「あっ・・・くっ・・・」
恭一郎と美樹のあえぐ声が重なる。
「もう・・・限界っ・・・」
「くっ・・・もう少し・・・」
食いしばった歯の間から呻き、二人はラストスパートに入った。
「あ・・・ああっっっ!」
「っううっ!」
視界が真っ白になり・・・
「はい、風間恭一郎・天野美樹・・・同着。毎日元気ねぇあなたたち」
ストップウオッチ片手にタイムを計測していた体育教師が呆れたような声で二人を出迎えた。
「畜生・・・本番の・・・マラソン大会では・・・負けん・・・」
「はぁ・・・はぁ・・・あたしだって韋駄天美樹ちゃんってよばれた・・・女よ・・・」 苦しい呼吸を整えながら不敵な笑みで睨み合って居た二人の視線が、ふと横を向いた。
「つーか・・・こいつは何故俺らより早くゴールしてんだよ・・・」
「なんか、全然疲れてないし・・・」
恨みがましい目を向けられてその少女はキョトンと首を傾げる。
『・・・えっと、わー、苦しい。倒れそう。 御伽凪美衣奈』
『・・・嘘つけ。 天野美樹&風間恭一郎』
「つうわけで、今夜はトンカツだ」
「・・・なにがつうわけなの?」
妙に引き締まった顔で台所に立つ恭一郎に観月は首を傾げた。
「明日はマラソン大会だろ?」
「そーね。やっぱねらってんの?2連覇」
観月の言葉に恭一郎は苦々しい顔で首を振った。傍らに控えていた紀香から豚肉を受け取る。
「狙ってはいるけどよ。今年は美樹と・・・みーの野郎がなぁ。去年は休んでやがったのに今年は出るらしい。必勝を期して敵にカツ・・・どれ、温度はどうかな?」
言ってから恭一郎は鍋の中の油にひょいっと人差し指を突っ込んだ。
「おおおおおおおおおにいさまっ!あつ、あつ、熱いですよっ!」
「あん?」
キョトンとした表情で恭一郎は指を油から抜き、ぴっぴと振る。
「や、火傷っ!火傷です観月さんっ!はぅっ、はわっ、あああああ!」
「ああ、もう。うるせーな」
腕を掴んでおろおろする紀香の頭へと恭一郎はぴしっとチョップで突っ込んだ。
「はぅ・・・・痛いです・・・」
「俺の指はたかだか200度や300度でどーこーなるようなもんじゃねえから気にすんな」
涙目で頭を抱えている紀香を後目に恭一郎は淡々と料理を続ける。
「なんにしろ、全力を尽くすのみ!・・・と、紀香。そこのキャベツ刻んどいてくれ。指を切るんじゃねーぞ?」
「はい、おにいさま」
「おにいさま〜?お風呂、空きましたわよ〜」
「おう」
ドアの外に返事をして恭一郎はベッドから起きあがった。手にしていた月刊剣道をぽいと傍らに投げてふと窓の外に目を向け、
「む」
「あにゃ?」
部屋に戻ってきたばかりの美樹と目が合い、お互いに意味のない声を上げた。
「・・・明日は、絶対負けないからね」
「・・・返り討ちだ。楽しみにしとけよ」
不敵な笑みを浮かべて二人はしばらくの間睨み合ってからふと肩を落とす。
「しっかし、みーの奴が問題だな・・・」
「みーさんって、ホントに人間なのかしらね・・・」
非常に疑わしい。
「ともかく、おまえには負けねぇ。覚悟しとけよ?」
「ふん、下克上よ!」
さらにしばらくの間睨み合い、ふたりはどちらからともなく表情を緩めた。
「そーいやさ、もう1週間くらいでしょ?どうなの?紀香ちゃん」
「おうよ。だいぶこっちでの暮らしになれてきたみたいだ。お嬢様暮らしだったんで最初は戸惑ってたけど、俺が一つ一つ叩き直したからな」
それも鉄拳で。
「ほんとはさ、少し心配してたわけよ。前あんたと紀香ちゃんが喋ってんの見たときは凄く険悪だったしさ」
「・・・気にくわねぇとこは、そりゃあ有るけどな。でもよ、一人ぐらい居てもいいんじゃねえかって・・・そう思えるようになったんだよ。その、なんだ。俺が・・・葵と付き合うようになったあの日からな」
肩を竦める恭一郎に美樹はキョトンとした目を向けた。
「一人くらいって?」
「弱いとこ見せて、少しだけ助けてもらって・・・楽しいときに一緒に笑ってくれる奴が、だよ。俺には、そう言う奴がいっぱい居る。おまえとか愛里とか・・・だから、あいつにも俺が居てやろうってな」
美樹はそう言って笑う恭一郎がまぶしくて微妙に目を伏せる。
「そっか。やっぱ凄いな。恭一郎は・・・」
「おうよ、何せ俺は風間恭一郎だからな。明日のマラソンも当然勝つ」
「それはそれ、これはこれよ。基本的に女の方が持久力があるのよーだ!」
にやっと笑う恭一郎にこちらもにかっと笑みを見せて美樹はふと夜空を見上げた。
「うん・・・負けてらんないもんね・・・」
「?」
あけて翌日。
「え〜、では続いて学園長挨拶です」
スピーカーから聞こえる教頭の声を聞き流して恭一郎はあくびをかみ殺した。
「恭ちゃん、調子はどう?」
「おう、まかせとけ。ぜっこ・・・」
ズドンっ!
