−真神学園 3−C教室−

新学年を迎えたその日、新宿真神学園は大いに騒がしかった。

数週間という短い春休みも終わり、再び活気を取り戻したに久しぶりに会えた友人、恋人、憧れの人・・・

再び始まる退屈な日常を誤魔化すかのごとく再会を喜び合う若者たちの中にあって更に際立ってにぎやかな教室がある。

3年C組・・・個性派揃いの真神学園の中にあってさらに個性的な生徒を大量に抱えるそのクラスが、今日は一段と騒がしい。

「ねぇねぇ聞いた!?今日うちのクラスに転校生が来るんだって!」

「うそ!聞いてないよ私!?」

付け加えるならば、今日の今日まで誰も転校生が来るなどと言う噂を耳にしていなかったこともその騒ぎに拍車をかけていた。

「どんな人だと思う?」

「かっこいい人だったらいいね!」

「あれ?わたし、女の子だって聞いたよ?」

「えー?あたし、男子だって聞いたけど?」

 かしましいことこの上ない。

 そんな中。

 がらり。

 と、教室の扉を開けて見事な金髪の女性が入ってきた。

深紅で、しかもあまりにきわどすぎるその服装はどう見ても教師とは思えないが、瞳に宿る理性の光はその印象を帳消しにして余りある威厳を彼女に与えている。

 女性の名は、マリア・アルカード。前述したとおりとても教師には見えないが受験を控えた3年生のクラスの担任を受け持つほどの信望厚い導き手だ。

Good Morning EverybodyHRに入る前に、今日からこの真神学園で一緒に勉強していく新しいお友達を紹介します」

 どちらも流暢な英語と日本語の挨拶を合図に廊下で待っていたらしい人影が教室の中に姿を現した。ゆっくりと教壇に立ったその人影は黒板にやたらと難しい漢字を四つ書き上げる。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 さして広くも無い教室の中に集った男子、女子、教師。その3者の視線はそれぞれの微妙な熱でもってただ一点に集約した。

 共通するのは、品定めという目的。そして。

「緋勇龍麻です。一年間よろしくお願いします」

 生徒たちにとっては重要な、そして奇妙な疑問。

「あ、あの・・・女の子・・・ですよね?」

「ええ、もちろん」

 おそるおそる尋ねた少女の問いに転校生は後ろで束ねた髪を軽く揺らして首をかしげる。柔らかなラインを描くその体つきは明らかに少女のそれだ。

「・・・・・・」

 だから、次の・・・そして本命の質問が放たれるまで数秒の沈黙があったのは、無理もあるまい。

「・・・なんで学ラン着てんの?」

 そう、少女は黒い学生服を着ていた。男物の、それもずいぶんと大きなサイズのものの袖を折り返して無理矢理に。

「あー、それはねー・・・」

「あ!左の目の色、赤い・・・!」

 答えかけた言葉を違う生徒の声がかき消す。

「ねぇ、趣味!趣味は!」

「可愛いじゃんよおい!」

「誕生日教えて!」

「どこから来たの!?」

 一度堰が外れてしまえばそこは健康な若者の群れ、質問が尽きるはずもない。そもそも今回はその中心にいる少女が特徴的過ぎる。

「ひとつずつ!ひとつずつじゃないと答えようがないってば!」

 やや慌てた様子でばたばたと手を振っている転校生の少女には、パッと見で目立つ特徴が三つあった。

一つには可愛い系の整った顔立ち。二つに、左が紅く右が黒い瞳。そんな少女がとどめに男物の制服を着ていれば、それは目立つ。

「ん〜、順番で答えるね。まずは目だけど、事故で片目やっちゃってね。赤い方は義眼なのよ」

 ざわりとどよめいた教室の雰囲気に龍麻は慌てて手を振って見せる。

「あ、でもこれ凄いんだよ?最新型で赤外線やらなんやら探知して暗いとこだろうが遠かろうがばっちり見えるし必殺のビームだって・・・」

『ビーム!?』 

 教室中から放たれたつっこみに龍麻は重々しく首を振った。

「出せたらいいなぁ、と」

「・・・・・・」

 しらーっとした視線に笑みを返しながら龍麻は自分の襟元を軽く指差す。

「ちなみに制服に関しては女子が学ラン着てはいけないっていう校則はないんでごり押ししてみました〜こっちの方が好みなのよあたし」

 楽しげな声に生徒たちは何やらわからないままに納得してしまう。

(なんか・・・変なのが転校してきた・・・)

 という本人の強烈な印象の前に多少外見が特殊だという事実が霞んできたのだ。

「えっと・・・名前はひゆう、たつまさん・・・でいいんだよんね?」

「うん。言いにくい、かな?」

 龍麻の返答が一瞬だけよどんだのに気付いたのは教室内でも僅かだっただろう。

「前の学校で呼ばれてたあだ名とかはないんですか?」

 そして、そう聞かれた龍麻の色の違う双眸が、一秒の数分の一という瞬間だけ、悲しみの色に染まったことも。

「あだ名・・・前の学校でのあだ名は・・・ひーちゃんって、言うの」

 波乱のHRは大分延長して終了した。

HR後の休み時間15分に加え1時間目の授業時間すら数分削って行われた大質問会は最後にはミニ人生相談のような様相を呈し、み○もんたのものまねで悪乗りする龍麻をマリア教師が叱りつけることで(後に龍麻事件1号と認定される)ようやく授業が始まるという暴走ぶりを見せた。

