「よし、そろそろ仕上げにしようぜ」

 風間恭一郎はそう言って木刀を握りなおした。

「ああ。もう5時か」

 ポニーテールを束ねるリボンを結びなおして中村愛里もまた木刀を手に取る。

 ここへ顔を出す程度だった頃には竹刀を愛用していた彼女だが、放課後を過ごす場所の変化と共に木刀を握る機会が増えている。二刀流と一刀+小手を状況によって使い分ける彼女だが、今日は一刀の気分らしい。

「例によって3分でいいな?」

「ああ。今日こそ綺麗に一本とって見せる!」

 気合十分といった様子に恭一郎は嬉しげな笑みを見せる。愛里もまた、素直に笑う。

 珍しく静かな放課後。葵は家の用事で先に帰ったし美樹はどこかの部活に助っ人をしに行っている。エレンはファンに拉致されみーさんは相変わらずどこに居るかわからない。

 二人きり。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 互いに口をつぐみ、相手へと鋭い視線を投げる。間合いはきっちり9歩分。どちらにとっても選択肢の広いその間隔は、もはや意識せずとも体が導いてくれるほどだ。

 無言のままに交わされるその共感が嬉しくもあり気恥ずかしくもある。

「覇っ!」

「疾っ!」

 二人は同時に地を蹴った。同時に繰り出された二本の木刀が打ち合わされ、カンッと甲高い音を立てる。

 決めるともなしに習慣となった、二人の戦闘開始の合図。

 恭一郎は鋭い挙動で刃を引き戻し、そのままの姿勢で突きを撃ちこむ。だが、その軌道上に愛里の姿は無かった。

「これ見るとおまえとやってるって実感するなぁ!」

 こちらが一歩踏み込んだ、ただそれだけの一瞬で数回のターンを挟み背後へと回り込んでいる愛里のなびく後ろ髪を目で追い、恭一郎の目が輝きを増す。

「一閃っ!」

 真後ろへと回り込んだ愛里はそのまま最後の直角ターンで目の前の背中へと飛び掛る。何百、何千、何万の修練。愚直な反復が彼女に与えた異常なまでの平衡感覚が無ければ転倒を免れない強烈なスピードで。

「っ・・・」

 背後から迫る切っ先のプレッシャーを背中で感じながらも恭一郎は振り返らなかった。その神速は彼が一番よく知っている。悠長に向きを変える余裕など無い。

「無双流外技・・・!」

 叫びざま、その場で後ろへ倒れ込む。ブリッジするように、仰向けで。

「何っ!?」

 驚愕の声と共に振りぬかれた木刀の閃きを鼻先でかわし、床すれすれまで落下した体を恭一郎は左腕一本で支えた。

「虎尾脚!」

 そして、そこを支点に体を振り回し、通り過ぎた愛里に鋭い足払いを叩きつける!

「その動きは、読める!」

 愛里は攻守を換えて背後から襲い来る蹴撃の軌跡を脳裏に描き、軽く跳躍した。一年間で積み上げた戦いの経験が僅かな音と動作から相手の行動を予測させてくれる。

 空中で身を捻った愛里は立ち上がる恭一郎に向き直って着地し、音の無いすり足・・・『縮地』で滑って遠ざかり、元の間合いで停止する。

 交差は、わずか数秒。

「はは、お互い手札がバレバレかよ」

「・・・つまらないか?」

 無意識に唇を尖らせる愛里に恭一郎はにぃっと笑顔を見せる。

「いや、最高だな」

「・・・・・・」

 即答に赤くなった頬を気にしながら愛里は余裕に溢れた表情をしてみせる。

少し、わざとらしい。

「か、完膚無きまでに叩き伏せられて尚そんなことを言ってられるか楽しみだなっ!」

「?・・・なんか自信満々だな」

 きょとんとする恭一郎に愛里は引っ込みがつかず胸を張る。

「と、当然だ!負けるはずがないっ!賭けてもいいぞ!」

「よし!のった!」

「え・・・?」

 勢いで叫んだ台詞にそれ以上の勢いで応えられて愛里の額につーっと汗が伝った。

「負けたほうは勝ったほうの命令を一つなんでも聞く!どうだ!?」

「な、なんでもだとっ!?」

 愛里は悲鳴のような声を上げてからボッと顔を赤くする。

「い、いいだろう・・・なんでも・・・なんでもする・・・キョウイチロウがなんでも・・・」

「おーい、どした〜?帰ってこーい」

 何処を見ているかよくわからない視線で呟き続ける愛里に恭一郎は不審気に声をかけた。

「はっ!?なななななななんでもないぞ!さあ!試合中だ!続けるぞっ!」

「・・・いや、いーけどな」

 全身からかつて無いほどのオーラを噴き出して木刀を構える姿に恭一郎も首を捻りながら神経を臨戦態勢に張り詰める。

「新技・・・行く!」

 瞬間、愛里の足が音も無く地を蹴った。

「何!?」

 いつも通りの高速。しかもそのタイミングを測る手がかりとなる音がしない。

「くそっ!やりづれぇ!」

「縮地二式・・・止音(シオン)」

 静かな呟きは肌が触れそうなほどのショートレンジで放たれた。

「相変わらずあっさりと懐に!」

「それだけではない!」

 叫びと共に振り上げられる『何か』を肌で感じ、恭一郎は上半身を大きくそらす。顎を掠めて通過したのは木刀の柄だ。

「麒麟角・・・風間式大刀斬馬術か!」

 確かに意表はつかれたなと考えながら攻めに転じようとした恭一郎はしかし、更なる驚きを味わう事になる。

「それは、ただの発動モーションだ」

 告げた愛里が地を離れる。

 軽やかに飛翔し、踏み出されたままの・・・そして身をそらしたが故に引っ込める事の適わない恭一郎の左足を踏み台に、もう一度飛び上がる。

「マジかよ!?」

高い。二度目の飛翔は2メートル近く飛び、宙返りした愛里の足が天井に『着地』した。

 膝を、体を支える要を蹴られて大きく体勢を崩した恭一郎の見上げる瞳と、逆さになって天井から見下ろす愛里の瞳が交差する。

「こと障害物がある空間でなら・・・私は恭一郎にすら、おさおさ負けるとは思わない」

「もとから・・・勝負ってものは全て紙一重だぜ」

 その返答を聞けたかどうか。

「絶技・・・!」

 愛里は天井を全力で蹴った。今度は踏み切り音を響かせて、地へと。

「来いよ愛里!見せてみろ!」

 落雷にも似たその姿に恭一郎は回避をすっぱりと諦めた。体勢を整えてから飛びのいては遅すぎる。かといってこのまま地に転がろうと身をよじろうとその後の無防備な隙を愛里は見逃さない。

 だから恭一郎は体を真っ直ぐにする以外は何もしなかった。

 余計な力を体から抜き、むしろ柔らかな動きで剣を振り上げる。

「飛牡丹っ!」

 対照的に愛里の動きはあくまでもクイックだ。あまり重くない体重の全てを重力に任せて打ち落としの一撃を恭一郎へ叩きつける。

 恭一郎やエレンと比べれば競技剣道出身の愛里は遥かに破壊力で劣る。それを補う一撃必殺の為の結論がこれであった。

 一秒に満たない落下を経て二本の木刀が触れ合う!

 カンッ・・・・!

 高く澄んだ打撃音。そして・・・片方の木刀がその音を追う様に弾き飛ばされた。

 飛ばされたのは、恭一郎のものだ。

「何っ!?」

 だが・・・放たれた声は愛里のもの。

 強く押し返されることを予想していた腕が、なんの抵抗も無く振りぬかれた驚愕。

「甘いぜ愛里。武器にこだわると選択肢が狭くなるぜ!?」

 恭一郎は自ら手放した木刀が吹き飛ぶのを見ていない。

「っ!?・・・迂闊!」

 大技の後の隙を無くす事は可能だ。実際、愛里の思惑としては噛み合った木刀を支点に方向転換し、彼の背後へ着地しようと思っていた。

 だが、予想を外されて停滞していた一瞬の思考。その僅かな隙は戦闘速度で流れる時間の中では十二分に致命的である。

「無双外技・・・」

 恭一郎は空の両腕で落下してくる愛里の襟と手首を掴んだ。

「何?」

 驚きの表情を見せる愛里の体を強く引く。空中で一回転させるように勢いをいなし、後ろから抱きかかえるように着地させた。

「ぐ・・・」

「兜狩・・・チェックメイトだな」

 体勢は抱きしめているのと変わりない。ただ一点の違いは、愛里の右手首が恭一郎の手で左肩の位置まで引き上げられていること。

 握った木刀は実剣ならば刃がある側を首筋に触れさせている。右手は捻った形で征圧され、左手は肩が押さえられていては動かせない。完全に、極められていた。

「か、関節技・・・なのか?これは」

「プラス、締め技だな。左襟をもう少し強く引けば頚動脈が閉じるぞ」

 恭一郎はそう言って愛里の体を離す。

「どうだ?おまえが剣プラス返し技系投げ技。俺が剣プラス返し技系関節技。バランス取れてるだろ?」

「う・・・うむ」

 愛里は乱れた襟を治しながら意味の無い頷きを返した。

意味不明だが、なんだか嬉しい。

「・・・ま、なんだな」

 その姿を眺めて恭一郎はトントンと自分の肩を叩いた。

「おまえにはさ、感謝してるぜ」

「にゃ、にゃに!?」

 舌をもつれさせた愛里の驚愕の表情に恭一郎は苦笑した。

「俺は今、完全に自由だ。剣技そのものを教えずともおまえが俺と同じ無双流の戦闘思考をするようになったのを見てな、流派へのこだわりからも抜け出した。神楽坂無双流を使う俺じゃない。俺が、神楽坂無双流を使うんだ。俺らしく」

