呪い(まじない)




月明かりが綺麗に辺りの景色を浮かび出す頃、外に繋がる廊下に二つ、人影がありました。
そのひとつは、ついこの間まで『龍神の神子』として京の町を奔走し、そして救った元宮あかねその人でした。
彼女は、与えられた使命を全うし、元の世界に戻れるその時、たった一人の人の為に見も知らぬ、時代さえ違うこの世界に残ったのでした。





その人とは。





稀代の陰陽師・阿倍清明の最後にして最強の弟子、阿倍秦明。
人に造られたその身体に、本物の愛を宿らせた男。
そして、今少女の傍らにある姿も、彼でした。






「綺麗な月ですね‥‥」
うっとり見上げているあかね。
「そうだな‥‥」
そう言いながら秦明の視線はあかねを捉えています。
今でも信じられないのです。この神の使いとも言うべき尊い役目を持った少女が、自分の為にこの世界に残ってくれた事が。
何も知らない、人間ですらなかったこの自分の側に。
信じられない故、側にいると確かめたくなるのです。その瞳で‥‥手で。





そっと少女の明るい栗色の髪に触れます。
さらさらとした手触りはどんな絹糸にも負けていません。





「秦明さん?」
少女のきょとんとした瞳に瞬間手が引かれまいした。
「‥‥なにも不自由してはいないか?」
「ええ」
あかねはにっこり微笑みました。
「みなさん、良くして下さいます。それに殆どが藤姫が遣わしてくれた女房たちですもの。私のこの世界での非常識さはわかってくれてます」
「ならばいいのだ‥」





「それよりも」
急に少女は秦明の顔を覗き込みました。
「忙しいのですか? 最近」
「ああ。花鎮祭が近付いているからな」



最近、秦明は帰るのがとても遅くなっていました。物忌みの日は流石に屋敷にいましたが、他の日はほぼ毎日休みなく出仕していました。



「なんか顔色が悪いですよ?」
「顔色が変なのは昔からだ」
「そうじゃなくて」
あかねは、爪先立ち、秦明の頬をそっと両手で包みました。
「無理しないで下さいね」
「あ‥‥ああ」
喉に絡むこの声は、本当に自分の声だろうか?



未だに余り慣れない感情の起伏をどうにかねじ曲げていると。
ふと、思い出したようにあかねが話しはじめました。
「秦明さんて、おまじないとか出来るんですよね」
「あ、ああ‥‥」
それを聞いた少女は、悪戯めいた微笑みを浮かべました。
「実は、私もひとつだけ、おまじないが出来るんです」
「なに?」
それは、初耳です。
この少女は、龍神の神子としての資質ばかりか、陰陽師としての資質も兼ね備えているとでも言うのでしょうか?
「どういうことだ?」
秦明の追求もあっさり笑顔で躱し、あかねは縁側に腰を降ろしました。そして目線で秦明を隣へと呼びます。
‥‥しかなたく座ると、さらに嬉しそうに微笑みます。





「前、秦明さんが突然いなくなってしまった時があったでしょう?」
そして、突然話し出します。
「ああ‥」




それは、自分が神子への気持ちに気づいた時の事だ。
それが『穢れ』であると思い、神子から離れようとした数日。
‥‥思い出したくもない。




少ししかめつらになった恋人を傾げた首でちょっと見、少女は話を続けます。
「あの時、どうしたらいいかわかんなくて‥‥。『秦明さんを信じて待とう』とは、思ったんですけど、でも心配で」




その時の事でも思い出しているのでしょうか。白磁の額のその眉根がふっと辛そうに寄せられます。
それは、そのまま秦明の胸に響きます。
そんなに心配をかけた自分に怒りを。
そしてそんなに心配してくれた神子にたまらない愛しさを。

