卒業式と終業式を間近に控えた2月の下旬。

「むう・・・」

 今日も今日とて騒がしい六合学園を校舎の屋上から見下ろして一人の大男が唸っていた。六合学園学園長、豪龍院醍醐その人である。

「何か・・・何かを、やり忘れておるような気がしてならないのだが・・・心当たりはないか?沢木?」

「そうですね・・・」

 その傍らに佇んでいた秘書の沢木はいたずらっぽい笑みを浮かべて首を振った。

「正直、学園長が忘れていた行事というのは多すぎてどれのことかはわかりませんが?」

「うむ、それを言われると痛い。はてさて何が引っかかっておるのか・・・」

 しばし唸っていた豪龍院の顎が、カクンと落ちる。

「?・・・学園長、何か思い出しましたか?」

「た・・・」

 きょとんとする沢木に豪龍院はぼそりと呟いた。

「体育祭を・・・やっておらん・・・」

「あ・・・」

 ぼんやりと立ち尽くす二人の周りを冬の冷たい風がひゅるりひゅるりと跳ねまわり。

 

『ん?・・・沢木も忘れとったのか? 豪龍院醍醐』

『・・・・・・ 沢木裕子』

 

 ぴんぽんぱんぽーん。

 スピーカーから聞こえたチャイムに恭一郎はエビフライをくわえたまま顔を上げる。

『今日も絶好調な豪龍院である!』

「なんだろ?」

 例によってキツネうどんのどんぶりを抱えて葵も呟く。

 うららかな昼下がり、恭一郎達はいつもどおり皆で学食に集まっていた。

『今週の土曜に、体育祭を行う!今日中に種目一覧を配布するので生徒諸君は自らの出場種目を決定しておくように!以上である!』

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 恭一郎達はポカンとした顔で互いに顔を見合わせる。

「あのさ、恭一郎・・・」

『一応言っておくが!』

 なんとか口を開いた美樹は再度スピーカーから響いた大声にびくっとのけぞる。

『けっして秋に忘れたからこんな季節にやっておるのではない!ないったらない!今度こそ以上である!』

 再び沈黙したスピーカーを横目で眺めて恭一郎はふぅとため息をついた。

「忘れてただけだな・・・あれは・・・で?どうした美樹」

「あー、いや〜・・・六合学園の体育祭ってこんな時期にやるの?って聞こうと思ったんだけど、違うみたいね」

 苦笑する美樹に葵はうんと頷く。

「去年は普通に9月くらいだったよ。この学校の行事って思いつきの部分が多いからあまりあてにならないけど・・・」

「数年前、1月に水泳大会、やった記録有り」

 みーさんは意味も無く葵に擦り寄りながらぼそぼそと呟いた。

「そういや、去年は9月に餅つき大会やったっけか・・・あれなんかわけわかんねぇぞ」

「ん〜、でも文化祭と体育祭は絶対やるべしっていう鉄のおきてがあるってお父様が言ってたから」

 葵の言葉に恭一郎は軽く唸る。

「それにしてもこの冬真っ只中に体育祭かよ。俺達はともかく文科系の奴らが凍え死ぬぞ」

「そもそも葵ちゃんがコタツの中で丸くなっちゃうわよね」

 猫だから。

「とは言え寒中体育祭というのもなかなかに風情がありますね、殿」

「風情で済ませていいのか?マクライトさん・・・」

 エレンと愛里の会話をよそに恭一郎はふと顎をさする。

「この時期に体育祭か・・・ってことはあれも一緒にやるんだろうな・・・」

「あれって?」

 美樹のきょとんとした問いに恭一郎は唇の端だけで笑って答えない。

「恭一郎?」

「どうしました?殿」

 

 

『・・・なんでもねぇよ。まぁ・・・気にすんな。特に美樹は、な  風間恭一郎』

 

 

 そして放課後、豪龍院は再び屋上に佇んでいた。その額にはじっとりと冷や汗がうかんでいる。

「・・・さて、なにか言い訳はある?」

 背後から聞こえた少女の声に豪龍院はぎこちなく振り返った。

「ひ、久しぶりだな合美・・・」

「久しぶりだなじゃないでしょダイちゃん!そこに座んなさい!」

 びしっと床を指差す少女・・・六合学園の守護霊である六道合美の声に首をすくめて豪龍院はコンクリートの上に正座する。

「いや、別にわざと忘れてたわけではなくてな・・・」

「わざと忘れるなんて事できるわけないでしょーが!もー、なんでそう忘れっぽいかなぁ!学生の時だって私の誕生日3年連続で忘れるし!」

「そ、そんな昔のことをだな・・・」

 もごもごと言い訳する豪龍院に合美はぐっと眉を吊り上げた。

「時間は関係あらへん!女の子の恨みをなめちゃあかん!」

「いや、何故関西弁?」

「しゃっらーっぷ!ともかくダイちゃんも学園長になった時に文化祭と体育祭は絶対やるって宣誓書書いたでしょ!?」

 豪龍院はむぅと唸って首をひねる。

「たしかに書いたが・・・しかしなんでその二つは絶対やらねばならんのだ?」

 合美はぐっと薄い胸をそらした。

「私の、趣味!」

「・・・・・・」

 しらーっとした雰囲気に合美はぱたぱたと手を振る。

「嘘に決まってるでしょ?本当はもうちょっと切実なの。学校はね・・・ちゃんと行事をこなしていかないとその存在が揺らいでくるの。で、その最低ラインが文化祭と体育祭ってわけ。学校に根ざしてる精霊の私だと力そのものが削れちゃってまずいの」

「・・・やはり、合美に跳ね返ってくるのか・・・この失敗は」

「ま、まぁそこまで重要なことでもないから許してあげるけどね・・・」

 すまなそうな豪龍院の顔に合美はもうちょっとしかってやろうと思っていたのをあっさりと翻した。

(う〜ん・・・やっぱり私ってあまあまかなぁ・・・)

 人間じゃなくてもやっぱり、恋する乙女は複雑なのである。

「とりあえず、なんとしてでも体育祭は行うのではあるが・・・生徒たちのことを考えると、な」

「やっぱ寒いわよね。うん、まぁ・・・まかされましょ。私が何とかするわ。ただし一日目だけ、だからね?」

 豪龍院はその言葉に頬を緩めた。

 

 

『はっはっは!やはり持つべきものはよき友人だな! 豪龍院醍醐』

『浮かれないの!忘れ癖、許したわけじゃないのよ!? 六道合美』

 

 その夜。風間家のキッチンで恭一郎達は洗い物をしていた。

「この時期に、運動会ですか?」

「お兄ちゃんの学校って変わってるね〜」

 一緒に皿洗いに興じていた紀香と夏希はそう言って顔を見合わせる。

「まぁそういうわけで今週の土曜なんだが・・・見に来るか?」

「はい!横が縦になっても見に行きます!」

「・・・紀香さん、今週の土曜日は学校だよね?」

 目を輝かせた紀香に夏希は容赦なく突っ込みを入れた。

「あ、夏希はばっちりお休みだから絶対見に行くからね!お兄ちゃん!」

「くっ!夏希さん!抜け駆けはしないと夜明けの一番星に誓ったのは嘘だったのですか!」

「ううん、嘘はつかないよ。でもお兄ちゃんのためなら夏希は修羅にでも羅刹にでもなるんだよ」

 夏希はにこっと微笑んでから目を細める。

「特に紀香さん相手なら」

「・・・へ、へぇ・・・そうですか・・・」

 紀香は一見にこやかな笑顔で呟くが拳が小刻みに震えているのは隠しようが無い。

「でもどうでしょうね夏希さん・・・」

「なにが?」

 余裕の表情を崩さない夏希に紀香はふっとニヒルに笑ってみせる。

「せっかく応援にいけたって・・・そのちっちゃな身体じゃお兄様に気付いてすらもらえないかもしれませんねー」

「そ、そんなことないもん!・・・たぶん・・・」

 急に落ち着きをなくす夏希。

「あぁらそうかしら?この前買い物に行った時だってあっという間に人ごみの中に沈んでしまったお子様がいたような気がしたんですけど?」

「うーっ!ぎざぎざ年増ぁ!」

 夏希が目に涙を浮かべて放った言葉のボディーブローに紀香はぴしっと表情を凍らせる。

「・・・ちんまいお子様が生意気な言葉を」

 今度は夏希がぷるぷると震える。

「・・・うふふふふふ」

「・・・あははははは」

 洗いかけの皿を握り締めたまま二人の少女は乾いた笑い声を上げ・・・

「えいえいえいえいえいえい!」

「ていていていていていてい!」

「はぁ・・・またかよ・・・」

 皿でぽかぽかと殴り合って泡だらけになっている二人をため息まじりに眺めて恭一郎は皿洗いをあきらめて台所を離れる。

「・・・皿、割るなよ〜」

 