「・・・だから、蹴り技に関節技か」

「拳も使えるようになったぞ。俺はな、究極のカウンター使いになろうと思うんだよ。どんな攻撃も防げる男に・・・」

 その言葉に愛里は微笑む。

「そうか・・・人を守る剣に・・・なるのだな」

「ああ。大学行って・・・その後はボディーガードなんかやろうかと思っている」

「・・・恭一郎なら、きっとなれるだろう。最高の・・・ボディーガードに」

 脳裏に浮かんだのは、どんな敵がどんな武器を持ち出そうとも決め台詞も余裕綽々に、軽々と襲撃を跳ね返す、そんな剣士。

そして、その後ろに立ち、安心しきった笑みで見守る背の低い、澄んだ瞳の少女。

(私は・・・どう考えても、彼に守ってもらえるような女じゃないな・・・根本的に、彼の目に映る私は女じゃないだろうし)

 夢想の中ですら、そのポジションを別の少女に取られ苦笑する。

「おう。そのときは手伝えよ?おまえも」

「ああ・・・ああ!?」

 軽く落ち込んでいるときに言われた言葉に愛里は思わず声を裏返らせた。何を言われたのか頭が理解しない。

「さてっと」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!今なんと!?」

「賭けの話なんだが・・・」

 違う方向でドキッとして愛里の口が止まる。

「確か・・・負けたほうは勝ったほうの言う事を何でも聞く・・・だったな?」

「そ、そんな事を言ったような言わないような・・・」

 恭一郎はニッコリと微笑んだ。

 目は・・・目だけは修羅の光を湛えて。

「言ったよな?」

「・・・はい、言いました・・・」

 愛里がガクッとうなだれて肯定すると恭一郎はグッと拳を握って振り上げる。

「っしゃあ!よしゃぁっ!どりゃぁっ!」

「そ、そんなに喜ぶなっ!」

 快哉を叫ぶ姿に、愛里は顔を真っ赤にして抗議した。

「だってあれだろ?言いなりだろ?そりゃあ喜ぶなって方が無理だろおい!」

「う・・・」

 確かに、と思ってしまう自分にちょっと呆れながら愛里は口ごもってしまう。

「っし、何にしよっかなぁ?何がいいと思う?」

「わ、私に聞くなっ!」

 そりゃそうだ。

「どうしよっかな?なにしよっかな?」

「そ、そんなにたのしみなのか?」

 踊りださんばかりの姿に愛里が戸惑いの声をかけると恭一郎は満面の笑顔で大きく頷いた。

「・・・おう!」

「そ、そうか・・・」

素直な言葉が、なんだか恥ずかしい。頬がまたまた熱くなる。

「っし!今度の日曜!俺と一緒に買物に行くぞ!」

「ナニィイイイイイイイイイイイイッ!?」

 愛里は絶叫しておいてからふと我にかえった。

「ん・・・?いや、恭一郎。それでいいのか?えらく簡単だが・・・」

「ふっふっふ・・・当然、条件付だ!」

 

 

『いやぁ、楽しみだなぁ!はっはっは!   風間恭一郎』

『・・・私もだ(ボソっ)          中村愛里』

 

 

 そして日曜。

「ほーい、恭一郎おでかけ?」

「あん?」

 玄関を出た恭一郎は門の所まで来て降ってきた声に足を止めた。

「珍しいじゃん。今日は手ぶら?」

 見上げると、隣家の二階、ベランダから美樹が手を振っている。片手に濡れたTシャツを持っているところをみると洗濯物を干している途中なのだろう。

「ああ。あいつに甘えるのはやめた。全力で戦闘するときはあれがなきゃ駄目だが・・・素手じゃなんでも出来ねぇってのじゃ情けねぇだろ。ま、今日は一人じゃねぇしな」

「そっか・・・」

 美樹は静かに頷き、それからビッと二本指を立てて笑った。

「美樹ちゃんチェック!服装良し!髪型良し!今日はいい男だぞ恭一郎!」

「今日もいい男の間違いだろ・・・って何言わせるか」

 軽く笑ってから「じゃあな」と言って恭一郎は歩き出す。

 手など振りながら遠ざかるその背中にこちらも小さく手を振って美樹はため息をついた。

「チェックメイト・・・だなぁこりゃ。結局あたしはいつもどーりブレイクしちゃうわけだ」

 見下ろした隣家の庭。そこへ転落して始まった新しい生活。

「相棒職も廃業だね・・・愛里ちゃんをあんま困らせんなよ?」

 ニマニマと笑って美樹は洗濯干しを再開する。

「ま、ほら。あれよ。あたしは失恋慣れしちゃってるしー、みたいなー」

 濡れた洗濯物をテキパキと物干し竿にかけていく。

「葵ちゃんは・・・まぁ、恋人とかそういうのと違うギアにはいってるっぽいからなぁ・・・どーなんだろ?」

 ポタポタと水滴がベランダを濡らす。

「エレン。あー、なんつうか・・・ショックは受けそうだけど愛里さんとは仲いいしね。納得かも。みーさんは超越者だから気にしないだろうし・・・うん問題ないね。なーんも、もんだいなし」

 そして、手が、止まった。

 

 

『問題、無いのに・・・ね・・・    天野美樹』

 

 

 待ち合わせ5分前に駅前へと辿りついた恭一郎は辺りが妙にざわめいてるのに気がついた。

「なんだ・・・?殺気・・・じゃねぇな。大武会の前みたいなこの落ち着かない空気・・・何かを・・・狙ってやがる」

 反射的に戦闘モードの顔つきになり恭一郎はあたりを見渡す。日曜ということもあり、中々の賑わいだ。何故か男が多く、その視線は一点に集まっている。

 一点。

「恭一郎っっっ!」

「は?」

 男たちの視線を辿った恭一郎はその先で絶叫する女性を見つけて目を丸くした。

 白とピンクを基調としたフリル満載のブラウスとふわっと広がったフレア風のミニスカート。とどめに頭に載っているリボン。ご丁寧にマニキュアまでピンクだ。

 ややもすると動きづらいだけ、美観に不自由している人が着れば破壊兵器にも化けそうな服装ではあるが、幸い目の前でそれを着ている少女は特A級の顔立ちをしているのでまったくの問題なしと言えよう。

 メリハリの利いたボディーラインはまちがっても少女趣味とは相成れない体型だが、そのミスマッチがどこか犯罪的な香りを感じさせているのも確かである。

「ゴスロリ・・・」

「うるさいっ!さっさとこっちに来い恭一郎っ!」

 ゴスロリさんに名前を呼ばれて恭一郎はきょとんと首をかしげた。

「は?誰だ?俺を知ってるのか?」

「・・・っ・・・泣くぞ!?自分でやれと言っておいてなんだその口ぶりは!」

 その台詞でようやく思考が追いついてきた。

「愛里っ!?」

 いや、実際のところ、最初から気付いてはいたのだ。ただ、あまりにあまりのインパクト。そしてあまりのはまりっぷりに見とれていただけで。

「他の誰だというのだ!」

「いやぁ・・・なんつーか、すげー・・・」

 愛里に近づき、恭一郎は呆然と呟く。ここ数ヶ月は葵や美樹と同じくらい一緒に居た愛里なだけに、普段と全く違うその姿が強烈だ。

「だからっ!恭一郎がやれといったとのだろうが!」

「いや、俺・・・普通にスカート履いて来いって言っただけだし」

 愛里の私服にスカートは無い。制服は基本的にスカートだが、運動性重視の時にはそれすらズボンタイプに履き替えてしまったりする。

 休日にみんなで出かけるときにそれが不満だったのでそういう注文をつけたのだが・・・

「・・・持ってなかったから・・・天野さんと御伽凪さんに頼んで選んでもらったら・・・こうなった・・・」

「うわ、おまえそれ、人選間違ってんだろ・・・葵とか、森永とか、せめてエレンとか」

 恭一郎は言いながら愛里の周りをぐるっとまわる。なにせ葵がこの手のロリ服使いなだけに審美眼はそれなりにあるつもりだ。

「・・・あ、あんまり見るな・・・」

 弱々しい声に恭一郎はゆっくりと息をつく。

「10点10点10点10点10点・・・満点ですな」

「な、何の採点だっ!」

「全部だっ!」

 叫び返されて『ぁう・・・』と言葉に詰まる愛里を眺めて恭一郎はご満悦だ。

「うむ、予想とは違う展開だがこれはこれでOKだ!いや、むしろ最高だ!」

「は、恥ずかしいから叫ぶな・・・」

 常に無くはしゃいでいる恭一郎に戸惑い愛里はぶつぶつとつぶやく。

「最近は威厳さえ漂う落ち着きっぷりだったのに・・・」

「あん?ああ、あれは『風間恭一郎』だからな。演技してるってわけじゃねぇけど素のままってわけでもねぇよ。これが、『俺』だ」

 恭一郎は肩をすくめてから苦笑する。

「嫌か?こういう奴は」

「・・・恭一郎ならどっちでも・・・言えるかそんな事ぉっ!」

 言ってるやんというつっこみを心の中で我慢して恭一郎は左手をすっとさしのべた。

「?・・・なんだ、その手は」

「今日のコンセプトを言ってなかったな・・・今日の演目は、『バカップルごっこ』だ!」

 言葉の鉄槌で頭蓋骨を粉砕された気持ちで愛里はポカンと口を開ける。

「ところかまわずいちゃつき、これでもかってほどお約束なデートコースを辿る事が目的だ!さあ腕を組むぞ!」

「ば・・・馬鹿か!?ななななななな何が目的でそんな計画を立てる!」

「馬鹿だ!故に目的など無い!楽しそうだからっていうだけだ!」

 愛里は断言されて頭を抱えた。

「ホントに馬鹿だったらこんなに困らない・・・賢いのに・・・恭一郎賢いのに・・・その頭の回転を私を困らすのに使わないでほしい・・・」

「無理だな。ほれ、行くぞ」

 恭一郎はあっさりと言い切って自分の左手の肘あたりをポンポンと叩く。

「うぅ・・・これも敗北者の定めか・・・」

 愛里は呟き、そこにそっと自分の腕を絡めた。口ではなんやかやと言ってはいるが、それらは全て照れ隠しに等しい。心臓は緊張で乱暴に跳ね回っているし顔は耳まで火照っている。

