっと首を傾げてからはんなりと微笑んだ。
「大丈夫、どこにものってないよ」
「え?ちょ、あんた達手伝ってくれるの?」
 面食らった美樹に恭一郎は眉をひそめた。
「ん?まさかおまえ、自分だけやんないとか言いださねぇだろうな?」
「あたしはやるわよ!そうじゃなくって・・・あたしのミスなのに・・・」
「知らねぇな。と言うわけだ綾野。人数は揃った。当然・・・やるんだろうな?」
 恭一郎は『にっこり』微笑んで綾野を見下ろした。
「・・・はぅ」
 
『気絶すんなっ!失礼な奴だなこら!  風間恭一郎』
  

「まずはだ、見に来て貰わなきゃしょうがねぇんだよなこれが」
 翌日の放課後、恭一郎と美樹は巨大な建物の前に立っていた。
「まあ、そうよね」
「と言うわけでビラ配りをしてるわけなんだが・・・どうにも手が足りないと思わないか?」
「葵ちゃんは先輩と仕込みをやってるから実質あたし達3人だけだもんね」
 言ってから美樹はその建物を見上げた。2階建て、総敷地300坪。その内部で100人近くの人間が汗を流すそこを第三格技場、もしくは剣道部練習場と呼ぶ。
「で?それと剣道部がどう関係あるの?ここの人達に配るわけ?」
「いや、それはそれでやるけどな。まぁついてこいよ」
 恭一郎はそう言い残してさっさと格技場に足を踏み入れた。

「あ!風間っ!よくもここへノコノコと!」
「貴様っ!またしても我等を愚弄しに来たか!」
「こここここ怖くなんかないぞおまえなんかっ!」
 練習場に足を踏み入れた途端、様々な声が返ってきた。
「うわ。あんたよっぽど嫌われてるわね」
「結構結構。負け犬のオーボエなんぞ興味ない」
 涼しい顔で2階へ上がり一軍用練習場へ足を踏み入れる。 
「おい中村、居るか?」
「ん・・・ぅあ!?か、風間恭一郎!?」
 後輩に指導をしていたらしく胴だけをつけて居る愛里が振り返るのを見て恭一郎はにやっと笑い、目を白黒させる彼女へと歩み寄る。
「おい中村。頼みがある」
「・・・断る。何だかしらんが貴様の頼みを聞く筋合いなど無い」
 つんとそっぽを向く愛里に恭一郎はニヤニヤと笑う。
「ほぅ?賭試合で負けたにもかかわらず平気で代金を踏み倒して下さった副将殿がどの口でそう言うことを言うんでしょうかねぇ奥様?」
「あら奥様そんなことを言っては失礼ですのことよ?まさか断るなんて事はしませんわよ。ただちょっと照れてるだけですわきっと」
 ネタを振られて反射的に美樹も口元に手をあてて奥様言葉になる。愛里は顔中を真っ赤に染めて拳を振るわせた。
「くっ・・・わ、私に何をやらせるつもりなのだ・・・はっ!?ま、まさか!だ、駄目だぞ!我々はまだ高校生であるし、その・・・」
 突然後ずさり始めた愛里に恭一郎はポカンと口を開けた。
「・・・何言ってんだおまえ」
「い、いや、あれだ・・・その、そう言うことはちゃんとステップを踏んでだな・・・あやややややな、何を言っているのか私は、そうではない、そうではないぞ風間恭一郎っ!」
 恭一郎は無言で右腕を横に伸ばして愛里の背後に回った。それに呼応するように美樹も又右腕を伸ばす。
「クロス・ボOバー!」
 前後からラリアートを喰らって愛里は錐もみ状に吹き飛ぶ。
「ななな何をするっ!?」
「いや、何か知らんが暴走してるみたいだからつっこんでみた」

