1月1日。
他の多くの町でそうであるように、龍実町もお正月である。
「おおっ!いっぱい来てる〜」
美樹は歓声を上げながら年賀状を取り出した。両手に抱えるようにしてずっしり重い年賀状の束を居間へと持ち帰る。
「あたしの分、母さんの分、父さんの分・・・」
呟きながら葉書の山を仕分けていると寝ぼけた目をこすりながら美樹の母がやって来た。
「うーみゅ〜・・・美樹ちゃん早いね〜朝まで騒いでたのに〜」
「だってお正月だしさ。なんか寝てるのもったいないじゃん・・・終わりっ!」
美樹はテーブルの上にできた葉書の山の一つをずいっと母に押し出した。
「はいこれ母さんの。ペンネームのは別に分けといたから」
「ふみゅ〜!美樹ちゃんはいい子〜」
喉元をくすぐられ美樹はゴロゴロと喉を鳴らした。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙。
1秒、2秒、3秒。
「やめてよね・・・いい加減あたしも子供ちゃうし・・・」
「だって美樹ちゃん可愛いんだも〜ん」
「あ、これノリからだ・・・」
美樹は呟いてその葉書を手に取った。
これと言って特徴のない年賀状だ。丁寧な時で年賀の挨拶と会えない無念さがつづられている非の打ち所のない・・・
「なのに、何でこんなにときめかないんだろ・・・」
ため息と共に次の葉書を眺める美樹の顔がぱっと明るくなった。
「これ英美からじゃん!」
だが、笑顔で葉書を裏返した瞬間。
「え?」
その笑顔が凍り付いた。
『嘘・・・ 天野美樹』
風間観月はソファーに寝ころんでぐっと伸びをした。
「いやはや、お節を食べて屠蘇飲んで・・・ああ、日本の幸せ・・・」
「つーかお節料理くらい自分で作れよ」
食器を片づけながらぼやく恭一郎に観月はにっこりと微笑みを浮かべる。
「ちゃんとお礼はするってば。か・ら・だ・で・・・」
「なぁ母さん。一回殴っていいか?」
恭一郎が座った目で呟くと観月は『まぁ』と口に手を当てた。
「恭一郎ってばそういうのが趣味なの?観月ちゃんぴんち」
「・・・・・・」
なんとか反撃しようと恭一郎が口を開いた瞬間、『ピンポ〜ン』と玄関のチャイムが鳴り響いた。
「恭一郎、お客さんよ」
「出ろよ!自分で!」
怒鳴りながら恭一郎は玄関へ向かう。
「はいはい・・・」
呟きながらドアを開けると、そこには年齢不詳の元気そうな女性が立っていた。
「ども〜あけす〜(訳:どうもこんにちは。あけましておめでとうございます)」
「ん?美樹の母さんの人。何か用か?」
いぶかしげな恭一郎に天野母はにっこり微笑んで小さな熨斗袋を取り出して見せた。
「うん。まずはお年玉をあげまどー(訳:あげます。あけましておめでとう)」
「俺にか?これはご丁寧に、ありがたく存じます」
武人の礼儀として深々と頭を下げる恭一郎に天野母はぽんっとお年玉袋を渡す。
「む!?分厚い」
「8万円。美樹と山分けしてね〜」
言いながら『ぶいっ』と指を突き出す天野母を恭一郎は怪訝そうに見つめた。
「は?何で俺と美樹がまとめてなんだ?」
「それはね?美樹がさっきものすごい勢いで飛び出しちゃったからなのだ〜」
陽気に叫びながらYeah!と拳を振り上げる天野母。
「飛び出した?おかしいな・・・今日はいつものメンツで初詣の予定なんだが・・・」
「多分それはキャンセルかな。はいこれ」
恭一郎はいぶかしげな顔のまま天野母の差し出した葉書を受け取る。
「なんだこりゃ・・・やっほーみっきー。気になる噂聞いたんやけど。みっきーそっちで彼氏作ったってホントなん?住友くんが大久保さんとつきあってる聞いておかしいとはおもってたんよ・・・」
「それ見た途端、上着も着ずにぴゅーって」
恭一郎は舌打ちを一つして振り返った。
「ほい恭一郎」
