「む?」
中村愛里はいつものように剣術部練習場に顔を出していた。
本業である剣道部の練習の休憩時間を利用してのこの訪問を本人は敵情視察と称してはいたが、部長同士の関係が完全に修復された今剣道剣術両部の関係はそこそこ良好だ。
にもかかわらずこそこそと出かけていく理由は・・・
「風間恭一郎はどうした?」
その一点にあることを隠せていると思っているのは本人だけだったりする。
「おにょ?愛里さん。昨日聞かなかった?今日は恭一郎休みだよ?」
美樹は缶コーヒーを片手にのほほんと答える。
「な・・・び、病気か何かか!?」
「ううん、恭ちゃん実家から呼び出されちゃったの」
困ったような表情で答えながらも葵の手は芸術的な動きでお茶を入れる。はっきり言って手先は不器用な葵だが、気の遠くなるような反復練習の結果これだけは上手い。
無論、根気よくその練習に付き合った恭一郎が達人であったからでもある。
「実家か・・・そういえば私はきょ・・・風間の家のことはよく知らんな」
愛里は呟きながら葵達がくつろいでいるちゃぶ台の近くに座った。礼を言って葵から茶を受け取る。
「ほうほうほう、そだね。簡単な儀式さえ済ませてくれれば教えてあげるけどなー?」
「・・・儀式?」
眉をひそめる愛里の耳元に美樹は口を寄せた。
「愛里さんもコクったんでしょ?恭一郎に。その様子をちょーっと教えてくれさえすればいーわけよ」
「!?」
愛里はビクンと硬直した。
「・・・ひょっとして、マジで気付かれてないとか思ってたの?」
美樹の問いにガクガクと首を振る。
「んなわけないっしょ?特にこの恋愛魔術師みらくる☆みきりん!にはお見通しよ?」
「・・・天野さん、そのネーミングセンスはどーにかした方が良いと思うが」
愛里は軽くため息をついてからちらりと葵の方を見た。
「?」
のほほんとお茶をすすっていた葵がきょとんと首を傾げる。
「エレン!葵ちゃんの耳、ふさいどいて!」
「・・・何故私が?」
察した美樹がパチンと指を鳴らすと、それまで黙々と素振りを続けていたエレンが渋々と言った様子で葵の後ろに回り込んだ。
「わ?何?何?」
「・・・下の耳で、良いのだろうか?」
猫耳にちらりと目をやってから耳を両手で塞いだのを見届けてから愛里は美樹の耳元にぼそぼそと囁きはじめた。
「ふんふん・・・ほおほお・・・なぬ!?」
「わ、なんか美樹さんが驚いてるよー」
真っ赤な顔の愛里と大げさな反応を繰り返す美樹に無音の世界に放り出された葵は首を傾げる。
「うそ!?すご・・・あ、エレン。もういいよ」
「・・・考えてみれば、側室ごときにあごで使われる私は一体・・・」
ぶつぶつ言いながらエレンは葵の耳から手を離した。
「いやあ、愛里さんって以外と大胆」
「う゛・・・だ、大胆とか言うなっ!それとこの事は・・・」
「はいはい。お墓までひっそりと持って行くわよ。んじゃまあ、あたしが知ってる範囲できょういちろーの家の話をしましょかね」
「よく来ましたね恭一郎」
「・・・・・・」
むやみやたらと大きなテーブルの向こうに座った老女を恭一郎は無言で睨み付けた。
「こ、ここにきてくれたということは・・・私のもとに来てくれるのよね?」
その隣でいかにも気弱な笑みを浮かべる女性の言葉を、恭一郎も老女も聞いてはいない。
「何か言ったらどうです。恭一郎」
「・・・老けたな」
凶悪な笑みと共に放たれた言葉に老女の顔が怒りに染まる。
「一族の長に何という口を!妾の子の分際でこの四井滝乃にそんな口を!」
「お、お婆さま・・・落ち着きになられて下さい・・・あなたも挑発などしないでください!」
思わず立ち上がった四井紀香を滝乃は乱暴に振り払った。
「お黙りなさい!私に口答えなど許されるとでも思っているのか!あの馬鹿息子はろくな子種を残さん!退室しなさいっ!」
ヒステリックに叫ぶ滝乃、うなだれて部屋を後にする紀香。ただおろおろするばかりの女・・・つまりは紀香の母である澄香。
恭一郎は笑った。
笑うほかに、する事を思いつかなかった。
『ここは・・・行き止まりだな。ここには何もない。 風間恭一郎』
「そうか・・・恭一郎も大変なのだな・・・」
しみじみと呟いて愛里はお茶をすする。うまい。
「まあ、あいつのことだし、ただじゃすまさないでしょーね。わざわざ出向いたのも、四井家にはいるのが云々じゃあないでしょーしね」
「・・・四井民夫さんは悪い人じゃなかったんだけど・・・」
葵は呟いて視線を落とした。
「お、おほん・・・中村殿。ひとつ乱取りでもいかがか?」
暗くなった雰囲気にエレンはわざとらしい咳払いをしてみせる。
「・・・うむ」