『・・・いつか、いつの日かっ!(泣) 中村愛里』

「・・・っていうわけなんだけど、手伝ってよ愛里さん」
 美樹の説明を聞いて愛里は眉をしかめた。
「事情はわかった。風間恭一郎が持ってきた話にしてはまともだな。だが・・・なんで私が手伝わねばならない?私とて剣道部の副部長として勧誘なりなんなりしなくてはならないのだぞ?」
「何もしなくても部員は入ってくるしどうせ合同発表会の出し物も例年通り3年生の演舞だろ?おまえが出るわけじゃなし」
 うっと怯んだ愛里に駄目押しとばかりに恭一郎は冷たい視線を向ける。
「第一、廃部の危機に瀕した部活の手助けもできないような冷たい人間じゃぁないよな?まさかねー?そんな奴駄目駄目だよねー?」
「くっ・・・し、しかし・・・部長の許可もなくそんなことは・・・」
 苦しげな言葉に恭一郎はニヤリと笑った。
「許可がありゃいいんだな」
 そのまま遠巻きにこっちを眺める剣道部員を追い散らしながら練習場を突っ切りその奥の部長室のドアを軽く叩いてから開ける。
「おい貴人、居るか?」
 恭一郎の声に椅子を窓に向けて空を眺めていた少年が『ん?』と振り返る。
「ああ、恭か。どうしたんだい?」
 言いながら少年・・・剣道部部長稲島貴人はイヤホンを外した。小さく聞こえるのはどうやら何かのクラッシックらしい。
「中村を借りるぞ」
「おっけ」
「そんな簡単に了承しないでくださいっ!」
 愛里の悲鳴に貴人は細い目をぱちぱちとしばたかせた。糸目なのでよくわからないが。
「やなの?」
「い、嫌ではありませんが・・・私にも剣道部の副部長としての・・・」
 言いかけて愛里は『はぁ』とため息を付いた。少しわざとらしい。
「わかりました。部長の指示ですので風間恭一郎の手伝いをしてきます。あくまでも、部長の指示ですので」
「わざわざ強調すんなよ。嫌々なのはわかってるっつーの」
 苦笑混じりの恭一郎の台詞に美樹は軽く肩をすくめた。

