前夜 風間邸●

  

 広々とした風間家のベランダに集まった仲間たちを見回して美樹は『泡の出る麦茶』の入ったコップを高く掲げて見せた。

「ともあれ、優勝おめでとう!乾杯っ!」

 美樹の音頭と共に恭一郎達は互いのグラスを勢い良く打ち合わせる。

「はいおにーちゃん、おつまみ!」

「夏希さん!抜け駆けはずるいですっ!」

 大皿を抱えて恭一郎に突撃する夏希を同じく大皿を携えた紀香が迎え撃つ。

「邪魔しないで紀香さん!今日はここにいる人たち全員ライバルなんだから夏希たちが同士討ちしてちゃ駄目だよ!」

「え・・・葵姉さまはもちろんとして・・・」

 紀香はぐるりと周囲の少女達を眺める。

「たとえば、いつも元気な天野さんは・・・?」

 紀香の問いに夏希はぐっとこぶしを握った。

「そりゃもうぞっこんだよ!」

「そ、それではお兄様の臣下とかいうあの外人の方は・・・」

「エレンさんでしょ?師弟愛に忠義に女としての喜びでトリプルショック!」

「あちらに立っているちょっと美少年っぽい女性は」

「みーさんさんはよくわからないけど葵おねーちゃんも込みで好きだとか何とか」

「そ、それではいつも凛々しい中村さんは・・・」

「まっさきにメロメロだよ!」

「そ、そんなことないぞ!ないったらないぞ!」

 思わず叫んだ愛里の言葉など耳に入る様子も無く紀香は冷や汗と共にぐっとこぶしを握る。

「ここに居るのはみんなと言うことは、ひょ、ひょっとして・・・稲島様も・・・!?」

「ぼ、僕かい!?」

 思わぬ台詞に貴人は食べかけていたエビフライを噴き出して驚愕した。

「何しろこの中で一番付き合いが古いから!べた惚れだよ!」

「嘘をつかないでよ夏希ちゃん!」

 慌てて抗議する貴人を完全に無視して紀香は震える体を自分で抱きしめるようにして夜空を見上げる。

「そんな・・・名門稲島家の嫡男が・・・衆道(ホモ)なんて・・・」

「四井くん!な、何を言い出すんだ君は!」

 必死の叫びも虚しくベランダの上の視線は貴人に集まった。

「た、貴ちゃん・・・私、負けないからね」

「ジマー・・・世間の風に負けずに頑張ってね・・・」

「稲島殿!それは生物の理を外れた行為ですぞ!自重されよ!」

「しゅ、主将が恋敵、で、ではなく!その、敵対する剣術部の部長と密通していたなんて」

 一同は口々に勝手なことを口走りながら震えて見せる。

「・・・・・・」

 そんな中、恭一郎は無言で貴人に歩み寄った。

「きょ、キョウ!君からもなんとかいってくれよ!」

「貴人・・・ばれたからには、もうしょうがないさ・・・」

「恭一郎!?」

 肩をがしっと掴まれた貴人は顔面蒼白になって硬直する。

「さあ、旅立とう貴人!あの広く高い空へ・・・未知の世界へ!」

「ひっ!た、助けて!あ・・・天野さん!」

「はいはい・・・ほれ、恭一郎!ええかげんにしなさいっ!」

 美樹は苦笑しながら恭一郎の後頭部にぺちんとつっこみを入れた。

「おうよ。夏希と紀香がネタを振るなんて珍しいんでな。つい悪乗りしちまった」

「えへへ、おもしろかった?」

「楽しんでいただけたようで紀香、大満足です」

 夏希と紀香がそう言うとあたりに暖かな笑いがはじける。

 

 ただ一人、燃え尽きたままの貴人を除いて。

 

『で?やっぱり恭一郎攻めでジマー受け?  天野美樹』

『・・・腐女子って呼ぶぞおい      風間恭一郎』

 

 