自分の部屋に駆け戻ろうとした恭一郎の鼻先に観月はコートと財布を差し出す。
「すまない母さん」
「葵ちゃんには母さんから言っとくから心おきなく行ってらっしゃい」
頷いてコートを着込む恭一郎に天野母はにゃははと微笑んだ。
「あ、連れ戻さなくていーからね。旅費だけ渡してくれれば」
「・・・心配しなくてもちゃんとむこうまでついてくよ」
そう言い残して飛び出していく恭一郎を二人の母はぱたぱたと手を振って見送る。
『美樹ちゃんのことお願いね〜 天野母』
『お土産は生八つ橋をお願い〜 風間観月』
JR龍実駅の路線図を睨みながら美樹は荒い息を整えた。
「えっと、何線に乗ればいいんだっけ・・・」
「横浜線だ。新横浜からは新幹線に乗る。2時間半もありゃあ京都まで行けるぞ」
背後からの声に頷きポケットを漁る。
「うわ、財布がないっ!」
「ほれ。金だ。みどりの窓口でな。二枚」
再び背後から差し出された1万円札二枚をひっつかみ美樹は窓口へと突撃した。
「京都までッ!2枚ッ!」
「は、はい・・・あの、乗車券だけでよろしいでしょうか・・・」
「いいッ!」
鬼気迫る眼光に震えながら駅員は端末を操作する。
「7980円が二枚、15960円です・・・ひっ!?ぶたないで!」
「殴らないっ!金出しただけ!」
お釣りと切符を受け取った・・・と言うかもぎ取った美樹は駆け足で路線図の前に戻り恭一郎に切符を渡した。
「っていうか恭一郎!?」
「気付け。もっと早く」
呆れた表情で呟いて恭一郎はやれやれのポーズを取る。
「ななななななな何でここに!?あれ?お金?え?」
「・・・取りあえず電車乗ろうぜ。急行に乗り過ごすと大変だからな」
『・・・うん・・・ 天野美樹』
「じゃあ、お金渡すためだけに?」
「おうよ。おまえが連絡もなくドタキャンしやがったからどっちにしろ初詣案は延期だしな」
そう言って窓の外を眺める恭一郎に美樹は思わず目を伏せた。
「・・・ごめん」
「気にすんな。葵なら笑って許してくれるだろうしな。エレンは・・・怒るだろうがまあ根は悪い奴じゃない。頭の一つも下げれば問題無しだ。中村もな」
そう言って笑う恭一郎を美樹は上目遣いに眺める。
「・・・恭一郎は?」
「俺か?」
恭一郎は思わずきょとんとしてしまった。
「俺は・・・なんか衝動的に追いかけてきちまったからな。別に怒るとか何とかって感じじゃねぇよ」
自分でもよくわからない説明に苦笑する。実際、考えるより先に動き出していたのだから説明できるはずもない。
「しかしまあ、あれだな」
ごまかし半分に恭一郎はわははと笑い声をあげた。
「みーの奴の場合、この電車に何気なく乗ってても俺は驚かないけどな」
「うん、わりと乗ってる」
真後ろから聞こえた声に恭一郎は硬直した。
「・・・・・・」
ぎしぎしと首をきしませて振り返ると・・・
「やは」
指の先をちょっと曲げたVサインを出してみーさんが無表情に立っていた。
「!?なんでおまえがここに!」
「驚いてるじゃん。おもいっきり」
美樹の冷たいつっこみに軽く赤面して恭一郎は咳払いをする。
「えっと、あれだ。いつからここに?」
「最初から。私、家に帰るのがめんどくさかったから恭一郎の家の庭で夜営してた。そしてら恭一郎が走ってった」
「夜営・・・」
呆然と呟く美樹に頷いてみーさんはどこからともなくコーヒー牛乳の瓶とビニールにくるまれたままの焼きそばパンを取り出す。
「朝御飯」
「我慢しろ。一般車両で飲み食いする奴は嫌いだ」
恭一郎の言葉に素直に頷いてみーさんは美樹の方を向く。
「で、二人はどこ行く?」
「え・・・その・・・」
口ごもる美樹に恭一郎は肩をすくめてみせた。
「こいつに下手な誤魔化しはしても無駄だぜ。素直に教えとけ」
「うん・・・ちょっと京都にね。調べたいことがあるから」
みーさんは少し考え込んだ。
「そう・・・うん。じゃ、これを」
