長門とナガットフォルダ
「・・・・・・」
ある日の昼休みのこと。
長門有希は昼食の三食パン6個計18色パンを5分で処理し、今日も今日とて読書にふけっていた。遠くから聞こえる喧騒を聞き流しながら読んでいるのはハルヒが部室に持ち込んだ新書版の小説だ。本編10巻は既に読了しており、今は外伝の4冊目を読んでいるところである。
「・・・・・・」
時計の長針が4分の1ほど回転して、長門はパタンと本を閉じる。本編ほどではないが、中々に面白かった。
さて、次と本棚に目を向けるが5冊目がない。古泉が彼に説明していたことが確かなら、作者は外伝は6冊書くと言っていた筈。
「・・・・・・」
奥付を確認する。4冊目が書かれたのは人間の縮尺で考えるならばそれなりに昔だ。ハルヒの収集熱が枯渇したのだろうか。
傍目にはわからない程度に首をかしげて長門は思考する。ここまで纏めて読んできたのだから、可能ならば続けて最後まで読んでしまうのが効率的だろう。調査が必要なのだが・・・
「・・・・・・」
視線の先には、団長デスクとパソコン。各団員用のノートパソコンもあるのだが、無線LANの接続先が結局団長PCなので調べものならこれを使った方が効率がいい。
長門は団長席に座り、パソコンのスイッチを無表情に押し込んだ。起動するまでの間、彼に無理難題を押し付けるハルヒごっこをしながら暇をつぶす。
「・・・・・・」
てぃんとんてぃんとんてぃんとん、というデフォルトのままの起動音と共にデスクトップが表示されたのでマウスを手に取る。
「・・・・・・」
別段これを使わなくても、そもそもパソコンとネットという媒体を使わなくても調査は出きるのだが、こういう事をするときはズル無しというのは最優先に近い制約だ。守るべき。
校内LANネットワークに接続されている事をアイコンで確認し、ブラウザを立ち上げる。まず覗いたのは大切断とかしてきそうな名前のショッピングサイト。5冊目、6冊目について何件かヒットしたが、どうやら文庫化された時に分割されて冊数が増えただけのようだ。言うなれば孤島症候群(前)と孤島症候群(後)のようなものか。
「・・・・・・」
1ミリほど首を傾げて今度は某検索サイトにアクセス。
そういえば以前彼が3年前までこのサイトだったってほんとかとか聞いてきて困惑したものだ。とりあえず禁則事項と答えておいたらそれで引き下がった。便利だな禁則事項。多用したい。本家の影が薄くなるかもしれないがいい。奴は他のところが厚い。
しばし検索し、結局オンライン百科事典にたどり着く。どうやら外伝5は他の短編集に収録されたものが該当し、外伝6は出る気配すらないまま今に至るようだ。
「・・・タイタニア」
ぼそりと呟き長門はブラウザを閉じた。蜜柑の帝王に呪いあれ。髪が薄くなるような呪いあれ。
微妙に気落ちしながら電源を切ろうとスタートボタンを押したそのときだった。
「・・・?」
偶然ポインタが止まったスタートメニューの『最近使ったファイル』に長門は動きを止めた。
「・・・IMG_3002.jpg」
SOS団サイトで使用している画像は例のサインの時に一通りチェックし、データとして把握している。このパソコンに収められている素材画像に、この名前のものはない。
「・・・・・・」
即座にプロパティを確認。ファイルの所在は―――
「"C:\Documents
and
Settings\SOS00001\デスクトップ\WORK\数学課題\mikuru\IMG_3002.jpg"」
感情を浮かべない筈の瞳に、何か冷ややかなものが満ちる。なんだよそのフォルダ名。
カチカチとマウスを操作してWORKフォルダを展開。開いた数学課題フォルダには、一見どうでもいいようなEXCELしか置いてないが―――
「・・・・・・」
右クリックでメニューを出し、フォルダオプションを変更。全てのファイルを表示に設定した瞬間。
「っ」
半透明のフォルダアイコンがそこに現れた。隠しファイル指定されていたのだ。躊躇なく指定を解除して晒し、フォルダアイコンをダブルクリック。
「・・・・・・」
パスワードを聞かれた。
長門の中で疑惑が確信に変わる。間違いない。あの時のものだ。
ハルヒが撮り溜めたあの乳タイプの写真。ハルヒには捨てたと言っておきながら、こっそり保存したに違いない。
「・・・・・・」
そんなにアレがいいのか。
そんなにも胸部装甲の厚みを重要視するのか。
ならEZ-8なんてダイスキか。
少しだけ口を尖らせて長門はパソコンの電源を切りかけ、ふと動きを止めた。
少し前の記憶を再生しなおす。mikuruフォルダを開ける前、WORKフォルダを開けた時。
数学課題フォルダの横には―――漢文課題フォルダがあったのだ・・・!