それをくみ取った愛里は竹刀を片手に立ち上がり練習場の中心に立った。
左手の小手を軽く直し竹刀を構える。
「・・・勝負!」
一声叫んで乱取りをはじめた二人を眺めて美樹は冷蔵庫から出した二本目の缶コーヒーをプシッと開ける。
「しかしまぁ・・・暇ね。こういうときなのよねー。あたし達って恭一郎に寄りかかって生活してんだなって感じるのは」
「そうだね。恭ちゃんってトラブルを引き寄せる体質だから」
のんびりと呟く葵に美樹は苦笑した。
「そだね。火のないところに火種を作るっていうかなんつーか」
「お父様は対岸の火事を爆破しに行く奴だって言ってたよ」
顔を見合わせ、二人してくすくすと笑う。
その時だった。
「た、頼もぉっ!」
若干情けない声が練習場内に響きわたった。
「何奴っ!」
こういう展開の好きなエレンが嬉々として叫ぶと同時に一同は一斉に入り口に視線を向ける。
「小太刀部1年、二階堂健太・・・けけけ剣術部部長、六合剣聖風間恭一郎に勝負を挑む!」
その視線の収束地で胴着姿の小柄な少年が精一杯胸を張っている。左手に握られているのは幼く可愛らしい顔に似合わぬ鋭い刃。通常の刀よりも短く脇差しよりも長い小太刀だ。
「道場破り・・・?」
愛里が呟いた。
「わ、あれって真剣」
葵が目を丸くする。そして美樹が・・・
「か、可愛いっ!」
目を輝かせて少年に飛びかかった。
「あ、あわわ!?」
その勢いにぎょっとした少年に飛びつき美樹は少年の小さな頭を抱きかかえる。
「かわいっ!かわいっ!わ!髪の毛さらさらだ!」
「わ!ちょ!やめてください!」
少年はジタバタするが体格でも腕力でも負けているので抱きしめる美樹の手は小揺るぎもしない。
「ん〜!らぶりぃ〜!」
「・・・側室・・・おまえはショタコンだったのか?殿への背信だぞ!」
エレンのあきれかえった声に美樹はぶんぶんと首を振る。
「それとこれは別〜だってこの子むっちゃらぶりぃやん!部屋にかざっときたいわー」
「し、失礼な!僕は・・・」
「うきゃーっ!僕だって!かわいー!」
美樹の抱きしめる腕に更に力が入り少年の顔に焦りが濃くなる。
(死ぬのか・・・僕は?・・・こんなよくわからない状況で絞め殺されるのか?)
一瞬覚悟を決めかけたとき、
「えい」
しゅびっ。
無感情な声と共に美樹の首筋に鋭い手刀が振り下ろされた。
「はう!?」
美樹はちょっとのけぞってズルズルと崩れ落ちる。
「あ、みーさん!こんにちわー」
「うん。葵、きょうも超らぶりぃ」
葵の挨拶にみーさんは美樹の襟首を掴んでぶら下げたまま小さな笑顔を浮かべた。
「た、助かった・・・」
少年・・・健太は安堵のあまりその場に座り込んでしまった。
「あれ?」
ふと気付けば、しっかり握っていたはずの小太刀が無い。
「さがしてんのってこれかなぁ?」
脳がずれたような衝撃から立ち直った美樹はどさくさに紛れてもぎ取っていた小太刀をひらひらともてあそぶ。
「あ!か、返せ!」
少年は慌てて小太刀に飛びつくが172センチの長身を誇る美樹が高く掲げたそれに届かずぴょんぴょんと跳ね回る。
「ほーっほっほっほー!ほぅら、取ってごらんなさーい!」
「う、うう・・・」
涙目で精一杯ジャンプする健太と高笑いをあげながらそれをかわす美樹。
「・・・虐めだ」
「・・・虐めだな」
「・・・わりと虐め」
愛里達はそれを眺めてため息をつき、葵は苦笑をもらす。
「・・・何故四井の名を継がないのです。何が不満だと?」
滝乃の言葉に恭一郎は皮肉気な笑みを浮かべた。
「あえて言うなら全部だ」
「な、なんでなの恭一郎ちゃん・・・お勉強する事は多いかもしれないけどかあさまも出来る限り手伝うから・・・」
澄香は涙ぐみながら切々と訴える。威圧的な滝乃とは逆の態度だが、恭一郎にとっては気にくわないという点でどっちもどっちだ。
「悪いが澄香さん。俺の母親は風間観月だし俺は風間恭一郎だ。遺伝子は四井民夫から貰ってるかもしれないがあんたとは関係がない」
「そ、そんな・・・」
澄香の瞳から涙が落ちる。純粋培養のお嬢様で『家』の為に何の疑念もなく嫁いだ女性。それは葵が辿るかもしれなかったもう一つの姿でもあり・・・
『哀れだとも、思うがな・・・ 風間恭一郎』
「んで?なんだっけ?」
いい加減健太を苛めるのにも飽きた美樹はちゃぶ台の近くに座りながらそう尋ねてみた。
「うう・・・その前に刀を返して下さい・・・」
涙目で訴える健太に美樹は苦笑を漏らす。
「あ、あはは・・・ごめんごめん・・・」
ようやく帰ってきた愛刀をいとおしげに鞘に戻し健太はため息をついた。
