それは、ある晴れた日曜日にやってきた。
「だから手首の返しがだな・・・こう」
「だからそれじゃうまく丸まんないのよ。こうだってば」
近くのコンビニへの買出しから帰ってきた恭一郎と美樹の取り留めのない言い争いに苦笑していた葵はふと首をかしげる。
その大きな瞳が見つめているのは今通り過ぎたばかりの風間家のポストだ。
「ねえ恭ちゃん。手紙がきてるよ?」
「あん?」
恭一郎はポストに手を突っ込み、その中から一枚の葉書をつかみ出した。
「誰から・・・な!?」
何気なくその葉書を眺めた恭一郎の全身が一気に硬直する。
「ど、どうしたの恭ちゃん?」
「その葉書がどーかした?」
不審気な葵と美樹を無視して恭一郎は震える手で葉書をひっくり返した。
「!?」
瞬間、恭一郎の手から葉書が落ちる。美樹は地面に落ちる前にそれを掴み、しげしげと眺めた。
「えっと、あて先は風間恭一郎。差出人は・・・風間秋乃?」
「あ、その人って恭ちゃんの叔母さんだよね。夏希ちゃんのお母さんだよ」
へぇと頷いて美樹は葉書を裏返す。
「すぐ行くから待ってなさい・・・なにこれ?」
「お、俺は数日消える・・・探さないでくれ・・・」
恭一郎はそれだけ呟いてばっと身をひるがえした。
「あ、恭一郎!どこ行くのよ!」
「できるだけ遠くへだ!」
叫びながら恭一郎が門から外へ出た瞬間。
「ん〜、ちょっと遅かったわね」
楽しげな声と共に巨大な何かが恭一郎の前に現れた。
ごちんっ!
瞬間。人の体がたてるにしてはやけに固い音とともに恭一郎の体が綺麗な放物線を描いて宙を飛ぶ。
「人体の飛行高度の限界に挑戦!?」
「美樹さんそれおもしろいけど言ってる場合じゃないよ!」
玄関のドアにぶつかってずるずると崩れ落ちた恭一郎に葵はぱたぱたと駆け寄る。
「っていうか、今のは一体?」
美樹は呟きながら門の外へ視線を投げた。そこには・・・
「駄目ねぇ恭一郎。お姉さん手ごたえなくて欲求不満よ?」
上機嫌で笑っている女性が一人。背はあまり高くない。体格的にもやや細身だ。しかし、その体つきは恭一郎や愛里に通じる『戦闘者』のそれである。『先行者』ではない。
長い髪を背中でまとめ、腰までの三つ編みにしている。表情はあくまで明るく、無闇に自信がありそうな顔立ちをしており。
そして。
「でかっ!何それ!?」
その手袋をした右手には、巨大な何かが握られていた。1メートル近い棒の先に、幅は30センチ、長さで1メートル近い刀身がついている。
「あ、これ?これはね、斬馬刀っちゅーのよ。馬の上にいる人を斬る為のものと馬ごとぶった斬るためのものがあるんだけどこれは馬ごとのほうね」
斬馬刀の女性は言いながらその巨大な刃物をぶんぶんと振り回した。
「あ、あの・・・ひょっとして、恭一郎を吹っ飛ばしたのはそれでしょうか・・・」
「きまってんだろうが・・・」
引きつった笑みで美樹が呟くと同時にダウンしていた恭一郎がふらふらと上半身を起こす。
「相変わらず無茶苦茶しやがる・・・少しは落ち着けよ。もういい年なんだか・・・」
ぼぐん。
言葉が鈍い音で途切れた。頭頂部を斬馬刀の刀身で強打されて恭一郎は再び地面に頭を落とす。
「なぁに?お姉さん、なぁんにもきこえなかったなぁ?もう一回言ってみてくれる?」
「あ、あの、恭一郎、喋れる状態ではないとおもうのですが?」
反射的に敬語になった美樹に女性はパタパタと手を振って笑った。
「だいじょぶじょぶ。あたしの甥っ子はこれくらいでへばるようなやわな男じゃないから」
「甥っ子?」
半ば予想していたとはいえ美樹が聞き返した瞬間だった。
「あぁっ!またお兄ちゃんをいじめてる!」
「きゃぁっ!?お、お兄様っ!」
それぞれの絶叫とともに夏希と紀香がドアを突き破らんばかりに飛び出してくる。
「あらなっちゃん。今日も遊びに来てたんだ」
「お母さん!お兄ちゃんをふっ飛ばしちゃ駄目だっていつも言ってるでしょ!?いい加減壊れちゃうよ!?」
