6号館廊下 △

 

 恭一郎は気配だけを頼りに手近な校舎へと足を踏み入れた。

「知ってるような知らねぇような微妙な気配だな・・・」

 呟き、無音の廊下をぶらぶらと歩く。

「出て来い!悪いが俺は不意打ちが嫌いな男だ!するなとはいわねぇが反撃がきっつくなるぞ!」

「・・・別にそんなことは考えていない」

 静かな声は、横手からかけられた。

「おまえ・・・」

 そっちに顔を向けた恭一郎は僅かに目を見開く。

そこに、彼が居た。階段に腰掛けて、静かに。

「待っていたんだ。君は必ずここへ来ると思っていたよ」

「・・・何故だ?」

 恭一郎は常と違うその雰囲気に警戒心を強め、左手で提げていた木刀の柄に軽く右手を添える。

「戦いのあるところに、君は必ず現れる。その証拠に・・・君はここに来た」

 囁くように言って男は・・・綾小路薫は立ち上がる。

「否定はしねぇ・・・ん?おまえ、剣はどうした?」

「・・・・・・」

 返答は無かった。その代わりに、綾小路は傍らに立てかけてあったそれを静かに握る。

「槍・・・!?」

「たぁぁっ!」

 眉をひそめた恭一郎の声に答えたのはいきなり突き出された槍の穂先だった。

「くっ!」

 反射神経だけでその一撃をよけて恭一郎は大きく飛びのき木刀を構える。

「今のはエレガントじゃねぇんじゃないか!?おい!」

 威嚇するような叫びにも綾小路は表情を動かさない。

「知らないな。僕にとって大事なことはひとつだけ・・・君に勝つことだけだ!」

 大きく踏み出すと共に繰り出された槍は日本のそれと違う。頑丈で重い穂先のついた西洋式歩兵槍・・・ジャベリンである。

「さすがにこんなもん使う奴とは初めてやりあう!」

 綾小路の一突きを手元でさばこうとして恭一郎は軽く顔をしかめた。重い。

続けざまに繰り出される槍を受け止めるのをやめ、恭一郎は身をそらして突きを避けていく。

「たぁぁっ!」

 ひときわ鋭い突きを再度飛びのいて避けてから恭一郎は舌打ちをした。

「おまえ、元フェンシング部だろうが!なんで槍なんだ?この重さと速さはどう見たって素人じゃねぇぞ!?」

「・・・僕がフェンシングを始めたのは中学からでね。この槍は6つの時から11年だ」

 無表情に答えた綾小路は槍を構えたまま微動だにしない。

「屈辱だけど、剣の間合い・・・1メートル以内で君に勝てる者など居ない。少なくとも・・・僕には勝てない。だが逆に、その外の30センチを押さえているこの状況で君は僕に勝てない」

「なるほどな・・・この廊下は狭い。回り込むことはできねぇし正面からかかっていけば俺の剣が届く前にてめぇの槍が狙撃してくるってわけだ」

 恭一郎はつまらなそうに呟いて笑う。失笑に近い、冷たい笑いだ。

「くだらねぇぜ綾小路。おまえは俺に勝つチャンスを失っちまったな」

「・・・君がなんて言おうと、この間合いの差を埋める手段は無い。君が攻めようと、守ろうと、僕の勝ちだ」

「埋められなけりゃぁな」

 綾小路の冷たい声に恭一郎は短く答えて鋭い視線を投げる。相対する二人をへだつ距離は約4メートル。

 恭一郎にとって一瞬で踏み込める距離ではあるがその一瞬を捉えて強烈な一撃を加えるだけの武器と技が今の綾小路にはある。

「いまさら言うのもなんだけどよ、俺はあんたと闘りあうの、わりと好きだったぜ」

 呟いて構えたのは恭一郎にしては珍しい突き狙いの姿勢。左腕を前に突き出した姿は弓を引いた姿にも似ている。

「・・・・・・」

 対峙する綾小路は無言のまま微動だにしない。

 沈黙のまま、数秒、数十秒と時が過ぎる。

(僕は勝つ。勝てる。余計なことさえしなければこの状況に隙は無い)

 内心の呟きは、しかし余裕の無さの現われでもあった。

(彼の言葉はこちらへのゆさぶりだ。焦って手を出せばその隙に懐に飛び込まれるかもしれない。棍術や和槍と違い僕の槍に柄頭を使った技は無い・・・)

 綾小路は知らず不規則になる呼吸を整え、視線を恭一郎の足に固定する。

(動く。彼の性格からしていつまでも待ちの姿勢ではないはずだ・・・そして間合いを測り違えさえしなければ勝ちだ)

「綾小路。読みすぎだぞ」

(これもゆさぶりだ!動いてはいけな・・・)

 思考は、そこで断ち切られた。ついに恭一郎が動いたのだ。予想通り先手で、だが綾小路の予想とは違う動きで!

間合いを詰める足ではなく、木刀を握った片腕が!

「風間式大刀斬馬術ッ『槍龍』!」

 叫びと共に限界まで背後へ引いていた右腕が、まさしく弓を放つ動きで正面へと突き出される。

「投剣!?」

 叫びざま綾小路は胸元めがけて飛んできた木刀を払い落とそうと身を捻った。彼にはそれを叩き落すだけの反射神経も、技術もある。

否。あった、はずだ。だが・・・

(・・・腕が重い!動かない!?)

 腕が重いのではない。体に染み付いていたのは、レイピアの重さ。だが、現実に今握っているのはジャベリンのずっしりとした・・・

 

 ドスッ・・・!

 

「がっ・・・!」

 ライフル弾のように回転しつつ飛来した木刀は、正確に鳩尾へと突き立った。痛いというよりも、むしろ衝撃の塊に近いダメージに綾小路の視界がほんの一瞬だけ黒くなる。

 そして、その一瞬で十分だった。

「間合いは、埋まったぜ」

 元通りになった視界に、恭一郎の鋭い眼光が写る。

「くっ・・・!」

 飛びのこうとした動きは鈍い。体に走る衝撃と共に、手にした歩兵槍の重みがそれを邪魔している。

「風間式『麒麟角』!」

 恭一郎は空中にある木刀を落下するより早く掴み取り、その柄で無防備な顎を真下から突き上げた。言葉も無くのけぞる綾小路を見もせずに恭一郎はくるりと背を向ける。

「ま、まだ・・・」

 綾小路は脳震盪で力が抜けた腕を持ち上げその背へと振り上げようとするが、

「無双流武技、『火車』っ!」

 それよりも早く一回転した木刀に即頭部をなぎ払う。ごきりという音とともに綾小路は背後へと倒れこみそうになり、何とか踏みとどまる。

「へぇ?」

 恭一郎はそれを見て唇の端っこだけ持ち上げて小さく笑う。

「俺のを三発喰らってまだ立っているってのは凄ぇな」

「僕は・・・!」

 既に身体的には限界を越えていた。顎への一撃を喰らった時点で既に勝負はついていたともいえる。

「僕は、こんな結末を・・・!」

 欲しかったわけではない。それは、断じて違う。

ともすれば消えそうな意識の中、不思議なほどに素直に綾小路はそれを認めた。

彼はただ、卒業してしまう前にもう一度・・・

(もう一度だけでも、僕は風間恭一郎と対当に戦ってみたかった・・・!)

