「竹中君。スキーなのよ」
「・・・は?」
 生徒会長。つまり自分の上司に当たる瑞穂に元気良く宣言されて竹中正太郎はポカンとした目で彼女を見つめた。
 頭の両脇のダブルポニーが可愛い。大きめの制服の袖を折り返して着ていてそれがまた上級生からは圧倒的な支持を得ている。愛嬌のある顔は色が白く昨今の肌に悪そうな風潮とは全く縁がない。何より目を引くのは青い瞳と陽の光を透かし込んだような金色の髪だ。
 フルネームはミズホ・ロゼ・マイゾノ。仏系ハーフなのである。
「何がスキーなんですか会長」
 不審気に尋ねると瑞穂はえっへんと胸を反らす。大きい。
「今週の土日・・・つまり明日明後日の瑞穂達の予定だよ」
「・・・会長、達?」
 嫌な予感に襲われ竹中は引きつりがちな顔で尋ねてみた。
 六合学園生徒会の生徒会副会長になったのは今年の5月。それからまだ半年なのだが・・・竹中にとっては一生分のトラブルを全てこなしているような半年だったのも確かだ。
「瑞穂達。つまり、瑞穂と竹中君」
「ぼ、僕もですか!?やっぱり!?」
 当然のようににっこりと言い放つ瑞穂に竹中は慌ててくってかかる。
「何で毎回毎回僕が付き合うんですか!この前のブドウ狩りが最終的に何狩りになったか忘れたわけじゃないんでしょう!?忘れてないって言って下さいよッ!」
 瑞穂は「んーっ?」と首を傾げてからちょっと舌を出した。
「ごめん、忘れちゃった」
「・・・・・・」
 壁に向かってブツブツと呟き始めた竹中に瑞穂はぱたぱたと手を振ってみせる。
「まぁまぁ、古いことにこだわっていると、明るい未来は創れないぞっ!」
「あなたに関わった時点でそんな物消え失せましたよ・・・」
 瑞穂はちょっと心外そうな顔をしたがすぐに笑顔に戻った。
「まあいいじゃない。荷物はちゃんと午前中に運んできて貰ったし。竹中君の家から」
「はっ!?」
 驚愕して竹中は生徒会室前の廊下に飛び出した。そこには巨大なリュックが鎮座ましましている。間違いなく、自分の物である。
「任務完了。確かに、引き渡しましたぜ」
 低い声に振り返るが一塵の風だけが廊下を舞っているだけだ。
「ちなみに今のは諜報部の津上君だよ」
「どういう部何ですかそれは・・・」
 がっくりと肩を落とした竹中はリュックを持って生徒会室に戻った。
「瑞穂の荷物は朝から置いてあるし後は行くだけだね。今日の執務をさっさと終えてレッツゴー雪山!」
 元気良く小さな拳を突き上げる瑞穂の隣にふっと背の高い男が現れた。
「会長、そういうわけには行きません」
 無表情に瑞穂を見下ろすのは、もう一人の副会長である倉山定信だ。六合学園の生徒会は会長一人、副会長が学年別に2人、書記会計その他が多数という構成で成り立っている。
「倉山君、なんで?」
 首を傾げる瑞穂に倉山は淡々と言葉を紡ぐ。
「明日、例のエアコン爆発事件について会議を行うとの通知がありました。これから先暖房の有無は死活問題故、異例の休日『出勤』をお願いしたいとの事です」
「えーっ!?倉山君出といてよー」
 頬を膨らます瑞穂に対し倉山は眉一つ動かさず首を振る。
「駄目です。先方より会長の出席が要請されています」
「うーっ・・・」
 瑞穂が口を尖らして唸るのを見て竹中は内心歓声をあげた。これで危険は回避された!のんびりと週末が過ごせるんだハレルーヤッ!
「うん、決めた」
 そんな竹中をよそに瑞穂はぽんっと手を打った。
「倉山君、担当の先生は?」
「中村氏です」
「じゃあ中村先生に修理費はこっちで持つって伝えといて。ごねるようだったら『ファイルCを公開する』って言えば一発だから。修理費は・・・」
 言ってにっこりと笑う瑞穂に倉山は重々しく頷いてみせる。
「・・・『例の』予算ですな。了解致しました会長。それなら問題有りません」
「無いんですか!?」
 思わずつっこむ竹中だが2人は全く取り合ってくれない。
「じゃあそういうことだからよろしくね倉山クン」
「はい。よい週末を」
 
