学年末試験も終わりあとは終業式を待つばかりといううららかな昼下がりだった。

今日も今日とてスパンスパンと気持ちのいい打撃音が響く剣術部練習場の前に、どことなく焦点のあってない目で空を眺めて少女が座っていた。

少女・・・御伽凪観衣奈はふらりと立ち上がってその中へと足を踏みいれる。

「あれ?みーさんだ」

 隅に置かれたコタツに足を入れて本を読んでいた葵の声に美樹は首だけ入り口のほうへ向けた。

「あら、ほんとだ。普通に入り口から入ってくるなんてめずらしーね」

 いつもは天井から降ってくるか気づいたらそこに居たというパターンが多いのだが。

「・・・かざみどり」

 みーさんは呟いてずいっと手に持ったそれを突き出した。薄い金属で出来ているらしいデフォルメされた鶏。

「・・・たしかに風見鶏だな」

 恭一郎と乱取りをしていた愛里は呟いて不審気に首をひねる。

「で?風見鶏がどーしたんだ?」

 その恭一郎も手を止めてみーさんに尋ねる。

「くるくるー」

 みーさんは妙に楽しげに言って風見鶏をちょいと突っついた。カランカランと涼やかな音をたてて銀色のにわとりが滑らかに回転する。

「くるくるー?」

「くる。くるくーるくる」

 首をかしげた美樹の言葉にみーさんが重々しく答えた。

「くるっく、くるくる」

「くる?くるくるくる」

 恭一郎はやれやれと首を振り、葵は困ったような笑みを浮かべる。

「くるくるく、るく、る、くる」

 そんな二人を眺めながらエレンも腕組みをしながらうむうむと頷いた。

「あ、あの・・・みなで何を言ってるのだ?一体?」

 そんな中、ただ一人ついてこれて居なかった愛里は真っ青になった顔を不安げにあちこちへ向ける。

「くる?く、くるるる」

 恭一郎は不審気な顔で愛里を眺めた。

「いや、だから・・・」

「くるっくる、くる?くるる?」

「何で・・・」

 おろおろしながら後ずさる愛里に恭一郎たちはずいっと近づく。

「く?くる。くるくる?」

「くるくるくる、く、くるく。るく」

「くるーく、くるくる。く?」

「くるくるく、くるく、くる」

「ひーーーーーーーっ!」

 手をワキワキさせながらにじり寄ってくる恭一郎達に愛里は壁際まで飛びのいて悲鳴を上げた。

「な、なんなのだ!?何かのいたずらか?私だけのけ者か?そ、それとも何か宇宙から電波とかきてるのか!?取り憑いていたりするのか!?」

 ぶんぶんと竹刀を振り回して叫んだ言葉を聴いた瞬間、恭一郎達はピタッと動きを止めた。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・こ、今度は何だ!?」

 沈黙に耐えかねてあうあうとおたつく愛里に恭一郎達はいっせいに笑い出した。

「わりぃ、ただの悪乗りだ」

「あはは・・・愛里さんの反応が可愛くてつい・・・」

 恭一郎と美樹はやりすぎたかと言うような表情で顔を見合わせる。

「・・・うー」

 愛里は、涙目で恭一郎をにらみつけた。恭一郎はちょっと微笑んでその頭をぽんぽんと撫でる。

「というか、それはどーでもいーのだけれど」

 珍しくその騒ぎに参加していなかったみーさんはぼそっと呟いて手の中の風見鶏を眺める。まだくるくると回っていたにわとりはゆっくりと動きを止め・・・

「あ」

「くる?」

「それはもういーから・・・」

 ぴたりとある人物を指して止まった。

「・・・私?」

 中村愛里その人を。

「恭一郎じゃなかった。葵でも。でもまあ、わりといい感じ?」

「誰に聞いてるんだ?つーか、何がいい感じなんだ?」

 眉をひそめる恭一郎にみーさんはぼんやりとした笑みを向けて答えない。

「なんだか・・・異常に不安だ・・・」

 愛里は呟き近づいてくるみーさんに引きつった顔を向ける。

「んー、なんていうか」

 みーさんは愛里の目の前に立ちくいっと首をかしげる。

「・・・何なのだ?」

「ばんざーい」

「は?」

 いきなり両手を挙げたみーさんに愛里は眉をひそめた。

「ほら、あいりっちもばんざーい」

「?・・・ば、ばんざーい?」

 素直に両手を挙げた愛里は一瞬後にそれを後悔した。

「えい」

 やる気の無い声とともにみーさんが繰り出したハンカチががら空きになった愛里の口をふさいだのだ。

「ご、ごもも!?(訳:な、なにを!?)」

 飛びのこうとした体からぐんなりと力が抜ける。ハンカチから香る甘いにおいのする何かが急速に彼女の意識を黒くしていく。

 

