長門有希の人間解析3 〜もしくは経口式栄養補給の精神面への影響調査


「・・・・・・」
 長門は自室で考え込んでいた。両手には水の入ったペットボトル。上にさしあげ、横に伸ばし、1・2・1・2・と振り回す。上からの補給が無いなら現地調達するのみだ。
「・・・・・・」
 最近日課にしているトレーニングをしながら考えるのは彼に対する調査活動のこと。前回ので一応親密度は上がったが、二度やる気にはならない。少なくとも、今は。
「・・・・・・」
 体操終了。結局次の手順を思いつけないまま体操を終えた長門はカモフラージュの為に備わっている発汗機能の発動を感じ、わずかに浮かんだ汗を流すべく風呂場へと向かった。体操の前に張り始めた湯船の量を確認し、防水カバー片手に引き返して本棚へ向かう。
 入浴行為そのものは老廃物の発生をコントロールできる人型端末にとってはあまり重要ではない行為だが、体を温めながらの読書はなかなかに興味深い。
 本棚に並ぶ裏表紙を視線で撫でる。どれも既に読んだものであり内容は全て記憶野に保存されているが、眼で文字を辿り情報を読み取るという行為そのものが心理パラメータを大きく揺さぶるのだ。デジタルの化身であるが故に、アナログが心地よい。
「・・・これ」
 今の心理パラメータと目的にあった本はどれかと検討していた長門は、最下段の端に眼を向けて停止した。
 そこに入っているのは自分で購入したものではなく、別の端末を消去した際に情報操作の一環として回収した本だ。
 タイトルは、『あなたに捧げるおでん666選』。
「・・・・・・」
 666種のうち200程度は食べさせられた記憶がある。あの頃は正直、他の物は作れないのかと思ったものだが―――
「・・・あなたに捧げる」
 そのフレーズには何か感じるものがある。長門は慎重にその本を手に取り開いてみた。序文にさっと目を通す。

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 食は薬である。いわゆる薬食同源という考え方だ。
 そして、食は愛でもある。いわゆる料理は愛情という考え方だ。
 愛=重力であるならばその愛の結晶であるところの食は薬となりあなたの大切な
 人へと必ずや思いを伝えてくれる筈。
 愛食同源。わたしは世界中をめぐりおでんを
 (略)
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「・・・・・・」
 パタンと長門は本を閉じた。
 正直理解不能だがヒューマノイドの間で食事がコミニュケーション手段として使用されているのだな、程度のことはわかる。考えてみれば識別名『朝比奈みくる』も毎日彼へと手作りの飲料を使って狡猾なアプローチを続けているではないか。
「・・・・・・」
 もう一度表紙を見る。おでんはよそう。この本が何故あの端末の部屋にあったかを考えてしまって心理パラメータが急激な変化を見せるから。200種類。ちょっと偶然にしては多すぎないか。
「・・・収納」
 とりあえず本を本棚へと戻して考える。当初の方針である『涼宮ハルヒを真似る』という手法からはややずれるが、試す価値はある。部室でお茶を摂取している姿を思い出す限り、少なくとも無駄にはならない筈だ。
 そう考えるとすぐにでも実行したくなるが、ヒューマノイドは一定量以上の食品を摂取する事が出来ない筈であり、食事を実行する時間も大まかにだが決められているという。
 現在時刻は19:13:38。食事時としては悪くない時間だ。しかし彼の生活パターンからしてこの時間には既に夜の食事を―――
「・・・違う」
 記録再生。3時間程前にキョンは『今日は妹と両親は親戚の法事に行ってる』と発言した。これは高確率で食事を自分で作成しなければならない事を示し、長門の所持しているデータによるシミュレーションによれば、彼は自分の食事をカップラーメンにする筈。
「・・・・・・」
 こくり、と長門は頷く。カップラーメンはヒューマノイドの身体機能維持に必要な栄養を満たした食物であるとは
 彼の身体情報を悪化させない為にカップラーメンよりも添加物の少ない食事を提供する事に問題は無い。むしろ推奨されてしかるべきだろう。
 電話を手に取った。以前彼を呼び出した際はハルヒや他の勢力に見つからないように回りくどい手をとったが今回は緊急だ。盗聴対策さえしておけばいい。
「―――REVOL=EDOCEREHWATAD_SSERDDAMORFON_LETTCELES」
 トーン信号を使わずに直接キョンの家まで電話を接続すると、数回のコールを経て彼の声が受話器から流れ出した。
「もしもし?」
「・・・私」
「長門か。珍しいな・・・っていうか電話してくるのは初めてか?」
 短い名乗りに、しかしキョンは戸惑いもせず答えてくれた。心理パラメータの急激な変動を確認。
「食事中?」」
「いや、これからコンビニにでも行こうかと思ってる所だけど」
 間に合ったようだ。長門はなんとなく受話器を握りなおす。
「時間があるなら、私の家に来てほしい」
 用件を切り出すと、キョンはしばし考えてからわかったと答えた。
「今すぐか?」
「・・・20時に」
 しばし言葉を交わしてから電話を切ると、例によって心肺機能に負荷がかかってきた。積極性パラメータの上昇を確認し、今の気分をこれまで読んできた本の用例に照らし合わせ、口に出してみる。