「やっぱり僕は駄目なんだ・・・六合剣聖どころかその辺の一般人にまでこんな軽くあしらわれちゃって・・・」
「うん。わりとよわよわ」
みーさんのつっこみに健太はずーんと落ち込む。
「ところでなんなの?その六合剣聖って?」
美樹の問いに、お茶を飲んでいた愛里がうむと頷いた。
「六合学園内の剣士の頂点に立った者に与えられる称号だな。別に誰が認定するわけでもないんだが稲島主将が全国大会優勝と辻試合100勝無敗を達成したときに誰からともなく六合剣聖・・・たしか18代か?と呼びはじめてな」
「ということは、それを破った殿が19代と?」
「そうなんですっ!」
エレンが言った途端健太がばっと首を起こす。
「ですからその風間恭一郎を倒せば僕も!」
言いかけてまたがくーんとうなだれる。
「と思ったんですけど・・・」
「あたしにすらかなわないっぽいしね」
美樹の追い打ちにうなだれた頭が更に低くなった。
「うーん、でもさっきのは剣と剣の勝負じゃないし、恭ちゃんも素手だとあんまり強くないし・・・」
葵は苦笑しながら何とかフォローを入れる。
「そうだな。よし。二階堂とやら!殿に成り代わり剣術部壱の太刀、エレン・ミラ・マクライトが汝の力、確かめてやろう!」
「え・・・は、はいっ!」
落ち込んでいても一応道場破りのプライドは砕けきっていなかったのか健太は勢いよく立ち上がり、それから情けない顔になった。
「だ、だめですよ・・・僕の小太刀は真剣です。その、顔とかに傷が付いちゃったら・・・」
「わおっ!健太君やさしー!」
はやしたてる美樹にひと睨みして見せてからエレンは健太に厳しい顔を向けた。
「我が剣も木刀だ。当たれば肉が裂け骨を砕く。我らは上品な剣道部にあらず。実戦にて負けられない勝負を・・・何かを護る為の戦いをする為の剣術家の砦!真剣大いに結構!」
芝居がかった台詞に『上品な』剣道部の副主将である愛里が苦笑をもらす。
「だが、やりづらいと感じていては実力は出せないぞ」
「うん、ていうか、風紀委員権限によりこの勝負に致傷武器は使用禁止」
ガクガクと頷きみーさんは制服の背中からごそごそと竹刀を二本取り出した。片方はちゃんと小太刀サイズだ。
「これでやる、よい」
「・・・あの、今どこから?」
怯えた目の健太に無理矢理竹刀を渡しみーさんはエレンにも竹刀を放った。
「殿・・・殿より賜りし宝剣、地に置くことをお許し下さい・・・」
言いながら木刀を隅に置き、エレンはヒュンッと竹刀を振った。
「少々軽いがまあいい。来い少年!」
「い、行きます!」
健太は竹刀を構え、ゆったりとしたすり足で間合いを詰める。
「でもさ、あんな短いやつで長い剣に勝てるの?」
美樹はそれを眺めながら隣の愛里に問いかけた。
「うむ。常識的にはリーチの差は即戦力差につながる。狭いところや混戦時なら短い方が有利だがこのような一対一の道場試合ならば竹刀に小太刀丈の竹刀では勝てない・・・と、昔の私なら言っただろうな」
きょとんとした美樹に愛里は笑みを向ける。
「やり方次第だということだ・・・ほら」
エレンが、先に動いた。リーチにものを言わせて鋭い面打ちを放つ。だが。
「たぁっ!」
同時に健太も動いていた。小さな体が床を蹴り、半身になったままひと跳びでエレンの間合いへ・・・そしてその内側へと飛び込む。
「何っ!?」
ぎりぎりでエレンの斬撃は健太を外れ、そのエレンの喉元にほぼ密着から健太の小太刀が迫る。防ごうにも竹刀の長さがじゃまになって腕が回らない。
「このように、機動性を生かせば刀は振れず小太刀は振れるという状況を作ることは可能だ。ふつうの剣道家ならこれで終わりだが・・・」
「甘い!」
愛里の解説をかき消すようにエレンは叫んでいた。背後に倒れ込んで剣閃を回避し、そのまま床に左手をつく。
「倒ッ!」
その左手を支点にエレンの体が美しい円を描いた。一撃必殺の攻撃をかわされて隙だらけの健太の足に強烈な足払いが決まる。
「わ!わぁっ!」
情けない声と共に床に倒れた健太と対照的にエレンはひらりと立ち上がり健太の胸を足で押さえつけて首筋へ竹刀の切っ先を突きつける。
「勝負ありだな。物言いはあるか?」
久々の勝利に満足げなエレンとは対照的に健太はぐったりとうなだれて首を振った。
「僕の・・・負けです。完敗ですよ・・・」
エレンに助け起こされても健太は元気なく俯いたままだ。
「やっぱり・・・僕じゃ駄目なんですね・・・」
呟く台詞に愛里が首を傾げる。
「まだ一年だろう?これから強くなれば良いではないか。私など約二年かけてようやくきょうい・・・風間に剣を当てられる程度だぞ」
「・・・愛里さん、誤魔化しきれてないから無理せず名前で呼んじゃえば?」