『大丈夫ですおにいさ・・・きゃぁ!  四井紀香』

『あー、いっけないん・・・わぁっ!  風間夏希』

 

 

 そして、当日の朝。

「よし、あとはまぁおにぎりだけだし夏希に任せるぜ」

 ぎりぎりまで弁当を作っていた恭一郎は手を洗いながら時計を眺める。

「OK!こっちも完成!さくっと学校いこっか!」

 びしっと親指を立てて美樹が笑った。どうせいっぱい作るからと恭一郎の家の台所で共同作業としゃれ込んでいたのだ。

「あ、あの・・・お兄様・・・」

 その背後からぴょこっと顔を出した紀香は上目遣いに恭一郎を見つめながらごもごもと口ごもる。

「・・・紀香、俺は何も言わねぇぜ。自分の意思を大事にしろ」

「!・・・はい!お兄様!」

 途端満面の笑みを浮かべる紀香の髪をくしゃっと撫で回してから恭一郎はぴっと人差し指をたてた。

「ただし、責任は自分持ちでな」

「恭一郎、それって責任逃れ?」

 美樹のつっこみに恭一郎はにっと笑う。

「いんや、風間家の家訓。好き勝手やって人に迷惑かけても自分で何とかしろってな」

「へぇ・・・なんか、あんたの為にあるような言葉ね」

 軽く微笑み返してから美樹は勢い良くエプロンをはずした。

「よぅし!じゃあ行きましょっか!」

 

『あ、そういえばお母さんも来るって言ってたよ? 風間夏希』

『・・・まじかよ・・・            風間恭一郎』

 

 一方、葵はいつもの公園のベンチに腰掛けて悩んでいた。

「うーん・・・私、どうやっても戦力外だなぁ・・・」

「大丈夫。葵、可愛い」

 話が繋がらない答えを返して葵にほお擦りするのはもちろんみーさんだ。代わりに愛里が苦笑まじりに口を開く。

「まぁ軍師として活躍するということでどうだろう?」

「そう、葵、らぶりー」

 相変わらずみーさんの相槌は話の内容と繋がらない。どうやら今日はかなりハイテンションのようだ。

「軍師とはまた大げさな話ですね中村殿」

「え?・・・ああ、そういえばマクライトさんは初めてだな。六合の体育祭は」

「そーよ。ついでにあたしもねー」

「あ、恭ちゃん、美樹さん。おはよう!」

 言葉と共に現れた美樹と恭一郎に葵たちはそれぞれの朝の挨拶を交わして立ち上がる。

「で?なんか特別なの?六合学園の体育祭って」

「いや、特に変わったシステムじゃあねぇな。出てる人間はまともじゃねぇけど」

 6人揃って歩き出しながら恭一郎は肩をすくめる。自分自身もおよそまともではないのはこの際脇においておく。

「まぁ学年の枠無しにクラス単位で競い合うというのはなかなか見ることの無いルールではあるがな。それと我ら六合の生徒は総じて闘争心が強い。故にその勝負は・・・熾烈だ」

「うん、なんていうか、わりと喧嘩祭り?」

「あー、なんか雰囲気つかめたわ」

 美樹はうんうんと頷いてからぐっとこぶしを握る。

「まぁまかせときなさいって!このあたしが居るからには2−Bの勝利は揺るがないっしょ!恭一郎もエレンも居るし・・・」

 そこまで言ってから美樹の頭上にいくつものハテナマークが飛び交った。

「・・・愛里さんとみーさんって、クラスどこだっけ?うちのクラス?」

「・・・天野さん、教室で私を見たことがあるのか?」

 愛里はため息をついてから気を取り直す。

「私はE組だ。言っておくがうちも優勝を狙っているぞ。高得点種目のマラソン要員にいい人材が居るしな」

「おう、燃えてるな愛里。で?みーはクラスどこだっけ?」

「・・・そういえば、私も知らないよ。みーさんがどこのクラスかって」

 思い出したように呟いた葵の言葉に全員が一斉に首をかしげた。

「・・・そういえば、聞いたことが無いな」

「無論このエレンが知っているはずが無い!」

 無意味に力強いエレンの言葉と共に視線がみーさんに集まる。

「私、B組」

「!?・・・うちの、クラス?」

 美樹は呆然と呟いて記憶の中を検索する。だが、思い浮かべたクラスの風景には当然ながらみーさんの姿は無い。

「だといいなあ」

 美樹は問答無用で鉄拳を繰り出すがみーさんはするりするりと怒涛の突っ込みを回避して葵の腕を抱きしめる。

「ん〜、葵らぶ」

「はぁ、ま、いいか・・・」

 

『一応私、全校生徒の顔と名前とクラスを暗記してるはずなんだけどなぁ・・・ 神楽坂葵』

『多分、深く考えちゃいけない話題だ。忘れておけ葵・・・ 風間恭一郎』

 

 

 六合学園は広い。1000人を越える生徒を収容する20近い校舎とそれに付属する数々の運動施設。それでも、生徒全員がひとつの校庭に集まれば・・・

「・・・狭いな」

「・・・そーね」

 半ば寄り添うようにして立つ恭一郎と美樹はぼそっと呟いて気まずい笑みを浮かべる。

まぁ、ラッシュ時の電車のような勢いで詰め込まれては健康な男女なら誰でも照れるというものだ。

「ん?始まるみたいだな」

 恭一郎はスピーカーから小さな雑音が漏れたのを聞きつけて呟く。

『さぁ始まりました季節外れの六合学園体育祭!幸い晴天に恵まれ寒くはありません!今日のアナウンスは私、放送部のマシンガンジョーこと高城なるみが担当します!』

 無意味に元気のよいアナウンスに耳を傾けながら恭一郎は首をひねる。

「晴天に恵まれたなんていうレベルの話じゃねぇぞ?校門から中だけ夏じゃねぇかこれじゃ・・・わけわからん」

「・・・あー、なんかあたしわかる気がするわ。この学校にはあの子が居るし・・・」

 美樹はなんとなく近くの校舎を眺めながら呟いた。

『ではまずは来賓からのあいさつです!なおつまらないスピーチ撲滅のため本開会式にはマッドサイエンティスト部から提供された『盛り上がり度測定メーター』による監査が入ります!』

 その声を受けて演説台に中年の男がのそのそと上がる。

「えー、ただいまご紹介いただいた虎ヶ崎市長の田中八郎です。本日は晴天に恵まれ私もたいへん喜んでおります。そもそも体育祭というものは・・・」

 つまらない。いっそわかりやすいほどつまらない。

「私も学生時代は運動に勉強にと邁進したものでありますが、中でも高校2年の体育祭ではですね・・・」

 校庭中にだるーい雰囲気が漂い始めた瞬間、

 びーっ、びーっ、びーっ!

