○ 回想 ○

 

 2年前、御伽凪観衣奈はみーさんではなかった。

 

「・・・・・・」

 感情というものを欠落させた顔で御伽凪は無造作に足を進める。

 目指しているのは部室長屋の一室。最近風紀が乱れていると噂の部活に査察を行おうというのだ。

「・・・これ・・・か?」

 御伽凪は呟いて足を止めた。日本に来て一年と少し・・・会話は何とかできるようになったものの、今だ漢字は読めない。

 手にしたメモには『棍棒部』とあるが、彼女にとってそれは絵のようなものだ。扉の脇の看板と何度も見比べて低く唸る。

「同じに、見え、る、が」

 からららら・・・

 判断しかねて立ち尽くしていた御伽凪の目の前で不意にドアが開いた。

「おい!さっさと灰皿・・・」

 横開きのドアから上半身だけ出して何かを言いかけた少年の目が御伽凪を見て『やばい!』という色に染まる。

 がらららら!

 少年は慌てた身体を引っ込めてドアを閉めた。が。

「待つ」

 抑揚のない声と共に伸ばされた腕が素早くそのドアの端を掴んだ。

「な、なんだよおまえ!」

「・・・風紀委員」

 御伽凪は少し思い出すのに時間をかけてから与えられていた役割を口にする。

 彼女は数週間前、風紀委員になる為にこの学園へと送り込まれていた。

何故わざわざ元傭兵などという血生臭い経歴を持つ自分が呼ばれたのかはわからないが、御伽凪は与えられた新しい任務を淡々とこなしている。

「な、何の用だよ!」

 少年は指、手のひら、手首と徐々に中へ滑り込んでくる御伽凪に動揺した声をぶつける。

「におい。煙草。規制」

 御伽凪は単語を連ねながら扉をこじ開けていく。数秒間の均衡を経て、

「うわぁっ!?」

 少年はドアから吹き飛ばされて床に転がった。

「・・・・・・」

 抵抗の無くなったドアを片手で押し開けて御伽凪は室内を確認。

(目標、12名。性別男。うち7名が禁止物をくわえている)

 口には出さずそう呟いて腕を自分の背中の方へ伸ばす。

 正確には、ベルトにはさんであった拳銃へ、と。

Freeze Everybody Hold up

 一応言い置いてから御伽凪は素早く拳銃を抜き放ち、連続してトリガーをひいた。目標を確認した時点ですでに狙いはつけてある。

 パンッ・・・!パンッ・・・!パンッ・・・!パンッ・・・!

 乾いた小さな音と共に、呆然として硬直していた生徒達の口元から一斉に煙草が弾け飛んだ。同時に背後の壁に小さな窪みが出来る。

「・・・・・・」

 降伏勧告を既にした(つもり)の御伽凪は沈黙したまま動かない。拳銃の狙いも近くの生徒に向けたままだ。

「・・・・・・」

 男子生徒たちも沈黙したまま動かない。もっとも、理由は突発事態の発生に頭の中が凍り付いているだけなのだが。

 だから。

「な・・・」

 数十秒たって落ち着いた瞬間。

「なんなんだおまえはぁあああああああ!」

 生徒たちの怒号があたりに響き渡る。

「?・・・風紀委員」

 おまえは誰だという問いを再度受けて御伽凪はとりあえず所属を名乗りなおす。

「そうじゃないっ!なんなんだいきなり!おま、それ、銃じゃねぇえか!」

「・・・撃つぞ。動く」

「遅っ!もう撃ってんじゃん!」

 生徒たちにつっこまれて御伽凪はそうかと納得する。

「煙草、禁止物。全員逮捕・・・撃つ」

「・・・ええと、煙草吸ってんのは校則違反だから風紀委員権限で捕まえる。抵抗したら撃つぞ・・・って感じか?」

「そう、それ」

 律儀に翻訳してくれた男子を指差して頷き、逆の手に握った銃を軽く振る。

「抵抗、ない、よい」

「抵抗するな、か・・・」

 生徒たちは一斉に顔を見合わせて頷きあった。

「この学校の生徒にそんな奴が居るかっつーの!」

 そして、叫びざま全員一斉に立ち上がり、御伽凪のほうへと突進する。手には、いつのまにか様々な大きさ、様々な形をした木の棒が握られている。

(弾倉にはあと6発。ポケットに予備が2つ)

 御伽凪は迫る生徒の数とそれを比較し、即座に後退を決断した。

「うぉりゃああ!」

 先頭の生徒三人が振り下ろした棍棒をぎりぎりまでひきつけ、御伽凪はとんっと床をけって飛びのく。

「つっ・・・と!」

 からぶりしてよろめいた先陣とその三人が邪魔で前に出れない残り9人がまごついているうちに御伽凪は3メートルほど後退していた。

 それは、拳銃が届き格闘専用の武器では届かない間合い。

「うぉおお、押すなぁああ!」

 入り口には外に出ようとひしめき合っている男子生徒の群れ。

「・・・Amen

 呟きと共に御伽凪は引き金に力を入れた。目と、照星、そしてその先で悲鳴をあげる生徒が一直線につながり・・・

 パンッ!

 再度、破裂音。反射的に目を閉じて硬直した生徒たちは、その後に訪れた静けさに恐る恐る目を開けた。

誰も、悲鳴をあげていない。

「・・・何者?」

 その生徒たちを御伽凪は見ていなかった。彼女の無機質な視線が向けられているのは、彼女の正面に立ちはだかっている少年。

「なぁに、通りすがりの喧嘩好きだ。気にすんな」

 少年はそう言ってニヤリと笑い、身体の前にかざしていた木刀をぶんっと振る。その瞬間、カラカラと軽い音を立てて地面に何かが転がった。

「私の、撃った弾?」

 御伽凪は抑揚の無い声で呟く。感情の磨耗した彼女に『驚き』は無い。が、理不尽なものは感じる。

「まぁそんなこったろうとは思ったがゴム弾だったみてぇだな」

「・・・命令、死に、避ける。守るだけ」

「そうか。だがな、銃はよくねぇぞ」

 木刀の少年は肩をすくめて背後を指差した。そこには驚愕から覚め、二人を包囲している棍棒部の部員達が居る。

「・・・効率」

 それを眺めながら御伽凪は言葉少なにそう言った。

「そうかもしんねぇけどな、つまんねぇだろ?そういうのって」

 恭一郎は片手で頭をかいて笑う。

「別に銃を使うのが悪いってわけじゃねぇけどな。銃使いって奴らはこの学校にも居るしトップ層とやりあうのは楽しいんだが・・・おまえの場合そういうのとは違うんじゃねーか?技術は確かだがただそれだけ・・・ただの道具として武器を使うってのは楽しくねえだろ?」

「・・・楽しく?」

 御伽凪は初めてその顔に表情を浮かべた。それは、困惑。

「おうよ。楽しいぞ?戦うってのはさ」

「・・・戦いは手段。楽しい、とか、違う」

 その言葉に恭一郎は笑みを更に深くする。

「ああ、そうだろうな。なんとなくさ、おまえ見てると感じるんだよな・・・まだ、こっち側を見てねぇんじゃねぇかってな。だから・・・」

 言葉が、そこで途切れた。代わりに、空気が切り裂かれる鋭い音が鳴る。

「うぎゃっ!?」

「ぬぉお!?」

 それにかぶさるように響いたのは背後から飛び掛ってきていた少年二人の悲鳴だ。

少年たちはその手から自分の武器を取り落としてその場にばたりと倒れる。

「・・・だから、見せてやろうと思ってな。どれだけ強ぇえのか、自分の剣の向こうに何が築けるか・・・それだけで成立する世界ってやつをな」

 少年はそう言ってトントンと木刀で自分の肩を叩く。

 御伽凪がこれまで見たことのない、美しく、力強い斬撃を見せたその木刀で。

とても、楽しげに。

「・・・世界」

 御伽凪は我知らず呟いていた。

 彼女の目の前に居るその少年は、ありとあらゆる意味で自分と対極に居る。それを感じた。自分はこの少年のようには、けしてなれない、そう理解した。

 だが、それでも尚・・・

 彼女は、彼のようになってみたいと願う自分に彼女は気付いてしまったのだ。

「おまえもやってみねぇか?切り結んで初めてわかることが・・・初めて見えるものが、たしかにある。なんとなくだがおまえにはそれがわかるって気がすんだよ」

「・・・根拠、薄すぎ」

 御伽凪は無表情に戻り、呟く。

 だが、

「でも・・・私は・・・」

 視線の先に、ついさっき斬り倒された少年の手から吹き飛んだ武器がある。

 長短二本の木棒が組み合わされた武器。両手に一つずつ持つそれは、彼ら棍棒部にとっては鉤状棍とよばれる、琉球生まれの武器。一般にはトンファーと呼ばれる武器。

(昔、仲間から習ったな・・・)

 理解不能な衝動。そして常ならばたやすくそれを押しつぶす理性がまったく働かない。

「私、試してみたい・・・思う」

 呟くと同時に御伽凪は足の先でトンファーを蹴り上げ、素早くそれを掴む。

 銃は、自分でも気付かないうちにその場に投げ捨てられていた。

「へぇ、なかなか似合うな。使えるのか?」

「一応」

 短く答えて御伽凪はトンファーを構える。

「よし。俺的にはおまえと俺でチームなんだがそれでいいか?」

 少年はそう言いながら既に御伽凪の隣に並んで棍棒部の生徒たちを眺めていた。

(・・・私がいきなり襲い掛かってくるとか、考えてないのか?)

 考えてないのだろう、と御伽凪は一人頷く。彼女の世界では裏切りなど常識だし、それを予防することを常に考えている。だが、この少年は裏切りなどまったく気にしていないようだ。

 いや、むしろ裏切るなら裏切れといっているようでもある。

 もし裏切られても、勝つのは自分だと。

(傲慢?それとも・・・)

 考えてられたのはそこまでであった。一瞬で二人の仲間を倒した少年が、どうやら自分たちの敵らしいと判断した棍棒部員達が襲い掛かってきたのだ。

「よっしゃああ!来いっ!」

 少年は一声叫ぶとさっそく棍棒部員と切り結んだ。とは言えどうにもならないほど実力の差があるらしくわずか数合の打ち合いで一人目の部員は吹き飛ばされる。

「強い・・・」

 御伽凪は呟き、すっと身をかがめた。一瞬前まで頭があった位置を両手持ちの巨大な棍棒が通り過ぎるのを無表情に見送りコンパクトな振りで攻撃してきた生徒の鳩尾へとトンファーを抉り込む。

「お、やるねぇ」

 少年の賛辞にやや戸惑いながら御伽凪は次の敵の攻撃を左のトンファーで受け止めた。同時に繰り出した右のトンファーを肩口に叩き込む。

「ぐはぁっ!」

 悲鳴と共に崩れ落ちた棍棒部員に素早くとどめをさして御伽凪は戦況を確認しようと辺りを見渡した。

(あの男、本当にただの学生か?この短時間で既に3人も倒している・・・)

 彼女が倒した2人、最初に襲い掛かってきた2人と合わせてこれで7人。棍棒部員たちの数は既に半分を切っている。

「武技、閃光っ!」

 そう言っている間に更に少年は伸びのある突きでもう一人を倒していた。だがその背後に・・・

(!・・・敵襲っ!)