美樹は小さく呟いてから健太に視線を移した。
「なんか恭一郎に恨みでもあんの?」
「そういうわけじゃないんですけど・・・その・・・」
口ごもった瞬間に指をわきわきさせてみせる美樹を見て健太はビクッとして後ずさった。
「言います!言いますから苛めないで!」
「あう、なんか予想以上に怯えさせちゃってるー」
顔を引きつらせる美樹に変わって葵が健太に近づいた。
「ねぇ健太君。ちゃんと話してくれないかなぁ?私たちあなたの先輩に告げ口とかしないから」
「どういうことですか?北の方」
ふにゃっとした笑みを浮かべる葵にエレンは首を傾げてみせる。
「小太刀部って聞いてから気になってたの。たしかあそこは最近成績が良くなくって、この前の予算争奪戦でも酷い結果だったらしいの」
「ははぁん・・・」
美樹はにやりと笑った。
「それで名をあげるために恭一郎を・・・でも、小太刀部ってそこまで層が薄いの?一年生を刺客にすることもないでしょうに」
「・・・駄目で・・・もともとなんです」
健太の呟きに視線が集まる。
「先輩達はあまり練習もせずに僕たちを虐めて・・・今回も僕が勝てれば良し、勝てなかったら一年生全員練習場の回りを4000周だって言って・・・」
「えっと、小太刀部の練習場は宮本武蔵同好会と同じ所だから・・・一周だいたい250メートル、全部で約1000キロメートルだよ」
葵の暗算に美樹はくらっと来た。
「・・・根性じゃ、ちょっと走れる距離じゃないわね」
健太は俯いた。床にぽたぽたと涙の染みができる。
「僕は・・・勧誘週間の時に見た演舞に憧れて小太刀部に入ったのに・・・凄かった3年の先輩は夏に一足早く引退しちゃって今は・・・僕はもっと強くなりたいのに・・・」
「なればよかろう」
涙ながらの台詞をエレンはばっさりと切り捨てた。
「上が駄目なら倒してしまえば良い。倒幕だ!維新魂を持つが良い!」
「そ、そんな簡単に言わないで下さい!先輩は先輩なんですから・・・!」
むっとしたような健太にエレンはふんと胸を反らす。
「その程度の覚悟ならばおとなしく虐められておるのだな。どうせろくな剣士になれん」
「マクライトさん、少し落ち着いて」
愛里は苦笑しながらやんわりとエレンをたしなめた。最近優しくなったと評判の彼女である。
「しかし二階堂君。君の態度も少々問題がある。男子たるもの常に強く優しくあらねばならん」
腕組みなどしている愛里に美樹は意地の悪い笑みを浮かべた。
「恭一郎みたいに?」
「そうそう・・・じゃなくてだ!」
真っ赤になった愛里ににまーっと笑ってから美樹はカリカリと頭をかく。
「でも実際の所ひどいよね。いじめ、かっこわるいよ」
「・・・やるか?」
エレンは呟いて木刀を握りしめた。
「・・・殺るよ?」
美樹は頷いてバットを握る。
「え、えっと、取りあえず殺っちゃうのはまずいよ・・・」
「美少年をいぢめるやつは美樹ちゃんようしゃしないしなーい!」
盛り上がる剣術部(他二名)一同を眺めて健太はぱちぱちと目をしばたかせる。
「あ、あの・・・やっちゃうとおっしゃられますと?」
怯えている。
「ん?根性が腐ってるみたいだからちょっと斜め40度あたりから殴れば直るかなって」
「ば、馬鹿なこと言わないで下さい!」
「だが、おぬしも我らが剣術部に乗り込んできたではないか」
エレンのつっこみに健太は頭を抱えた。
「でも・・・そこまでして貰うわけにもいきませんよ・・・」
「あはは、何言ってんのよ」
美樹はカラカラと笑う。
「あんたも戦って貰うわよ?現部長をあんたが倒すの」
「は?」
ポカンとした健太の鼻先に美樹はびしぃっと指を突きつけた。
「ズバリっ!下克上っ!」
「何度も言わせないで下さいよ!相手は先輩なんですよ!?」
「それがどーしたのよ」
美樹は涙ながらの訴えを聞きもしない。
「先輩だろうが先生だろうが何をしても許されるって訳じゃないわ。そして、それが許されているなら・・・それを黙って許しちゃってるあんた達にも問題があるの」
鋭い声に萎縮してしまっている健太は反論できない。
「だから、あんたは戦わなくちゃいけない。ここに来ちゃったんだから・・・剣術部にのりこんできちゃったんだから。ここは、前に進むための場所だから」
「・・・はい」
圧倒されたように頷いた健太に美樹はニカッと笑う。
「大丈夫!あたし達がついてるって!知ってる?風間恭一郎って伝染るんだよ?」
『こら!殿を病気みたいに言うな! エレン・M・M』
『ね?あんな風に。 天野美樹』
四井邸、応接室の空気は冷たく、限りなく刺々しい。
「恭一郎」