たまたま1時間目がマリアの受け持つ英語でなかったらもっと大事だったかもしれないが、龍麻のプロフィールを時間を忘れるほど熱心に聞いていたのはマリア本人なのだから誰も文句の言いようがない。

「では今日はここまで・・・GoodBye

そんなこんなでようやく授業を1時間終えた龍麻はふと視線に気付いて隣の席に顔を向けた。

「あ・・・」

 とたん、こちらをやや呆然とした顔で眺めていたらしい少女が顔を真っ赤にして俯く。

「?」

 龍麻はきょとんとして少女を眺める。

 美人だ。いままで龍麻が見た女性の中では五本の指に入るであろう。ちなみに毎朝鏡の中で会う顔に関してはその五本に入っていない。

 スタイルも抜群に良く、とどめに授業中の受け答えを聞くに頭脳の方も相当優秀であるようだ。

(あえて言おう!神様は不公平であると!)

 龍麻はちょっとだけぼやいてからにっこりと微笑んで見せる。

「どしたの?確か・・・クラス委員兼生徒会長の美里さん、だっけ?」

「あ、はい!さっきは、その、すぐに授業になってしまったので挨拶も出来ずにごめんなさい。私は美里葵っていいます。美里は美しいにふる里の里、葵は葵草の葵です。これからよろしくお願いします」

 やや狼狽したままぺこりと頭を下げる葵に龍麻は『可愛いなぁ』などと思いながらパタパタと手を振る。

「落ち着いて落ち着いて・・・別に登校してくる途中にパンをくわえて走ってたらぶつかったとかそういうドラマチックな出会いでもなし」

「うふふ・・・緋勇さんったら。でも、そうね・・・そういうのじゃないんだけど・・・どこかで、あなたと会ったような気がするの・・・」

「・・・・・・」

 自分でもよくわからないといった様子で首をかしげた葵に龍麻はほんの一瞬だけ全ての表情を消した。だが、すぐに元通りの明るい眼差しに戻り肩をすくめる。

「ふふ、じゃあ運命の出会いなのかもね。仲良くしましょ?」

「ええ・・・縁あって同じクラスのお隣になったのですもの。これから一年仲良くしましょう」

 そう言って二人が笑みをかわした瞬間だった。

「あ〜お〜い〜!」

 元気すぎる声が、小柄な身体と共に降って来た。

 いや、実際には駆け寄ってきて葵に飛びついただけだったのだが、勢いとしてはそんな感じであったのだ。

「葵もやるね〜、早速転校生クンをナンパにかかるとは!お堅い生徒会長殿もようやく男の子に興味を持ってくれたか〜。うんうん!いい傾向だよ」

「小蒔ったら・・・そんなのじゃないし、第一緋勇さんは女の子よ?」

「そ。あたしは女の子。でも恋愛と性別は必ずしも同一線上にはないわよ?」

 さりげない爆弾発言に葵はもちろん、言い出した小蒔も密かに聞き耳を立てていたクラス中の生徒も硬直する。

「え?あ、あの、転校生クン・・・それって・・・」

「あっはっは。この程度の切り替えしでうろたえてるようじゃ芸人としてはせいぜい公民館レベルね!とてもじゃないけど灘波花月には立てないわよ!?」

「いや、別に立つ気もないんだけどなー」

 呟いて小蒔は苦笑する。ちなみに、灘波花月とは有名な笑いの殿堂だ。

「まあいいや。ボクの名前は桜井小蒔。名前は花の桜に井戸の井、小さいに種蒔きの蒔で小蒔って書くの。弓道部の部長をやってんだ。これから一年ヨロシクね」

「うん、なんだかキャラクターがあたしと似てるみたいで親近感湧くなぁ。よろしく、ね?」

 そう言って差し出した龍麻の手をぎゅっと握って小蒔はふと首をかしげる。

「さっきから思ってたんだけど、ボク、緋勇クンとどこかで会ったような気がする・・・」

「・・・前世で恋人同士だったのかもね?」

 軽快な切り返しに小蒔はあははと笑ってからばっと龍麻の耳元に顔を近づけた。

「あのね?葵ってこう見えても、彼氏いないんだよね。結構声は掛けられてるみたいなんだけれど、全部断ってるし。別に理想が高いって訳じゃないらしいけど。ここは一つ緋勇先生のお力で愛の花園の手ほどきなど・・・」