 今まさに襲いかかろうとしている棍棒部員の姿を見つけた瞬間、御伽凪は無意識のままに動いていた。音もなくダッシュをはじめ、振り下ろしされた棍棒と木刀の少年の間へと無理矢理に身体をねじ込む。

(私、何をしている!?)

 目前に迫った棍棒が伝えてくる空気のうねりを肌で感じながら心で叫び御伽凪は両方のトンファーをくるりと回し、棍棒部員の両脇腹にたたきつけた。

「ぐっ・・・!」

「終わり・・・」

 柔らかい腹を叩かれ思わずうずくまりかけた棍棒部員の顎を御伽凪は鋭い一撃でもって真下から突き上げた。綺麗に伸び上がった部員は悲鳴も出せずに吹き飛んで気絶する。

(・・・よし)

「助かったぜ。ありがとな」

「え・・・あ、ああ・・・」

 一息ついていた御伽凪は背中あわせに立った少年が言った言葉にいっそう戸惑いを深くした。

(・・・この男は、バックスタッブが簡単にできる相手ではない。私ならともかくこいつらの稚拙な陰行では無理。今も状況は把握していた)

 そもそも、この先頭の最初に木刀の少年は既に一度背後からの奇襲を返り討ちにしている。それは御伽凪にも理解は出来ているのに。

(なのに何故私は助けに入った?なんでこの男は私を邪魔に思わない?)

 ゆっくり考えている暇は無い。少年とは違い御伽凪の棍術はずいぶん前に習ったきりのうろおぼえだ。ややあぶなっかしい。

 だが。

「おい!下行け!」

 少年の声を聞いて御伽凪は何も考えずにしゃがみこみ、目の前にあった棍棒部員の足をなぎ払っていた。

同時に御伽凪の頭の上を木刀が通り抜けてその棍棒部員の頭へ強烈な一撃を見舞う

(あ・・・)

 それで、御伽凪は理解した。

「ほら、来る、よい」

 木刀の少年よりも弱いと判断したらしく一斉に飛び掛ってきた残りの少年4人を片手で手招きし、素早く横へと飛びのく。

 無論、その背後には・・・

「無双流武技、風牙ニ連っ!」

 木刀の少年はまさに疾風の勢いで4人の敵の間を駆け抜け、通り過ぎる瞬間に2人の腹に鋭い胴打ちを叩き込んでいく。

「なんだ今の!?消えたぞおい!」

 棍棒部員最後の二人は背後に駆け抜けた木刀少年を思わず目で追ってしまった。それを敗因と言うのは酷かもしれない。パニックにならなかっただけ彼らの錬度は高かった。

だが、その中途半端な強さがこの際は裏目に出る。

「・・・・・・」

 御伽凪は何の音も気配もなくその二人の背後に近づきトンファーのLの字になっている部分をひょいっと棍棒部員達の首に引っ掛けた。

「な?!」

「ぎゅ・・・!」

 頚動脈の血流をいきなり止められた二人組は奇妙な悲鳴を残して気を失う。

 最初の2人が少年の木刀に敗れてからここまで、たったの3分。

 3分で、12人が全滅したのだ。

(・・・確かにこの男は強い。でもそれだけでは説明がつかない)

 御伽凪はあたりに倒れている棍棒部員達を眺め回して心の中で呟く。

(特に最後は・・・)

 戸惑いを込めて木刀の少年を見ると少年はにっと笑って見せた。

「なかなかいいコンビネーションだったな。初めてにしては」

「・・・うん」

 御伽凪は少年をじっと見詰める。

(なかなか。なかなか程度の問題だったろうか。今のは・・・たった今出会ったばかりの人間がやったにしてはあまりに・・・)

「なんだ?じろじろ見て」

「いや・・・」

 日本語がうまく出てこず口篭もった御伽凪の言葉を少年は他の意味に取ったようだ

「ああ、そういや名乗ってなかったな。俺の名は風間恭一郎だ」

「カザマ・・・」

 その名には覚えがあった。入学前に渡された資料に要観察生徒として名が載っていた生徒の一人だ。

 その男が今、目の前に居る。

(偶然?・・・違う。この人が・・・多分・・・)

 御伽凪は恭一郎をぼぅっと眺めながらある女のことを思い出していた。

 半年程前に御伽凪達が手引きして日本に入国した黒い服の女。何故か気が合ってこの街へ来てからもしばしば話をしている彼女が教えてくれたある『概念』・・・

「?おーい、聞いてるか〜?」

「ん。聞く」

「おまえ日本語変だな・・・まぁいいや。おまえの名は?」

 恭一郎の問いに御伽凪はかるく首をかしげた。

「ミカナギミイナ」

「!?・・・みかなぎみぃな?」

 その不思議な響きに恭一郎は呆れたようにその単語を繰り返す。

「みかなぎ・・・どんな字なんだよいったい」

「ぇえと、これ」

 御伽凪はポケットの中にしまってあったメモを取り出してみせた。恭一郎はそれを読んで顔をしかめる。

「・・・棍棒部」

「ちがった。こっち」

 恭一郎の手からメモを回収してこんどこそ本物のメモを渡す。

「御伽凪観衣奈・・・御伽凪、観衣奈。ミカナギミイナ・・・」

「?」

 顔をしかめてぶつぶつ呟く恭一郎に御伽凪はくいっと首をかしげる。

「だぁっ!駄目だ!言いにくいんだよ名前!」

「・・・それ、私、責任違う」

「わかってんよ!んでも言いにくいもんは言いにくい!あーもう、おまえは『みー』だ!俺はおまえのことみーって呼ぶからな!」

 ある意味ひどく勝手な言葉に御伽凪は珍しく・・・本当に珍しくきょとんとした。とはいえ、眉が少し上がった程度だが。

「みー・・・」

「なんだ?気にいらないか?」

 恭一郎の声に御伽凪は首を横に振った。

「みー。うん、わりといい。思う」

 このときから、御伽凪の全ては始まったのだと彼女は今も確信している。

 その日のうちに起きたもう一つの出会いと共に。

 

「あれ?恭ちゃんその人は?」

「おう、こいつか?こいつはみーだ」

「うん。みー」

 意味もなく自信たっぷりに反り返る男女二人を見て神楽坂葵はくいっと首をかしげる。

「・・・みーさん?」

「なんでさん付けなんだいきなり。しかもあだ名に」

「それ、いい。みーさん。いい」

 御伽凪観衣奈はみーさんとなった。新しい名で、新しい役割を見つけて。

 

 そして、今。

 

「・・・・・・」

 御伽凪はその建物を狙っていた生徒の後頭部を音もなく殴って気絶させてから辺りを見渡した。

 剣術部練習場・・・そう呼ばれる小さな建物を襲おうという生徒は案外少なかった。中に居るのは非戦闘員の葵一人だとわかっているのでまともな武道家はそんなことを考えない。

 だが、六合学園の生徒だって皆が皆正々堂々としているわけではない。恭一郎がメジャーな存在となった今、葵を人質にして彼に勝とうという者が居ないわけではないのだ。

(残り時間は2時間ほど。もう、ここは大丈夫)

 辺りに転がっていた気絶した生徒達ニ十数人・・・彼女が一人で倒した・・・を練習場のわきに積み上げてから御伽凪は一人頷く。

(あとは、もう一つの任務を)

 そして静かに彼女は歩き出した。

「みーさんでなく、御伽凪観衣奈の仕事・・・」

 

 

       6号館脇通路 ▽

 

「はぁっ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・」

 息が荒い。

(まいた?・・・いや、ついてきてる。逃げ切るのは無理か・・・)

 少女は背後から追いすがる男子生徒たちを一瞥した。数は約10人。1年生ばかりだがれっきとした柔道部員らしい。

 少年たちの数がさっき見た数より増えているのを確認して少女は覚悟を決めた。

(・・・鉄則その1、攻撃開始はタイミング勝負・・・)

 自分が疲れているように相手もこのおっかけっこで体力を消耗しているはずだ。こちらが逃げてばかりということで油断もしているはず。

 少女は大きく息を吸い込んで力を蓄える。

(1・・・2・・・)

「3っ!」

 最後のカウントだけを声に出して叫び少女・・・天野美樹は地面に足を擦りつけるようにして全力疾走していた体を止めた。

「ぬわっ!?」

 追いかけていた少年たちはその動きの変化についてこれず次々と美樹の隣を通り過ぎていく。

(鉄則その2、無駄な動きを排除して的確に・・・)

「打つ!」

 美樹はその隙を見逃さずに携えていた金属バットを繰り出した。振り返りかけていた少年のうち二人が肩を打ち据えられてその場に膝をつく。

(鉄則その3、攻撃したら後は速やかに引く!)

 すかさず掴みかかってきた残りの少年の手を体を捻るようにして避けた美樹は素早く間合いを取って息をつく。

「くそっ!囲め!向こうはばててんぞ!」

「あんたらもね・・・!」

 退路を目で探しながら美樹は低い声で叫び返す。

(あたしはあんたらに用はないのよ!今は体力を温存しなきゃ・・・!)

 前後から挟み込むように飛び掛ってきた少年達を歯を食いしばってひと睨みし、美樹は再度動き始めた。

 

 

 一方、そこから十メートルほどはなれた茂みの中。

 美樹が乱闘を繰り広げているのが程よく望めるそこに一人の男子生徒が潜んでいた。

(馬鹿だねぇ奴らも。馬鹿正直に突っ込んでくのが能じゃねぇだろに)

 少年はゆっくりと彼の得物を構えた。

 狙撃長銃・・・スナイパーライフル。それが彼の武器だった。だが、少年の目は狙撃手という言葉の冷静そうなイメージとはかけ離れた血走ったものなのだが。

(くく・・・こいつは痛いぜぇ・・・射撃部標準弾より数倍痛ぇ炸裂弾・・・しかも痕は残らねぇから禁止武器とはばれねぇすぐれもんよ)

 膝立ちの姿勢で体を安定させ、少年はスコープを覗き込む。丸く切り取られた世界の中で美樹は柔道部員達と殴り合いを続けている。どうやら美樹の勝ちに終わりそうだ。

(だが勝負がつく前に俺様がGET!だなぁ!)

