はじまりはいつも雨






ポツン。





肩に雫が落ちた。





ヴィクトールが珍しく王立研究院に呼ばれた帰り、これまたとても珍しい事に雨が降り出した。

この聖地は、女王陛下の加護により、いつも良い天気、良い気候が保たれている。もちろん植物や乾燥の為に雨は必要だが、大抵は夜半から朝方にかけて降る。

それが、今日は平日の午後。

もちろん傘などは持っていない。





ポツ。





ポツ。





そう思ってるうちに、雨粒は数を増し大地をしっとりと濡らしはじめた。





「雨…か」

何故か雨を避けようともせず、ゆっくり歩き続けるヴィクトール。





雨・・・。

雨には色々思い出がある。





士官学校の入学式も雨だった。

外での式が、急に中止になり慌てて体育館にはいったな。





初めての野外訓練の時も雨が降っていた。

泥まみれになりながら皆で震えて、温もりを求めて何時の間にか団子状になってたっけ。





ははっ、そういえばこの頃初めて失恋したな。相手は近くの女子校の生徒だった。

彼女が、誰か他の奴と一つの傘で歩いてるのを見たんだ。





卒業式も雨だった。

皆で雨の中、走り出して帽子を放った。





はじめて外地へ赴任した時も大雨で宙港が閉鎖寸前だったな。

着いた直後から仕事が山のように積み上がってて、その星に慣れる間もなく仕事に慣らされた、ってかんじだったけ。





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・・・・・そして、あの災害のはじまりも最初はちょっとした雨だったんだ・・・・・・・・・・・

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ピチョンッ。





前髪から鼻へ雫が落ちる。

その感触で、ふっと我に返る。

気付くと全身がかなり濡れていた。見上げる空は鉛色でぼんやり明るい。





時々何の前触れもなく、あの事が思い出される。そのきっかけは、色々あるが一番多いのは雨だ。

ここ聖地では一度もなかった事なのだが。

(・・・雨にはあまりいい思い出はないな)

何処か苦しげな笑みを唇にのぼらせると、ヴィクトールは歩き続けた。

その時。

その視界を何かが掠めた。

明るい色彩の何かが。

何のきなしに視線を向けてみる。

と。





「‥‥アンジェリーク!」

大きな木の下で華奢な身体が立っていた。

「ヴィクトールさま?」

大きな蒼碧色の瞳が見開かれる。

「どうしたんですか? ずぶぬれですよ?」

「それは、こっちの台詞だ」

いつもの制服になにやら大事そうに抱えられてる本。まったくいつもと変わらないようだが、栗色の髪はしっとりと濡れて、顔に雫が落ちている。

ヴィクトールは、有無を言わさずハンカチでその顔と髪を拭いた。

「まったく‥‥女の子が雨の中を歩き回るなんて‥‥お前は女王候補生なんだぞ!」

その乱暴な拭き方にちょっと息をつまらせながら、アンジェリークは抗議した。

「ん‥‥ヴィクトール様だって、びしょぬれじゃないですか。風邪ひきますよ?」

「俺は慣れてるからいいんだ!」

慣れる慣れないの問題じゃないです……と思いながらその剣幕になにも少女は言えませんでした。





「で、何でこんな所にいたんだ?」

木の下は、二人が何とか雨粒は凌げるくらいの広さがありました。そのまま雨宿りです。

「はい。ルヴァ様の所に育成の新しい資料がはいったと言われたので取りにいったんです。でも突然雨が降り出して・・・」

「そのまま走って帰るかすれば、よかったじゃないか」

それもそうなんですけど、と少女は続けた。雨はこの聖地では珍しいから直ぐ止むと思ったし、ついでに雨を身近で感じたかったから、と。

「雨を身近で感じる? こんな悪い天気を?」

不思議そうに言うヴィクトールを見て、アンジェリークはそっと微笑みました。





「ヴィクトール様、雨は自分が『悪い天気』なんて思ってませんよ?」





その言葉に言葉を失ったヴィクトールに更に続けられます。

「雨は好きです。もちろんお日さまも好きですけど、同じくらい。

雨の日の外は柔らかくけぶっていて、その後の光を更に綺麗にしてくれます。植物の輝きもいつもよりもっと綺麗。・・・・もちろん、雨の被害があるのも知ってますけど・・・・」

最後は少し口籠ります。でも。





「どんなものでも、必ず素敵なところがあるんですよ?」

そう言って微笑む笑顔は、まるで陽の光のようでした。





ヴィクトールは、自分の何処かが変わって行くような感じを受けました。

このか細い小さな少女の一言で。

いつも心の奥底で固まっていたが何かが溶けていくような、そんな不思議な開放感がありました。

何がどう変わったのかは、自分でもよくわかりません。

ですが、この目の前の少女が”女王候補”に選ばれた理由が、よくわかったと言う思いでした。

それと、もう一つ。





「・・・このまま、待っていても雨が上がる前に風邪をひいてしまいそうだな。学芸館の方が近い。とりあえず走って行こう」

ヴィクトール様は、そう言うと自分の脇にアンジェリークを抱き、上着で包み込みました。

「あっ、あのっ……」

真っ赤になる少女を無視して。

「少し汗臭いだろうが、我慢してくれ。少しの間だから」

そういうと、やや歩調を落として走り出しました。

その胸に新しい雨の思い出を抱いて。






はじまりは、いつも、雨。





<Fin>


あとがき?



『言の葉の泉』のまくらん様に差し上げたお話です。でも、まくらん様のお優しい言葉でここにもアップさせて貰いました。
イメージソングはサザンの『TUNAMI』。‥‥と、いっても歌詞はまったく知らないのですが、曲のイメージと最後の歌詞のみでこの暴走、いや妄想(笑)
恋のきっかけって何時・何処で・どんな風に起こるか誰にもわかりませんものね。

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