 騒がしいパーティも1時間をかけて終わり、葵達が帰り支度を始めた頃だった。

 ひゅん、と細く鋭い風斬り音が恭一郎の耳に届いた。

「!?」

 考えるよりも早くその左腕が閃く。

 ビシッ・・・

 小さいが鋭い音がその手のひらで鳴った。振り向きもせずに本能と勘だけで振りかざした腕は見事に飛来したそれを掴みとったのだ。

「なにそれ?矢・・・?」

 美樹は思わず呟いてぽかんと口を開ける。恭一郎の手に納まっているのは真っ白な羽のついた一本の矢だったのだ。

「白羽の矢・・・?」

 葵は同じくきょとんとした顔で呟いたが、こちらはすぐにその瞳に理解の色を灯す。

「恭ちゃん、これってひょっとして?」

「・・・だろうな」

 答えた恭一郎の顔が笑みを形作る。凶暴な、それでいて見るものを惹きつけてやまない・・・獣の王のみが持ちうる表情だ。

(う〜ん、こういうとき、かっこいいなぁやっぱ)

(恭一郎、最高)

(り、凛々しい・・・い、いやいや、何を考えている愛里!)

(殿!このエレン卒倒しそうです!)

 それぞれの乙女心をくすぐられて顔を赤らめる少女たちをよそに恭一郎は笑みを引っ込めて眉をひそめる。

「なんだ?紙がくくってあるぞ?」

 呟いて握ったままの矢に結び付けてあった紙をほどいて広げる。

「恭ちゃん、なにか書いてあるの?」

「・・・なるほどな。ここで集まってることもお見通しかよ」

 葵の問いに恭一郎は再度ニヤリと笑って見せた。

「読むぜ?本年度大武会に下記の者、出陣を要請す。風間恭一郎、稲島貴人、中村愛里、エレン・ミラ・マクライト、御伽凪観衣奈・・・何!?」

 だが、不意にその笑みが消える。

「・・・天野、美樹」

 呟くように放たれた言葉に愛里と貴人が目を見張る。

「あたし?」

 当の本人は何もわからないままにきょとんとして自分を指差した。

「あの、殿・・・根本的なことをお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 その美樹と恭一郎をかわるがわる見比べながら手を挙げたのはエレンだ。

「・・・大武会とは何か、だろ?」

 恭一郎は軽く顔をしかめたままでそう答える。

「大武会ってのはな、俺達武術屋たちの祭りだ。全校から集められた腕自慢がその力を示すためにただひたすら戦う・・・そういう、祭りだ」

 その言葉を継いで口を開いたのは愛里だった。

「ルールは単純よ。六合学園内ならどこに行こうとどこで戦おうと自由。誰が誰と戦おうと自由。表彰されるわけでも公表されるわけでもないが、名のある生徒ならまず参加は拒まないな。特に・・・白羽の矢で指名されるほどの生徒なら」

「あれ?指名されてなくても出れるわけ?それじゃその矢って何なの?」

「出るだけなら、誰でも出れるんだけどね・・・」

 美樹の疑問に今度は貴人が答える。

「白羽の矢は学園当局が注目している証。そしてその生徒の名は大武会当日に参加者全員に通知されるんだよ。当然、その生徒たちは真っ先に狙われる事になる・・・指名されていない生徒たちが名を上げるために次々と戦いを挑んでくるからだね」

 はぁとよくわかっていない表情で頷いた美樹に恭一郎は一瞬だけ迷ってから口を開いた。

「美樹・・・明日はおとなしく家に居ろ」

「へ?なんで?」

 美樹はきょとんと首をかしげる。

「大武会は危険だ。武装教師たちが見張ってるとはいえそれぞれ殺傷力のある武器と技をもって参加する・・・怪我はざらだし、取り返しのつかねぇことになっちまった奴も多い」

「・・・それで?」

 問い返す美樹の表情が固い。恭一郎はややいらついた表情で首を振った。

「大武会中の学園に葵が居たとしても危険じゃない。葵が戦えないことは誰もが知ってるからだ。今のエレンが居たとしてもこいつは一人前の武術家だ」

「・・・でも、あたしは違う。名前が売れてて、それでいて専門の武術家じゃない・・・だから出てくるなってわけね?」

 声が激情で震える。

「・・・嫌よ。あたしは。あたしは・・・あんたがどう言おうと、その大武会ってのに出る」

「俺と同格の奴らだって大勢居る!そいつらと渡り合いながらおまえを守りきれるとは言い切れねぇぞ!」

「守ってなんて言ってない!」

 美樹は叫んでいた。睨みあう二人を葵達は声をかけることも出来ずただ見守る。

「・・・何故、出たいんだ?面白半分で出てきていい場じゃねぇのは・・・わかるだろ?」

「・・・あんたの目を見ればね。でも、それだったらあたしの目も見てよ。あたしを・・・見てよ。あたしだってね、戦う理由があるんだよ。前からずっと・・・やりたいことがあったんだよ」