恭一郎の声を遮って何か派手な音が鳴り響いた。
「な、なに!?」
他の生徒と共に慌てて辺りを見渡した美樹の目が点になる。
「メンフロムジャパーン!プロフェッショナルレスリング、ダイゴォ!ゴウリュウインッッッ!!」
アナウンス(協力:格闘技支援同好会)と共に校庭に面した2号館の入り口から派手に花火が火花を散らす。
「わあっはははっはっはっはっはっは!」
その光の幕を突き破って悠然と出てきたのは着物姿にマスクという異常な服装の男だ。「・・・おいおい」
呆れて呟く美樹を後目にプロレス好きの連中がダイゴコールをかける。
「うむ!豪龍院醍醐であるっ!」
ようやく朝礼台に立った醍醐はマイクも使わずに校庭中へと声を放った。近くの生徒が耳を押さえるほどの威力だ。
「長い挨拶などする気なぞないっ!いつもの奴を行くぞ!」
プロレス好き達がどっと歓声を上げる。
「いぃ〜ちっ!(1)」
「・・・まさか」
美樹は半眼になった。恭一郎は静かに頷いてみせる。
「にぃ〜い!(2)」
「パクリじゃない?」
「うーん、一応アレンジきいてるし・・・」
葵はそう言って困ったような笑顔を浮かべた。
「さぁぁぁぁんんんんっっっっ!!(3)」
豪龍院はグッと拳を握り腹の横で構え・・・
「絶好調っっっっっっっ!」
「る、ルールを確認しまーす」
準備体操を終え、スタート位置に並んだ美樹達にスピーカーから女性体育教師の声が響く。
「ががが学年性別を問わず、一番早かった人が勝ちですぅ・・・道具の使用は禁止、直接攻撃も禁止でーす。みなさん健康に気をつけて正々堂々・・・がふっ!?」
スピーカーから激しくせき込む音が響きぷつりと放送は切れた。
「・・・どっちかっつーと、先生の方が健康に気をつけた方がいいんじゃないかな」
半眼で突っ込む美樹に恭一郎は不敵な視線を送る。
「おい美樹。賭けをしねぇか?」
「ほぉ?何を賭ける気?言っとくけど、練習全15回ではあたしが勝ち越してんのよ?」
「ぬかせ。七勝八敗だ。偶然でしかねぇだろうが」
恭一郎は顔と顔が触れ合いそうな至近距離で睨み合う。
「ふーっ!」
「がるるるる・・・」
「ふ、二人ともおちつこーよ」
謎の音を出して威嚇し合う二人を葵は困ったような笑顔でなだめた。
「落ち着いてるぞ葵。燃えさかる炎のように。くっくっく・・・」
「落ち着いてるわよ葵ちゃん。吹き荒れる吹雪のように。ふっふっふ・・・」
同時に言って不気味な笑い声をあげる二人。
「よし。じゃあ学食で<腹一杯>奢るってのはどうだ?」
「へぇ・・・いいわね、それ」
何しろこの二人の腹一杯は金がかかるのだ。
「うん、わりと良い、思う」
「でしょ?ってみーさん!?」
「あ、みーさん。おはよ」
のどかな笑顔で挨拶する葵を取りあえず抱きしめてからみーさんは美樹達に向き直った。
「その賭け、私も参加。ぶい」
「ぬ・・・いいだろう、まとめてちぎってやる!」
「豆腐屋の86は最強だってみせてやるわ!」
そう言って入念に準備体操をやり直す二人を葵は微笑みを浮かべて見守る。
「二人とも程々にね。私は・・・どうやってもついてけそうにないけど」
「おまえの分まで俺がぶっちぎってくっからよ。おまえはのんびり、な」
恭一郎は葵の髪をくしゃくしゃっとなで回した。
「位置についてっ!よーい、すたーとっ!」
パンッという銃声と共にレースはついに始まった。
「行くぞっ!」
「ほいさっ!」
声を掛け合い、恭一郎と美樹は先頭集団の中に突入する。もちろんみーさんも一緒に。
「ふーむ。さすがに本番になると先頭集団もでかいわね」
「手ぇ抜いてた連中が本気になるからな。当面の敵はこいつらだ。陸上部の長距離連中はかなりの強者だからな・・・気ぃ抜くなよ相棒!」
「おー」
無表情にガッツポーズを取るみーさんにこけそうになりながらも恭一郎達は快調にコースをかっ飛ばす。
体育祭の長距離走と違い全員参加のためマラソン大会はフルマラソンではない。全12kmの競争となる。