「ふっふっふ・・・どぉんとまかせておきなさいってば!」

「・・・小蒔、全部聞こえてるわよ・・・」

 呟く葵の顔は再び真っ赤になっている。

「あれ?本当に脈があるのかも」

「!?・・・こ、小蒔〜」

 精一杯怒った顔をしているらしいが、妙に可愛らしいその表情に小蒔と龍麻は顔を見合わせて苦笑してしまう。

「じゃ、緋勇クン、がんばってね!」

OK桜井さん。まっかせといて!」

 パチンと互いの手を打ち合わせてそう言ってから小蒔は身を翻し廊下に飛び出していった。その背中はあっという間に見えなくなる。

「・・・まさに飛燕の如き身のこなし、ね」

「あ、あの・・・小蒔が変なこと言って、本当に、ごめんなさい」

 深々と頭を下げる葵に龍麻はパタパタと手をふってみせてからニヤリと笑う。

「いーっていーって。じゃあ、親友の許可も下りたことだし堂々と愛についてでも語ってみますか」

「え?あ、その・・・わ、私、ちょっと用があるんで・・・それじゃ・・・!」

 言うが早いか葵もまた廊下に飛び出して走り去る。かなり早い。

「おお、優等生タイプと思いきや運動神経も抜群とは・・・天は一体何物くらい彼女に与えてるのかしらね〜?」

「そうだな、8か9物くらいじゃねぇか?」

 急にかけられた声に龍麻はくいっと首を傾けて振り向いた。そこに立っていたのは明るい茶色の髪をした少年だ。やや軽薄そうだが、まずいい男と言える部類であろう。

「あんなに顔を赤くしちゃって、可愛いね〜」

 少年は携えていた何やら長いものを包んだ袋で自分の肩を叩いてへへっと笑う。

「よお、転校生。俺は蓬莱寺京一。これでも剣道部の主将をしているんだ。ヨロシクな」

「蓬莱寺・・・これはまた凄い苗字ね」

「おまえが言えるかよ。確か緋勇、だろ?」

「そりゃそーね」

 軽快な軽口の応酬に京一はふと首をかしげる。

「なんだか初対面の気がしねーな。どっかで会ったか?」

(・・・本日三人目の『候補者』さんいらっしゃーい)

 龍麻は心中でだけそう呟いて顔ではにまっと笑っておく。

「惚れた?惚れた?」

「ばっ・・・へへっ、どーだかな?」

 一瞬むきになりかけた自分に驚きながら京一はすぐにいつもの雰囲気を取り戻した。

「まぁいいや。そうだ、一つ忠告しておくが・・・このクラスで平穏無事に過ごしたかったら、目立たないようにすることだな。学園の聖女(マドンナ)を崇拝する奴はいくらでもいるってことだ。特にこのクラスには・・・」

 言って背後を親指で指差す。

「あいつらみたいに血が上りやすい奴が多いしな」

「・・・あたし、一応女なわけだけどそれでも?」

 龍麻の台詞に京一は虚を突かれた様に口をぽかんと開ける。

「そーいやそーだな・・・なんだか男と喋ってるみたいな気分で言っちまったが・・・なんだろな?あの美少年相手じゃあるまいし」

「・・・ふふ、気にしないことね。ともかく忠告さんきゅ」

 同時に鳴り始めたチャイムを聞いて席に戻る京一の背を見送って龍麻はふぅと息を吐く。

(とりあえず・・・第一歩は、上手くいってるみたい・・・か・・・)

 ちなみに、葵と小蒔はたっぷり5分は遅刻して教室に現れた。
「あ、葵って、ボクより、足、速かったんだね・・・」

 とは休み時間中追い掛け回された少女の言葉である。

 授業は大過なく進み、昼休み・・・

「あの、さっきは小蒔が変なこと言っちゃって・・・ごめんなさい」

 そのまま縮んでいきそうなくらい身を竦めて声をかけてきた葵に龍麻は思わず苦笑をもらす。

「そんなにかしこまんないでよ。さっきのはあたしが悪乗りしたからってのもあるわけだし、ね?」

「転校早々、嫌な思いさせちゃったかと思って・・・本当にごめんなさい」

 もう一度深々と頭を下げてから去っていくその背中にひらひらと手を振ってから龍麻はくすりと笑う。

「かーわいったらもぅ」

「オイ、緋勇!」

 思わず呟いた一言が背後から投げつけられただみ声と被さった。

「てめェ・・・転校初日から女ばっかり口説きやがって。目障りなんだよ!」

「あたしに言わせれば旧石器時代から這い出してきたみたいな格好の人間に弥生時代並みの古臭い悪口言われるのは迷惑な上に・・・人を脅そうっていうんならせめて正面から言えって感じだけどね」

 振り向きもせず立て続けに放たれた凶悪な毒舌に思わず鼻白んだ声の主は、顔を真っ赤にして龍麻の正面に回る。案外律儀だ。

「大体てめぇ、なんなんだよその格好は!あぁ!?黙ってねェで何とか言えよ、オイ!」

(面倒くさいなぁもう。こいつが『候補者』だったらどーしよ?んなわけないと思うけど)