 瞬間、嘘のように体が軽くなった。限界を越えた体が痛みや疲労を感じなくなっただけかもしれないが、綾小路はまだ戦えると自分に言い聞かせる。

「はぁぁぁあああああっ!」

 叫びざま、綾小路は恭一郎へと槍の穂先を打ち込んだ。

「神楽坂無双流・・・」

 恭一郎はその一撃を即座に後退して回避してその流れのまま下段に構えた刀を斜め上へと払い上げた。

「氷雨っ!」

(当たった?いや、間合いが遠い!)

 心中で呟いた綾小路は、その一撃がもたらした結果に大きく目を見開く。

 その目に映ったのは、斬り飛ばされ、宙を舞うジャベリンの穂先。そして、手元に残った一メートルほどの木の棒。さっきまでは、槍の柄だった・・・

 彼が愛用していたレイピアとほぼ同じ長さの。

「行くぞっ!神楽坂無双流、武技ぃっ!」

 恭一郎は何も語らない。だが、その意味は明白だ。語られるまでもない。

「っ!」

 綾小路の体は、その持ち主よりも正直だった。恭一郎の筋肉がしなり、一撃を放つための力を蓄えたのを肌で察知し、意識するよりも早く慣れ親しんだ構えを取る。

右腕一本で携えた槍の柄・・・いまや木剣となったそれを正面に向け体を半身に傾ける。姿勢はやや落とし、膝をやわらかく曲げて左腕を軽く上げる。

「『風牙』ぁっ!」

 鋭い声が響いた瞬間、恭一郎の姿が消えた。

「っ・・・!」

 綾小路は驚きの声を噛み殺して目を細める。

(ほんの少しだけど見えた!床すれすれまでの前傾姿勢と高スピードの飛び込み・・・目がついていってないだけだ!)

 思考は一瞬。

「アインッ!」

 気配だけを頼りに木剣を振るう。

 ガツッ!

 鈍い音と共に衝撃が手に走った。手首をやわらかく振るい、猛然と押し込んでくる恭一郎の剣をぎりぎりの均衡の中で真横へと受け流す。

「そうそう、これだ!」

 叫びながら身をよじり転倒をこらえた恭一郎の視界には既に綾小路の姿は無い。

「ツヴァイ!」

 声は恭一郎の背後から聞こえた。受け流しと同時に身を翻した綾小路は恭一郎を中心に半回転し、鮮やかに背後を取っていたのだ。

 そして。

「ドライッ!」

 気合の声と共に全身全霊の力を込めて目の前の背中に突きを繰り出す。防御を含めてその一撃のほかに何も考えない一撃。

 恭一郎の無防備な背に木剣の切っ先が迫る。

(完璧だ!スピード、打撃点、威力、どれをとっても過去最高の一撃だと、自信を持って言える!)

 木剣が届くまであと数センチ。恭一郎はまだ僅かに横に移動したところだった。背骨から脾臓に当たる場所が変わったところで致命的な打撃であることに変わりは無い。

「僕の・・・!」

「勝ちだって思ったんなら、お前の負けだ!」

 叫ぶ声と同時に、綾小路の突きは恭一郎のわき腹に突き立った。

 いや、突き立ったように見えた。だがその木剣が当たった瞬間、恭一郎の体は猛烈なスピードで回転してダメージを逃がしている。突きに押されるままに、何の抵抗も無く。

「神楽坂無双流・・・」

 恭一郎は回転という流れのまま木刀をなぎ払う。

「流石といったところだね!だがまだ!」

 綾小路は気力を振り絞って再度受け流しの構えを取り木剣でその一撃を受ける。

 それこそが、恭一郎の描いたとおりのシナリオだったということを知らずに。

「え?」

 綾小路の口からぽかんとした声が漏れる。その目に映っている全てのものがいきなり逆さまになったのだ。

 天地が逆になった世界の中心で、自分の握った木剣と恭一郎の木刀が触れている。恭一郎が円を描くようにそれを振るのに合わせて綾小路の体もその延長線上で移動して行き・・・

だんっ・・・!

