「ん・・・?」
壬生紅葉は部屋に入ると同時に呟いていた。午前3時、仕事帰りに立ち寄ったそこの住人は当然寝ていると思っていたからだ。だが。
「あ、紅葉。おはよ・・・」
「おはよう、じゃない。君は昨日精神戦闘をしたばかりだろう?しっかり寝ていなければいけないと指示した筈なんだけどね」
電気の消えた部屋の中、見下ろしてくる険しい顔に苦笑したのは、緋勇龍麻だ。Yシャツ一枚というラフなかっこうで床にペタリと座り缶ビールを片手に窓の外を、夜の街を見下ろしている。
「・・・寝てた。寝てたら、夢を見た」
「!・・・嵯峨野がまだ?」
問いに龍麻は首を振る。
「ううん。ただの・・・ただのっていうのはちょっと違うかもしれないけど、あたしの中から出てきた夢」
ビールを一口、のどの奥へ流し込んで吐息。
「・・・彼が出てきたのよね」
紅葉は応えない。『彼』が誰を表すのか。二人の間では語るまでもない。
「なんか、それで眼を覚ましちゃってさ。たしかに彼はあたしの戦うきっかけだったけど、出てこられるとちょっと辛いかな」
「彼は、なんと?」
自分の座布団に座り尋ねると、龍麻は苦笑交じりにもう一口ビールをすする。
「ごめんって。それと、君は苦しまなくていいって」
暗い部屋の中、龍麻の乾いた笑い声だけが低く低く響く。
「そういう夢がさ、一番辛いよね。実際。いつもみたいに罵倒される夢の方がよっぽど楽だよ」
「・・・自分を責めることは禁止した筈だ。君が自分を否定することは計画にとって大きな妨げになる」
厳しい声・・・知らぬものならばそうとれる声は、しかし龍麻にはそれが自分を気遣う声だとわかる。互いに仮面は外せない。故にその下の素顔を読み取り続けてきた二人だ。
「ああ、なんか、夢使いなんてもんに会ったせいかな。本物っぽく感じちゃってさぁ」
「・・・存外、それが真実かもしれないな。今の君の状態を考えればそれくらいの事は出来るかもしれない」
紅葉の肯定に龍麻は小さく頷いた。そうなら、少しだけ嬉しいと。
「さあ、それを飲み終わったらもう寝た方がいい。まだ朝は遠い」
言われ、龍麻はビールの残りをあおってベッドに飛び込んだ。仰向きにそこへ寝転がり、ちょいちょいと手招き。
「紅葉、えっちなことしよっ」
「・・・・・・」
ニンマリ笑う少女に紅葉は深くため息をついた。額に手を当て首を左右に振る。
「あー、なに?その態度。据え膳喰わないなんてへたれー、へたれー」
「・・・早く寝てしまえ!」
一喝されてぺろっと舌を出す姿にもう一度ため息をつき、ベッドの脇へ移動。
「寝るまで・・・ここに居るから」
「・・・・・・」
龍麻は微笑み、タオルケットを自らの身体にかけた。まぶたを閉じ暗黒に満ちた世界へと素直に言葉を解き放ってみる。
「ありがと。心配してくれて」
「・・・・・・」
紅葉は応えず、ただベッドに寄りかかり座り続ける。
「わざわざ様子を見に来てくれて、さんきゅ」
「・・・いいさ。言っただろう?お互いがお互いを必要としなくなるまで・・・共に居ると」
言葉が途切れ、代わりに規則正しい寝息が聞こえてきた。
「おやすみ・・・」
紅葉は呟き、龍麻がそうしていたように窓の外へ眼を向ける。
夜明けはまだ遠い。今はまだ、闇と夢のみ訪れるとき。いずれ光射すときがくれば、彼女にふさわしい者が彼女を守るのだとしても。
「今は、僕が君を護る・・・」
この夜が、明けるまで。
第五話 追の幕 「ユメノマレビト」 閉幕
第六話 序の幕 「敵」 開幕