憎々しげに顔を歪め、滝乃は鼻を鳴らして見せた。
「・・・はっきり言いいますがね、私はおまえが気に入りません。こんな事態にならねばおまえなどとは一生顔も合わせたくはなかった」
「・・・奇遇だな。俺もだよ」
恭一郎は冷笑とともにそっぽを向く。
「そ、そんな・・・二人とも、そんな言い方は・・・」
弱々しく止めに入った澄香に滝乃は鋭い平手打ちを放った。ピシャンという鋭い音に恭一郎の目がすっと細くなる。
「お黙りっ!第一おまえがそんな体にならなければこんな事にはならなかったのですっ!たった一人しか子を為せずに病などにかかりおって!」
澄香の美しい顔が悲しみに歪んだ。
「しかもその子供も女だ!役立たずめ!役立たずどもめ!」
「いい加減にしろよ婆さん・・・」
恭一郎の声が低くなった。
「婆さん!?」
「なんだ?不満でもあるのか?70歳こえりゃあ誰がどう見ても婆さんだろうが」
顔をどす黒く染めて叫ぶ滝乃とは対照的に恭一郎の声は静かだ。
「口を慎みなさい恭一郎!誰に向かって・・・」
キンキンと叫びたてる滝乃の声をピシッという裂音が遮った。
「誰だと?決まってる。物わかりの悪い馬鹿老人だ」
立ち上がるためにテーブルについた手が頑丈な樫にヒビを入れたのだ。
「よくもまあここまで腐りきったもんだぜ。誰にも反対されることなく膨張した自我って奴はここまで汚らしいんだな」
「恭一郎・・・いくら後継とは言えこれ以上の暴言は許しませんよ!」
滝乃の怒声は、しかし恭一郎の顔の筋一つ動かさない。
「澄香さん、あんたも悪いんだぜ。この婆さんをここまで増長させちまったのはあんたと・・・あの馬鹿男のせいだ。あんたらが甘やかすからこんな事になる」
「恭一郎!貴様!」
「黙れ!俺は澄香さんに聞いている!」
ついに放たれた恭一郎の怒声に滝乃は反射的に口をつぐんでしまった。恭一郎の声にはそれだけの威力があったのだ。
もし口を開けばそのまま殺されそうな怒気・・・否、むしろ殺気が。
「わ、わたしは・・・」
澄香は泣きそうな顔でおろおろと恭一郎と滝乃を見比べる。
「あんたはものを言ってもいいんだ。あんたはこの家に買われたんじゃない。この家の一員になったんだろう?・・・人の気持ちを察する優しさを、顔色をうかがう卑怯さにしてしまう必要など、無いんだよ」
恭一郎はすがるような視線に笑みで答えた。
「恭一郎・・・わたし、いいの?」
「・・・俺は、風間恭一郎だ。あんたの子供じゃない。だが・・・あんたの友達になら、なれるかもしれんない。味方にもなれる。恐れるな。俺がついている」
「おまえに何が出来る!風間だと!?そんな名前に何の意味がある!たった一人でこの四井家に何が出来る!?」
力強い言葉に、ようやく硬直から覚めた滝乃はあざ笑う声を上げる。
「全てを」
それに答える恭一郎の言葉は簡潔だ。
「たのもーっ!」
美樹は陽気に叫びながら小太刀部の扉を蹴り開けた。
「な、なんだ!?」
襲撃を予想もしていなかったらしい小太刀部の練習場では一年生5人が泣きながら腕立て伏せをさせられているところであった。
一人はもうつぶれてしまったらしく動かないし
「みんな!」
悲痛な声で叫ぶ健太の横を疾風のような動きで愛里とエレンが駆けた。
「殿直伝、神楽坂無双流風牙ノ剣!」
「えっと・・・二重鳳翔!(今命名)」
そもそも実力で圧倒的に劣る上に奇襲を受けた小太刀部員はほとんど太刀を合わせることも出来ず二人の剣戟のもとへ沈んでいく。
「な、なんなんだ一体・・・」
数秒で2年部員8人と3年部員3人を倒されて、小太刀部部長は口をパクパクさせた。
「ほれ、健太君!」
美樹にぽんっと背中を叩かれて健太は半ばやけくそ気味に息を吸い込む。
「小太刀部一年、二階堂健太っ!先輩方の横暴、もはや見逃し難くここに見参っ!」
エレンの考えた台詞を大声で叫んだことで踏ん切りがついたのか、あるいはキれてしまっただけなのか、健太はそれなりに引き締まった顔で腰から例の竹刀を引き抜く。
「僕が勝ったら3年生は即時引退して・・・僕に部長を譲れっ!」
「んだと!?」
部長はエレンと愛里をじろりと睨みながら竹刀を握った。両手に一本ずつ、小太刀の二刀流である。
「見たことあるぞ・・・てめぇら剣術部だな!」
「いや、私は剣道部なんだが・・・」
愛里の困ったような呟きを部長は聞いていない。
「二階堂!部のために風間の首を取りに行ったおまえが色仕掛けで寝返るとはな!」
「僕は部のために戦ったんじゃない!僕の友達のためだ!今の先輩達は遊んでるだけじゃないか!こんな部活のために僕は戦わないよ!」