「がっ・・・」

 床へと痛烈に叩きつけられて初めて綾小路は自分が投げられたということに気がついた。

「絶技、『月読』・・・」

 呟いて恭一郎は軽く息をつく。

「無双流における『さばき技』の極みだ。相手の力と全く同じ力をぶつければ、完全な均衡が作れる・・・後はその勢いを円運動に換えれば、完成だな」

「・・・僕の一撃をその場でターンするだけで受け流せたのもその応用かい・・・?」

 積み重なったダメージで立ち上がることの出来ない綾小路は何とか動く口で声を絞り出す。

「ああ。だが・・・あれを生の体でさばくのはやっぱ無茶だったみたいだ」

「え・・・?」

 恭一郎は苦笑しながら後ろをむき、シャツのすそをめくって見せた。

 鍛え上げられた背中に穿たれているのは、赤黒く変色した痣・・・綾小路の突きが残した傷跡。

「俺があれをよけられたのはある程度のダメージを覚悟したからだ・・・結果としちゃあかなり痛いけどな」

「・・・最後の勝負も・・・君の勝ちだったか。あれだけやっても僕は君には勝てなかったわけだ・・・」

 綾小路の言葉に恭一郎は軽く笑った。

「俺が勝ったんじゃない。おまえが負けたんだ。それも俺にじゃあない。咄嗟のときに、おまえの頭とおまえの身体は別の力に頼った。その矛盾にだ」

 それだけ言って、窓の外へと視線を移す。

「なぁ・・・俺はおまえが苦手だし、一生そりはあわねぇと思うが・・・おまえと俺は同類だと、そう思っている。だから・・・」

 そして、動けない綾小路を強い視線で見つめた。

「だから、立てよ。綾小路薫のフィナーレは、そうじゃねぇだろ?それがお前のやり方じゃねぇだろ?・・・見てみろよ」

「何を・・・」

 綾小路は動かぬ体を無理矢理捻って恭一郎の指差す方へと視線を向ける。

 そして、そこに。

「部長・・・」

「私たち、その・・・」

 少女たちが居た。綾小路と共に、少なからぬ時を過ごしてきた少女たち。大事そうに、マントと帽子、そしてレイピアを携えて。

「確か、『ことは全てエレガントに運べ』・・・だったか?」

 そう言ってニヤリとした恭一郎の顔を見て綾小路は理解した。

「・・・そうか。僕の、負け・・・か・・・」

 小さく呟き、無理矢理体を起こす。

「部長!無理しちゃ駄目です!」

「大丈夫だよ。悪いけど、ちょっと手を貸してくれるかい?」

 綾小路はそう言って静かに笑い、少女たちの手を借りて立ち上がる。

「そう、僕は・・・」

 静かな声と共にマントを受け取り、レイピアを腰に下げる。

「僕はこれだ・・・これが僕のやり方だったはずなのにね」

 表情を隠すように、一度目深に帽子をかぶってから息を吸い、吐く。

 そして。

「風間恭一郎!今日は確かに野獣の勝利に終わった!だが、次もこうなるとは思わないことだ!今度こそ、真にエレガントであるとはどういうことかを教育してあげよう!」

 ばさりとマントを翻し、高らかに叫ぶ。

「さらばだ風間恭一郎!我が・・・友よ!」

 歩き出す。背筋を伸ばし、堂々と。エレガントに。

「・・・ああ、あばよ。また、闘ろうぜ」

 恭一郎もまた、それだけ呟いて綾小路とは逆の方向へと歩き出す。

 その姿が角を曲がり、見えなくなった瞬間。

「・・・っ!」

 綾小路は崩れるようにその場に倒れ伏した。

「きゃぁああああっ!」

「部長っ!」

 慌ててその体を支える少女たちに綾小路はやや苦笑気味の笑いを浮かべる。

「大丈夫・・・ダメージは大きいけど、しばらく休めば治るよ。それより・・・」

 痛みが笑みを歪めぬよう全力で耐えながら優しく声を発する。

「どうだったかな。最後の最後まで僕はエレンガントだったかな?」

「!」

「!」

 少女たちは息を飲んだ。そして、綾小路の胸に二人して顔をうずめる。

「部長!部長は、エレガントですっ!」

「それはもう・・・むちゃくちゃ・・・エレガントですっ!どんなことがあっても!」

 綾小路は壁に寄りかかって身を起こし、二人の少女の頭を軽く撫でてみた。

「・・・ありがとう。僕は・・・」

 

 結局、綾小路薫は、何も言えなかった。

 言う、必要が無かった。

 

 

 △ サッカー場脇 △

 

「これは・・・」

 稲島貴人は糸のように細い眼をわずかに見開いて辺りを見渡した。

「佐藤君、中島君、新井君・・・あっちはフェンシング部の中条君と酒巻君だね・・・」

 そこに倒れていたのは貴人配下の剣道部員とフェンシング部員。いずれもそこそこに名の知れた選手である。一流とまではいかないがそうそう簡単に気絶させられるような男たちでもない。

「それに、これは・・・」

 呟いて拾い上げたのは竹刀だ。だが、その刀身は中途から折れてしまっている。よくみればそこかしこに竹刀、木刀、フェンシング刀と様々な武器が折られ、捨てられていた。

「折れたんじゃないね。折られ・・・っ!」

 呟きの途中で貴人は大きく飛びのいた。一瞬前まで居た場所を銀光が薙ぎ払うのを平然と見送ってふむと頷く。

「なるほど。使い手が居るという話は聞いたことがあったけど会うのは初めてかな。一年生かい?」

「・・・ああ。けどすぐにそんなこと関係なくなるぜ。時代は変わる!稲島だ風間だってのはもう古いんだよ!てめぇらだって去年のこれで有名になったんだろうが!」

 冷静な貴人とは対照的に興奮気味の叫びをあげているのはやや小柄な少年だった。

「・・・否定はしないよ。君が僕を倒せばこの学校の中では武人として上位に名を連ねることが出来るだろうね」

「そういうことだ!だから・・・俺が!この佐々木恒也が折ってやる!てめぇの刀とプライドをよ!」

 佐々木は叫びざまヒュッと彼の武器を貴人に向けて突きつける。

 金属製の棍・・・30センチほどのそれは、途中で二股に分かれていた。長短二本で構成されるその武器は、一般にこう呼ばれる。

「・・・十手」

 貴人の呟きに佐々木はニヤリと笑って指先でくるくると十手を回す。

「こいつで俺は成り上がってみせるぜ。“紫電突き”も“無双剣”も“流剣”も叩き折って俺が・・・“刀狩”の佐々木が最強になる!」

「僕もそう簡単に負ける気はないけど・・・先客が居るようだからね。そっちを先に相手した方がいいんじゃないかな?」

「あん?先客」

 不審気な佐々木に貴人はぴっと背後を指差してみせる。

「さっきからずっと、君を狙ってるみたいだよ?」

「何っ!」

 慌てて振り返った佐々木の視界に、怒りに燃えた瞳の少年が現れた。その手に携えているのは、長短二本の刀だ。無論、刃は潰してある。

「中島をやったのはおまえかよ一年坊主・・・!」

「僕が紹介するのもなんだけれど、彼は宮本武蔵同好会の片岡君。2年生だね。ちなみにうちの部の中島君とは親友らしいよ」

 貴人の言葉に佐々木はにやりと笑う。

「二天一流か。いいぜ!まとめて俺が折ってやるからよ!」

「・・・剣道部の稲島・・・手出し無用だ。いいな?」

「わかってるよ」

 貴人は笑顔のまま頷いて二人から数歩離れた。佐々木は一瞬不満そうな顔をしてから二刀流の片岡の方へと向き直った。

「二人いっぺんでもいいのによ」

「・・・この学園を舐めるなよ若造」

 片岡は両手に携えた刀をがちゃりと揺らして佐々木と向き合う。

「若造?高々1歳違いだろうが!ほらこいよ!それともこっちからいくか!?」

「黙れ!行くぞ!」

 叫びざま片岡が動いた。十数歩分の間合いが一瞬でゼロになり、左手の刀がすくい上げるように下から佐々木を襲う。

「遅ぇえって!」

 佐々木は馬鹿にしたような声と共にそれを十手で絡め取った。だが。

「馬鹿か!俺の刀は2本あるのだぞ!」

 ほぼ同時に右の刀が今度は打ち下ろしで佐々木の頭へと振り下ろされていた。下段の刀と噛み合っている十手は頭上の凶器を受け止める役には立たない。

「もらった!」

 声が交差し、刃こそ無いとはいえ鋼鉄のそれが無防備な頭を襲う。

「やべぇ・・・!」

 という声に片岡が勝利を確信した瞬間だった。

「・・・なーんてな!」

 佐々木は嘲りの声と共に自分の背中にあいた左手を伸ばす。ベルトに挟んだ・・・もう一本の十手へと!