『・・・な、なんなんだいったい・・・   中村愛里』

 

 

「ん・・・」

 艶かしい声をあげて愛里は目を開けた。

「あ、おはろぅ」

 隣から聞こえた声にぼーっとした顔を向ける。

「みかん」

 まだ半分眠ったままの愛里の顔を覗き込んでみーさんは皮をむいたみかんを差し出した。

「?」

「ん。びたみんほうふー」

 軽く首をかしげた愛里の手をとってみかんを置き、みーさんは改めて自分の分らしきみかんをむき始める。

「みかん?・・・あむ」

 愛里は思考停止したままみかんを口に入れた。甘酸っぱい風味がゆっくりと眠気を追い払っていていく。

「・・・って私は何を」

 そして、眠気が去るとともに記憶も戻ってきた。

「こ、ここは!?」

 慌てて見渡したあたりの様子に愛里は思わず絶句する。リクライニングつきの座席、長細い車内。決して開くことの無い四角い窓。

「新幹・・・線?」

「うん、ちょとリッチにのぞみ」

 みーさんは焦点の合っていないぼぅっとした目を愛里に向けてみかんを頬張る。

「みみみみみみ御伽凪さん!いったいこれは何なのだ!」

「むー、御伽凪さん違う」

「は?」

 意外な言葉に愛里はきょとんとして目をしばたかせた。

「みーさん呼んでくれなきゃ、めー」

「・・・で?なんでいきなり新幹線に乗ってるだ?というよりもいったい私に何をしたのだ?」

 さらっとながして厳しい顔の愛里と対照的にみーさんはのんびりとみかんを口に運ぶ。

「なんていうか、女二人の京都ぶらり旅?」

「・・・ブラリタビ」

 あまりと言えばあまりに唐突な発言に愛里はきょとんとしてみーさんの言葉を繰りかえす。

「いい夢、旅気分?」

「はい?」

「風任せしょこくまんゆーき」

「いや、そこまで行くと何がなんだか」

「簡単に言うと、拉致」

「ああ。なるほど」

 愛里は大きく頷きみかんを一房口に入れた。ようやく理解可能な言葉が出てきたことに満足しながら甘酸っぱい実を飲み込む。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 ガタンゴトンと静かな車内に沈黙が満ちる。

 愛里の頭の中で、その単語の意味が処理され終わるまで。

「拉致ぃっ!?」

「わ、びっくり」

 これっぽっちもびっくりしたように見えないみーさんに愛里はわなわなと震えながら詰め寄った。

「なんで私が拉致されてるのだ!というか、私の身柄を拘束して何をしようというのだ!」

「ぶらり旅。京都、私もはじめて」

「答えになってない!」

 悲鳴のような抗議を聞いてみーさんはちょっと悲しげな顔をする。

「あいりっちいじわるー」

「何で!?どっちかっていうと・・・」

「みー、京都、はじめて。ひとりたびさせるなんて、お金も全部みーがおごるのに・・・いじめ、かっこわるい」

 そう言われて愛里は軽くたじろいだ。冷静に考えればそれで拉致された愛里のほうが被害者っぽいのだが。

「もう授業ない、思い出作り、だったのに。しょぼん」

 ややわざとらしいしょんぼりポーズが人の良い愛里の心をぐりぐりえぐる。

「く・・・わかった。京都なら・・・私も興味のある町だからな」

「うれし、あいりっち、かわいー!」

 ため息とともにそう言った愛里をみーさんはいきなり抱き寄せた。

「ぬぁっ!?よ、よせ、わたしはだなっ!?」

「だいじょぶ。みーも本命は恭一郎と葵」

「・・・葵・・・?」

 顔をひきつらせる愛里を離してみーさんは鼻歌など歌いながらみかんを食べ続ける。

 

『・・・なにか・・・私は決定的なミスを犯した気がする・・・  中村愛里』

 

 

