「しっかしあちぃな」
 恭一郎はワイシャツの襟をぱたぱたと動かしながら呟いた。
 7月に入ってから神奈川県では真夏日が続いており実際恭一郎でなくともぼやきたくなる気温だ。
「そりゃぁあんたあつはなついにきまってまんがなー」
「・・・おい、まだぼけてないぞ天野・・・」
 いつも通りかわされる会話も何となく投げやりになりながら二人はいつものように公園へとやってきた。
「あ、恭ちゃんと美樹さん。おはよ、暑いね」
  本を閉じた葵がかろやかに立ち上がる。隣に控えるエレン共々暑そうには見えない。
「お前らは何故そんなに爽やかなんだよおい・・・」
「はい、私が前居たところはもっと暑かったもので」
 ちなみにエレンはフロリダ出身だ。オレンジがうまい。
「で?葵ちゃんは?」
「私も暑いけど・・・ほら、私って鈍感だし」
 困ったように微笑む葵にぞんざいに頷いてから美樹は空を見上げた。どこかやけっぱちのように激しく光る太陽から目をそらすとどこまでも澄んだ蒼天が広がる。それはあたかも・・・
「海」
 美樹は呟いて視線を地上へと戻した。
「海と言えば海水浴、海水浴と言えば夏休みっ!あと少しで夏休みよねそう言えば!」
「そうだな。うちの夏休みは7月中旬からだからな。もう少しすりゃあこの暑い中わざわざ学校行かなくても済むわけか。そう考えれば、ちったあ辛抱するって気にもなるな」
 恭一郎も大きく頷き表情を緩める。
「しかし・・・学校がないと、殿や北の方と会う機会が減るので少々寂しく思います」
 エレンが少し恥ずかしそうに呟くと恭一郎はパタパタと手を振って見せた。
「どーせどこ行くにもこの面子だろ?覚悟しとけよ?この夏は遊び倒すからな。特に海!やっぱこいつは欠かせないだろ」
「そーよね。ああ、どこまでも広がる水平線・・・照りつける太陽と気持ちいい風・・・潮の香り・・・」
 恭一郎と美樹はどこかうっとりと空を見上げた。心の中は既に夏休みに突入しているのかもしれない。
 だが。
「えっと、気持ちよくなっているところに悪いんだけど・・・その前に、期末テストがあるんだけど・・・」
 遠慮がちにかけられた葵の声に二人は一気に現実へ引き戻された。
「・・・大丈夫だろ。どんなに点が悪くても死にゃあしねぇよ」
「でも、補習があるんだよ」
 静寂。
 気の早い蝉のジーッジーッと言う声だけがあたりに響く。
「・・・去年は、無かったじゃねえか」
「うん。それで期末の平均点が悪かったから今年はみっちり詰まってるの」
 沈痛な面もちで葵は指を3本立てる。
「・・・み、3日間も?」
 美樹の引きつった声に葵は無情にも首を振った。
「3週間」
 再度、静寂。
 そして。

『なんじゃそりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!
                       風間恭一郎&天野美樹』


「ぼぅくは教師っ、こっくごのせっんせぇ」
 妙な歌を口ずさみながら国語教師28歳は教室のドアを開けた。
「やあみんなおっはよ・・・おわっ!?」
 脳天気な声で挨拶しかけた顔が引きつる。
 教室の一角、窓際最後列の辺りにどす黒いオーラが漂っているのだ。
「・・・・・・」
 無言でシャーペンを握りしめ、恭一郎と美樹は教師を睨み付ける。
 ギリギリでも何でも、取り敢えず赤点でなければいいのだ。今からでも何とかなる!