 最後の一人を倒すべく美樹は隙を伺っているらしい。一瞬だが、その動きが止まる。

 少年はその好機を逃さず照準を美樹の腹に合わせ引き金を・・・

(え?)

 引こうとして、呆然と呟いた。いきなりあたり真っ暗になったのだ。

(あ、あれ?)

 言ったつもりの言葉が声になっていないことに少年は気が付かなかった。暗転したのが周囲ではなく自分の視覚だと言うことにも。

 どさり。

 音をたててその身体が地面に倒れ込んだ。瞬時に意識を失った体はピクリとも動かない。

「・・・・・・」

 その頭上に、一人の男が居た。

「禁止武器の使用、稚拙な奇襲、腐った性根・・・」

 少年を本人に気付かれないほどの速度で絞め落とした男はかぶっていた黒いニットキャップの位置を軽く直してから呟く。

「おまえは失格だ」

 黒い帽子の男は続いて左腕にはめた『武装教師』の腕章の位置を直して美樹が居た方をちらりと見た。

 戦闘は既に終わったらしい。そこに転がっているのは動けなくなった柔道部員たちだけだ。

「あの少女・・・本来の強い陽の氣が陰に凌駕されていた・・・以前会ったあの少年と同じパターンか・・・」

「おーい山名ぁ!バイトだからってサボるな〜!第1体育館の近くで大規模な戦闘が発生してるらしいぞ!そっちの監督に言ってくれ!」

「?・・・了解」

 どこからか叫んできた武装教師の声に山名春彦は考えるのをやめて歩き出した。

「致命的な事態にならねばよいのだが・・・」

 

 

       剣道部練習場脇 ▽

 

「・・・よう」

 風間恭一郎は軽く片手を上げて挨拶をした。

「ようやく見つけた・・・動きすぎだぞ風間。見つけるまでずいぶんと無駄骨を折った」

 わざとらしくため息をついて見せたのは中村愛里だ。

「はは、待ったか?」

「今来たところなの・・・などと言うのは、私のキャラクターには合わないぞ」

 軽口を交わして恭一郎と愛里は笑いあう。

「・・・少し歩かないか?風間」

「・・・ああ。いいぜ」

 恭一郎が頷くのを見て愛里はゆっくりと歩き出した。お互いに口を開くこともなく、のんびりと、穏やかな空気で二人は足を動かす。

 あちこちに思い出がある。2年間で積み上げた様々な記憶。戦ったこと、からかわれたこと、助けてもらったこともあるし助けたこともある。

 後1年、新たな思い出がそこに加わっていくのだろう。そしてここを去ってもやはり自分はこの時代を忘れずにいるのだろう。

 桜がそのつぼみを綻ばせている。遥か遠くからだれかが戦っているらしい声がかすかに聞こえてくる。そして、それよりも澄んでいてよく透る鳥たちの声。

「静かだな・・・」

 やがて口を開いたのは愛里だった。

「ああ。そろそろ大武会も終わりが近いからな」

 恭一郎はそう言ってから空を見上げる。そろそろ桜も咲こうかという時期だ。日差しは暖かい。

「恭一郎、こっちだ」

 愛里は恭一郎の肩を叩き、その建物の中へと足を踏み入れる。

「講堂?」

 呟いて恭一郎はその背を追った。巨大なステージと敷地面積を誇るその建物にまつわる思い出が甦る。

「・・・まだ数ヶ月前なのに思い出ってのもなんだけどな」

「ふふふ、それだけ私たちの毎日が充実していると言うことだ」

 靴を丁寧に脱ぎ、はだしのままで愛里はステージに向かった。

「結局のところ、あれが一番のきっかけだったのだろうな」

 目を閉じ、呟くように喋りつづける愛里の傍に恭一郎は立った。数ヶ月前、二人はそこに立っていたのだ。

「だから、私はこの場所でこの1年の締めくくりをしようと思うのだ。きょ、その・・・恭一郎・・・」

 ええい、名前で呼ぶくらいで動揺するな私!などと悶えている愛里に恭一郎は複雑な顔をする。

「そいつは・・・剣だけの話しじゃ、ねぇんだろうな。やっぱり」

 愛里は静かに頷き、自分の胸に重ねた両手を当てて深呼吸した。

 

そして、静かに告げる。

 

「私は・・・あなたが、好きです」

 目を閉じたまま、囁くように言葉を紡ぐ。

「前も一度言ったが・・・あの時は答えを聞かないですませてしまったから・・・今度はちゃんと聞いておこうと思った・・・恭一郎、あなたは・・・私と同じ好きを、返してくれますか?」

 沈黙。長い長い、可能性を秘めた沈黙。この沈黙が途切れたとき、一つの季節が終わる。そういう静けさ。

「・・・俺が愛するのは、あのドジだけだ」

 そして恭一郎は、数秒の逡巡を打ち破りはっきりとそう言った。

「優しすぎて賢すぎて結果としちゃあ失敗ばっか。あっちで転びこっちで転び、記憶力抜群だけど見落としは多いあいつ・・・怖がりで、人を疑うことしらねぇで・・・」

 長い年月で恭一郎が葵と築き上げていったこと。

最初は言葉を交わすことすら出来なかったこと、友達になったこと、中学のときに全てをあきらめて・・・そして高校で全てを取り戻した。

そんな二人の関係。

「だけどな、多分俺にはあいつみたいな女が必要なんだよ。あいつみたいに・・・安定した奴に繋ぎ止めといてもらわねぇと俺はどうなるかわからねぇからな」

 愛里は無言でそれを聞いていた。

 予想していたほどショックはない。ある意味、2度目の失恋なのだから、当然なのかもしれないが。

「だから、おれはおまえが好きだが・・・おまえが想ってくれるような、そういう好きには・・・答えてはやれない」

 きっぱりと言い切られて愛里は小さく笑った。

 我ながら、いい笑顔だと思いながら。

「ん・・・ありがとう恭一郎・・・躊躇われたり、曖昧にされたりしたら・・・ここから前に進めなかったかもしれないからな」

「・・・こういうことに対して、俺に出来るのはそれくらいだ」

 恭一郎のややつらそうな顔を見ないように努力しながら愛里はふぅと息をつく。

「これで、私が目指す場所は決まった。もう迷いはない・・・」

 そして、腰帯に挟んであった小太刀をシャン・・・と軽い音をたてて抜き放った。

「さあ!こんどはこっちの総まとめだ!」

「・・・今の今まで気付いていなかった自分がやや不自然だが・・・小太刀か?」

 恭一郎は片方の眉をあげた面白がっているような表情になって問い掛けた。

「ああ。本当はもっと焦らせてから公開と思っていたのだがマクライトさんが手ごわくてな。そこで装備したままだ」

 背負っていた竹刀を右手に、先に抜いていた小太刀は左に構えて愛里は笑う。陰りが無いと言えば嘘になるが、掛け値無しにその笑顔は可愛い。

「二刀か・・・一人でこっそり左手を鍛えてたのはこの為だったってわけだな」

「う・・・しっかり気付かれているとは」

 愛里の笑みが苦笑に代わる。恭一郎もにやっと笑って木刀を構えた。

「俺にわからないとでも思ったか?」

「・・・今、またときめいたぞ。無責任な言動は控えろ」

 すねたような表情に恭一郎は軽く頷く。

「それじゃあ、始めるか」

 静かに歩み寄り、二人は約十歩分の間合いをあけて向かい合った。

「神楽坂無双流、風間恭一郎」

「名乗りたい流派はあったが・・・無双傍流、中村愛里とでも名乗っておこう」

 恭一郎は半身になり、自然体で。愛里は似たような姿勢で二本の刀を下に向けて交差させて同時に息を吸う。

 そして。

『勝負っ!』

 二人は弾かれたように大きく跳躍し、ぴったり中間地点で互いの剣をぶつけあった。

 かんっと音を立てて噛み合った木刀と竹刀。同時に愛里の小太刀が恭一郎の脇腹に迫る。

「いい動きだ!氷雨!」

 恭一郎は叫びざま鍔迫り合いをやめ、後ろ向きのすり足で後退すると同時に小太刀の一撃を叩き落す。

「誉めても何も出んぞ!・・・貫椿っ!」

 愛里は打たれた小太刀の勢いをそのまま身体をひねる動きに変換し、逆の手に握った竹刀を強烈なスピードで突き出す。

「誉めるときは大声でってな」

 目前に迫った切っ先をよけれないと判断した恭一郎は素早く木刀を引き戻し当たる寸前の竹刀にあてがった。

「外技、針転舞!」

 そしてそこを中心にしてダンスのようにくるりと身を翻して愛里の突きを背後へ受け流す。

「む!これは綾小路さんの技か?」

「さっき喰らったばっかでな!相変わらず切れがいいんで正式に無双流に導入だ!」

 通り過ぎた愛里が安定した動きでこちらに向き直るのを見て恭一郎は追撃を止めて大きくバックステップして飛びのく。

 瞬間。

「一閃!」

 鋭い声と共に愛里が突っ込んできた。それも恭一郎が経験した中でも五本の指に入る壮絶な速度で。

「風牙!」

 恭一郎もまた大きく前傾して地面を蹴った。一足目から最高速に持っていき・・・

 パンッ・・・!