「二刀流!?」

 片岡の声は悲鳴に近かった。

 学生の身に、自分の武器を持つことは難しい。竹刀や木刀ならばともかく金属製の刀剣はかなり値が張る。必然的に生徒達は自分の武器を大事に、長く使う。

 その刀が、ガキリと硬い音を立てて十手の又に挟み込まれた!

「折れちまえよ!なにもかもな!」

「や、やめてくれぇっ!」

 悲鳴は、あまりに遅すぎた。

 

 ガギンッ!

 

 にごった金属音と共に刀の上半分がへし折れて地面に突き立つ。

「お、俺の兼定がぁっ!」

「武器に名前付けてんじゃねぇっての!」

 佐々木は刀をへし折った二本の十手を同時に相手の鳩尾へと突きたてた。片岡は目を大きく見開いたままぐんなりと気を失い地面へと崩れ落ちる。

「へへ、どいつもこいつもたいした事ねぇよな。刀使いってのはよ?」

 馬鹿にした声に、成り行きを無言で見守っていた貴人は静かに笑みを浮かべた。

「・・・君は、僕と同じタイプの戦闘者だね」

「は?」

 唐突な言葉に佐々木は顔をしかめる。

「相手の攻撃を認めない戦闘方程式を持つ。10の力を持つ相手と戦う時に、敵の力を1しか出させないように戦うタイプだね」

「わけわかんねぇぞ」

「わからなくていいんだよ。戯言だからね・・・」

 貴人は笑顔のままで、すっと竹刀を構える。

瞬間、何かが変わった。

「・・・っ!?」

 佐々木は思わず飛びのいていた。軽く笑ってすら居る貴人から何か冷たい風が吹き付けてきたような感触がしたのだ。

「ただ、名声を得ようとするならば・・・君は風間恭一郎のほうを狙うべきだった」

「はん!自分の方が強いってか?」

 貴人は笑みを苦笑の形に変える。

「わかっていないみたいだね。君は僕にも恭一郎にも、間違っても勝てないよ。ただ、負け方に違いがあるということを言いたいのさ」

「んだとてめぇ!」

「恭一郎相手ならば、君は彼の木刀を弾き飛ばすくらいの事は出来た。折ることは出来ないけれど、ね。そしてその後に恭一郎は君の十手を折ってから勝つ。なかなかの名勝負が出来ただろうね」

「馬鹿にしてんじゃねぇぞ!お前の竹刀、ぶち折ってやる!」

 いきり立つ佐々木に対して貴人の顔は微笑みのままだ。

 ・・・ただし、目は笑っていない。

「馬鹿にしているわけじゃない。残念ながら、これは事実だからね」

「ほざいてろ!すぐにそんなこと言え・・・なに!?」

 佐々木の言葉が途中で驚愕に変わる。何の前触れも無く、貴人の姿が消えたのだ。

「・・・つまり、これが事実だね」

 感情の感じられない声が真後ろから聞こえる。

「な!?」

 慌ててとびのいて振り返ると、貴人はそこに立っていた。

「目だけに頼っているうちは、本当に強くはなれないんだよ」

「っ!な、なんだ今のは!」

「これが僕の技だよ。最近完成したばかりでね・・・」

 言葉と共に貴人の姿が再度消える。

 とんっ・・・

 軽い感触に佐々木は動けなくなった。何の前触れも無くわき腹に竹刀が押し付けられたのだ。

「僕は、これを『無影』と名づけた・・・」

「ぁ・・・あああああああっ!」

 理解を超えた貴人の技に佐々木は悲鳴を上げながら両手の得物を振り回した。技術も何も無い、ただの反射行動。

 貴人は軽く身をそらしただけでそれをかわす。刹那、佐々木の視界から貴人の腕が消えた。

 どんっ・・・

 同時に体に走った鈍い衝撃。そして安物のラジオのように唐突に佐々木の意識がブツリと途絶える。

「・・・わかってもらえたかな。つまり、僕は・・・」

 貴人の声だけが、最早誰も立っていない地面に落ち、跳ねる。

「恭一郎ほど優しくはない」

 呟いて貴人は無造作な足取りで歩き始めた。

 

 

「そして、僕のような戦い方をする人間が大嫌いなんだ・・・」

 

 

 

       体育館前渡り廊下△

 

 木刀で肩をとんとんと叩きながら歩いている男が居る。

「見ろ!風間恭一郎だぜ!」

「あ、ほんとだ!よぅし、行こうぜ!」

 どこに居ても不思議と目立つその姿に思い思いの武装をした生徒たちが駆け寄り、戦闘が始まる。

 そこから数メートル離れた茂み・・・

「ん?なんだこりゃあ?」

 そこに潜んで恭一郎を狙おうとしていた弓道部員は、丸めた毛布のような物体を見つけて首をかしげた。

「何で学校ん中に毛布が?誰が捨てたんだよ・・・邪魔だなぁ」

 呟きながら弓道部員は毛布をどけようと手を伸ばす。その場所が、ちょうど恭一郎の様子を伺うのにぴったりのポジションに見えたのだ。

 そう。これ以上ないというほどに。

 そんなところにあるものが、偶然のはず無いのだ。

「・・・っ!」

 毛布だと思っていた物体から腕が・・・人間の腕が飛び出してきた瞬間、弓道部員は声にならない絶叫を上げていた。

「・・・!・・・!?」

 叫ぼうとした声は、喉を掴む腕に気道を塞がれて空気に伝わらない。一緒に押さえられた頚動脈からの血液も途切れ、目の前が暗くなる。

「・・・!・・・・・・・」

 どさり、と。弓道部員が倒れるまで5秒かからなかった。

「・・・わたくしの邪魔を、するべきではないのだ」

 かすれた声を暗闇の中で聞きながら。

 

 

       第2体育館、バスケットボール場 △

 

 大武会の一日も半分が過ぎた午後1時。中村愛里は体育館の壁にもたれて食事を取っていた。

 参加者の中で、昼食の用意をするかしないかというのは一種、実力のバロメータともいえる。大半の参加者にとっては『午後』なんてものはないのだ。

 ついでに言うと、見栄を張って弁当を持ってきた挙句午前中にリタイアしてベッドの上で食べる昼食の虚しさはまた格別なのである。

「うむ・・・」

 愛里はなんとなく呟きながら持参していたサンドイッチをかじった。

 一応学食はいつもどおり機能しており、学食内での戦闘禁止というルールもあるのだが・・・狙う側と狙われる側が存在している関係上、愛里たちレベルになるととてもではないが落ち着いて食べられない。