 ミズホ・ロゼ・マイゾノ。
 学内でもトップクラスの秀才、美人、運動神経を誇ると共に・・・いや、それ以上にある一つの要素で知られている。
 『ど外道』の舞園と。


 ひゅぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!
 呆然と立ちすくむ瑞穂と竹中を横殴りの激しい雪が襲う。
「雪・・・よく降るね」
「・・・普通、こういうのを吹雪って言います」
 ぽつっと呟いた瑞穂の言葉に竹中は引きつった顔で答える。
「竹中君、ここどこ?」
「・・・知りません。教えようがありません」
 無愛想な返事に瑞穂は一歩後ずさった。
「ここがどこなのか瑞穂には教えられない!?ま、まさか!竹中君ってば瑞穂を誘拐する気ね!?嗚呼・・・呼べど助けも来ないような雪山に男の欲望が牙を剥く!か弱い美少女生徒会長を押し倒してその猛り狂う獣欲を汚れ無き少女の体にそそぎ込む気なのね!」
「際限なく人聞きの悪いことを言わないで下さいっ!」
 怒鳴られて瑞穂はぺろっと舌を出した。
「やだなあ、軽いお茶目よん」
「・・・吹雪の中、食料も持たず今居る位置もわからない。日もとっくに暮れて寒いことこの上ない・・・こんな状況でよく冗談言ってられますね!?」
 青筋を立てる竹中に瑞穂はカラカラと笑ってみせる。
「あはは、なんか遭難みたいだね」
「遭難してるんですよ!」
「そんなに興奮すると体に悪いよ?」
「会長が落ち着き過ぎなんですよぉっ!」
 叫んでから竹中はがくっと肩を落とした。
「終わった・・・今度こそ、おしまいだぁ・・・」
「あらら。あきらめたらそこで試合終了だよ?」
「監督・・・バスケットがしたいです・・・!」
 反射的にボケ返した竹中の額を瑞穂はつんっとつついてみる。恨みがましい視線を返す竹中ににっこりと微笑んでから瑞穂は辺りを見回した。
「まあいつまでも吹雪いてるわけでもないだろーし、取り敢えずあそこの洞窟で暖をとろうよ竹中君」
「・・・はい」
 二人はスキーを外して肩に担いで洞窟へ向かう。あまりの積雪量にスキーが埋まってしまい板がもう滑らないのだ。

「ううううう、死ぬかと思いましたよ本気で!」
 洞窟・・・と言うか深めの窪みというか・・・の奥に座り込んで竹中は溜息をついた。あまり広い空間ではないが吹き付ける雪が入ってこないくらいの深さはある。
「取り敢えず火でもつけよっか。竹中君、薪拾ってきて」
「・・・どこからです?」
 半眼の竹中に瑞穂はにっこりと微笑みかける。
「もちろん、そこの林だよ。なるべく芯まで湿ってないやつにしてね。乾かすのに時間かかっちゃうから」
「吹雪いてるんですよ!?数メートル先も見えないんですよ!?」
「あ、それはだいじょぶ」
 瑞穂はそう言って背負っていた黄色いリュックサックをごそごそと漁った。
「ロープがあるから腰に巻いてってね。10メートルくらいしかないからそう遠くには行けないけど薪くらい拾えるでしょ?」
「・・・その用意の良さが何故遭難の回避に繋がらないんでしょう・・・」