 甲高い警告音が響き渡った。

『おっと!盛り上がり度測定メーターがマイナスをさしております!強制退場です!』

 その言葉と同時に演説台が白煙に包み込まれる。

「な、なんだこの煙は!?う、うわ?のわああああああ!?」

 来賓の悲鳴と『きゅぃーん』とか『みぃーっ』とか『ぴきーん』とかいう謎の金属音が響き・・・

『さて、次は学園長の訓示です』

 誰も居なくなった演説台を前に何事も無かったかのようにアナウンスが流れる。

(・・・怖ぇえ!)

 生徒たちの心の叫びをよそに豪龍院醍醐は平然と演説台へと上った。

「うむ!というわけで訓示である!長い話はワシが嫌いなので一言だけ言っておこう!主役は諸君ら全員である!よく競い、よく楽しんでほしい!大事なのは記録ではなく記憶に残すことである!以上!」

 大音声で叫んだ瞬間居並ぶ生徒たちから豪龍院コールが沸き起こる。

『おぉっと、盛り上がり度測定メーターが振り切れております!あれです!いつものあれを求める声援です』

「その意気や良し!ではいつもの・・・行くぞ!」

 豪龍院は着物の袖をまくり太い腕で拳を作る。

「行くぞぉーっ!いぃーち、にぃーい、さぁーん・・・」

 少し溜めをつくり生徒たちと共にそれを高々と突き上げた。

「絶好調―っ!」

 

 

『さぁ学園長のお約束で始まりました六合学園体育祭!抜けるような青空の下、最初の競技は短距離系競技の花形、100メートル走!解説には体育教師の雛菊ゆかり先生を招いております。先生、よろしくお願いします』

『あ、あの、こちらこそよろし・・・がふっ!?かはっ、げふっ!』

 激しく咳き込む音と慌てて背中をさすっているらしい声が交差する。

「・・・大丈夫かよ、おい」

 その放送に顔を引きつらせながら恭一郎は呟いた。今、彼は美樹と共に出走待ちの列に並んでいる。

「あの人ってこないだのマラソン大会でも死にそうに咳き込んでいた人よね。本気でやばいんじゃないの?」

 美樹も口元を引きつらせて答える。そんな時。

「あれ?キョウと天野さんじゃないか」

 声をかけてきたのは稲島貴人だった。

「おう、おまえもエントリーしてたのか」

「うん。僕は短距離が得意だからね。他に200と400にエントリーしてるよ」

 六合学園の体育祭は一人5種目の枠で自由に出場を決定できる制度だ。

「あ、恭一郎と貴人同じ順番じゃない!早速直接対決ね!」

「む、そうか。100だからって負けん!セメントだぞ貴人!」

「剣ならともかく、走りで負ける気は無いよ」

 不敵に笑いあう二人に美樹は嬉しげに身震いする。

「よぅしよぅし!なんか燃えてきたぁっ!あたしも頑張っちゃうよ!?」

 言っている間に順番が巡り、恭一郎達の番が来た。

『さぁ次の出走者に皆さんご注目!第3、4コースに本年度の武道系部活の話題を総なめにした剣道部と剣術部の両主将・・・風間恭一郎&稲島貴人が揃っております!大会運営委員も粋なことをしてくれます!』

『え、えっと、その他にもサッカー部の笹崎君に陸上部の芦谷君・・・みんな早いですよ・・・がふっ!かっ!ぐ・・・』

 恭一郎はゆっくりクラウチングスタートの姿勢をとり、隣のコースの貴人にニヤリと笑う。

「現在まで100での勝敗は覚えてるか?」

「もちろん。72勝68敗で僕の勝ち越しだからね」

「その通り。ここで1個星を縮めてやるぜ」

 挑発しあう間に運営委員がゆっくりとスターターを上げる。

「恭一郎・・・僕は一つ技を身につけたんだ。『明日』も見せると思うけど・・・その前にちょっとだけ披露するよ」

「何?」

 恭一郎が聞き返した瞬間・・・

 パンッとスターターが火を噴いた。そして。

「な!?」

 同時に貴人の姿が消える。

 反射神経だけで自分もスタートした恭一郎の視界に2歩分ほど先を走る貴人の姿が映った。

『な、何がおきたのでしょう!?わたしの目には稲島選手が消えたように見えましたが・・・』

(ったれ!体全体を無拍子で消すだと!?)

 全力でその背中を追いながら恭一郎は歯噛みする。

『早い早い!ハイレベルなレース展開ですが・・・ああ!今、稲島貴人選手一着でゴール!続いて風間恭一郎選手、笹崎忠信選手が続きます!』

「くそ・・・はぁ・・・負けた・・・はぁ」

「はは・・・これ、で・・・73勝、68敗、だ、ね・・・はぁ・・・」

 荒い息の下で恭一郎と貴人はパンッと互いの右手を打ち合わせて健闘をたたえる。

「はぁ・・・ふぅ・・・でもよ、さっきの全身縮地・・・」

「ん?なんだい?」

 どことなく視線がさまよってる貴人に恭一郎はじとっと視線を送った。

「フライングじゃねぇか?見えねぇからわかんねぇだけで」

「さぁ?どうだろうね」

 

 

 応援席に戻ってきた恭一郎は自分の席に座ってふぅと一息つく。

「おつかれ恭ちゃん。おしかったね・・・」

「ああ、まぁなぁ・・・あんな隠し玉があるとは思わなかったぜ」

 言ってる間に美樹も戻ってきた。

「おつかれさま美樹さん」

「ぶい!一位だったよ〜」

 ガッツポーズで椅子に座った美樹と恭一郎に葵は傍らに置いたクーラーボックスからスポーツドリンクを取り出して差し出す。

「おう、さんきゅ葵」

「ありがと・・・そだ、今のうちに聞いとこっかな。あたし達の面子ってどのくらいの実力なの?あたしも含めて」

 美樹の問いに葵は小首をかしげて考え込む。

「そーだねー、恭ちゃんは騎馬戦とか棒倒しが強いかな。貴ちゃんはさっきみたいに短距離だったら専門の人にもあんまり負けないよ。エレンさんは・・・パワー系競技向けだね。綱引きとか。愛里さんは貴ちゃんと同じでものすごく足が速いの」

「へぇ・・・あ、みーさんは?マラソンの時とか野球の時とか無茶苦茶凄かったんだけど」

「・・・あいつは人間の限界を三段跳びで越えてやがるからな」

 苦笑まじりの恭一郎の言葉に葵はうーんと首をひねる。

「それがね?みーさんって体育の時間に記録を測定したデータがほとんど無いの」

「・・・まぁ、みーだしな」

「・・・みーさんのことだから何があっても不思議じゃないけどね」

 

 

『さて、午前の競技もあと3つを残すのみです!次の種目は400メートルハードルです!』

『はい・・・ちょっと危ない競技なんで皆さん体にはきをつ・・・つぅ・・・!』

『あっ!?せ、先生が心臓をおさえて転げまわっております!』

 相変わらず危なっかしいアナウンスを聞きながら愛里は出走者の列に並んでいた。

「うむ・・・まぁ、やるからには一位を狙ってみるか」

 呟いてちっちゃくこぶしを握る愛里をファンクラブの男女が遠巻きに眺めて『くーっ可愛いぞこんちくしょう!』などと呟く。

 そしてレースは順調に進み愛里の番が回ってきた。

『さぁ次の出走者の目玉はなんと言っても中村愛里嬢でしょう!』

「ふむ」

 スタートラインについて愛里はやや満足げに呟く。

『剣道部の副主将という有名人であり、それまでの強いが地味という印象から一転この1年様々なコスプレで男子生徒の心を鷲掴みにしてきたアイドルでもあります!その華麗な変身の影には剣術部風間恭一郎の暗躍があるとか無いとか!』