健太はひとかたまりになって不安げな視線を投げかけてくる一年勢に力強く頷きぎゅっと竹刀を握り直した。
「OK!みーさん!」
美樹が呼ぶと、音もなく天井からみーさんが降ってきた。
「うわっ!?」
悲鳴を上げる小太刀部員達に構わずブレザーの中から赤と白の旗を出す。
「風紀委員権限で、この試合を小太刀部の部長権限争奪戦と認定。負けを認めるか、死にそーなら負け」
「糞っ!なんなんだこいつらは!」
部長は吐き捨てるように言って健太に向き直った。
「二階堂!俺に勝てる気か!?」
「勝つ!一生懸命やって来たんだ!絶対に勝つ!」
『・・・じゃあ、はじめ。 御伽凪観衣名』
「全てですって?」
あざ笑う滝乃に恭一郎も凶悪な笑みを浮かべる。
「そうだ・・・おい!紀香!ドアんとこに居るだろう!入ってこい!」
叫ぶ声と同時にドアがガタンと鳴った。そして、おそるおそるといった調子で紀香が入ってくる。
「紀香、私は部屋に戻れと言ったはずですが!?」
「あ、あの・・・退室しろとしか・・・」
おどおどと答える紀香に滝乃は血管も切れよとばかりに顔を歪めた。
「お黙りなさいっ!この私の言葉を疑うのですか!」
「い、いえ、でも・・・」
口ごもり、だが意に従おうとしない紀香に滝乃の苛立ちがつのる。
「なあ紀香。おまえ、俺と来いよ」
「え!?」
思いがけない台詞に紀香だけでなく全員が驚いた。
「ここに居たってゆっくりと腐って行くだけだ。当分の間、うちで暮らせよ」
「な、何を馬鹿なことを!私はあなたとは違う!名門四井を・・・四井を・・・!」
言葉に詰まりパクパクと口を開け閉じする紀香に恭一郎はゆっくりと首を振る。
「おまえはここしか知らない。選ぶ余地のない選択肢などないも同然だろうが。外で暮らして、尚おまえがそこの婆さんの言うとおり生きるって言うんなら俺はそれ以上止めない。今のままじゃ・・・おまえは四井家の人間ですえらねぇぜ?」
紀香は苦しげに顔を歪めた。
「何故・・・何故そんなことを私に言うのです・・・何故・・・今になって・・・」
「何故、か。何故かと言われれば、それは俺がおまえの兄だからだ。半分でもな」
恭一郎はニヤリと笑い、硬直している紀香に頷いてみせる。
「そして、何故今かといわれれば・・・俺もまた、様々な人に支えられてるってわかったからだ。おまえにも一人くらい支える人間が居てもいいと思えるようになった」
紀香から澄香、そして滝乃へと視線を移す。
「もう、俺にとって四井家なんてもんはどうだっていい存在だ。だから、躊躇う必要が無くなった。来いよ紀香。本当に四井紀香になりてぇんなら、俺と来い」
手をさしのべられて、紀香は泣きそうな顔になった。
願いが叶う。昔から・・・家政婦から噂話で聞いてからずっと、お兄ちゃんと一緒に暮らしたかった。もっといろんな事をして遊んでみたかった。箸の上げ下げに至るまで規則で縛られた生活からも抜け出せる。でも。
でも、本当に?
紀香にとって願望とは厳格なる祖母の許可を得なければ意味を持たないものだった。祖母が首を振れば、どんなに泣いてもどんなに頑張っても願いは消え去るばかりだった。
そっと、滝乃の顔をのぞき見る。
「紀香・・・馬鹿な事を、考えてるのではないでしょうね?」
祖母はこれまで見たことのない程の怒気を帯びた視線で紀香を串刺しにする。
「・・・私は・・・」
紀香は吐息と共に呟いた。
駄目だ。
私には、無理だ。祖母に逆らう勇気など・・・
目の前が真っ暗になりそうな絶望と共に拒否の言葉を吐こうとした、その瞬間。
「紀香ちゃん、いいのよ」
澄香の柔らかな声がそれを遮った。
「澄香!黙りなさい!」
滝乃の怒声を無視して澄香はしずしずと紀香に歩み寄る。
「紀香ちゃんは自分の思うようにしていいの。15年間もいい子にしていてくれたんですもの。紀香ちゃんのお願いなら、かあさまが全部かなえてあげる・・・」
「・・・おかあさま?」
紀香はキョトンとした目で自分を抱きしめてくれた人を見上げる。
実の娘にしてはじめて、四井澄香という人物が自分の意志で何かをしたのを見たのだ。
「澄香っ!」
悲鳴のように甲高い叫び声に澄香はゆっくりと振り返った。
「この子は私の娘です。四井家の人形ではありません・・・もう、口を出さないで下さい!」
「何という暴言!何という不敬!もはや子も作れぬ役立たずの嫁風情がこの・・・この四井滝乃に・・・!」
澄香は一瞬だけ苦しげな表情をしたが、すぐに毅然とした目を滝乃に向ける。
「私は確かに子を成せません。ですが、紀香は私の子です!賢く、まっすぐな私の娘です!紀香さえ居てくれれば十分です!」
「紀香は女だ!四井家は継げぬ!」
「何故だ?」