 下手をすると学食を出た瞬間に数十人から不意打ちを受けるなどということもあるのだ。

そういうわけなので、学園に名だたる強者たちは大概こういうところでひっそりと食事を取ることになる。

・・・ちなみに、恭一郎は堂々と学食で食べた上で食堂前廊下を気絶した待ち伏せ生徒で埋め尽くしたりもしているが。

「去年はたしか、他の部員と共に空腹に耐えていたのだったか・・・」

 3つ目のサンドイッチを手にとって愛里は呟く。

 一年前の愛里は剣道部の一部員として集団行動をしていた。もちろん弁当を持ってきていたわけも無く、先輩の背中を追って必死で戦いつづけていた記憶がある。

 そして今、追うものから追われるものへと愛里は変わった。その立場の変遷は何か夢の中のことのようにも思える。少なくとも1年前、今の自分を想像することはとてもできなかっただろう。

「だが、現実に私はここでこうしている。そして・・・」

 素早くサンドイッチを口に入れ、立ち上がる。その視線の先に、一人の少女が居た。

「・・・中村殿」

 少女は固い表情で呟き、近づいてくる。

 金色をした短い髪、黒い剣道着。青い瞳を今は鋭い眼差しにしてエレン・ミラ・マクライトは愛里の前に立った。

「マクイライトさんか・・・来るとは思っていた。私はこの辺から動かず戦っていたからな」

「・・・中村殿に、聞きたいことがある」

 エレンは押し出すようにそう言って木刀を構える。

「あなたの技は、もはや剣道の範疇では無い。その発想は・・・」

 愛里は弁当箱を壁際に置いてあった荷物の中につっこんでから立てかけてあった竹刀を手に取った。

「私の技の発想が、何か?」

「・・・率直に言う。あれは、殿の技のアレンジだ!あなたは!殿の技を盗んだのだな!」

 怒りの篭った声にも愛里は表情を変えない。

「盗んだ、か。確かにそういう取り方も出来ないでもない。もっとも、正面から堂々と戦いながらだが・・・それに、いくつかの技には本人の意見も聞いている」

 軽く目を伏せ、竹刀を静かに構える。

「ひとつ言っておこう。さっきのあなたの発言でひとつわかったことがある」

 愛里の言葉を聞きながらエレンはこわばった表情のままで間合いを詰める。

「あなたは、無双流のことも恭一郎のことも、全て見失っている。早急に自分を見つめなおすべきだろうな」

「っ!おのれぇえええええっ!」

 エレンは叫びと共に飛び出した。鋭いダッシュと低い姿勢の組み合わせ・・・

「武技、『風牙』ぁっ!」

 戦闘中の人間の視界は狭い。細かい動きを見落とさないように腕や足、相手の武器、視線等を順繰りに見て回る『目付け』という行動を取らざるを得ないからだ。

 全体を均等に見るというのもたしかにおこなうが、それに徹しているとどうしても反応が悪くなるので、必ず体の一部分を見つめている瞬間というものが存在するのである。

 その一瞬を逃さず視線の外へ出て攻撃するのが無双流の『風牙』であり、更に発展進化していく先に『無影』があるのだが・・・

「それだけで、どうなるものでもない・・・!

 愛里は軽く半歩下がり鋭く竹刀を振るう。

 カッ・・・!

 竹のしなる感触。

「う、受けた!?」

「乱取りで何度か私に対して使っている。その度に同じ軌道で打ってきていた・・・恭一郎のものと違い、上下の打ち分けや突きへのシフトが出来ないのだろう?」

 愛里の冷静な指摘にエレンはぎりっと歯を食いしばりくるりと身を翻す。

「これならどうだ!無双流、『火車』!」

一回転とともに遠心力で威力を増した木刀が愛里を襲った。

「威力、鋭さ共に恭一郎と同格・・・威力に関してはむしろ高いかもしれない・・・だが」

 愛里は呟きながら軽く身をかがめ、竹刀とは逆の手・・・小手に包まれた左手を手刀の形にしてエレンの木刀へと下から合わせる。

「馬鹿な!腕が折れるぞ!」

「心配無用だ。そうは、ならない・・・」

 言葉が交わされると同時に木刀と小手が触れた。刀身と小手に縫い付けられている木板がこすれる焦げ臭い匂いが僅かに漂い・・・

 ジィッ!

 小さな音を放ってエレンの木刀は斜め上へとはじけ飛んでいた。

「そ、そんな馬鹿なぁっ!」

「・・・さばくのが精一杯で『崩し』に入れなかったが・・・」

 驚愕に動きが止まったエレンとは対照的に冷静なままで愛里は一歩踏み込み、前に出していた左手でエレンの体をトンっと軽く押す。

「これで、『崩し』た」

「なっ」

 かるくよろめいたエレンに愛里は鋭い突きを放った。

「くっ・・・『氷雨』!』

 エレンはぎりぎりのところでバックステップをしてその一撃を回避、着地と同時にすり足で更に後退しつつ木刀を横に振り払った。愛里はそれを見て追撃をやめ、竹刀を正眼に構えなおす。

「ひとつ・・・『練習』でもしてみようか?」

「な、何!?」

 唐突な言葉にエレンが戸惑った瞬間、愛里は鋭い面打ちで飛び掛ってきていた。すり足で近づき、コンパクトな振りで叩きつける、お手本どおりの綺麗な剣閃だ。

「ふっ!今更そんな剣道の技・・・」

 容易に想像できるその太刀筋を見切り、カウンターを狙おうとしたエレンの動きが急に止まる。愛里の竹刀の上半分が、急に延びたような錯覚に襲われたのだ。

「な、なんだこれは!?」

 エレンは慌てて木刀を上段に構えて防御を固める。直後パンッ・・・と音を立てて愛里の竹刀が木刀に阻まれる。

「次!」

 愛里はほとんど足を動かさないままに面、胴、小手と順繰りに剣を振るう。どれをとっても基本中の基本。下手をすれば体育の授業でも習いそうな動きだ。

 なのだが。

「これは何なのだ!い、一体どんな技を・・・!」

 その攻撃を受けているエレンの目には愛里の竹刀が無限の長さを持つかのように映っている。以前剣道もやっていたエレンにとってはどこへ打ち込んでいるかも、どうかわせばいいかもわかっている攻撃にもかかわらず、かろうじて受けるのが精一杯だ。