「$%☆><#*!?」

 愛里は声にならない声で抗議しようとしてがっくりとうなだれた。

『ちなみに今日もブルマ姿の写真が闇で流通している模様』

「ああ、もうどうにでもして・・・」

 結局愛里はやけっぱち気味に1位をもぎ取り、その写真はアナウンスどおりに高額で取引されたという。

 

 

『さて、午前中の競技はこれで全て終了です!現在の順位は1位に3年C組!やはり陸上部13名を抱えるのは強い!っていうか多すぎ!2位は3年F組!エレガントで有名な綾小路選手を中心に総合力で勝利しております!続いて3位に2年B組が来ております!通常競技よりも大玉ころがしなどの色物系で得点を稼いでおります!さて、午後は応援合戦から、1時30分のスタートです!』

 

 

「いただきます!」

 複数の声と共に、10を越えるお重へと箸が伸びる。

「あ!畜生!その肉団子俺の自信作なんだぞ!俺が食ってねぇのに最後の一個に手をつけるか!?」

「そっちの春巻きだってもうなくなってんじゃないのよ!あれ楽しみにしてたのにぃ!」

 箸を打ち合わせて叫ぶ恭一郎と美樹の戦いをよそ貴人と愛里の箸が確実に、着実におかずをかき集めていく。

「むむむ!剣道部勢に負けるわけには!殿!エレンはやります!」

「え、えっと、こんなにいっぱいあるんだからそんなに急がなくても・・・」

 壮絶な光景に箸を持ったまま苦笑する葵の肩を金属の手がぽんっと叩いた。隣に夏希と紀香を伴って座っていた風間秋乃である。

「駄目よ葵ちゃん。食の道すなわち修羅の道なのよ?特に風間家ではね。葵ちゃんもいずれ風間葵になるわけだし今から慣れとかないと〜」

「お、おい秋乃さん!いきなりなに言いやがる!」

「あれ?恭一郎ちゃんが神楽坂恭一郎になるの?なんかその響きもいい感じだけど。ねぇ?」

 話を振られても真っ赤になった葵はあわあわと口を開けたり閉じたりするばかりでこたえられない。

「あ、でも〜」

 秋乃はそんな葵には構わず言葉を続ける。

「風間美樹だってそんなに悪い感じじゃないわよね」

「ぶはっ!?」

 瞬間、美樹は口に入れたばかりのから揚げを噴き出した。

「あ、秋野さん!?」

「うーん、それとも風間愛里?エレン・M・カザマってのもありよね。風間紀香とか。あ、うちの夏希はどう?まんま風間夏希だけど」

「・・・風間観衣奈も、わりと、あり」

 恭一郎が何かを言い返すよりも早くどこからともなく突き出されたフォークがおにぎりをかっさらっていった。

「あら?あなたはこの間会わなかったわね」

「はじめし。恭一郎の愛人候補その3。御伽凪観衣奈17歳独身」

「ナチュラルに自己紹介してるんじゃねぇ!っつーか秋乃さん!食事時に変な事言うな!」

 割り箸が折れそうな勢いで叫ぶ恭一郎に秋乃はにぃーっと人の悪い笑みを浮かべる。

「でも、大事なことよねぇ?親戚が増えるのって。ねぇ観月ちゃん?」

「うん。私も娘が増えるとなったら色々教えたいし」

 二人して『ねー』などと言っている母と叔母に荒れ狂う視線をぶつけてから恭一郎は無言で弁当を食べ始めた。

 女難の相、今だ終わらず。

 

 

『さて、午後の競技です!既に各クラスの前では応援合戦が開始されています。ここはリポーターの朝日さんにリポートしてもらいましょう!』

『はい!報道部のライジングさんこと朝日のぼりです!こちら応援席前特設ステージは各クラス自慢の美男美女が趣向を凝らし、例年に勝る応援風景です!さて、その中でもひときわ目立つクラスを紹介しましょう!まずは2年E組!午前の部では400メートルハードルで快走を見せた中村愛里さんのチアリーダー姿に注目です!』

 その愛里はミニスカートのすそを気にしながら必至になって応援を続けていた。

さんざん嫌がった挙句にやらされた役ではあるが、根がまじめな彼女はこういうことにおいても手を抜くということを知らない。

「ふ、ふぁいっと、E組!いーかんじ〜・・・」

(だ、誰だこんな恥ずかしい歌詞の応援歌を考えたのは・・・)

 やや泣きそうになりつつも精一杯手をのばし、足を振り上げて愛里は踊る。

『お次は2年B組!目玉はなんと言っても『あの』神楽坂葵さんでしょう!去年のセーラー服に変わり、今回はキュートな猫スーツで登場です!』

「がんばれにゃーん、ふぁいとだみゃー・・・」

 こちらはこちらで恥ずかしさ300%の応援歌を歌いながら、葵はにこにこと踊る。頭上で揺れるネコミミとスーツについた尻尾が可愛い。

『小柄で可憐なダンスの神楽坂さんをフォワードに、バックダンサーの中央に大柄でダイナミックなダンスを披露するマクライトさんとまさに鉄壁の布陣です!』 

 

 

「・・・予想通りというかなんというか、似合うなぁ、あの格好・・・」

 恭一郎は葵の猫姿を眺めて頬を緩める。

「っていうか、やや犯罪気味よね。このダンス・・・」

「いいじゃねぇか。本人、わりと喜んでやってるし」

 その言葉どおり、葵は楽しげに踊り続けている。運動神経が乏しい彼女だが、小さな頃からダンスのレッスンは受けているので踊りは得意なのだ。

「葵、役に立つのうれしい、おもってる」

 いつの間にか隣にいたみーさんの言葉に恭一郎は片方だけ眉を上げて考え込んでから苦笑する。

「俺に言わせれば、あいつは居るだけで役に立ってるんだけどな・・・」

「うん、なんていうか、葵・ザ・癒し系って感じ」

 美樹はそんな会話を聞いて恭一郎のものより大きく、そしてほろ苦い苦笑を漏らす。

「やれやれ、ごちそうさま・・・」

 

 

『応援合戦の順位と獲得点数はブラインド点として最終発表まで極秘となります!楽しみですね。さて次の種目は長距離走・・・マラソンです!』

『あ、あの、フルマラソンなので気をつけてくださいね・・・疲れると、あぶないです・・・し・・・』

『はい、先生の呼吸が止まってしまいましたので保険委員会の方、放送席までお願いします。ともあれマラソンのスタートです!まずは女子からですね』

 

 

「がんばる。ぶい」

「は、はぁ・・・」

 無表情にブイサインを出してきたみーさんに陸上部の長距離エースである榊原郁美はあいまいな笑みで相槌をうつ。

「えっと、たしかマラソン大会のときに一緒に走った人ですよね?」

「うん。御伽凪観衣奈。みーさん呼んでくれる。よい」

 なんとなく握手などしながら榊原はまぁいいかと気を取り直して呼吸を整える。

人外魔境の巣窟ともいえる六合学園においてはいかに陸上部といえどもいい成績を約束されているわけでもないのだ。

「よーい・・・スタート!」

 パンッ・・・!