『この、朴念仁・・・     天野美樹』

 そして、瞬く間に3日間がたち、4月27日木曜日・・・発表会前日がやってきた。
「俺、美樹、中村と剣道部員数名、エレンとその親衛隊で配れる限りビラは配ったからな。相当の枚数を配ったと思うぞ」
 恭一郎は肩をトントンと叩きながら美樹と綾野に報告した。
「うん、おつかれさま」
 美樹はニコニコと微笑みながら作業の手を止めた。
「こっちもほとんど終わったよ。ね、綾野さん」
「は、はい・・・本当に何から何まで・・・」
 綾野はぴくっと身をすくめてから上目遣いに恭一郎達を見る。
「・・・なぁ綾野。なんでおまえはそんなにオドオドしてんだ?おまえは何も引け目に思うようなことねぇだろうが」
「・・・いえ、その、私が駄目なばっかりに皆様にご迷惑を・・・」
 恭一郎は眉の間に皺を作りながら二人の近くの椅子に座った。
「だからよ、そんな調子で発表が出来んのか?」
「!」
 綾野はびくっと身をすくませる。
「もっと舞台度胸っつーか、そう言うのが必要なんじゃねぇか?自分に自信を持てねぇと上手くいくもんも上手くいかねぇぞ?」
「・・・・・・」
 恭一郎の呆れたような声に綾野は俯いて何かを呟いた。
「何だ?」
「あなたに・・・」
 聞き返された綾野はバッと顔を上げた。
「あなたに、何がわかるって言うんですか!自信なんて・・・自信なんてどうやったら付くんですか!成功して当然、失敗したら笑い者になる・・・小さな時から手品が好きで・・・ただそれだけだったのに・・・みんなみんな次はもっと凄い物をやれって・・・私、天才なんかじゃないっ!絶対成功する保証なんか無いんです!それでも、全部成功させなくちゃいけないんですよ!?このプレッシャーがわかるって言うんですか!?」
 恭一郎はちょっと気圧されたような表情をしてから静かに笑った。
「ああ、わかるね」
「恭ちゃん・・・」
 息をのむ葵に構わず恭一郎は綾野に向き直る。
「甘えるなよ綾野。好きでやってんなら自分のやりたいことだけやれ。期待に応えたいんなら期待通りの事をやって見せろ。どこまでやるか、何をやるかは全ておまえ自身が決めたことだ。強制なんか誰もしていない・・・自分より優れた技を持つ物に対して嫉妬するやつってのはな、どの業界にも居るんだよ・・・だが、それをいちいち気にしてどうすんだよ・・・」
「で、でも・・・」
「そして、思い上がるな。おまえは、一人で全てが出来るわけじゃないし一人で全てやらなくちゃいけねぇわけでも無い。いつだって・・・誰かがフォローしてくれる。一人でやる必要なんか・・・ねぇんだよ・・・」
 恭一郎はチッと舌打ちしてから右手をそっと左手で押さえた。そのさりげない行動に葵は一瞬だけ悲しげな表情を見せた。
「あー、なんだ。つまり俺が言いたいのはだな」
 場の雰囲気が沈み込んだのにようやく気付いて恭一郎は無暗に明るい声を作る。
「当日は俺達も一緒にステージに上がるんだ。なんかミスったら俺達がフォローしてやる。おまえはおまえの技を思いっきり見せてやれ・・・それで駄目だったらしょーがねーだろ?」
「・・・はい」
 小さく、だがしっかりと頷いた綾野の肩を恭一郎はにやっと笑って軽く叩いた。
「よし。んで、頼んだもんの発注は終わってるか?葵」
「うん!でも、やっぱり使うの?アレ・・・」
 笑顔に戻った葵と恭一郎を見つめながら霧香は小さく微笑んでステージ衣装を抱きしめた。
 
『少しだけ・・・頑張れる気が、してきました   綾野霧香 』

 そして、当日。
「ぬぁんじゃこりゃぁっ!」
 講堂内の女子用控え室で美樹は松田Y作になって絶叫した。
「うるさいぞ側室。見てわからんのか?」
 エレンはうるさげに顔をしかめてから『それ』を手に取った。
 切れ込みの激しい黒いレオタード、赤い蝶ネクタイ。カラー。そしてとどめのウサギの耳を模したカチューシャ・・・
「ばにーさんの服だよ」
 葵は妙に嬉しげにそう言って着替え始める。
「ちょ!なに?これ着ろっての!?」
「マジックのステージ衣装と言えば、これだろう」
 エレンもこともなげにそう言って着替え始める。
「それとも・・・」
 バニースーツを持ったまま躊躇している美樹にエレンはふふんと笑って見せた。
「その貧弱な体型をさらすのが恥ずかしいのか?」
「ぬぁんですとぉ?でかけりゃいいってもんじゃないでしょうがこのホルスタインっ!オージービーフよりも和牛の方が高いんだからね!」
 美樹は怒りにまかせて制服を脱ぎ捨てた。そのまま手早く着替えを済ませぐいっと胸を張る。
「大きさより、形なのよ!」
「ふ・・・それは負け犬の遠吠えというものだな」
 エレンも負けじとその豊かな胸を張った。
「・・・いーもん、どーせ私は小さいもん」
 葵はそんな二人を見ながら一人スカスカな胸元を押さえる。