『第壱号作戦:取り敢えず真面目に授業を受けてみる』

「えっと、だから・・・ここでの彼の心情は・・・」
 黒板にチョークを走らせるカツカツという音が教室の中に満ちる。
(くっ・・・天野・・・俺はもう・・・)
(駄目よ風間っ!寝たら・・・寝たら死ぬのよっ!)
 振り返った恭一郎の視線と美樹の視線が切なく絡み合う。
(ふっ・・・もういいんだ・・・いいんだよ・・・俺はこのまま・・・あの朝焼けの向こうに・・・)
(駄目っ!逝くときは・・・逝くときは一緒よっ!)
 これまでになく・・・二人の心は一つになっていた。わだかまりも戸惑いも、二人を遮る物は何もなく。
 そう、二人の思いは一つだった。
(眠い)
 そして、15分と持たずに作戦1は中断された。


「・・・考えてみれば、今になっていきなり授業聞いたってどうにもなるもんじゃねぇよな。試験範囲はもっと広いんだし」
「・・・ま、そうよね」
 昼休み、食堂のテーブルで定食をつつきながら恭一郎と美樹は深くため息をついた。

『第一回作戦会議 六合学園食堂にて』

「あの・・・天野はともかく殿も、その、まずいのですか?」
 おずおずと訊ねたエレンの質問に恭一郎は気まずく苦笑した。
「ああ、まあな・・・授業ほとんど聞いてねぇからなぁ、フィーリングとか暗記で何とかなる国語や歴史はともかく数学と理科。こいつらはな・・・」
 陰鬱な雰囲気に葵はちょっと考え込み、おもむろに口を開いた。
「じゃあさ、直接先生に聞いてみたら?」
「先生に?何をだ?」
 聞き返す恭一郎の横で美樹はぽんっと手を打った。
「あ、そっか。問題の傾向とか教えてくれるかも知れないもんね」
「うん。大分違うと思うんだよ。それがわかれば」
 そう言ってにっこりと葵は微笑んだ。


『第弐号作戦:直接教師に聞いてみる』

 5限目は物理だった。
「えー、つまりー」
 教壇では白衣を着込んだ眼鏡の教師がブツブツと公式を黒板に書き連ねている。
 その説明が一段落したところでおもむろに美樹は手を上げた。
「先生、質問してもいいですか?」
「あー、天野君。何かな・・・」
 教師は眼鏡を手で直しながら美樹に向き直る。
「もうすぐ期末なんですけど・・・テスト範囲のどの辺から問題は出るんですか?」
「・・・・・・」
 教師の手が止まった。
 教室中の生徒から期待に満ちた視線を向けられつつ教師は一度天井を仰ぎ、それからゆっくりと眼鏡をはずす。
「あの、先生?」
 美樹が戸惑いの声をあげると教師はおもむろに口を開き。
「駄目っぴょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!」
 甲高い咆吼を上げた。
「は?」
「問題は、教えられないっぴょぉぉぉぉぉぉぉぉん!」
 教師は叫びながら窓に突撃する。
 パリィィィン!
 高い音を発してガラスを突き破り教師は外へ飛び出す。
「こ、ここ二階よ!?」
 慌てて窓に駆け寄ると。くるくると回転した教師が見事な着地を決めてるところだった。
「今日の授業は、ここまでっぴょぉぉぉぉぉぉん!」
「・・・・・・」
 叫び声を上げながらどこかへ走り去っていく教師の背中が徐々に小さくなっていく。
 
 ちなみに、教師は三日間帰ってこなかった。


『第弐回作戦会議:机間メモネットワークにて』

(M:しかし、何だったわけ?さっきの先生)
 六限目、数学Aの担当教師の目を縫ってメモが葵に手渡された。
(A:三島先生、真面目な人だと思ってたんだけど・・・何か溜まってたのかな)
 女教師がポニーテールを揺らしながら黒板に向き直った隙を見て葵は恭一郎の机にメモを投げる。
(K:そう言うレベルかあれが・・・それはともかく、どうするよおい。さすがにあんなのばっかとは思わねぇけどうちの教師陣が素直に教えてくれる奴らばかりじゃないのは確かだぞ)
 恭一郎は一瞬の隙をついて天井にメモを投げ、その反動を利用して美樹の手にメモを落とした。
(M:どーしよっか。ていうか、葵ちゃんに教えて貰うってのは?)
 美樹からのメモを受け取った葵は手早くそこに書き込み恭一郎にメモを渡す。恭一郎も短くそこに書き込みを加えて肩越しに美樹の元へとメモを投げる。
(A:うん。教えられるほどじゃないけど、一緒に勉強会しよーね!)
(K:つーか、それはデフォだ。それだけじゃ心もとねぇからなんか他にってのを考えてんだよ)
 美樹は苦笑してから頭を捻った。
 とりあえず、自分にしても恭一郎にしても頭が悪いとは思わない。真面目にやれば赤点を免れることくらいは出来るだろう。
 ようは、勉強時間が足りないわけで・・・出る場所さえわかれば・・・
(M:なんかさ、あんだけたくさん部活があるんだからそう言う部活はないの?『テストのヤマを張る部』とか)
 書くところが無くなってきたので新しくノートをちぎったメモを見て恭一郎は軽く肩をすくめた。
(K:いくらなんでもそんな都合のいい部活があるかよ)
(A:あるよ)
(M:そうよね、そう都合よく・・・)
「あるの!?」
 思わず口に出して叫んだ美樹を、数学教師は眼鏡越しに冷たく睨んだ。


