蒼天恋歌に寄せて

蒼天恋歌について、ちょっとまじめに語ってみましょう。
読みたい人だけ読んでね(笑)。

ふりがなは「そうてんれんか」
 そういえば、ちゃんとした読み方を公表した事はありませんでしたね。違う読み方でずっと読まれてた人もいるかもしれません。いや、申し訳ない。
 蒼天といえば、結構モンゴル地方あたりが舞台になっているお話などで使われてたりもしますが、まあ、造語として解釈していただいてよろしいんじゃないかと、私は思っています。そのあたりの地方のイメージで私は書いていましたから、もっと明確に文章中で表す事が出来れば良かったんですけどね。なかなか上手く行きませんでした。
 だから、エオナは本当は毛皮の帽子なんかかぶってたりするんですよ(笑)。

真っ白な空の下で
 私的に、絶対に耐えられないでしょうね、こんな環境。ただ、最初にリュミエールが夢に見る炎の星とのミスマッチを考えた結果であったりします。意外性があるというか。色々な星のパターンも考えたんですよ。炎の星のはずが、蓋を開けてみれば氷の星だった。この設定が思い浮かんだ時に、星の氷河期というこのお話のテーマが確立しました。
 星は、地殻変動を起こしたり気候が変わったり、そんな事を繰り返しながら変化をして行きますね。若ければ若いほど、星の動きは活発なんです。他の生物と一緒ですね。そういう事を繰り返して成長し続けながら、星もやがて老いて、大きく、静かになっていく訳です。正直なところ、活動期の惑星の上で生物が生きて行くのは至難の業です。人間あたりは、まず無理。恐竜だってマンモスだって、滅んだんですから。
 この氷河期が来る前の、少し安定した時期に文明を築き上げてしまった人間達のお話が、今回の蒼天恋歌なのですね。
 そもそもそういう時期に人が進化し文明を築き上げる事が可能かというと、それについてはノーコメントと言うしかないんですけどね。しかし、可能性はない訳ではないと思うので、そういう事もありかもね、という感じで考えていただけると有難いかな。

救いのない理由
 エオナ達を助けてあげる事は出来なかったのか? そういう疑問を、多分お持ちになる人もいるんじゃないかと思います。どうせアンジェリークという題材を使ってパロディな小説を書くのだから、幸せに大団円の方が良いじゃないか。そう思う方がいたとしたら、その人の方が正しいかもしれません。私的にもその方が楽だし、書いていて気持ちがいいです。私は本来、人死にだとかアンハッピーが大嫌いな人ですから。
 ただ、結局守護聖の仕事というのは、割に合わない事が多いんじゃないだろうか、と思う部分もある訳です。きっと聖地って、個人ではどうにも抗えないお役所的なところがあると思うんです。でなければ、愛する人と結ばれずに涙を流す女王なんて、存在しなくて済むと思うし。
 仕事において、個人的な感情は許されない。しかし、それは絶対的に必要な制約である訳で。個人を主張するのは簡単です。しかし、それを許してばかりいたら、もっと大切な何かを失ってしまう事になりかねません。だから、いつの世にも個人を黙殺しなければならないような機関が存在する訳です。大きな意味での秩序を守るためにね。私にとって、聖地はまさにその機関の代表であります。ひとりではなく、しかし最低限の人数で、宇宙を統べる聖地。支配するものとされるもの。全てが平等ではいけないのかと言いたいところですが、それでは世界は混沌とする一方なのですね、実際。だからこそ、宇宙を統べる者達には、個人での行動が許されない。しかし、それでも守護聖達は人間であるから、自分達のあり方にいつも疑問を抱いてしまう。この辺のジレンマを、私は、私なりに書き表したかったのです。
 たとえば星を犠牲にしてもエオナ達を助ける方法があったとして、そちらを選んでしまったとしたら、リュミエール達は、その時点で守護聖として終わってしまうんですよ。そういう負け方をして欲しくなかったから、あえて救いの道は作りませんでした。

リュミエールにとっての救い
 エオナ達を救えない分、リュミエールには救いを残しておきました。とは言っても、結局彼は泣く事になってしまう訳ですが、彼が決断を下すための大義名分のようなものを、ふたつほど与えました。
 ひとつは、オスカーという存在。つまり、ちゃんと決断しなければ、オスカーの命が失われてしまうという事実。だから、この場合守護聖であれば誰でも良かったんですよね、本当は。ただ、炎の星というイベントをクリアするにはオスカーでなければだめな訳で、というよりは、オスカーを出すために炎の星の存在をそもそも考え付いたので、この場合は他の人の存在は考えてませんでしたけどね(笑)。
 しかし、多数の星の民の命とオスカーの命を天秤にかけなければならない場合、リュミエールはオスカーの命を、取るだろうか? 守護聖であるオスカーの命が大切なのは当り前。しかし、そんな身内可愛い選択を、リュミエールがするだろうか? それを選んだとして、それこそ個人的な考えの上での行動にはなり得ないだろうか? 多分、どちらも取れずに悩みまくるのが関の山であろうと。
 だから、もうひとつの材料として、どちらを取ったとしても、エオナ達人類は助からない、という全く救いのない結論を用意した訳です。どうせ人類が助からないなら、星自体の存続を考えた方が良いと。人類だけが滅びるのと、人類も星も滅びるのとどちらがマシか、という、至極単純な選択肢です。どうせ、守護聖として選ばなければならない選択肢は決まっているのだから、リュミエールを100%悪者にしないための、これは私の苦肉の策です。こんな策略を張り巡らせてまで、私はリュミエールに残酷な結果を選んでほしかったのですね。守護聖として。

希望を抱き生きる人たち
 結局、エオナ達は、目先の星の暴走を止めてくれたリュミエール達に感謝しつつ、これからを暮らして行く事になる訳です。自分達の未来には滅びしかないなどと、まったく気付かないまま。いつになったら、真実に気付くのか? そうしたら、エオナ達は、嘘をついたリュミエールを恨むのだろうか。
 これからゆっくりと訪れる淘汰は、エオナ達には感知する事が出来ないでしょう。何代もかけて、リュミエール達の存在をまったく知らない世代の更に先の方で、それは決定的になるはずです。だから、更に先を見据えたリュミエールの真実など、もっと分からないはずです。リュミエールの嘘は、ずっとそれを暴かれないままエアローデという星深くに眠るのでしょうね。
 自分達の未来の真実を知らずに、希望に手を差し伸べ生きていくエオナ達は可哀相ですね。ですが、例えば不慮の事故で亡くなる人などは、明日自分が死ぬ事など考えずに、今日を過ごしているんですよ。それこそ、数え切れないくらいの未来の夢を胸いっぱいに膨らませながら。
 人生半ばで道を踏み外してしまった人も、子供の頃には空に向かって両手を広げていたかもしれませんね。そんな未来の自分など、想像すらせずに。
 私たちは、みんなそうです。次の瞬間には何が起こるか分からないこの空間の中で、それでも未来を信じて生きているんです。一瞬を積み重ね、無事であった過去を作り上げながら。私たちがそうであるように、エオナ達もそうやって生きて行くだけです。やはり未来なんて、良かろうが悪かろうが知らない方が良いんですよ。
 まあつまり、そういう事ですね。

最後に
 誰も悪くないから、優しい人が泣く事になってしまうんです。こんな時に泣けるような優しい人、それを慰め、叱咤できる強い人、そんな人たちが、たくさんいたら良いんですけどね。
 思いを言葉にしたり、それを旋律に乗せるのはとても大切な事ですよ。いつの時も、そういう人達の歌を聴いて、心に感銘を受けられる人でありたいですね。

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