 鋭い激突音が響いた。

「つっ・・・!」

 軽くうめいて姿勢を崩しながらも駆け抜けたのは愛里。

「ちょっとまてよ竹刀と小太刀でニ発来たぞ・・・一閃じゃなくてニ閃だろ今の」

 苦笑しながら小太刀がかすった剣道着の袖を振って見せたのは恭一郎だ。互いに目に見える被害は無い。

「まあ技名は技名なのでな」

 愛里はそう言って少し恥ずかしげに笑う。どうやら自分でもそこのところを悩んでいたようだ。

「冗談だ。生真面目なやつだな・・・」

 恭一郎も軽く笑ってみせ、それからすっと真剣な顔になった。

「さて、今までのは前菜ってとこか?」

「ならば、ここからはサラダにスープ、魚料理といったところか。メインディッシュの前に・・・」

「軽く腹を慣らしておかなくちゃあな」

 口調はあくまでも軽いまま、二人は静かな闘気の漲る顔で再び向かい合う。今度は自然体ではなくしっかりと構えを取り、間合いも2歩と少し。

「いくぞ。腹いっぱい喰らってくれ」

「あいにく、腹八分目を常に心がけているのでな」

 二人は1センチ単位で細かく間合いを調節し、互いの動きを観察する。そして。

「覇っ!」

「疾っ!」

 気合の声と共に二人は一撃目を放った。剣閃はその軌道の半ばで互いの武器と噛み合ってから元の位置へと戻っていく。

 そして間髪入れずにニ撃、三撃と剣が打ち合わされる。時に剣舞のような優雅さで、時に野獣のような激しさで二人は互いの剣を打ち合わせた。

(ニ刀流ってのはマジでやっかいだな・・・単純計算で手数二倍だから当然か・・・)

(相変わらず凄まじい剣運びだ・・・攻めの中に隙が見当たらない・・・)

 一撃ごとにタイミングが加速してゆく。そこにこもる力も徐々に高まり一撃でも当たれば冗談ではすまない勢いで剣が身体を掠める。

「いいぞいいぞいいぞ!最高だぜこういうのは!」

「悪いが・・・あまり喋ってる余裕がだな・・・」

 互いによけたりかわしたりという動きはしない。大技も無い。相手の隙を読みそこへ叩き込む。その単純にして精密な動きがひたすらに続く。

 1分・・・2分・・・

「フィニッシュ!」

「ったぁっ!」

 たっぷり三分の乱打戦がぴたりと止まった。恭一郎の木刀は愛里の首に紙一枚の隙間を開けて突きつけられており、愛里の竹刀は恭一郎の側頭部、小太刀は脇腹すれすれの所で停止している。

「・・・いつもよりずっといい動きだな」

「・・・迷いが無いことの強さは常にあなたが語るところだろう?」

 二人は短く言葉を交わしてからとんっと後ろへ下がった。再度十数歩分の間合いをあけて息をつく。

「身体は十二分にあったまった。なんかいつまででも戦っていたい気もするが・・・そろそろ決めにしようか」

「・・・わかっている」

 愛里は静かに呟いた。実際問題として彼女に恭一郎ほどの体力は無い。既に何戦もしていることもあり、悠長に戦っていては不利になるばかりだ。

「私の剣術はあなたに憧れることから始まった・・・」

 言いながら愛里は上半身を低くする。陸上選手のクラウチングスタートのような姿勢だ。

「マクライトさんのようにあなたから教えを受けたわけではない。でも、あなたの戦い方をずっと見てきたのは私だ。打たれるたび、かわされる度、この身体に・・・あなたの剣を刻み込んできたのだ」

 恭一郎は無言で剣を握りなおした。右足をやや引きこちらも姿勢を低くする。

「恭一郎、あなたが私の師だ。生まれ変わった私の、な」

 愛里は深呼吸と共に目を閉じた。

「ふふ・・・出来の悪い弟子だが、一生懸命では他の者に負けない自信はある。その成果が・・・」

 そして、目を開けると同時に床を強く蹴って走り出す!

「これだ!」

「ああ、見せてみろ!」

 同時に恭一郎も飛び出した。みるみるうちに二人を隔てる距離が減っていく。

(早い!俺よりも確実に・・・!)

「この程度ではない!」

 愛里の叫び声・・・それが耳に届くと同時に『だんっ!』という気がはじける音が響き渡った。

「行くぞ恭一郎!絶技っ!」

 ほんの一瞬の間をおいて再び愛里の叫んだ声。それは、恭一郎の目の前から放たれた。

「何っ!?」

 一瞬の閃光・・・そうとしか形容の仕様が無い踏み込みのスピード。それはさしもの恭一郎の目をもってすら捉えきれないほどの速さだった。

 ・・・これほどやすやすと懐に飛び込まれた経験は恭一郎にはない。

「ああああああああっっっ!」

 気合の声と共に愛里の斬戟が左右から挟みこむように打ち込まれてくる。

(この間合いでこの速さじゃあ間違いなくよけられねぇ!それに二つの打ち込みを同時に剣じゃさばけねぇ!なら!)

 恭一郎は腹をくくった。右から来た小太刀を木刀で受け止め・・・

「だぁああっ!」

 左から迫る竹刀の軌道に素手の左手を突っ込む。

 バズン・・・!

 重く、突き刺さるような衝撃と痛み。手がちぎれそうなそれを代償に愛里の剣が身体に届くことなく止まる。

 だが、それこそが愛里の仕掛けた技の本当の発動だったのだ。

「門は開いた!」

 声と共に、愛里の二本の剣を受け止めた両腕にぐっと重みがかかる。

 受け止めた腕・・・それは同時に、封じられた腕でもある。

「一重っ!」

 愛里は叫びざま宙を舞った。恭一郎の腕に押し付けた剣を軸に足を振り上げる。

 浮遊感と共に愛里の視界が逆転し・・・

(サマーソルトキック!?)

 恭一郎の声無き驚愕を断ち切るように彼の顎を愛里の足が蹴り上げた。円を描くように長い足が旋回し、愛里は空中でくるりとその身を翻す。

「ぐっ・・・!」

 呻き、後ろへと吹き飛ばされながら恭一郎は心の中で警告音が鳴り響くのを感じていた。

(今のは確かに回避不能だった。だが『それだけ』だ・・・ダメージはほとんど無い。こいつの技が・・・この程度な筈は・・・)

 愛里は既に着地体制に入っている。

(っ!?)

 その瞬間恭一郎は気付いた。愛里は既に動ける。だが吹き飛ばされた自分は?脳震盪でバランスの崩れている自分は・・・?

「二重っ!」

 瞬間、愛里が恭一郎の脇を駆け抜けた。本能的にとった防御の構えの上で二条の剣閃が弾ける。

(ぐっ・・・何とか防いだ・・・!)

 恭一郎がわずかに安堵した瞬間だった。

「三重っ!」

 澄んだ高い声と共に背中を衝撃が抉った。

「なっ・・・」

 何だと、と言うよりも早く愛里は恭一郎の脇を駆け抜けた。ふわりと揺れるポニーテールの優雅さとは裏腹の鋭いターンで振り返り、背後からの打撃でえびぞりになっている恭一郎の方へと再度駆ける。

「四重っ!」

 前から、

「五重っ!」

 背後から、秒単位で襲い来る剣閃が恭一郎の身体を蹂躙する。

 そして、沈み込むような動きと共に正面へ回り込んでいた愛里が、大きく跳躍した。

(くそっ・・・防ぎ・・・きれねぇ!)

 そう思う間こそあれ、体は連続打撃のダメージでろくに動かない。愛里はこれまでのコンパクトで速い一撃から一転して二本の刀を頭上へと掲げる大きな構えから、渾身の斬撃を放つ!

「鳳閃華ぁぁっ!」

 

 ズドンッ・・・!

 

 十字の打撃を胸に受けた恭一郎の身体が床に叩きつけられる鈍い音が講堂に響き渡った。

「・・・・・・」

 床に横たわった恭一郎は目を閉じたまま動かない。

 すたんっ・・・と軽い音をたててその傍らに着地した愛里は無言でその姿を見詰める。

 静寂が、辺りを支配した。

 倒れた恭一郎も立ち尽くす愛里もまったく音を立てない。

「・・・・・・」

 数十秒たってようやく愛里は動いた。静かに首を振って見せたのだ。

「・・・信じられない」

 囁くような声に、恭一郎は片目だけを開けた。

「何がだ?」

「・・・私が想定した限り、鳳閃華は回避もガードも出来ない」

「しっかりくらったぞ」

 恭一郎の声は静かだ。

「・・・どの攻撃も微妙にあたり場所が悪かった。こんな偶然があるわけがない。当たる直前に身を捻って体の頑丈な部分で受け止めていたのだろう?」

「・・・まあな」

 恭一郎は言って立ち上がった。一度ふらりとよろめいたが、その表情に苦痛はない。その代わりに、穏やかな笑みを浮かべる。

「・・・?どうした、恭一郎?」

「・・・おまえは、天才だよ」

 思いがけない言葉に愛里はきょとんとした。その表情を見ずに恭一郎は天井を見上げる。

「俺の技は・・・無双流にしろ見切ったやつにしろ、誰かが既に編み出した技だ。俺はそれを受け継いだに過ぎない。だが」

 笑う。ほろ苦く。

「今の技・・・『鳳閃華』だったか?あれは完全なオリジナルで・・・それでいて無双流にも匹敵する見事な完成度だった。おまえは一人で・・・しかもこんな短期間でそれを編み出したんだぜ?」

 恭一郎はゆっくりと振り返り、愛里の瞳を正面から見つめた。

「おまえは凄い。だから・・・」

「だから?」

 愛する男、そして尊敬する剣士である恭一郎の心からの賛辞に愛里は嬉しく思う反面緊張していた。次に恭一郎が何を言うかが、予想できたのだ。

「だから、おまえにはそれ相応の敬意を持って・・・ある技を使おうと思う」

 ゆったりとした足取りで恭一郎は愛里から離れる。

 数分前、『鳳閃華』を喰らったときの距離を再現するために。

「ある・・・技?」

「神楽坂無双流最高位。神技のうちの一つだ」

 とった構えは地面と水平にした刀をやや引き気味に持つ突きの一点。

「まだ俺に使いこなせている技じゃない。だから・・・」

「手加減は出来ない、か。望むところだ」

 愛里もまたゆっくりと『鳳閃華』の構えを取る。

 喜びが、改めてこみ上げてくる。

 自分はようやくここまで辿り着いたのだ。

 風間恭一郎が、全力で戦うべき相手という、夢に見た場所へ。

「では、行くぞ!」

 恭一郎はダメージを感じさせない声で叫び、力強く床を蹴った。愛里も同時に前へと、恭一郎へと駆け出す。

(やはり速攻でくるか!私の鳳閃華は一撃目が当たれば確実に決まる・・・破る方法があるとすればただ一つ、一撃目の発動よりも早く私に攻撃を当てること。つまりはスピード勝負!)

 そして、抜刀の早さにおいても突撃の速さにおいても愛里は恭一郎に勝っているのだ。

「私は、勝つっ!」

 愛里は全ての力をここで使い切る覚悟で走る。間合いが一瞬で縮まる。

「神技っ・・・!」

「絶技っ・・・!」

 声は同時。人知を超えた正確さで見切られた間合いは互いの攻撃範囲に等しい。空振りも、回避もありえない。

(つまりは!一瞬でも速く相手に剣を当てたほうが勝ちだ!)

 愛里は心の中で叫びながら左右の剣で挟みこむような斬撃を放つ。『突き』は剣の攻撃において最速なのは間違いが無い。恭一郎の選択は正しい。

 だが。

(それ以上に速いつもりだ!私の剣は!)

 アドレナリンで加速された、無限にも近い一瞬の中でゆっくりと二人の剣は互いを打ち倒さんと迫る。

 あと20センチ。15センチ。10センチ。5センチ。1センチ。6ミリ。3ミリ。

 そして。

「私の方が・・・速いっ!」

 叫びと共に愛里は最後の1ミリを突破した。恭一郎の突きは・・・まだ届かない!

 

 ズバンッ・・・!