『第参号作戦:部活に頼ってみる』

「しっかし『ヤマを張る部』なんて有ったか?」
 放課後の廊下を歩きながら恭一郎は首を捻った。
「正確には違うんだけど、そういうのを当ててくれる部活があるんだよ」
「ふぅん・・・この学校ってホントに何でもありなのね」
 葵が笑う隣で美樹が感心したように相槌を打つ。
「北の方、それは何という部活なのですか?」
 エレンの問いに葵は大きく頷いて足を止めた。文化部活長屋、その二階の隅っこにその部室はあった。
「ここだよ」
 指差す先には素っ気ないネームプレートがかけられている。
「・・・電波ダウジング部」
 恭一郎は平坦な声でその名前を読み上げた。
「さ、帰ろっか」
 いきなり踵を返した美樹の襟首をぐっ掴んでから恭一郎は葵の方を向いた。
「つまり、占いか?」
「ま、そんなところだよ。私の知り合いがやってるんだけど、よく当たるの」
 恭一郎は葵の顔、ドア、葵の顔と視線を動かしてから小さく頷いた。
「よし、じゃあ取り敢えず入ってみるか・・・」
 呟いて恭一郎はノックをしようとドアに手を伸ばした。
 が。
「どうぞ・・・開いてるから・・・」
 手が触れる寸前に中からかけられた声にその手が止まる。
「おじゃましまーす」
 葵は硬直している恭一郎にかまわずドアを開けて中へ入った。
「失礼する」
 そもそも『電波』という物が理解できないエレンがそれに続く。
「今、叩く前に返事があったよな?」
「・・・ええ」
 恭一郎と美樹は無表情な顔を見合わせた。
「やばいんじゃないの?マジで・・・」
「・・・大丈夫だ」
 恭一郎は無理矢理頷いて額の汗を拭う。
「何でよ」
「・・・葵の知り合いなら、悪い奴の筈がない・・・多分・・・」
 自分に言い聞かせるように言って恭一郎はその部室へ足を踏み入れた。
「・・・ごちそうさま」
 呟いて美樹も後に続く。
 中は、思ったよりもまともだった。大して広くない部室の中には何冊もの本が積み上げてあり文学部めいた雰囲気をかもし出している。
「萌さんこんにちわ」
 葵が声をかけると部室の隅に置いてある机で本を読んでいた少女がゆっくりと顔を上げた。
「こんにちは葵ちゃん・・・今日もよい電波・・・」
 本を閉じ、残りの三人に視線を移す。
「あら・・・お友達なのね・・・はじめまして」
 ふらふらと頭を下げて頭をガツンと机にぶつけた少女に恭一郎達は引きつった笑顔で頭を下げた。
「恭ちゃん、こちらは水無月萌さん。三年生だよ。萌さん、恭ちゃん達は・・・」
「風間恭一郎さん、天野美樹ちゃん、エレン・ミラ・マクライトちゃんね・・・ああ、三人ともなんて心地よい電波・・・強い心を持っているのね・・・」