「夏希さん!お兄様をもの扱いしないでくださいな!」
騒がしい少女二人を横目に美樹はたらりと冷や汗を流し、外見的には自分とさして変わらない容姿の秋乃に声をかけた。
「あの、つかぬことを聞きますけど・・・お、おいくつですか?」
「ん?今年で35よ。夏希は25のときの子供」
美樹はぱかっと口を開く。
「か、風間家には若返りの秘法でも伝わってるんですか!?恭一郎のお母さんといいあなたといい!」
「そーねー、あえていうなら深く悩まないことかなぁ」
からからと笑って秋乃はすたすたと恭一郎に近づいた。困り顔でこっちを見ている葵の頭を軽く撫でる。
「大丈夫だってば。恭一郎ちゃん、器用に打点ずらしてたし」
言いながら斬馬刀を左肩に担ぎ右手でひょいっと恭一郎の首を掴んで持ち上げる。
「わ、わわ!恭ちゃんは猫じゃないです!猫掴みしたいんでしたら私が代わりに掴まれますから!」
「・・・葵ちゃん、微妙に混乱してるわね」
美樹は苦笑しながら玄関のドアをかってに開けた。
「まあ、ここで立ち話もなんですし、中へどうぞ」
『美樹・・・仕切るんじゃねぇ・・・ 風間恭一郎』
「あら、来てたの?義姉さん」
徹夜明けで昼過ぎまで寝ていた恭一郎の母・・・風間観月はリビングに入ってきた秋乃に目を丸くした。
「今来たところ。相変わらず不規則な生活してるのね〜」
「ま、職業柄ね。義姉さんも相変わらず豪快な生活してるみたいね」
言いながら観月は自分の正面の椅子を勧める。
「道場の方にもいい子が入ってきて結構充実してるわよ」
「ふ〜ん、で?今日はどうしたの?」
秋乃は問われてパタパタと右手を振って笑った。
「あー、愛しい甥っ子の元気な姿を見に来ただけよ。最近夏希もお世話になりっぱなしだしね」
「・・・なのにその甥っ子の頭を勢いよく張り飛ばすのかよ」
恭一郎はジト目で秋乃を睨む。
「あれも愛情表現だってば〜私はあなたを心から大事にしてるのよ〜?」
秋乃はそう言って一人でうんうんと頷いてからふと手を打った。
「それはそうとしてお茶入れてよ恭一郎ちゃん」
「大事にしてんじゃねぇのか?」
「お茶、いれてくれるわよね?」
恭一郎の文句に秋乃はにっこりと微笑んで傍らの斬馬刀に手を伸ばす。
「だから!いちいち暴力にうったえるなよ・・・!」
恭一郎は舌打ちしながら台所へ向かった。その後に葵と美樹も続く。
「うーん、なんか恭一郎、変」
「うん。どうしたの?」
リビングで騒いでいる秋乃たちに聞こえないように美樹と葵は恭一郎に尋ねてみた。
「見てただろ?暴力で脅されて労働を強いられている哀れな青年の図、だ」
「ん、いや・・・そうだけどさ。なんかあんたが脅される姿って、変よね」
「秋乃さん、そんなに強いの?恭ちゃん」
恭一郎は急須の中でお湯をゆっくりと回しながら肩をすくめる。
「強い、な。最強だよ」
『最強なんだ。あの人が、な・・・ 風間恭一郎』
夜。恭一郎は庭に出て無心に木刀を振っていた。
「・・・まだ帰ってねぇのかよ」
室内から響く秋乃の陽気な声にため息をつき、ひたすらに素振りを続ける。
一通りの練習を終えて恭一郎は縁側にドスンと腰を下ろした。荒い息を整え傍らのタオルに手を伸ばし・・・
「ほれ」
そこにあるはずのタオルは何故か頭上から降ってきた。
「のわっ!?」
「あははは・・・ナイスリアクション」
驚きにのけぞる恭一郎を見て背後に立っていた秋乃はからからと笑う。
「ちっ、わけのわからないことを・・・」
ぶつぶつと呟く恭一郎の隣に秋乃はすとんと腰掛け、左の手袋を軽くはめなおした。恭一郎は視線を空に投げながらゆっくりと口を開く。
「ほんとは、何しに来たんだ?」
「・・・さっきの素振り、見てたよ」
秋乃は問いには答えず、静かな笑みを浮かべた。
「最後に恭一郎ちゃんの剣を見たのは・・・中学校の時の全国大会だっけ。あの時はまだ剣道使いだっでしょ?あれからあんまり経ってない気がしてるけど、ずいぶん強くなったね」
