はじめてのたんか




ヴィクトール様とアンジェリークは、互いの想いを確かめ合いながらも、来るべき日までは新宇宙を育てるつもりでいました。

だから、もちろんアンジェリークは、これまで通り育成や学習を怠ることはありません。







そんなある日、例によってヴィクトール様のもとにやってきたアンジェリークは、いつもと違うことを言ったのでした。

「おはようございます、ヴィクトール様。今日は短歌を持ってきました」





たんか?





ヴィクトール様の顔が数年ぶりに緩みました。思いがけなく弛緩したのです。

おかげでいつもの歓迎のセリフを言いそびれました。





たんか。



漢字変換ができません。

自分がよく知っている「担架」ではないことは彼女の持ち物からわかります。

アンジェリークが担架を持っているようには見えないのです。





たんか。

啖呵。

いや、啖呵は切るものであって、持って来れるものではないな。





思案にくれているとアンジェリークは、首をかしげて「ヴィクトール様?」といいました。



「あ。ああ」



たんか。



まだだめなようです。



「たんか。か?」



とりあえず「あ」以外の返事をしました。



アンジェリークは「はいっ」と頷いて、

「セイラン様に教えていただいたんです。ちょっとは上手になったんですよ」

とうれしそうに言いました。





セイラン? ああ・・・短歌か。

やつは短歌もつくるのか。

しかし、ヴィクトール様は新たな疑問が浮かぶのでした。





「アンジェリーク。おれに詩心はないぞ。・・・セイランにもっていくべきではない のか?」





アンジェリークは、もじもじしながらもノートを取り出しているところでした。

困りました。どうしても自分に見せるつもりのようです。

ヴィクトール様は天を仰ぎました。





「あの・・・。セイラン様にお見せするときは、小鳥さんとかお花とかを詠んでみるんですけど・・・やっぱり、わたし、恋をうたってみたくて・・・」





はじらいながらもうれしそうなアンジェリークです。

それはそうです。最近、自分の恋が、想いが通ったのですから。愛する人を、愛されている自分を詠みたいのです。





一方、ヴィクトール様は疑問が増えるばかりです。



つまり。



花鳥風月はセイランで、恋は俺だというのか? 

まだわかりません。





「あー・・・。アンジェリーク? まだお前の意図がよくわからないんだが・・・。

その・・・セイランに見せたら、その<恋の相手>がばれてしまうから、俺にみせるのか?」





ばれるもなにも本人なら問題ないだろうと?





しかし、アンジェリークは、めまいがするくらい頭を振りました。



「ちがうんです。ですから、あの・・・」



恋の歌を作ったときは、いちばんにその愛する人に見てもらいたいものです。女の子はそんなものなのです。

アンジェリークは、ノートをヴィクトール様のもとにもっていきました。横からちょこんとノートを差し出すのです。





やっぱり見る羽目になる。





ヴィクトール様もそれでなんとなく覚悟をしました。

開いたノートには、こう書いてありました。






湖のほとり不意に降り出した桃の風味のあなたのことば





ヴィクトール様が森の湖で告白してくれたときを思い出して作ったようです。

詩ですら短くて作者の意図が読めないことがたくさんあるのに、この短歌と言うやつは短すぎて読むのに集中力が要るようです。そして、集中したところでどうなるというものでもないのでした。







この<あなた>は、俺のことだよなあ。<桃の風味>のことばってどんなかんじなんだ? 

アンジェリークにとって俺の告白は<不意>だったのか・・・。

少なからず気づかれていると思っていたんだがなあ。

・・・<あなたのことば>の続きが書いてないんだが、どういうことなんだ?







などなど。

ヴィクトール様は疑問だらけでひどい混乱に襲われました。不安にもなりました。





「・・・あ。あの・・・。だめですか?」





だめもなんもヴィクトール様にとっては、それどころではないのです。



「アンジェリーク・・・」



「・・・はい」



「これは」



「・・・だめですか?」



「いや・・・そういうことではなくて」



「・・・はい」



しばらく執務室が静かになりました。突然見せられた「短歌」とやらのせいで、いつものようには頭が回りません。





ふと。





「・・・・<だめ>ってどういうことだ?」



気づいたのです。<だめ>というのはどういうことだかわからない自分に。



アンジェリークは、またもじもじしながらいいました。



「作品としてどうかなって思って・・・あと、ちゃんと気持ちが伝わっているかなと か・・・」



「作品として」は、アンジェリークが最近覚えた批評のことばです。

セイラン様はそういうことは教えてくれませんでした。彼にとって芸術は感性に優れ、彼がおもしろいと感じればいいのです。

ということで、批評についてはレイチェルが教えてくれたのでした。

「作品としてどうかっていうことも重要じゃないの?」

何度いわれたことでしょう。アンジェリークはそんなレイチェルの言葉にすっかり洗脳されていました。

そして、あとのセリフは、アンジェリークにとって勇気のいる言葉でした。

気持ちが伝わっているかどうかは、恋の相手にしかわからない、と短歌初心者なアンジェリークは思ったのです。だから、ヴィクトール様のところに持っていったのです。

だいすきな人にいちばんに見てもらいたいのは、気持ちを伝えたいからなのです。そして、伝わっているかどうか確かめたいのです。お互いの気持ちは知っていても、何度でも。

そうして愛情を確かめ合えるのがうれしいのです。





ヴィクトール様のほうは、自分が考えていたことを少々訂正しなくてはならないことに気がつきはじめました。



「作品として・・・な」



アンジェリークは小さく頷きました。



なんとなく「作品として」の意味がわかってきました。

つまり、すべてが事実というわけではないのです。「作品」なのですから。

告白直前、しばらく何かいいたげなふたりだったので、どちらが告白してもおかしくなかったのです。

それはヴィクトール様もわかっている通りです。だから朴念仁の彼でも想いを伝えられたのです。だから「不意」ではないのです。

でも「不意」のほうが感動を示せるのです。たぶん。

少なくともヴィクトール様はそう思うようになりました。

なんとなく<桃の風味>もわかってきた感じがします。

なにがといわれると言葉にできないのですが、わかった感じがしてしまうのです。<あなたのことば>は<桃の風味>であるといわれているので、それ以上<あなたのことば>については言わなくていいことも、なんとなく納得できた気がしてきました。