 一瞬前の激しい叫びが嘘だったように静かな声に恭一郎はふぅと息をつく。

「・・・気をつけろよ?」

 肯定を意味する言葉に美樹は大きく頷く。

「うん・・・大丈夫・・・」

 

 

『ずっと・・・こんな機会を、待ってたんだから・・・  天野美樹』 

 

 そして夜があけ・・・

 

 

● 某部室 ●

 

 その部室で、男は2年を過ごした。

 人から笑われようと、理解されなかろうと、そこは彼とその仲間たちにとってはかけがえの無い憩いの場であったのだ。

「事は全てエレガントに運べ・・・か」

 静かに呟き、部室を見渡す。自らの作り上げた、優雅な楽園。しかし・・・

「僕は、弱くなったのだろうか」

 呟き、手の中で静かに光る愛刀をかちゃりと揺らす。

 かつて、男はフェンシング部期待の天才と言われていた。実際試合では負けなしだったし辻試合でも連戦連勝を重ねていた。

 そう。

 そのフェンシング部を捨て、新たな環境に馴染み・・・そして、あの男に会うまでは。

「風間、恭一郎・・・」

 野獣のような荒々しく、それでいて芸術のように繊細な剣を振るう男。

 その男に感じた印象を振り払うために男は何度と無く恭一郎に挑んだ。負けたことは少ない。だが、勝ったことも・・・ゼロに近い。特にここ1年では一度たりとも優位に立っていないのだ。

「断じて、認めるわけにはいかない。あの男がエレガントだなどと・・・」

 そして、彼は後1ヶ月を待たずして六合学園を卒業する。恭一郎と戦うことのできる場所から、去らねばならない。

「・・・みんな、すまない」

 男は呟いて愛用のレイピアを机の上に置く。部員達が精魂込めて作ってくれたマントと帽子もその傍らに置く。

「僕は、今この時を持ってエレガント部を退部するよ・・・もはや、全てをかなぐり捨てなくては彼に追いつけない・・・勝ちたいんだよ。あの男に」

 カッと踵を鳴らして男は部室を後にした。その顔には普段の彼とは別人のように厳しい何かが宿っている。

「僕も・・・やはり、一人の武人だから・・・」

 

AM 6:50 元エレガント部部長、綾小路薫。出陣。

 

 

 △  剣術部練習場  △

 

「さて、お楽しみの時間まであと1時間だな」

 恭一郎は集まった少女たちを見渡してにやりと笑う。

 いつもと変わらぬ制服姿の葵、恭一郎のものを模した黒い剣道着に身を包んだエレン、そしてジャージ姿の美樹がそこに居た。

「見ての通り、俺達は今年狙われる側だ・・・言いたいことはわかるな?」

 そう言って恭一郎が投げ捨てたのは校門で渡された校内新聞だった。例年通り、そこには白羽の矢で選出された生徒たちの名とプロフィールが並んでいる。

「気をつけろってこと?」

「違うぞ側室。全員返り討ちの勢いで行けということに違いない」

 やや緊張した面持ちの美樹に、こちらはやや興奮状態のエレンが答えた。

「・・・両方だ。この学園の懐を舐めるなよ?強い奴はいくらでも居る。まぁ、俺は無敵だけどな」

 恭一郎の言葉に美樹は苦笑してぶんっと腕を振り回した。

「まぁ、あたしだって怪我はあんまりしたくないし、ほどほどに気をつけるわよ」

「ああ。俺は忙しいから面倒見れない。無茶するのはいいが後悔はしねぇようにな」

「私はここで待機してるから怪我したら帰ってきてね。応急処置くらいはできるから」

 葵は抱きかかえた救急箱をぽんっと叩いて笑う。

「あれだぞ。葵の看護はすげぇぞ。怪我より治療の方が痛い」

「そ、そんなことないよー」

 真っ赤になって抗議する葵の髪をくしゃくしゃとかき混ぜてから恭一郎は立ち上がり、立てかけてあった木刀を掴む。

「俺は学園中を巡回して挑戦者を待つ。最後に戦うのはあいつとして、それ以外の奴らにも興味があるからな・・・っと、エレン。俺と戦うか?それなら先にやってもいいが」

「・・・いえ、今回は私にもいささかの目標があります故。謹んで辞退させて頂きます」

 深々と頭を下げるエレンに少し意外そうな顔を見せてから恭一郎は頷いてドアを開ける。

「さぁ、はじめるぜ・・・祭りを、な!」

 