 パチパチと薪がはぜる音だけがその狭い穴蔵を包んでいた。
 雪で湿った木の枝でもしばらくあぶってやれば火が付くようになる。竹中の着替え用シャツという貴い犠牲を払って二人は暖をとることに成功していた。二人して火を囲んで座っていると、外が吹雪だと言うことを忘れそうなくらい暖かくなってくる。
「綺麗な火・・・うーん、ろまんちっくだね」
「そうですね。遭難していて明日も知れない身でなければ」
 ぶすっとした顔で呟く竹中に少し首を傾げてから瑞穂はつつつ・・・と彼ににじり寄った。
「な、なんです?」
「寒いから・・・」
 瑞穂は少し俯いて竹中の胸にそっと頭を乗せた。
「か、かかか会長!?」
「これでも、悪いとは思ってるんだよ・・・?」
 呟く声があまりにも弱々しいことに竹中は息をのんだ。
「瑞穂だってやっぱり怖いよ。不安だよ・・・何より、竹中君を巻き込んじゃったのが・・・辛いよ」
 自分に身を預け俯いている瑞穂が小刻みに震えていることに竹中は今になって気が付いた。
「会長・・・寒いんですか?」
「ううん、大丈夫・・・」
 答える声が震えている。瑞穂の体はこんな華奢だっただろうか?そんな思いが竹中の頭をよぎる。
「竹中君・・・瑞穂が死んだら、瑞穂の体は食べちゃっていいからね。それで竹中君が助かるなら・・・瑞穂、構わないから・・・」
「そ、そんな!出来るわけ無いじゃないですか!」
「ううん・・・いいの・・・」
「よくありませんよ!会長は俺が護ります!絶対に俺より先に死なせません!」
 竹中は反射的に叫んでいた。普段雑用を押しつけられてることもあちこちに引っ張り回されては死にそうになってることも頭から消えている。
「ありがとう竹中君・・・でもいいの」
 瑞穂の声から震えが消えた。
「瑞穂は小腹が減ったら竹中君をつまむつもりだから」
「え?」
 竹中が呆然と呟いた瞬間、瑞穂のお腹が「くうっ」と可愛らしく鳴った。
「・・・・・・」
 ゆっくりと瑞穂の顔が竹中の方を向く。無表情に、少し舌なめずりして。
「ちょ・・・か、会長?」
「ゴメンね竹中君・・・いただきます」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 叫んで後ずさりした竹中は背後の壁に後頭部を痛打した。
「くぉぉぉぉぉ!」
  のたうち回る竹中をおもしろそうに眺めた瑞穂がぱたぱたと手を振る。
「あはは。やっぱ竹中君はおもしろいねぇ」
「ぅえ!?さっきの・・・全部嘘ですか!?」
 竹中は痛む後頭部をさすりながら瑞穂に詰め寄った。
「うん」
 瑞穂はにっこり笑って首を傾げた。
「おもしろかった?」
「おもしろいわけないでしょうが!冗談は時と場所を選んで下さい!」
 叫ぶだけ叫んで気が抜けた竹中は溜息をついて寝転がった。喋る者のなくなった洞窟内をパチパチと木がはぜる音が満たす。
 少しふてくされていた竹中の顔の上にすっと何かが差し出された。
「会長?」
「チョコバー。美味しいし栄養もあるよ。瑞穂二本もいらないから一本あげるね」
 のんびりした言葉に身を起こすと、瑞穂は何やらむぐむぐと口を動かしている。
「・・・食べ物、持ってるんじゃないですか」
「うん。瑞穂甘い物好きだからいつも持ち歩いてるんだよ」
 にっこり笑う瑞穂からチョコバーを受け取って竹中はそれを一口囓った。しばらくぶりに口を満たす『味』に幸せがこみ上げてくる。
「ふっふっふ。瑞穂に感謝するんだよ?」
「・・・会長のせいでこうなったんですからこれで五分五分です」
 瑞穂は肩を竦めて鼻歌を歌い出した。
 チョコバーを食べ終わった竹中は再び横になる。
「うんうん。体力は温存しとかないとね」
 瑞穂も頷きながら竹中の隣に横になる。
「・・・会長、くっつぎすぎでは?」
「あ、やっぱり猛り狂う獣欲を・・・」
「しませんよ!」
 ジト目で睨む竹中をよそに瑞穂はさっさと目を閉じてしまう。
「じゃあいいじゃない。火が消えそうになったらちゃんと起きて薪を追加しといてね。じゃ、お休みぃ〜・・・」
 言うが早いか、規則的な寝言を立て始める。
「か、会長・・・なんて寝付きの早さ・・・」
 竹中は呟いて目の前で眠る瑞穂の顔を何とはなしに眺めた。
(やっぱり・・・美人だな・・・)
 心の中で呟いてから慌てて首を振る。
(そんなことを考えてる場合じゃないぞ竹中正太郎!取り敢えずは寝るんだ・・・体力を温存して・・・ともかく明日になってから・・・)
 竹中が眠りについたのは瑞穂に遅れることたったの二分だった。
 人のことは、言えない。