「きょうとー、きょうとー」

 新幹線を降りたみーさんは満足げに呟いた。

「新幹線だと案外早いものだな。京都も。それで・・・これからどこを回る気なのだ?」

「そこで、これ」

 みーさんは左手の人差し指をぴんと伸ばしながら右手を上着の下へとつっこんだ。

「・・・っていうか、我々は制服のまま京都を観光するのか・・・?」

 呟く愛里を無視してみーさんは上着の中をまさぐっていた手を引き抜く。

「かざみどりー」

「・・・まさか」

「くるくるー」

 みーさんにつつかれた風見鶏はくるりとまわり、ある方向をむいてピタリと止まった。

「うん、出発―」

「・・・まあ、よいのだが」

 

 

 改札口を出たみーさんが向かったのは京都駅の駅ビルだった。数年前に建てられたばかりのビルの中をぶらりぶらりと歩いて行く。

「なかなかに立派なものだな」

 店に並んだ品々を眺めて愛里は呟いた。ふだんあまり買い物に行ったりしないだけに見るもの全てが珍しくてしょうがないのだ。

「来る来る。こっち」

 そんな愛里の手をとってみーさんは歩みを速めた。

「お、おい・・・どこへ行くと言うのだ?」

「大丈夫」

「いや、会話になっていないと思うのだが」

 半眼で呟く愛里を引っ張ってみーさんがやってきた先は、駅ビルの一番はじにある大階段だった。地上十数階分の巨大さに思わず声が出る。

「ほう・・・一番上から下までぶち抜きで階段を作ってあるのか・・・」

 その規模の大きさに愛里は思わず声を漏らした。幅8メートルほどもあろうかというその階段の脇にはエスカレーターがあり、移動手段としてはあまり意味の無いその階段だがあちらこちらに腰をかけて眺めを楽しんでいる人々にとってはそんなことはどうでも良いようだ。

「上の方、お日様。気持ちいい」

 みーさんはそう言って頭上を指差す。確かに大階段の天井は途中で途切れておりそのまま屋上へとつながっているようだ。今日のような日差しの暖かい日はそれがすこぶる気持ちよさげである。

「ふむ。ちょっと登ってみたい気分だな」

「うん、あいりっち、ごー」

 みーさんはぽむぽむと愛里の肩を叩いてからぐっとガッツポーズを取った。

「うさぎとびで」

「行くわけないだろう!」

 ぎょっとした顔で叫んだ愛里にみーさんは心底不思議そうな顔で首をかしげる。

「愛里、体育会系。階段上るとき、いつもうさぎとび、ちがう?」

「いつの体育会系だそれは!しかも私はそういうのとはちょっと違う!」

「・・・逆立ちは、スカートだから、やめた方いい思う」

「だから!なんで普通に上ると言う発想が出ないのだ!」

「おお」

 みーさんはぽんっと手を叩いて感心した。

「・・・ともかく、上ろう・・・」

 ぐったりした愛里とわずかに笑みを浮かべたみーさんは数百メートルはあろうかと言う階段を並んで上り始めた。

 エスカレーターを使うという発想が出ない時点でかなり体育会系だということに、愛里自身は気づいていない。

「おお、いい眺めだ・・・」

 屋上から京都の町を見下ろして愛里は思わず呟いた。景観を守るために一定以上の高さの建物を作らない京都の町並みは唯一の例外とも言えるこの屋上からははるか遠くまで見渡せるのだ。

「愛里、高いところ、好き?」

「まぁ、どちらかと言えば、な」

 そう言って振り返った愛里にみーさんはにゅっと風見鶏を突き出す。

「な、なんだ?」

「愛里よろこぶ。次の目的地も高いところ」

 

 

「なんだか登ってばかりだな」

 次の目的地へ向かう坂を上りながら愛里はみーさんに話しかけてみた。

「落ちるよりはいい。わりと、いい」

「・・・そういうものか?」

 呟いて辺りを見回した目がふと止まる。

「愛里、どした?」

「いや・・・」

 愛里はあいまいに呟いて足を速めた。だが。

「土産屋の木刀?恭一郎を思い出した?」

「う・・・」

 あっさり見破られてその表情が固まる。

「あいりっち、可愛い」

「い、いや、そのだな。私も剣士の端くれであるわけでだな・・・その、いい木刀があるかなぁなどと・・・」

「・・・土産物屋で?」

「あ、あれだ!日々油断せずいろんなところに気を配ってこそ・・・!」

 だらだらと汗をかきながら力説する愛里の肩をみーさんはぽんっと叩いた。

「うん。わかってる」

「わ、わかってくれるか?」

「わかる。愛里の深いらぶ」

「わかっていないっ!」

 力いっぱい叫ぶ愛里に通行人たちの不審気な目が集まる。

「あ・・・す、すいません。なんでもありませんから・・・」

 愛里は恐縮して頭を下げた。

「ぶい」

 