そう言って差し出したのは一着の黒いコートだ。レザー地で、暖かそうだ。
「コート?」
「その格好は寒い。京都はこの時期すごく冷えると聞いたことある」
美樹は目をしばたかせながらそのコートを受け取った。確かに上着を忘れてきたことを後悔しはじめてきたところだったのだ。
「姉のだけどまだほとんど着てない。姉は死んだから気に入った人にあげている・・・これで二着目」
淡々と説明してみーさんは窓の外に目を向ける。
「もうすぐ新横浜。私、龍実に帰る・・・二人とも、気をつける」
「おうよ。わざわざすまんな」
恭一郎はみーさんの頭をくしゃくしゃっとなで回す。
「気にしない」
みーさんは僅かなほほえみを浮かべた。
『・・・気に、しなくていい・・・ 御伽凪観衣奈』
「寒い」
京都駅に降り立った恭一郎の第一声は呆れたような呟きだった。
「おい美樹・・・寒いぞ」
「そりゃ寒いわよ。京都は盆地だから夏は暑く冬は寒いよ」
言い捨てて美樹はさっさと歩き出す。早足よりもさらに速い超早足だ。
「待てって。取りあえずどこへ行くんだ?」
「そうね・・・取りあえずノリの家に」
足を止めず美樹は考え込んだ。
「秘密厳守なんだけどいい?」
「あん?内容次第だが・・・言うなというならいわねぇよ」
恭一郎と共に改札を出てバス停に向かう。
「ノリ・・・住友安則。あたしのこっちでの彼氏。年はあたしとタメで17・・・真面目で、優しくて・・・すごく勉強のできる人」
巨大な京都駅の中をすいすいと歩いていく美樹を恭一郎はなかば小走りで追いかける。
「高一の時の文化祭・・・もちろんこっちのね・・・であたしのクラスは屋台をやってね。ある日の放課後、ノリが一人で屋台を組んでたのよ」
美樹の脳裏に今も鮮明に残るその時の記憶がよみがえった。
『あれ?えっと、君・・・住友君だっけ?他の人は?』
『帰ったよ。みんな他に用があるって』
『そんなのただのさぼりじゃない!あたしが捕まえてくる!』
『あはは・・・ありがとう。でも大丈夫。もう骨組みはできてるからね。後は僕一人でいい。嫌がる人にやらせるよりもこの方が効率は良いよ』
『OK!じゃ、あたしが手伝うよ。やる気のある人が二人の方がさらに効率はいいっしょ?』
「・・・ちなみに、ノリも中学はいるまで東京にいたらしくて関東弁よ」
「うむ、そうか」
相づちを打ちながら恭一郎は興味深げに窓の外を眺めた。二人が乗ったバスは京都市内の混雑を縫ってひた走る。
「それで知り合って、勉強教えて貰ってるうちに仲良くなって・・・あたしの方から告白したの。えっと、クリスマスの時だったかな」
しみじみと美樹は語る。正直な話、何故こんな話をしているのかよくはわからない。
「なのに、わずか三ヶ月で転校決定。嗚呼、哀れなり・・・以上、天野美樹物語でした」
「・・・で、だ。勝手についてきた俺が言うのも何だが・・・おまえ、何をするつもりだ?」
恭一郎の問いに美樹は窓の外の風景を眺める。
「わかんないな。居ても立っても居られなくなって飛び出しただけだし・・・とりあえず、ノリに話を聞いてみないと」
呟いてバスの壁のブザーを押す。
「それからじゃないと、あたし・・・」
『何もできないから・・・ 天野美樹』
門柱に寄りかかって空を眺めていた恭一郎はパタパタと近づいてくる足音に振り返った。
「恭一郎!」
「?・・・早かったな」
いぶかしげな恭一郎に美樹はピンと人差し指をたてる。
「なんと」
「なんと?」
「留守でした」
恭一郎は深くため息をついた。
「どーすんだよ・・・家の人は居たんだろ?行き先は聞いたのか?」
「うん、初詣だって。多分近所の神社だから行ってみよう」
ノリの家から徒歩10分。二人は小さな神社へやって来た。
「案外人がいねぇな・・・今何時だ?」