「はっはっは。勝負と言うのは無常じゃのう。中村屋」

 言っている恭一郎も、言葉ほどに何も考えていないわけではない。別に普段愛里を意識しているつもりもないのだが、予想外の『可愛らしい愛里』の登場に動揺はしている。

「さて、最初は映画だぞ」

 何か、今にも襲い掛かりたいような衝動を何とか堪えて恭一郎は歩き出した。

「う、うむ」

「肯定の返事は『うん』『いいよ』『わかったにょ』の三択だ。選べ」

 

 

『・・・わ、わかったにょ    中村愛里』

『それかよ!?        風間恭一郎』

 

 

 腕を組んで歩く事10分。あまりのぎこちなさに恭一郎本人すら首をかしげはじめたころ、二人は映画館前へと辿りついた。

「・・・動き、固いな」

「・・・お互いに、な」

 どちらともなく呟き合いながら映画館を眺める。最近はやりのシネコンと呼ばれるタイプの複合型で、巨大な建物の中で常時8種類の映画が上映されている。

「さて、愛里君。怖いを通り越して笑いがこみ上げるC級ホラーとそのだだ甘っぷりに胸焼けがしそうなラブストーリー、どっちがいい?」

「ふ、普通のは無いのか?」

 恭一郎はぎょっとしたようにのけぞり、至近距離で身を固くしている少女に驚きの目を向ける。

「あるわけないじゃねぇか!」

「!?・・・?・・・そ、そんなに驚く事か?」

「驚きだ!いいか愛里!俺達は何だ!?」

 愛里は数十にわたる返答を考えた後、一番最初に思いついた単語を恐る恐る口にした。

「・・・ばかっぷる」

「ぴんっぽぉおおおおおん!」

 絶叫してから恭一郎は軽く咳払いをする。

「すまん。ちょっとはしゃぎすぎた」

「うむ。ちょっとひいた・・・」

 冷や汗をかきながら愛里は小さな照れ笑いを浮かべた。

「まぁ、それはともかくとしてその二つなら、ホラーよりは・・・れ、恋愛ものかな」

「おまえ、好きだもんなぁ。ビデオも大量に所持してるとか」

「何故それを!?」

 驚きの声に、しかし恭一郎は肩をすくめる。

「いや、あてずっぽう。でもやっぱそうか」

「・・・出稽古の謝礼金で部屋にテレビとビデオを・・・」

「買ったのか」

「買いました・・・」

 恥ずかしそうな愛里に表情を崩し恭一郎はビッと親指を立てた。

「よし!じゃあベタ甘映画決定!行くぞ!」

 

 

『素敵な星空・・・綺麗・・・』

 よくある場面にありきたりな演技、お約束な台詞。客席を埋め尽くした観客達も映画を見ていると言うよりはそれぞれのパートナーにちょっかいを出す方に忙しいようだ。あちこちからささやき声やらなにやらが聞こえてくる。

 だから。

「・・・君の方が綺麗だよ」

「ひゃん!?」

 恭一郎はスクリーンよりも早く愛里の小さな耳にお約束台詞を囁いてみる。

「ば、馬鹿者っ!」

 予想通り真っ赤になって睨んできた表情に恭一郎は転がりまわりたいような衝動を覚えて困惑した。

(?なんだ・・・?この妙な嬉しさは・・・?)

「わ、わた、わた、私なんぞがその、綺麗とか何とかという状態にだな・・・」

「あん?いや、綺麗なもんは綺麗だしなぁ。普通に」

 自己分析に忙しく、恭一郎は正直な感想をそのまま口にする。愛里の顔は映画館の暗がりでもはっきりとわかるほどに赤い。

「どうしてそういうこというかなぁしかもこんなひとがいっぱいいるところではずかしいほんとにはずかしいああもううれしいけどそういうのいぜんになんかこう・・・」

 俯いてプチプチ呟くだけのマシーンと化した愛里を恭一郎はしばらく観察し、

「・・・そっか。可愛いんだな、きょうの愛里」

 ぽんっと手を打ちながらそう結論を出した。途端、愛里がピキッと硬直する。

「か、かわ・・・?」

「これは予想外だぞ愛里!ただの偶然が重なり合い、今超破壊力の何かに変貌を遂げようとしている!」

「ちょおはかいりょく・・・」

 なんだか凄そうだなぁなどと思考停止状態で呟く愛里に恭一郎は嬉しげな笑みを向ける。

「よし!愛里!」

「な、なんだ!?」

 勢いの良い言葉に思わず愛里は姿勢を正した。

「お手!」

「わん・・・ってなんでだ!」

 差し出された手に自分の手を重ねてから叫ぶ。

「よしよし、かわいーぞー」

「くぅーん・・・」

 頭やら首筋やらを撫でられた愛里は目を細めて嬉しげに犬真似をしてから唐突に我に返った。

「動物扱いかぁっ!」

 当たればズドォォォォン!とかドゴォォォォン!とかいう擬音のしそうな強烈なアッパーカットを身体を捻って回避した恭一郎はにやりと笑って親指を立てる。

「ナイスリアクション」

「嬉しくなんか・・・ないぞ・・・!」

 口をへの字に結んでそっぽを向いた愛里の目と、こちらを睨んでいる見知らぬカップルの目が合う。

「む・・・」

 ふと気づいて見渡せば、周囲の人々の視線はことごとくこちらに集中していたり。

「・・・ああ、そういやここ、映画館だったな。駄目じゃないか愛里、うるさくしちゃあ」

「おまえが言うなぁああああっ!あ・・・」

 絶叫リアクションに周囲の目がじっとりとしたつっこみを送ってくる。

「・・・すいません。静かにします・・・」

「うむ。それがいい」

 

 

『おまえもだ!っていうかむしろおまえがだ!    観客一同』

 

 

 その後はわりと静かに映画を見終えた二人は昼過ぎでにぎわうパスタ屋にやって来ていた。

「いやあ、大騒ぎになってしまったな。はっはっは」

「・・・はっはっは、ではない!」

 愛里は勢いよく叫び、一転してため息をつく。

「まったく、予想もつかないことをするな・・・おまえはいつもいつも」

「そうか?そうでもないだろ。さっきのノリつっこみといい、着々と俺達の側に来てるんじゃねぇか?おまえ。もうじき俺のネタが読めるようになるかも」

「なりたくない・・・いや、本気で・・・」

 げっそりとした様子の愛里の肩を恭一郎はぽんっと叩いた。笑顔が、嘘臭い輝きに包まれている。

「発病済み★」

「・・・・・・」

 はらはらと涙を流して愛里はテーブルに置かれていたコップをあおった。冷たい水の感触に気分が少し落ち着く。

「どーせ、私は苛められキャラだ・・・」

「いいじゃねぇか。無個性より異個性だ。とりあえず、今のおまえは輝いてるぜ」

「・・・それは、否定しない」

 ぼそりと呟いた時だった。

「ミックスジュースでございます」

 テーブルのど真ん中に大きなグラスが置かれた。中に入っているのは微妙なオレンジ色の液体。

 そして、その水面から飛び出すストローの飲み口。何故か二つ。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 二人は顔を見合わせ、グラスを睨み、そしてそれを運んできたウェイトレスにジト目を向けた。

「ミックスジュースなぞ頼んでないぞ」

「よしんば頼んでいたとしても、何故ストローが二本刺さっている!」

 ウェイトレスは二人の言葉にふむふむと頷いてからにっこりと微笑んだ。

「黙って飲め」

「はい」

「わかりました」

 笑顔のままドスの利いた声で言われて二人は即答する。下手にごねれば何をされるかわからない殺気を感じたのだ。

「親切のつもりなのか?サービスのつもりなのか?っていうか、昼飯で来たのになあ」

「うむ・・・」

 呟きながらも、視線は二本のストローから離せない。ついでに、店中の客の目もそこに集まっている。

「飲む・・・か?愛里」

「飲まざるを得ない・・・のではないか?」

 向かい合うゴスロリ少女と柄の悪い男。その中心におかれたグラス。二対の飲み口。

 率直に表現するなら、変態じみた空気である。

「・・・不退転・・・だよな?」

「う、うむ。我らは戦士ゆえ、戦死してなんぼ」

「死ぬなよおい」

 互いに何を言ってるのかわからない状態でゆっくりと唇がストローへと迫る。

「べ、別にたいした問題じゃねえ。直接口が触れるわけでもねぇんだし」

「・・・!・・・言うな!意識すると恥ずかしいじゃないか!」

(見てるほうが恥ずかしいけどなあ・・・)