 AM7:20 六合学園剣術部 出陣

 

       剣道部練習場 2階 △

 

 しんとした空気の中、中村愛里は静かに正座をしていた。

 いつもなら人で溢れている一軍用練習場に、今は彼女一人だけが居る。他の出場者は一階で貴人の訓示を受けているはずだ。

(強さ・・・とはなんだろう)

 目を閉じ、自らに問う。

 答えは、一人の少年の姿となって現れた。もはや、消すことも出来ず否定することも出来ない・・・彼女の中の『最強』

 目を開き、床に置いてあった手甲を身につける。それは彼女が『普通』の剣道に別れを告げた証であり、彼と共に改良を重ねた絆でもあった。

「・・・行くか」

 軽く引っ張って手甲の紐の具合を確かめ、今度は剣を取る。

 恭一郎のような木刀ではない。殺傷力の無い竹刀。それは彼女には人を殺す覚悟は無いという意味である。

(否・・・恭一郎は、あの刀を使っても人を殺さぬ自信があるのだ・・・私には、その自信は無い)

 立ち上がる。一度動き始めてしまえばその流れは止まらない。

「それでも、これが私なのだ。もう、迷いは無い。賭けには勝った・・・長く迷っていたが・・・どうやら全力を出せそうだ」

 練習場を出て一階へと降りると、一軍のメンバーは既に完全武装で整列していた。防具に身を固めた集団と、白い剣道着を身に纏った男。

「・・・やはり、彼と戦うことが目的かな?」

 男は、稲島貴人はそう言って微笑んだ。

「・・・主将もそうだと思いますが、そのあたりは早い者勝ちと言うことで」

 愛里は軽い苦笑でそれに答え、貴人の隣に並ぶ。

「さて・・・全員揃ったね。さっきも言ったがこの戦いは我々の戦力を全校に示すものであると共に、僕たち武の道を志す者が自分の到達点を見極める戦いである。各自後悔の無いよう、全力で戦ってほしい」

 貴人の言葉に継ぎ、今度は愛里が口を開いた。

「よいか。敗北は恥ではない。勝負に負けても逃げ延びれば、闘い続けることが出来れば、それは負けではないのだ。本当に負けるときというのは・・・心が折れたときだ。もう闘えないと思ったとき、真の敗北が訪れる」

 自分は数えられないほどの回数、恭一郎に負けた。だが心だけは、折れていないと愛里は心の中でだけ呟く。

「頑張ってくれ。みんな。そして、掴め・・・未来を!怪我などするのではないぞ!」

「応っ!」

 

 AM8:00 稲島貴人・中村愛里及び剣道部一同 出陣

 

 

       風紀委員室 △

 

「あれ?いかないんすか?」

 行事が行事なだけに総動員体制の風紀委員たちがミーティングを終えて全校各地に散らばっていく中、ただ一人動かない少女に神戸由綺は声をかけた。

「うん。私、これ、もってる」

 相変わらずどこから出したのかわからない白い矢を見て由綺は『おお』と声を上げる。

「そういえばリストに名前があったっすね。参戦するんすか?」

「一応。去年は取締り組みだったから」

「あ、でも大武会って重火器は使用禁止ですよ?」

 おかげで『コンバット部』や『地球の未来を護る会』は参戦できない。

「大丈夫。私、これ、ある」

 嬉しそうに取り出したそれは長短二本の木の棒を組み合わせた武器、トンファーであった。

「あぁ、そういえば先輩ってトンファー使いなんすよね。一応・・・でも何でトンファーなんすか?」

 由綺の問いにみーさんは笑って答えない。

「さ。由綺、仕事する。それと・・・怪我しないよに、気をつける、よい」

 ぽんっと頭を叩かれて由綺は笑顔の裏で軽く首をひねる。

(・・・この人も、変わったっすね。昔はもっと冷たい人だったっすが)

 

 AM8:18 御伽凪観衣奈 出陣。

 

 そして2分後、AM8:20・・・ついに大武会の幕が開いた。

 

       2号館裏手 △

 