「1時過ぎ。二年参りの人はもう帰っちゃってるし京都は神社仏閣はごろごろあるしね」
美樹は上の空で答えながらきょろきょろと辺りを見回す。
「おかしいな・・・ここじゃなかったかな」
呟いて頭をかいた瞬間だった。
「うわぁあああああああっっっ!みっきーやんっっっっ!」
脳天を衝撃波で粉砕しそうな声が二人の耳を貫通した。
「ひさしぶりぃぃぃぃぃいいぅいいいぅいいい!」
思わずよろめいた美樹は反射的に振り向き腰を落とした。
「抱きッ!」
その視界に両腕をピンと伸ばして飛びついてくる晴れ着の少女が写る。
「え、えいみー!?」
「みっきーやんみっきーやんみっきーやん!」
無闇に頬ずりを繰り返してから少女・・・平川英美はぽつりと呟いた。
「転校してからほとんど連絡くれへんかったし」
いきなりしゃがみ込んで地面に『の』の字を書き出した英美に美樹はあわてて弁明しはじめる。
「2〜3ヶ月に一回は手紙書いてたし、たまに電話でも話してたでしょ!?」
「・・・少ないやん。やっぱりみっきーはうちのこと嫌いなんや・・・」
みるみるうちに英美の瞳に涙が浮かぶ。
「だぁぁぁっ!そんなわけないでしょ!?ほら、立って・・・あたしはえいみーの事大好きだから、ね?」
「ほんま?」
指をくわえて見上げてくる英美に美樹はこめかみをひくひくさせながら無理矢理笑顔を浮かべる。
「もちろん!だから、ほら立って・・・」
「うん・・・」
ふらふらと立ち上がった英美の瞳が不意に燃え上がる。
「みっきー!うちは・・・うちだけはみっきーの事永久に愛しとるからね!もー、みっきーが望むならあんなんもこんなんもしてあげるっ!いやん、みっきーてばだ・い・た・ん!」
美樹は無言で英美の脇腹にチョップを打ち込んだ。
びしっ。
「はうっ!いけず〜」
「・・・あのだな」
崩れ落ちてぐにぐにと悶える英美を眺めてため息をつく美樹に恭一郎はおそるおそる声をかけた。
「この不気味な物体は何だ?」
「・・・平川英美ちゃん。あたしの幼なじみで・・・いわゆる親友ってやつ」
「そしてみっきーの愛奴なの〜」
美樹は立ち上がった英美の首筋にまたしても無言で息を吹きかける。
ふぅぅぅぅぅっ・・・
「はぅうううう!」
再び崩れ落ちた英美を眺めて恭一郎は一歩後ずさった。
「何なんだこのテンションは・・・」
「えいみーはちょっとテンションのアップダウンが激しくて。高いときはこんな感じだけど下がるとさっきみたいにいじけまくるのよ」
ため息をついて美樹は立ち上がった英美に向き直った。
「ねぇえいみー・・・ノリを見なかった?」
「・・・みっきー、住友君に会いに来たん・・・?」
一転して不安げな表情になった英美に美樹は唇を噛む。
「・・・そう。あたし、東京で彼氏なんか作ってないよ」
「・・・その人は?」
英美の問いに恭一郎は肩をすくめた。
「ただのお節介だ。ちなみに俺はこいつ以外に好きな女が居るので誤解しないように」
「みっきー、教えて。ノリはここに来た?」
数秒の沈黙の後、英美は頷いた。
「来たよ・・・でも、もう行ってもうた。次は八坂さんに行くって」
「八坂さん?」
「八坂神社って言う大きな神社の事よ」
首を傾げる恭一郎に答えて美樹は踵を返した。
「みっきー、行くん?」
「うん。なんにしろ、会ってみないと始まらないし」
歩き始めた美樹に英美は躊躇いを振りきってその言葉を口にした。
「住友君、女の子と一緒に来とったよ・・・大久保さんと・・・」
『・・・そう。 天野美樹』
八坂神社へと続く四条通りは時期もあって真っ直ぐに歩けないほどの混雑を見せていた。
「俺が言うのも何だけどな・・・」
その雑踏をすり抜けながら恭一郎はぼそりと呟く。
「何でこいつもついてきてるんだ?」
言って指さしたのは美樹の腕をギュッと抱え込んで歩く英美だ。
「うちはみっきーについてきとるんやもん。たこまーにとやかく言われる筋合いあらへん」
