月の下、窓の外





あなたの声がきこえるよう、いつも窓を開けている。

それは、そよ風。優しい響き。

いつでも聞こえるよう、窓を開けている。


 

「アンジェリーク?」
もう寝ようとしていた時。
聖地はいつも暖かで、窓を少し開けて眠るのが私の癖。
そうしとけば、何時でも花の香りが混ざった優しい空気が部屋一杯に満ちるから。
その隙間から----外から私を呼ぶ声が聞こえた。
それは、聞き違えるはずもない声。
「…ヴィクトール様?」
窓をあけると下には、ヴィクトール様の姿。
「夜分に済まんな。…どうしてもお前に見せたいものがあってな」
その顔は、少し照れてるよう。
「え? 今からですか?」
ほんとは、直ぐにでも飛び出していきたい。でも・・・。
「あ…やっぱり、まずいか…」
少しの沈黙でヴィクトール様は慌てたように聞く。
「出来れば・・・つき合って欲しいんだが‥‥‥」
その後には、ヴィクトール様らしくないような気弱な声が続く。とても気になる声が。
私は慌てて首を振った。
「いいえっ! ………行きたいんですけど………」
そう、本当に、とっても行きたいの! ヴィクトール様が部屋まで誘いに来てくれるなんて滅多にないことだもの‥‥でも。
ちらっと時計の方を見る。きっとこの時間じゃ・・・玄関閉まってるだろうな。
扉をちらちら見る様子が下からでも分かったみたい。
「ああ・・・鍵か・・・」
ふっ、と笑うとヴィクトール様は両腕を高くさしあげた。
「こい」
「え?」



こい? 
故意・・・鯉・・・恋?



「受け止めてやる。来い」
「ええっっ!」
嘘でしょ?! ここは二階なのに。
「大丈夫だ。お前一人くらい楽に受け止められる」
あの・・・そういう問題じゃなくて・・・。



でも、手を差し伸べるヴィクトール様に逆らえなかった。
それに………会いたかったのは、私もだったから。
自分がこんなことするなんて、今までだったら絶対考えられなかった。
パジャマの上に慌てて上着を着て、窓際に寄った。
椅子に乗って窓枠に上るのは怖かった。



けど。
「おいで、アンジェリーク」
その一言で、眼を瞑って跳んだの。



思ったより小さな衝撃。
「…お…っと」
次の瞬間、私はヴィクトール様の腕の中にいた。
何故か、少し力を込めて抱き締められた気がした。でも、それは気のせいかも?
直ぐ、ヴィクトール様は私をちゃんと地面に立たせてくれた。
「軽いな。ちゃんと食事、とってるか?」
大きな手が髪の毛をクシャっと撫でる。
そうしてくれるのはとても嬉しいんだけど、逆に『子供扱いしかしてくれない』とちょっと不安になる事、ヴィクトール様は知ってるかしら?
私が、とてもヴィクトール様の事を好きな事、知っててするのかしら?



「あ‥‥もう寝る所だったのか。寒くないか?」
上着の下のパジャマに気付いたらしいヴィクトール様は、少し慌てて御自分の上着を私に着せかけてくれた。
「風邪でもひかれちゃ、困るからな」
ふわっと、ヴィクトール様の香りが私を包む。それは、とっても胸がドキドキすることで。
そんな私の気持ちも動揺も露知らず、
「でも、出てきてくれてよかった。どうしてもお前と一緒に見たかったんだ」
ヴィクトール様は、そう言うと表に向かって歩き始めた。



見上げると今日は満月だった。
月と星だけが光る夜の空の下を歩いてゆく。
空は、まるで星の瞬く音が聞こえそうに綺麗に澄んでいるの。そっと脇を見上げるとそこにはヴィクトール様。なんか、とても幸せな気分だった。
「ヴィクトール様。私にみせたいものってなんですか?」
幸せな気分のついでに聞いてみる。
「いや、着いてからのお楽しみだ」
そのまま、森の湖の方に向かう。




サァー・・・・・。
湖に流れ込む滝は、当たり前だけど夜でもやっぱり流れていて、水しぶきが月明かりに映えて昼間とはまったく違った顔を見せていた。
「うわぁ…! 綺麗・・・」
「ああ。……でも、俺が見せたいものはこれじゃない」
ヴィクトール様はそのまま何故か迷いの森に入っていかれたの。
「ヴィクトール様?」
仕方なくその背中を追い掛ける。一緒にいれば怖くないから。
でも、ヴィクトール様の歩幅は広くて後ろを付いていくのがやっと。
なんとか追い付こうとしてると、その様子に気付いたヴィクトール様が立ち止まって手を差し伸べた。
「すまん、ちょっと気が急いててな」
その手に戸惑ってるとヴィクトール様は、ちょっと強引に私の手をとって繋いでくれた。
「これなら離れる事ないからな」



大きな乾いた暖かな手。
それに包まれてると、いつもぽっちゃりとした子供みたいな私の手が華奢に見える。
私に合わせたゆっくりとしたスピード。優しい心遣い・・・大事な女王候補生だから?
……ううん、莫迦ね。今は、そんな事考えてる時じゃない。
今のこの幸せを大事にしなくちゃ。
ヴィクトール様が私の事をどう思っているかなんて、今考えてもしょうがないでしょ?