「何だ・・・?」
 首筋にくすぐったさを感じて竹中は目を覚ました。
 洞窟の入り口から朝日が射し込んでいる。いつの間にか夜が明けていたようだ。
 夜中に何度か起き出して薪を追加したがすでに火は消えてしまったらしく、少し肌寒い空気の中で右腕と胸だけ暖かい。
「・・・おわっ!?」
 竹中は硬直した。瑞穂だ。投げ出していた右腕をしっかりと抱え込んで瑞穂が添い寝していたのである。
「ん・・・」
 小さく息をもらした瑞穂はその小さな頭を竹中の胸にくいくいと押しつける。ぴったりと密着した体から体温と何とも言えない弾力が伝わってきて竹中の頭は一気にヒートアップした。
「あう・・・はわっ・・・!」
 はねのけようとした竹中の動きが止まる。
(会長・・・瑞穂さん・・・綺麗だな・・・)
 瑞穂の寝顔を見つめて竹中は真っ白な頭の中でそう思う。即物的と言うなかれ。彼とて16歳の健全な男子なのだ。
 視界の中で瑞穂の顔が大きくなる。
(あれ・・・あれ・・・?)
 いや、竹中が無意識に顔を瑞穂へ近づけているのだ。
 繰り返そう。彼とて健全な16歳なのだ。
(よせ・・・やめろ竹中正太郎!相手は会長だぞ!?そんなことしたら後で何言われるか・・・死ぬぞ!?今度こそ死ぬぞ!?第一そんなことしてる場合じゃないだろ!?)
 だがしかし、しっとりと濡れた艶やかな唇が竹中の『男』を捉えて逃がさない。
(・・・そうだよな。こんな状況だもんな。事故だ。うん、事故)
 あと5センチ・・・4センチ・・・3センチ・・・2センチ・・・
「スケベ」
 ぱちっと瑞穂の目が開いた。
「は?」
 竹中は真っ白な頭を更に真っ白にして呟く。
「やっぱり竹中君ってば狼さんだったのね。瑞穂ショック」
「かかかかかか会長!?もう起きてたんですか!?」
 慌てて飛び起きて後ずさった竹中を見ながら瑞穂は口の前に握り拳を二つあてて目をうるうるさせた。
「竹中君がそんな人だなんて・・・瑞穂、汚されちゃったのね・・・お父様、お母様・・・親不孝な娘をお許し下さい・・・」
「な、何いってるんですか会長!まだ何もしてませんよ!」
 瑞穂はぴたっと動きを止め竹中を見つめる。
「・・・まだ?」
「ぅあっ!いや、そうじゃなくてですね・・・」
 しどろもどろに弁解する竹中をしばらく楽しんでから瑞穂はにっこりと微笑んだ。
「うそうそ。わかってるよ竹中君」
「・・・会長」
「男の子だもんね。体の底から沸き上がる欲望を抑えきれなくなることもあるよね」
「そういう理解は見せなくて結構です!」
 頭を掻きむしって叫ぶ竹中をよそに瑞穂はさっさと立ち上がって荷物を背負った。
「雪もやんだみたいだし行こっか」
「・・・その切り替えの早さ、見習いたいです」
 溜息をついて竹中も立ち上がって荷物を背負う。
 洞窟を出ると、一面の雪が陽の光を照り返して二人を包んだ。雪は深く積もっており一歩足を踏み出すとずぼっと膝まで沈み込んでしまう。
「スキー履いていくのは無理だね。ロープを繋いで引きずっていこう」
「重くないですか?」
「人が乗ってなければこの雪の上でも滑るから大丈夫だよ。さあ、出発!」
 元気のいい瑞穂の声を先導に二人はえっちらおっちら山を下り始めた。現在位置などわかるはずもないので何となくこっちが麓だろうという方向に向かって歩く。
「スキーのつもりがハイキングになっちゃったね」
「・・・こういうのは、ハイキングとは言いません・・・ただの徘徊です・・・」
 脳天気な台詞に竹中は深い溜息と共に答えた。


 数十分が過ぎた。
「あ。人だ」
 ちょっとした崖の前で瑞穂は不意に呟き立ち止まった。
「・・・!」
 少しだれていた竹中は慌てて瑞穂の指差す方に目を凝らす。
 崖下を毛皮を着込んだ男がこちらに背を向けて歩いている。雪山に慣れているのかその足取りは速い。
「い、行っちゃいますよ!・・・おーい!待ってくれ〜!」
 竹中は必死に声を張り上げたが男は気付いた様子もなく歩いていく。 ほんの数メートルの距離と高さが恨めしい。
「うーん、石でも投げてみよっか。よいしょ」
「・・・よいしょ?」
 竹中はふと不安になって瑞穂の方を振り向いた。
「!」
 瑞穂はニコニコしたままで一抱えもあろうかという石を・・・と、いうか岩を高々とリフトアップしていた。
「竹中君、どかないとぶつかるよー」
「それ以前にでかすぎますよっ!」
「そうかな?」
 首を傾げながらも瑞穂はぶんっ!と腕を振るった。可愛らしい細腕から放たれた凶悪な岩塊は唸りをあげて崖下を歩く男を目指す。
 正確に。

 ぼごっ・・・

 音は、鈍かった。

「あ・・・あはは・・・」
 竹中は乾いた笑い声を上げた。この状況で、他に何が出来るというのか?
「え、えっと。取り敢えず見にいこっか・・・」
 さすがに少し冷や汗を流して瑞穂は呟く。竹中は空っぽな笑いを続けながらとぼとぼと崖を降り始めた。

 崖の下に男は倒れていた。柔らかい雪の上に大の字を描いて俯せにめり込んでいる。
「・・・・・・」
 竹中は恐る恐るその肩に手をかけ揺すぶってみた。しかし、男はぴくりとも動かない。