 

『御伽凪さん!無意味に目立たないっ! 中村愛里』

 

 

「はぁ・・・必要以上に疲れた・・・」

 愛里はようやくたどり着いたそこを見渡しながら深く深くため息をつく。ここは清水寺・・・どこへ行っても寺社仏閣がある京都においてもベスト3に入る知名度のお寺である。

「いい?御伽凪さん。ここは六合学園ではないのだから意味も無く奇行に走るのはよしなさ・・・」

 い、と言い終わる前に愛里の動きが止まった。

「ん?」

 その視線の先でみーさんはロープを手すりに結ぶのを中止して首をかしげて見せる。

「み、御伽凪さん?それは・・・何を・・・」

「?」

 みーさんは不思議そうな顔で自分の手を見下ろした。

「何って、ばんじー」

「!?何故に言ってるそばからそんな奇行に走るのだあなたは!」

「落ち着く、愛里。ここ、どこだと思う?」

 みーさんはそう言ってあたりを指し示す。清水寺の特徴である、日本中に名高い・・・

「まさか・・・御伽凪さん?」

「日本の伝統、清水の舞台から飛ぶ。私、前からやってみたかった」

 愛里は数歩後ずさってからようやく精神的なリストラをはたした。

「清水の舞台から飛び降りるというのはことわざ・・・というか、たとえだっ!本当に飛び降りてどうする!」

「?・・・でも、そこの人なんか紐も付けてない」

「はい?」

 みーさんの指差した方へ愛里はおそるおそる顔を向けた。そこに一人の少女が居る。どこと無く幸薄そうなその少女はふらふらと体を揺らして手すりによじ登ろうと・・・

「ひぃぃぃぃぃぃ!?」

 愛里は悲鳴を上げながら少女に駆け寄ろうとした。だがそれよりも一瞬早く少女はふらりと手すりの向こうに身を躍らせる。

「きゃぁっ!」

 顔をこわばらせた愛里の視界の中で少女が小さくなって行く。

「ど、どどどどどどうしよう!」

「ああ、あれは大丈夫」

 みーさんは肩をすくめながら愛里の目を手のひらでふさいだ。

「な!?何を!?」

「ほら」

 手が離れた瞬間愛里は手すりから身を乗り出した。惨劇を予想して顔をゆがませながら視線を遥か下の地上へと走らせる。

 が。

「いない?」

 眼下に広がる林にも、その合間をぬって作られた参道にも変わった様子は無い。のんびりと歩いている参拝客にもあわただしさは無い。

「み、御伽凪さんっ!今の人は・・・!?」

「成仏はしてない思う。でも、あれは悪さするようなもの、ちがうし」

「・・・成仏?」

 呟いた愛里の顔がさっと青ざめる。

「さぁ、もっと奥の方、行く、よい」

 元気よく言ってとことこと歩き出すみーさんと対照的に愛里は手すりから下を見下ろして動けない。

「・・・愛里?」

「!?・・・な、なんだ!?」

 

『飛び降りる、危ないよ?  御伽凪観衣奈』

『あなたが言うか!?      中村愛里』

 