「・・・あんたほどじゃねぇよ」
恭一郎は半ばすねたように顔をそむける。視線が落ち着かない。
「相変わらず、そういうリアクションが来るわけね」
「・・・事実は、事実だろ?あんたの口癖じゃねぇか」
「そう・・・ね。事実は、事実。昔恭一郎ちゃんにそう言ったよね」
秋乃は苦笑混じりにそう言って軽やかに立ち上がった。もの言いたげな恭一郎の頭をぽんぽんと叩いて背を向ける。
「さって、お風呂にでも入ってこよっかなー。一緒に入る?昔みたいに」
「ぶっ・・・!?ありゃあ俺がまだ幼稚園ぐらいの・・・!」
「あっはっは、冗談だってば。恭一郎ちゃんってばかあいーんだから」
笑いながら去っていく秋乃に恭一郎はしばし悪態をついてから再び庭へと視線をうつす。
「事実は、事実。消えやしねぇし、取り返しもつかねぇ、か」
苦々しげに呟いてからふと恭一郎は気がついた。
『ちょっと待て!泊まってくのかよ!?おい! 風間恭一郎』
そして翌朝。
「じゃあ、俺は学校に行くからな。うちを漁るんじゃねぇぞ」
「だいじょぶだいじょぶ。いってらっしゃーい」
恭一郎は背後でパタパタと手を振る秋乃に言い捨てて玄関のドアを開ける。
「まったく・・・説得力ねぇんだよその大丈夫がよ・・・」
ため息と共に出て行った恭一郎の背中を見送って秋乃はにへらっ笑う。
「うふふ、大丈夫。本当にこの家は漁らないもーん」
「・・・お母さん。なんかやらかすつもり?」
「あら夏希。あなたも学校?」
秋乃は振り返り、ランドセルを担いだ夏希の体をひょいっと持ち上げて『高い高い』をした。
「お、お母さん妙にハイテンション!?」
「ハイテンションで済ますんですかそれ?」
おののきとともに一歩後ずさった紀香に秋乃の目がきゅぴーんと輝く。
「うふふ・・・そう言えばうちの親戚には一通りやってあげてるこれ、まだあなたにはやってないわね」
「!?わ、わたしはもう大きくなっておりますのでそういうのは・・・」
逃げようとした紀香を捕まえ、秋乃はわきの下に差し込んだ手でその細身の体を軽々と持ち上げる。
「え・・・っきゃぁああああ!?」
紀香は瞬間的に『ある違和感』に気がついたが、それが何かを確かめるより早く上下に揺さぶられて・・・というよりも放り投げられて悲鳴をあげた。
「ほぅらほぅら、たかいたかーい」
「や、やめめめめめめめ・・・」
目をくるくると回す紀香をケラケラと笑いながら秋乃は抱きしめる。
「ん。これであなたも私的に身内。これからよろしくね。紀香ちゃん」
「え?」
言葉といっしょに額に押し当てられた唇の与えてくれる暖かさに・・・四井家の親戚が決して与えてくれなかった安らぎに息を呑む紀香の頭をぽんっと叩いて秋乃はうんうんと頷く。
「さぁ!遅刻しないようにふたりとも早く学校にGo!母さんもそろそろ出かけるからねー」
「?どこいくの?お母さん」
きょとんとした夏希の問いに秋乃はちっちっちと指を振った。
『ひ・み・つ☆ 風間秋乃』
「ほぅ、そんなに凄いのか?」
3時間目が終わった休み時間。ジュースのパックを買いに来た愛里はそこでばったり会った美樹と話しこんでいた。
「うん、恭一郎の体がこう、びゅーんって放物線描いてたもん」
「まことかっ!?」
「うわっ、いきなり入ってこないでよエレン!」
背後から飛び出してきたエレンに美樹はびくっとのけぞる。
「この際登場方法なぞどうでも良い!殿が?あの殿が為す術も無く吹き飛ばされたと?」
「うん。そりゃもう、ものすごい勢いで。まあ出会い頭だし、事故みたいなもんだけど」
美樹の説明に愛里は軽く目を細める。
「・・・マクライトさん、恭一郎に奇襲をかけて・・・クリーンヒットを奪える?」
愛里の問いにエレンはしばらく考えてから首を振った。