 撲殺。

 二人の脳裏をそんな単語が横切る。
「埋めましょう」
「駄目です!」
 指をピッと立てた瑞穂の提案を竹中は即座に却下した。大声に反応したのか、足下の男がぴくりと動く。
「い、生きてますよ!」
「じゃあ、とどめを刺してから埋めましょう」
「もっと駄目です!」
 再び指をピッと立てた瑞穂の発言を素晴らしい反応速度で却下して竹中はしゃがみ込み男を抱き起こした。
「すいません!大丈夫ですか!?」
「む・・・」
 再び揺り動かすと男は呻きながら瞼を開いた。信じがたい頑健さである。顔は長い年月を経た深みに彩られているがその肉体は引き締まった筋肉で覆われている。その鎧が無慈悲な一撃から男を護ったのだろう。
「い、いったい何だったんだ今のは・・・歩いてたらいきなり背中に衝撃が・・・」
「隕石だね。きっと。打ち所が悪かったら死んでたよ?」
 こともなげに説明する瑞穂を竹中は引きつった顔で見上げた。瑞穂は目だけで『黙っててね』と言い渡す。
「たまたま通りかかったら倒れてるんだもん。びっくりしたよ?」
「あ、ああ。すまんな・・・」
 誤魔化すだけでなく相手から謝罪の言葉まで引き出すとは・・・竹中は心の中で瑞穂への恐怖心をいっそう深めた。
「おじさん、ここで何してたの?」
 瑞穂はニコニコしながらそう尋ねた。
「うむ、儂は・・・と、その前に君たちこそこんな山奥で何をしてるんだ?」
「スキーだよ。でも、昨日の晩から道がわかんなくなっちゃってるの。おじさん、町はどっちだかわかる?」
 首を傾げる瑞穂に男は目を丸くした。
「なんと!君達遭難しておるのか!」
「そうなんです!」
 思わずそう叫んでしまった竹中を冷たい視線が二本捉える。
「竹中君、寒い」
「場の空気はわきまえた方が良いぞ。若いの」
 がっくりとうなだれた竹中をよそに瑞穂は男の袖をぎゅっと握った。
「お願いします!町まで連れてってくれませんか!?このままじゃ瑞穂・・・瑞穂・・・」
 涙ながらに訴える美少女の姿に男の60代ハートは激しくときめいた。
「ま、任せておきなさい。儂が麓まできっちり送り届けてやるからの!」
「ありがとうございます!貴方は命の恩人です!」
 瑞穂は胸の前で祈るように手を組み瞳をきらきらと輝かせた。男は「まかせるがよい!」などと叫びながら大股に歩き出す。
「竹中君、行こ?」
 瑞穂は男に見えないようにVサインを作って微笑んだ。