「ほら、愛里、しっかりする、良い」

「・・・負けるな愛里、なんのこれしき・・・」

 ぶつぶつと呟いてから愛里はぱんっと自分の顔を両手ではたいた。

「うん、せっかく来た、ちゃんと見てく、良い。金閣寺、ぴかぴかー」

 みーさんは池のほとりに立ちその向こうに輝く金色の社殿を眺める。

ショック状態の愛里を引きずるようにしてみーさんは金閣寺へとやって来ていた。

「これが金閣寺か・・・本当に金ぴかなのだな・・・」

 ようやく立ち直った愛里はうむと頷き金閣を見つめた。

「さすがはその美に嫉妬した輩に火をつけられたという金閣だな。実にきらびやかだ」

「うん。ぴかぴかー。火がついたら、反射、もっとぴかぴか?」

 不穏当な発言に愛里はぴくっと顔を引きつらせる

「・・・ところで、さっきから気になっているのだが・・・手に持ってるそれは・・・いったい何なのだ・・・?」

 言われてみーさんはくいっと首を傾けて自分の手を見下ろした。そこに握られているのは、小さな黒い箱。

 マッチ箱のようなそれの真ん中には、赤いボタンが一つ。

「・・・なにかなー」

 無表情なまま歌うように言うみーさんの視線を愛里はちょっと引きつった顔でたどってみた。

「・・・金閣?」

 みーさんの視線はまっすぐ金閣に向けられている。

 そして、愛里はみーさんという人間のキャラクターをよく知っていた。まずいことに、よぅく知っていた。

「・・・私の勘違いだといいのだが・・・それは・・・リモコンだったり・・・」

「ぴんぽん、愛里、鋭い」

 みーさんはカクンカクンとうなずいてみせる。

「・・・一つ聞いてもいいだろうか?」

「どんと聞く」

「・・・それ、何のリモコンなのだ?」

 恐る恐る尋ねた愛里にみーさんはくいっと首を傾けた。

「ひんと1。4文字のこと」

 ばくだん。

「・・・もしかして、<ん>がついたりするだろうか」

「うん。つく」

 ばくだん。

「い、いくらなんでも・・・そんなことはしない・・・な?」

「?・・・ひんと2。みーがだいすきなもの」

 ばくだん。

「・・・御伽凪さん。繰り返すが、ここは六合学園ではない。無闇に破壊しても土木建築同好会が即座に直してくれるわけではないのだぞ?」

「うん。わかてる。どして?」

「・・・いや、私の勘違いだったようだ。しかしそうなるとそのリモコンは・・・」

「ひんと3。かやくに関係」

 ばくだん。

「まさか・・・押すのか?」

「うん。そろそろ」

 愛里は青ざめた顔をむりやり笑みの形に捻じ曲げた。そこまではしないだろうという願いと、この少女ならやりかねんという戦慄が繰り返し押し寄せる。

「御伽凪さん?そ、そのリモコンをわた、わた、渡しなさい?」

「?・・・いーよ」

 みーさんは素直に頷いて無造作にそのリモコンを愛里のほうに投げた。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」

 愛里は声にならない悲鳴を上げて飛んできたそれを掴む。

 

 ぽち。

 

「・・・押した」

 みーさんは軽く口を尖らせて呟いた。

「・・・・・・」

 愛里は真っ白に燃え尽きたまま動かない。頭の中で聖歌隊がハレルヤコーラスを繰り返し歌う。

「・・・はーれるっや、はれるっや、はれるっや・・・」

「?・・・愛里、どした?」

 みーさんは愛里の肩を掴み無造作に前後へ振り回す。

「はっ!?みみみみみみみみみ御伽凪さんっ!わ、わた、私押しちゃったぞ!?」

「うん。すぐ反応が来る、思う」

 愛里は慌てて背後の金閣へと振り返った。

 だが。

「・・・あれ?」

 予想に反して爆発も炎もない。鳩も出ない。

「・・・御伽凪さん?このリモコン・・・いったい何なのだ?」

「4文字で、みーが好きで、かやくに関係あるもの、届けてもらう、発信機」

 言いながらみーさんはすっと近くの樹を指差した。ぎしぎしと首をそちらへ向ける。

「ひっ!?」

 その樹の向こう側に、黒いスーツに身を包んだ男がたたずんでいた。黒いサングラスに黒いパナマ帽、口にタバコをくわえて真っ黒なトランクを手に提げている。

「・・・御伽凪のお嬢か?」

「うん、私、みー」

 かっくんと頷いたみーさんに男はサングラス越しに鋭い視線を向けた。

「合言葉は?」

「モゲ太、最後の聖戦」

「・・・持って行け」

 男はニヒルに微笑んでトランクを地面に置いて音も無く姿を消した。

「・・・み、御伽凪さん・・・その、トランクは・・・」

「いいもの」

 みーさんはやや嬉しげにそう言って男の置いていったトランクを持ってくる。

「4文字で、火薬で、御伽凪さんが好きなものか?」

「うん」

 頷いてみーさんは無造作にトランクを開けた。

「ひっ!?」

 愛里は反射的に後ずさってから思い直して前に出た。いざとなったら身をもってみーさんの凶行・・・というか奇行を防ごうと言う悲しいまでの決意が・・・

「はい?」

 力いっぱいから回った。

 大きく開いたトランクの中には漆塗りの箱が2つ入っている。みーさんがふたを開けたその箱の中に、ほかほかと湯気を立てる具入りご飯とさまざまなおかず。

「答えはべんとう」

「・・・火薬は?」

 停止しかけた思考の中でもきっちりつっこむ自分を、愛里は少しだけすごいと思った。

「かやくごはん」

 愛里は遥か遠くへと視線を投げた。空はこんなに青いのに、風は、こんなに暖かいのに、どうしてこんなにも心が虚しいのだろう?