 萌はくすっと微笑んだ。
「思わず壊してキOガイにしたいくらい・・・」
「するなっ!」
 反射的に叫び返した恭一郎に萌はのろのろと頷く。
「うそぷー・・・」
「・・・・・・」
 あまりのテンションに硬直している三人に萌は目を伏せて微笑んだ。
「大丈夫。萌は、受信しかできないから安心して・・・」
「何をどう安心すりゃあいいんだよおい」
 頭をばりばりと掻く恭一郎を不思議そうに見上げてから葵は本題を切り出した。
「あのね萌さん。今日はテストの出題範囲を予想してもらいに来たんですけど、できますかる?」
「できないことはないわ・・・担当の先生の頭の中を(ピー!)して、それから(ブブー)して、(ドキューン)すれば、問題はわかるから・・・後のことは知らないけど・・・」
 萌はそこまで言ってから後ずさっている恭一郎と美樹に気が付きぽんっと手を打った。
「あ、できないできない・・・萌は受信しかできないから・・・」
「嘘だ・・・絶対に嘘だ・・・」
「ふふふ、萌さん流のジョークだよ」
 青ざめた恭一郎の肩を苦笑しながら葵はぽんぽんと叩く。その顔がふと真顔になった。
「多分・・・」
「多分っ!?多分って言った今?多分なの葵ちゃん!?」
 同じく青ざめた顔の美樹にエレンは首を傾げて問いかける。
「・・・電波って何だ?」
「あんた知らないの!?人の思念が言葉というよりも波のごとく押し寄せる、ああそれはあたかも電波のようにっ!熟達すれば他人の頭の中もいじくれるっていう禁断の秘技よ!手っ取り早く言えば、ごっつい洗脳っ!」
 まくし立てる美樹に萌はうっすらと笑いを浮かべた。怖い。
「美樹ちゃん、くわしいのね・・・萌、気に入っちゃった・・・」
「ひっ!?」
 萌の目がぅおんっと音をたてて妖しい光を放つ。
「大丈夫・・・痛くはないから・・・」
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっっっ!ごごごごごめんっ、あたし、こーいうの駄目ええええええええええええええっっっっっっっっっ!」
 萌がふらふらと立ち上がった瞬間、ついに美樹のブレーカーが落ちた。
「あ、おい!どこ行くんだ天野!」
 いっそほれぼれするようなスピードで部室を飛び出していった美樹に恭一郎は慌てて声をかけるがすぐにその背中が見えなくなる。
「大丈夫・・・」
 呟いて萌は目を閉じた。数秒間静止してから再び目を開ける。
「美樹ちゃんは2号館校舎の廊下でふらふらになってる・・・行ってあげて・・・」
「マジで受信してんのかよおい・・・」
 少し青ざめた恭一郎に萌は首を振った。
「それは、秘密です」
「否定はしねぇのか・・・」