 数十分も経っただろうか。
「あの・・・」
 男の後ろを歩いていた竹中が不意に呟いた。
「なんだ若いの」
「ひょっとして・・・貴方が担いでいるのは鉄砲なのでは?」
 男は重々しく頷いて肩に担いでいた散弾銃をがちゃっと揺らした。
「いかにも。儂は猟師でな。この辺に熊が出るというので狩りに来たのだ」
「く、熊!?」
 竹中は引きつった声をあげて辺りを見回した。
「はっはっは!怯えるな若いの!これだけ賑やかな集団には熊も近づいて・・・来ん・・・よ・・・」
 その言葉がとぎれとぎれになる。
「・・・熊」
 竹中はぽつりと呟いた。
「熊さんだねー」
 瑞穂も困ったような声をあげる。
 熊。しかもかなり大きい。手のひらだけでも瑞穂の頭くらいあるだろう。何が気にくわないのかしきりにうなり声を上げている。
「猟師さん、出番ですよ・・・?」
 言いながら振り返った竹中は唖然として動きを止めた。
「あの・・・何をしてるんですか?」
 思わず声をかける。
 猟師の男は、雪に沈み込むように寝ころんだままぴくりとも動かない。
「あの・・・」
「しっ!」
 竹中が引きつった顔でもう一度呼びかけると猟師は鋭い声で竹中を制した。
「さ!君たちも早く・・・!」
「あの・・・ひょっとして・・・それは・・・」
 猟師はくわっと眼を見開いた。
「死んだ振りに決まっているだろう!早くせんかっ!」
「あんた猟師でしょうがっ!さっさと撃って下さいよ!」
「いや・・・いろいろと込み入った事情がだな・・・」
 ぶつぶつと呟く猟師に竹中はばりばりと頭を掻きむしった。
「ぐぁぁぁぁっ!もういいです!僕がやります!」
 一声叫んで猟師から散弾銃を奪い取る。
「あ、こら!」
 座った目で熊に突き進む竹中にさしもの猟師も慌てて立ち上がる。
「いかん!撃ってはいかん!」
「知るかそんなこと!」
「わー、竹中君が切れてるー」
 妙に嬉しそうな瑞穂の声を背に竹中は散弾銃のセーフティをパチンと解除する。
「行くぞ熊野郎ッ!」
「あ、何が起こっても竹中君の責任なんでよろしくー」
「わかってますよッ!」
 怯えの欠片も見せずに突進してくる人間に少し戸惑いの顔を見せた熊は意を決したかのようにその右腕を振り上げた。直撃すれば人間の頭など粉々に粉砕するであろう必殺の熊パンチだ。
「悪いが・・・死ねっ!」
 竹中は熊の懐に飛び込み真上に銃口を向けた。
 バンッ・・・
 重い衝撃と共に散弾銃が吠える。
「うろぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 胸から顎にかけて散弾をしこたま喰らった熊は耳をつんざくような絶叫を上げてのけぞりそのままゆっくりと倒れる。ぴくぴくと痙攣したまま動く気配はない。
「見たか熊野郎」
 竹中は低い声で唸って散弾銃を指先でくるっと回す。
「凄いね竹中君。これで『熊殺し』だよ!マス竹中って呼んでいい?」
 ニコニコしたまま瑞穂が近寄ってくる。
「変な呼び方はやめて下さいよ会長・・・それより猟師の人。熊は倒しましたよ」
 声をかけられても猟師は動かない。どこか呆然とした顔で、雪の上に座り込んでいる。
「・・・そんなにショックだったんですか?素人に熊倒されて」
 呟いた竹中に瑞穂はふいふいと首を振った。
「違うと思うよ。多分、聞こえてるんだと思うよ」
「聞こえる?」
 瑞穂は頷いて耳に手をあてる仕草をする。竹中もつられて耳を澄ます。
  どどどどどどどどどどどど・・・
 何か、重い音がする。
「何ですか?この音」
「ヒント1・ここは山です。ヒント2・大雪が降ってました。ヒント3・さっき無茶苦茶大きな音と振動がありました」
 妙に嬉しそうな瑞穂の言葉に首を捻っていた竹中の顔がすっと青ざめた。
「・・・最初に『な』が付きますか?」
 恐る恐る聞いてみる。
「ぴんぽ〜ん!」
 瑞穂は脳天気に親指をぐっと突き出した。竹中の顔が白くなる。
「なななななななななな雪崩っすか!?」
「うん、もちろん。だから猟師さんは銃を撃たなかったんだね」
 陰気な顔で立ち上がった猟師が重々しく頷く。竹中の顔は今や土気色になっている。
「この辺りは地盤が緩く辺りと比べて窪んでいる・・・雪崩が起きやすいし起きたらこの辺りを通るのだ。雪が」
「あ・・・あは、あははははは」
 竹中は笑った。もはや、笑うしかない。
 どどどどどどどっどどどどどどどどどどどどどっっっどど!
 すぐ間近に迫ってきた音に三人は顔を見合わせた。
「に、逃げ場はないんですか!?」
「手遅れだ・・・もはや神にでも祈るしかない」
 どどどどどどどっどっどどおどどどどどどどどどどどどど!
「・・・祈ろっか。竹中君」
「僕の家は無宗教なんです。何に祈ればいいんでしょう・・・」
 二人はゆっくり振り向いた。ほんの数十メートル後ろに白い波が迫る。
「瑞穂はね、竹中君に祈るよ。だから竹中君は瑞穂に祈るといいよ。瑞穂が竹中君を助けてあげるから。・・・竹中君は、瑞穂を護ってくれる?」
 にっこり笑顔を見せて首を傾げる。その顔には気負いも不安もない。
「・・・護ります。命に替えても」
 竹中は拳を握って即答したがその答えに瑞穂は不満そうに唇をとがらせた。
「駄目だよ。竹中君も瑞穂も助からなくちゃ意味無いでしょ?」
 竹中はきょとんとして、それから大きく頷いた。
「わかりました。じゃあ会長をお護りして、自分も何とか助かるよう努力します」
「うん、がんばろーね」
 言って瑞穂は竹中にぎゅっとしがみついた。竹中も力強く瑞穂を抱きしめる。
「・・・儂は、どーしたらいいのだろう?」
 猟師が困ったような顔で青春の炎を燃やす二人を見ながら頭を掻き。
 次の瞬間、雪の激流に三人は飲み込まれた。