 ちなみに、愛里はその間ずっと部屋の隅で燃え尽きていた。

ばにー・・・私が・・・ばにー・・・   中村愛里』

『さて、次は、手品部の発表です』
 満員の客席にアナウンスが流れた。合同発表会は一年生は全員参加、二・三年生も自由に参加できるので全校生徒を収容できる講堂も二階までびっしりと人が詰まっている。
「さ、行こうか」
 燕尾服を着込んだ恭一郎はおなじく燕尾服を着込んだ綾野の背中をぽんっと叩いた。
「は、はいっ」
 少し固くなりながらも綾野が頷くと同時にゆっくりとステージの幕が上がった。
(・・・あの女は・・・お、居る居る・・・)
 客席の最前列にEM部の桂城を見つけて恭一郎はニヤリと笑いながら手の中でマイクをくるりと回し、それから大きく息を吸い込んだ。
「It’s・・・Show Time!」
 恭一郎の声と共にセットされていた火薬がバンっ!と弾ける。
「さぁ手品部の発表だ!テーブルマジックや見た目重視の手品じゃ味わえない文字通りのマジックを見せてやるからな!?まずは基本・・・鳩っ!」
 声と同時に綾野はひゅっと手を振りそこに忽然と鳩が現れる。
「まだまだ出るぞ2羽、3羽、4羽!」
 次々と現れる鳩を美樹が受け取っては葵の体にとまらせる。
「6、7、8・・・って、まだ出るんかいおい」
「い、いつもより多く出してます・・・」
 控えめなボケに会場のあちこちに小さな笑いが生まれる。
 はっきり言って、綾野は地味だ。手品師として致命的なその点を緊急に補うための手段が恭一郎をMCに持ってくるという策だった。
「よぅし、会場も暖まってきたところで次だ!エレン、箱っ!」
「恭ちゃん〜そのまえにこの鳩なんとかして〜」
 体中に鳩をぶら下げた葵をよそにエレンが大きな箱を押してくる。
「さて、この箱で何をするかっつーとだな。おい天野」
「オッケー!ってホントに大丈夫なんでしょうね?」
 ぶつぶつ言いながら美樹はステージの中央に設置された身長を超える大きさの箱に入る。恭一郎はおもむろに蓋を閉め、顔に当たる部分の窓だけを開けた。
「よぅし、さてさてこの本来箱入りとはほど遠い暴力女・・・」
「誰がよ!」
「この暴力女に何をするかっていうと」
 言うと同時に愛里がステージわきから剣を何本も持って登場した。まだバニーが恥ずかしいのか顔が赤い。
「え、えっと、その。刺します」
 綾野は愛里からその剣を受け取り何の予備動作もなく箱に突き立てた。
「うぎゃぁぁっ!?」
 美樹が悲鳴を上げると同時に恭一郎はぱたんと窓を閉じる。
「ふっふっふ、側室・・・覚悟ッ!」
 叫びながらエレンが腰溜めに剣を箱へ突き立てる。
「はっ!」
 気合いの声と共に愛里が剣を深々と刺し込む。
「えーん、だれかこの鳩取って〜」
 何故か離れようとしない鳩達を体中に乗せて葵が剣を突っ込む。
「これで、ラストっ!」
 最後に恭一郎が剣を正面から突き込むと同時に、ステージ上と客席は共に静寂に包まれた。約1000人が固唾をのんで見守る前で恭一郎はゆっくりと客席を見回し・・・
「さ、つぎ行ってみようか」
 言いながら箱をがらがらと片づけ始めた。
「ほっといてどーする!」
「なんじゃそりゃぁ!」
 客席からの突っ込みに上機嫌で頷きながら。
「わーかってるわかってる!エレン、中村!剣を外せ!」
 突き刺さった5本の剣を抜き取ってから恭一郎は箱に歩み寄った。
「さてお立ち会い、あんだけ刺さっていても中は平気っ!天野、出てこい!」
「・・・・・・」
 返事がない。
 誰も動かない。
「おい?天野?出てきていーんだぞ?」
 恭一郎の声だけが広い講堂を満たす。
「天野!天野っ!」
 客席がざわめく。まさかの事態に皆が息をのんだ瞬間、
「危ないでしょうがっ!」
 客席の『後ろ』からよく通る声がした。
 ぱっとスポットライトが当たると講堂の入り口に仁王立ちになっている影が一つ。
「天野美樹!見・参!」
「おおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!」
 客席が一斉に湧いた。