 

 そのとき、木の弾ける音がした。

「え・・・?」

 愛里の口から声が漏れる。

 視界の隅に、十字にクロスした自分の腕が見える。その腕が握った剣が共に外を向いているのも。右手の竹刀は左へ・・・左の小太刀は右へ・・・

愛里は、その瞬間を確かに見ていた。

「からだをすり抜けた・・・?」

 呟いた愛里はその瞬間に理解した。

(違う。すり抜けたんじゃない。ずれてたのだ!)

 見つけたものは、一瞬の間を置いて自分の身体に触れた恭一郎の木刀の切っ先、そして彼の足元にあいた床の穴。

(超高速の突撃・・・それをほんの一瞬だけ止めたのだ。制動の為踏みしめた床が割れ、私の目に残像が残り・・・それを私は切ったつもりになって)

 そして理解した瞬間・・・

「虚空雷鳴っっっ!」

 絶叫に近い声と共に愛里の肩に何かが走った。

「あ・・・」

 快感すら感じる波紋の疾走。それが衝撃と痛みだと感じるまで僅かな空白があるほどの、強烈な振動。

 パンッ・・・!

 奇妙に軽い音と共に愛里は吹き飛ばされていた。それが、全く無駄の無い衝撃だけが成し遂げる現象だということを知る由も無く、壁へと叩きつけられる。

「ぐっ・・・!」

 全身が麻痺しそうな痛みと一緒に床へと崩れ落ちて愛里は呻き声をあげた。

「愛里!大丈夫か!?」

 途端、恭一郎が駆け寄ってきてその身体を抱き起こす。

「ふふふ・・・自分でやっておいて・・・大丈夫かも・・・ないものだ」

「それは・・・そうだけどよ・・・」

 言葉に詰まった恭一郎に愛里は微笑を向ける。

「冗談だ。許せ・・・」

「・・・きついぜ・・・その冗談は」

 恭一郎は軽く顔をしかめてから愛里の肩にそっと指を当てる。

「・・・骨は大丈夫だな・・・動くか?」

「やってみよう・・・っつ・・・!」

 軽く腕を上げかけて悲鳴をあげた愛里に恭一郎は目を伏せた。その姿を優しい瞳で見つめながら愛里は静かに首を振る。

「駄目だぞ。恭一郎・・・全力で戦った相手にそんな顔をしてはいけない・・・」

「だが、俺は・・・」

 言いかけた唇を動く左手の人差し指で塞ぎ愛里は笑った。優しさ、強さ、気高さ・・・そして愛情の全てをその表情に込めて。

「私は、こうなりたかったのだ・・・だから、むしろ私は嬉しい。何しろ・・・」

 瞼を閉じ、囁くように言葉を紡ぐ。

「風間恭一郎が全力で攻撃できる女は・・・世界でも私くらいのものだろう?」

「愛里・・・」

 恭一郎は大きく目を見開き、静かな笑みを唇に浮かべた。そして、瞳を閉じたままの愛里の頭をそっと自分の胸へと抱き寄せる。

「本当に、おまえは・・・いい女だ・・・もし・・・もしも出会う順番が逆だったら、俺は・・・」

 その言葉は、独り言に近かった。理性や記憶という枷からこぼれ落ちた、実を結ぶことの無い想い。

 だが。

 それでもいいと、想った少女がそこに居た。

「・・・ふふ、私は・・・案外幸せ者だと、自負しているよ・・・だから・・・」

 そして、恭一郎の胸をそっと押す。自分の傍から、彼を必要とする人が待つであろう戦場へと。

「行ってほしい。恭一郎・・・あなたと戦いたい人が、あなたを待つ人が、まだまだ居るはずだから・・・」

 恭一郎は静かに立ち上がった。何かを言いかけて、結局言葉が見つからず愛里に背を向ける。

 だから、愛里はその背中にもう一度声をかけた。

 愛する人が、躊躇い無く前へ進めるように。

 自分の持つ、数少ない言葉で。

「恭一郎・・・私はいつだって待っている。あなたが迷ったとき、つらいとき、悲しいとき・・・その剣を振るう相手を探しているとき、かならず私は待っているから・・・どんなときだって私の剣はあなたのものだから・・・だから」

 重い瞼が、意思を裏切って視界を閉ざしていく。疲労と負傷が、休息を声高に要求していた。

「だから・・・いってらっしゃい」

 恭一郎は木刀を握った腕をぐっと真横に突き出す。背を向けたまま、無限の感謝と誓いを込めて。

「・・・ああ、いってくるぜ・・・また、やろうな・・・」

 

 

       講堂近く ▽

 

 愛里と別れた恭一郎は講堂から出たところでぐらりとよろめいた。

「っ・・・くそっ!動きやがれ・・・!」

 自分の太腿をばしっと叩いて悪態をつき、足を引きずるようにしてそこから離れる。

「・・・しばらく休まねぇと無理か」

 数分歩いたところで恭一郎はふらつく足で無理に移動するのをあきらめた。倒れ込むようにして近くの校舎の外壁にもたれかって座り込む。

 鳳閃華によるダメージ、一日分の疲労や怪我。そしてとどめに未完成の神技を使った代償である、足の筋肉が引き連れるような痛み。

 さしもの恭一郎でもそれを無視することは出来なそうであった。

「・・・数分休めば、なんとかなる、か?」

 

 

       6号館三階 ▽

 

 その校舎の、3階の廊下・・・

 そこに、毛布を丸めたような何かが落ちていた。

「くっくっく・・・」

 とてもではないが人が入るとは思えない、一抱えしかない布の塊の中からくぐもった笑い声が響く。

「なかなか頑張ったと言える」

 声と共にボキリボキリと音が鳴る。

「だがどうだ?今は無防備だ。まったくのこと」

 やがて布の塊から現れたのは浅黒い肌を持った少年だった。

 少年・・・名桐寛文はその整った顔に冷たい笑いを貼り付けて上半身を前に倒した。顔だけを窓の外に出し、地上を眺める。

「どんなに強い剣があろうと、背後からの一突きに対する備えにはならぬ」

 名桐は含み笑いと共にすっと身をかがめ、窓の外へと身を躍らせ・・・

「風変わりな投身自殺?」

 ようとして、背後から気配無く投げかけられた言葉にぴたりと動きを止めた。

「・・・・・・」

 無言のままゴキリと首が鳴り、体は窓の外に向けたまま頭だけが真後ろに向き直る。

「ども」

 そこに、一人の少女が立っていた。前髪だけ長いショートカットの、どこかぼぅっとした瞳を持つ少女。

 御伽凪観衣奈が、そこに居る。

「噂には聞いている・・・御伽凪の小娘か。わたくしの背後をとったつもりでいるのか?」

 名桐の言葉に御伽凪はふるふると首を振った。

「攻撃が届く範囲に入ってない。もう一歩踏み込んだら気付かれてた。たぶん」

「くくく・・・」

 笑いながら名桐は身体も御伽凪の方に向き直る。

「臭うぞ・・・貴様もわたくしと同じ種類の人間だ・・・陰にしか潜めぬ人間だ・・・」

「・・・・・・」

 御伽凪は答えない。

「どうだ?ここで潰しあったところで何の意味もあるまい?手を組まぬか?」

「手を、組む?」

 問われ名桐は口の両端を吊り上げた。

「難しい事は言わぬ。貴様は下に行き、風間恭一郎に話し掛けるだけでよい。それだけで奴は確実に油断する。後はわたくしが一瞬でカタをつけてやろうて」

「・・・・・・」

 御伽凪は答えない。

「それだけで我々が日の当たる場所へ出る。風間恭一郎に・・・」

 どくん・・・!

「!?」

 名桐は本能的な何かを感じてばっと飛びのいていた。一歩でたっぷり2メートルもとびずさり、御伽凪から離れる。

「・・・・・・」

 視線の先に、御伽凪が立ち尽くしていた。

 口を開かず、ただそこに立っているその身体から冷たい風が吹き付けてくるような錯覚を感じて名桐の身体が瞬時に戦闘体制に入る。

「この寝ぼけたような街で味わうとは思わなんだ・・・確かに感じるぞ・・・貴様の殺気を!」

「・・・何を、言った?」

 御伽凪の声は小さい。表情は無く、目が僅かに細められている。

「恭一郎を、襲う。それはいい。好きにすればいい。でも、私に何をしろと言った?私に・・・恭一郎をあざむけと、そう言ったのだな?」

 おそらく、彼女を知るものがそれを見たならば驚愕で口も利けなくなっただろう。

 御伽凪観衣奈が怒っているという現実に。

「くく・・・くくく・・・所詮貴様も・・・」

「・・・黙れ」

 名桐の声を遮り御伽凪は鋭い視線を突き刺す。色の無い、冷ややかな瞳。

「始めてあった時に、私は感じた。風間恭一郎が倒れることあるとしたら・・・それは私のような陰の者に暗殺されるのだと。彼はあまりにも強すぎる光。陰の中にあってさえ輝ける陽。相成れないものをも飲み込んでしまう人」

 名桐は濃密な殺気に目を細めて動かない。

「でも、陰をも身近に置く彼のやり方は多くの人を助けると同時に、敵、間近に引き寄せかねない」

 御伽凪は両手に握ったトンファーの柄をぐっと強く握る。

「たとえば、私なら・・・恭一郎をスタッブできる」

「ならば何故しない!?ただそれだけで我等のような陰が表舞台に出れるのだぞ!?」

「光は、影を消すことは出来ない。影は光無くては生まれない。陰陽、一つになり大極を得る。強い陽を持つ者が居ればそれによりそう陰がどこかに居るもの。それが世界の理」

 恭一郎と言う陽の男と出会った日、御伽凪は感じたのだ。

「私は彼を駆逐できる陰。だから、彼の傍にいる。彼の光が翳らぬよう、下らない陰がその輝きを汚さぬように、そこに居る。彼の半身・・・その私に!」

 はじめて・・・ほとんど生まれてはじめて御伽凪は叫んだ。

「私に彼をあざむけと言ったな!恭一郎を守る・・・それだけしかない私に、彼をだませ、言ったな!」

「それがどうした!?そんな曖昧な言葉でわたくしを惑わせるとでも思ったか!」

「・・・思わない。必要も無い」

 御伽凪の声が一転して冷たくなった。名桐の身体にぞくりと寒気が走る。

「死人に言葉は必要が無い」

 怒りならば名桐は受け流せる。殺意も同じだ。だが・・・感情も何も無く、ただ自分の命を狙うものに、何をすればいい!?