「御伽凪さん・・・あなたって人は・・・」

「待った、愛里。あれ、見る」

「ん?」

 愛里はため息をつきながらとろとろとみーさんが指差した方を向く。もう気力は切れかけているがそれでも人を無視することの出来ない人のよい彼女だ。

 そして。

「ぬぁっ!」

 半ば閉じかけていたその目が大きく見開かれた。

「み、みかっ、みかっ!」

「みかん?」

「違うっ!御伽凪さんっ!ひ、人が!人がっ!」

 口をばくばくと開ける愛里の視線の先に少女が一人居た。ゆっくりと歩くその姿はどこにでもいそうな地味な・・・そしてどこか幸薄そうな佇まいだ。

 

 その背中が、燃えてなければ。

 

「くっ!」

「待った」

 何とか火を消そうと飛び出しかけた愛里の腕をみーさんはがしっと掴んだ。

「何をする!早くしないと!」

「よく見る。あの子、熱がって、ない」

「は?」

 思わず立ち止まった愛里の前で少女は立ち止まった。その姿が炎もろとも霞むように消える。

「・・・な、何?いまの・・・」

「多分、目立つことで見つけてほしかったんだろうね」

「見つけてほしかったって・・・誰に?」

 何の気なしに聞いた愛里だったがそれに対するみーさんの声は至って真面目だった。

 痛いほどに。

「探し人、想い人。もう、遅いというのに」

「み、御伽凪さん?」

 戸惑う愛里を無視してみーさんはどこからともなくあの風見鶏を取り出す。

「ほら、焦ってる・・・」

 みーさんの手の中で風見鶏はくるくると回っていた。

 誰の手も触れず、風も吹かないというのに、くるくる、くるくると。

「御伽凪さん・・・それは・・・一体なんなのだ?」

 知らず厳しい顔になっていた愛里の問いにみーさんは軽く目を伏せる。

「ごめん。もうちょっと、待つ。多分次で終わり」

 呟くようにそう言ってみーさんはさっと顔を上げた。愛里のほうを向く頃には、いつもどおりのぼーっとした顔で。

 

 

『ところで、おなか、すく。べんとう、早く食べる、良い 御伽凪観衣奈』

『・・・まあ、お腹は空いたが・・・            中村愛里』

 

 

「やっぱり、最後、ここ」

 呟くみーさんをちらりと眺めて愛里はその建物を眺めた。

「清水、金閣とくれば・・・銀閣寺と来るのは、まあ定番だな」

 一応答えたものの、愛里はそわそわと落ち着かない。この旅がただの観光じゃないことがわかったことに加えて・・・

「なんで人が誰も居ないんだ・・・?」

「人払い、してもらった。これなら、探す意味、無い」

 みーさんは静かに言い、銀色の風見鶏を静かに足元に置く。

「愛里、黙っていた、ごめん。もう、気づいている?」

「・・・なんとはなく、な。私とて六合の生徒だ。いまさらこれくらいで驚きはしない」

 愛里は呟き、力なく首を振る。

「今度こそ答えてくれるだろう?それは・・・なんなんだ?」

「・・・仕事柄、うちの家、へんなもの集まる。ほとんどはただの古いもの。でも、ごくごくたまに・・・ほんもの、ある」

 みーさんはそこで言葉を止め、すっと風見鶏を指差した。

「これが、それ。迷い、求めるもの」

 そこに、少女が居た。今まで2度にわたり二人の前に姿を現した、地味で、普通で、どことなく幸薄そうな。

「・・・・・・」

 少女は何の表情を浮かべることもなく、何を言うでもなく、ただそこに佇んでいる。

「この子、修学旅行で京都に来た。その帰り、事故、死んだ。でも、それ認められなかった。だから、この子、残った。助けてもらうため、好きだった誰かを探して」

 みーさんは愛里に聞かせるとも自分に言い聞かせるともわからぬ言葉を紡ぎながら自分の懐に手を差し込んだ。

「ここまで、私がこれを手にしたときに流れ込んだ記憶。ここからは、私が調べたこと」

 引き抜かれたその手には拳銃が握られている。

「この子の好きだった人、もう死んでる。この風見鶏を手にした最初の誰かが、その人の下にこの子、連れてった。その人、怯える。逃げる。そして、このこと同じように」

「・・・事故か」

 愛里はポツリと呟いた。少女の足元で、風見鶏はくるくると回る。

「どこまでこの子、意思、あったか。でも、間違いなく・・・今、この子、何も見えない。何も聞こえない。周りの言葉に反応して、ただ現れ、探すだけ。多分、もう誰を探してるかも、わからない」