だから。

「すまなかった‥‥」
謝罪の言葉がすっと出ました。
「いいんです、もう。 秦明さんは戻って来てくれたんだし。でも‥‥」
「でも?」
「やっぱりその時は心配で、御飯もあまり食べられなくって‥‥。そうしたら、友雅さんが教えてくれて、それをやって見たんです」
「まじないをか‥‥?」
「ええ。そしたら、すぐ秦明さん、帰ってきてくれたの。効いたんですよね、そのおまじない」






『おまじない』と可愛く言っても、所詮呪術。心得の無いものが気安く出来るものではありません。
そんな事をすれば、最悪の場合、施術者に全てが跳ね返り、命を落とす事だってあるのです。
まさかあの少将に限って、神子に危ない真似をさせる筈もありませんが、そこはそれ。いくら、何でもこなしてしまう器用で才能溢れる男だとしても、術に関しては素人。どんな間違いを起こさないとも限りません。









‥‥‥もしや、なにかとんでもないものを教わったかもしれない。









最強の陰陽師は、いてもたってもいられなくなりました。
「‥‥そのまじないの方法を教えてくれないか?」
もし、間違ったやり方などをしてたら、即刻対処をとらなければならないからです。
でも、そんな切羽詰まった事情とは露知らず。
あかねは、嬉しそうな顔で、
「ええ♪ プロの人に教えるのは、恥ずかしいんですけど‥‥」
心持ち顔を赤くして、話しはじめました。




「友雅さんは、『帰ってくるおまじない』って教えてくれたんですけど。
まず、帰ってきて欲しい人のお茶碗を綺麗に洗って、伏せておいておくんですって。
私、陰陽寮まで行って、秦明さんのお茶碗、持ってきたんですよ?
そして、和歌を書いて、柱に貼っておくと、その人は帰ってくるんですって」
「和歌‥‥?」
「ええ。
えっと‥確か‥‥


  『立ちわかれ いなばの山の峰におふる

               待つとしきかば 今帰りこん』



って。
ほんと、よく効いてびっくりしました」
それを聞いて絶句する青年。
「‥‥神子、それは‥‥」







秦明が絶句するのも、無理もありません。
何故なら、それは‥‥。











(神子‥‥それは、迷い犬や猫を探すまじないだ‥‥)








そう。それは飼い猫などを戻す方法だったのです。
友雅の事です。きっとわかってて教えたのに違いありません。
秦明の脳裏に、友雅のあの人を喰ったような笑いが浮かび上がりました。




でも。




「はい?」
間違いを正そうとした秦明の目の前に、あかねは首を可愛く傾げて青年の顔を見上げました。






(う‥‥‥。)






その視線に固まってしまった秦明。
「どうしました? ‥‥私のやったの、間違ってますか?」
心配げに、不安そうに言いつのる言葉は、まるで楽の音。
その瞳は、まるで星のよう。
















「‥‥いいや、なんでもない‥‥」







こんな顔をしたあかねに、『それは間違っている』と言える男がいたら、お目にかかってみたいものです。
案の定、秦明は口籠ってしまいました。







そして。







「そんなまじないよりも、更に強力な呪力を神子は持っている‥‥」
秦明は、そう言うと手を伸ばし、その腕にあかねを抱き取りました。
「こんなにも私を縛りつけるのだから」











蒼銀色の月の光の下、この世で最大最強の呪い‥‥『恋』に囚われた青年は、その懐にしっかりとその呪術者を抱きしめ、そのまじないを成就させていきました。






(おしまい☆)





あとがきもどき
ども。初めての『遥時』のお話を書いてみました。
最初は、『お犬様』関連(笑)で頼久さんで書いていたのですが、何故だか途中で秦明さんになってました。
秦明さんの笑顔が大好きなんです。で、幸せになって欲しいなぁと思って。
ちなみに、流那の好きなbest3は、友雅さん、頼久さん、秦明さん(どう言う順かはヒ・ミ・ツ(笑))です。
それと。
作中のおまじないは本当です(^^)


TOP