 体育祭運営委員の合図と共にマラソンにエントリーした生徒たちはいっせいに走り始めた。

「いくぞ!マラソンパフォーマンス同好会の実力を見るのよ!」

 等と言っていきなり全力疾走を始める一部の生徒を除けばそれぞれ堅実なペースで。

「のんびり、まらそん。かなり好き」

「のわりにはいい走りっぷりねー」

 榊原はみーさんと共に先頭集団をキープしながら呟いた。

 とりあえず、先は長い。

 

 

『さて、マラソンの選手たちが完全に見えなくなったところで次の競技です。運動会といえばやはりこれ!騎馬戦です!』

『は、はい・・・馬のチームワーク、騎手の判断力など、多様な技術が要求されます。みんな体には気を・・・かはっ!』

『先生、吐血で放送器具は汚さないようにお願いしますね。さぁ、では第1グループの戦闘開始です!』

 

 

 参加人数が多いため3つに分けられたグループのうち、恭一郎達は第2グループに属していた。

「さて、どうしたもんかな・・・」

 恭一郎は腕組みをして唸る。2年B組の騎馬戦出場選手は彼を含めて8名。ただ、そのうち一人が前の競技で怪我をしたためオーダーが変更になっているのだ。

「よりによって騎手が怪我するか」

「ぼやいてたってしゃーないっしょ?ともかく代わりに入った佐藤君は騎手向けじゃないんだしなんとか組み返しないと・・・」

 なし崩し的にリーダーになっていた恭一郎と美樹は出場選手たちを見渡して唸る。

「・・・しゃーねーな。向こうの組にはエレンを貸し出そう。ほかの連中よりも当たりが強いからフォワードにおいときゃあ簡単に潰れやしないだろ」

「うちはどーすんの?エレン抜きで」

「俺がフォワードでおまえが騎手。後ろ二人は坂下と今田で・・・まぁ何とかなんだろ。俺たち二人が3倍頑張れば」

『時間です!第1グループの競技終了!優勝の本命、3年F組の綾小路選手の騎馬が見事な活躍を見せた一戦だったといえるでしょう!』

 アナウンスを聞いて恭一郎はバシッと両手を打ち合わせる。

「よっしゃ!野郎ども!ぬかるんじゃねぇぞ!」

 

 

 その頃。

「はい、次は榊原の番」

「あー、はいはい」

 走りながら差し出されたみーさんの両手には毛糸が複雑な形で張り巡らされている。

「よっと、ほい、さっと」

 榊原は同じスピードで併走しながらその毛糸を指ですくって同じような形に張りなおして受け取る。

「うん、榊原、うまい」

 ぱちぱちと拍手するみーさんと照れ笑いを浮かべる榊原。

「・・・っていうかさ、なんであの人たち綾取りしてんの?」

「・・・それより・・・はぁ・・・なんでその状態で私たちより早いの?・・・はぁ」

 

 

『さぁ、騎馬戦第2グループの戦闘開始です!注目はやはり学園武王にもっとも近い男、風間恭一郎を有する2−Bでしょう!とはいえ1−C、3−Aには騎馬戦部メンバーだけで構成された騎馬がありますし2−D代表はフォワードに相撲部の横見山こと横山則武選手が所属しております!好勝負が期待されるところです!』

『ええ・・・でも、今回は女の子が結構エントリーしてるのね・・・怪我とか・・・もっと大変なこととかにならなければいいんですけど・・・かく言う私も学生の時に出場して・・・女の子の大事な・・・ぐすっ・・・失って・・・』

『はっ!?せ、先生!?な、何をされたんですか!?』

『顔、怪我しちゃったんです』

『・・・・・・』

 鈍い打撃音。

『さ、さて。気を取り直して騎馬戦の開始です!』

 

 

 恭一郎は正面から突っ込んできた騎馬を睨んでニヤリと笑う。

「つっこむぞ!帽子とられんじゃねぇぞ!」

「誰に物言ってんの!任せときなさいって!」

 必要以上に元気のいい声に頷いて恭一郎は後ろ足役の二人を急かして突っ込んできた騎馬に正面からぶつかっていく。

「ひぃ!?な、なんかそのまま突っ込んできた!?」

 悲鳴を上げる敵騎馬に頭から突撃した恭一郎の上では美樹が閃光のようなジャブで敵騎手の帽子を奪い取る。

「よっしゃ!次ぃ!」

「ちょっと待ってくれよ風間ぁ、俺たち一般人なんだからこんな攻撃連続して出来ないってば!」

「しかたねぇな、一時後退してほかの騎馬の後ろから・・・」

 後ろ足の悲鳴に恭一郎は舌打ちし・・・

「そうも言ってらんねぇ!横に飛べ!」

 慌てて指示を出しなおした。

「え?え?え?」

 反応できずおろおろする後ろ足と、

「うぇ!坂下君&今田君!よけて!3騎まとめてこっち来てるぅ!」

 悲鳴を上げる美樹の声が交差し・・・

 

『おおっと!2−B天野騎に3年生3騎の集中攻撃です!やはり有名人で女性騎手では集中攻撃を受けるのは必至なのか!?おおっと天野騎手はすばらしい反撃で1騎の帽子を奪いましたが馬が耐え切れません!後ろ足の二人がばらばらに吹き飛ばされていきます!』

 

 

「っ!」

 バランスを崩して落下する美樹の目と、

「がっ!」

 もみ合いを続ける恭一郎の目が一瞬だけ交差した。そして!

「「こんなもんで負けるかぁつ!」」

 二つの声が交差した。同時に美樹は腕の力だけで恭一郎の頭にしがみつき直し、恭一郎は半ば頭突きのような動きで騎馬の群れをすり抜けて囲みを脱出する。

 

 

『ぅおう!天野騎、後ろ足の二人を失いながらもフォワード単独で継戦しております・・・が、いいんでしょうか?騎馬というよりただの肩車ですが・・・』

『こんにちは。今回の無茶な日程で苦労したわりに出番が無かった生徒会副会長兼体育祭実行委員長の倉山です。さて、今回のケースですが道具を使ってはならないとか地面に足をつけてはならないとかのルールはありますが騎馬の人数に関するルールはありませんね。許可です』

 

 

「つーかあんな安定の悪い騎馬が長持ちするわけないっ!」

 口々に叫びながら襲い掛かってくる騎馬たちを見渡して美樹と恭一郎はそっくりな笑みを浮かべる。

「甘いわね。だだ甘よ。何せあたし達は天野美樹と・・・」

「風間恭一郎だからな」

 背後から襲い掛かってきた騎馬を恭一郎がサイドステップでよけると共に美樹が交差の瞬間に敵騎手の帽子を奪い取る。

「何ぃ!?」

 その鋭すぎる反撃にバトルフィールド中の騎馬の動きが止まり・・・

「みんな!あいつを落としてからが勝負だ!」

 誰かが叫ぶが早いか全ての騎馬が美樹達に襲い掛かる。

「ちょ、ちょーっと数が多いわね・・・」

「問題ねぇ。足のことは俺達に任せて美樹はひたすら攻撃しとけ!」

「え?俺・・・たち?」

 美樹が聞き返すよりも早く恭一郎は動き始めていた。頭上に一人乗っけていることを感じさせない軽やかな動きで襲い掛かる騎馬をすり抜けていく。

「くっ・・・騎馬部の誇りにかけて一人騎馬に負けるわけにはいかん!ここで目立てなかったら存在意義がピンチなんだ!」

「どすこいっ!」

 わかりやすい声と共に突っ込んできた騎馬二つを・・・

「斜め30度前進・・・その後ターンしてサイドステップ!」

 恭一郎はなにやら呟きながらするりと回避して見せた。同時に・・・

「見なさい!あたしのフリッカージャブを!」

 美樹はその名の通り振り子のような動きで腕を揺らしながら隙をうかがい、相手のガードに穴が出来た一瞬をついて帽子を奪い取る。

 

 

『あ、天野騎、物凄いことになっております!騎手の天野選手のオフェンスも壮絶ですが、次々に襲い掛かってくる騎馬を体に触れさせることすらなく避け続ける風間選手の動きも凄いを通り越して異常です!』

『とりあえずまだ居た倉山です。彼の動きについてですが、応援席にその秘密があるようですね』

『応援席ですか?・・・あ、確かに風間選手はちらちらと応援席を見てますが・・・誰かの応援で気合が入ってでもいるんでしょうか?』

『いえ、そういうレベルではなく・・・応援席に居るとある少女が戦況を分析して移動指揮をとってるのでしょうね。そうでなくては全ての騎馬の動きを把握してるとしか思えないあの動きの説明がつきませんので』

 

 実際、その説明は正解であった。

(恭ちゃん、左サイドステップ後数歩前進。後ろから何騎か付いてくるからアドリブでよけてね!)

