「もう帰るの?」
甘い官能的な声が空気を揺らす。
視線を向ければ、白すぎる肌にいくつも残る朱印。けだるげな瞳。シーツに散った漆黒の髪。
どう見ても情事の後だ。
「今日はなんの日かしってるの?」
再度、せがむような口調。
「さて・・・何の日だったかな?」
それに対する声は、あまりにも冷ややかで。
同時に向けられた瞳もまるで氷のようだった。
「悪いが、泊まる訳にはいかない。いろいろ煩い人がいるんでね」
唇は笑いを浮かべているが、瞳には暖かさの欠片もない。
気のない接吻をひとつ頬に落とすと男は、部屋を出ていった。
月のない夜、密やかな星の輝きだけを道しるべに男は、家路を辿っていた。
その微かな光でも、まるで燃え盛るような赤い髪・・・それは、炎の守護聖・オスカーの姿だった。
彼にとって女性とは、味気ない人生に彩りを添えるものだったが、逆にそれ以上のものではなかった。
一時、その温もりを堪能し、自分が満足すればその暖かさは一転煩わしいものにさえなった。
親元を離れ守護聖となり幾年月。
聖地の時と外界の流れは全く異なっていた。
一度会ったとしても、次にその人とは会えるとは限らない。万が一会えたとしても残酷な程、時は流れてる。
そんな空しさが、何時しかオスカーに『愛なんて何処にもないもの』と思わせても誰が責められただろうか?
女王の盾となり剣となり、守ってゆくだけの日々。サクリアがなくなればお払い箱とはいえ。
それは、時折飢餓感にも似た焦燥感となって体の中を掻き毟る。
それを埋める為にも、オスカーは殊の外、女性を必要とした。
ただ、一時の快楽・・・ごまかしを得る為に・・・。
「・・・おや?」
夜半も過ぎ、ようやく私邸に帰り着いたオスカーを待っていたのは、いつも執事がともしている筈の玄関の灯りではなく、静けさと闇だった。
「一体、どうしたんだ・・・?」
いぶかしがりながらドアを開ける。
ほのかに温もりはあるものの、その広い屋敷には人の気配が全く感じられなかった。
『今日は何の日か知ってるの?』
ふとさっきの女の声が耳に蘇る。
「・・・忘れてたな」
つぶやきが唇から零れる。
今日は、クリスマス・イブ。聖なる前夜祭。
何日も前から執事を始め、使用人達がお休みを貰いたいと言っていた日。
たいして考えず、頷くだけ頷いていたが。
「・・・まいったな」
取りあえず、ギリギリまで誰かは居てくれたらしい。だが、あまりに遅い主人の帰りを待ちかねて、とうとう自分達の愛する者のところへ行ったらしい。
押さえた勢いで燃える暖炉の前に用意されたシャンパンが、オスカーの手を待っていた。
「クリスマスか・・・」
呟くその口調は、決してその単語に相応しい愛おしむような暖かい響きは持っていなかった。
”愛”なんていらない。
それを象徴する聖夜もオスカーにとっては無用なものに感じられた。
”愛”なんていらない。
総ては、自分の手から滑り落ちていってしまったものだから。
手に入るのは、一時の温もりと快楽のみ。
冷たく、ほんのり甘い液体は、オスカーの喉を心地よく滑っていった。
「?」
その時、オスカーの耳に微かな音が聞こえた。
それは、ほんとにかすかなかすかな音で、ともすれば聞き逃してしまう程の音色だった。
「なんだ?」
どうやら、この屋敷には自分しかいない筈なのに。
澄ます耳に、その音は段々旋律として形を表していった。
だが、まだ何の曲かは鮮明でない。でも、確かにこの季節、何処でも聞くようなメロディなのは何となく分かった。
「誰か俺の為にレコードかオルゴールでもかけて行ったのか・・・?」
苦笑を刻みつつ、その音を止めに行こうと腰をあげた。
今更、聖夜を祝う気にはなれない。
旋律は、小さく静かに少しつっかえつつ邸内を流れてる。
オスカーはその元を探す為、耳を澄ます。
「どうやら二階だな」
誰もいない屋敷は、いつもと違う顔を見せる。
まるでこの家の主人であるオスカーが侵入者でもあるように、出入りを拒むような雰囲気さえあるのだ。