とにかくっ。

アンジェリークが一生懸命作ったのです。悪いわけがありません(笑)。

たとえばそういうのを「ひらきなおり」というのです。が。





見てもらいたくて来たとはいえ、ただまじまじと見られるとやっぱり恥ずかしくなってしまいます。アンジェリークは自分が小さくなっていくような気がしていました。





そして。

こうして詠まれるのが嬉しくなってきたヴィクトール様です。

こうして歌を作ってる間はアンジェリークが自分のことを考えていた証拠にも見えてきたのでした。うれしいではありませんか。

だから、アンジェリークをすぐ横において、頭をくしゃっとなでました。



「とても上手だ。うれしいよ。アンジェリーク」



真っ赤になったままアンジェリークは、ぱあっと明るい顔になって、もうすこしだけヴィクトール様にくっつきました。

そしていいました。




「ヴィクトール様もつくってみません? か?」




アンジェリークは自分も短歌であいしてると言われてみたいのでした。アンジェったらさりげなくよくばりです(笑)。





一方。

俺が作る羽目になるなんて。

ヴィクトール様が笑顔のまま凍ってしまったことは言うまでもありません。





解凍してからいいました。

「か・・・考えておこう」



セイランの生霊でもとりつかないかと願った一瞬です。



アンジェリークはすっかりご機嫌で



「わあっうれしいっ。じゃあ今度<吟行>に行きましょうね」



すっかり短歌づいているのでした。





それからアンジェリークは、学習のたびにひとつ短歌をもってヴィクトール様のもとを訪ねました。こんなかんじです。




満月に羽が見えたら目を閉じて この世でいちばん甘い実あげる





星を撒く手にはあなたの口癖を腕輪にしている散歩の帰り





天使の葡萄酒持っていくとき水色のからだに流れる音楽がある





愛はまだ虹のようでも遠くても育ちつづけるふたりのあいじょ







ヴィクトール様もアンジェリークの短歌が楽しみになりました。

自分たちの恋愛をこんなふうに表現されることが、ちゃんとはっきり文句なくすぐさま嬉しいと感じるようになったのです。



そして、自分もこっそり作ってみることにしました。






緑色の瞳のために雨の日に買った煙草を捨ててしまおう





豆缶の食べ方の手紙床に置き絵として見ている月なき深夜





雄も雌もわからぬ空の水の曜 おまえがくれたナッツを囓る





夕焼けの原液集めも佳境に入りそろそろ小鳥の解説聞こうか







我ながらへたくそなのでした。シマリがありません。さいあくです。

こんなものはアンジェリークに見せられないなと呆れかえる夜が続き・・・









そして、星が満ちました。レイチェルとは僅差でアンジェリークが勝ったのです。

(手加減をしてしまったレイチェル。じだんだじだんだ)

将来を約束しあったふたりの結論はもう決まっています。レイチェルには思いっきり叱られそうですが(笑)。

それを女王に奏した次の日にふたりは聖地での思い出作りのため、アンジェリークが願っていた吟行へ出かけました。どこまでも健全なふたりです。





歌を作るということで、ひとりになって考えることも多く、「ぺぺぺぺぺ。ぺぺぺぺぺぺぺ。ぺぺぺぺぺ。・・・」などと指を折る時間が必要なので、いつものデートより黙りがちでしたが、それなりにたのしみました。しあわせなのでした。

そして日が沈むころ、ふたりは作ったものを披露することにしました。

そうそう。

ヴィクトール様にとってはアンジェリークに見せる初めての短歌です。

練習中は、恥ずかしくて誰にも見てもらうことなく、がんばってひとりで練習したのでした。へなちょこ短歌に何度愕然としたことでしょう。

そして、はじめての吟行で1日かけてこんなのをつくったのです。






炎天に朝露の名残を愛しませ少女の手よりこぼるる菫 





アンジェリークは、これから始まるふたりの生活へすでに心をときめかせているのでした。

もちろん聖地でのいろんなひととの出会いと想い出もわすれてはいません。そしてこんな歌をつくったのです。






金色の棲む空をイメージしつつもうすぐあなたのそばへ行きます





差し出したあとは頭を掻いているヴィクトール様にアンジェリークは、ふにゃっと抱きついて「ヴィクトール様。だいすき」とつぶやきました。

ヴィクトール様もアンジェリークを抱きとめながら彼女の歌をしっかり記憶にとどめようとするのでした。







おしまい♪










5000hitを踏まれたゆき様からのお返しのお話でございます♪
やっほ〜(^^)、棚ぼたっっ!!
‥‥すいません、あまりの嬉しさにちょっと理性が‥‥。
でもでも、とっても短歌がふたり『らしい』と思いませんか?
特に生霊に取憑かれたいと願う程のヴィクトール様の困惑ぶりがとってもぷりてぃと思いましたっ。
ゆき様。第二弾期待しております〜♪



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