「てめぇ、生意気なんだよ・・・!」

 自分の罵声にも反応しない龍麻に痺れを切らした男が肩を掴もうと手を伸ばした瞬間だった。

「緋勇〜!」

 男の声と比べれば涼風のごとき呼び声があたりに響く。

「ちっ・・・蓬莱寺か・・・」

 それを聞いて悔しげに舌打ちをして去って行く男に向けていい加減に手を振って見せてから龍麻は声のほうへ顔を向ける。

 入れ替わりにやって来た京一は去っていく男の背に不審気な一瞥をくわえた。

「ナンだ?佐久間のヤロー」

「うぇるかむ蓬莱寺くん。さっきの奴、佐久間って言うの?」

「ああ。レスリング部だ。中身はあれだが腕は立つぜ?」

 俺には遠く及ばないけどなと言外に主張するその声に龍麻はうんとひとつ頷き立ち上がった。

「声かけついでにちょっとお願い。昼休みの間に校内をざっとでいいから案内してくれる?特に学食と屋上があたしには必要なのよね。きょうはおべんと食べたけど」

「ああ、いいぜ?じゃあ真神学園即席探検ツアーと行きますか!」

−1F職員室前−

 とりあえず下から順番にという龍麻のオーダーどおり一階へやって来た京一はその瞬間激しく後悔した。

「随分殊勝なことだ、お前がわざわざ職員室に自主的に足を運ぶとは」

 今まさに職員室から出てきたばかりの男が、そう言って唇の端を軽く持ち上げて笑う。

「・・・はあ〜、よりによって一番遭いたくない奴に」

「奴、ね」

「いえ、先生に遭えて・・・」

 じろりと京一を睨みつけるのはよれよれの白衣に無精ひげ、おまけに濃厚な煙草の匂いを全身に纏っているという実に冴えない形容詞のつく教師なのだが・・・

「ほぅ、君か。マリア先生のクラスに転入してきた生徒は」

 そう言いながらその教師が自分を見た瞬間、龍麻は反射的に微笑んでいた。

「はい。緋勇龍麻です」

(むー?なんだろ?味方・・・そんな気がする・・・)

「・・・緋勇・・・?女・・・なのか?」

「はい。なんていうか、生物学上はそんな感じです」

 教師は一瞬だけ眼鏡の奥の瞳を細めたがふっと笑って首を振る。

「俺は隣のB組の担任をしている犬神だ。まあ生物の授業で顔を合わせることもあるだろうから、しっかり勉強をすることだ。学生の本分は学問だからな」

「・・・そうですね。学生の、本分は」

 龍麻にしてみれば危険球のつもりで放った台詞に犬神は再度笑って踵を返した。

「繰り返すが、しっかりやることだ。こいつを見習うんじゃないぞ」

「・・・余計なおせわだっつーの」

 歩みさる犬神の背を睨んで『こいつ』こと京一が小声で悪態をつく。が、タイミングよく振り返った犬神に一瞥されて硬直してしまった。

「・・・なかなか面白い先生ね」

「ま、まじかよ・・・おまえ、もしかしたらすっげー大物かもな」

− 2F 霊研前 −

 犬神と別れて2階に上がると、龍麻の視界に人だかりが写った。

「ほうらいっち、あれ何?」

「ほ、ほうらいっち!?・・・まぁいいけどよ・・・あれはオカルト研究会、別名霊研ってとこの部室だ。昼休みになるとそこの部長が占いをやるんだが、それが良く当たるって言うんで毎日この状況だ」

 龍麻はふぅんと頷いてその人だかりを眺める。

「あたしも占いは好きなんだけどこの騒ぎじゃちょっと並ぶ気にもならないわね」

「ん〜ふふふふふ〜、その必要は無いわよ〜?」

「な!?う、裏密!?ど、どこだ!?」

 不意に響いた第三の声に京一はバタバタと辺りを見渡す。廊下には龍麻と京一、そして霊研に並ぶ女子生徒しか見えない。

「こ〜こ〜よ〜」

「うぎゃぁあっ!」

 慌てて辺りを見回す京一の背後からひょいっと小柄な少女が歩み出た。

「・・・あの、ついさっきまでは誰も居なかったんだけどな・・・」

 龍麻はやや呆然と呟く。

(あたしの『特別製』の左目を誤魔化すなんて人間に出来るの?)

 心中の呟きを知ってかしらずか分厚い眼鏡越しの少女はにぃ〜っと笑って龍麻の方に向き直る。

「あなたが〜転校生の緋勇龍麻さんね〜。私ぃ、魔界の愛の伝道師裏密ミサちゃ〜ん。霊研の部長をやっているの〜。霊研は迷える子羊〜たちにアドバイスを与える場所〜あなたが迎えるであろう困難にも〜救いの手をあげられると思うわ〜」

「・・・その困難が、どんな類だとしても?」

 龍麻のやや鋭い声に裏密は嬉しげな顔で抱えていた人形を抱きしめる。

「もちろん大歓迎〜ミサちゃん嬉しい〜」

「まぁ今は困ってないけどね。あ、そだ。あたしと蓬莱寺君の相性でも占ってもらおっか?」

「な、なにぃ!?」

 裏密の出現以来硬直していた京一が今度は別の意味で驚愕した。

「う〜ふ〜ふ〜・・・相性はば〜っちり〜。でも恋愛と言うより親友〜」

「へぇ、やっぱ当たるんだね。裏密さんの占い」

「ひ、緋勇・・・ひでぇぜおまえ・・・」

 