「ああああああああっっっ!」

 瞬間、名桐は飛び出していた。背筋に冷たいものをあてられたような感覚に身体の方が早く反応したのだ。

「・・・・・・」

 御伽凪もまた、それに応じるようにとんっと床を蹴りトンファーを構える。

 音も無く、気合の声も無く二人の暗殺者の影が交差した。

「・・・!」

 先に手を出したのは御伽凪のほうだった。あの頃よりも数倍鋭くなった一撃が名桐の首筋を正確に狙う。だが。

 ゴキリ・・・

 トンファーが当たるよりも早く異音が響いていた。名桐の身体が腰骨から直角に横へと折れ曲がり、ありえない動きでその一撃をかわしたのだ。

「わたくしの関節は全ての方向に曲がる・・・」

 空振りによって無防備になった御伽凪の腹を目前にして名桐は囁いた。

同時にゴキゴキと音をたてて両腕が絡み合い一本の槍のような形に組みあがる。名桐はそれを雷光のようなスピードで御伽凪の脇腹へと突き立てた。

 それはよけることも、受けることも出来ない間合いと速度・・・その筈だった。しかし。

 ひゅんっ・・・!

 風切り音と共にその腕が宙を凪ぐ。

「!?」

 御伽凪の姿が、消えていた。

「解骨技法の人体改造者。まだ居る、知らなかった」

 一瞬おいて声と共にトンファーのL字部分が名桐の首と左腕を後ろからロックする。御伽凪は、この一瞬で背後へと回り込んでいたのだ。

「馬鹿な・・・このような速さはありえぬ!」

 名桐は低く叫びながら首関節と肩関節をゴキリとはめなおして背後の御伽凪に向き直りそのトンファーを振り払おうとした。

 だが。

「・・・私は、アドレナリン分泌量、常人の二倍以上高い。身体へのダメージ考えなければ限界を超えた瞬発力、でる」

「くっ・・・」

 御伽凪の腕は岩のような圧力で持ってそれを許さない。

「単純な、腕力も」

「そうか・・・貴様も人体改造を受けていたか!」

 叫ぶ名桐の身体を御伽凪はトンファーで軽々と持ち上げて空中でぐるりとまわした。頭を下に、受身を取る腕を封じたまま。

「頭蓋骨を砕かれてはどんな人間でも生き延びられない。たとえおまえでも・・・」

 冷ややかな声が響く。

「ま、待て!」

「・・・さよなら」

 感情の無い声と共に御伽凪は名桐の身体を地面へと振り下ろした。

 名桐の身体を包む一瞬の浮遊感。

そして衝撃。

「・・・?」

 だが、それは思ったほどのものではなかった。精々が打ち付けた腰が痛む・・・程度だ。

「何故」

 名桐は呟く。

 彼の身体は激突の寸前に開放されたのだ。締め上げられていた腕が開放された瞬間に受身を取ったおかげで衝撃はほとんど打ち消せている。

「・・・御伽凪観衣奈なら、後の憂いを無くす為に殺す、そんな事を言うのかもしれない。あの、乾いた国にずっと居たのなら」

 ややぼんやりとした口調で少女は呟く。

「でも、ここは日本・・・殺し合いや裏切りが日常ではない世界、天国、楽園。そして、私は」

 その瞳が名桐の顔を覗き込んだ。一瞬前までの鬼気が嘘のような、のんびりした視線。

「私は、みーさんだから。みーさんはそんな残酷なことをしない人、そう、決まってる」

「理解できぬ・・・」

 名桐は倒れたまま首を振った。

「わたくしは南アジアの貧しい国で暗殺術を絶やさぬためにこの身体にされた!もはや暗殺で時代が動くことなど無いというのにだ!わたくしがあそこを逃げられたのは偶然に他ならない!下手をすれば本当の殺人狂になっていたやもしれぬ!」

 悲鳴のような叫びを聞きながらみーさんは踵を返す。

「この身体・・・肉を切り刻まれ骨を削られて作られたこの解骨は戦う以外に使い道はない!力を込めねば立つことすら出来ぬこのがらくたを抱えて何をしろと言うのだ!日の当たる場所へと這い出さねばあまりにも惨めではないか!」

 みーさんはゆらゆらと歩き出した。その背中に名桐は叫び声をぶつける。

「貴様とておなじだろうに!脳をいじった者の悲惨さは良く知っている!その焦点を結ばぬ瞳!それは瞳孔を操る神経に障害が出ているからだろう!そんな身体にされた過去を忘れて何故まともな奴らの肩を持つ!」

 みーさんは十数歩目で足を止めた。

「どんなに頑張っても、どんなに足掻いても、陰はどこまでも陰。それ、変わらない」

 そして、くるっと振り返る。その顔に描かれているのは小さな微笑。あるかなしかの、だが確かな笑顔。

「それでも、見ていてくれる人が居る。私たちのような人間でも幸せになれる。それだけでも、ここに居る意味、ある」

「馬鹿な・・・そんな程度のことで・・・」

 名桐は倒れ伏したまま力なく首を振った。その姿を見てみーさんは軽く頷く。

「きっとわかる。人を好きになると言うことが、どれだけの奇跡か。だから・・・」

 言葉を止めたみーさんはぱんっと手を叩いてくいっと首を傾ける。

「ビィグ・ディラシュ・カリュマセ。折れない勇気のおまじない。名桐、頑張れ。あきらめなければ、きっと楽しいこと、ある。」

 名桐は全身から力が抜けていくのを感じた。それまで自分が渇望していたものが・・・本当に欲しかったものがなんだったのかを、理解してしまったのだ。

 それは名誉などではない。栄光などよりも、もっと簡単で、もっと暖かいもの・・・

 

自分はただ、誰かに傍に居て欲しかっただけだったのだ。

 

・・・異形でも怯えずに居てくれる強い誰か。

そう、例えば微妙に焦点の外れた瞳を持つ少女とか・・・

「・・・貴様は、強すぎる・・・完敗だ」

「・・・うん、わりとそんな感じ。ぶい」 

 

 ▽ 六号館近く ▽

 

「・・・・・・」

 みーさんは何も無い壁をぼぅっと眺める。

 それは数分前、恭一郎がよりかかって座り込んでいた壁だ。

 居るはずが無い。彼はただ、そこで休憩していただけなのだから。

 ・・・別に、彼女を待っていてくれたわけではないのだから。

「それ、あたりまえ、こと」

 呟き壁にもたれかかる。さっきまでそこでそうしていたのであろう恭一郎をなぞるように。

(私はただ、あの人の手が届かない場所に手を伸ばすだけ。恭一郎のそばに居たいだけ)

 目を閉じ、そこに居ない彼の代わりに地面に指を這わす。

(でも・・・私は欲張りなのだろうか?少し・・・ほんの少しでも・・・)

 わずかに心がきしんだそのときだった。

「・・・?」

 指先が、何かに触れた。

 地面に穿たれた、僅かなくぼみ。

 おそらくは指で彫ったのであろう何か・・・

(文字・・・?)

 みーさんはばっと目を開き地面に焦点を合わす。名桐が指摘した通り彼女の目は異常を抱えている。意識しなければ物のぼんやりとした形以上は見えないのだ。

 彼女が座っている・・・そして彼が座っていた・・・その地面。そこに、いくつかの文字があった。

 恭一郎の残した言葉が。

 

 『助かったぜ。   いつも、ありがとな』

 

 短い、本当に短いメッセージ。

 

 想いは、既に届いていた。

 

「はは・・・ははは・・・」

 御伽凪の喉から、声があふれる。

 もう忘れかけていた、声をあげて笑うということ。

「はは、はははは・・・」

 片手で顔を覆う。

 表情を隠すように。

「ははは、はは・・・」

 痛いほどに押さえた瞼からあふれる、暖かい何かに、戸惑うように。

 いつまでも御伽凪観衣奈は笑いつづけた。

 

 恭一郎の傍を離れられないと自覚するのは、こういうときなのだ。

 

 

  剣術部練習場前 

 

 恭一郎は小休止を終えて剣術部練習場に帰ってきていた。

(他のはともかくわき腹だ。さっきの『鳳閃華』で綾小路にやられた奴が悪化しちまった・・・湿布ぐらい張っとかねぇと)

 鈍い痛みに顔をしかめていた恭一郎は練習場の前に見慣れた人影を見つけて表情を明るくした。

「よぉ!お互い無事だったみてぇだ・・・」

 声と共にあげかけた手が止まる。

「・・・美樹?」

 いぶかしげな声を無視して天野美樹はすっと木刀を恭一郎へと向けた。

「本気・・・なんだろうな?」

「私が今日、ここに来たのはこのためだから」

 別人のように鋭い視線で美樹は恭一郎を睨む。

「何故・・・と聞いていいか?」

 美樹はこわばった顔つきで頷いた。

「あたしは・・・あたしに何ができるのかわからなくなっちゃったのよ」

 唐突な台詞に恭一郎は顔をしかめる。

「恭一郎は絶対に負けない・・・愛里さんやエレンはあんたに近づこうとがんばっている・・・みーさんは最初から完璧だし葵ちゃんは色々あってもやっぱり恭一郎のそばに居る・・・みんな、それぞれの役割を持って頑張ってる。でも、私は?」

「何ができるかなんて頭で考えてわかるもんじゃねぇ。それは間違いない」

「そうかもね・・・それでも、あたしにはこれ以外の道が無いの・・・あたしにとってもっとも不可能だと思えることを・・・あんたに剣で勝つってのができれば・・・少なくとも、恭一郎達と同じ世界が見える気がするから・・・!」

 その声が消えるより早く美樹は飛び出していた。ぶんっ・・・と空を切って木刀が恭一郎に迫る。

「ちっ・・・!」

 その一撃をかわそうとした恭一郎は足首に走った痛みに顔をしかめて防御を木刀での受けに切り替えた。

(やっぱり・・・!)