「これは基本だ。マクライトさん」

 愛里は淡々と連続攻撃を継続しながら口を開いた。

「私の竹刀が伸びているようにでも見えるかな?それとも消えて見えているだろうか?だが特別なことは何も無い。ただ基本に忠実に、無駄無く剣を振っているだけ・・・」

「き、基本技!?」

「そう、中国で『神槍』とよばれたとある達人は基本3技のみでありとあらゆる槍使いにまさる強さを見せたと言う」

 愛里はとんっと地面を蹴り後退した。数歩分の間合いを取って静かな視線をエレンに向ける。

「動きから一切の無駄と隙をなくせば、こうなるということだ。これを極めていくと無拍子の領域へと入っていくことになるが・・・私にはこのあたりが限界か」

「中村殿に・・・こんな技が・・・」

 呆然と呟くエレンに愛里は首を振って見せた。

「何度も見たことがある筈だ・・・風間恭一郎と私が戦っている際には、常にこの状態だったわけだからな」

「!?」

 エレンの顔色が変わった。

「当時からこの程度は出来た。その私が彼に勝てなかった理由は単純だ。風間がよく言っていただろう?『セオリー通りもいいが、それだけでは俺に勝てない』と」

 愛里はちらりと左腕の小手を見てから笑う。

「今になってよくわかる。恭一郎は私のやり方を注意することはあっても、私の技を否定したことは無かった」

 エレンは硬い表情のまま動かない。

「剣道のままでもセオリー通りのままでもよかったのだ。現にそれを突き詰めていった主将は風間と同格の剣士だ。だが・・・私のやっていたことは、剣道の型に頼っていただけ・・・自分の技で戦っていなかったのだな」

「!・・・私もそうだというのか!?無双流を使いこなせていないと!」

 愛里はその言葉を肯定しない。しかし否定もしない。

「中村愛里がエレン・ミラ・マクライトに問う。あなたがなりたいのは神楽坂の剣士か?それとも・・・風間恭一郎か?」

「わ、私が、なりたいもの?」

 その一言にエレンは我知らず口ごもっていた。

「わ、私は殿の臣下だ・・・別段それ以上のことは・・・」

「昔はそれでよかったのだろうな。だが、今はそうはいかない。あなたは、この一年で無双流を使えるようになった。そのあなたは、自信を持って言えるか?自分は何者であるかと。『力』に見合う自分を、誰にも恥じることなく宣言できるか?」

 愛里は誇らしげに胸を張り、その言葉を放つ。

「最強を目指す彼が、『何せ、俺は風間恭一郎だからな』と言えるように」

「・・・・・・」

 エレンは震える手で握った木刀を見つめる。

 師であり愛する人であり、尊敬の対象でもある男から貰った宝物・・・

「私は・・・」

 何の為に剣を取ったのか。何故、風間恭一郎に惹かれ、その影を追ったのか。

 神楽坂無双流剣術が習いたかった?強くなる為に?

 否。

だとすれば、何故恭一郎と似た剣を振るう中村愛里に焦りと苛立ちを覚えたのか。

 簡単な、話だ。

「私が一番、エレン・ミラ・マクライトという剣士の力を信じていなかったのか・・・」

 神楽坂無双流の技をある程度自分のものにしてから初めて理解した恭一郎の本当の強さ・・・決して折れない心。自分の実力に対する自信と、それを過信しすぎない判断力。冷静さと熱さの同居した、稀有なるその精神力。

 そして、恭一郎に近づけば近づくほどその遠さに気づくというその矛盾。

 見つけてしまった、自分よりも恭一郎に近い女剣士の存在。

「私は・・・ただ嫉妬していただけだったのか・・・」

「自分の感情にどう名前をつけるかは自分次第。だから、今このときをもってあなたはその感情にこう名づけるといい・・・」

 愛里はエレンを真っ直ぐ見つめて竹刀を構えなおした。

「向上心・・・私を越えて風間に近づく為の道標、と!私もまた、無双流の使い手であるあなたを倒し彼へたどり着こうとしているのだから!」

 エレンは愛里から視線をはずし、右手を見つめてみる。剣だこのできた、ややゴツゴツとしてきた手のひらを。

「・・・・・・」

 そして数秒間の躊躇を経て、エレンはおもむろに・・・

 バチンッ!

 自分の顔へと、強烈な平手打ちを叩き込んだ!強烈な衝撃に脳震盪を起こしてぐらりと体が揺れる。

「ま、マクライトさん!?」

「私は!エレン・ミラ・マクライトッ!」

 やや怯えた顔で半歩後ずさった愛里に構わずエレンは天へと拳を突き上げた。

「殿の忠実なる臣下にして、その信念を継ぐ者の一人であるっ!」

 叫び、木刀を勢い良く構えなおす。

「感謝しなければならないだろう。最早、私に迷いは無い!我が目指すはただ一つ!殿のような不惑の剣士になる事!その為に・・・殿より伝えられし『信念』という剣をもって貴殿を・・・倒す!」

 愛里は頷き、すり足で間合いを詰め始めた。その口元に柔らかな笑みが浮かぶ。

「では・・・はじめようか!」

 そして、その体が体重が無い者のように軽やかに床を蹴った。迎え撃つエレンは姿勢を落として体を安定させる。

「私に出来ることはただ一つ!押して押す豪の剣のみ!」

そして、一声叫んでからゆっくりと大上段へと木刀を振り上げ愛里を静かに見据えた。険の取れた、いい表情で。

 

(避けない?)

 喉元へと迫った突きの一撃へ反応を見せないエレンに戸惑いながら愛里は決定打を打つべく大きく踏み込み・・・

「!」

 本能の鳴らした警鐘に従い真横へと飛びのいた。刹那、ポニーテールの先っぽを掠めて縦一文字の斬撃が空を切り裂く。

「早い・・・私より後に攻撃をはじめて私より先にその一撃が届くとはな」

 愛里は呟き、楽しげに笑う。

 その表情は恭一郎のものに近いとエレンは心の中で認める。

(だが、故にこの一戦に意味がある!中村殿への勝利は、殿の領域への確かな一歩となる!)

「無双武技っ!『風牙』!」

 叫びざま低く姿勢を落とすエレンに対し愛里は竹刀を中段防御の構えに動かしかけてからすっと目を細める。

「違う、下段か!」

 床に突き立てた竹刀が木刀の一撃を受け止めて軋んだ。愛里が指摘したばかりの弱点をすぐに矯正したそのセンスは、やはり並みの剣士のものではない。

「こと『攻』においては、無様なところは見せられんのだ!」

 エレンは叫びざま素早く木刀を引き戻し今度は袈裟掛けにそれを振り下ろす。愛里は左手の小手の表面でその一撃を受け流し、右の竹刀でエレンの足を狙う。

「ならば、守攻の切り替えの速さで私はそれに対抗する!」

 足元を薙ぎ払う一閃をエレンは軽い跳躍で回避しそのまま空中から突きを打ち下すした。愛里は滑るような足取りでそれをよけて間合いを取る。

「・・・体が・・・軽いな」

 十数歩分の間合いをあけて愛里と向かい合い、エレンはひとりごちた。

「殿が常々おっしゃっていた、剣に迷いを持ち込まないというのはやはり真理だ」

 愛里はその呟きに頷きで肯定を返し、大きく息を吸い込み、吐く。

「剣とは一瞬の判断の積み重ね、だからな」

 愛里は完璧なすり足・・・縮地でゆっくりと間合いを詰めた。ある程度まで近づいたところで・・・

「瞬時に状況に対応できなくては勝利は無い!『一閃』っ!」

 唐突に床を強く蹴り、まさしく疾風の勢いでエレンの胴へ剣戟を放つ!