「そろそろ集団がばらけはじめてきたな」
「そーね。最初だけ頑張って目立とうって連中はもう限界なんじゃない?」
そう言って美樹が肩を竦めた瞬間だった。
「そんなことはないっ!」
先頭を走っていた三人組がくるっと振り返った。体ごと、走ったままで。
「我ら、六合学園マラソンパフォーマンス同好会はっ!こんな所でばてたりしないのだっ!」
「いや、なんつーか、そのスピードで後ろ向きに走るのは気持ち悪いからやめれ」
美樹のやる気のないつっこみに高笑いを残し三人組は前に向き直り一気にスピードを上げた。
「見るがいい!一瞬のきらめきに賭けた我らの彗星のような輝きぉぉぉっ!」
そして、ものすごいスピードで走り去っていく。
「ラストスパートォッ!」
「はやっ!もうラスト!?」
走りながら放ったつっこみの声が消えるか消えないかの瞬間。
「はぉっ!?」
奇声と共に三人組の姿が消えた。
「は?」
「なんだ?」
先頭集団はざわめきながらもスピードを緩めず三人組が消えた辺りを通過する。
そこには穴が空いていた。1メートルにも満たない浅い穴・・・その底に、穴を覆い隠してたのであろうビニールシートに絡まったままで3人組がのびている。
「・・・落とし穴ね」
「・・・落とし穴だな」
「偽装が甘い、思う」
三者三様の呟きを残して美樹達はさっさとその穴を迂回した。
美樹の問いかけに恭一郎は首をひねった。
「まあ・・・ネタとしてはおもしろかったような気が」
「駄目よ。落ちるんだったらちゃんと空中でジタバタしてからじゃないと」
その二人をぼーっと眺めていたみーさんは微妙なにおいを感じてふと眉をひそめる。
「どうした?みー」
「・・・恭一郎、美樹。これ、つける。良い」
そう言って体操服の中からガスマスクを三つ取り出す。
「あのさ、いろいろ疑問は有るんだけど、それはどこから?」
「・・・四次元?」
みーさんのいい加減な回答に半眼になりながら恭一郎はガスマスクを受け取る。
「しかしなんでガスマスクなんだ?」
「いーから、信じて。頼み」
恭一郎と美樹が顔中に疑問符を浮かべながらガスマスクを装着するのを見届けてからみーさんもまたガスマスクを装着する。
その瞬間。
「のわっ!?」
辺りをピンク色の煙が包み込んだ。
正確に言えば充満していたそこに突っ込んだのだが。
煙地帯はわずかだったらしく、一同はすぐにそこを突っ切り空気の色は元に戻った。
「もう外す、良い」
みーさんに言われて二人はガスマスクを取り疑問符を浮かべる。
「何だったんだ?いまの」
「風に乗って僅かだけどにおい感じた。記憶、確かなら多分・・・」
みーさんの説明が終わるよりも早く、恭一郎達にも答えはわかった。
「うひょぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおっっっっっ!」
どうやら息を止めるのに失敗して煙を吸い込んでしまったらしい生徒が数人、猛然とダッシュを始めたからだ。
全力で、時に服を脱ぎ散らかしながら。
「・・・多分、興奮剤」
「・・・エネルギッシュで、うらやましいことだ」
暴走した生徒達は、1kmも持たずばてて倒れてるのが後に発見された。
「5km地点通過・・・後7kmだな」
呟いた恭一郎に美樹は眉をひそめて尋ねてみた。
「ねぇ。去年もマラソン大会ってこんな調子だったの?落とし穴とか」
「いや、ごく普通のマラソンだったぜ。俺が優勝者だけどほぼ同着で5人ばかし走ってたっけな・・・」
答える恭一郎もしきりに首をひねっている。
「あ」
その横を無表情に併走していたみーさんの声に美樹は慌てて振り返った。
「今度はなに!?」
「えっと、少しスピードを緩めると良い、思う」
「何でだ?」
言いながらも恭一郎と美樹は走るペースを緩める。先頭集団から抜け落ちたころ、
かちっ。