(おうよ!)

 目の動きと身振り手振りで葵が伝えてくる指示に頷いて恭一郎は上半身を動かさないように気をつけながら襲い来る騎馬をよけ続ける。

(身につけた縮地がこういうとこで役に立つとはなぁ)

(後で愛里さんにお礼言っておこうね)

「・・・あのさ、物凄く気になるんで目とらぶらぶパワーで人外な会話するのは控えめでお願い」

「おう」

 

『時間です!競技終了!とはいえ第2グループには残った騎馬がほとんどおりません!肩車状態で仁王立ちする天野・風間ペアと騎馬戦部2騎以外はほとんど生き残ったというより逃げ切ったといった感ではあります』

『みんな良く頑張りましたねー・・・ところで、あの、私の体にぺたぺたくっついてるこれはなんですか?』

『心電図です。死なれると放送コードに引っかかりますので早めに言ってくださいね』

『は、はぁ。お気遣い感謝します・・・』

 

 

一方。

「かつお」

「お・・・おむすび」

「びるげいつ」

「つり」

「りんぱきゅう」

 あやとりに飽きたみーさんと榊原はしりとりをしながら走り続けていた。

「ねぇ・・・あの人たち・・・ほんとに・・・人間?・・・はぁ・・・ふぅ・・・」

「あやしい、もの・・・だ・・・と・・・おもうわ」

 3位以下がへろへろとついてくるのを見もせずに二人はてけてけと走る。そのスピードはスタート時とほとんど変わらない。

「もりもとれお」

「また『お』なの?えっと、おりづる」

「る、るるる、るびぃ」

 

 

『さてさて、競技も順調に進みそろそろマラソンの選手たちが帰ってくる頃ですが・・・おっと、女子の部の先頭ランナーの姿が確認できました。あれは・・・風紀委員2年の御伽凪選手と陸上部2年の榊原選手です!』

『なんだか・・・元気ですねぇ・・・うらやまし・・・ぐ、ぐぐぐ・・・』

『おっと、先生につけた心電図がピーとしか言わなくなりました。誰か先生の心臓にごっついのを二、三発お願いします!』

 

 

 応援席に陣取っていた恭一郎達はトラックを駆け抜ける二人の少女に視線をやってほぅと唸った。

「さすがというかなんと言うか・・・息切れひとつしてねぇな」

「うーん。フルマラソン走ってあの疲労度はちょっとおかしい気もするけど、まぁ相手はみーさんだし」

「ふむ。陸上部の榊原殿も十分以上に早いのですが、みー殿には少し遅れを取っているようですね北の方」

 エレンの声に頷き葵はぶんぶんとトラックに向けて手を振る。

「みーさ〜ん!がんばって〜」

 

 

 直径400メートルのトラックに入ってから急加速したみーさんの背中を睨んで榊原は必死に手足を動かしていた。

(・・・早い!インターハイでもこんな早い人居なかったよ!)

 全国レベルでもそこそこの実力を持つ榊原をしてついていくのが精一杯のペースでみーさんは快走を続ける。

(負けたくないなー、でもなー、おいつけるかなー)

 榊原は心中で呟き、一瞬だけ目を閉じた。

(そんなこと言ってる場合じゃないか。こんな早い人と一緒に走る機会なんか今まで無かったしね)

「みーさ〜ん!がんばって〜」

 耳に届いた声援と共に榊原はバっと目を開ける。

「よし!ラストスパート行くよ!・・・ってあれ?」

 そして、きょとんと目を丸くした。

 ほんの一瞬前まであった後姿が視界に無い。まさかもうゴールしたのかと視線を動かすがそちらにも居ない。

「あれ?あれ?あれ?」

 呆然と繰り返しながら榊原は走り続け、程なくしてゴールテープを切った。

「な、なんで?」

 

 

 その答えは、今恭一郎の目の前にあった。

「・・・・・・」

 それを眺めて恭一郎はパクパクと口を開閉する。

「声援。嬉しい。葵。らぶりぃ。幸せ」

「え、えっと、みーさん?あの・・・」

 葵はすりすりと頬を寄せてくるみーさんに口と眼で三つのOを描いて声をかける。

「これって、コースアウトで失格じゃ・・・」

 みーさんは、一瞬考え込んだがすぐに葵に抱きつきなおした。

「みー、うっかりさん」

「・・・そーいうレベルの問題じゃねぇだろ・・・」

 

 

『え、ええと、ちょっとしたハプニングはありましたがマラソン女子、滞りなく終了です!高得点種目なだけに順位の変動が注目されます!』

『そそそうですねねねねねねね・・・つつつ次は最終しゅももももくのスウェーデンリレーでででででですねねね・・・ななな何か体が痺れるんですけけけど』

『まだ電気ショックが残ってますね。その辺で放電してきてください。ともあれスウェーデンリレーです!100・200・300・400と後の走者になればなるほど距離の伸びるリレーで男女混合競技です!また、この競技に出場できるのは現在の獲得得点が10位以内に入っているクラスのみに限られます!』

 

 

 出場クラスを告げるアナウンスと共に恭一郎は立ち上がった。

「6位か・・・ぎりぎり逆転できるかできないかってとこだな」

「そうだね恭ちゃん。今1位なのが3年C組、得点差は45点だね。この競技の1位獲得点が50点だから・・・」

「こっちは1位、あっちがビリじゃないと駄目ってわけ?それは厳しいよ」

 美樹の言葉に恭一郎はぐっとこぶしを握る。

「可能性があれば挑戦するのがこの俺だ!みんなあきらめるんじゃねぇぞ!」

「応!」

 と答えるクラスメートを見渡し恭一郎は満足げに頷く。

『出場クラスの代表の方はトラックに集合してください!それと、ただいま追加ルールが設定されました!10組の代表の他に教員代表チームが出走します!このチームに勝って1位だった場合ボーナス点が20点つきます!頑張ってください!』

『あ、私も出ますよ・・・ごふっ!』

『本気ですか?』

 それを聞いてガッツポーズを取ったのは美樹だ。

「可能性が出てきたじゃない。これで70点もらえるんでしょ?向こうが3位以下なら勝ちじゃん」

「・・・そうだな。かなり厳しいが・・・」

 だが、恭一郎の表情はさえない。

「どしたの?先生のチームぐらいポイじゃない。ポイ」

「なに言ってんだ・・・って、そうだな。おまえ、あいつらのことはよくしらねぇんだよな」

「?・・・あいつらって?」

 美樹に問い返されて恭一郎は軽く苦笑した。

「・・・武装教師さ」

 

 

『トラックに11人の代表が揃いました!ボーナス点も含めればどのチームにも優勝の可能性があります!さぁ今いっせいに・・・スタートです!』

 パンッッ!という号砲とともに第一走者たちが一斉にスタートした。

「頑張れ枝島君!」

 第一走者のクラスメートに声援を送って美樹は足首をくるくると回す。彼女と恭一郎はアンカー区間の走者であり400メートルを走らねばならない。

「あら、先輩ってB組の天野先輩ですよね?」

「ん?」

 振り返った美樹の目の前にはすらっとした手足が特徴的な少女が立っていた。その明るい表情と顔立ちには見覚えがある。

「えっと?あなたは・・・」

「あ、僕は榊原夕菜です。お姉ちゃんの榊原郁美がマラソン大会の時に一緒に走ったって言ってました。すっごい面白かったそうです」

 言ってぴょこんと頭を下げる夕菜に美樹はぽんっと手を打つ。

「ああ、そっかそっか。うん。あなた達よく似てるわ・・・ってことは、ひょっとして夕菜ちゃんも陸上部?」

「はい!お姉ちゃんは長距離で僕は短距離ですね。負ける気、無いですよ?」

 元気なガッツポーズに美樹も釣られてびしっとガッツポーズを取る。

「OK!うちだって優勝かかってるからね!教員チームと3年C組を倒せば勝ち!なわけ」

「いいですねー・・・うちのクラスは3−Cが6位以下じゃないと駄目ですから。でも、教員チームを抜くのはちょっと難しいですよ?ほら」

 夕菜に指差されて美樹はトラックの方に目をやった。今は200メートルの女子が走っているらしい。陸上部やソフトボール部の女子に混じって保健の教師が6位あたりをパタパタと走っている。