 周囲の呟きも耳に入らない。

「よ、よし。愛里、タイミングを合わせろ・・・」

「チャクラエクステンションか?」

「・・・おまえ、順調に毒されてるなぁ。いいぞ」

 気を取り直してもう一度・

「カウント3だ。1、2の・・・」

「3・・・」

 二人は同時にストローをくわえた。

「んぐ!?」

「みゅ!?」

 そして、妙な声を上げてそれを離す。

「なんじゃこりゃああああっ!」

 恭一郎は叫びながら今口をつけたばかりのストローを掴んでグラスから引っ張り出す。

 ・・・とちゅうで二つ折りになって両端が水面から出ている・・・一本の、ストローを。

「ウェイトレスさんよぉ!?こりゃあどういう嫌がらせだ!?あン!?」

「きょ、恭一郎!それでは完全にただのチンピラだ!」

 激昂して叫ぶ恭一郎と慌てて制止する愛里を前に、元凶たるウェイトレスはニッコリと微笑んで見せた。

「気にするな」

「む・・・」

「う・・・」

 威圧されるような迫力のある声に二人が口ごもるのを見てウェイトレスは軽く頷く。

「この店にはぁ、伝説があるんですぅ〜」

「いきなり可愛い声出されても・・・怖いだけだ」

「狙いだからな」

 一転、元のドスの聞いた声に戻られて恭一郎は黙り込んだ。

「えっとぉ、1つのミックスジュースにささった1本のストローを吸い合ったカップルさんはぁ・・・」

「カップルさん・・・」

 消えそうな声で呟いてもじもじと指先をすり合わせている愛里を一瞥してウェイトレスは口を三日月のように吊り上げる。

「カップルさんは、一生こっぱずかしいラブラブイベントに巻き込まれ続けると言う」

「どっちかっていうと呪いだろそれ!?なんだ巻き込まれるって!」

「おめでとー」

「めでたいのか!?」

 

『おめでとー!     客一同』

『黙れゴラァッ!  風間恭一郎』

 

 

「くそ。二度と行かねぇぞあんな店」

「と言いつつしっかりパスタ二杯食べた上でドリンク無料券まで貰ってきている我々が居るのだが・・・」

 愛里は苦笑して頭上のリボンの位置を整えた。フリルやらリボンやら、生まれて初めて身につけるアイテムの数々になんとなく順応していく自分にやや苦笑。

「ちっ。じゃあ、その無料券を使い切ったらもう行かない」

 多分、使い切る頃にまた渡されるのだろうが。

「ふふふ、まあ・・・それはそれとしておこう。次は、何処へ行くんだ?」

「ああ。こっちだ」

 

 

「カラオケか・・・」

 ほの暗いカラオケボックスのソファーに座り愛里は呟いた。

「部活でよく行くだろ?タカが好きだから」

「うむ。恭一郎には悪いが今度こそ私で遊べないぞ。上手くも無く下手でも無く、ボケどころもつっこみどころもないからな!」

 何故か勝ち誇ったように笑う愛里に恭一郎はドリンクメニュー片手に苦笑する。

「俺だっておまえからかってばかりじゃねぇよ。普通に歌いにきたんだ。俺はウーロンだが・・・何飲む?飲み放題らしいぞ」

「えっと・・・」

「お?『えっと』出ましたー。女の子言葉、だいぶ馴染んでます〜」

「からかってるではないかっ!」

 軽く吠えてから愛里はふと何かを思いついて俯いて見せる。

「もう、きょういちろうったら。あいりだっておんなのこだよ?やさしく・・・して?」

 わざとらしい台詞は美樹あたりの仕組みだろうか。

「わかってるよ愛里。君は誰よりもレディさ」

 だが、恭一郎に真顔で返されてすぐに赤面してたじろいでしまう。

「はっはっは。片腹痛いと正露丸。今の俺にとって萌えのツボはそこではない・・・遊ぶのはこんなとこか。マジで何飲む?」

「・・・グレープフルーツジュース」

 口を尖らしてすねる姿に『そう、それだ!』と心の中で叫んで恭一郎は内線電話でウーロン茶とグレープフルーツジュースを注文した。

「さって、何歌うか・・・愛里相手にデスってのもきついだろうしな・・・」

「ん?よくわからんが構わんぞ?どんなジャンルであろうと歌は歌でないか」

「・・・いや、気ぃ失うぞ」

 ちなみにデス・・・デスメタルとは絶叫と歌の中間ぐらいに位置してたりする。美樹と二人で絶叫する事は多いのだが。

「決めかねているなら私から行くぞ」

 愛里は言いながらリモコンでペケペケと曲番を打ちこむ。

「何歌うんだ・・・っぅお!?」

 モニターに映し出された曲名は・・・

「・・・地上の星・・・中島・・・みゆき・・・」

 渋い。かなり渋い。名曲では有るが、女子高生が歌うにしてはかなりキワモノだ。

「ふっふっふ・・・私はプロジェクトXを欠かさず見ているくちだ」

「いや、いーけど」

 言っている間に曲が始まり愛里は眉間にしわを寄せながら熱唱を始める。

「・・・ほぉ」

 恭一郎は思わず呟いて笑った。本人も言っていたように歌唱技術はそんなに上手くは無い。だが、雰囲気とあいまって中々に聞かせてくれる。

 パチパチパチ・・・

 歌い終わった愛里は向けられた拍手に控えめな笑顔を見せた。

「実は家族以外でこの歌を聴かせたのは恭一郎が初めてだ・・・どうしても、恥ずかしくてな・・・」

「そりゃ光栄だな・・・じゃあ俺も普段あんまり歌わねぇ奴を披露するか」

 恭一郎は天井に目をやってしばし考えてからリモコンを手に取る。

「あ、暗記してるのか?曲番号を・・・」

「おう。実は前々から気に入ってたんだが中々、な。俺もキャラクターってもんがあるし」

 イントロが始まった。静かなバラードだ。

「思えば〜〜ただ傷つけ〜〜泣かせた夜もあった〜〜」

「・・・ぁ」 

 恭一郎はわりと歌が上手い。別段練習しているわけでもないが、交友範囲が広いのでなんやかんやとカラオケに行く機会が多く熟練度が高いのだ。

「もう二度と離さない〜〜君の瞳〜〜ボクは君をずっと守っていく・・・」

「・・・ぅ」

 狙ってか狙わずか、愛里の最も言って欲しい言葉を歌い上げる姿に愛里はぽーっと表情を緩める。

 しばしして歌い終えた恭一郎は満足げに息をついた。

「以上。GetAlongTogatherでした。うむ。満足だ」

「う、うむ。わ、わたしも満足だ・・・」

「?・・・なんでだ?」

 狙いではなかったらしい。

 恭一郎が首を捻っていると不意にドアがノックされた。入ってきた店員が二人の飲み物をテーブルに置いて去って行く。

「しかし、思い返せば結構長いな。俺たちの付き合いも」

「うむ。最初に会ったのはなんのときだったか・・・」

 二人はそれぞれの飲み物を手に考え込んだ。

「多分あのときじゃねぇかな。1年の6月くらいに剣道部の連中ともめて・・・」

「む。そのまま8人を保健室送りにしたときか・・・言ってはなんだがな恭一郎。あれはずいぶんと大人気なかったと思うぞ。相手は1年生でろくに竹刀も握れないと言うのに・・・」

 苦笑まじりに言われて恭一郎もまた苦笑を返す。

「それを言われると痛いな。あの頃は俺も・・・やさぐれまくってたからなぁ」

「あの頃は?」

「黙れ」

 恭一郎はぐわっと睨むがすぐにその表情も緩んだ。どうにも今日は調子が出ない。愛里はちょっと考えてから口を開く。

「確かに、あれが中村愛里と風間恭一郎のファーストコンタクトではあったが・・・私とあなたの出会いというのならば、実は更に二ヶ月ほど遡るのだ」

「俺とおまえ?・・・名乗らないでってことか?そりゃあすれ違うくらいならあったとおもうが」

 氷をカラカラと鳴らしてウーロン茶を飲みながら恭一郎は答えた。壁の向こうからは誰かの歌声。あまり上手くないそれにここがカラオケボックスであることを思い出す。

 愛里に言った通り、ここへは本気で歌いに来た。別に他意はなかったのだが・・・歌うのももったいないほど、いつまででも喋っていたい衝動が強い。

「いや、そうか・・・恭一郎にとってはどうということのない出来事だった筈だからな」

 苦笑して愛里は天井に視線を投げる。

「入学式の後のことだ。とある少女が剣道部の練習場を探していた。一応地図は持っていたのだが、なにせ六合学園は無闇に広い。今居る位置すらわからなくなって・・・その少女はたまたま目の前を通りかかった竹刀らしき物を持って堂々と歩いていた人に声をかけた。剣道部の上級生だと思ってな」

 その言葉に恭一郎はぎょっとして目を見開いた。

「ちょっと待て!なんでおまえがそれ知ってんだよ!」

「・・・その男はまかせろと言ってその少女をつれまわし・・・」

「ああそうだよ!結局自分も迷って30分以上ふらついてからようやく剣道部練習場にたどり着いたんだよ!俺が!だから何で知ってる!?」

 恭一郎の慌てた声に愛里はじとーっと目を細める。

「私だからな。その少女は」

「はぁ!?あのときの奴はなんかオドオドした感じで、なんつうか真っ直ぐに切りそろえた目が隠れるような前髪でストレートで長くて・・・」

「コケシみたいだっただろう。私だが」

 呆然とした表情で固まった恭一郎を前に愛里は自分の髪の先をちょいちょいと弄くった。

「以前話した事があると思うが・・・私は小さい頃『男らしくあれ』と育てられていただろう?髪も、床屋で男っぽいショートにするばかりでな・・・中学の頃に軽く苛められたこともあって高校からは髪を伸ばして良い事になったのだ。それで思い切って伸ばしたのだが・・・なんとも恥ずかしくてな」