「無理だろうな。殿は超人的な反射神経を持つ上にあなたの『縮地』や主将殿の『無拍子』、エレガント男のカウンターなどを使える。防御面でもまず鉄壁だと見てよいだろう」
「私もそう思う。当てる程度ならともかく吹き飛ばすとなると・・・少なくとも我々のレベルでは無理だろうな。その女性がそこまで強いのか、それとも・・・」
「それとも?」
問われて愛里とエレンは軽く目配せをする。
「いや、確信は無いからな。一度太刀合ってみればわかるかもしれないが」
「そういうもんなの?」
ふぅんと頷く美樹に愛里が頷いた瞬間だった。
「そんなおふたり、最新情報、ある」
微妙にアクセントがおかしい声と共に近くの窓が開く。
「よばれてないけど、じゃじゃじゃじゃーん」
やや楽しげに言いながらその窓からあられたのは言わずと知れたみーさんだ。
「・・・御伽凪さん、ここは4階なのだが」
「いまさら気にしても仕方なかろう。で?最新情報とは?」
エレンの言葉にみーさんはうんと頷いて今出てきたばかりの窓を指差す。
「その風間秋乃、向こうに居る」
「はい?」
美樹は首をかしげながら窓から体を乗り出した。ぐるりと周囲を見渡したその視線が一点で止まる。
「あ・・・」
「これで8人目・・・っと」
秋乃は道端で痙攣している生徒を眺めてうむと頷いた。
「弓使いが接近を許しちゃいけないぞー」
その生徒を殴り倒した斬馬刀を肩に担ぎなおして秋乃はあははと笑う。
「うんうん。いいなぁここは・・・武器もって歩いてるだけでどんどん勝負を挑んできてくれるなんて」
「別に、誰にでもと言う訳ではありませんが」
静かな声に秋乃はくるりと振り返り、そこに立っていた二人組みに笑顔を向けた。
「“流剣”の中村愛里ちゃんと“豪剣”のエレン以下略ちゃんね?」
「・・・我々を知っているのですか?」
「というより、人の名前を豪快に略さないでほしい」
秋乃は笑顔のまま手袋の留め金をきゅっと締めなおして、背負っていた巨大な斬馬刀を右手で一振りする。
「木刀と竹刀を持って現れたって事は、別におしゃべりしに来たわけじゃないんでしょ?」
「ええ。ですが、あなたと戦うことが目的というわけでも・・・ありませんよ」
愛里の静かな声に4時間目の始まるチャイムが重なった。
「あ、授業サボりだ。いけない子達ねぇ」
「良いのだ!我々は殿の為の刺客にして愛の虜!サボりくらい何するものぞ!」
「いや、その、私は別にその・・・」
途端に赤くなる愛里に秋乃は暖かな笑みを一瞬だけ向けてからすっ・・・と姿勢を落とす。
「まぁ、やる気があるなら付き合ってもらうわよ?二人同時でいーわよ?」
「ふっ、そんなことはせぬ。まずは私だ」
エレンは木刀を青眼に構え、不敵に笑う。
「んじゃ、まぁ・・・いこうかな!」
秋乃の体がくるりと回った。
「む!?」
背後へ向いた斬馬刀、ひらひらと舞う三つ編みのリボン。いっそ優雅と言えるその動きに、エレンは斬り込まない。
否。斬り込めない。
何故なら。
「覇っ!」
別人のように鋭い声がした瞬間、反射的にガードしたエレンの木刀に今まで味わったことの無い衝撃が走った。
「っ・・・早い!それに重い!いきなり加速するか!」
秋乃の背中が見えてからの半周。回転運動の後半は異常に早かった。
「まぁ、重量があるからねぇ。私の斬馬刀ってば」
軽くバックステップして間合いを離してから秋乃はその長く重い刃を右手一本で振り回す。
「っ・・・!」
矢継ぎ早に繰り出される連撃をかろうじて受け流してエレンは反撃のチャンスをうかがうが秋乃の斬馬刀の長いリーチがそれを許さない。
「どうしたの?こんなものってわけでもないんでしょ?恭一郎ちゃんの手紙にはあなたはもっと凄いって書いてあったけど?」
「!?」
瞬間、エレンの目が変わった。
大きく跳びのいて間合いを確保、秋乃が追撃しようと回転運動を始めると共にその長身が同じように回転する。
「風間式・旋牙っ!」
「無双流・火車っ!」
声は同時、そして。
ぎんっ!