「?・・・楽勝じゃない」

「いえいえ、あの人達はハンデです。問題は200の男と400の男女に入っている武装教師の人ですから」

 さっきも聞いた単語に美樹はくいっと首をかしげた。

「それそれ。武装教師って何?」

「え・・・知らないんですか?まぁ一言で言うとですね?」

 夕菜が喋っている間に保健教師はのんびりと次の走者へとバトンを渡す。次の走者はメガネに七三分け、何故かスーツ姿の教師だ。

「さて」

 教師はバトンを受け取ったまま走らず、くいっとメガネをずり上げた。

「なにあれ?あっというまにビリだけど」

「ここからですよ」

 その通りだった。

「いくっぴょぉぉぉぉぉぉぉぉん!」

 奇声と共に教師は猛然と走り出す。それも、気をつけの姿勢で足首から先だけをパタパタと動かして。

「ぐわっ!気持ちわる!」

「同感です。でも早いでしょ?」

 不気味な動きをするその教師はビデオの早回しのようなスピードで生徒たちを抜き去りあっという間に3位へと浮上した。

「うげー・・・」

「あれが武装教師ですね。ようするに風間先輩や御伽凪先輩みたいな人間の限界をすっ飛ばしちゃってる人が先生として学校に戻ってきてるんですよ」

 美樹は顔をぴくぴくと引きつらせて柔軟体操を再開した。確かに、あんなのが3人も混じっていては相当気合を入れる必要がある。

「あ、うちのクラス2位で来てます。じゃあ、お互い頑張りましょう!」

「うん。また後でね」

 笑顔でもう一度ガッツポーズを取る夕菜に手を振って美樹は自分の頬をぴしっと叩く。

「よっしゃ!あたしは400メートルの走者なわけだから敵は武装教師!相手にとって不足なしなし!」

「・・・気合は十分なようだが、天野さんのクラスは現在最下位だな」

「え?」

 話しかけてきたのは中村愛里その人であった。

「あれ?愛里さんのクラス上位10傑入ってたんだね」

「さっき榊原さん・・・姉の方だが・・・がマラソンで一位を取ったのでな、何とか優勝圏内だ」

 二人して眺める2年B組第6走者は必死に走ってはいるものの最下位を脱出できずに居る。

「じょ、上等じゃないのよ!あたしと恭一郎で10人ごぼう抜きしてあげるわよ!」

「ふむ。そのくらいでないと不可能に挑戦する女とは言えんな」

 愛里の顔に浮かんでいるのは笑みのような、自嘲のような、複雑な表情。

「不可能に挑戦って?」

「・・・私もあなたもそうだろう?もう決まった勝負に、いまだ挑み続けるわけだ」

 美樹はややぽかんとした顔で愛里を見つめる。その背後では夕菜がバトンを受け取って走り出している。

「うちのクラスの走者が来たようだ・・・私も行こう」

「ちょっと愛里さん!不可能って何?」

 愛里はトラックに出て、小さく笑って見せた。

「いまだに彼を諦められないという意味だ・・・お互い頑張ろう!」

 そして、バトンを受け取り風のように走り出す。

「・・・・・・」

 美樹は口をきゅっと結んで自分もトラックに出た。

「・・・やってやろーじゃないの」

 呟き、燃える瞳で400メートル先で自分を待つ少年を見つめる。そこに誰よりも早くたどり着きたいと思っているのは・・・確かに、嘘じゃない。

 諦めたつもりでも、やっぱり人間うまく割り切れなかったり。

 ちらりと盗み見た隣にはふらふらと体を揺らす女性の体育教師が居る。今日一日解説をやっていたあの体育教師だ。

(でもこの人も武装教師らしいし・・・とんでもないんだろうなぁ)

「あの、先に行きますねー・・・」

 その女性教師は震える声でそれだけ言ってバトンを受け取り、よろよろと歩き出す。

「・・・歩いてるよ。しかも遅い・・・」

 美樹は呆然と呟き背後へと向きなおる。やっとやって来たクラスメートのすまなそうな顔にウィンクをひとつして軽く走り出す。

「ごめん天野さん!頑張って!」

「まかせといてよ!なにせあたしは天野美樹だからね!」

 バトンを受け取り、滑らかにスピードを上げる。先頭の選手は既にトラックの半周向こうだ。

 

『さぁスウェーデンリレーも女性の最終走者です!トップは予想通り3−Cの葉崎洋子選手!ちなみに元陸上部主将で200と400でのインターハイ出場者です!2位は驚きの走りを見せる1−Dの榊原夕菜選手!今トラックはまさに下克上の嵐が吹き荒れております!続いて3位には・・・おっと!6位から3人抜き!2−Eの中村愛里選手がつけております!本大会、ほんとに活躍しております!』

 

 アナウンスを聞きながら恭一郎はとんとんと足踏みをして出番を待つ。

「どうであるかな?貴殿のクラス、最下位でのバトンタッチであるが?」

「関係ねぇな。美樹と俺で10人ごぼう抜きだ。400ならスタミナの差で貴人にだって負けねぇよ俺は」

 醍醐はそれを聞いて満足げに微笑み懐から取り出したマスクをかぶった。

「信じておるのだな・・・だが、想い人は一人でな」

「うっ・・・俺はこれでも葵一筋のつもりなんだよ。ほっとけ」

 

『7位には3−F!最終走者には当然エレガント薫こと綾小路薫選手が控えております!8位に・・・おおっと!8位は2−B!野球部との勝負以来さまざまな部活に顔を出してその勇名を轟かせている天野美樹選手!物凄い快走で4人抜きです!』

 

(さすがにこのレベルの相手だとそう簡単には抜けないわねー)

 美樹は食いしばった歯から荒い息を吐き出して走り続けた。だが、150メートルを超えて、はやくも足が重くなってきている。肺が痛い。

 それでも、美樹はただ一点のみを見て体を動かした。

(恭・・・一郎!)

 

『早い早い早いもひとつおまけに早いっ!それぞれ各部の代表レベルのツワモノを相手にごぼう抜きです!天野美樹選手ただいま6位!行け行け天野!どうせならこのまま1位までぶっこ抜きだぁ!』

 

(・・・そういうわけにもいかない)

 愛里は強い意思に支えられて前へ前へと足を進める。脳がチカチカしてくるのも構わずただひたすらに走る。

 愛里は自分に対してひとつの賭けをしていた。

(この400メートルで天野さんに勝ったら・・・明日は・・・!)

 

『おっと!先頭をご覧ください!榊原選手が葉崎選手を捕らえました!下克上成功です!っと!その後ろには中村選手!やや速度の落ちた葉崎選手の背後にぴったりとくっついています!そして!その後ろには天野美樹選手です。も、物凄い速さですが体は大丈夫なのでしょうか!』

 

(大丈夫なわけないでしょうが!)

 美樹は全体的に白くなってきた視界で前を行く3人の背中を睨む。

(でも・・・私だって・・・そこに立ってみたい!不可能を可能にする、あいつの見てる世界に!)