「ゆき、がんばる」
 
 沈黙。
 
 長門は無表情に握り締めた拳をほどき、ふとある事に気付いて振り返った。
 風呂が溢れている。効率を考えて、とりあえず入浴を済ませておこう。

 


 ぴぽーんと鳴ったチャイムに長門は鍋を見つめるのをやめてインターホンに向かった。生体反応で既に階下にたどり着いているのは誰なのかわかっているが、
「俺だ」
 耳から聞くその声は、今日も心理パラメーターに大きな影響を与える。アナログだからこその振動。

「入って」
 ロック解除のボタンを押しながらそう告げ、長門は玄関へ向かった。サンダルをつっかけ、鍵を開けてドアを半分ほど開ける。
「よう、なが―――」
 程なくしてエレベーターホールから現れたキョンは挨拶の途中で思わずピキリと硬直した。
 ドアに半分隠れているがそこに居るのは湯気のたった体を猫柄パジャマに包み、頭にタオルを巻いた小柄な少女。明らかに湯上りほかほかな長門有希その人である。
「準備出来てる」
「何ですとっ!?」
 ぽわっと朱に染まった顔で囁かれてキョンは思わず一歩後ずさった。一人暮らしの少女の部屋に突然招かれ、出迎えた少女は風呂上りで、準備完了。
「・・・い、いや待て長門。気持ちは嬉しいがいきなりそういう展開というのもだな」
「?」
 あからさまに挙動不審なキョンに長門は軽く首をかしげた。
「いや、だからおまえも女の子なんだからそういうのは大事にだな?」
「よくわからない。カレーはまだ鍋の82%を占めている。希少性は無い」
 一瞬の間を置き、ああとキョンは輝くような笑顔を浮かべた。笑って誤魔化すのは古泉の独占販売というわけでもない。
「えっと、つまり食事に呼ばれたのか? 俺は」
「そう。晩ご飯」
 こくりと頷いて部屋の中に引き返す背を追ってキョンは勝手知ったる長門の部屋に入った。
「座って」
 言って指し示されたのは毎度おなじみの布団が無いコタツテーブルだった。今日はそこにキャベツをめったやたらに刻んだものとコーンが入ったガラスのボウルが置かれている。どうやら長門も少しは食卓に彩りを添えるという事を学習しつつあるようだ。
 そのまま台所へ向かうのを見送り、キョンはテーブル脇の座布団にあぐらをかいて座った。ただ待つのも手持ち無沙汰だと辺りを見渡すと床に一冊本が落ちているのが眼にとまった。
 暇だし、長門の読んでいる本ならひょっとしたら面白いかもしれない。そう思ったキョンは好奇心のままにそれに手を伸ばし。
「!?」
 手が触れるか触れないかという瞬間にその本は消え去った。いや、そう見えるほどのスピードで駆け寄った長門に拾い上げられたのだ。
「・・・・・・」
「長門・・・?」
 いつぞやの教室ぶりにみせた超常的な身体能力にキョンは眼を丸くして分子運動が停止したかのような視線でこちらを見つめる長門を見上げた。
「それ、見ちゃいけないもんだったのか?」
「・・・知らないほうがいい」
 キョンはどこかで聞いたその台詞に怒りが含まれて居ない事に少し安心し、本の詮索をやめた。猿がどうとか書いてあったような気がしたのだが。
 座布団に座りなおすと長門はしばしその姿を眺めてから台所へ戻った。数分して戻ってきたその手にはさっきの本ではなく大鍋が握られている。
「なあ長門。皿が一枚しか出てないぞ?」
 キョンの問いに長門は1ミクロン程あごを引いて肯定を示した。