互いの獲物が噛み合う音が響く。ともすれば押し戻されそうになる腕にエレンは全身で練り上げた力を投入する。
そして。
「っ!?」
秋乃の斬馬刀が弾かれて背後へと刀身を向ける。
「もらったぁっ!」
エレンは無防備になった秋乃の体へと渾身の突きを放った。
筈だった。
「!?」
だが。その動きが止まる。エレンの喉元に、金属製の棒がつきつけられたのだ。
「長もの使いの接近戦はコレが命なのよ?知らなかった?」
秋乃はそう言ってにっこりと微笑み、それを・・・斬馬刀の柄をエレンの首から離す。
「まぁ、正直力負けするとは思わなかったけどね。うん。予想以上だったかな〜」
「・・・次は、私の相手をしてもらいましょうか」
愛里は竹刀をだらりと構えて首を振った。
「とは言え、私達の疑問は既に答えが出てますけど」
「疑問って何かは、教えてくれるの?」
秋乃はすいっと斬馬刀を愛里に向ける。ゆったりと二人は歩み寄り、数歩分の間合いをあけて軽く息を吸い込んだ。
「私が教えることじゃないから、教えません」
「ありゃりゃ。残念」
声が途切れ、互いに剣先を向け合っての一秒に満たない沈黙。そして。
「紗斬華っ!」
「風間式・虎駆!」
まばたきすら許さない一瞬の間に二人の位置は入れ替わっていた。
「・・・早い」
エレンの呟きと共に愛里はすっと視線を落とした。そこには、刀身の半ばから吹き飛ぶように折れた竹刀がある。
「やはり、勝てませんか」
その言葉と共に秋乃はゆったりとした動きで斬馬刀を左肩に担いだ。
「さっきとは逆に技的には打ち負けてたわね。突進力と勢いで押し勝ったって感じかしら。これでエレンちゃんの腕力があれば私よりも強いんだけどね」
そう言って秋乃はやや痺れた右手をぶらぶらと揺らす。
「その二つを兼ね備えている男を、私達は知っています。おそらくは・・・あなたも知っているからこそここに来たのでしょう?」
「・・・まあね」
秋乃の苦笑を横目で眺めて愛里はすっと背後の道を指差した。
「・・・剣術部の練習場は、そこの道を真っ直ぐ行って二つ目の角を左です。授業中ですけど・・・居ると思いますよ。彼らは」
「あはは、さんきゅーお嬢ちゃんたち」
ぶらぶらと去っていく秋乃の背を眺めて愛里はふうと息を吐いた。
『・・・間違いない。彼女は・・・ 中村愛里』
「あら?あなた達・・・?」
秋乃は古びた練習場の前で足を止めた。そこに、二人の少女が居る。
「何をしに、来たんですか?」
美樹は言ってからふぅと息をはいた。
「いえ、わかってはいるんですけどね。恭一郎と戦うんでしょ?でも、何故です?」
秋乃はかついでいる斬馬刀の柄に巻いた赤い布をくるくると指でもてあそびながら軽く首をかしげる。
「強さを、確かめる為に。1年前、最後にあの子と戦ったときは私の圧勝だったから」
「いくら恭一郎でもそんなに無茶苦茶腕が上がるってわけでもないでしょうに」
呆れたような顔の美樹ににこっと笑って秋乃は肩をすくめた。
「どうかな。それが良くわからないから、私はこうやって来たの。こんどこそ、恭一郎ちゃんの実力ってのを見たくてね」
「実力を?」
「そ。あの子・・・今まで私と本気で戦ったこと無いから。私、こんなだからね」
秋乃はそこまで言って手袋に包まれた左手を美樹たちの目の前に突き出し、その黒い皮製の手袋をぱっと取り去った。
「!?」
美樹は息を飲んだ。そこにあったのは金属製の腕。無機質な、動くことの無い。偽物の体。
「まあ、そういうわけでいつも私の勝ちでねー。でも、私だって武術家だからさ・・・こんなんで強いって言われたくないし、そんな勝負はもう嫌だから」
気圧されたように喋れなくなった美樹に代わり葵が顔を上げ、口を開いた。