唐突に歩みが止まった。
「着いたぞ」
そこは、森の中で少し開けた場所だった。小さな岩場があって、そこからは澄んだ水がこんこんと湧き出てて。
「わぁ、泉ですね」
泉の水が、月光を反射してキラキラ煌めいている。手を浸してみると、染み入る程冷たい。
「これが『見せたいもの』なんですね」
振り返って見上げると、何故かヴィクトール様は首を横に振った。
「いや…これも見せたいものの内なんだが、もう一つあるんだ」
そう言うと振仰ぎ、天空の月を見た。
それは丁度、頂点に差し掛かる時で、それを見たヴィクトール様は満足げに頷いた。
「間に合ったな」
「え?」
その時、一条の光が岩場を照らした。
その光は、白く気高くその場を照らし・・・あるものの存在を私に教えてくれる。
「う……わぁ……」
月の光を受けるとそこにあった蕾が開き、花が咲いたのだ。
「銀月花……聖地にしか生えない、おまけにこの時期の満月が頂点にあるときにしか花を咲かさない幻の花だ。10分もすれば花は散ってしまう」
それは、花と言うより燃え上がる青白い銀の炎だった。
手をかざしてみても熱くない不思議な炎。
「綺麗・・・」
「今夜多分咲くとルヴァ様に言われてな………子供の頃、絵本で見た時から見たかったんだ」
その言葉に驚いて、見上げる。その様子に気付いたのか、ヴィクトール様は苦笑した。
「おいおい、俺だって始めっから大人だった訳じゃないぞ」
「あ…すみません」
でも、絵本とヴィクトール様・・・こんなに似合わないのは他にはないな、って少し笑ってしまった。



「‥‥でも、ありがとうございます。こんな貴重な花を見るのに連れ出して下さって。聖地に来たかいがありました」
「あ…いや‥‥」
この時何故だか、ヴィクトール様のお顔が赤くなったような気がしたのは、気のせい?
「お前と俺とで見たかったんだ」
「え?」
「・・・この花には、伝説があってな。一緒に花を咲くところから散るところまで見られたものは…その……幸せに一生を共に出来る……って……」
「!」
その時、目の前の炎がすぅ、っと小さくなると最後にぱっと花火みたいに火花をあげて消えた。
後に残るのは、月光ばかり。



「本当は、自信がなかった。そんなことにお前を連れ出す自信が。だから、窓辺で一言名前を呼んで、それで出てこなければ諦めようと思ってた」
何処か吹っ切れたようにまだ天井高くにある満月を見上げるヴィクトール様。
「こんなんで精神の教官だっていうんだから、笑うよな」
「ヴィクトール様・・・」
そこからのヴィクトール様は、いつもより饒舌だった。
「でも、お前は出てきてくれた。おまけに俺の腕に飛び込んできてくれた。
それでここまで連れてくる勇気が持てたんだ」
ヴィクトール様は、しっかりと私の視線を捕らえてこう言った。
「何時もお前を見てた。その優しい笑顔も、時々泣きそうに歪むが決して涙を零さないその蒼い瞳も、折れそうに華奢な身体も‥‥その中に潜む強い魂も。
お前のお陰で、俺はこれからの人生をもっと強く生きてゆく決心がついたんだ」
その時、ふっと表情が和らぐ。そこにあったのは、暖かい柔らかい‥‥私の大好きな微笑み。
「断ってくれて構わん。ただ、俺の気持ちだけは伝えたかっただけだ。それだけで十分だから」
まるで今夜の月の光を集めたような金の瞳が‥‥まっすぐな瞳が私を捕まえる。
これ以上ないくらいに。




「……窓はいつも開いてるんです」
「…あ?」
突然言い出しても、きっと分からない。
でも。



私の窓は、いつも開いてるの。
あなたの声が聞こえるように。


いつも側に居たいから、近くに来たら…声が聞こえたら飛んでいけるように。


どんな時も、いつも窓は開いてるの。


そして、その窓辺には花を飾りましょう。
銀に燃える花を。


一生、一生燃え続ける青銀の花を。



<fin>



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