『・・・この高校って・・・一体・・・ エレン・ミラ・マクライト』

「おい天野・・・大丈夫か?」
「電波を・・・・電波をなめちゃいけないの・・・」
 萌の言葉通り天野は2号校舎で震えていた。
「天野さん、電波に悪い思い出でもあるの?」
「いや、別にないんだけど」
 思ったよりあっさりと素に戻る。
「でも、この学校ってほんとなんでもありだから趣味で洗脳をする先輩の一人や二人居てもおかしくないと思って」
「珍しく意見が一致したな側室。私もそう思うぞ」
 美樹とエレンはがっしりと握手を交わした。人は恐怖の前では諍いを忘れ団結するのである。
「・・・いや、そこまで破天荒でもねぇと思うぞ。それはさておき、結局何の対策もできてねぇな」
 顎をさすりながら呟いた恭一郎の言葉に葵も頷く。
「そうだね。困ったね」
「お困りかな!神楽坂君っ!」
 瞬間、異常なまでに朗らかな声が返ってきた。
「貴方の悩みに華麗なる回答をご用意できるのは僕以外に居ないだろう?さあ、振り向いてくれたまえ神楽坂君」
 背後から聞こえる声に恭一郎は半眼になって葵の肩を抱いた。
「行くぞ葵」
「待ちたまえ野獣!エレガントの欠片もない君が僕の言葉を無視しあまつさえ神楽坂君の体に触れるなど言語道断だぞ!」
 恭一郎は無視してさっさと歩き出す。
「またしても無視したな風間君!それは僕に対する挑戦か!?挑戦と見ていいんだね!?」
「・・・か、風間」
 背後から聞こえ続ける声に美樹は苦しげな声をあげた。
「ごめん、あたしもう限界・・・」
「よせ天野!これ以上めんどくせー事態に巻き込まれるな!」
 恭一郎が小声で叱咤するが天野の足は既に止まり、体中が小刻みに震えている。
「マドモワゼル神楽坂。さあ、そんな野人は振り払って僕のもとにきたまえ!悩みなら全て僕が解決して上げよう!」
「ま、まどもあぜる・・・」
 美樹は更に力を増す誘惑に体中で抵抗した。そう、今は忙しいのだ。勉強せねばならないのだ・・・
「がぁんばれ〜、まけんな〜ちからの〜かぎりいきて〜やれ〜」
 ちっちゃく応援ソングを歌う葵に頷いて美樹は大きく一歩を踏みだし・・・
「嗚呼、神よ!お力を!あの忌まわしき男から清純なる乙女を救い出す為の其の力を!」
「いったいあんたは、なにもんだぁあっ!」
 鋭い歩法でターンし右手の甲で振り返りざまにキレのいいつっこみを繰り出す。今にも『ぱぁぁん』といい音が出そうな絶妙なつっこみであった。
「ああああ・・・快感・・・」
 うっとりとした顔で美樹は呟く。誘惑に負けて手にした禁断の果実は、たまらなく甘美な味がした。
「ちっ、無視して去ればそれで済んだものを・・・」
「無視するなど言語道断だぞ風間恭一郎君!」
 ようやくリアクションが返ってきたのに気をよくしたのか声の主である少年はいっそう晴れ晴れとした声を張り上げた。
「だから、あんたは何者なのよっ!」
 美樹にびしっと指差されて少年はぱさっと髪を掻き上げた。さらさらの長髪がふわっと舞う。白すぎる肌と彫りの深い顔立ちはどこか外国の血が混じっているからだろうか。長身に纏った制服は金糸によるきらびやかな刺繍があちこちに施されほとんど原形をとどめていない。
「僕の名前を聞いたねマドモアゼル・・・」
 少年は目を閉じてふっと微笑み指を鳴らす。
 パチィィンという音に答えてどこからともなく女子生徒が二人駆け寄ってきた。
「僕こそは!」
 叫びながらバッと手を上げた綾小路にふぁさっと薔薇の花びらが降りかかる。女子生徒二人がばらまいているのだ。
「六合学園エレガント部部長っ!綾小路薫さ!」
「え、えれがんと・・・ぶ・・・」
 正面から突風を吹き付けられたような顔で美樹はのけぞった。
「かつて我が心の師はこう言った!『事は全てエレガントに運びたまえ』と!我々エレガント部はその言葉を実践すべく部長のこの僕以下、日々エレガントに過ごしているというわけさっ!」
「ああっ!部長!今日もエレガントですっ!」
「そりゃあもうむっちゃエレガントですっ!」
 天を仰ぐ綾小路に花びらをまきおえた女子生徒達がはしっとすがりつく。