「・・・ふむ」

 貴人達と別れて一人歩いていた愛里は軽く頷いて足を止めた。

「ついてきている奴、出て来るがいい。気配からして不意打ちやら待ち伏せやらが好きな性質でもあるまい?」

「・・・へぇ、そこまで見抜かれるとは思わなかったぜ」

 呟きと共に木立から現れたのは白い道着に身を包んだ少年だった。逆立てた髪と、虎を思わせる鋭い視線が特徴的だ。

「ほう、見たことのある顔だな・・・空手部2年、『疾風』の楢崎だな」

「あの『流剣』に知っていてもらえるとは光栄だぜ」

 にやりと笑って楢崎はコキコキと首を鳴らす。

「何を言うか。県大会レベルだぞ私は。全国大会レベルのあなたに言われてもな」

「はっはっは。まぁそう言うな。六合のなかではあんたの方が大物だぜ。俺に言わせりゃそっちの方がよっぽどすげぇ」

 本気で感心しているらしい楢崎の言葉に愛里は軽く苦笑し竹刀を構えた。大きく息を吸い、吐く。

「さて・・・やるのだろう?」

「ああ。しょっぱなから白羽の矢レベルが相手とは俺も運がいいぜ」

 こちらもにやりと笑って楢崎は構えを取った。標準的な空手の構えと比べると、かなりの前傾姿勢だ。

「・・・なぁ中村。忠告とかしねぇのか?武器使いって奴は無手と闘うと必ず剣道三倍段を言い出すんだけどな」

 じりじりと間合いを詰めてくる楢崎を愛里は静かに見つめる。

「生憎、私は以前油断をしすぎていたのでな。最近は勝負とあれば全て全力だ」

「そうかい。じゃあ、まぁ・・・」

 言葉が、そこで途切れた。変わりに鋭い呼気が漏れる。楢崎の姿勢が低く沈み・・・

 だんっ・・・!

 同時に地面が弾けとんだ。

(速い!疾風の名は伊達ではないな)

 一歩目の踏み込みで吹き飛んだ土の欠片が地面に落ちるより尚早く懐に肉薄してきた楢崎に愛里は心の中で感心する。

 瞬間で詰められて今の間合いは約50センチ。それは楢崎の腕が届く距離であり、愛里の竹刀には短すぎる隙間。

「つまり、俺の勝ちって事だ!」

 叫びざま楢崎は固く握った拳を真っ直ぐ愛里の鳩尾へと打ち込む。お手本どおりの、教科書に載っていてもおかしくない綺麗な正拳突きだ。

「そう、綺麗過ぎる、突きだな・・・!」

「何・・・!?」

 勝ちを確信していた楢崎の声が驚愕のそれに一変した。拳が直撃する直前に見えた愛里の顔が、急にさかさまになったのだ。

 ばんっ!