「・・・・・・」
カチカチとマウスが鳴る。展開した漢文課題フォルダの中にはいくつかのテキストファイルとW○RDファイルが置いてある。だが、これはどうでもいい。
フォルダの属性を変えて隠しファイルも表示するように変えると・・・やはりあった。隠しフォルダである。
「・・・・・・」
長門はマウスに手をかけたまま硬直した。
十秒。
二十秒。
三十秒。
脳内での情報処理速度が超速の彼女にしてみれば膨大な時間を経て、長門はそのフォルダの名前を読み上げた。
「―――NAGATOフォルダ」
マウスを操作してポインタをアイコンにあてる。
開いて中を確認してみるべきだろうか。だが、これはおそらく彼が作ったものだ。勝手に開けたらプライバシーとかそういうものを侵害されたといって怒り出さないだろうか。いまさらだが。
「・・・・・・」
脳内でちっちゃい長門さんが討議を始める。なんだかちっちゃい朝倉やちっちゃいワカメも配置されてる気がするが気にしない。思考しすぎて熱暴走でも起きているのかやけに暑い。
「・・・結論」
しばし悩み、長門は呟いた。
情報収集は統合思念体の人型端末としての仕事であり、義務だ。そして今目の前にしているのは主に涼宮ハルヒが使用している情報端末である。
ならばどうか。このフォルダを覗くのも仕事のうち、ではなかろうか。
いや、そうに違いない。OKだ。了承だ。一秒だ。
呼吸が意図せず早くなる。NAGATOフォルダをダブルクリック。パスワードの入力を求められたので左手でキーボードを手繰り寄せ、即席の解析ロジックを作成する。気合を入れすぎて大銀行の汎用端末をクラッシュできそうな代物が出来上がったがまあ気にしない。解析開始。
「・・・・・・」
解析は数秒で終わった。展開されたフォルダの中には―――案の定、JPG画像が大量に入っている。
いつのまにこんなに写真をとられていたのだろう。
どんな写真を撮られてしまったのだろう。
まさかとは思うがキョンも男だ。野生だ。淫獣だ。
ひょっとしたら凄いものを撮られているかもと思うと端末の発熱がひどくなる。皮膚下で行っている水冷だけではたりないのだろうか。
パタパタパタ・・・
制服の胸元をひっぱり、軽く手で仰いで空冷実行。妨げなく、全体に良く風がいきわたる。やっぱり胸部は厚みが無い方が優れたデザインだ。あんな脂肪分は過剰装飾に過ぎない。お偉方と殿方はそれがわかっていないのだ。
長門は意味も無く息を止め、先頭の画像にポインターをあわせた、しばし躊躇して。
カチカチ。
そのアイコンをダブルクリックした。ポインターが砂時計に変わり、そして―――!
「・・・・・・」
PCのモニタいっぱいに映し出されたのは、生まれたままの姿の長門であった。
「・・・・・・」
全長224.94m、全幅34.59m、主砲は四十五口径三年式四十糎砲。どこのドックだろうか、艤装(装甲やら武器やらの取り付け)中の戦艦長門がその剥き出しの船体を―――
ガチン、と。
長門は力いっぱい電源を押し込んだ。次に使うキョンめ。セーフモードで立ち上げるがいい。
ひゅーんという放熱ファンの停止音が虚しく部室に響く。遠くから聞こえる歓声。外をどたばたと走っていく足音。
「・・・そう」
しばらくそのままの姿勢で沈黙していた長門は、静かにそう呟いた。
「そう」
その日長門は、有機生命体のジト目を習得した。
放課後。キョンは強制終了に伴うチェックディスクをカリカリ行っているパソコンのディスプレイから長門に目を移した。
「・・・なに」
「いや?」
そう、と呟いて本に目を落とす姿はいつも通りの長門有希に見える。
みくるも何の疑いもなくお茶を置いていったりしているし、なにやら服を―――たぶん自分のではなくみくるのコスプレ衣装を―――買うので今日は帰ると言って駆け抜けていったハルヒも気付いていないようだった。
だが、キョンにはわかる。長門有希観察の第一人者を自負しているのは伊達ではない。
表情はいつもより更に硬いしページをめくる速度が極めて遅い。
(・・・あれは、かなり怒ってるな)
苦笑して起動終了を確認。マウスを握る。カチカチとクリックしてみれば、案の定数学課題フォルダにも漢文課題フォルダも隠し指定が外れている。
ちらりと長門を見る。視線は動いていないが、こちらに向けていた意識を素早く本のほうに戻した気配がする。かなり気にしているようだ。
キョンは肩をすくめてmikuruフォルダの中を確認してみた。全部消されてたりするかと思ったが特に変化無し―――いや?