 軽く微笑む愛里と対照的に、恭一郎の時間は停止したまま。

「私の人生の中でおそらく数ヶ月しかない内気だった時代だ。レアだぞ」

「じゃ、じゃあ・・・おまえ、今のポニーテールはまさか・・・」

「ふふ、覚えていてくれたか・・・」

 

 

 春の終わり、風が強い日。

「くそ、やっと着いた・・・これが剣道部の練習場だ!」

「あ、ありがとう・・・」

 俯いてぼそぼそと言ってきた少女におうと頷いて恭一郎は一息ついた。入るつもりはないが、師匠と共に足を運んだ事は何度かある。

 すんなりと案内できるつもりだったのだが・・・

「悪ぃな。ずいぶんと迷っちまって」

「い、いえ。あの・・・広い・・・ですし・・・はぷっ!」

 手をパタパタと振って答えた少女の髪が、春風に巻かれてその顔をなぶった。口の中に入った毛の先を少女は慌ててつまみ出す。

(長い髪は憧れだったが・・・いざしてみると・・・)

「なんか、大変そうだな」

 乱れた髪を慌てて整えている少女を眺めてふむと恭一郎は呟いた。

「この髪型・・・似合わない・・・だろうか?」

「いや、似合う似合わねぇとか以前のものを感じるが・・・そうだな」

「・・・ぇ!?」

 少女が悲鳴じみた声を上げる。いきなり後ろ髪を掴まれたのだ。

「ようは、ストレートをたらしっぱなのがいけねぇんだよ。ちょっと手を入れれば面倒じゃなくなるぜ?」

 恭一郎は少女の髪を手早くまとめ、木刀袋の口をしめていた紐でポニーテール風に結い上げる。元もとのカットが向いていないのでどこか中途半端だが悪くない仕上がりだ。

「前髪も後ろに流しちまったほうが似合うんじゃねぇか?よく見えねぇけどいい眼をしてるぜ、おまえ。隠したら勿体ねぇだろ」

「そ、そう・・・か?」

「保証する。じゃあな」

 言うだけ言って恭一郎は去って行く。少女の心に、決定的な何かを残した事も知らず。

 

 

「そして3年目を迎え、少女は今、ここに居るわけだ」

 愛里は話し終えてジュースを一気飲みする。なんだか気恥ずかしく、恭一郎の方が見られない。

「・・・ずっとな、あの時の奴が気にはなっては居た。剣道部に入ってる様子がねぇから」

「入っていたんだな。実は」

 それっきり、沈黙。

「言い訳ってんでもないが、俺としては初めて戦った時の印象がでかかったんでな・・・からんできたあいつらを叩きのめした後に出てきた奴・・・六合学園に入って初めて会った本気ださねぇといけない相手だったからな」

「嘘をつくな。鼻歌まじりに一蹴してくれたくせに」

 口を尖らせた愛里に恭一郎は肩をすくめて見せる。

「覚えてるか?あの時俺が使った技」

「無論。背向けで意表をついてからバックハンドでの薙ぎ払い。防いだところに柄を目の前に突きつけられて終わりだ。今ならわかるが火車から岩槌のコンビネーションだな」

 恭一郎はうむと頷きグラスの中の氷を口の中へ放り込んだ。ゴリゴリと噛み砕く。

「あの時・・・俺に使えた技の最高位は武技だった。ようはアレが全力だったわけだ。まあ、構えを見た瞬間生真面目な剣道使いってのはわかったからな。そうとなれば・・・」

「セオリーを崩してやれば勝てる、か?まあ、見事に崩されたな」

 負けを語りながら愛里の表情は穏やかだ。

「確かにあれが初対戦であり、記念すべき一敗目というわけだ」

 今も勝率は1割に届かないが、その内容には自信がある。一歩ずつ、着実に強さの頂へと上っていく実感も。

 彼女の憧れた『強さ』は、目指すべき者は、一度も拒まず彼女を迎えてくれたから。

 そして、それは恭一郎の方も同様で。

「・・・今だから言うけどよ。愛里・・・感謝している。俺が強くなれたことの大半は、おまえのおかげだ。俺が強くなればなるだけ、おまえも強くなってくれた。何度でも諦めずに俺に挑んできてくれた・・・だからこそ俺は鍛錬を続ける事が出来た」

「そんなことはない。恭一郎の本質は護り手だ。私など居なくとも、ありとあらゆるものを護る為に自らを鍛え続けただろう」

 即答に、しかし恭一郎は真剣な顔で首を振る。

「そうかもしれない。そうでないかもしれない。だが、今ここに居る俺はおまえが鍛えてくれた。感謝は何度してもし足りん」

 素直な表情で頭を下げる恭一郎に愛里は慌てて自分も姿勢を正して頭を下げる。

「・・・?なんでおまえまで?」

「い、いや。その・・・私も・・・恭一郎に追いつきたくて・・・憧れて・・・だから・・・」

 言葉が気持ちに追いつけない。そのもどかしさに愛里は泣きたいような気持ちで喋り続ける。

「ありがとうございます師匠・・・」

「どういたしまして、だ。礼の言い合いもなんか変だけどな」

 二人は同じような照れ笑いを浮かべ、そして互いの拳をちょん、と触れ合わせた。

「これからも、よろしく・・・」

 

 

『末永くな   風間恭一郎』

『!?      中村愛里』

 

 

 結局あまり歌うことなくカラオケボックスを出た二人は一応のメインとなっていた買い物に出かけた。

 何を買うでもなく駅前の店をぶらりぶらりと見て周り、時折奇行に走る恭一郎を愛里が止め、時折妄想にふける愛里を恭一郎が現実に連れ帰り。

「む・・・もうこんな時間か・・・」

 ふと見上げた空の茜色に思わず愛里は呟いていた。

「そろそろ夕飯のことも考えねぇとな・・・どうだ愛里?喰ってけるのか?」

「うむ。両親には遅くなると伝えてある」

「・・・・・・」

 両親と言うキーワードに一瞬動きの止まった恭一郎の様子を目ざとく見取り、愛里はそ知らぬ顔で言葉を続ける。

「恭一郎と一緒だと伝えたら何故か父が激昂してな。秘蔵の刀の手入れを始めたのだが・・・なんだろうな。あれは」

「・・・・・・」

 たらりと恭一郎の額に汗が流れた。

「そうそう、父が今度恭一郎を連れて来いと言っていたぞ。なにやら熱心に素振りをしながら」

「お、おまえ・・・」

「いや、全て嘘だが」

 愛里は言ってにこりと笑って見せた。この辺りの話術もまた美樹直伝だ。唖然とした恭一郎の表情に心の中でガッツポーズを取る。

「わかった・・・俺も漢だ。挑戦されて退くわけにも行くまい」

 だが、恭一郎の表情はそのままくわっと修羅の顔つきへと変わった。

「はい?」

「すまん愛里。もし俺が死んだら海の見える丘に埋めてくれ・・・いつでもみんなを見守っていられるようにっ・・・!」

「ちょ、ま・・・」

 拳など握って力説する恭一郎に愛里は制止の声をかけようとするが、聞いている様子はない。

「敵は警察の剣道師範・・・相手にとって不足無し。むしろ明治の昔、柔術が柔道に敗北して以来負け組になっていた武術から武道へのリベンジを俺が果たす!よし、むしろ今から行くか!見てやがれよ公共権力!アウトローの意地を見せてやる。俺の背中はおまえに任せたぞ愛里!」