 それを見て美樹は心の中で叫ぶ。

『風間恭一郎だって神様ではない』

 脳裏に蘇った声に押し出されるように美樹は突きを放った。恭一郎は上半身をそらせてそれを避けてから軽く背後へと飛びのいて間合いを開ける。

彼の顔が驚きの色に染まっているのは、その突きが、彼の良く知っているある男のものに酷似していたからだ。

「今の・・・おまえ、貴人から剣を習ってやがったな!?」

「前から、ちょっとずつね!」

 美樹は叫びながら連続して突きを打ち込む。

『一日中戦いつづければ彼だって疲労する』

 恭一郎は危なげなくそれを受け流している。だがその動きがいつもと比べると明らかに鈍いのに美樹は気づいていた。

「てぇえええええい!」

 一方、体力を温存してきた美樹は全力で木刀を振り回していく。

「くっ・・・体中がギシギシ言いやがる・・・ギャラリーも多くなってきやがったし・・・」

 美樹と恭一郎が戦っているという噂は、既に戦っている生徒が少なくなっていたこともあり、あっという間に全校に知れ渡っていた。

「姉御!こっちです!」

「副主将!早く早く!」

 手当てを受けていたエレンが、愛里が、部下達に連れられて駆けつける。

「ほんとにやってるぜ!」

「仲間割れかぁ!?」

 関係者、野次馬入り混じっての人だかりの中心でひたすらに美樹は剣を振るった。

『無論君も疲労する。だから勝負は短期決戦でつけるべきだね』

 貴人の考え出した恭一郎攻略の作戦を脳裏で繰り返し美樹は突きを打つ振りをしてフェイントをかけ、一気に懐に飛び込む。

「甘いっ!」

 恭一郎はそれを読んでいたのか美樹の木刀の動きを無視して自分も一歩踏み出した。半身になった体が体当たりとなって美樹の体を吹き飛ばす。

「きゃぁっ!」

 もんどりうって地面を転がった美樹は素早く立ち上がった。懸念していた追い討ちは無い。

(違う・・・できなかったんだ)

 思いながら見つめる先は恭一郎の左腕。隙無く木刀を構えた右腕とは対照的にわき腹ををおさえている手。

『怪我だってするかもしれない』

 美樹は大上段に木刀を構えて再度突撃した。何の工夫も無い片手面打ちは簡単に受け止められたが・・・

「だぁあっ!」

 その瞬間、美樹は空いた左手で恭一郎のわき腹を殴りつけていた。

「ぐっ・・・」

「え、えぐい・・・」

 明らかな負傷箇所狙いにギャラリーがうめく。

(チャンスは一回しかないのよ!なりふりなんてかまってられるもんか!)

『追い詰められた彼の反撃・・・それが狙いだね』

 恭一郎はわき腹を抑えて軽くよろめき、ぐっと視線を強くした。

(!?・・・来る!)

『ダメージの蓄積で鈍くなった動き、相手が君であるが故のわずかな油断・・・』

 恭一郎は美樹が振り回した横凪の一撃をほんの僅かに上半身をそらすだけで回避し、カウンターで突きを放ってきた。

『その瞬間に彼の予想を越える動きが出来れば・・・』

 精密な一撃は美樹の喉下に向けられている。これを突きつけて降伏勧告というのがシナリオなのだろう。

(あたしは・・・!)

 美樹はギッと音をたてて歯を食いしばった。

 目前に迫った木刀。避けられるタイミングではない。

 だが、美樹にはそもそも避ける気など無かった。

「だあああああっ!」

 絶叫しながら美樹は握った木刀を引き戻し逆に大きく一歩を踏み出す!

「馬鹿か!?当たりに行ったぞ!?」

 ギャラリーのどよめき。

(そうよ!馬鹿よ!でも・・・!)

 額の端に木刀が当たった。だが、それは頭蓋骨のうちでももっとも固い場所だ。皮膚が切れ、血が滲みながらもダメージは無い。

 そして。

「貰ったぁああああああ!」

 目の前にある。無防備な身体。大きく見開かれた恭一郎の瞳。

 

『風間恭一郎に一撃を叩き込むことは、出来るかもしれない』

 

 音の無い瞬間。額の痛み。吸い込まれるように恭一郎の鳩尾にめり込んでいく木刀の切っ先。人体の柔らかく鈍い反動。そこに全身の力を叩き込んだ自分。

 人事のような冷静さで美樹はそれを見ていた。

 ゆっくりと恭一郎の身体が吹き飛び、地面に落ち、転がり・・・

 3メートルほど離れたところにねじれたような姿勢で倒れる。

「・・・あれ?」

 美樹は思わず呟いていた。

(なに?これ、なに?)

 真っ白になった頭であとずさる。

(あれ?恭一郎?あれ?)

 倒れた恭一郎は動かない。

「おい・・・どういうことだよこれ・・・?」

「わざわざ俺に聞くなよ!攻撃されて、倒れて、動かないんだろ!?それは・・・」

 ギャラリーのどよめきが耳に入る。

(・・・え?)

 美樹は、呆然とその言葉を口にした。

「あたし・・・勝ったの?」

 誰も、答えない。

 だが倒れ伏した恭一郎の姿が、それの代わりとなる。

「嘘だよ・・・こんな筈無いじゃない」

 おろおろと美樹は口を動かす。太陽が西から昇ったような、地面がいきなり逆さになったような、どうしようもない不安感。

「ねぇ!なんで動かないわけ!?あ、あた、あたしは、その・・・!」

 混乱が頂点に達し美樹が叫んだ瞬間だった。

 ざわり、と。

 もう一度ギャラリーたちがざわめいた。

「あ・・・!」

 美樹の声が、喜びに弾む。

「・・・・・・」

 その視線の先で、ふらふらと一本の手が揺れていた。

 恭一郎の手はニ、三度宙をさまよってから近くに落ちていた木刀を掴む。

「・・・・・・」

 その木刀を杖のように地面に突き立ててゆっくり、だが確実に恭一郎の身体が立ち上がった。

「ははは・・・そうだよね・・・」

 美樹は何故か安心したような気持ちで笑った。

「あたしの一撃ぐらいで恭一郎が負けたりしないよね」

「・・・・・・」

 立ち上がった恭一郎は俯いたまま答えない。

「?・・・恭一郎・・・?」

 不審に思った美樹が呼びかけると、下を向いていた顔がゆっくりと前へと向き直った。

「ひっ・・・!?」

 思わず美樹が悲鳴をあげる。

 別に、何があったわけではない。怒りも、憎しみもない。だが・・・その他のものも、何も無かった。

 なんの感情も、何の意思も見えない瞳が無機質で冷たい視線を美樹に投げかける。

「な、なに?」

 いつもなら必要以上に感情の豊かな瞳の変貌に美樹は狼狽し思わず木刀を構えた。

 それが、致命的なミスだとも気付かずに。

「駕・・・!」

 唐突に恭一郎が吼えた。

 否。

 恭一郎の形をした何かが。

「駕ぁぁあああぁぁあぁあっ!」

「ひぃっ!?」

 敵意。殺意。闘気。

 今まで向けられた事の無いそれらを正面から叩き付けられた美樹は恥も外聞も無く木刀を取り落としペタンとその場にしゃがみこむ。

「ああああああああっっっ!」

 恭一郎は吼えながら地面を蹴った。木刀を振り上げ、美樹の頭目掛けてそれを振り下ろす!

「きゃあああああっ!」

 美樹は悲鳴をあげて後ずさろうとするが、すくんだ体はぴくりとも動かない。

 かわりに・・・

「逃げろ天野君!」

 固い声が響き、恭一郎の身体が真後ろへと弾けとぶように吹き飛んだ。

 それを為したのは一本の竹刀。『無影』で飛び込んできた稲島貴人!

「恭一郎は既に気を失っている!今の彼はただ本能と闘志だけが暴走している状態だ!手加減も敵味方の区別も出来ない!」

 背後の美樹に叫び貴人の姿が消える。

「倶っ・・・」

 立ち上がりかけていた恭一郎の腹に貴人の竹刀が突き立てられ、その身体がぐらりと背後に傾く。

 が。

「餓ぁああああああっ!」

 ばね仕掛けのような動きで持ち直した恭一郎は技でもなんでもない動きでぶんっ・・・と木刀を薙ぎ払った。

「っ!」

 苦も無く受け止めた貴人の顔が驚愕にそまる。

「馬鹿な!」

 完全にガードしたはずの木刀から伝わってくる衝撃に貴人の身体が吹き飛ばされる。

 ばんっ!

 と、酷い音と共に貴人は練習場の壁に叩き付けられ呻いた。遮るものが無くなった恭一郎は咆哮と共に再度美樹に襲い掛かる。

「恭一郎っよせ!」

「殿ぉっ!ご乱心めさるなぁあっ!」

 貴人に代わって二人の少女がその身体に飛び掛った。左右の手にしがみつくように止めたのは無論愛里とエレンだ。

 だが。

「餓ぁああああああっ!」

 恭一郎は文字通り人間離れした怪力で腕を振り回し二人の少女を振り払う。

「くっ・・・今の身体では・・・」

「殿が本気になればここまでの腕力が出るのか!?」

 共にかなりの怪我と疲労を抱えた二人は何とか受身を取って立ち上がったものの決定的に出遅れてしまった。恭一郎と美樹の間は後10歩。

「・・・私が、止める・・・!」

 3歩目で新たな人影がその突進を遮った。

「故有り。よってわたくしも止めさせてもらう」

 音も無く駆け込んできた御伽凪とどこからとも無く飛んできた布の塊の中から立ち上がった名桐が恭一郎の頭へと左右から同時に拳とトンファーの一撃を加える。

 メキリ・・・!

 鈍い音。手加減の一切無い攻撃に恭一郎の骨が軋む音がする。しかし、それでも突進は止まらない!

「止まらない・・・!?」

「馬鹿な!?」

 驚愕の叫びをあげる二人を突き飛ばし恭一郎は今度こそ美樹に襲い掛かる。その壮絶な姿にギャラリーは動けない。

 貴人が、愛里が、エレンが、御伽凪が、名桐がそれぞれの負傷を無視して再度恭一郎のほうへ駆ける。

 だが。遅い。

「あ・・・あ・・・」

 怯える美樹の視界一杯に普段とはかけ離れた恭一郎の鬼相が映る。突撃の勢いのまま、木刀が振り上げられた。それもまた本来の美しさを剥ぎ取られた力任せで。

(あたし・・・)

 真っ白になった思考の中で美樹が死を覚悟した瞬間だった。

 すっ・・・と。

 あまりにも何気ない動きで何かが美樹の視界を遮った。

「え・・・?」

 美樹の呟きはその場の全ての人の心を代弁していたと言える。

「駄目だよ?」

 鈴の鳴るような声と共に、黒い髪が揺れる。

「美樹さんに、そんなことしちゃ駄目でしょ?」

 自分よりも大きな美樹を、小さな身体を一杯に広げて守っている少女。

「ね?恭ちゃん・・・」

 

 そこに、神楽坂葵が居た。

 

「駄目だ葵ちゃん!今の恭一郎は君のことすら・・・!」

「北の方ぁっ!ご自愛くださいっ!」

 二人の悲鳴を肯定するように、ほんの一瞬だけとまった木刀が落雷のような勢いで振り下ろされる。

 その速さを見て誰もが感じていた。

 これは、断じて寸止めなどではない。

 止めようが無い。

 そして、それを身に受けようものなら確実に重症を・・・下手をすれば死を免れない一撃だと。

「嫌ぁあああああ!」

「と、止めろぉっ!」

「ひっ・・・!」 

 悲鳴の嵐の中、ただ一つだけ穏やかな声が美樹の耳に届いた。

「うん、いいよ」

 微笑すら浮かべて呟いた葵の言葉。その目は今まさに自分の頭を打ち割ろうとしている木刀を見ていない。

 その視線が向けられるのは、自分と引き換えにでも守りたい愛しい男。

 空気を引き裂いて死の刃が、今・・・

 