 みーさんはゆっくりと腕を伸ばした。夕焼けを映しこみ赤く染まった拳銃が真っ直ぐに風見鶏を狙う。

「何人かの手を渡ってるうちに、どこを目指してるかはわかった。でも、だれもその先、出来なかった。だから」

「・・・だから?」

 愛里は隣に立つ少女と風見鶏の元に立つ少女を見比べた。やや不安げに。

「私が、その先をやる。さっき、頼んでいたもの届いた。祈祷済みの、水銀弾。これを具現化する媒介に喰らって、姿を保てる霊、居ない」

「!・・・さっきの黒服・・・弁当はダミーか!」

 頷き、御伽凪観衣奈は感情の無い目で目標を見つめる。

「もう、この子に行き場、ない。私たち以外に、人もいない。逃げ場は、ない」

「・・・み、御伽凪さん・・・その子を・・・殺すのか?」

「そう。殺す」

 死者を殺すと言う言葉の矛盾を、御伽凪はあえて指摘しなかった。

「私がやる、いい。どうせ・・・私は人殺しだから」

「!?」

 目を見張る愛里を、御伽凪は見ようとしない。いや、見ることが出来ない。

「知らなかったか?私、戦場で生まれた。戦場で育った。小さかった、私、この手では人、殺してない。でも、私が集めた情報で、父のひとの部隊、何度も勝った。敵、いっぱい死んだ。殺したのは、私」

 風見鶏の少女は動かない。何も映さない目で、ひたすらにあたりを見回す。

「だから、いまさら。私が、その子を殺す」

 みーさんは口を閉じ、むしろ無造作な動きで引き金を・・・

「やめよう、御伽凪さん」

 引く寸前で、その腕を掴まれた。

「・・・愛里。ここで放っておいたら、この子、またどこかへさ迷う。ここで止めてあげなくては」

「だが、それならば私は要らなかっただろう?」

 愛里は微笑んだ。苦笑になるかと思ったが、案外素直に笑えるものだ。

「何故、わからない。出発する前、かざみどり、愛里の所へ来た。それは確か。でも」

「私には、わかったよ。この子が何故私を連れてきたのか・・・この子と私の共通点が」

 愛里は大きく一歩を踏み出した。

「それは未練。もう得られないものへの執着・・・そうじゃないか?」

 その言葉に、風見鶏の少女の目がはじめて光をともした。

「どんなに求めたところでもう無駄だと言うことはあなたもわかっているのだろう?だから、同じ死人でありながらあなたは想い人の元へ行かない。怖いから、生ぬるい思い出を求めてさ迷う」

「違う・・・どこかに居る・・・きっと・・・探せば・・・」

 御伽凪は拳銃を握ったままの腕をピクリと振るわせた。風見鶏の少女が喋るなどということは彼女の予想には無かったのだ。

「それは嘘だ。一度はその男のもとに辿り着いたのだろう?二度は出来ないなどということはあるまい」

 風見鶏の少女の無表情だった顔が怒りで染まった。

「うるさい・・・どうせ・・・あんたも未練だらけのくせに・・・」

「そうだ。望むなら認めよう。私は恭一郎が好きだ。もう手遅れだとわかっていても尚、好きだ。だが、あなたが望んだように傷を舐めあうつもりなど無い」

 愛里は鋭い視線を少女に突きつける。実体の無い少女の姿がゆらりと揺らめいた。

「私は、まだあきらめていない。もはや無いものねだりもしない。私に与えられた全てで、彼を好きであり続けるつもりだ。いつか、決定的な何かが起きるか・・・拒絶されるまで」