 その後も順調に演目は続き、ついに最後の演目。

「さて、みんなよく最後まで見てくれたな!いよいよラスト・・・ステージマジックと言ったらやはりこれ、大脱出だ!」
 すっかりヒートアップしている客席に恭一郎の声が響く。
「手品師綾野霧香の体中に絡みつく鎖!巨大水槽の中にぶら下げられた状態からの脱出ははたして成功するのか!?」
 恭一郎が叫んでいる間にエレンと愛里が2メートル四方の巨大水槽を運んでくる。
「・・・こんなでかい水槽どっから持ってきたわけ?」
 水着に着替えた綾野の体に鎖を巻きながら美樹は囁き声で綾野に尋ねた。
「あの、神楽坂さんが貸してくれたんです・・・」
「おっきな魚さんを飼おうと思って買ったんだけど肝心の魚さんが買えなかったから余ってたんだよ」
「・・・一体何を飼おうとしてたわけ?」
 呆れた声で呟いた美樹が、ふと眉をひそめた。綾野の顔が青白い。
「どしたの?霧香さん」
「・・・私、脱出って苦手なんです・・・出来るんですけど、昔失敗したことがあって、それ以来少し・・・怖いんです」
 美樹はちらっと客席を見た。恭一郎のトークに聞き入っている客達はこちらに注意を払ってないようだ。
「ならわざわざやんなくても・・・」
「駄目です。手品部の意地ですから・・・最後は、脱出物じゃないと」
「綾野さん?」
 葵は巻き付け終わった鎖を手ににっこり微笑んだ。
「みんな一緒だから、絶対、大丈夫だよ。だから胸を張って、自分に出来ることを精一杯やってね」
「・・・はい」
 綾野が頷くのを横目で見て、恭一郎はよりいっそう声を張り上げた。
「さあ、準備が出来たようだ!今、ゆっくりとその華奢な体が軋む鎖と共に水の中へと沈んで行く!人間が息を止めてられるのは普通2分が限度!それまでに出て来れなかったらやばいぞ!」
 大きく息を吸い込んで、天井に演劇用の舞台装置として備え付けられていた小型クレーンに吊り下げられた綾野は水中へと入っていった。
(その1:手錠を外す・・・)
 綾野は指先を器用に曲げて手の中に挟み込んであった二本の針金で手錠の鍵を素早くこじ開けた。
「20秒!」
(その2:鎖を順番に解く・・・)
 全身を覆う鎖は無暗に縛ってあるわけではない。一点を動かせばとれるように調節されているのだ。
 綾野が腕をもぞもぞと動かすとじゃらじゃらと上半身を覆う鎖が外れだした。
「50秒!」
(早く・・・早く・・・)
 経験上まだまだ息が持つことはわかっているのだがついつい焦ってしまう自分を感じながら綾野は鎖を外し続ける。
(もし失敗したら・・・早く、早く外れて!)
「1分10秒!」
 観客席がざわめく。水槽の中の綾野は既に上半身の鎖を全部取り下半身の鎖に取りかかっている。
 それを眺めながら縦ロールの少女・・・桂城は正直感心していた。手品師としての腕が良くとも致命的にあがり性で小心者の綾野を過小評価していた面はいなめない。
 だが、今日のステージは別だ。
 綾野とは対照的に手品の腕はゼロに近いが派手で舞台映えする連中がよく綾野を引っ張っている。
「1分50秒!」
 水槽の中ではほとんどの鎖を解き終わった綾野が足の手錠を外そうとしている。
(ん・・・?)
 桂城の眉がきゅっと寄った。
 そして。
「それじゃ駄目っ!綾野さんっ!」