− 3F 廊下 −

「まったく・・・純真な少年の心をもてあそぶなんてたいした悪女だぜ」

「悪女・・・いい響きね。やっぱり女に生まれたからには目指してみたいわ」

 にこっと微笑んだ笑顔の可憐さとずいぶんギャップのある台詞に京一は思わず苦笑する。

「さて、3階は・・・特に紹介するようなとこはねぇな。俺たちの教室もあるし嫌でもわかるとこばっかだ。ちなみに屋上へ行く時は校舎の両端にある非常階段からな」

「そっか。うん、大体把握したよ。ありがとね、蓬莱寺くん」

 龍麻はそう言ってぺこりと頭を下げた。京一はおぅと頷きかけてからふと腕組みをして考え込む。

「どしたの?」

「なぁ緋勇・・・この学校の図書室の秘密・・・俺と追い求めてみないか!?」

「・・・ひょっとして、高いとこの本を取ろうとしてる女の子の下着が覗けるとかそーいうやつ?」

 徹底的に焦らしてからと思っていたオチをあっさりと言い当てられた京一の顔を一筋の冷や汗が流れる。

 心なしか、龍麻の視線が鋭いような・・・

「蓬莱寺くん・・・」

「お、おう」

 龍麻は静かに瞳を閉じ、一瞬して大きく見開く。

「行くわよっ!さぁ、夢と浪漫のジャキョニーナ(理想郷)にレーッツ、轟っ!」

「行くのか!?」

 驚愕する京一に龍麻はぴっと人差し指を立てて見せた。

「嘘だけどね」

「嘘かよ!」

「だってあたしってその気になれば女の子の裸眺め放題だし。っていうか家で鏡見ればいいわけだし。あ、見たい?見たい?」

 にんまり笑って擦り寄ってくる龍麻に京一はうっと呻いて後ずさる。

「あはははは、蓬莱寺くんは可愛いなぁ」

「くっそぉぉぉぉ!ホントに襲うぞぉぉぉ!」

 頭を抱えて京一が叫んだ瞬間だった。

「廊下のど真ん中で一体何を叫んでんのよ!」

 鋭い声と共に分厚いファイルが京一の頭を直撃する。

「痛ェ!・・・ってアン子!」

 顔をしかめながら振り返った京一は背後に仁王立ちしていた眼鏡の少女を見てその場を飛びのいた。

(悪ぃ緋勇!こいつは苦手なんだ!悪いが案内はここまでだ!後は任せたぜ!)

(はいはい、貸しひとつね)

 小声でそう言って走り去る京一に後ろ手で手を振って龍麻は苦笑する。

「あっ、こら京一!・・・もぅ、逃げ足早いんだから」

「えっと、蓬莱寺君に何か用でもあったの?眼鏡が知的なお嬢さん?」

 冗談のような台詞だったが、烈火のごとく憤慨していた少女は人が変わったかのようににこやかになって龍麻のほうに向き直った。

「おっと、あの馬鹿に気を取られて本命を忘れるところだったわ。・・・あなたが今日転校してきた謎の転校生さんよね?」

「・・・なんか、炎の転校生みたいでかっこいいね、それ」

 龍麻はややあきれながらもそう呟いて頷く。

「あたしは遠野杏子。真神学園新聞部の部長よ。とは言っても部員はあたし一人だけどね」

「あたしは緋勇龍麻。知っての通り転校生よ。よろしくね?」

「お、なかなか礼儀正しいでないの。感心感心」

 そう言ってペコリと頭を下げた龍麻に杏子は口に手を当てて驚く振りをする。

「で、感心ついでに今日の放課後、ちょっと時間空けてくれる?色々と聞き出したいネタ・・・じゃなかった、尋ねたいことがあるのよ」

「・・・素直にインタビューって言おうよ。そだね、別にいいよ?聞かれて困るようなこともなし」

(本当は聞かれたくないことも一杯あるけど・・・まぁ、大丈夫でしょ)

 龍麻の内心を知ってか知らずか杏子はパチンと手を打ち合わせてウィンクをする。

「さんきゅ!じゃぁ放課後になったら教室で待っててね!」

 それだけ言い置いて走り去る背中にひらひらと手を振ってから龍麻は苦笑まじりにため息をつく。

「なんか面倒な話になってきたわ実際・・・でも・・・新聞部か、役に立つかもしれないしね・・・」

− 3―C教室 放課後 −

「緋勇さ〜ん、お待たせッ!」

「ううん、今来たところなの〜」

 元気良く叫びながら教室に飛び込んできた遠野杏子に龍麻はニッコリ笑ってしなをつくってみせた。

「噂には聞いてたけど、物凄い切り返しね・・・笑いを通り越してややシュールよ」

「不条理ネタはあたしの得意技だからね」

 苦笑する杏子に平然と答えて龍麻はカバンを手に取る。

「インタビュー、帰りながらでいいでしょ?この辺の地理に慣れておきたいから近くの喫茶店とか探しつつ・・・」

 そう言って龍麻が教室を出ようとした瞬間だった。

「おいっ、緋勇!ちょっと面ァ貸せや!」

 その細い肩を無骨な手が掴み止めた。

「・・・とりあえず、女の子の体を無許可で掴むの、やめようね」

 龍麻は呟きながらその手を振り払う。

「あんた達佐久間の取り巻きの・・・緋勇さんになんの用よ!」

 杏子はいつの間にか自分と龍麻を取り囲んでいた少年たちを睨んで声を荒げる。

「るせぇな。ブン屋は黙ってな。キャーキャー騒ぎやがって・・・てめぇみたいな女は男に尻尾でも振ってりゃいいんだよ!」

「な、なんですってぇ!?」

相手は学園内でも札付きの不良達である。普通の女子生徒なら怯えて縮こまって当然な状況だった。

まして、遠野杏子という少女はその根本的な部分では気が弱い。今の彼女からは想像もつかないが生まれ持った性格はやや臆病なくらいである。

だが。

「あんた達みたいな小物にいくら脅されたって怖くなんかないわよ!?頭悪いのを数だけ集まってごましてるくせに偉そうにしてるんじゃないわよ!言っとくけどアタシの新聞部は、アンタたちみたいな能無しに売られた喧嘩なら、いつでも買ってやるわよ。そうねえ何ならウチの新聞の見出しを飾ってあげてもいいわね〜」