「な、にゃ、え?恭一郎!?」

「無論、全て嘘だが」

 恭一郎は言ってにっこりと笑って見せた。その顔には『俺をからかうなぞ百年早い』の文字がくっきりと見て取れる。

「・・・恭一郎。たまにくらい、反撃してもいいと思わないか?私も」

「おう。好きにしろ。ただ俺も最強のカウンター使いを目指すものとしてやられっぱなしにはならないけどな」

 愛里は深々とため息をついて苦笑した。

「まあともかく・・・遅くなっても大丈夫なのは本当だ」

「よし。じゃあちょっと待ってろ。家に電話する。紀香に晩飯の指示ださなくちゃな」

 言いながら恭一郎は携帯電話を取り出す。

「すぐ済むからちょっと待っててくれ」

「うむ」

 電話を片手に離れていく背中を眺めて愛里はふぅと息をついた。この時間に男と二人。しかもちゃんとした『デート』で。

 初めてづくしの体験に、胸が、高鳴る。

「まあ、本気のデートだと思っているのは私だけだなのが、な」

 呟いてからもう一度深呼吸する。なんであれ今の楽しい気持ちは本物だ。

 それだけは、絶対に。

「・・・て・・・だ・・・」

「ん?」

 不意に声が聞こえた。愛里は眉をしかめて辺りを見渡す。駅前を少し離れた商店街。夕暮れの不安定な陽光に赤く染められた店々とその路地。

「さっさと・・・痛い目・・・」

 切れ切れに聞こえた微かな単語に愛里の表情が変わった。声の聞こえる狭い路地へと足を向ける。

「許してください!帰らせて・・・!」

「だからぁ、ちょぉつとお金貸してくれれば帰してあげるって言ってんでしょぉ?」

「頭悪ぃ餓鬼だな」

 はたして、そこには気の弱そうな中学生を囲むチンピラ風の男が4人。

「じゃ、じゃあ、その。300円だけ残してくれますか?帰れなくなっちゃう・・・」

「知るか馬鹿。財布ごと出せっつてんだよ!」

 あまりにわかりやすいカツアゲの図に愛里は不愉快なため息をついた。

「まったく・・・こんな時に・・・!」

 一言だけ呟き走り出す。

「そこ!何をしている!」

 鋭い声にチンピラ達が振り返るよりも早くその間を抜け、絡まれている少年の前に出る。

「君!逃げなさい!」

「え?あ・・・え?」

 少年はきょとんと目の前の人物を眺める。チンピラたちも同様にわけがわからないといった顔をしている。

「どうした!?ほら、早く逃げないか!」

「あ、ありがと・・・う?」

 少年は目をしばたかせながらばたばたと走り始めた。頼りなげな背中が路地の奥、大通りの方へ消える。

「・・・なんだ?このヒラヒラした奴・・・?」

 チンピラは、獲物が逃げるのを追いもせず呟いた。目を何度もこする。

「ヒラ・・・?」

 愛里は首をかしげて呟き、それから失策に気がついた。ヒラヒラスカートに履き慣れないピンクの革靴。動きにくい事この上ない。

「おいおい何だよこのマニアックな女!」

「いい女じゃん!おれ、好き!」

「そうだな、餓鬼よりこっちの方が楽しそうじゃん?」

 チンピラたちは目に好色な光をたたえて愛里を取り囲む。慣れているのか、妙に手際がいい。

「舐めるなよ・・・素手とておまえらごときに遅れはとらん・・・」

 手刀を構えて言ってきた言葉にチンピラ達がどっと笑う。フリル満載のブラウスとふわっと広がったフレア風のミニスカート。頭にはリボン。冗談にしか思えない。

「はいはい、怖いですねぇ〜」

 チンピラは笑いながらその肩に手を伸ばした。

「甘い」

瞬間、愛里の手がその手首を掴む。

「倒っ!」

 そして、鋭い気合と共にそのチンピラが宙を舞った。

「な!?」

 残りのチンピラの驚愕と共に一回転したチンピラは地面に叩きつけられて重い音を発し、そのまま動かなくなる。精妙な小手投げであった。

「お、お・・・」

「疾っ!」

 間髪を入れず愛里が大きく一歩踏み出すと同時に我に返ったチンピラたちは一斉にその場を飛びのいた。それなりに場数は踏んでいるのか反応が早い。

「逃がさんっ!」

 愛里はそのうちの最も弱そうだと見切ったチンピラへと飛び掛った。

だが。

「ひゅーっ!パンツまでピンクかよ!」

「か〜わいいっ!」

 残りの二人の下品な声にその動きが止まる。思わず見下ろした自分の体。翻り、まくれあがった丈の短いスカート。

「み、見るなっ!」

 反射的にスカートを押さえて立ち止まる。止まった動き。外れた視線。

「つ〜かまえた!」

 そこに居るのは、ただの女の子だった。

「な・・・!」

 両腕を掴まれた愛里は慌ててもがいたが一度捕まってしまえば純粋な腕力ではやはり劣ってしまう。

「離せっ!」

「やだよ〜ん」

 暴れる体をビルの壁に押さえつけてチンピラは下品な笑みを浮かべる。残りの二人も近寄ってきて愛里の顔を覗き込む。

「柔道かなんかやってんのかもしれないけどさ、勝てるわけないじゃん。41だぜ?かっこつけちゃ駄目でしょ〜?」

「ま、おかげでさいっこーの獲物がゲット!できたけどねぇ〜」

「貴様ら・・・!くっ、離せ!離さんか!」

 両腕を大きく広げた無防備な形で壁に貼り付けられ、愛里は屈辱に顔を歪めた。掴まれた手首から、撫で回された頬から、ぞわりと悪寒が走る。

「さって、悪ぃけど写真とか取らしてもらうよ〜。ま、証拠とか残さないけど一応保険でね」

「へへ・・・まぁそれ以外にも使い道いっぱいあるからよ」

「下種が・・・!」

 叫んだところで何かが変わるわけではない。

「あ〜らら、泣いちゃったよ〜ん」

「くっ・・・!」

 悔しさのあまりにじんだ涙を指摘され、唇を噛む。

「じゃ、はじめよっか。まずはどれから脱がす?」

 押さえつける男の隣で指をうごめかせてもう一人のチンピラは仲間たちへと声をかけた。

「そうだな・・・」

後ろでデジタルカメラを構えていたチンピラはモニターを覗き込んだまま考え込み、大きく頷いて言った。

「ぇく」

「は?変な声だすなよ。萎えるじゃねぇか」

 チンピラは文句など口にしながら振り返り。

「な・・・」

 そこに、『何か』を見た。

「・・・・・・」

 それは語らない。だが、素人にすらはっきりとその意思は読み取れる。

 めきり、と。一人目の男の喉骨が軋み、その手からデジタルカメラが落ちた。

 その意思は、殺気と、呼ばれる。

「ぐ・・・くる・・・し・・・」

 痛みと恐怖に端も外聞もなく涙をこぼす男の喉を鷲掴みにしたそれは、握る力を更に強くし、そのまま男の体を地面に叩き付けた。

「ば・・・」

 空気の塊と悲鳴を一緒に吐き出して男が動かなくなるのを見届けもせず、ゆっくり、ゆっくりとその男が迫る。

「貴様達は・・・何をしている?」

 低い声で男は・・・風間恭一郎は問う。

「な、なんだおま・・・」

 愛里の服に手をかけた男の声はあまりに遅すぎた。

「愛里に何をしている?」

 声と共に振るわれた裏拳がその頬を抉る。男は錐揉みに吹き飛び、そのまま動かない。

「そいつに・・・触るな」

 静かとすら形容できるその声の冷たさに愛里を押さえつけていた男は反射的にその手を離す。

 だが。

「そいつを・・・見るな」

 間髪いれずに繰り出された鋼のような膝が男の鳩尾に突き刺さった。あまりの衝撃に体ごと浮き上がり、痛みすら覚える暇なく昏倒してコンクリートに転がる。

 恭一郎は意識のない男達の腹をもう一発ずつ蹴り飛ばしてから天を睨んだ。その息が、荒い。

「恭一郎・・・」

 愛里は乱れた服を直しながらおそるおそる口を開いた。

「・・・何を・・している」

 返ってきた声は低く、そして震えている。

「何をしてるんだよ愛里・・・!おまえが・・・よりによっておまえがなんでこんな奴らに・・・何でだ!?何故・・・!」

 悲しさすら感じるその声は恭一郎が愛里によせる信頼ゆえだと言う事はあきらかだった。彼女が知る限り、これほどに取り乱している姿は見たことがない。

 だが。それ故に。

「なら・・・」

 愛里は堪えきれず声を漏らした。

「なら・・・!」

 一度耐え切れなくなればもはや歯止めなどきかない。

「なら、なんでこんな格好をさせたんだ!私に求めるものが剣だと言うなら何故こんな格好をさせるんだ!夢を・・・見させないでくれ!私は剣士だ!剣士で・・・」

 絶叫に近い声が、水を浴びせかけられるかのごとく恭一郎の心を平静へと引き戻す。

「剣士だけど!私だって・・・女なんだ・・・!」

 その手は、スカートのすそを強く握っている。太ももまでしか隠さない、彼女がこれまで着たことの無いもの。

「見せたくないんだ!見せてもいいと思える人なんて・・・一人しか・・・!」

 俯いた顔。地面を濡らす涙のしずく。

 

 恭一郎は、絶望した。

 

気付けなかった自分。言わせてしまった自分。甘えていた自分。

 とてつもなく、憎い。

「すまない・・・」

 だから、深く頭を下げた。

 他に出来る事が思いつかない。土下座して、地面に張り付くように謝りたいという衝動はあるが、そういう姿を見れば愛里はもっと悲しむであろうこともわかってしまう。

 ただただ、頭を下げるしかない。

「頼む・・・何でもする。だから・・・お願いだから」

 歯を食いしばり、嗚咽を聞かれまいと俯いて愛里はその声に、抱きしめたいような、縋りつきたいような衝動を覚え、だがそれが出来ない。

「泣かないでくれ。愛里・・・」

 媚びる事の許されない少年と、甘える事を知らない少女。

 それを、互いがわかっているから。

「・・・うん」

 愛里は頷いた。おそるおそる恭一郎に近づき、服の肘の辺りを軽く掴む。

「・・・ありがとう」

 恭一郎はもう一度頭を下げ、掴まれているのとは逆の手で愛里の涙をおっかなびっくり拭う。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 静かに・・・ただ、静かに過ぎる時。

 二人の、今出来る限りの、交感。

「何故・・・こんな格好をさせたんだ・・・?」

 愛里は素直な気持ちで尋ねた。今、この瞬間ならどのような答えでも構わない。そう思える。

「俺はただ、見せびらかしたかっただけだ」

 恭一郎もまた、偽りなく応える。

「俺のそばに居てくれる奴が・・・どんなに可愛いかを・・・どんなに綺麗なのかを・・・見せびらかしたかっただけだ。みんなと・・・おまえ自身に」

「・・・・・・」

 愛里は張り裂けそうなほど鼓動する胸を片手で押さえ、囁く。

「何でもすると言ったな?」

「ああ。俺に出来ることは、全ておまえにくれてやる」

 即答に、微笑む。

「なら、二つ頼む。一つは・・・私に接近短打の技を教えて欲しい。掴まれて、押さえ込まれても使えるような奴だ」

「・・・こんな事は二度と起こらない。おまえは俺が護る。絶対にだ」

 ずっと夢想していた言葉。自分にはありえないと思っていた言葉。だが、かなえられた夢はそこで終わらなかった。

それでは、満足できない自分が居た。

「ありがとう恭一郎。でも・・・それでは、駄目なんだ」

「・・・俺では役不足か?」

 僅かににじむ悔しげな響きに愛里ははっきりと首を横に振る。

「違うんだ。私は・・・恭一郎を護りたい。恭一郎はみんなを護る人だから。恭一郎の事は私が護りたい。私はあなたのすぐ傍でにある、あなたの為だけの剣に、なりたい。護られるだけでは嫌なんだ」