絶叫に答えたのは恭一郎だった。
「女が家を継げぬと誰が決めた。おまえの言うところの『家』とは、社交界って奴におけるネームバリューと財産一式じゃねぇか。たかがそれだけの物だ。男も女もねぇだろ?」
「しきたりと伝統が許さぬ!」
息を乱し、髪を振り乱して叫ぶ老婆に向ける恭一郎の視線は、怒りよりむしろ哀れみの方が強い。
「目が見えてないのか?もはやこの部屋にそんなものを気にする奴は居ない。おまえ一人が過去という領地にしがみついているだけだ・・・」
滝乃は血走った目であたりを見渡す。強い光をたたえた恭一郎の瞳が・・・しっかりと抱き合った澄香と紀香の眼差しが滝乃をまっすぎに見つめている。
「おまえ達・・・私に逆らうなんて事、許されるとでも思うのか?」
「私にならお叱りでも御処分でも如何様にもどうぞ。私はこの子の母親です。でも、もし万が一紀香に何かするのなら・・・絶対に、許しませんから」
震える唇から放たれた言葉に、澄香は頷く。母親の、絶対的な覚悟と共に。
「お婆さま・・・ごめんなさい。でも、私はもっと多くのものを見聞きしたいのです!」
その澄香と抱き合ったまま、紀香もきっぱりとそう言う。若さ故の、強さと共に。
無論、恭一郎は滝乃にたいして一片たりとも妥協の色を見せない。
沈黙と意志に満ちた45秒。
そして。
「何故・・・何故こんなことに・・・」
滝乃は崩れ落ちるように椅子に座った。
目を伏せ、虚ろに呟く。
「世界は変わる。どんなことも、どんなものも、不変でなどあり得ない。おまえはその変化の波と戦わず目を背け続けた。だから足下をすくわれることになる」
恭一郎は呟いて踵を返した。
「紀香・・・どうする?来るか?」
逡巡。
紀香は母を見上げた。澄香は微笑みながら優しく頷く。
おずおずと眺めた恭一郎は悠然とそこに立っている。
紀香は振り返ってみた。
ほんの数分前まで絶対の力を持っていると思っていた老婆が、そこで力無くうなだれている。ぐったりと、呆然と。
「でも、お婆さまを放っておけない・・・」
呟きに澄香は優しく娘の頭を撫でた。
「紀香ちゃんは優しいわね・・・でも、大丈夫。お義母さまには母さまがついているから・・・恭一郎、いえ恭一郎さんの言うとおり、こんどこそちゃんと話し合って、四井という家がこれからどうして行くべきなのか決めるから」
そして、そっと恭一郎の方へと紀香を押し出す。
「だから、紀香ちゃんは大好きなお兄ちゃんと行って・・・ね?」
紀香は、一歩踏み出した。恭一郎を上目遣いに見つめ、躊躇いがちに手を伸ばす。
「・・・お兄さま」
「おうよ」
恭一郎は、ぐっとその手を握った。
「澄香さん、紀香はしばらく預かるぜ」
「ええ。よろしくお願いします。私も・・・こっちで頑張りますから。紀香には自分で自分の道を選べるようになって欲しい・・・」
ああと頷き、恭一郎は歩き出した。その手をギュッと握って振り向き振り向き紀香が後に続く。
「手紙書きます・・・お母様・・・」
「かあさまも書くわ。行ってらっしゃい・・・紀香ちゃん」
『行って・・・まいります! 四井紀香』
「どうしたどうした!口ばかりか!」
叫びながら振り下ろされた部長の小太刀が健太の肩口に入った。
「痛っ!」
もんどり打って床に倒れ、それでもすぐに健太は立ち上がる。
「これで計23発」
冷静なみーさんの台詞に美樹はぐっと拳を握る。
「たぁーっ!」
無理矢理気合いを入れ直し健太は必死に打ちかかるが、実力の差は明確だ。攻めても、守っても、一連の動きの後に倒れているのは健太の方。
「ま、まずいのではないのかこれは?」
エレンは小声で美樹に囁いた。
「大丈夫」
美樹は即答し健太を見守る。
「しかし、あまりに技量が違いすぎる!これではいつか体力が・・・」
「さっきの見たっしょ?毎日毎日意味もなく筋トレとか持久走とかさせられてんのよ?体は小さくてもね、体力はばっちしよ」
腹を突かれた健太だが、今度は倒れず踏みとどまった。
「ふむ」
愛里はトントンと床を踏みならしながら頷く。
「確かに攻防のリズムにずれが出来ている。部長の方は疲れからか徐々にスローに。だが二階堂の方はむしろ早くなっている。成長しているのだ」
「でっしょー?この美樹さん、勝算のない勝負なんかさせませんよーっと」
にゃははと笑う美樹に対し、愛里の表情は渋い。
「だが二階堂の体が持つかどうか・・・体力よりむしろ気力が彼の体を動かしているのだ。ダメージが足に来れば・・・気力だけでは庇いきれん」
「大丈夫。さっきも言ったでしょ?」
言葉を切り、いたずらっぽく笑う。
「風間恭一郎は、伝染するのよ。あの、無闇な熱さがさ」