「・・・恭ちゃんは、あなたより強いですよ」
「あ、葵ちゃん!?」
ストレートな一言に美樹は慌てて葵の袖を引っ張る。
「恭ちゃんと本気で戦ったら、あなたは負けます。私は運動神経ぜんぜんないし、からきし弱いですけど・・・風間恭一郎という人のことを、誰よりも見てきたことには自信があります」
葵はそれを意に介さず静かに話しつづける。それを聞く秋乃と同じような穏やかな表情で。
「秋乃さんも・・・それがわかっているから来たんですよね?」
「・・・うん。もう、いいかげんこんなのはやめにしたくてね。私は最強なんかじゃない。それはむしろあの子に・・・」
「あんたは最強なんだよ!」
その言葉を、苛立たしげな声が遮った。
「きょ、恭一郎・・・!」
美樹は暗い顔でそこに立つ男を見つめる。
「みーの奴が足止めしやがるから何かと思えば・・・こういうことかよ」
「・・・恭一郎ちゃん」
秋乃はしまったなぁと頭をかく。
「秋乃さん、あんたが最強なんだ・・・最強なんだよ。少なくとも俺より強いはずだった!その腕さえなけりゃ・・・俺のせいでその左腕がつぶれさえしなければ!」
「!?」
美樹は秋乃の金属製の左腕と恭一郎を交互に見つめて喋ることも出来ない。
「秋乃さんの左腕は・・・俺がガキのころ、交通事故にあったときに・・・俺をかばって駄目になっちまったんだから、な・・・」
「だからって、私は恭一郎ちゃんのせいだなんて思ってないよ。立場が逆だったら恭一郎ちゃんだって同じことしただろうし、私はあのとき、自分も無傷で助かるつもりだったんだしね」
秋乃は金属の左手をキコキコと動かして笑った。
「それに・・・恭ちゃん、本当はわかってるんでしょ?今の秋乃さんの強さは・・・」
葵は最後まで言えず、うつむきかけてやめた。
「そ。私の体格じゃあほんとなら使いこなせなかったはずのこの重量級の斬馬刀をまがりなりにも使えてるのは・・・風間式大刀斬馬術宗家なのはこの15kgもあるこの義手を遠心力に加えてバランスをとってるから。むしろコレで私は強くなったってわけ」
「それでも・・・俺は・・・」
言いよどむ恭一郎に歩み寄り葵はきゅっとその手を握った。
「恭ちゃん。生意気だって思われるかもしれないけど・・・余計な事言うなって思うかもしれないけど・・・恭ちゃんらしい償いは、そんなことじゃないと思うんだ」
微笑む葵に対し、美樹の行動はもっと直接的だった。ゆっくり歩み寄り、恭一郎の肩をぽんっと叩く。
「恭一郎?」
「・・・なんだよ」
「チェイサーッ!」
振り向いた恭一郎の顔面に、美樹は渾身の頭突きを叩き込んだ。
「ぐはっ!?」
「み、美樹さん!?」
「い、今のはかなり綺麗に入ったわねー・・・」
呆然とする葵や秋乃にかまわず美樹は恭一郎にびしっと人差し指を突きつける。
「あんたはっ、風間恭一郎だっ!」
静まり返った空気に美樹がはずしたかな?と少し後悔した瞬間だった。
「は・・・はは・・・はっははは・・・」
恭一郎は低い声で笑い始める。
「そうか・・・そうだな・・・俺は、風間恭一郎か・・・」
空を仰ぐ恭一郎を見つめて秋乃はクスリと微笑んだ。
「なんかいいね。こういうの。私ももう一回学生やりたくなっちゃったわ。さっき挑戦してきた二人も・・・私の実力が本当に恭一郎ちゃん以上かを確かめにきたってわけね」
「・・・秋乃さん、ずいぶん待たせたな」
恭一郎は美樹に目配せをして下がらせ、傍らの葵にかすめるように一瞬だけ唇を重ねた。
「・・・恭ちゃん、頑張ってね」
「・・・あのー、扱いの違いが少し気になるんすけど」
二人が十分離れたのを確認してから恭一郎は地面にいつもの木刀を突き立てた。
愛刀を手放した右腕を後ろに突き出すと同時に、どこからとも無く現れたみーさんが新たな武器をその手に渡す。