「・・・君。・・・か君!起きないと色々しちゃうぞー?」
 混濁した意識の向こうから声が聞こえる。
 竹中は自分の中の深いところから無理矢理引き剥がすようにして意識をはっきりさせて目を開けた。
「あ、起きちゃった。残念」
「何が残念なんですか何が・・・」
 節々が痛むのを我慢して竹中は体を起こした。顔を覗き込むようにしていた瑞穂が笑う気配と共にちょっと離れたところに座る。いつの間にか再び夜になっていたようだ、ちょうど雲が月にかかっており側にいる瑞穂の顔すらよく見えない。
「はい、竹中君の分。起きないから瑞穂が食べちゃおうかと思ったよぉ」
 言葉と共に何かが飛んできた。反射的に受け止めるとそれは昨日の夜にも口にしたチョコレートバーだ。
「瑞穂さん、ずいぶん沢山持ってるんですね」
「あはは、でもそれで品切れだよ。味わって食べてね」
 口の中に物が入ったままもごもごと喋る瑞穂に言われた瞬間、竹中は自分がとんでもなく腹が減ってるのに気付いた。アルミの包みをぴりぴりと剥がして手のひらに収まるほどのそれを大事に食べる。
「それにしても、ここってどの辺なんだろーね」
 瑞穂は小さな声で囁いた。
「さあ・・・ずいぶん流されたみたいですから麓には大分近づいたはずですけどね」
 チョコバーの残りを口の中に放り込んで竹中は辺りを見回す。
 広くなだらかな山肌に二人はいるようだ。見渡す限り雪が続いており、視線の遙か先に灯りが見える。あと数キロもあるけば下山できるだろう。
「そっか・・・歩いて、降りられると思う?」
「はい、体力も大分回復しましたし」
 竹中が答えると、シルエットにしか見えない瑞穂はにっこりと笑ったらしい。
「そっか・・・じゃ、だいじょぶだね・・・」
 呟いて、ぱたりとそのシルエットが倒れる。
「え?」
 竹中は数瞬の間立ちすくんでいた。
 瑞穂はぐったりと倒れたまま動かない。
「か、会長!?どうしたんですか会長!」
 雪を蹴立てて竹中は瑞穂に駆け寄りその軽い体を抱き上げる。折しも上空では風が流れ月がその姿を現した。白く暖かい光が竹中を、そして瑞穂を照らす。
「だ、だいじょぶ。だよ?」
 瑞穂は掠れた声で呟いて笑って見せた。月明かりに照らされたその顔は異常に青白く肌には生気という物が欠けている。とてもではないが、月光のせいだけとは思えない。
「だ、大丈夫って・・・何でそんなに衰弱してるんですか!」
 竹中はそう怒鳴ってから自分の言葉に青ざめた。
 衰弱?
 確かに雪山を彷徨い雪崩に巻き込まれたのだ。自分も疲れてるし幾ら普通の女の子より丈夫と言ったって瑞穂も疲れているのは当然だ。しかしこの衰弱は・・・竹中の予想よりも遙かに酷い。まるで飲まず食わずで・・・
「ま、まさか・・・」
 竹中は自分の唇に触れ、それから瑞穂の唇に触れた。そこから伝わる冷たさにぞっとしながら自分の迂闊さを呪う。
「会長・・・何も食べて、無いんですか・・・?」
 竹中の唇にはさっき食べたばかりのチョコレートが付いている。だが、瑞穂の唇にはそれがない。さっきまで何かを頬張っていたはずなのに。
「あはは・・・細かいこと、気にしちゃ駄目だよ・・・」
「何が細かいんですか!」
 叫んだ拍子に抱きかかえた瑞穂の体が揺れてそのポケットに入っていた物が目に入る。
 薄く剥がされた木の皮・・・少しふやけている。
「あーあ、見つかっちゃったね・・・」
「これを咬んで空腹を誤魔化して・・・昔の兵隊じゃないんですよ!?」
 気付かなかった自分にやり場のない怒りが巻き起こる。
「けっこう持つもんだね。瑞穂も知らなかったよ」
「なんで・・・何でこんな事・・・半分ずつにすりゃいいことじゃないですか!」
 弱々しい動きで、しかしきっぱりと瑞穂は首を振った。
「駄目だよ竹中君。それじゃあ駄目だよ。今朝はまだそれも考えてたけど、この状況だったら残った一本は、竹中君が食べなくちゃ駄目だったんだよ」
「何故です!?」
 瑞穂は、にっこりと微笑む。
「だって、今更食べたって瑞穂は下まで歩けそうにないから。だから、まだ体力がある竹中君が食べなくちゃ駄目だよ。そうしないと、二人ともここで死んじゃうから」
「・・・二人とも助からないと意味無いんでしょ!?会長が言ったんですよ!?」
 知らず涙が出る。自らの不甲斐なさと、自己犠牲という馬鹿なことを言い出した瑞穂への怒りで。
「別にあきらめたわけじゃないよ。竹中君が山を降りて、救助の人を連れてきてくれればいいんだよ。捜索の人とかが居るかも知れないし、二人で降りるよりも助かる確率は高いはずだよ」
「お、置いてけっていうんですか?」
 竹中の表情を見て瑞穂は困ったような笑みを浮かべた。
「竹中君・・・ごめんね」
「な、何を謝ってんですか!会長らしくもない!」
 月は再び雲に覆われたようだ。暗闇の中に瑞穂の声だけが流れる。
「いい?これは命令だからね?竹中君はちゃんと山を降りるんだよ?助からなかったりしたら、化けてでる・・・からね?」
 瑞穂は何とかそれだけ言ってぐったりと竹中の腕に沈み込んだ。
「か、会長・・・瑞穂さんっ!」
 竹中は絶叫しながら瑞穂の体をぶんぶんと揺さぶった。
「い、いつもみたいにからかってるんですよね!?ホントは全然平気なんですよね!?」「・・・・・・」
 瑞穂は弱々しく呼吸を続けるだけで答えてはくれない。
「またですか・・・また、肝心なところでは僕を護って・・・毎回毎回自分が犠牲になってりゃ世話ないですよ!何でいつもそうなんですか!」
 竹中は唇を噛み切りそうなくらい強く噛み締めて立ち上がった。腕の中の瑞穂を少し抱きしめてから歩き出す。
「絶対・・・絶対置いてったりしませんからね。会長・・・先に約束を破ったのは会長の方なんですからね。会長の命令なんて、絶対聞きませんからね・・・」
 膝まで雪に沈み込む雪をかき分けて竹中は下へ下へと歩き続ける。人一人を抱えての下山は体力を豪快に削り取って行くが竹中は半ばキれたまま黙々と歩いた。
 二時間ほど経ち。
「よっしゃ・・・」
 ようやくコンクリート敷きの車道に辿り着いた竹中は疲労の海へと半ば沈んみかけていた。轢かれたりしないように眠り続ける瑞穂を抱えて車道の真ん中に竹中は立ちつくす。
 数分待つと、遙か先のカーブからヘッドライトが迫ってくる。
 ギーーーッ・・・
 スパイクタイヤがアスファルトと雪をかき分けて車を急停車させた。
「な、なにやってんだあんたら」
 車からスキー客とおぼしき人影が降りてくるのを確認してから竹中はがくっと崩れ落ちた。
 極限を超えた疲労が招いた昏睡は、瑞穂と一緒のせいかやけに甘美だった。