「・・・そんなの・・・つらい・・・だけじゃない・・・」

「でも、つらいだけ、違う」

 それにポツリと答えたのは御伽凪だった。

「私、最初から何も、望んでなかった。私、人、好きになる、資格ない。まして、恭一郎、私の昔・・・多分わかってる。血の、臭い」

 伏せかけた目を真っ直ぐに風見鶏の少女に向け、御伽凪は微笑んで見せる。

「でも、恭一郎、私にいっぱい想いをくれる。楽しい。みんなといるとき、私、普通の学生のように、思っていられる。それが重いとき、ある。自分だけ違う想うこと、ある。でも、恭一郎達に会わなければ、何もなかった」

 拳銃をおろしてみーさんは頷いた。

 そうだったと心の中でだけ呟く。

 今、自分はみーさんなのだと。望み、求めて、手に入れた・・・暖かい場所に居ることの出来る自分。

 みーさんは、非情に徹する事など出来ない筈なのだ。

(多分、みーにも、恭一郎がうつったから、かな?)

「私は恭一郎に惹かれた自分を誇りに思う。満たされない想いに負けず、自分を変えていけたことを誇りに思う」

 風見鶏の少女は喋らない。どこか希薄になったような、半透明な姿のまま立ちすくむ。

「押し付けがましいとは思う。あなたの境遇に同情もする。だが、それでも私はこう言うのだ」

 そして愛里はゆっくりと少女に歩み寄った。もはや回転していない風見鶏を拾い上げ、きゅっと抱きしめる。

「あなたは、天へと行くべきだ。求める人のもとに行くべきだ。そうでないと・・・」

 愛里はほろ苦く微笑んだ。

「そうでないと、悲しすぎるではないか・・・」

 その言葉が消えるか消えないかという瞬間。

 キンッ・・・

 澄んだ金属音を残して風見鶏が砕けた。一瞬で粉々になったそれはまるではじめからそんなものは無かったかのように風にまぎれて消えていく。

「・・・わからない・・・あたし・・・なにがしたかったんだろ・・・」

 そして、少女の姿もまた、呟きだけを残して消える。

 後に残されたのは少女が二人。

 冬の早い日は落ちて、空はもう夕暮れとは言えない色に染まっている。

「おせっかい・・・だっただろうか?」

 愛里は長い沈黙の後に、ポツリとそう呟いた。

「そうかも。でも、みー達にほかの選択、ない。それに・・・あの子もきっと、納得はしてたと思う。これまでを後悔しても、足を止めることが悲しいことだけは、気づけたから」

 みーさんは微笑み、そう告げる。

「・・・御伽凪さん、最近はちゃんと笑うようになったのだな。昔は口の端を軽く曲げる程度だったのに」

「そう?多分、みーは・・・幸せものなんだと思う」

「・・・私も、そうだな」

 風見鶏の少女と自分の決定的な差など無かったことがわかるだけに、愛里もみーさんもその事実を噛み締める。

 風間恭一郎という男を中心にしたあの場所にたどり着けた幸運を。

「それにしても・・・結局観光らしい観光にはならなかったな」

 愛里はこの話はこれでおしまいとばかりにことさらに明るい声でみーさんに話しかけた。

「大丈夫。あしたはがんばる。いっぱいまわる」

「・・・明日?」

 無表情にガッツポーズなどとるみーさんの言葉に愛里の頬を冷や汗が伝う。

「うん。ホテル、予約済み」

「・・・わかっているが、一応聞くのだが・・・部屋は・・・」

「だぶる」

「ちょっと待った!ツインじゃないのか!?」

 説明しよう!ダブルとツインとはホテルの部屋の種類である。どちらも二人用の部屋だがちゃんとベッドが二つあるツインとは違いダブルの部屋には大きなベッドがひとつだけである。

 無論、まっとうな女二人旅で泊まるような部屋ではない。

「う〜ふ〜ふ〜」

「そ、そのドラえ○んのような笑いは何なのだ!?」

「気にしない。ついに愛里の口から恭一郎へのらぶ、聞けたし〜」

「ぐっ・・・」

 愛里はやや青ざめて後ずさった。逃げ場を探してきょろきょろとするが無論そんなものあるわけが無い。

「み、御伽凪さん・・・あなたも、恭一郎が好きなのだな?ノーマルだな!?」

「うん」

 みーさんはあっさりと頷いてからぼそっと呟いた。

「でも、葵にもらぶ」

「!?」

 

 

『帰る!わ、私はまだそこまで切羽詰っていない! 中村愛里』

『逃がさない〜               御伽凪観衣奈』

 

 

 ちなみに、その夜のことを、中村愛里は誰にも話さなかった。

 

 

 

 とりあえず・・・最後の一線は守ったらしい。