「はっはっは!さぁ神楽坂君!そしてそちらの金髪の君と活気に溢れた君!そのようなエレガントの欠片もない獣人はほっておいて僕のもとへ来たまえ!どんな悩みかは知らないが日々エレガントに過ごす僕にかかれば一発で解決さっ!」
 バシッとポーズを決める綾小路に美樹とエレンは硬直したままで返す言葉もない。
「うっせえぞ薔薇族っ!てめえに解決できる問題なんぞせいぜい紅茶の入れ方とかダンスとかんなもん限定だろうが!失せやがれ!」
「ふっ・・・相変わらず下品な声だね風間君・・・君のような人にエレガントな神楽坂君は似合わない。さっさと君だけ消えたまえ」
「え、えっと・・・」
 爽やかな微笑みを向けられて葵は困ったような笑みを浮かべた。誰にだって苦手なモノの一つや二つはある。
「俺達は今テスト対策で忙しいんだ!てめぇみたいな頭の緩い奴の相手してられっか!」
 中指を突き立てる恭一郎に綾小路は口元を押さえて眉をしかめた
「失敬な。僕の成績は神楽坂君ほどではないにしても常に学年50番以内はキープしているぞ」
「そうよそうよ!部長はエレガントに頭がいいのよ!」
「そりゃあもうむっちゃエレガントに頭がいいのよ!」
 エレガント部員AとBが口々に叫ぶのをうるさげに睨み付けてから恭一郎は手のひらを上に向けて肩をすくめ『ふっ』と微笑んだ。
「だとしても、おまえの教え方で短期間に成績が上げられんのか?前の部活をやめたのも教え方が不評だったからだろうが」
「それは仕方のないことだよ風間君。僕の体は全てエレガントで出来ているのだからね!」
「ああ・・・部長・・・輝いてます!」
「そりゃあもうむっちゃ輝いてます!」
 目を潤ませる部員ABに微笑んでから綾小路は『ばっ』と葵達に手を広げた。
「さあ!マドモアゼル達!このエレガントな僕の胸に飛び込むがいい!恥ずかしがることはない!エレガントに受け止めて上げよう!」
 沈黙。
 美樹は引きつった顔で、エレンは頭を抱えてその場にしゃがみ込んで、葵は困ったような笑顔で、沈黙。
「そうか・・・」
 綾小路は沈痛な顔で額に手をあてた。
 瞬間、部員Aが亜光速で窓という窓のカーテンを閉めて回り部員Bがどこからともなく引っ張ってきたスポットライトを3台綾小路の周りに設置する。
「嗚呼、神よ!」
 綾小路が天を仰ぐと同時にぱぱぱっとスポットライトが点灯した。
「今、麗しき乙女達が暴虐なる魔獣のもとに囚われています・・・彼女たちに救いを!いましめの鎖を断ち切る剣を・・・エレガントな僕に力をっ!」
 ぱしっとスポットライトが消える。一瞬の暗転の後にカーテンが開き再び廊下に光が戻る。
「ぅお!?」
 美樹は引きつった顔のまま更にもう一段階のけぞった。
 綾小路の服装が替わっていたのだ。背中に紅のマントをつけ鍔広の帽子を被り細身の剣・・・いわゆるレイピアを天にかざしている。
 ようするに、なんというか・・・白馬の王子様なのだ。
「さぁ・・・今や準備は整った。勝負だ!風間恭一郎君!」
「おまえ・・・深刻に馬鹿だろ・・・」
 魂の抜けたような声で呟く恭一郎を綾小路は鼻で笑った。
「ふっ、このエレガントさが理解できないとは可哀想に・・・だが、手を抜くつもりはないよ。さあ抜きたまえ!それとも怖じ気づいたのかい!?」
「くそっ・・・だから、最初から無視してりゃよかったんだ」
 一声唸って恭一郎は背負っていた木刀を袋から出した。投げ捨てるように脱ぎ捨てたネクタイやら上着やらを葵が器用に空中でキャッチする。
「やった!めずらしく成功」
 喜ぶ葵のわきを美樹はそっとつっついた。
「ねぇ葵ちゃん、あの綾小路とかいう奴って剣が使えるわけ?」
「うん、もともと綾小路さんはフェンシング部だったから」
 背後の会話を聞き流しながら恭一郎は木刀を青眼に構えたままじりじりと間合いを詰める。
「部長!そんながさつそうな男エレガントに一撃です!」
「ええ、それはもうむっちゃエレンガントに一撃です!」
 ひゅんっと剣を・・・さすがに歯止めが付いてるようだが・・・振るう綾小路に部員ABが声援を送る。
「む・・・!殿!そのような軟弱そうな輩は一刀のもとに切り捨てて下さい!」
 負けじとエレンも声を張り上げる。