「・・・たこまーってなんだよ?」
憮然とした表情の恭一郎に英美はにぃっと笑みを浮かべた。
「君、”たこ殴りの風間”ってゆーんやろ?縮めてたこまーや!」
「くっ・・・美樹・・・・てめぇ手紙に何書いてやがる」
凶悪な目つきで睨まれて美樹は苦笑する。
「そんなに気に入らないの?”たこ殴り”・・・ジェイスくんみたいでかっこいいじゃない」
「あいつの二つ名は正確には”ベトレイヤー”だろうが。奴は嫌いじゃないけどよ」
緊張を紛れさすために恭一郎と英美がしきりに話しかけてくるのに感謝しながら、それでも美樹は不安と焦燥を拭いきれなかった。
自然足が早まり、結果として・・・
「きゃっ!?」
人とぶつかったりもする。
「おいどこに目ぇつけて歩いてんだ!」
「うわ、めっちゃレトロな罵声や」
すっ転がった美樹を助け起こしながら英美は呟く。
「大丈夫か?」
尻餅をついた観光客らしき男に恭一郎はつまらなさそうに声をかけた。
「大丈夫かだと!?あぁあぁ、骨折れたかもしんねー。いてぇいてぇ」
男はちっとも痛くなさそうな声で言いながら美樹を睨め付ける。
「なによ、そっちだって前見てなかったじゃない。女の子突き飛ばして難癖つけるとは見上げた根性ね!そんなこったから一人で初詣なんかしてんのよ!」
「・・・美樹、無用な火をおこすなよ・・・それとその発言は男一人で初詣してる皆さんに失礼だぞ」
小声で呟く恭一郎の言葉はヒートアップした美樹の耳には届かない。
「ったく、人が急いでるのにでかい図体でもってボディプレスとは不届き千万!っつーかセクハラよね」
「そーやそーや!乙女の柔肌を容赦なく汚さんとする野獣や!恥を知りぃ!醜男!」
「だから挑発するなよおまえらは・・・」
頭を抱える恭一郎をよそに男の顔色は赤を通り越してどす黒くなってきた。
「いい度胸じゃねぇか・・・おい、みんな!」
「おうよ!」
もめ事の気配に立ち止まった雑踏の中から柄の悪そうな男が5人現れる。
「あらら、観光客や思て油断しとったわ。結構ぎょうさんおったんやね・・」
「大丈夫。こういうときのための”たこまー”よ。恭一郎、適当にあしらっちゃって」
美樹にぽんっと肩を叩かれた恭一郎は頬をひくひくさせながら首を振った。
「できねぇ」
「は!?なんでよ?」
思いがけない返事に目を丸くした美樹に恭一郎はゆっくりと向き直り両手を広げた。
「・・・木刀、持ってきてねぇんだよ・・・素手だと弱いぞ。俺は・・・」
京都の冷たい風が一同の間を吹き抜けた。
「なんでぇええええええ!?」
「しゃーねーだろうが!急いでたんだから!」
叫び会う間に三人の周りだけ人だかりがなくなり柄の悪い男達がじりじりと近づいてきている。
「・・・やるっきゃないか。じゃあ、あたしがこいつら片づけるよ」
「いや、おまえはさっさと神社の方にいけ。ぐずぐずしていると住友とか言う男が帰っちまうからな」
それだけ言って恭一郎はずいっと一歩前に出た。
「おう醜男連盟会員No1〜6の諸君。その汚ぇ顔をもっと酷くされたくなかったらさっさと帰んな」
あからさまな挑発に男達がいきり立つ。
「はっ!てめぇの顔をぐちゃぐちゃにしてやんよ色男!」
「ああ。俺は色男だがそれがどうした?」
一触即発の気配に美樹は唇を噛んであたりを見渡した。
「み、みっきー・・・どうしたん?」
「四条通りなんてお土産物屋のメッカよ?絶対あるはずなのよね・・・」
その目がぴたりと一点で止まる。
「BINGO!」
美樹の呟きを合図にしたかのように男達は一斉に飛びかかってきた。
「ちっ!」
恭一郎は舌打ちしながら掴みかかる男達の手をひらりひらりとかわしてみせる。
「くそっ!ちょろまかと!」
叫んだ男の一人の腹を恭一郎はおぼつかない手つきで殴りつけた。
だが。