(早く・・・早く・・・早く・・・早く・・・)
 酸素の足りない頭で綾野はそれだけを繰り返していた。鎖を解く動きそのものは体が覚えている。何も考えずそれに従えばいい。
 カツッ・・・
 手が滑る。それだけで何秒か時間をロスした。
(早く早く早く早く早く早く早く!)
 そして鎖が完全に解けた。
 瞬間!
(きゃぁあっっっっっ!)
 心の中で綾野は悲鳴を上げた。綾野は今まで浮いていたわけではない。天井の鎖でぶら下げられていたのだ。それを外して、今度は浮上しなくてはならないのだが・・・鎖を解くことに集中するあまり綾野は正しい姿勢を取り忘れていたのだ。
 それ自体は大したミスではない。水槽の床にぶつかった。それだけだ。
 だが、そこにたまっていた鎖は、容赦なく彼女の手足に絡まった。

「それじゃ駄目!綾野さんっ!」
 客席から聞こえた叫びと同時に、ステージ上の恭一郎達もその失敗に気が付いた。
「ま、まずいぞ!」
 恭一郎は慌てて水槽に駆け寄った。中で綾野がもがいているのを見て鋭く一つ舌打ちする。
「ちくしょう!絡まってるアレはメインの鎖だ!」
 つまり、天井から下がっている長い鎖である。一番頑丈で一番重いだけに引きずって泳ぐわけには行かないのだ。
「どどどどどどどーしよ!?」
 美樹は真っ青になって辺りを見回した。客席は異変にどよめいているがまだ本当に危ないのかこれも演出なのかをわかりかねているようだ。
「・・・葵っ!助けるぞっ!」
 恭一郎の叫び声に葵は大きく頷いてステージ袖に走っていった。
「中村っ!葵について行け!美樹っ!水槽に登れ!エレン、悪いが踏み台にするぞ!」
 美樹が矢継ぎ早に出された指示に目を白黒させているうちに、天井から低いモーター音がした。綾野を吊り下げていたクレーンが鎖を巻き上げだしたのだ。
 水中でたるんでいた部分を全て巻き上げたクレーンは今度は綾野を引っ張り上げる。足に絡みついている鎖に逆さ吊り状態にされた綾野がばたばたと持ち上げられ水面近くに来る。だが、このまま引っ張り上げては足の骨を折りかねない・・・
「行くぞエレンっ!」
 恭一郎は天井を指差してからステージの端に戻りそこから助走をつけてエレンに向かって大きくジャンプした。
「え?あ、上ですか!?」
 エレンは叫びながら両手を組みバク中の補助のように恭一郎の足の裏をそこで受け止めた。
「おぅりゃぁあっ!」
 咆吼と共に、恭一郎は高々と宙に舞う。
「受け取れ風間恭一郎っ!」
 その恭一郎めがけてステージ袖から戻った愛里が葵から託された長く、そして光る物を投げた。
「サンキューっ!」
 叫びながら空中で受け取ったそれは・・・
「に、日本刀!?」
 思わず美樹が叫んだ通り鈍く光る、本物の日本刀だ。
「ぶちぎれろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!」
 恭一郎は空中で回転する勢いをそのまま力に変えて目の前に迫った鎖に叩き付けた。
 ギギギギッッギギッッッッギギギギギギィッ!
 嫌な音を立てて鎖が軋む。
 そして。

 ぶづん。

 鎖が、音を立てて斬れた。
「美樹!綾野を・・・がふっ!?」
 水槽の縁に腹をぶつけて悶絶する恭一郎を横目に水槽によじ登った美樹はその縁に足をかけ、足でぶら下がるように水中に身を投じた。
「びびばばん!(注:きりかさん!)」
 美樹は叫びながら再び沈みそうになっている綾野の手をしっかりと掴み腹筋を使ってその体を引っ張り上げる!
 綾野霧香は、ほとんど意識が飛びそうになりながらも何とかその水槽から脱出した。
 ぎりぎりで。