先頭を走っていた少女(陸上部所属)が何かを踏んだ。
何か、堅くてボタンが付いたもの。
「地雷原」
みーさんの呟きと共に少女は声も出せずに吹き飛ばされた。火薬は極めて少なかったらしく、びっくり顔で倒れたまま硬直している。
「なんじゃこりゃあああ!!」
「ぬおぉぉぉぉ!」
「きゃあああ!!!」
一瞬にして阿鼻叫喚と化した先頭集団は慌てて立ち止まろうとするが、車もランナーもすぐには止まれない。
かちん、かちん、かちん。
「うわー」
恭一郎達が適当な声を上げながらそこを通過するまでにさらに3人がレースから脱落した。
「おい、みー」
「何か?」
恭一郎の険悪な視線にみーさんはちょっと驚いたような表情をする。
「なんか、おまえの手口に似てるんだがな。数々の妨害が」
「・・・私、疑う?」
微妙に悲しげになった表情に美樹が割って入ろうとする前に、
「馬鹿。んな訳がねぇだろうが」
恭一郎は走りながら伸ばした手でみーさんの頭を撫でていた。
「たとえ誰が信じなくても俺だけははおまえらを疑いはしねぇよ。そうじゃなくてだ、あの馬鹿兄貴が妹に勝利をとか言ってこういうの仕掛けてんじゃないかって聞いてるんだ」
「そーいえば、みーさんなら回避できる罠ばっかりよね」
納得したような美樹の言葉にみーさんはふるふると首を振る。
「それ、ない。ちゃんと縛ってきた」
「縛る?」
「なんか、俺達が罠探知機にされてるような気がする」
「というか、みーさんがね」
美樹の言葉にみーさんはぶいっと指を突き出す。
「取りあえず気は抜くなよ、こうなると何が起きたって・・・」
言いながらふと振り返った恭一郎の顔が凍り付いた。
「どうしたの?うわ・・・」
つられて振り返った美樹も絶句する。
「わー」
無表情にみーさんがつぶやいた視線の先、背後を走る先頭集団の更に後ろに・・・
「いくら何でも無茶苦茶だろ、おい」
四つ足の・・・
「あれって・・・あれよね?」
白と黒で染め分けられた・・・
「うん。多分、間違いない、思う」
鼻輪で身を飾ったおしゃれさん・・・
「牛ぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっっっ!?」
「ぶもぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!」
何十頭というホルスタイン牛が猛然とこちらへと駆けてくる所であった。何故か知らないが、異常に早い。
「何で牛が走って来るんだ!」
「知らないわよ!」
慌ててスピードをあげるが、牛達のスピードは更に鋭く生徒達を追う。
「あれ?」
大混乱の中、ひとりみーさんが落ち着いた声を上げる。
「どうした!?みー!」
「真ん中辺りの牛、誰か乗ってる」
「乗ってる!?」
恭一郎は眉間にしわを寄せて背後の牛を睨み付ける。
「恭ちゃぁあああん!たすけて〜〜〜!」
「・・・何故?」
恭一郎はがくっと肩を落としかけて、それからぱんっと自分の顔を叩いた。
「呆れてる場合じゃねぇ!何とか助けねぇと!」
「いや、呆れてもいいんじゃないかな、この状況は」
自身あきれかえった様子の美樹を無視して恭一郎は腰に手をやり、
「くそっ!刀がねぇ!」
毒づく間にも追いついた牛が生徒達を跳ね飛ばす。
「恭一郎、はい」
みーさんは体操服の中をごそごそとあさり、木刀を一本取り出した。
「だから、ドコから出してるの?みーさん・・・」
「ありがてぇっ!・・・ってこれ、俺の奴じゃねぇか!いつのまに・・・」
「・・・なんていうか、四次元?」
色々な疑問を振り切って恭一郎は走りながら木刀を構える。
「牛相手なら手加減する必要はねぇな」
「牛殺しか・・・かっこいいなぁ」
美樹の台詞にがくっときながら恭一郎は大きく振りかぶった。
「神楽坂無双流伝承技・・・神楽舞っっっっっ!」
ぶんっと風を斬った音は一度。だが。
「ぶもぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
数十頭の牛達は一度に吹き飛んだ。
「きゃぁぁああああ!?恭ちゃぁぁぁん!」
その背の葵と共に。
「とうりゃっ!」
恭一郎は吹き飛んだ牛達を踏み台にして空中の葵を横抱きにキャッチする。
「恭ちゃん!」
「よ、待たせたな」
ニヤリと笑い、恭一郎はスタンっと着地する。
「ぶもぉぉぉっ!?」
「天照っ!火具槌っ!天鳥船っ!」
落ちてくる牛達を絶技の連発で蹴散らしながら恭一郎は美樹達の元へと追いついた。
「おかえり!恭一郎あんーど葵ちゃん」
「葵、らぶりぃ」
二人の出迎えにてへへと笑ってから葵は地面に降り立った。
「走れるか?」
「うん・・・途中はずっとあの牛さんに乗ってたから」
「つーか、なんで牛に乗ってたの?」
美樹のつっこみに葵は首をひねる。
「それがよくわからないの。牛の群に巻き込まれて、きづいたらあそこにいたから」
「・・・はぁ」
曖昧に頷いた美樹の顔がさっと青ざめた。
「いけない!先頭集団に引き離されてる!」
「いかんな。行くぞ葵、乗れ!」
恭一郎はさっとしゃがみ背中を葵に差し出した。
「え・・・でも・・・」
「どっちにしろ、おまえは牛に乗ってた時点で失格だろうし。いいだろ?」
そこが問題じゃないんだけどなと思いながらも葵は恭一郎の背に身を預ける。
「よし、行こう!」
「・・・ごちそうさま。ぱーと2」
残り3kmという地点で美樹達はようやく先頭集団に追いついた。
「くっ!剣術部一同が追いついてきたぞ!」
先頭を走っていた野球部員が隣のサッカー部員に声をかける。
「ああ、球技系の意地を見せてやろうぜ!」
「おうよ!俺達野球部員は風間に苦い敗北を喰らったことがあるしな!」
罠を警戒し、辺りに気を配りながら二人はペースを上げた。結構ばてているが3km程度、散歩のようなものだ。
だがその瞬間、野球部員の脳裏に警鐘が激しく打ち鳴らされた。僅かな風切り音を耳が捕らえ、反射的に捕球体勢を取る。
「はっはっは!何が飛んでこようと無駄・・・だ・・・」
言葉が途切れた。その視界に、黒くて大きなものがアップで写る。
「はぶっ!?」
顔面にタイヤの直撃を受けて野球部員は為す術もなくその場に沈んだ。
「ああ、くそっ!」
叫びながら次弾に備えてサッカー部員は頭を腕で庇う。が。
「ふぼっ!」
地面に張ってあったロープに足を取られ、綺麗に一回転を決めながら地面へと放り出されてしまった。
「ど、どうなってるんだ!?」
悲鳴を上げたマラソン同好会員は突如降ってきたタライに頭を強打されてピンと伸びた姿勢で地面に倒れる。
「・・・なんか妨害が直接的になってきたな」
恭一郎は苦々しげに呟いて飛んできた花瓶を打ち落とした。
「でもさ、何でこんな・・・よっと。うわ、蛙だよこれ・・・」
「ねぇ恭ちゃん、おかしいよ?上から降ってくるもの・・・どれも<どこからともなく>落ちてきてるみたい」
葵の指摘に一同空を見上げる。雲一つない晴れ上がった空だ。高い樹もなく、見渡す限り屋根の上に人が居たりもしない。
だからといってどうするというアイデアもなく3人(+背中に一人)はトラップを蹴散らしながら走り続ける。
「ねぇ剣術部の人たち、これってなんなのかな」
「ん?」
一緒に走っていた少女に話しかけられて恭一郎はぐるりと首を巡らした。
「えっと、確か陸上部の・・・榊原さんだよね。長距離の代表だったかな」
「うん。キミは神楽坂さんでしょ?噂通り、らぶらぶなんだねー」
「ほっとけよ・・・っ!」
恭一郎は榊原の頭めがけて飛んできたハリセンをギリギリで打ち落とした。
「さんきゅ」
「いや、今の反応なら俺が手を出さなくても避けてただろ。おまえ」
会話を交わしながらも足は止めない。
「ほんと、意図が読めないわよね。本気で攻撃してきてんのか遊んでるだけなのか・・・」
「とりあえず、致命的、無い」