 べきり

 

 ひどく嫌な音がした。

 硬い木が、肉と骨を叩く音。飛び散った鮮血が地面に不気味な絵を描きあげる。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 その凄惨な姿に全ての人の動きが止まった。何も言わず、何も出来ず、ただ呆然と立ち尽くす。

 ただ・・・二人を除いて。

「こいつは・・・だいぶ痛いぜ」

 言葉通り苦痛に顔を歪めて・・・風間恭一郎はそれでも笑って見せた。

 右手は木刀を・・・渾身以上の、たがが外れた一撃を振り下ろした木刀を握っている。そして・・・左手は、その木刀の下へ差し込まれていた。

 葵の額すれすれに、受け止める余裕など無くただ身代わりに。

 心の奥底に燃え盛る想いが無意識の中で突き出した腕。

 強烈な打撃を受けたそこは今や感覚が無い。ひょっとしたら骨折くらいはしているのかもしれない。

「恭ちゃん・・・」

 みるみるうちに涙が浮かんできた葵の瞳を見つめながら恭一郎はぐらりと身体を揺らした。

「わりぃ・・・後、頼むわ・・・」

 呟きと共にがくりと膝をつき、目の前の葵に倒れかかる。

「・・・うん。おつかれさま・・・恭ちゃん・・・」

 葵はその身体を抱きとめた。重みによろけながらもぎゅっと抱きしめる。

「・・・・・・」

 最初に動いたのは御伽凪であった。

「手伝う・・・」

 葵の肩をぽんっと叩き恭一郎の身体をひょいっと背負う。

「うん、ありがとみーさん・・・中までお願い」

 葵は目には涙を浮かべたままでにこっと笑い自分は美樹の手を握る。

「美樹さんも、中・・・入ろ?」

「え・・・あ・・・うん・・・」

 呆然と座り込んでいた美樹はのろのろと立ち上がり葵に導かれるままに剣術部練習場に入る。

 ぱたん・・・

 扉が閉まると同時にその前にエレンと愛里が立った。それぞれの剣を地面に突き立て、周囲の人だかりをぐるりと見回す。

「よもや、殿の寝所を襲おうなどという外道はおるまいな?」

 静かに言い放ったエレンの声を愛里が引き継いだ。

「もしもそんな奴が居るとするならば、覚悟するがいい。我々は・・・いっさい容赦する気は無い」

 無論、そんな無謀な者が居るわけが無いのだが。

 

 

       剣術部練習場内 ▽

 

 中は、静かだった。

 横たわり、あちこちに包帯を巻いた恭一郎と壁に寄りかかって動かないみーさん。そして、恭一郎の傍らで不安げな顔をしている美樹。

「大丈夫だよ美樹さん。疲れて寝てるだけだからそろそろ目を覚ますよ」

 くるくると忙しく看病をしている葵の言葉に美樹はこっくりと頷く。

 やがて。

「あ・・・」

 美樹が小さく呟いた。

 恭一郎が、ゆっくりとその瞼を開いたのだ。

「・・・・・・」

 恭一郎は首だけをぐるっと回して辺りを見渡し、はぁっと息をつく。

「あー、俺ってかっこわりー」

 ぐったりとしたその一言に葵はくすりと笑った。

「そんなことないよ恭ちゃん。初号機みたいでかっこよかったよ?」

「誉めてねぇ。絶対、それは誉め言葉じゃねぇ・・・」

 恭一郎は寝たままつっこみを入れて今度は美樹に視線を向ける。

「どうだ?美樹・・・俺に勝って、何か新しいものは見えたか?」

 美樹は泣きそうな顔でぶんぶんと首を振った。

「勝ってないよ、あたし・・・あたしがやったことはただずるをしただけで、それであんなことになっちゃって・・・」

 震える言葉に恭一郎は苦笑する。

「馬ぁ鹿。汚い手だろうがなんだろうが、最後に立って笑ってられればそれで勝ちなんだよ。いつも俺がやってることだろうが」

 言いながらゆっくりと上半身を起こす。そっと支えてくれる葵に目で礼を言って恭一郎は肩をすくめた。

「だから、まぁ・・・おまえはあのやり方、最終的には納得できなかったみたいだから引き分けだな。お互い納得いかなかったわけだ」

「・・・うん・・・」

 俯いて呟く美樹に恭一郎は小さな笑みを浮かべながら喋りつづける。

「おまえさ、何が出来るかわからないって言ってたよな。確かにおまえは戦う力で俺やエレンに負けるし一つのことに集中してるって言う点では愛里に負けるし、存在の確かさではみーの奴に負けてるかもしれねぇ。だが・・・」

 腕の痛みに声が途切れたが、すぐに後を続ける。

「だが、気付かないのか?俺達がこの一年でやってきたこと・・・変われたこと・・・全ておまえが中心に居たってことに」

「え・・・」

 思いがけない言葉に美樹はかすれた声をあげた。

「俺と葵のことも・・・エレンがアメリカに帰らなかったことも・・・愛里があの劇を境に大きく変わっていったのも・・・まぁみーの奴はこの際置いとくとして、全部おまえが居なければ起こらなかったことなんじゃねぇのか?」

 恭一郎は一息ついて少し考える。

「おまえはさ、多分旗手なんじゃねぇかと思うんだよな」

「・・・旗手?」

 聞き返す美樹に一つ頷いて答える。

「ああ。おまえは自分が感じるままに突っ走っていけばいいんだよ。俺達はその後をついていく。何かがそこにあれば俺達がそれをどけてやるから・・・おまえはおまえが正しいと思ったことをやっていけばいいんじゃねぇのかな」

「・・・あたしは・・・このままでいいってこと?この中途半端な自分で・・・」

「言ったろ?自分がなんなのかなんてのは頭で考えてわかることじゃねぇんだよ。かえって他の奴が見たほうがわかりやすいときもある」

 恭一郎は額にあてられていた濡れタオルを掴み、よろけながら立ち上がった。

「ずいぶん前におまえが言ってくれたこと、そのまま返すぜ・・・俺もおまえも、無茶をするのが仕事なんだ。何が出来るかは関係無い。必要なのは何がしたいのかだ」

 全身傷だらけの剣聖を見つめ、美樹はその意味を考える。

「・・・美樹さん。私も・・・美樹さんに貰ったもの、返すね。変わらなくちゃいけないときもあるし変わっちゃうものもあるよね?それと戦う為に・・・大切な今の為に一生懸命になれる人は、きっとそれだけで凄い人なんだよ」

 恭一郎に寄り添う葵の言葉。

 無言でこちらを眺めているみーさんの視線。

 

 美樹は、ゆっくりと口を開いた。

 

 

       六合学園七号館 屋上 ▽

 

 恭一郎は葵達を部室に待たせてそこへやってきた。

「・・・やっぱここに居やがったか」

 呟き、闇の中に立つ少年に近づく。

「なぁ、聞きたいことがあるんだけどな」

 恭一郎は少年の隣に並び、その横顔に話し掛ける。

「・・・なんだい?」

 数秒の間を置いて、少年は・・・稲島貴人は口を開く。表情は闇に隠れて見えないが、その声は周囲の暗がりよりも尚沈んでいる。

「なんで美樹に剣を教えようって気になったんだ?」

「・・・利己的な、理由だよ」

 貴人は奥歯をかみ締め、呟く。

「僕が嫌いなのは僕の剣なのか、それても僕自身なのか・・・僕とは反対の性質を持つ彼女が振るう僕の剣が何をもたらすか、それが見たかっただけだよ」

「うそつけ」

 血を吐くような告白を恭一郎は一言で叩き切った。

「う、嘘付けってのはなんだい!人が落ち込んでる時にっ!」

「だっておまえ、美樹に頼まれたらどんな内容だって頷くし〜」

 にたぁっと笑う恭一郎に貴人の顔が真っ赤になる。

「き、君はいったい何が言いたいんだ!」

「あん?言っていいのかな〜?」

 意地の悪い口調に貴人が悶えた瞬間。

「なぁ貴人。あんまマジになるなよ」

 恭一郎はぽんっとその肩を叩いて笑って見せた。

「え・・・」

「俺達は所詮学生だ。まだまだ道の途中なんだよ。俺だって無様さらしたしおまえはここでいじけてるし美樹の野郎の願いはすげぇ単純だったし」

「願い?」

 貴人が聞き返すと恭一郎は軽く頷く。

「あいつがしたいこと。それは、俺やおまえ、葵や・・・他のみんなと一緒に楽しくやっていくこと、だそうだぜ」

「・・・望まずとも、それは常に彼女のものだろうに・・・」

 呟きに苦笑が返る。

「まったくだな・・・俺達がどれだけあいつに助けられてるのか、本人だけがわかってねぇってわけだ」

「・・・そうだね。そして、それは君も同じ事だよ・・・」

 それを聞いてきょとんとする恭一郎に今度は貴人が苦笑した。

「なんでもない。それより・・・体は?」

「はっきりいってボロボロだな・・・だが、もう一振りなら出来る」

 恭一郎は言いながら一歩下がる。

「貴人。おまえ、自分の剣が嫌いだとか言ってたな?」

「・・・ああ。その通りだよ。大嫌いだ」

 貴人も一歩下がり、はき捨てるように言う。

「俺にはおまえにかけられる言葉はない。一人前の剣士に対して俺が出来るのは、ただ戦うことだけだ」

 言いながら恭一郎はすっと構えを変えた。

「剣が大事なんじゃねぇ。それをどう使うかが問題なんだ・・・前に進もうぜ。貴人・・・『無影式抜刀術』!」

 見慣れた構え。当然だ。それは貴人自身のものなのだから。

「前へ、か・・・『神楽坂無双流』!」

 逆に貴人は無双流の構えを取る。

 

 一呼吸。そして。

「無拍子っ!」

「天照っ!」

 

 どちらが勝ったのかは、本人たちしかわからない。

 

 

       余話 ○

 

 その後。

 

「おい、あれ見ろよ!」

「ああ、あれが!」

 こちらを指差して囁きあう生徒たちに美樹は不機嫌なのを隠そうともせずに唸る。

「間違いねぇよ!あれが『恭一郎をキれさせた女』だ!」

「あの恐怖の大王と同じくらい怖いんだろ?すげぇよな!」

 美樹の額に青筋がはしる。

「おい!やべぇって!目を合わせるな!石にされるぞ!」

「するかぁああああああああ!」

 

 天野美樹が恭一郎と同格の要注意人物に昇格したのは言うまでもない。