「試したい事がある。許可を」
 特盛りのカレーを前に告げる長門にキョンは一瞬だけ驚いた表情をしてから迷わず頷いた。恩は山ほどある。出来うる限り要望にはこたえてやりたい。
 そして何よりも、殺風景なこの部屋で暮らす宇宙人製のアンドロイドが自分から何かをしたいと考えるようになったことを誰よりも喜んでいるのが彼なのだから。
「なんだかわからんがとにかくよし。やってみろよ長門」
「わかった」
 長門は僅かに唇の端を緩めて立ち上がった。数秒かけてそれが笑顔だと気付いたキョンが呆然とする間にあぐらをかいて座っている彼に近づき。
 ぽすっ、と。
 その腿の上に小さな尻を乗せた。
「――――――」
「・・・ん」
 饒舌な語り部は言葉を忘れ、無口なインターフェースは全身で彼を観測できるこの姿勢に満足げな声を漏らす。
「な、ながとさん?」
「食事」
 ギシギシと首を動かして胸の中にすっぽりおさまった少女を見下ろすキョンに長門はピッとスプーンを差し出した。反射的にそれを受け取ると、長門自身もスプーンを手に取る。
「食べて」
「・・・いただきます」
 促され、キョンはテーブルの大皿にスプーンを突きたてた。続き、長門もスプーンを操りカレー大陸に侵攻を開始する。
「今日はレトルトじゃないんだな」
「・・・この前は、買い物に行く時間がなかっただけ」
 ちょっと怒ったような声に笑みを漏らし、スプーンを皿に突き立てる。
 一つの大皿、二つのスプーン。湯上りの少女を抱えて食べるカレーライス。
「・・・・・・」
 キョンはスプーンをくわえて苦笑した。
 これはSFというよりファンタジーだなあ・・・

「あの本、役に立つかもしれない」
「さっきのやつか?」
「それは、忘れて」

 

 


――― 報告。彼による当端末の観測を元に第7C4D次報告の内容を一部修正する。胸部の厚みは絶対的な
     価値観ではなく、識別名『キョン』の思考偏差は当端末の仕様を許容するものである事を確認
――― 通達。仕様についての考察は確認した。具体的な観測内容を報告せよ
――― 報告。観測は継続中。観測手段等については報告の必要は無しと判断
――― 通達。端末レベルでの情報秘匿は許可できない
――― 報告。現時点では観測内容が完全な形ではない。明確な結論が出せていない以上今回の手段には瑕疵が
     あると判断できる。瑕疵の有る情報の報告は統合思念体にとって望むべきものではないと考え、報告無しと
     する。これは秘匿ではなく必要性の有無によるものである。ブラックボックステストの有効性を参照されたし
――― 了解。今回の手法は完全では無いが進展はあったという報告と判断
――― 肯定
――― 確認。今後も類似の手法を検証するのか
――― 肯定。進捗については継続して報告する
――― 了承。観測任務に戻れ

 通信終了のサインを送信した長門は自身の機能をインターフェースモードに変更し。

――― 通達。避妊はしっかりするように
――― ぇ


 耳の中に響いた声にベッドに腰掛けたまま口を軽く開いたまま硬直する。


 翌日、長門のマンションに小包が届いた。
 差出人:Sinenty・Togo 内容物:薄型なゴム製品。

 即座に無機情報結合の解除実行。完了。

 

 あと、統合思念体最悪。

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