11km地点通過。残り1km。
「・・・ゴール、見えてきたねぇ」
榊原の言葉に残りの三人(+1)は大きく頷いた。考えているのは同じ事だったのだ。
「全力疾走。あるのみだな」
「妨害より早くゴールへ飛び込むってわけね」
「賭け、覚えてる。<おなかいっぱいになるまで>奢る」
「あ、それいーな。あたしも混ぜて混ぜて」
顔を見合わせて一同はにやっと笑い。
「Go!」
一斉にスパートをかけた。
「よっ・・・とっ・・・はっ・・・」
次々と飛んでくる小物類を避けながら榊原は陸上部の意地で直進を続ける。だが。
「うっそぉ!?」
最後に飛んできたのは、猫だった。
「危ないっ!」
猫好きの性故に反射的に受け止めた拍子に、一瞬だけ集中が乱れた。
「あぶねぇぞ榊原っ!」
恭一郎の叫びに我に返った彼女の視界に・・・
「・・・下駄?」
カコンといい音をたてて榊原の額に木製のそれが命中した。
「無念っ!」
背中の葵に叫ばれて恭一郎は落とし穴を飛び越えながら首だけ振り返った。
「馬鹿、今降りたらあぶねぇだろうが!」
「でも恭ちゃん私を背負ってるから動きが鈍いよ・・・!」
確かに、極端に軽い葵だとはいえ負担であることには変わらない。
「・・・弾道計算を任せる。当たりそうだったら言ってくれ」
葵は一瞬だけ戸惑い、それからぎゅっと恭一郎の首に腕を絡めた。
「まかせといて!」
それを横目で見ながらみーさんはうんうんと頷く。大好きな二人が仲むつまじくしているのを眺めるのが、この国における彼女の最大の娯楽なのだ。
しかし、それがいけなかった。
「あ」
気付いたときには、上空が黒くなっていた。ぼーっとした視線で見上げた空から、大量のウナギが降ってくる。
「・・・残念」
やむなく立ち止まり、みーさんは体操服の中をごそごそと探った。
「えい」
気のない声と共に至近距離に迫った数百匹にものぼるウナギめがけて取り出した投網を投げつける。後輩の神戸から習った技術だが、こういうときに役に立つとは。
「・・・置いてかれた。しょぼん」
ウナギでいっぱいになった網を肩から背負い、取りあえずみーさんは歩き始めた。
「大漁」
美樹は飛んできた栄養剤の瓶を正拳で叩き割った。
「えいもう、どっからこんな訳がわかんないものが飛んでくるんだか!」
叫びながらちらりと横を見れば、恭一郎が葵のナビゲートに従い効率よく障害物を破砕していっている。
(・・・お似合い、か)
苦笑しつつも腕と足は止まらない。ダルマを払いのけCDを叩き落としウサギはほっとくと寂しくて死んでしまうので取りあえず抱きかかえる。
「あと、200メートルっ!」
恭一郎は叫びながら飛んできたドラム缶を叩き斬った。幸い中身は空だったらしく、まっぷたつになった缶が背後にすっ飛んでいく。
「後100メートルっ!」
叫んだ美樹の顔がこわばった。正面、<ゴール>と書かれた横断幕のあたりの何もない空間から、美樹自身とたいして変わらない巨大な物体が忽然と現れたのだ。
しがら焼きの、タヌキの置物。
「ひょえぇぇぇぇぇっっっっ!?」
美樹は思わず悲鳴を上げ全身全霊を込めてすっ飛んできたタヌキを振り払った。ガツンと思い衝撃に手が痺れ。
「ぬぉりゃああっ!」
女の子とは思えない叫び声とともにタヌキの置物は真横に吹き飛んだ。
「ぐはっ!」
悲鳴が響きわたる。
「あれ?」
キョトンとして横を見た美樹の目に真横からの奇襲に対応できず頭部直撃を喰らった恭一郎の恨みがましい顔が写った。
「えーと、ごめん」
頭などポリポリとかきながら美樹はダッシュをかける。
「畜生っ・・・!」
「恭ちゃ〜ん!」
< 残り 1名 >
愛と友情、青春の輝きがその12kmに詰め込まれていた。
なんかよくわからないけどそんな感じだった。
「ああ、神が見える・・・」
訳の分からない呟きを発しながら美樹は走り続ける。あと100メートル、80メートル、70メートル・・・
(あ、あれ?)