「そんな腰の入ってねぇパンチが効くか!」
逆に一撃を喰らって地面に転がされてしまった。唇の端が切れて血がにじむ。
「ちっ・・・」
恭一郎は飛び起きて男達の追撃を辛くも避けきった。
「恭一郎!」
「ん?」
掴まれた服の袖を振り払いながら振り向いた恭一郎の目に、近くの土産物屋から手を振る美樹が写った。
「やっぱあったよ!関西の観光地には必ずあるのよね!これが!」
叫びながら美樹は全力でそれを・・・木刀を投げた。
「・・・そういや、必ずあるよな。なんでだろう」
恭一郎はニヤリと笑いそれをキャッチする。
「さて諸君・・・警察に掴まるのも嫌なもんでな。さっさとダウンして貰うぜ」
「ぬかせ・・・ぐわっ!?」
叫びざま飛びかかった男は鳩尾に強烈な突きを喰らって盛大に吹き飛んだ。ギャラリーからどっと歓声がわき起こる。
「美樹!行け!英美は俺が護っとくから心配すんな!」
「あ、さりげなく名前で呼んだな!しっつれーやなぁ!」
『うん!ごめん恭一郎!まかせたよ! 天野美樹』
美樹がその少年を見つけたのはおみくじ売場の前であった。
深く深呼吸して、できうる限りのいい表情を作る。無理矢理に。
「おーい、ノリぃ!」
美樹の大声に住友安則はゆっくりと振り返った。銀縁の眼鏡の奥で目が大きく見開かれる。
「み、美樹君・・・」
呆然と呟く安則の顔を傍らに立った少女が見上げる。いかにもお嬢様然とした優しげな少女だ。
そして、少女の手はしっかりと安則の手を握っている。
「・・・悪いねノリ。ちょっと今時間ある?聞きたいことがあるんだけど」
笑顔を崩さずに言葉を続ける美樹に安則はゆっくりと頷いた。
「さってと。何から聞くべきかな」
美樹は腕組みをして呟いた。八坂神社本殿の裏にある休憩スペースは屋台の喧噪から少し離れている為に、どこか不可思議な空気に満ちあふれている。
賑やかで、それでいて寂しくて。
「ぶっちゃけた話・・・二人はつきあってるんだよね?」
安則は俯き加減に口を開く。
「ごめん・・・美樹君・・・」
「べ、別に謝られるようなこっちゃないっしょ?」
パタパタと手を振る美樹に安則は深く頭を下げる。
「いや・・・僕がもっと早く気付いていれば・・・いや、言い出せていればよかったんだ。君がこっちにいるうちに・・・」
子供の歓声が遠く聞こえる。本殿のものであろう大鈴のガラガラという音も。
美樹は大きく息を吸い込み、深く吐き出した。心を落ち着かせて、その一言を口にする。「気付くって・・・本当は、あたしのことは好きじゃなかったって事を?」
「!?」
安則は目を大きく見開いて美樹を見つめた。
「ならやっぱりあたしが謝んなくちゃいけないよ。結構前からそれは気付いてたんだもん。ただ、認めたくなかっただけで・・・」
そして、認めたくなかったことはもう一つ。
「あたしだって今、ノリのことが本当に好きなのかわからなくなってるよ・・・」
沈黙。ただやるせないだけの沈黙。
こういう話は、騒がしい場でする方がいい。必然的に多くなる静寂を外からの音が埋めてくれる。
「ねぇ、えっと・・・確か大久保さんだっけ?一応紹介してくんない?」
安則は軽く頷いて傍らで困った顔をしている少女をちらりと見た。
「彼女は大久保芳美さん。同じクラスになったのは今年だけど僕とは生徒会で一緒だったから結構前からの知り合いなんだ」
「・・・はじめまして」
ぺこりと頭を下げた芳美の困った表情に、どこか葵と通じるものを感じて美樹は苦笑めいた笑みを浮かべた。
「はじめまして。ごめんね?お正月から嫌な思いさせちゃって」
「いえ・・・泥棒猫みたいなまねしてすいません・・・本当に・・・ごめんなさい」
泣きそうな表情の芳美の手を安則が握ると、芳美は軽く頷いてみせてから俯いてしまう。