外の飾り付けが窓から映り、ほんの少し薄暗い中を音の根源を探して歩く。
近付くにつれて、その旋律は段々大きくなり、メロディもしっかりしてきた。
待ちきれないで お休みした子に
きっと素晴らしい プレゼントを持って
何時の間にか自然に口ずさんでしまった歌に、本人の方が驚いた。昔歌ってたが、すっかり忘れたと思っていたのに。
少し何処か腹だたしい気持ちを抱え、オスカーは一つの部屋の前にたった。
そこは日頃使われてない再奥の音楽室。
音色は、確かにそこから流れ出していた。それもピアノの音。
その音は、時々つっかえる為、すでにレコードでもオルゴールでもない事がわかっていた。
誰かが中で弾いているのだ。
音色を聞いてから。
なにか、こう、見たくないものを目の前に突き付けられているような感覚がオスカーをずっと苛んでた。
そう。
どこかで、唯一無二の愛を望んでいる自分がいる。
何処かで奇跡を待っている自分が。
守護聖である以上、奇跡でも起こらない限り無理な願いなのに。
そんな事を望む自分を突き付けられて見せられている不快感があった。
「・・・莫迦々しいっ!」
そんな不快な思いを頭を一つ振って無理矢理追い出す。
俺は、強さを司る炎の守護聖だぜ?
オスカーは、殊更力をこめてドアノブを引いた。
「!」
薄暗いはずの部屋の中に一筋だけ光が射している。柔らかく暖かい光が。
それは中央のピアノと・・・その前に腰掛けている人影を映し出していた。
柔らかな波うつ金色の髪を赤いリボンで止めて。
鼻は少し低めだが、それがよりチャーミングに見えて。
滑らかな真珠のような頬は、ほんのりピンクがかってる。
まるでサクランボのように艶やかな唇。
ここからはそれしか見えない。
年の頃十代半ばの少女が一生懸命弾いているのだ。
その少女は、確かに初対面であったが、何処かで見た事のあるような、そんな懐かしさを覚える。
そんな風に思う自分にオスカーは驚きを禁じ得なかった。
何を考えてるんだ、俺は!
だが彼がそのまま聞き入ったのは、確かな事実だった。
声一つ、かけられなかったのだ。
あなたからメリークリスマス わたしからメリークリスマス
サンタクロース イズ カミイング トゥ タウン
ポロン……
指が止まった。
その少女は、一呼吸置くとすっとオスカーの方に眼を向けた。
陽光踊る新緑の瞳。
まばたき一つ出来なかった。
少女はオスカーを認めると
「メリークリスマス 」
一言言い、にっこりと微笑んだ。
その背に羽根が見えても、きっと不思議には思わなかっただろう。
その途端、オスカーはやっと動く事が出来た。
「君は誰だ!」
声をかけると同時にパッと灯りがついた。突然の光にオスカーは一瞬目が眩む。
暫し、眼を瞑り衝撃をやり過ごす。
なんとか眼が慣れ、再度ピアノに眼を向けると。
誰もいない。
「! 何処へ行った?」
オスカーは一つしかない入り口を塞ぐように立っていた。そこから出るのは無理である。
次に疑われるのは窓だが、ここは2F。おまけにテラスもないと来てる。
どう考えても”消えた”という考えに行き当たってしまうのだが・・・。
「そんな莫迦な・・・」
先程まで少女が座ってたピアノに近付くが、薄くほこりが積もっており、この二、三日誰も触ってない事が分かっただけだった。
「今のは一体なんだったんだ・・・」
眼を閉じれば、何故か今目の前にいる様に思い出せる鮮明な少女の姿。
それは、何処か暖かいものとしてオスカーの心に残った。
『愛なんかいらない』と思ってた男の心に。
そして。
彼は、まだ知らない。
巡り合える奇跡が、すぐ側まで来ている事を。
あとがき?
どうも、最近ちょっと違う傾向を書き出してしまった(^^;)
アンジェリークに会う前のオスカー様です。
最初に浮かんだのは文中の歌でした。”クリスマスだし・・・”と思って書いたら、結構暗い・・・。
恋も愛も巡り合えるのは、奇跡に近いです。いえ、奇跡そのものかも知れません。
私は、そう思います。
・・・って、ああ、何言ってんだろ、私は(笑)