美樹は呟こうとして戸惑った。何か、視界が真っ白に染まっていく。
(ちょ、ちょっとなによこれ?)
心なしか真っ白な羽根が当たりに舞い散ってるような?
(え?いや、本当に神の領域なんか見えなくて良いんですけど?)
そしてついに真っ白になり。
「よく来ましたね・・・」
気付けば、美樹は真っ白な空間に一人立ちつくしていた。
「え?あれ?レースは?」
「終わりましたよ・・・あなたは勝利したのです」
美樹は目の前に人が立っていることにようやく気が付いた。なにやら白くて緩やかな曲線を描く優雅なドレスに身を包んだほっそりとした女性だ。
「えっと・・・あなた、誰?」
「私は、マラソンの女神です・・・」
厳かな調子で女性が言った瞬間、美樹は半眼になって嫌そうな顔をした。
「あ、あの、何でそんな顔を?」
「大丈夫。ちゃんとあたしが病院に連れてってあげるからね?ほら、怖くない怖くない」
「病気じゃありません!失礼ですね!」
女性・・・女神?がちょっと傷ついた様子なので美樹は逆にキョトンとした。
「え・・・本当に・・・神様だったり・・・しちゃったりしてー?」
「そうじゃなければ、ここはどこなんですか?」
言われてみれば、周囲は見渡す限り何もない。と、言うか自分がちゃんと立っているかどうかも定かではない。
「あなたは私の用意したレースの勝者ですから、特別にご褒美を与えようかと思いまして」
「・・・用意・・・した?」
美樹の呟きに女神は大きく頷いた。
「数々の試練にうち勝ち、友情やら愛やら努力やらが再確認できたでしょう?」
「あんたがやったんかいっ!死ぬかと思ったやんけっ!」
すぱんっと綺麗な裏拳を決められて女神は首を傾げた。
「・・・お気に召しませんでしたか?」
「当ったり前やっ!」
女神はすっとうつむいて首を振る。
「やっぱり、ホルスタインより水牛でしたか・・・」
「そこやないっ!」
右手で女神の頭をはたき倒し、前屈みになった額を左手ではたきあげる。奥義、一人時間差つっこみだ。
「あ、あんまりぽんぽんと叩かないで下さいな。一応、私も神様ですよ?」
「・・・で?その神様が何でこんなアホなレースを?」
問われて女神はぱっと顔を輝かせた。
「マラソンのすばらしさを再確認して頂く為ですっ!」
「はぁ?」
対照的に美樹は呆れ顔だ。
「マラソンは凄いんですっ!楽しいんですっ!感動なんですっ!」
「いや、それはわかってるつもりなんだけど」
呟く美樹に女神はずずいと詰め寄る。
「ところが最近は後輩の駅伝の方が人気が有るんですよこれがっ!しかも駅伝の女神がなんて言ったと思います?年増ですよ年増!酷いと思いません?思いますよね?酷いっ!」
「あー、えーと」
引きまくりっていることに気付かず女神は美樹の体操服の襟元を掴みぶんぶんと振り回した。
「だからっ!マラソンのっ!すばらしさをっ!知らしめるんです私はっ!」
「わかった!わかったから離して!」
美樹に手を振り払われてようやく女神は我に返った。少し顔を赤らめて咳払いなどする。
「し、失礼しました・・・」
「あのさ、女神さん。こういうのは今回限りにした方がいいと思うよ?」
美樹の言葉に女神は唇を尖らせた。
「なんでですかー」
「いや、そんな子供みたいに拗ねられても・・・だってさ、このレース・・・マラソンと言うより障害物競走だったし。サバイバル競争って言うかなんというか」
女神はよろっとよろめいた。顔に『ガーン』という書き文字が見て取れる。
「そんな・・・頑張ったのに・・・」
「どっちかっつーと、頑張りすぎ?」