「か、はっ・・・!」

 何がおきたのかわからないうちに地面に叩きつけられた楢崎の肺から空気が搾り出される。あばらが軋んだが、何とか折れてはいないようだ。

 ことがそこまで至って、楢崎はようやく自分が投げ飛ばされていたことを理解した。

「・・・剣道だろ・・・あんた・・・それが投げ技・・・?」

 楢崎は地面に転がされたまま呆然と呟く。その首に、すっと竹刀の切っ先が突きつけられた。無論、愛里の剣だ。

「合気道の技でな、相手の勢いをそのまま投げる力に変換するのだが・・・あまりにあなたの突きが強烈なのでひやりとしたぞ」

「・・・俺に、怪我させてしまうかって・・・そう思ったってのか?」

 悔しげに呟いた楢崎の顔がゆがむ。半分は屈辱、半分は痛みでだ。

「ああ。はっきり言ってまだ完全に自分のものにした技ではないのでな・・・それでも、あなたの攻撃に対してなら、成功すると思った」

 そこまで真面目な顔で言った愛里はくすりと笑みを漏らす。

「型通りの綺麗な空手もいいけど、もうちょっとセオリーに頼るのを止めないと私には勝てないな」

 笑いをこらえながら言った愛里は幸せそうに目を細める。

「うむ、いざ自分が言う方に回るとこれがまた気持ちよいものだな・・・」

「な、何の話だよ」

 事情を知らない楢崎が混乱した声を上げるのに笑みを濃くして愛里はすっと彼に背を向ける。

「ふふふ・・・まぁ深く考えないことだ。あなたは十分に強いし、これからもっと強くなるだろう・・・その時は、また手合わせを願いたい。受けて、くれるかな?」

 かるく首をかしげた姿勢で振り返った愛里に、楢崎はぼぅっと見入ってしまった。見せ付けられた強さと、今見ている可愛らしい笑顔、その両方に打ちのめされて。

「?・・・楢崎さん?」

「あ、お、おう。もっと腕を磨いて・・・そのときこそ、勝つ!」

 不審気に問いかけられて楢崎は慌てて飛び上がり、ぐっと拳を握る。

「ああ、楽しみにしている。ではな」

 最後にもう一度笑みを浮かべて去っていく愛里の背中が校舎の角に消えたころ、呆然とそれを見送った楢崎の口から、言葉がひとつ転がり落ちた。

「・・・惚れた」

 瞬間、ざっと音を立てて彼の周囲を人の壁が囲む。

「な、なんだ!?」

 楢崎が驚愕の声を上げたのも無理は無い。剣道の防具に身を固めた男女が15人、それも全員が目を血走らせて立っていれば誰だって驚く。

「我らは、馬脚衆・・・」

「は?」

「おもな活動内容は、わが部に舞い降りた恋乙女、中村副主将の恋路を邪魔する不埒者を排除すること也!」

 剣道部員たちはざんっと全員一斉に竹刀を構えた。

「ちょ、ちょっとまて!恋路っておい!」

「問答無用!同じ部の俺達ですら我慢してんのに他の部の奴のアプローチなど言語道断!馬に蹴られて死んでしまえ!」

「いや、だから!」

 まだほとんど動けない楢崎の絶叫に耳を貸す様子も無く剣道部員たちは無言で竹刀を振り下ろした。

連続して響く打撃音、時々漏れ聞こえる悲鳴。

 そして、静寂。

 合掌。

 

 △ 体育館前広場 △

 

『お知らせです。AM8:37、空手部2年楢崎雄矢君リタイヤです』

 体育館のスピーカーから聞こえてきたアナウンスにぶらぶらと歩いていた恭一郎はむ・・・と唸る。

「空手部の楢崎っていえばあの『疾風』か・・・大物がこんな時間にリタイアとは今年は激戦だな・・・」

 真相を知らない恭一郎はそう呟いて無意味に気を引き締めながら視線を前方へ投げた。

「さて、そういうわけなんだが・・・どうだ?いきなり激戦してみるか?」

「・・・そうだね」

 その視線の先で、糸のような目の男が静かに竹刀を構える。

「・・・考えは一緒か」

 恭一郎も木刀を正眼に構えてにやりと笑う。二人の男はじりじりと間合いを詰め・・・

「覇っ!」

「疾っ!」

 吼声と共に疾走を始めた。一瞬にして互いの攻撃範囲へ踏み込み、同時に鋭い突きを放つ。空気を切り裂き放たれたのは手加減も躊躇も無い紫電の如き一撃。

 だが。

「ぎゃぁっ!」

「うきゃぁっ!」

 悲鳴は二人の背後から起こった。二条の剣閃は、相手の頭をほんの僅かにかすめてその後ろへとつきこまれていたのだ。

 貴人の竹刀が捉えたのは恭一郎の背後に忍び寄っていたフェンシング部員。恭一郎の木刀が吹き飛ばしたのは貴人の背後に飛び掛ってきた柔道部員である。不意打ちをしかけた少年たちはそのままずるずると倒れ伏す。

「じゃあまた後でね」

「おう。お互い楽しもうぜ」

 たんっ・・・とそのままの勢いですれ違いながら二人は不敵な笑みを交わして別々の方向へと走る。

「いたぞ!風間恭一郎だ!」

「剣道部の主将も居るぞ!」

 それぞれを待つ、敵の下へ。

 

 

       2グラウンド △

 

 