「・・・はぁ、はぁ、はぁ」
「大丈夫?霧香さん」
 水びだしの綾野に同じく水びだしの美樹が尋ねる。
「す、すいません・・・はぁ、はぁ・・・け、結局・・・失敗・・・」
 荒い息の合間に綾野は言葉を絞り出した。
(私・・・結局失敗して・・・また迷惑かけて・・・)
 涙が出る。髪からも顔からも滴る水に紛れて涙の粒が頬を濡らす。
「何言ってんのよ霧香さん!ほら、客席!」
 美樹に力強く肩を叩かれてようやく綾野は顔を上げた。
 その、視線の先に。

「うぉぉおぉぉぉぉぉ、すげぇええええええ!」
「マジで失敗したかと思った!」
「びっくりしたぁ。ね、久美子!」
「ええ、おいしそう・・・」
「あんなん見たことねえぞ!」
 総立ちで拍手を送る生徒達の姿があった。
「どうだ!びっくりしたか?それが手品だ!あの緊張がステージマジックだ!自分もみんなを驚かしてみたいって思ったら是非手品部を訊ねてくれ!以上、発表終わり!」
 恭一郎がアドリブでまとめたところで幕が下りた。
「おつかれさま。綾野さん、足は大丈夫?」
 その幕を下ろしてきた葵が心配そうに綾野の顔を覗き込む。さっきクレーンを巻き上げていたのも葵だ。
「あ、足は大丈夫です・・・で、でも・・・」
「失敗なんかしてねえんだよ」
 恭一郎の言葉に綾野はポカンと口を開けた。
「おまえにとっては失敗でも見てる奴が成功だと思えばそれでいいじゃねぇか。結局、成功失敗なんてその程度のもんだって事だ」
「は、はぁ・・・」
 曖昧に頷いている綾野の隣で今度は愛里が口を開いた。
「それにしても、その刀はいったい何なんだ?本物ではないか」
「あ、それはうちのだよ」
 葵がにっこりと答える。
「もしもの時の為に用意しとけって恭ちゃんが言ったからこのばにーさんの服とか水槽と一緒に持ってきておいたの」
「・・・これだけはマジでやばそうだったからな・・・綾野を信じて無かったわけじゃないが・・・ま、保険でな」
「っていうか、葵ちゃんの家って何でもあるのね」
 どんどん本筋から離れていく会話をぼんやりと聞きながら綾野はくすっと笑った。本当に、この人達は・・・
「綾野さん、ちょっといいかしら?」
「え?」
 綾野は、はっとして振り返った。そこに一人の少女が・・・桂城が立っている。
「さっきの脱出・・・失敗だったわね」
「ちょっと待てよおい」
 抗議しようとする恭一郎を手で制して綾野はすっと立ち上がった。
「はい。手品師としては失敗です」
「・・・そうね・・・でも・・・」
 桂城は穏やかな笑みと共に首を振る。
「エンターテイメントとしては、とても上質でしたわ。EM部としては・・・あれを認めないわけにはいかないようです」
「え!?じゃあ・・・」
 葵がポンと手を打つのに桂城は頷いて答えた。
「私の負けですわ。手品部の看板は、当分あなた達に預けるとしましょう」
 言うだけ言って踵を返しステージ袖の出口へと歩いていく。
「そうそう」 
 その途中で桂城はふと立ち止まった。
「今度はちゃんと手品部員だけでショーを開催なさい・・・失礼するわね」
 そして、後には恭一郎達だけが残った。
「・・・そうですね。いつまでも、皆さんに助けて貰うわけにはいきませんから」
 綾野はそう言って笑った。
 いい、笑顔で。

「あ」
 余談になるが、美樹が呟いたのはそれからしばらくしてからだった。
「しまった、あの女の縦ロール、切るの忘れてた・・・」