「・・・・・・」

 恭一郎は何も話せないまま、ただ愛里を見つめ返す。

 愛里もまた、無言で返答を待つ。

 そして。

「覚悟しとけよ?」

 恭一郎は愛里の額をペチリと平手で叩いた。演じる事も、気負う事もなく、力の抜けた笑みを向ける。

「先は長いぜ。教えたい事ならいくらでもあるし、おまえで試したい事も山ほどあるんだからな?とことん、付き合ってもらうぞ」

「ああ。なんなりとこい!」

 ばんっと自分の胸を叩いて愛里は晴れ晴れと笑う。もう、涙やくやしさなど微塵もない。

「つぅか、なんかえっちだな。今の俺の台詞」

「!?・・・まさか、そういう意図が!?」

 ビクリと震えてこっちを見る愛里に、あぁ、葵が猫系ならこいつは忠犬系だよなぁ・・・などと失礼なことを考えながら恭一郎は重々しく頷く。

「期待してもらってるようなので、わりとそっちの方向性で」

「き、期待などするかっ!・・・まったく!」

「いや、なんつーか、気にするな」

 後は二人、ひとしきり笑い続けて。

「よし!そんじゃあまぁ、飯でも食いに行くか!」

「うむ!あ・・・それでだな、二つ目の頼みなんだが」

 さらりと言ってきた言葉に恭一郎はむ?と身構える。

「なんだ?」

 

『夕飯は、恭一郎の奢りでな。   中村愛里』

 

 

 気絶したままのチンピラ達をとりあえず身ぐるみはいで縛り上げ、全身に落書きをしたうえで路上に放り出してから二人はその場を後にした。

 駅前へと戻ってきた恭一郎は愛里を連れて一軒の店へと入る。

「ここのソーセージは旨いって知り合いが言ってたんでな。なんでも83点だとか」

「・・・そうか。それは何よりだ。何よりだが・・・」

 愛里はびくびくしながら恭一郎の袖を引っ張る。

「ここは・・・どう見ても居酒屋ではないのか?」

「そりゃ、居酒屋だよ」

 あっさりと言って恭一郎は店員に「2名な」と告げた。

「ああ、風間さん。いらっしゃい。おや?連れの方、いつもの方と違いますね。美人だってのは共通してますけど・・・」

「何で顔なじみなんだ!というよりむしろいつもの連れの美人とは誰だ!」

「・・・常連だからな」

 恭一郎は前半の分だけ答えて視線を微妙に天井のほうへと這わせる。露骨なごまかしに愛里はむぅと唸って目を細めた。

「まあ、いいがな。どうせ私なんて・・・」

「ああ、すいませんお客様。軽い冗談ですよ。いつも美人連れなのは本当ですが」

「・・・母親だがな」

 恭一郎は良く喋る店員をギロリと睨む。

「兄ちゃんよぅ、余計な口きいてる暇あったらさっさか席に案内して欲しいんだがなぁ?あぁん?」

「ははは、わかってますよ。こちらです」

 二人は店員に案内された席に座ってメニューを開く。

「ったく、あの餓鬼ゃあ・・・余計なことばかりベラベラと・・・」

「・・・妙に怒っているが・・・後ろ暗いところでもあるのか?」

「真逆。つうかそんなもん隠さねぇよ。たまに美樹やみーとは飲みに行くしな」

 それはそれで問題だと愛里は苦笑した。

「さて、何を頼もうか・・・」

「とりあえず飲み物からだろ。ちなみに、ソフトドリンク禁止」

 む、と唸った愛里に恭一郎は肩をすくめる。

「ま、よくわかんねぇだろうし・・・俺が適当に頼むぞ。つまみの方、見といてくれ。腹に溜まりそうな奴からな」

 言い置いて通りがかった女性店員を呼び止めた。

「注文いいか?生中とスクリュードライバー1つずつな」

「はい。お客さん、あからさまな潰し狙いですね?目薬とかいります?」

「・・・ここの店員は余計なこと言うマニュアルでもあんのか?」

 唸る恭一郎を眺めて愛里はきょとんと首を傾ける。

「潰し狙い?」

「はっはっは。何を言っているんだい?愛里君。スクリュードライバーはオレンジジュースの味がする飲み口軽やかなカクテルですぞ?」

 わざとらしく爽やかな笑顔。

あきらかなつっこみ待ちである、求めるリアクションはさしずめ、

『何を言うか馬鹿者!ウォッカベースでアルコール度が馬鹿高いシロモノではないか!私を酔い潰して何を企んでおるこの不埒者がっ!』

 と言ったところか。

だが。

「ふむ。それは美味そうだな。では、それを頼もうか」

「はい、かしこまりましたー」

 あっさりと愛里は頷いて見せた。店員はニヤリと恭一郎に笑いかけて去って行く。

「・・・ひょっとして、知らない?スクリュードライバー」

「?・・・今、説明は聞いたぞ」

 きょとんとしている表情は、何の裏も感じられない。

「あー・・・ま、いいか。おまえも肉体的には俺と同格だし、そう簡単にどうこうしねぇだろ」

「?」

 相変わらずわけがわからないという表情の愛里の前に店員が持ってきたオレンジ色の液体が置かれる。恭一郎の前にもジョッキがある。

「ま、とりあえず乾杯と行くか」

「何にだ?」

 問われて恭一郎はニッと笑った。

「俺と、おまえの明日に。気障っぽく」

「・・・まったく、おまえのノリはどこか古いぞ」

 苦笑しながら、しかしグラスを掲げる。

 

『乾杯・・・!   風間恭一郎』

『乾杯・・・!    中村愛里』

 

 