「・・・行くぞ綾小路」
「ふっ・・・来たまえ」
 短い言葉を交わした後、先に動き出したのは恭一郎だった。
「そぅりゃぁあっ!」
 烈声と共に小手狙いに一撃を繰り出す。
「アインッ!(ひとつ)」
 綾小路はレイピアを回転させるように振るいそのしなやかで細い刀身で恭一郎の木刀をするりと受け流した。
「ツヴァイ!(ふたつ)」
 たたらを踏んで脇を通り過ぎる恭一郎に対し綾小路はくるりと回転し苦もなく背後を取る。
「ドライッ!(みっつ)」
 ひときわ鋭い叫び声とともに鋭い突きが無防備な恭一郎の背中を襲った。
 が。
 カンッ!
「甘いっつーの!」
 後ろ向きのまま気配だけを読んで木刀を振るった恭一郎が叫びながら綾小路の方へ向き直る。
「ふっ、相変わらず剣の腕だけは良い男だ・・・」
 綾小路は剣の背に軽く口づけながら呟く。
「だが、君の剣はエレガントさにかけるよっ!」
 今度は綾小路が先を取った。早く、鋭く、小刻みな突きが連続して恭一郎を襲う。
「エレガントなんかいるか馬鹿!邪道も極めりゃあ正道だ!」
 その一つ一つを正確きわまりない動きで弾き返しながら唸るように恭一郎は叫ぶ。
「うわ、深刻な馬鹿のわりに強いわね。あのエレガント男」
「うん、フェンシング部でも次期部長候補って言われてたんだよ。でも『フェンシング部にエレガント無し』って言ってやめちゃったんだって」
 美樹の感心したような呟きに葵がニコニコと答える。いつものように恭一郎が戦ってるのを見て二人とも少し落ち着いたのだ。
「あの、北の方・・・なにか人が集まってきているのですが・・・」
「あ、ほんとだ」
 葵は辺りを見渡して困ったような顔で呟く。廊下の真ん中で剣劇を繰り広げていれば、いくら放課後だとはいえかなり目立つ。
「どうしたんだい風間君!君の邪剣はそんなものかな!」
 周囲を気にもせずに綾小路は恭一郎の木刀をからめ取るように受け流して叫ぶ。
「はっ・・・こっからだ!とくと味わいやがれ!」
 レイピアの一撃が届くより早く木刀を引き戻した恭一郎が綾小路の攻撃を弾いた。こちらも周りなどこれっぽっちも見ていない。
「どりゃぁぁああっ!」
 恭一郎は木刀を腰だめにして綾小路に肉薄し鋭い動きで突きを放った。
「下品な声だ!」
 綾小路は再度剣を振るい容易くその突きを背後へと受け流す。木刀に引っ張られるように恭一郎は姿勢を崩して二、三歩よろめいた。
「今度こそ決めさせて貰うよ!」
 叫びながら綾小路は無防備なその脇腹へ剣を繰り出した。
 だが。
「二度も三度も同じ展開になるかっつーの!」
 恭一郎のよろめきは擬態だった。姿勢が崩れたように見せかけただけだった恭一郎は繰り出された突きをギリギリのラインで回避しその動きのままで剣の柄の方向へ・・・つまりは綾小路の方へ肩からぶつかっていった。
「なっ・・・!?」
 鳩尾に体当たりを受けて綾小路が吹き飛ぶ。
「喰らえぇっ!」
 恭一郎は綾小路にトドメの一撃を加えようと飛びかかるが倒れたままに振るわれたレイピアに木刀を受け流されて起きあがるのを許してしまった。
「つ・・・まさに野獣。少し油断してしまったようだね」
「実力の差だ。油断したってのはいいわけだぜ綾小路」
 言葉を交わして再び間合いを調節する。
「はぁ、こりゃ長期戦になりそうね」
 美樹は膠着した戦いを眺めながら腕組みをした。もはや二人ともなんで戦ってるのかも忘れているのだろう。妙に楽しげだ。
「うーん、まずいなぁ・・・」
 はやし立てるギャラリーを眺めて葵は一人ため息をつく。
「どしたの?葵ちゃん」
「これだけ騒ぎが大きくなると、怒られちゃうよ」
 困った顔で答える葵の肩に、『ぽんっ』と手が置かれた。
「・・・・・・」
「み、みーさん・・・」
 葵は引きつった顔で呟いた。葵の横に気配もなく立っていたのは片腕に『風紀』と書かれた腕章をつけた女子生徒だ。
「確かあなた風紀委員の」
 美樹の声に無表情のままで頷いてみーさんはスカートのポケットから小さなリモコンを取りだした。
「あ・・・」
 葵が何か言おうとするよりも早くみーさんはリモコンの赤いボタンをぽちっと押し込む。
 