「本当は、あのとき首を振るべきだったんだ・・・あのクリスマスの日、僕は自分の気持ちを掴みきれないままに君の告白を受けてしまった。それが僕の罪だ・・・」
苦しげに呟く安則に美樹は何か言葉をかけようと口を開いた。
しかし。
「黙れ糞野郎が・・・」
静かな・・・それでいて冷徹な怒気に満ちた声がそれを遮った。
「き、恭一郎!?」
木刀を片手に恭一郎はゆっくりと近づいてくる。
「恭一郎?・・・美樹君の向こうでの彼氏だという?」
「そうだよ。それがどうした」
安則の言葉をあっさりと肯定した恭一郎に美樹は言葉を失った。
「美樹の元彼氏って言うからどれ程凄い奴かと思えば・・・呆れるを通り越して笑うぞ?おい」
「ちょっと!恭一郎!」
悪意に満ちた言葉にカチンときた美樹はむっとした表情で恭一郎に声をかけた。
が、
「黙れッ!!」
激しい怒声に思わずたじろぐ。
「おい住友とやら・・・」
恭一郎は木刀を投げ捨てて安則の襟をグイッと掴んだ。
「僕の罪だ?悲劇に浸るのもいい加減にしとけよおい」
「な、なにがだよ・・・」
喉を締め上げられて苦しげにうめく安則に恭一郎は顔を近づけた。
「おまえが詫びなくちゃいけねぇのはこの女とつきあい始めた後も美樹を騙し続けていたことだろうが!わかってんのか!?あいつがおまえの心変わりを感じ取ってどんなに悩んでいたかを!おまえが既に出ていた結論を先延ばしにしたせいでどんなに苦しんでたかを・・・わかってんのか!?ああ!?」
美樹はぐっと唇を噛みしめた。
「まだまだあるぞ!罪なんて言えば格好いいがな!おまえのそれはただの保身だ!美樹の告白を断ることで恨まれることが怖かっただけだろうが!はっ!あげくそこのおとなしそうなお嬢様とのんきに初詣か!」
地面に転がっている木刀を無言で拾い上げる。
「しかもおまえ、まだはっきりと別れるって言ってないなぁ!怖いもんなぁはっきり言っちまうのは!迷惑だな!『彼氏』の俺としては!ほら言えよ。綺麗な言葉で誤魔化したりせずにはっきりとよ!」
美樹はゆっくりと安則と襟元を掴んで彼をつり上げる恭一郎に近づいた。
「あ、あの・・・」
おろおろとするばかりの芳美を無視して美樹はバットの要領でゆっくりと木刀を構えた。そして・・・
「やめんかこの馬鹿男ぉっっっっっ!」
硬球で140メートル弾を叩き出す綺麗なスイングで美樹は痛烈に恭一郎を張り飛ばした。
「ぬぐぉっ!?」
為す術もなく吹き飛んだ恭一郎は境内の土に大の字に倒れる。
「ったく、いきなり何をするかと思えば・・・ごめんねノリ。呆れててつっこみが遅れちゃったよ」
「え・・・あ?」
呆然と呟く安則と目が合わないように微妙に視線を外しながら美樹はケラケラと笑う。
「馬鹿だけど、根はわりといい奴なんだよこいつ。ちゃんと楽しくやってるからあたしのことは気にしないでね。つーか、こっちから別れるって言い出せなくてごめん。こいつが言ったこと、そのまま全部あたしにも当てはまるのよね」
笑顔のまま美樹は倒れている恭一郎の襟を掴んだ。
「さて、時間もないからあたしはそろそろ帰るわ。いやいや、ほんと正月から騒がしくてごめんねー」
そのままズルズルと恭一郎を引きずって歩き出した美樹を見て芳美は慌てて安則に駆け寄った。
「・・・あのさ、大久保さん」
美樹はそれを横目で眺めて立ち止まった。
「ノリを、幸せにしてやってくれる?それと、あなたも幸せになれる?」
芳美は躊躇せずに大きく頷いた。
「はい。必ず・・・」
「うん、それ聞いて安心した。じゃあ、大久保さん・・・それと『住友君』・・・またね」
そして美樹は再び歩き出した。こんどは立ち止まらず、ひたすら歩いていく。
「ったく、騒ぎを無用におっきくしてんのはどっちよ」
ぶつぶつ言いながら美樹は恭一郎を引きずって歩く。
「いやはや、あの大久保さんとかいう人はいい娘そうだし一安心って感じ?」
足の向くままにでたらめな方向へと歩く。