 内心の怯えを全て打ち消して杏子はまくし立てた。小さい頃にあったとある事件以来身につけた、それが彼女の≫なのだった。

「くっ、こ、てめ・・・」

 不良達は頭、口両方の回転数で杏子にかなわずむなしく口を開け閉めする。

(ん〜、こいつらは小物だなぁ。無視してかえろっかな〜)

 その光景を人事のように眺めながら龍麻が口を開こうとした瞬間だった。

「ちっ・・・てめぇら、使いもロクにできねぇのか」

 苦々しげなだみ声が一足早く響く。

「さ、佐久間さん・・・!」

「すんません佐久間さん・・・このアマが・・・」

 口々に謝る子分達をひと睨みしてから佐久間は龍麻達の前に立った。

「さ、佐久間!アンタ緋勇さんに何の用よ!」

「・・・うるせぇ。どけよ遠野」

 低い声の一言が杏子の動きを止める。いくらチンピラとはいえボスである佐久間の声には子分達とは段違いの迫力があったのだ。

「・・・また女を口説いてやがったのか?緋勇。ずいぶんと女好きじゃねぇか」

「・・・まぁね。少なくとも、いまどきリーゼントで学ランの前を開いて猫背してる古文書から抜け出してきたみたいな不良よりは、ずっと好きよ」

 龍麻は挑発の言葉を口にしながらさり気無く立ち位置を変えて佐久間の視線から杏子の姿を隠す。

「・・・なら、看護婦はどうだ?好きか?」

「看護婦ねぇ。まぁ好きよ。メイドさんとかネコミミとかと同じくらい。人が着てるのもいいし自分で着るのも・・・なかなか趣があるんだなこれが」

 冗談のような本気のような台詞に佐久間は一瞬激発しかけたがすぐに嫌らしい笑いを口に浮かべなおす。

「そうかよ。そんなに好きか。じゃあ仲良くするんだな・・・病院のベッドでな!」

「ひっひっひ、体中痛くてそんなこと考える暇ねぇかもしんねぇけどな!」

「あっはっは、違いねぇ!」

 もう何度も使った脅し文句なのか、佐久間の言葉にへつらうように子分達が笑った。対照的に、龍麻の顔にはしらけた表情が浮かぶ。

「あのさ、ひょっとして台本とか作ってんの?それ」

「くっ・・・」

 佐久間達の顔から笑みが消えたのは龍麻が怯えていないからか、はたまた指摘が図星だったのか・・・

 あるいは両方かもしれない。

「緋勇・・・てめぇ気にくわねぇんだよ。ちょっと付き合ってもらおうか。まぁ嫌だと言っても無理やりきてもらうがな」

「やっと本題ね。まったく、あんた達は頭悪いんだからもっとストレートに話してくれないかなぁ」

「だ、駄目よ緋勇さん!こいつはこう見えても!」

 慌てて龍麻の袖を引っ張る杏子の頭を龍麻はぽんぽんと叩いた。

「大丈夫。心配してくれてありがとう、遠野さん・・・あ、悪いけどインタビューはまた今度ね?」

 紅と黒の瞳に見つめられた瞬間、杏子は何も言えなくなってしまう。強烈な安心、信頼・・・自分でも理解できない感情の奔流があふれてきたのだ。

「・・・ついて来い緋勇」

「はいはい・・・ちゃんと付き合ったげるから制服さわんないでくれる?」

 不良たちに囲まれて去っていく龍麻を呆然と見送った杏子はたっぷり十秒かけてその高回転型な思考エンジンに再点火した。

(まずいわよ・・・佐久間って確か新宿でも5本の指に入る実力だって話よね・・・アイツを抑えるだけの実力があるのは・・・)