喋る間にも健太は必死に打ち込みを続けていた。
「もうたくさんなんだ!僕たちは先輩の使いっ走りじゃない!」
「うるせえんだよ!後輩のくせに!」
横薙ぎの一撃が健太の顔をかすめ、頬が薄く切れた。
「け、健太君!」
「二階堂!もういいよ!」
わき上がった一年生達の声を健太は片手で制す。
「駄目なんだそれじゃあ!僕たちが黙っていたから先輩達はどんどん駄目になっちゃったんじゃないか!小太刀部が弱くなったのは・・・僕たちのせいでもあるんだ!」
叫びと共に突撃し、剣を合わせ、吹き飛ばされる。
「僕は小太刀道が好きだから・・・だからここに来たんだ!こんな部活じゃなく、僕たちが入部したばかりの頃のあの楽しかった時間を取り戻すんだ!」
立ち上がろうとした健太の膝がカクンと折れた。
「まだだ・・・まだ終わらないよ・・・!」
歯を食いしばって立ち上がり健太は小太刀を構える。だが、傍目にもその立ち姿はふらふらと頼りない。
「は、はは・・・さんざん疲れさせやがって・・・てめぇは退部だ!他の奴らは今以上にこき使ってしごいてやる。おしまいだ!」
とどめの一撃を振るわんと足を踏み出した部長の動きが止まった。
「・・・何やってんだよてめぇら・・・」
視線の先で、一年生達が竹刀を構えている。
健太以外は大した使い手ではないのだが、それでも5人の少年少女が口を結び、厳しい表情でこちらに剣を向けている。
「健太君だけで・・・終わらせないもん!」
やせっぽちで、さっきの腕立て伏せもほとんどこなせずに泣いていた少女が必死の顔で叫ぶ。
「二階堂!後は任せろ!俺達だって・・・!」
素振りくらいしかしたことがない竹刀を握りしめて少年が一歩前に出る。
「僕だってもうこんな生活いやなんだ!」
ただ何となくで入部してしまい、先輩が怖くて退部しそびれていた少年が見よう見まねのすり足で一歩踏み出す。
「健太!」
「二階堂君!」
ジリジリと迫る後輩達の姿に部長は一歩後ずさった。
「お、おまえら!こんな事して・・・ただじゃすまさねぇぞ!」
「かまうもんか!おまえ達なんか追い出してやる!」
精一杯の脅しにも一年生達の歩みは止まらない。
「まってくれ・・・」
だが、健太はそれを手で制した。
「僕は、まだやれる。もう一度だけ、見ててくれないか?」
呟いて、すっと竹刀を構え直す。
「くっ!」
部長は呻きながら両手の竹刀を構え直した。負けるはずがないと胸の中で自分に言い聞かせる。
言い聞かせなければ、すぐにも逃げ出しそうになる。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
狭い練習場がしんと静まり、そして。
「たぁあっ!」
「どりゃああっ!」
咆哮が交差した。
『・・・勝負、あったな。 中村愛里』
そして、その日の夕暮れ時。
「へぇ、そんなことがあったのか・・・」
ベンチに葵と二人並んで座り夕日を眺めながら恭一郎は呟いた。
「うん。恭ちゃんでも誉めたんじゃないかな。最後の一撃は」
「でもとか言うなよ。俺は相手が年下だろうと女だろうとはたまた人間じゃなかろうと強いもの上手いものは誉めるぞ?」
憮然とした恭一郎に微笑みかけ、葵はその小さな頭をがっしりとした肩にのせる。
「・・・どうしたいきなり?」
「うん。半日会えなかったから・・・」
恭一郎は衝動的に葵を抱きしめそうになって何とかこらえ、誤魔化し気味に空を見上げる。
「あまえんぼー」
ちゃかすような言葉に葵は目を閉じたままくすくすと笑った。
「そうだよ?私、あまえんぼさんだもん。恭ちゃんにだけは・・・」
「・・・おまえ、どこでそういう破壊力のある台詞を覚えてくるんだ」
恭一郎は唸りながら葵の髪をそっと撫でる。
「ふふふ、教材は何処にでもあるんだよ恭ちゃん」
ひとしきり笑ってから葵は話題を変えた。
「紀香さん、今恭ちゃんの家に?」
「ああ。母さんが大喜びでな・・・なんか遊んでる。着せ替えとか部屋の模様替えとか・・・客間が一個つぶれるが、まあうちは二人で住むには広すぎだしな」
そっかと頷き葵は身を起こした。
「ねぇ恭ちゃん、私も紀香さんに挨拶していいかな?」
「おうよ。そのうちおまえの義理の妹になるんだからな」
さらりと放ったヘビーショットに葵は笑顔で頷いてみせる。
「そうだね・・・ふふふ、私って末っ子だから妹、欲しかったんだ」
「そういや夏希とも仲いいよな。おまえ」
立ち上がり、二人はどちらからともなく手を繋いで歩き始めた。
『ところで恭ちゃん、子供は男の子と女の子どっちがいい? 神楽坂葵』
『ぐはっ! 風間恭一郎』
(3ラウンド K.O.)