「我が名はエレン・ミラ・マクライトっ!風間恭一郎様の忠臣にして神楽坂無双流の使い手であるっ!」

 グラウンドのど真ん中で叫ぶエレンを二重三重に生徒たちが取り囲んでいる。

「・・・ああ、やりにくいなぁ」

 大半の反応は、まぁそんなものだ。

「ああ、殿!今こそ、今こそまさに殿から授けられた力を試す時!エレンはやります、やってみせますぞ殿!そもそもわが剣は・・・」

「えっと、もうはじめていいのかな・・・」

「一応あの人も白羽の矢で選抜されたメンバーなわけだし口上くらい思う存分言わせてあげようよ」

 延々と叫び続けるエレンを小声で言い合いながら見守る生徒たち。

「三本の矢の故事の通り、三人集まればなんとやら!要するにだ!」

「・・・長いなぁ」

「・・・もうちょっと待って駄目だったらはじめようぜ?」

 だんだん飽きてきて無駄話の多くなってきた生徒たちの様子に気づいてか気づかずにか、ついにエレンの口上はクライマックスを迎える。

「・・・というわけで私は負けるわけには行かないのだ!さあ!かかってくるがいい!このエレン、逃げも隠れもせん!」

「あ、終わったみたい」

○×ゲームやしりとりで適当に時間を潰していた生徒達はようやく木刀を構えたエレンにばっとそれぞれの武器を向けた。

途端、あたりの空気が戦場のそれへと姿を変える。

「じゃあまずは俺からだ!」

「あ!きたねぇぞ!抜け駆けすんな!」

 競い合うように迫る二人の少年を静かに見つめてエレンは口元にだけ笑みを浮かべた。

「神楽坂無双流・・・」

 呟くと同時に少年たちは襲い掛かってきた。二人の武器はヌンチャクだ。不規則な軌道を描く木棍がエレンの頭部へと容赦なく打ち込まれる。

 それに対し、エレンはくるりと背を向けた。無防備な後頭部に致命的な打撃が迫る。攻撃の鋭さに対し、エレンの動きはあまりにも緩やかだ。

「馬鹿かっ!?」

「なんのつもりだ!?」

 少年たちの驚きの声を背中で聞きながらエレンは体を大きく捻った。そして。

「武技・火車ぁっ!」

 蓄えた力を叫びと共に一気に解放する!

 ひゅっ・・・!

 少年たちにわかったのは風が切り裂かれる鋭い音だけであった。それが何を意味するかを理解するよりも早く、二人の体は横っ飛びに吹き飛ばされて数メートル先の地面に転がる。

「・・・おい、今の・・・」

 周囲から漏れる驚きの声は当然とも言えるだろう。

 エレンは明らかに少年たちよりも遅く動き出した。だというのに一回転して勢いのついた木刀が二人をまとめて吹き飛ばしたのは彼らの攻撃よりも先だ。

 つまり。

「速い・・・!んでもってなんつー馬鹿力だよおい!やっぱ凄ぇえ!」

「噂どおり・・・ううん、噂以上ね・・・」

 呟きながら包囲を縮める生徒たちの顔にはいつしか笑みが浮かんでいる。それは、彼らもまた、無名ながら武術バカであるという証明だ。

「おもしれえ、次は俺だ!」

「その次、あたしね!」

「・・・三番手、頂こう」

 一斉に襲い掛かろうとはしないその様子を見てエレンはうむと大きく頷く。

「その意気や良し!このエレン、感動だ!さぁ次々にかかってくるがいい!」

 

 

       校舎脇通路 △

 

 恭一郎は木刀を担いだままぶらぶらと歩いていた。

 貴人と別れた後、10人近かった待ち伏せ集団を追い払ってからは近くに敵の姿も無くやや手持ちぶたさだ。

「・・・とは言え、感じるぜ。あちこちでぶつかり合ってる闘気ってやつをよ」

 にやりと笑い、手近な戦場へ駆け出した恭一郎から離れること3メートル。

「・・・・・・」

 そこに、布の塊が落ちていた。両手を使えば容易に抱えられるような、そこらにあるシーツを丸めたような布。泥にまみれ、薄汚れた。

「・・・風間、恭一郎。あれが」

 不意にその中からくぐもった声が聞こえた。同時にボキリボキリという音と共に布が立ち上がる。

「・・・くく・・・くくくく・・・」

 笑い声と共に揺れた布の隙間から覗いたのは浅黒い肌をした男子生徒だった。どうやっていたものか、立ち上がったその背格好はさっきのぼろ布に入っていたとはとても思えない。

「今は、まだだ・・・だが、奴も疲れる。傷を負う。油断する。そのときこそ、わたくしが・・・くく・・・せいぜい背中には気をつけるのだな」

 呟いて少年は再び布の中に沈む。バキリバキリと音を立てて地面に投げ出された布の塊は、とてもではないが中に人が入っているとは思えないほど小さくまとまっている。

 

 暗殺部3年、名桐寛文・・・学園でもトップレベルに陰湿な実力者に狙われているという事実を、恭一郎はまだ知らない。

 

                                  ○ 続   く  ○