 忙しく思考をめぐらしてから杏子はひとり頷き、猛然と走り出した。

 彼女にしては珍しく、損得を完全に抜きにして。

 龍麻がつれてこられたのはやはりと言うかなんと言うか、体育館の裏の空き地であった。職員室から遠く離れたそこは、教師の目が届かない不良の聖地である。

「へっへっへ・・・こんなとこまでついてくるなんて馬鹿な奴だぜ」

「すっかり忘れてたけどこいつって女じゃん。しかも結構いい女だぜ・・・」

「ああ、楽しみが増えたな。ひひひひひ・・・」

 佐久間の子分達は口々に勝手なことを言いながら龍麻を取り囲んだ。佐久間本人はその囲みの外から満足げにその様子を眺めている。

「あのさ、結局のところあたしをどうしたいわけ?」

「へっ、この学園の流儀ってやつを教えてやるんだよ」

 佐久間の言葉と共に不良たちが一歩前に踏み出した。

「・・・あたしに言わせればあんた達こそこの学園の流儀から外れてると思うけどね」

 実際、真神学園の生徒はその大半が好感の持てる人格を有している。むしろ佐久間達のような不良の方が少数派なのだ。

「その強気な態度がいつまで持つか・・・試してやるぜ・・・おいおまえら、適当にかわいがってやんな」

 佐久間の号令で不良達はいっせいにメリケンサックや木刀、鉄パイプといった武器を構える。

「へへへ・・・安心しな。顔は殴んねぇからよ」

「腕も一本は残しといてやるよ。色々ご奉仕してもらわねぇとなぁ?」

 剣呑な雰囲気な中、不良たちが龍麻に襲いかかろうとした瞬間。

「おいおい、転校生をからかうにしちゃあちょいとやり過ぎじゃねェのか?足元がこう騒がしくっちゃおちおち部活サボって昼寝してなんかしてられねェな」

 その陰湿な空気を全て打ち払うような涼やかな声が頭上から降ってきた。

「・・・あ、ほうらいっち。起こしちゃった?」

 龍麻は頭上を見上げてにやりと笑う。

そこにいたのは、蓬莱寺京一だった。大木の枝に寝転がり、面白がるようにこちらを見て笑っている。

「よっ・・・と」

 軽い掛け声と共に京一は数メートルの高さを感じさせぬ軽やかな動きで龍麻の隣に飛び降りてきた。

「やれやれ、こうあったかいならよく眠れると思ったんだけどなァ」

「あはは・・・木の上で昼寝とはまた風流だね〜」

 自分の軽口に平然と答える龍麻をちらりと眺めて京一は内心で首をひねる。

(なんだ?こいつの落ち着きは・・・まるで俺がここにいたのに最初から気づいてたみてぇじゃねぇか・・・)

「おい蓬莱寺!てめぇ転校生の味方すんのかよ!」

 佐久間の声で我に返った京一は担いでいた木刀をぶんっと振ってから不敵に笑った。

「不細工な男と可愛いおねェちゃん、どっちの味方って言われりゃ答えは決まってんだろ?佐久間さんよ」

「ちっ・・・蓬莱寺、てめぇは前から気に入らなかったんだ。スかした顔しやがって!おまえら!二人一緒に痛ぇ目にあわせてやれ!」

「緋勇!俺の後ろに居ろ!側から離れんなよ!?」

 その言葉を皮切りに、佐久間の子分達は一斉に二人へと襲い掛かってきた。京一は龍麻を守ろうと一歩踏み出し・・・

「蓬莱寺京一っ!手間をかける必要は無い!壁を、どけなさい!」

 背後から投げかけられた澄んだ、だが抗いがたい威圧感のある声にビクリと体をふるわせた。

(壁?どける?)

 頭の中で繰り返した京一の視界に二つのモノが写る。

 佐久間と、そこへいたるルートをさえぎる子分達。

「くらえっ!てやぁっ!」

 理解するのが早かったか動くのが早かったか・・・気づいた時には既に、京一の木刀は声の主と佐久間をさえぎる子分二人を諸手上段で殴り倒している。

OK!ありがと!」

 倒れる子分達をすり抜けて声の主は・・・龍麻は体重が無いかのように軽やかな動きで包囲網を突破し佐久間に迫った。

(早ぇっ!俺より早いぞあの動き!)

 驚愕しながらも龍麻を追おうとする不良たちを次々に打ち倒しているあたり京一も常人ではない。

「うく・・・」

 瞬きするほどの時間で目の前に迫った龍麻に佐久間は一瞬ひるんでから腰を落とす。自分の腕力には自信がある。いくら素早くとも相手は女、捕まえてしまえば・・・

「うシャアアッ!」

 叫び声と共に佐久間は飛び出した。彼とて仮にもレスリング部の人間だ。そのタックルには並みの不良が束になってもかなわない速さと圧力がある。しかし・・・

「ば!?」

 馬鹿な、と言う言葉すら放てない。飛び掛ったそこに、龍麻は既にいなかった。

「遅いわね・・・!」

 赤と黒の眼光がサイドステップと体の捻りを同時にこなして真横から佐久間を見据える。

「あたしのリズムには、それじゃノれない!」

 気合の声と共に龍麻は右足を踏み出した。

「はッ!」

そして、同じく右の手のひらを指を折り曲げて平らにして佐久間の腹へと叩きつける。

(素人め!効くかよそんなもんが・・・!)

 そう佐久間が思ったのも無理は無い。通常、物を殴る時に踏み出すのは手とは逆の足だ。そこを支点に腰をひねり、蓄積した力でもって打撃を与える。

 そのセオリーを大きく逸脱した龍麻の攻撃を佐久間は素人のそれだと判断した。鍛えぬいた自分の腹筋にダメージを与えることは無いと。

 だが。

「うぎィッ!?」

 それが甘い考えだったと気づいたのは内臓が軋むような痛みを感じてからであった。その細い腕のどこにそんな力があるのかというような衝撃が全身を震わす。

「まじかよ・・・」

 京一は一瞬木刀を振るのを忘れて呟いていた。

(震脚からの捻転・・・拳じゃなくて掌底でブン殴ったのは手首を折らない為か!?)

 驚きの視線が集まる先で、佐久間は腹を押さえてうずくまった。否、うずくまろうとした。

 だが・・・

「征ッ!」

 佐久間の下がった顎を、真下から龍麻は蹴り上げる。86kgの体が、その半分ほどの体重しか持たない少女の足に乗り、軽々と宙を舞った。

「嘘だろ・・・!?」

 それを呆然と見上げた京一の目が、更なる驚愕に大きく見開かれる。

 自らの背よりも高く佐久間の体を吹き飛ばし、ピンと真っ直ぐに、美しく天へと足を向ける龍麻・・・その体に黄金の龍が巻きついているように見えたのだ。

 呆然と眺めるうちにその龍は体中に幾つもの星を纏わりつかせ、まばゆい光と共に天へと駆け上っていく。

(な、なんだ!?今のは!?)