「・・・増えてる?」
「なにがですか?」
なにやら編み物をしていたみくるに聞き返され何でもありませんと誤魔化す。ちらりと伺った長門の唇が極々僅かだがすぼめられているのを確認。どうやら拗ねてるようだ。
「・・・・・・」
mikuruフォルダの中身、ハルヒが無節操に取りまくったみくるのJPG画像。時々気晴らしに眺めているそれが、常より一枚多い。
背後に誰も立っていないのを一応確認してから画像を開くと―――
「・・・うわ」
そこに、生まれたままの―――いや、もういいか。排水量15200t、全長129.6m、全幅:22.9m。戦艦朝日が鎮座ましましていた。
朝比奈という船は見つからなかったからこれなのか、単に探すのが面倒だっただけか。
キョンは苦笑して画像を閉じた。この反応を見る限り、長門の興味はNAGATOフォルダの方に行ったらしい。
―――計算通り!
「? どうしたんですかキョンくん。新世代の亀みたいな顔して」
「意味がわかりませんよ」
不思議顔の先輩に苦笑を返して『mikuruフォルダの』設定を変更。隠しファイルを表示する。
―――流石の長門も、まさかみくる写真全てがカモフラージュだったとは気づかなかっただろう。いや、これはこれでいいものだが。
mikuruフォルダの中にあらわれたのは、N.YUKIフォルダ。
甘いぞ長門。あの日、閉鎖空間で見たこの文字にどれだけ力づけられたかおまえは知らないだろう? 俺の中で、どれだけおまえの名前が重要かなんて気づかなかっただろう?
俺が、おまえの為のフォルダにNAGATOなんて名前をつけるはずは無いのだ。
「―――そう」
「え?」
呟きに顔をあげる。いつも通りの長門の顔が目に入る。こっちを見つめ、少し顔を上気させた表情で、口元を本の僅かに緩めていて。
「・・・っ!」
ガタリと音を立ててキョンは立ち上がった。
視線の角度が変わり、さっきまで机に隠れて見えなかった長門のスカートと腿が見える。
・・・そして、その上に乗せられた彼女専用のノートパソコンと、チカチカ明滅する無線LANポートのランプも。
「ぅお!?」
慌ててディスプレイに目を移すとマウスから手が離れているにもかかわらずポインタがツツツ、と移動している所だった。静止する間もなくフォルダが展開される。
ファッキン、もとい、ハッキングか!
「一つ一つの隠蔽が甘い。側面部からの視線対策も眼球の動作欺瞞も甘い。だから私に気付かれる侵入を許す―――」
ショックで硬直した俺に、長門はぽそっと呟いた。
「でも、私の内部へ侵入も許可しているから、これでおあいこ」
「ふぇ!? キョ、キョンくん!?」
「ほ、ほら、あれですよ朝比奈さんッ! 心に踏み込むのを許可してるって事ですよ! 打ち解けてるとかそんな感じのニュアンスで―――」
「違う。肉体的な問題」
「ふぇえええええ!?」
「ほぅ、その辺り詳しく聞かせてもらえませんか?」
「詳細に権限を説明する。彼のいんけ―――」
「ストーーーーーーップ! 女の子がそんな事を言い出すのは非常に良くないッ! あと、どっから出てきた古泉!」
びしぃぃぃっと指を突きつけられ、古泉は少し乾いた笑みと共に両手を広げ肩をすくめて見せた。
「・・・いえ、普通に最初から居たんですが」
部室を、やるせない風が撫でる。
「・・・その、すまん」
「気にしないでください。僕にもあなたの内部への侵入を許可していただければ許しますよ?」
「ひゃっ!」
「朝比奈さんはいい加減に人を疑う事を覚えてください! 長門! B!L!B!L!とか叫びながら腕を横に振るのはやめなさいっ!」
ハルヒが居ないのにこの騒ぎ。まったくのこと、やれやれだ。あんまり俺を追い詰めないでくれよな、長門・・・
あと、進入許可の件は了解した・・・!
余談だが。
いつの間にかデスクトップに出来ていたHAHIRUフォルダ。
俺はこれを見るべきなのだろうか。さっさと全消去しておくべきなのだろうか―――