「ぬっ!?」

 きわどいところでエレンがその一撃を木刀で受けると愛里はそのままの勢いで駆け抜けていき、数歩分の間合いをとってくるりと振り返った。身体を背後へと引っ張る慣性を縮地で床を滑ることで打ち消し瞬時に再度斬りかかる。

「くっ・・・私は決して引かないぞ!」

 エレンは再度受けに回る愚を冒さず、逆に一歩踏み出して鋭い突きを放つ。

「私もだ!」

 愛里は軽く身を捻って直撃コースだけを避けてこちらも突きを放つ。

 ガツッ・・・!

 鈍い音が両者の肩口から響く。相打ちの一撃はその威力を相殺し合い二人をよろめかせるだけの結果をもたらした。

「っつ・・・だが、このような至近距離での戦いは無双流の十八番だ!」

 エレンは痛みに顔をしかめながら更に前に出る。ほぼ密着したこの状況下では剣を振るうことは出来ないが・・・

「だぁああっ!」

 そのままの勢いでエレンは肩口を愛里の体に叩きつける。もともとウェイトで負ける愛里はよろめいたところに追い討ちを喰らい完全に吹き飛ばされた。

「くっ・・・『縮地』・・・!」

 宙に浮いた体を無理やり捻って床へ叩きつけた足で愛里は縮地の体勢をとった。

ややよろめきながらも何とか姿勢を立て直し再び構えを取り直す。だが・・・それはまさにエレンの描いたシナリオどおりだったのだ。

「その状態でこれをかわせはしまい!」

 強制的に引き離された愛里とエレンとの距離は、すなわち剣の間合いそのものだった。その空間を引き裂いてエレンの突きが迫る。

「くっ・・・!」

 愛里は呻きながら何とか身を捻りそれを回避。だがその瞬間、いきなり消失したような唐突さで木刀が引き戻され二撃目の突きが愛里を襲う。

(まずい・・・これは!)

 今までも数回見たことのあるエレンの必殺技を思い出し愛里の頭脳がせわしなく動く。

 ヒュンッ!

 風を切る音を追い越して迫った二つ目の突きを愛里は竹刀で払いのけた。強烈な衝撃が一瞬だけ腕に伝わりすぐに消える。

「最後の突き・・・行くぞ!」

 エレンの声を聞きながら愛里は状況を整理する。乱れた姿勢、そっぽを向いている竹刀、一瞬後には自分を捉えるであろう一撃。回避も出来ず、受けることも出来ない。

(だが私にはこれがある!)

 前の二発を遥かに上回る鋭い突きの一閃に愛里は左手の小手を手刀の形にして滑り込ませる。

 ジジジジジッ!

 木刀と小手の防御版のこすれあう音と摩擦が生み出す焦げ臭さが二人の間を満たした。

「くっ・・・ここまでの威力とは・・・」

愛里は半ば吹き飛ばされながらその突きを外へと受け流し、自身は縮地で後退する。

(よし、有効射程を出た・・・!)

 そしてエレンの腕が伸びきった瞬間にそれを外へと払いのけようと腕を外側へと振った。だが、その腕にずしりとした重みがのしかかる!

「何!?まだ剣が生きている!」

 愛里は思わず叫んでいた。伸びきり、攻撃力を失ったはずのエレンの腕が更に半回転の捻りと共にありえない『もうひと伸び』を見せたのだ。

「無双流武技っ、『閃光』!」

 エレンの咆哮と共に左腕がもぎ取られそうな衝撃に襲われ、背後へと弾き飛ばされる。愛里自身もそれに引きずられるようにもんどりうって床に叩きつけられた。

「っ・・・」

 苦痛を呻き一つだけに押しとどめて愛里は勢い良く立ち上がり間合いを取り直す。

「今のは・・・私があなたの剣の射程距離を読み間違えたというわけでは・・・ないな?」

「当然だ!今のは『閃光』・・・余計な力を全て抜き、関節を更にねじることで射程距離を伸ばした片手平突きだ!ちょっと違うがフリッカージャブとかに近い!蛇使いでも可!」

 エレンはぐっと拳をにぎって力説する。

「以前から使っていた三段突きと併用したこの攻撃、今回は不完全ながらも逃れたようだがその状態で次も防げるかな!?」

 高らかに叫んでびしっと指差すのは愛里の左腕。

「・・・・・・」

 愛里は沈黙のままちらりと左腕に目を落とした。

 そこにあるのは、かつて小手であったものの残骸。防御用に縫い付けてあった板とその周りの布を吹き飛ばされた不完全な手袋。

「作るの、大変だったのだが・・・」

 数限りなく針で指を刺した記憶が頭をよぎり愛里はふぅと息をつく。

「だが、問題は無い。本当ならば風間と戦うまで温存しておこうと思ったのだが・・・使うとしよう」

「なんと・・・新技か?」

 エレンはワクワクしているのを隠そうともせずに笑顔を浮かべた。

「ふふふ・・・少し、違うな」

 愛里は壊れた小手を軽く噛み、右手の竹刀を油断無くエレンに向けたままそれを手からはずす。

「まずは・・・これだ!」

 そして愛里は竹刀を素早いモーションでエレンに投げつけた!