 次の瞬間、何の前触れもなく廊下が爆発した。

「ぬぉぉぉぉぉ!?」
「はっはっは!吹き飛ぶときもあくまでエレガントに!」
「さすがです!エレガントです部長!」
「そりゃもうむっちゃエレガントです!」
 爆風の直撃を受けた恭一郎達はおろか見物していた野次馬や美樹達も均等に吹き飛ばしてようやく廊下に静寂が訪れる。
「・・・・・・」
 小柄な葵を猫のようにぶら下げてただ一人無事なまま立っていたみーさんはゆっくりと辺りを見渡してからおもむろに口を開いた。
「廊下は、お静かに・・・」
「おまえが一番うるさい上にあぶねぇだろうが!」
 頑丈なおかげで一番最初に復活した恭一郎は焦土と化した廊下の隅まで届けと絶叫する。
「あ」
 みーさんは葵を床におろし、ポンと手を打った。
「静かにしないと爆破する・・・」
「遅いっ!それとうるさいからっていちいち爆破するな!」
 恭一郎に叫ばれてみーさんはかくんと頷いて懐からメモを取りだした。
「・・・爆破は、控えめに」
「メモるようなことか!それが!?しかも控えめか!?」
 三度つっこみを入れる恭一郎の隣で少々ふらつきながら綾小路は立ち上がった。
「ふっ・・・情熱的なメッセージだねマドモアゼル御伽凪・・・」
「そういう問題かおい!むしろメッセージか!?」
 少々すすけながらもポーズを崩さずに立ち上がった綾小路に恭一郎は半眼でつっこむ。もはや自動つっこみマシーンである。
「あ、あの恭ちゃん。みーさんに悪気はないんだよ・・・」
「常識もねぇんだよな」
 恭一郎に言われてみーさんは微妙に落ち込んだ。
「あ、大丈夫だよ、みーさん。私も常識無いけど・・・」
「フォローになってねぇ」
 呟く恭一郎を無視してみーさんは葵をぎゅっと抱きしめた。
「わ!?」
 驚く葵に構わずみーさんは葵の頭をくりくりとなで回す。
「・・・可愛い」
「おまえ、女で良かったな・・・男だったら犯罪だぞ・・・」
「特に君のような野獣だと近寄っただけでアウトだからね」
 綾小路はパンパンと埃を払いながら呟いた。
「ほぉ、まだ懲りねぇか」
 恭一郎は獰猛な笑みを浮かべて落ちていた木刀を拾った。
「ふっ、エレガントに敗北無し」
 綾小路もいつの間にか拾い上げていたレイピアをピンッとしごく。
「・・・いくぞっ!」
「かかってきたまえ!」 

『・・・もう一発。ぽちっ。  御伽凪観衣奈 』

「いやしかし、あんたって学習能力ないわけ?」
 美樹はすすけた顔をタオルで拭いながら冷たい眼を恭一郎に向けた。
「・・・もとはと言えばおまえがあの馬鹿につっこむからややこしいことになったんだろうが」
 ぼろぼろの上着を憂鬱そうに眺めて恭一郎はため息をつき思い出したように再び歩き出す。陽はとうに落ち、宵闇の中を4人は家路についていた。
「はぁ・・・結局、何の対策も立てられなかったわね」
「・・・そだな」
 二人して肩を落とす恭一郎と美樹にエレンは首を捻りながら声をかけた。
「あの・・・私はまだ日本の高校のシステムがよくわからないのですが・・・<補習>とはどのような場合に受けなくてはならないものなんでしょうか?」
「は?そりゃぁ赤点の時だろ?」
 恭一郎の言葉にエレンはますます首を捻る。
「えっと、ではその、『赤点』というのは何点くらいのことなのでしょう?」
「赤点って言ったら40点以下じゃない?普通」
 美樹が答えるとエレンはますます混乱した顔になった。
「???」
「どうしたの?エレンさん」
 葵に尋ねられたエレンは懐から一枚の紙を取りだして恭一郎達に見せた。
「こんなものを先程のみーさんなる女性から貰ったのですが・・・」
「ん?」
 恭一郎達は額を寄せ合ってB5版のその紙を覗き込んだ。
「生徒会速報・・・教員組合の横暴なる行為、すなわち突然の補習敢行に対し我等生徒会は世界を律する12の掟に従い反撃を開始。一定以上部活動を行っている生徒に関しては赤点の範囲を30点引き下げる事を承認させた。希望者は生徒会にメールで・・・」
 そこまで読み上げてから恭一郎と美樹は無言で顔を見合わせた。
「このような制度があるのでしたら大騒ぎしないでも・・・殿?」


『殿?どうなされましたか?魂出てますよ!? 
                         エレン・ミラ・マクライト』

教訓:情報は、最後までしっかり聞こう。