ハウスクリーニング

朝比奈みくるの冒険EpisodeFinalPlus もしくは古泉一樹の終焉

 

 もうそろそろ、いいだろう。ここまで来れば彼女の病室から見える距離でもあるまい。
 彼を真似る演技をやめ、僕はあの頃のように肩をすくめてみた。
「―――あなたが涼宮さんと一緒になれば僕は楽になると思ったんですけどね」

 最後の事件で朝比奈さんがした事は、意図的に時間軸に行き止まりを作ってそこに不要なものを閉じ込めるという時間平面上の落とし穴だった。巧妙だったのはそこへ落ちたのが各種勢力ではなく、涼宮さんと彼だけだったという所だ。行き止まりだからこそ存在しえるその落とし穴は、しかし涼宮さんの力をもってすれば容易に書き換えうるものだ。結果として本来不可分である「世界」という概念は彼女達の居る世界と僕達の居る世界は立体交差する捩れの関係として分化、同一にして別という矛盾を解消する為に世界はそれぞれが干渉できない状態に変質して持続するようになった。
 事象は観測されなければ存在を確定できない。一つきりしか存在し得ない世界だとしても、片方の世界からもう片方が観測できなければ矛盾は発生しない。
 そしてそれは、逆に言えばこうなる。『世界を移動できる可能性を持つものは二つの世界に重複されない』、と。
 TPPDを持つ未来人。時空平面を俯瞰する統合思念体や広域知性体。機関の転移能力者。これらの存在は2つの世界を行き来する可能性を持つが故に『あちら』の世界に複写されず、皮肉な事にその為の能力を持つが故に『あちら』へ行くことが出来ない。
 僕にはそんな力は無い。だからあちらの世界にも、多分僕が居る。鶴屋さんも居るだろうし、阪中さんもコンピュータ研の部長氏も居るだろう。あるいは、TPPDを失った朝比奈さんすら居るかもしれない。こちらの彼女はもはや矛盾を発生させることは出来ないのだから。
 脳裏で彼が顔をしかめる。僕自身よくわかっていない説明をして、こんな表情をさせていた事を思い出す。
 長門さんは、事件のあとすぐに姿を消した。おそらく、彼を追って『むこう』へ行ったのだろう。理論上不可能であるという程度の事で止められる筈も無い。きっと今も彼の傍に居る筈だ。
 少なくとも、僕はそう信じている。

 坂道の途中で僕は足を止める。そらがやけに薄暗い。一雨来るのかもしれない。
 駅へ急ごうと思うのだが、この年になって坂道を行き来するのはやはり無理があったらしくどうにも疲れて体が思い。
 少し。少しだけ休もうか。
 僕は塀にもたれ、息をつく。
 
 あの日から長い時間が過ぎた。閉鎖空間が生まれない以上僕はもう超能力者ではない。そのまま普通の高校生に戻る事も出来ただろうし、それが僕の願いでもあった筈だ。
 でも、出来なかった。
 彼がかつてそうであったように、唐突に巻き込まれたあの日々が眩しかった。あの日々を、無かったことになどしたくないと思ってしまった。
 あの日々の残滓を求めて僕は朝比奈さんの病室に通い続ける。
 来る事の無い、彼女の望む訪問者を演じて。

 辛い日もある。その方が多い。彼と彼女が存在していた事を知っている人達が一人、また一人と減っていく中で生き続けていくのは愉快なことではない。
 それでも僕はここまでやってきた。この世界には、朝比奈さんが居る。仲間が居る限り僕は頑張り続けなくちゃいけない。
 僕は、涼宮さんにSOS団の副団長を任されたのだから。
 
 それにしても、疲れた。これでは、遅刻、してしまうではないか。その役目は僕ではなく彼のものだ。彼に奢ってもらうのを、涼宮さんは内心楽しみにしているのだし。

 いつのまにか座り込んでしまった僕を、だれかが見下ろしている。
 
 ――――――

 すいません。少し疲れてしまいましてね。大丈夫、少し休んだらすぐに行きますから。罰金も嫌ですしね。

 ――――――

 ええ、大丈夫です。今日こそきっと不思議なものが見つかりますよ。
 そうそう、朝比奈さんはもう来ていますか? 先に来てしまったのですが。
 そうですね。とてもよいアイデアかと。
 大丈夫。本当に、すぐ、行きますから。


「ありがとう・・・ごくろうさま、古泉君」

 
 いえいえ、僕は―――
 僕は―――

                                                   fin