女神はへなへなとその場にへたりこんだ。流石にかわいそうになり、美樹はぽんぽんと肩を叩いてやる。
「まぁ元気出しなさいって。長い人生こういうこともあるって」
「はい。ずずず・・・」
鼻をすすりながら女神はよろよろと立ち上がった。
「ええと、天野美樹さんでしたね。どうやら私が間違っていたようです。これからはもっと方法を考えることにします」
「うん、その方がいいと思うよ?」
答えると同時に、美樹の視界がぼやけてきた。
「よく考えて、もっとスリリングなゲーム展開を」
「いや、だからよしなさいって」
つっこみを入れようとした瞬間、ぱっと視界が切り替わった。
美樹の呟きに彼女をのぞき込んでいた一同がほっと胸をなで下ろす。
「あたし・・・」
地面に寝かされていたことに気付き美樹は身を起こした。
「ぅえええええん美樹さぁぁぁぁんっっ!」
途端に葵が飛びついてきた。ぐりぐりと胸に顔を埋める葵の頭を軽く撫でてから美樹は周囲を見渡す。
「どーなったの?一体」
「ゴールに飛び込んだ瞬間気絶したんだよおまえ。ったく・・・無茶しやがって」
恭一郎の声に僅かな怒りを読みとって美樹はちょっとすまなそうな顔になった。
「ごめん・・・心配した?」
「・・・別に」
そっぽを向く恭一郎のうしろでみーさんが口の動きだけで『すごく』と伝えてくる。
「・・・さんきゅ」
美樹は照れ笑いを浮かべながら立ち上がった。
「でも、取りあえず勝ちは勝ちよね。一番にゴールしたのはあたしだし〜」
「あ、それなんだけど」
横合いからかかった声に振り向くと、陸上部の榊原がそこにいた。
「天野さん、失格だってさ」
美樹の表情が凍り付いた。
「え・・・」
数秒して、ようやく解凍が終了する。
「な、なんでぇぇぇぇっ!?」
「ルールにあったでしょ?競技者への直接攻撃は無しって」
瞬間、美樹の脳裏に鮮やかなビジョンが浮かぶ。横合いにすっ飛んでいくタヌキの置物、直撃を受けて吹っ飛んだ恭一郎。
「事故よ!あれは事故!」
「のわりには、やけに痛かったけどな・・・てことは、俺が一位だな。おまえの次にゴールしたのは俺だし」
呟く恭一郎の首を手早く絞めながら美樹はバタバタと地団駄を踏む。
「くやしぃぃぃぃぃぃぃっっっ!結局恭一郎に負けたぁぁぁぁっっっ!」
「あ、それも違うよ」
再び放たれた榊原の声に美樹はキョトンとして手を離した。ふらふらになった恭一郎を慌てて葵が支える。
「確かに美樹さんの後にゴールしたけど、風間君は木刀使ってたから失格。道具の使用禁止ってのもルールにあったでしょ?御伽凪さんも投網を使ったんで失格」
「・・・じゃあ、ひょっとして・・・榊原ちゃんが優勝?」
尋ねる美樹に榊原は苦笑しながら首を振った。
「ルールにはこうあるの。道具の使用は禁止と・・・でも、動物に乗っちゃいけないって言うルールはないのよ。たとえ牛でも、人間でも」
「・・・ほぇ?」
恭一郎の袖を握っていた葵がキョトンとした声を上げる。
「本年度のマラソン大会優勝者は、神楽坂葵さんです!」
『なんでだぁああああああっっっっ! 一同』
余談ではあるが。
「そういえば、マラソンの女神様はあたしの勝ちだって言ってたんだけどなぁ・・・」
表彰式も終わり、更衣室で着替えながら美樹はふと呟いた。
「マラソンの女神様?」
葵に尋ねられて美樹は慌てて首を振る。
「なんでもないなんでもない。夢の話・・・」
言って勢いよく脱ぎ捨てた体操服から何かがぱらりと落ちた。
「ん?なんだろ?」
それは小さな紙切れだった。二つ折りになったそれを美樹は何気なく開けて絶句した。