 もう動いているかどうか良くわからない手足で美樹は彼女を待つ男の下へと向かう。

 だが。

 

『ぅおおおおおおお!みなさん!最後方をご覧ください!来ました!半ば信じられませんでしたがホントにあの人も武装教師、アームドティーチャーでした!雛菊先生、大爆走です!』

 

 その声は半ば意識が飛んでいた美樹の耳にも届いていた。

(うそ・・・き、来てるわけ?)

 ぎしぎしと軋む首を何とか背後に向けた美樹は・・・

「うげ」

 一気に正気に戻った。

「ピキキーッ!」

 謎の声と共に、赤い霧がやってくる。

『ひ、雛菊先生・・・爆走というよりどちらかというと暴走です!な、なんか血を吹いてます!顔中の穴という穴から血の霧を噴き出して走る姿はもうそのまんまホラーです!夜道で見たら確実に泣きます!』

(夜道じゃなくても泣くってこれ!)

 疲労で声が出ないながら美樹は心の中で叫んで自分のものではないかのように重い手足に鞭を打つ。

 

『さぁ、熾烈な戦いもあと少し!残り50メートルの時点で1位は榊原選手、2位が葉崎選手、3位に中村選手という順番です!その後に天野選手と雛菊先生が・・・あっと!雛菊先生、天野選手を抜きました!続いて中村選手に襲い掛かります!』

 

「・・・残念ながら、この能力差はな・・・」

 愛里は悔しげに呟いて傍らを駆け抜けていく雛菊を見送る。気力はあってもこれ以上は足が出ない。

(だが、まぁいい。これで直接対決だ・・・)

「天野さん!私を追い抜いて見せなさい!」

 その叫びに美樹はぎりっと奥歯をかみ締めた。

(言われなくても!)

 心で叫び返すが声は出ない。

(愛里さんははっきり叫べてるのに・・・それがあたしとの、差なの?)

 美樹は絶望的な気分でただただ走る。

 

『ついに最終走者にバトンが渡ります!1番手はなんとか逃げ切った榊原選手!ほんの一瞬遅れて雛菊先生から豪龍院学園長へ!』

 

「ふむ。では風間よ、先に行くぞ」

 その巨体に似合わぬ身のこなしで豪龍院は走り始めた。

「おうよ、首洗って待ってるんだな」

 恭一郎は腕組みのまま美樹を待つ。

 その表情には、一転の不安も迷いもない。

 

(さすがに早いな・・・天野さんは・・・だが!ここは勝つ!)

(足には自信があるのよ!負けない!絶対!)

 二人の少女の想いが交差し・・・

 

『3番手は葉崎選手!そしてその後!中村選手が4番手!』

 

(そ、そんな・・・)

 数歩先を行く愛里の背を美樹は涙でにじんだ視界で眺める。気力が萎え、意識が遠のき。

「来い!美樹!」

 だから、その力強い声に答えたのは心ではなく、むしろ本能、そして体そのものだった。

「恭一郎ぉぉぉぉぉっつ!」

 絶叫と共に美樹はバトンごと体を投げ出した。

 視界の中で恭一郎の目に一瞬だけ迷いが浮かぶのが映る。

(いいから!あたしの体は大丈夫だから!)

「バトンっ!」

「・・・応っ!」

 はたして、恭一郎はバトンだけをかっさらうようにして走り出す。美樹はそのまま地面へと体を投げ出し・・・

「ごくろうさま・・・」

 柔らかい腕に、抱きとめられた。

(愛里、さん・・・)

 ぼんやりと眺めるその顔は、やわらかな笑みを浮かべた愛里のものだ。

「ほら、立つんだ天野さん。もう一仕事あるぞ」

(?)

 頭の中の疑問符に答えたのは、抱き起こされた美樹の視界に入ってきた光景だった。

 

『早いぞ!これは早い!他の武装教師の面々と比べれば比較的普通とはいえ圧倒的なスピードで走る豪龍院学園長と、今は風間恭一郎選手が並んでいます!今日の彼の成績は100メートル走の二位を見ればわかるようにスピード系では目立ったものがありません!彼の活躍はパワー系、武闘系のもの中心です!』

 

「恭ちゃん!」

「恭一郎、がんばる!ヴェイ・シュキャム・ディ・ラギュナグ!」

「お兄ちゃん!」

「お兄様!」

 

『ですが!そう、これこそが六合スピリッツ!もともとの実力もさることながら不可能を可能にする精神力こそが我らを支えているのです!みなさん!応援をお願いします!ゴールまで後50メートルをきりました!』

 

「ほら、天野さん・・・立つんだ。もうすぐそこまで来ているぞ。こればかりは私には出来ない役柄なんだぞ・・・」

「わか・・・ってる」

 美樹はふらりとその場に立った。実際には愛里がその体を支えているのではあるが、限界を越えた疲労がその感覚すら奪い去っている。

 視界の中で恭一郎の姿が大きくなり・・・

「恭一郎っ!頑張れっ!」

 残った酸素を全て力に換えて、美樹は絶叫し・・・

 そして、闇の中へと沈んでいった。

 

 

「・・・い、おい、美樹!しっかりしろ!」

「・・・うーん、もう一杯・・・」

 呻いた美樹の頭にチョップが食い込んだ。

「いたっ!・・・なにすんのよ!」

 飛び起きた美樹の目の前にちょっとあきれたような恭一郎の顔がある。背後に見えるのはがらんとした応援席の片隅だ。

「おまえさ、全力疾走したら気絶する癖、やめろよな・・・」

「・・・心配した?」

 われながら甘えた声だなと感じながら美樹は聞いてみる。それは半ば、なに言ってんだよと突っ込まれるための言葉。

 だが。

「ったりまえだろが。ひやひやさせやがって・・・」

「あ、あはは・・・」

 不機嫌そうなその顔は、何度か見たことのある恭一郎が不安な時の顔だ。

「ごめん。でも、負けたくなかったし、恭一郎と二人で10人抜き・・・」

 と、そこまで言って美樹の意識は一気に覚醒した。

「そ、そうだ!どうなったの!?抜いた?一位、なった!?」

 一気にまくし立てて飛び上がった美樹に恭一郎は自分も立ち上がってバンッと二の腕を叩いて見せる。

「おうよ!最後の30センチで大逆転だぜ?おまえと、俺で10人抜き達成だ!」

 いつものような不敵な笑み。だが、その笑みがやや苦笑気味なのに美樹は気づいて首をかしげた。

「・・・どしたの?」

「いや、それはいいんだけどな。実は学園長の次に3−Cの奴がゴールしたんだわ。教員チームは得点の対象外だから・・・」

 美樹はちょっと考え込んでから苦笑を漏らす。

「優勝、駄目だったんだ・・・」

「ああ・・・ほれ、今ちょうど発表だぜ」

 

『さぁ数々の熱戦、様々なドラマがありました!ですが今、この時点を持って体育祭は終了です!全学年の頂点に立ち、その運動能力を讃えられる優勝チームが今発表されます!』

 派手なドラムロールが鳴り響く。

『優勝は・・・』

 美樹は少しだけ残念を含んだ視線でスピーカーを眺める。

『2年B組です!おめでとうっ!』

「は?」

「あれ?」

 美樹と恭一郎の声が交差する。

『最終種目終了時点では2位だった2−Bですがここで忘れてはいけないのが応援合戦のブラインド点!審査員全員から惜しみない高得点をもらった2−B、最後の最後で逆転の優勝です!』

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 恭一郎は意味もなく口笛など吹きながら斜め上を向いた。

 美樹はじとーっとした視線で恭一郎を睨む。

「あのさ、なんか優勝した感動とか、ぜんぜんわかないんですけど?」

 

『・・・はっはっは。気にすんな!はっはっは!  風間恭一郎』

『笑ってごまかすな!・・・もう、しょうがないなぁ 天野美樹』

 

 

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