「ん〜ん〜んん〜・・・んんんん〜ん〜ん〜ん〜ん〜〜〜んんんん〜ん〜んん〜」
 どこかで聞いたようなハミングに竹中はぼーっとする意識の中で耳を澄ました。
(これ・・・会長の好きなやつだ・・・会長無事かな・・・会長・・・)
「会長!?」
 竹中はがばっと身を起こした。やけに白い部屋に目がチカチカする。
「やっと起きたの?」
 枕元に置いてあった背もたれが無い丸い椅子にちょんと腰掛けた瑞穂がそういってにこっと微笑む。
「あ?え?会長・・・大丈夫なんですか?」
「うん。もうすっかり」
 言って力こぶのようなポーズを取る瑞穂は確かにいつも通り元気そうだ。
「あんなに衰弱してたのに・・・」
「うん。でも3日もたてばそれくらい治るよ。どっちかっていうと竹中君の方が危険だったんだよ?だから置いてけっていったのに・・・」
 瑞穂はツンと唇をとがらせる。ちょっと可愛い。
「・・・会長を置いていけるわけないじゃないですか」
 竹中は柔らかく微笑んだ。心の中に、誇らしさが満ちてくる。会長が思ってるよりも僕は会長のことを大事に思っているんだと。
 だが。
「うん、わかってるよ。そう言っとけば竹中君が普段よりずっと力を発揮するって事もね。結局竹中君が全力を出せる状況って怒ってるときだけなんだよね」
 瑞穂はあっさりとそう言ってあははと笑う。
「な・・・」
 竹中は開いた口が塞がらない。
「今回もドキドキしたね〜」
「何がドキドキなんですか!今回はマジで死にかけたんですよ!?それにあそこで僕がホントに会長を見捨ててたら・・・!」
「竹中君は、そんな人じゃないよ」
 瑞穂はきっぱりと言い切った。その顔がいつになく真面目で竹中はちょっとドキッとする。
「竹中君はそんなことしないって、瑞穂は知ってるよ。だから、竹中君と一緒なら瑞穂はどこへだって行けるよ。どんなことがあったって、絶対大丈夫だよ」
 真っ直ぐな言葉に竹中の顔が熱くなる。
「会長・・・」
「だって、何があったって取り敢えず竹中君を身代わりにしとけば大丈夫そうだし」
 竹中は、ぐったりとベッドに沈み込んだ。今更と言えば今更だが、瑞穂の心の中は竹中などには計り知れない。どこまでが本気なのやら・・・
「はぁっ・・・ぐふっ!」
 溜息をついた腹の上にどんっと紙の束を放り出されて竹中は奇妙な悲鳴を上げた。
「か、会長!?なんですこれ?」
「竹中君がのんびり寝てる間に溜まった生徒会の仕事だよー。学校に出てくるのは明日からでいいから今晩中に全部処理しといてね」
 瑞穂は言うが早いか立ち上がってドアに向かう。
「明日までってこの量じゃ徹夜しなくちゃ間に合わな・・・あ、これ会長の分も混じってるじゃないですか!」
「あはは、じゃあよろしく〜」
 とびきりの笑顔を残して瑞穂は病室から出ていってしまった。真っ白い個室に同じく真っ白に燃え尽きた竹中が残される。
「まったく・・・」
 しばらく惚けてから竹中はペラペラと書類をめくる。やる気は起きないがほっぽりだすわけにもいかない。
「ん?」
 竹中はふと手を止めた。色気の欠片もない無機質な書類の中に一枚だけ可愛らしいメモ用紙が挟んであったのだ。
「なんだこりゃ?」
 手に取ったメモ用紙には丸文字で短い文章が書き込まれていた。

『いつもありがとう。大好きだよ。 瑞穂』

「・・・・・・」
 簡潔な言葉が、かえって瑞穂らしい。
「よぅし!やるか!」
 竹中はメモを大事そうに胸ポケットにしまって書類の山を処理しにかかった。

 結局、幸せ者が一番強いのだ。