「これであたしもフリーか・・・おっと、だからといって惚れるなよ恭一郎〜つーかむしろ勝手に人の彼氏を名乗るなっつーの」
「・・・この辺まで来れば十分だろ?」
恭一郎はぼそっと呟いて美樹の手を振り払った。
「あ・・・」
思わず言葉をとぎらせてしまった美樹を見つめながらゆっくりと立ち上がる。
「もうずいぶん歩いた。山ん中入ってきちまったから人気もない。お芝居はもうよせよ」
「な、何がお芝居なわけ?言っとくけどねー、今更別にショックでも何でもないわよ?あんたも言ってたけどノリ・・・じゃなかった、住友君が心変わりって言うか最初からっつーか・・・ともかくあたしのこと好きじゃないのはずいぶん前からわかってたし。しつこい女ってやーよねー!あはははは!」
大笑いが日の暮れてきた薄暗い林に吸い込まれる。
「・・・無理がみえみえだ」
「無理?んなわけないっしょ?あたしを誰だと思ってんのよ。この程度でへこたれるあたしかっつーの!そりゃあ全然ショックじゃないって訳じゃないけどってきゃあっ!?」
一生懸命読み上げていた台詞が途切れた。
恭一郎が、僅かに・・・ほんの僅かに震える美樹の体を抱き寄せたからだ。
「な、なにすんのよあんた!ちょっと、こら、離しなさいって!」
言葉では拒否しながらも、はねのけようとする腕が弱々しい。
「俺にまで嘘をつくんじゃねぇよ!俺達はダチだろうが!こういうときくらい俺を頼れよ!それくらいさせろよ!」
美樹は、動きを止めた。恭一郎の上着をきゅっと掴む。
「馬鹿・・・虚勢くらいはらせてよ・・・崩れちゃう・・・じゃない」
途切れ途切れの言葉に嗚咽が混じる。
「馬鹿!馬鹿!馬鹿・・・そりゃあたしだって・・・泣きたいときもあるよ・・・」
言葉にできたのはそこまでだった。
言葉にする必要があったのも。
『うわぁあああああああああああん、恭一郎ぉぉぉぉぉっっっっ! 天野美樹』
新幹線の座席に座り、恭一郎は無言で弁当をかき込む。
「・・・ありがと。恭一郎」
「やっとしゃべったな。おまえ」
1時間ぶりに聞いた美樹の声に恭一郎はにやっと笑みを浮かべる。
「そりゃあんた、あんだけ号泣すれば照れくさくもなるわよ」
「たっぷり30分は泣いてたもんな」
美樹はぱっと赤くなった。
「・・・やっぱ感謝無し!あたしの心の底まで覗いたんだからあれくらいの労働は当然!」
恭一郎は苦笑して再び弁当に取りかかる。
「・・・嘘。やっぱありがと」
「別に感謝される理由もねぇよ。いつも通り暴れただけだしな」
美樹はひたすら弁当をかき込む恭一郎の横顔を眺めて微笑んだ。
「だって、わざわざ悪者になってくれたじゃない。あたしが思ってたこと・・・思ってたけど、自分も同じだから言えなかったことを全部言ってくれたじゃない。わざわざあたしの彼氏だなんて偽ってまで。おかげですごく別れやすかったよ」
「・・・そっか」
弁当を食べ終えた恭一郎は呟いてぐっと伸びをした。
目を閉じ、眠る体勢に入った恭一郎を美樹は飽きもせず眺め続ける。
(キスしたいな)
唐突に浮かんだ自分の考えに美樹は座席から滑り落ちた。
「なんでやねん!」
自分に突っ込んで座り直すと、不気味そうにこっちを眺める恭一郎と目があう。
「おまえ・・・ショックで頭が・・・」
「違うっ!断じてNO!」
何とか取り繕った美樹を眺めていた恭一郎はふと首を傾げた。
「・・・そういやさ、なんか忘れてる気がするんだよな」
「忘れてること?お土産の生八つなら買ったわよ?」
美樹に問われてぐるぐると首を回す。
「うーむ。なんだろな・・・あ・・・」
「ん?」
恭一郎はぱしっと自分の額を叩いた。
「英美の奴とはぐれっぱなしだ」
『・・・みっきー、やっぱりうちのこときらいなんや・・・死んだる・・・死んで化けて出たるぅぅぅぅぅ・・・・ 平川英美』