1メートル近い金属製の柄の先に取り付けられた幅30センチ、長さ1メートルの刃のついたそれは・・・
「いまだけは・・・風間式大刀斬馬術皆伝、風間恭一郎だ」
「・・・同じく、風間式大刀斬馬術8代宗家、風間秋乃よ」
二人は同じ武器、同じテンポでゆっくりと向き合う。違いはといえば秋乃は片手で斬馬刀を握り義手を背後に向けており、恭一郎は両手で斬馬刀を握っているということ。
「武術家として、至福のときだと思わない?こうやって向かい合えばなんだってわかる」
「・・・すまねぇ。長い間逃げてて。だが、俺には今・・・こいつらが居てくれる」
恭一郎と秋乃は頷きあい、そして。
『虎駆っ!』
異口同音に叫んで動き出した。
ギィンッ・・・!と、鈍い金属音を残して二人の放った突きが交差する。
「旋牙っ!」
「落鳳っ!」
くるりと回転して秋乃が放った横凪の一撃を鼻先にかすらせ、恭一郎は落雷のような打ち降ろしを秋乃へと放つ。
だが。
「旋牙弐の太刀!」
秋乃はそのまま大きく義手を振り、勢いをつけてもう一回転体をひねった。強烈な遠心力で加速された斬馬刀が恭一郎の一撃を文字通り跳ね返す。
「ちっ、やはり尋常じゃねぇなあんたの回転技は!」
「これが、私が身につけた力・・・恭一郎ちゃんは、何を身につけたのかな!?」
小型の台風のように秋乃の斬馬刀は恭一郎に矢継ぎ早の斬撃を浴びせかけた。
「ちっ・・・」
恭一郎はやや下がり気味に秋乃の攻撃を受け流し、反撃のチャンスを伺う。
「ほらほら、私はいくら回ったって目ぇまわしたりはしないわよ?」
右、左と回転する方向を変えて秋乃は叫んだ。
「恭一郎ちゃんも見つけたんでしょ!?もっと強い自分で居たいって気持ち!この人の為に強くなろうって思える人!」
「・・・おうよ!何しろ俺は風間恭一郎だからな!」
恭一郎は十数発目の斬撃を大きく飛びのいてかわした。
「これで決着をつけるわよ!」
秋乃はすかさず間合いを詰め、今までよりもややゆっくりめに身を翻す。
「風間式大刀斬馬術・・・!」
顔にはわずかな微笑を浮かべ、秋乃はばんっと地面を蹴る。二太刀目を捨てて全身で振り絞った力をハンマー投げのように体全体を倒れこませて右腕に伝える。
「秘法!吼龍斬っ!」
そして、弾かれたように斬馬刀が繰り出された。断ち切られた空気が低い唸り声を上げる程の早さで。
(回避・・・無理だ!この勢いじゃ受けたところで反撃も出来ねぇ!へたすりゃ剣が折れる!)
恭一郎はアドレナリンが引き伸ばした一瞬でめまぐるしく思考を走らす。
(なら、行くとこは一つ!)
「風間式大刀斬馬術!」
放った咆哮すら切り裂いて迫る刃を見据え、恭一郎は全力で斬馬刀を振り下ろした。秋乃にではない。そこに辿り着くよりも前に彼女の一撃は届く。
狙いは。
「地面にっ!?」
美樹の叫びと同時に、恭一郎は斬馬刀を地面へと突きたてた。そして、その分厚い刃を足がかりに高く飛び上がる。
つま先をかすめただけで全身に衝撃が響く秋乃の一撃に素直に驚愕しながら、空中の恭一郎は右手を引いた。
「そう、それが私には出来ない」
秋乃は視界の端にその姿を捉えて微笑む。彼女の生涯でも5本の指に入る渾身の一撃をよけた恭一郎の右腕。赤い布を掴んでいる手のひら。
秋乃のものと同じく、彼の斬馬刀の柄にも結んであった、長く丈夫な・・・空の恭一郎と地の刃をつなぐ。
「秘法・・・!」
恭一郎の強靭な筋力が地面に突き立ててあった斬馬刀を手元に引き戻す。
「雷獣閃っ!」
叫びと共に分厚い刃が空を薙いだ。重力で加速された一撃がいまだ回転の途中の秋乃を襲う。左半身を恭一郎に向けている秋乃の斬馬刀は当然右を向いており。
だが!
ガキンっ・・・!