「な、何!?」

 別段鋭くも無い投擲に逆にとまどったエレンは至近距離まで迫った竹刀を紙一重ではらいのける。

「中村殿、これは何のつもり・・・」

 いぶかしげなエレンの声が止まる。その視線の先に愛里の姿は無かった。いや、よくみると壁際でポニーテールが揺れている。

「な、中村殿?」

 なにやらごそごそやっている愛里の背中に声をかけると愛里は首だけくいっとこちらを振り向いた。

「ああ、すまない。準備は整った・・・これが、初お披露目の・・・」

 言葉と共に、今度は体ごとエレンのほうへ向き直る。

「私の新しい戦闘様式だ」

「な、なんと!」

 その姿にエレンは目を見張る。

 小手を失った左手に、新たな装備が装着されていた。小太刀・・・刃渡り数十センチの脇差より長く太刀よりも短い刀。拳をすっぽりと覆うナックルガードのついたそれはややサーベルにも近い形状をしている。

「もちろん刃は潰してある。そしてこっちも・・・」

 言いながらひゅんっ・・・と振ったのは右手に握った竹刀。今まで使っていたものよりも、やや短いサイズだ。

「竹刀のままだ。私にはやはり生死を制御する勇気は無いのでな」

「に、二刀流だと!?そんなもの一朝一夕に習得できるものではないぞ!」

 エレンの叫びに愛里はいたずらっぽく笑う。

「隠していただけだ。じつは結構前から・・・小手を使い始めてすぐの時期に練習は始めていた。風間にも主将にも内緒でな。私なりの、茶目っ気という奴だ」

「・・・・・・」

 むぅと唸ってエレンは気を取り直した。

「驚かされはしたが、私の優位が揺らいだわけではない。その小太刀も粉砕して、私が・・・勝つ!」

「・・・マクライトさん。確かにあなたの攻撃力ならばそれも可能だろう。だが・・・あなたが『力』を誇るように私にも誇るものがある。それは『技』であり『速さ』だ」

 愛里は静かに答えてやや前傾姿勢をとる。それにあわせてエレンは木刀を突きの形に構えなおした。

 もはや喋る言葉も無く、ふたりはお互いの呼吸だけを耳に力を蓄える。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 10秒、20秒とただひたすらに時が過ぎ、そして!

「参るっ!」

「行くぞ!」

 エレンと愛里は同時に動き出した。数十歩分あった間合いがほんの数秒で数歩まで詰まる。

(中村殿・・・確かに速い!)

 予想よりも遥かに手前の地点でエレンはひとつめの突きを放つ。

 彼女の三段突きは一撃目と二撃目で相手の姿勢を崩し三撃目で止めを刺す技である。しかも牽制である最初の二突きも相手を昏倒させるに十分な威力であり、おまけに今は『閃光』がある。正面から挑めば愛里に勝ち目は無い。

(さあ、中村殿!よけるか止めるか受け流すか・・・!)

 愛里は右の竹刀を前に、左の小太刀を腰溜めにした構えのまま無造作に突っ込んでくる。両手の武器はエレンの突きを前に動く気配は無い。

(よけるか。左か右か・・・もし右よけで次に小太刀を使うというのならニ発目に『閃光』を使って・・・)

 そこまで考えたときだった。

「マクライトさん、その思考は甘いのではないかな!」

 鋭い声と共に、愛里の姿が消えた。ポニーテールだけが、視界の隅をふわりと撫でて。

「なんだとぉっ!?」

 一瞬前まで愛里が居た空間をエレンの突きが通過する。

 愛里が動いたのは右でも左でもなかった。

「下かっ!」

 予想外の動きに一瞬迷ってしまったエレンの二段目の突きが放たれるよりも前に愛里は上半身を大きく前に倒した極端な前傾姿勢でエレンの間合いの内側へと飛び込んでいる。

「くっ・・・『風牙』とは!」

 エレンは気付けなかった自分に歯噛みしながら大きくバックステップして間合いを再度あけようと試みる。

 

 しかし、それこそが致命的な失策であった。

 

「私は神楽坂無双流ではないぞ」

 愛里は呟く。彼女が前傾したのは視線をかわす為ではない。もちろん下段を狙うためなどでもない。

 それは、羽ばたくため。飛翔のための力を蓄えるため。そして・・・その目的はいまや果たされた!

「絶技・・・『二重桜』っ!」

 力強い声と共に愛里は床を蹴った。横に倒した小太刀の刀身と竹刀を十字に組んで頭上に掲げ、その視線の先にあるエレンの身体へ・・・更にその先の空へと舞い上がる!

「っがっ・・・!」

 刃はついていないとは言え金属製の刀身で顎を真下から突き上げられてエレンは声にならない悲鳴をあげた。強烈な脳震盪の中で、自分が吹き飛ばされて浮いているのを理解する。

(くっ・・・なんとか受身を・・・まだこの程度で戦闘不能では・・・)

 自分に言い聞かせたエレンは、しかし受身を取ろうとした動きを思わず止めてしまった。

「言った筈・・・この技の名を!」

 吹き飛ばされている自分の更に上を舞う少女。左手に握った小太刀は今、自分の顎の位置にある。ならば、右の竹刀は?

「二重・・・桜・・・?」

 エレンは呟き、納得と共に愛里の姿を見つめる。天井から降り注ぐ照明の光輪を背負ったその姿は掛け値なしに美しく、そして力強い。

 そして。空を引き裂く一条の閃光が愛里の手によって繰り出された。

 

 ズバンッ・・・!

 

 肩口に衝撃が走った。全身が痺れるようなそれと共にエレンは床へと叩きつけられる。強烈な衝撃は数回バウンドしてようやく身体から去っていったが・・・

「っ・・・」

 手からも足からも力が抜けている。かろうじて受身は取ったので別に骨が折れたりはしていないようだが、全身におった打ち身の痛さと衝撃に痺れた神経が雄弁にその事実を伝えていた。

「・・・まいった。私の・・・負けだ。中村殿・・・」

 エレンは呟く。出来る限り、淡々と。

「ああ。私の勝ちだな・・・」

 愛里も出来うる限りそっけなくそれに答える。

「この後、殿を探すのだろう?」

「・・・ああ。彼は目立つから・・・すぐ見つかると思う」

「そうか・・・私はどうやら、これでリタイアだ・・・体が動かない」

 エレンの言葉に愛里はひとつ頷き、身を翻す。

そのまま歩きつづけ、壁際に置いてあった荷物・・・中身の大半を占めていた小太刀と竹刀、弁当を失い後はタオルくらいしか入っていない・・・を拾ってから、愛里は天井を見上げた。

「マクライトさん。私は風間に負けつづけた。それはもう数え切れないほど負けた」

 優しい声に、応える言葉はない。

「だから、その度に彼が言ってくれた言葉をあなたにも送ろうと思う」

 答えはない。

「・・・いい戦いだったぜ、エレン。次はもっと楽しい戦いにしようや。おまえはもっともっと強くなれるぜ。俺が保証する、と」

 答えはない。代わりに、しゃくりあげる小さな鳴き声が愛里の耳にとどく。だから、愛里は振り返らない。

「頑張ろう。私も、もっと強くなってみせるから・・・」

「・・・無論・・・私だって・・・絶対、もっと・・・」

 途切れ途切れの言葉に背を向けたままで頷いて愛里は体育館を出た。

 

 時刻は午後1:30を迎える。

 大武会は、終盤戦を迎えていた。