 そして、10分後。

「・・・さすが、神速の剣女神」

 恭一郎は思わず呟いた。

「む・・・にゅ・・・」

 視線の先には、テーブルに突っ伏した愛里の姿がある。ダウンして、睡眠中だ。

「普通・・・一杯飲み終わる前に潰れるか?おい・・・」

 恭一郎はカリカリと頭をかいて机の上に並べられた料理を適当に口へ放り込む。

「ま、らしいと言えば、おまえらしいけどよ」

 あっというまにジョッキを空け、おかわりを注文する。極度に発達した身体組織を持つ恭一郎の肝臓には、ビールなど水に等しい。

「俺と同じくらい人間離れしてんだから、こいつもアルコールへの耐性もあるはずなんだが・・・疲れてたのかもな」

 彼自身、疲れていた。行く先々で、起こす行動の全てで、なにかしらのトラブルやイベントが巻き起こる。まさに疾風怒濤、豪華絢爛な一日だったのだから。

 だが。その疲労は・・・

「心地いいって言うんだろ?こういうのはさ」

「ん・・・」

 問われて愛里の口から吐息とも声ともつかぬものが漏れる。まだ、目は覚まさないようだ。

「にしても、楽しかったぜ。最高だった」

 今日というイレギュラーを思い返して呟く。

 幼い頃から共に居た葵ではない。1年前の春、唐突に落下してきた自分と同質の美樹でもない。自分を監視し、それと同時に守っている御伽凪観衣奈でもない。

 その3人と比べれば共に居た時間で大きく劣り、その時間も半分近くは敵対していたと言っていい状況だった。

 だが。それでも・・・否、それだからこそ。

 進む道において、自分と同じ剣に全てを賭ける道を選んだ同道者に。

 戦いの場において、自分の全力を受け止めてくれるパートナーに。

 日常において、自分の無茶を受け止めてくれる少女に。

 その全てを満たす中村愛里が傍に居てもらえることが、これ程までに嬉しい。

「ちっ・・・何寂しがってるんだよ、俺は。一日が終わった程度のことだろうが。またこうやって出かけりゃ済む話だろうが」

 この一日は終わる。だが、自分が望めば・・・そして愛里が受け入れてくれれば新たな一日は始められるのだ。

 そして、気付く。

「・・・・・・」

 ならば。

もし。

もしも、この少女とずっと一緒に居られたならば。

「この日が、ずっと続くのか・・・?」

 それは、とても・・・

「・・・・・・」

 恭一郎は軽く苦笑した。彼の性格は、気付いてしまったそれを実行せざるを得ない。秘めておく事も、躊躇する事も出来そうにない。

 後のことなど知った事か。伝えずにいる、その方が痛い。

 だから。

「愛里。ちょっと起きろ」

 机に突っ伏して眠る愛里を恭一郎は揺り起こした。

「みゅ・・・」

 寝言か返事かわからない声と共に顔をあげた愛里にそっと囁く。

「愛里。好きだ」

「?・・・うむ・・・私もだ・・・」

 愛里は目の焦点の合わない寝ぼけた顔のままそれだけ呟いてまた机に突っ伏す。

「・・・・・・」

 沈黙。

恭一郎は思考回路が停止したまま、こっちを向いてる愛里のつむじを眺めて数秒を過ごした。

 机の上のから揚げを一つ皿に移して粉々にほぐし、その上にフレンチドレッシングとビールをかけてから口に運ぶ。

「まずい」

 当たり前だ。

「あー、なんだ。その」

 首を振り、通りがかった店員に手をあげてみせる。

「すいません。生中1つ」

「はい!」

 元気よく頷いて厨房の方へ消えた店員は数分で新しいジョッキを持って帰ってきた。

「生中おまたせしましたー」

 恭一郎の前にそれを置いて店員が去っていくのを見送って恭一郎は冷たい液体を喉へ一気に流し込む。

「うまい」

「なんだと!?」

 瞬間。それまで突っ伏していた愛里がバネ細工のような勢いで飛び起きた。

「な、なななな、なんだかさっき物凄い台詞が聞こえて凄まじい返答をしてしまったようなそうでないような!?」

「・・・?・・・まあ、落ち着け」

「落ち着いていられるかっ!人生の問題だっ!恭一郎今なんと言った!?」

 恭一郎はくいっと首を傾げてみる。

「うまい」

「その前は?」

「すいません。生中1つ」

「もっと前だ!」

「ここのソーセージは旨いって知り合いが言ってた」

「入店直後の台詞まで戻るな!数分前だ!」

「・・・生中1つ」

「またそれか!?」

 愛里は叫び、がっくりとうなだれた。

「いや・・・そうか・・・夢・・・か。なんと・・・都合のいい・・・残酷な・・・」

 肩を落とす愛里に向けて恭一郎は静かに微笑む。

「愛里。好きだ」

「ひゃん!?」

 途端にびくりと跳ね上がる愛里にもう一度。

「好きだ。本気で。冗談でもからかいでもない。剣と名と、その他もろもろに賭けて、おまえのことを愛していると断言できる」

 きっぱりと言い切って見つめてくる恭一郎に愛里は落ち着かなげに髪の先を弄り回し、顔ひとつすら見ることが出来ないでいる。

「し、しかし・・・その、神楽坂さんはどうするのだ・・・護ると言っていただろう?」

「護るさ。だが、始まりがどうあれ、今俺があいつを護ろうとするのは好きとかそういうものじゃない。俺はあいつの可能性を護りたい。あいつが何を為すのか見てみたい。その可能性が暴力で損なわれないよう、あいつが頼りに出来る剣士になろうと思う。だからこそ・・・おまえに傍にいて欲しい。戦うときもそれ以外も・・・俺がよりかかれる存在に居て欲しい。勝手な言い草だとは思うが、な」

 これまで味わった事の無い程の緊張と不安を無理矢理押し殺して恭一郎は正面から愛里を見つめ続ける。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 沈黙。やや俯いた愛里の表情は、よくわからない。

「・・・もう一度、言ってもらえるか?さっきの言葉を。今度ははっきりと、返事をさせて欲しい」

 その要望に恭一郎は深く頷いた。覚悟を決めて姿勢を正す。

「愛里、好きだ。俺と付き合って欲しい。出来れば一生涯・・・」

「・・・私のことが・・・好き。恭一郎が・・・私を。でも、私は・・・」

 俯いた愛里の声に恭一郎はぐっと奥歯を喰いしばって続きを待つ。

「私は!・・・もっと好きだ!大好きなんだ・・・!」

 そして愛里は堪えきれずに絶叫した。店中の目が集まるがそんなことに気を向ける余裕はない。必要も無い。

「何だ今頃!わ、わた、私がどんなに強く想っていたか!どんなに前から好きでいたか!知らんとはいわせんぞ風間恭一郎!朴念仁!目隠し誘蛾灯!ほんとに、あれだぞ!非道いぞ!こんなに待たせて・・・嬉しいではないか!」

 叫び散らされす言葉に恭一郎は口を挟もうとし、思い直してやめた。

 誰よりも遅かったのは確かだ。愛里の想いに気付くのも、自分の気持ちを自覚するのも。

「・・・泣くなよ」

「泣くに決まっているだろうが!こんな時に他にどうしろと言うのだ!」

 常の凛々しさをかなぐり捨てて愛里はボロボロと涙を流す。服装と相まって幼子のように見えた。

 恭一郎は一つ頷き、愛里の頭を抱き寄せる。それだけの動作に全身の勇気を振り絞って。

「じゃあ、好きなだけ泣いたら・・・その後、笑ってくれると嬉しい」

「・・・うん」

 

 

『その後は・・・ずっと・・・   中村愛里』

 

 

 そして、10年以上の時が過ぎ。

 

 

「では、正面に向かって礼!」

「先生ありがとうございましたー!」

 凛とした号令に元気の良い声があがった。

 龍実町、虎ヶ崎市よりにある剣道道場。うららかな土曜の午後のことである。

「せんせーっ!技っ!技見せてー!」

「あーっずるいぞ!ボクがフォーム修正してもらうんだ!」

「昔の話聞かせてー!」

 途端、礼もそこそこに子供達は彼らの師へと殺到した。

「こらこら・・・そんなにいっぺんに来られてもどうしようもないといつも言ってるだろうに」

 師は・・・愛里はそう言って苦笑する。

「だってせんせー来週はまた留守でしょ?」

「うむ。道場はあけとくから、きちんと鍛錬するんだぞ。土日にはエレンさんが指導に来てくれるそうだしな」

 子供達は、はーいと元気よく答えて再び口々にしゃべり始めた。

「でもやっぱ技見たーい!」

「そうそう!せんせーの技、かっこいいもん!」

「先生、最強ーっ!」

 生徒達の声に愛里は苦笑した。

「待て待て、最強が見たいなら師範に頼めばよいだろう。私は師範代だぞ?1ランク下だぞ?」

「えーっ!だってさぁ・・・」

 その言葉に反論が・・・しかも一斉に巻き起こる。

「道場に居てもだらだらしてるだけだし」

「態度大きいし」

「まともに教えてくれたこと無いし」

「カレーが辛口だし」

 最後のは関係ないだろうとつっこみをいれて愛里は首を振った。胸を張り、誇らしげに口を開く。

「最強と言うならばあの人だと、少なくとも私は信じてるよ。事実、日本が世界に誇るボディーガードでもあるわけだし、神楽坂無双流の継承者だし、なにより・・・私の旦那様なのだぞ?」

「いや、それこそ関係ないぞ愛里・・・なんか可愛いから俺的には満点だが」

 答える声は、子供達の背後からだった。振り返ればそこに、外向きにはねた髪と凶悪な目つきの男が立っている。

「あ、きょーいちろーだ」

「おかえり恭一郎〜」

「・・・仮にも自分が通ってる道場の主を呼び捨てとはいい度胸だなキッズども」

 言葉とは裏腹ににやっと笑って恭一郎は子供達の髪を一通りくしゃくしゃと撫ぜまわし、愛里に目を向ける。

「よ。ただいま、愛里」

「おかえりなさい。旦那様」

 にっこりと微笑む愛里に恭一郎はカリカリと頭を掻いた。

 大学2年のときに色々あって同棲。同居人が増えたり減ったりしながら5年目に結婚。今年で丸二年が過ぎているわけだが・・・

「その呼び方、なんとかならんのか・・・」

「結婚した時に呼び方は好きにして良いと約束しただろう?他のことでは、その・・・色々と譲歩しているのだからな。大目に見ろ」

 色々の部分で何故赤くなったのかは二人だけの秘密だ。

「ま、まぁいいけどよ・・・で?またなんかキッズどもにわがまま言われてんのか?」

「いや、どちらかと言えば私の要望だな。そろそろこの子達に見せてやってもいいのではないか?『私達』の戦いを」

 恭一郎は片方だけ眉をあげて小さな驚きを表し、数秒して頷いた。

「そうだな。ここを開いたときから居る奴らはもう2年目だし・・・そろそろ、剣術見てすぐに引きずられることもねぇか」

 呟いて恭一郎は背負っていた袋を手に取り、スッと一振りした。中から現れたのは、当然木刀・・・神楽坂護宝刀たる、『刃』の剣である。

「ああ。それに・・・あの時の恭一郎のように自慢したい気分なのだ。私の自慢の・・・旦那様をな」

 道場の上座に飾ってあった二本の木刀を手に愛里は恭一郎と向かい合う。

 元々一本だった木刀を小太刀サイズの二本に分けたそれは恭一郎の師が結婚祝いにと作ったもの。名は、護宝刀『人』。

「せんせー、がんばれー!」

「恭一郎〜死ぬなよ〜!」

 子供達の応援を耳に二人は構えをとった。間合いはきっちり9歩分。

 出会ったあの頃と変わらぬその距離。

 だが、触れ合った心にもはや隔てる距離は無い。

「神八式・神楽坂無双流継承者。風間恭一郎」

 恭一郎は自然体のまま、空の左掌を前に、右の刀をやや後ろに構える。

「神楽傍派・風間無双流宗家。風間愛里」

 やや前傾に、二本の刀を抜刀の形に構える。

 佇む二人の周囲には素人の子供たちにすら感じ取れる圧倒的な支配感。剣気と呼ばれるそれの濃さは今まで生徒達が見たことの無いものだった。何度かやってきた道場破りをあしらったときなど、比較対象にすらならない。

 たとえ数百メートル先から狙撃されても避けられるのではないかというほどの空気を纏いながら、それでも互いの顔に浮かぶ微笑。

こうやって向き合えば、ただそれだけで全てが伝わる。刃と心で繋がっているが故の、絶対的共感。

他の誰と戦っていても、どんな手段を使っても伝わらない肉体言語とも呼べる思いの交感を味わいながら二人はゆっくりとその身に力を溜め込み・・・

「いざ、尋常に・・・」

「勝負・・・!」

 同時に繰り出された木刀が触れ合う高く澄んだ音。かつて少女と少年はそれを何度と無く響かせ、今もまた何千、何万回目のその音が鳴り響いている。

 たぶん、ずっと。

「無双閃技・・・連ね百合華っ!」

「無双天技ぃっ・・・乱れ蒼天っ!愛してるぜ愛里ぃっ!」

「こ、こんな時にしかも生徒達の前で叫ぶな・・・きゃああああああ!?」

 

 

 ・・・まぁ、ずっと続けるのだろう。そんな感じで。

 勝率が五割に近づくのは、まだまだ先のようである。

 

 

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