 京一は木刀を握っていない左手で目をごしごしとこすり改めて龍麻を見た。だが、そこには龍も、星も、光も既に無い。いや、そもそもさっき見たものが現実であるかすら定かでない。

「さて、と」

 その視線に気づいているのかいないのか、龍麻は上げていた足をようやく下ろし、軽い笑みと共にまだ京一に倒されていない不良たちを眺める。

「まだやるの?あんた達のリーダーはこれ以上無い位豪快に気絶してるけど?」

「ひ、ひぃいいいい!」

「化け物だ!」

 残った不良達は逃げだした。元より量の少なかった勇気を完全にすり減らして。

「・・・成る程な。わざわざ佐久間に止めをさしたのは無駄な戦いを避けるため、か」

 京一は呟きながら木刀を袋に納め、あっと声を上げた。

「おい、佐久間の奴気絶してねぇぞ?」

「そーみたいね。さっきのはあいつら脅すためのはったりよ。まぁ、これ以上戦えないから同じことだけどね」

「く・・・てめぇら・・・ぶっ・・・殺してやる」

既に戦闘態勢を解いてくつろいでいる二人を狂気じみた怒りを乗せた眼で睨み佐久間はよろよろと立ち上がる。

「ん〜、ちょっと手加減しすぎたかしらね。一応しばらくは立てないくらいのダメージを見積もってたんだけど・・・意外に頑丈ね、君」

「あ、あれで手加減してたのかよおい・・・やめとけ佐久間。おまえにかなう女じゃねぇぜこいつは」

 京一の半ばあきれたような声に佐久間は顔を歪めて無理矢理龍麻に掴みかかろうとしたが・・・

「そこまでだ。佐久間」

 低く、深い声がその動きを止めた。

「だ・・・醍醐・・・」

 佐久間は呻くようにその名を呼び、現れた巨漢を睨む。

「もう止めるんだ・・・そうすればリンチのことは目をつぶろう」

 そう言って巨漢・・・醍醐雄矢は静かに佐久間を見詰める。身長180センチを超えるその立派な体躯もさることながら、その声が如実に告げていた。

 つまり、醍醐の『格』は佐久間より遥かに上だと。

「佐久間君・・・もう、やめて・・・」

 だが、その醍醐の声よりも強く佐久間を打ちのめしたのはその背後から現れた少女の声だった。

 悲しげな目で見つめてくる美里葵の姿に佐久間は顔を歪める。

醍醐へのコンプレックス、ありえない筈の敗北のショック、それを憧れの少女に見られた恥辱。様々な負の感情が佐久間の心を完膚なきまでに叩き潰していく。

「佐久間!」

「わ・・・わかった・・・」

 醍醐の声に佐久間は悔しげに答えて龍麻達に背を向けた。

その後姿が見えなくなってから醍醐は龍麻に向き直る。

「・・・転校早々、うちの部の者が迷惑をかけてすまなかったな」

「あー、いいのいいの。あたしみたいな奴ってのはどうしたって目立っちゃうから・・・誰かがつっかかってくるのはわかってたからね。その相手が、たまたまあいつだったってだけのことよ」

 静かな笑みで言ってくる龍麻に醍醐は一瞬納得しかけてから首を振った。

「君もあまり無茶はしないことだ。ああ見えて佐久間の実力はなかなかのものなのだからな。今回は京一もいたことだし何とかなったようだが・・・」

「へっ、俺が居なくても多分同じことだったと思うぜ?・・・ん?そういやおまえ、今日はどこに居たんだ?一日姿が見えなかったけどよ」

 ふと気づいて問いかけた京一の問いに醍醐は豪快な笑みを見せる。

「ああ、今日は一日中トレーニングジムに篭っていたからな」

「かぁっ、相変わらずの格闘技オタクめ。そんなんでよくここがわかったな」

 うむと頷いて醍醐は片手を顎に当てた。

「それは美里に感謝するんだな。実際、何事かと思ったぞ。真っ青な顔でジムに駆け込んできて『緋勇さんが、緋勇さんが・・・!』と繰り返すばかりでな。俺は緋勇と言うのが誰かと言うのも知らないと言うのに・・・」

「あ、あの、私・・・アン子ちゃんから話しを聞いて・・・醍醐君を探して来てって頼まれたの・・・アン子ちゃんは京一君を探すって・・・私、緋勇さんが危ないって聞いて、その、頭の中がぐるぐるしちゃって・・・」

 真っ赤になってしどろもどろにそこまで言ってから葵は半ばパニックに陥っていた自分が恥ずかしいのか俯いてしまう。

「ともかく、そういうわけでここへきたんだ・・・おお、そういえばまだ自己紹介をしていなかったな。君と同じ3―Cの醍醐雄矢だ。レスリング部の部長をやっている」

「転校生の緋勇龍麻よ。学ランとか着てるけど一応女の子。よろしくね」

 差し出された手のひらを醍醐はうむと頷いて握り返した。

(ふむ・・・さすがに手のひらはやや皮が厚くなっているな。だが全体にほっそりとしていて柔らかい。これがさっきの強烈な打撃を生み出した手か?いや、衝撃を完全に伝えることが可能なのだとしたら拳自体を鍛える必要は無いのかもしれない。だがそんなことが可能なのか?)

「おい醍醐。いい加減、手ぇ離したらどうだ