重い金属音が、周囲を制圧した。
「ぬかった!」
恭一郎は自らの刃の先にあるそれを見て舌打ちをする。斬馬刀の重い一撃を受け止め、ひしゃげ、潰れた。主から離れ吹き飛んでいく。
秋乃の義手。
「見せて頂戴!あなたの手で作り上げる新たなアートを!」
片腕を吹き飛ばされたその勢いを回転力に変え、秋乃の体が再度舞う。
「吼龍斬ッ!」
体を限界まで倒しこみ、全身で練り上げた力をただ一刀に込めて秋乃の刃が至近距離の恭一郎を襲う。
「か・・・!」
もはや考える猶予すらない恭一郎の口から漏れた言葉は無意識が言わせたそれであった。
「風間式改っ!」
眼前の刃へと、恭一郎はがむしゃらに刃を叩きつける。その動きは何千、何万と繰り返した・・・
「天照っ!」
二本の刃は吸い込まれるようにその身を近づけ・・・
ィン・・・
瞬間、音が消えた。
『えっ!?』
異口同音に放たれた声に恭一郎と秋乃は自分の耳がおかしくなっていないことを確認。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
静寂の中、二人は刃をかみ合わせたまま動かない。
そして。
「ちっ・・・」
恭一郎の舌打ちと共に彼の携えた斬馬刀の刃が、その半ばから砕けちった。
「・・・衝撃の浸透。ほぼ同格の強打が・・・それも、達人クラスの使い手の一撃が正面からぶつかった時にだけ起きる現象。私も、初めてみたわ」
呟きながら秋乃が降ろした斬馬刀は、全体に僅かなヒビこそ入っているものの大きな損傷はない。
「そんな・・・恭一郎が、負けた・・・の?」
美樹は思わず呟いていた。だが、秋乃は苦笑しながら首を振る。
「どっちかって言えば私の負けよ。よくて引き分け。恭一郎の剣は残った部分だけでも使えるけど・・・私は、これだからね」
「・・・勝った気はしねぇ」
中身を失いだらりとたれた左袖を揺らす秋乃に恭一郎は肩をすくめて折れた斬馬刀をその場に放り出す。
「だが、やっと俺も確信できた気がする。秋乃さん。あんたは強い・・・ほんとに・・・」
「・・・ありがと。うん、かなり嬉しいぞ。おねーさんは」
にっこりと微笑む秋乃に恭一郎はやや照れたように舌打ちし、地面に突き立ててあった木刀の方へ歩みさる。
「さてさて。ようやく長年の宿題も解決したし私はかえろっかな」
「いきなり来ていきなり帰るのかよ。マジで何しに来たんだあんたは」
ぶつぶつ言う恭一郎に秋乃はパタパタと手を振って見せた。
「また来るから寂しがっちゃだめよ?」
「誰がだ!」
「憧れのおねーさんとお別れする恭一郎ちゃん」
秋乃の一言に恭一郎が僅かに赤くなったのを美樹は見逃さなかった。
「ちょっとまったぁあっ!秋乃さん!その話もっと詳しくお願いします!」
「あっ!美樹っ!てめぇ!」
赤くなった顔が青くなったのを見て美樹は内心で『ビンゴっ!』と叫ぶ。
「別に私はいいわよ?ああ、今も鮮やかによみがえるあの日々・・・実家の道場に通う美人のおねーさんと出会った日の真っ赤な顔した恭一郎ちゃん・・・」
「うわぁああああああっ!?やめろぉおおおおおっ!」
秋乃の口を封じようと走り出した恭一郎をどこからともなく現れたみーさんと共に美樹が取り押さえる。
「ささ、秋乃さん!どうぞ続きを!」
「うん。実家に帰ってくるたびにまめに道場へやってくるようになった恭一郎ちゃん・・・道路の向こうにおねーさんを見つけて道路を突っ切ろうとしてダンプカーに轢かれかけた恭一郎ちゃん。ちなみにこの腕はそのときのやつね」
秋乃はニコニコと喋りつづける。
「それを気にして『きずものにしちゃったせきにんはとる!おおきくなったらぼくのお嫁さんにするんだ!』って言い張った恭一郎ちゃん・・・」
「待て!俺は『ぼく』だなんて言ってねぇぞ!」
「あ、じゃあ他のはほんとなんだ。ふーん、お嫁さんにね・・・」
冷たい声に恭一郎はギシギシと音をたてて首を傾けてみた。そこに、微笑みを浮かべて葵が立っている。
だが。目は笑っていない。
「へぇ、けっこう誰にでも言ってるんだね。お嫁さんにするって・・・」
「ま、待て葵っ!これはずっと昔の話でだな!?」
「そしてある日、同じ苗字になってもいいかなって言われて呆然とした恭一郎ちゃん。数十秒後、自分の叔父とおねーさんが結婚することを理解して愕然とした恭一郎ちゃん」
秋乃はけらけらと笑いながら喋りつづける。
「泣きながら夕日へ向けて走り去る恭一郎ちゃん。それでもあきらめきれず道場で私と練習にふけった恭一郎ちゃん・・・」
「ぐぉおおおおお!?よせぇえええ離せぇええええ!」
「やがて私が妊娠してぇ」
『頼むからそれ以上古傷をかきむしらないでくれぇええええ! 風間恭一郎』