「ヴィクトール様、ヴィクトール様、見て! 蟹がいる!」
「おおい、あんまりはしゃいで落ちるなよ!」


ある秋の日、ヴィクトール様とアンジェリークは海に遊びに来てました。
あの女王試験が終わって半年。アンジェリークは家に戻り、高校生としての生活を再開し、ヴィクトール様も王立宇宙派遣軍の高官としての生活が始まりました。
お互い生活に慣れるのが忙しく、滅多にデートも出来ない日々。
たまに会っても、夕食を一緒にとるくらいがせいぜい。
将来を誓い合った恋人同士には辛いものがあります。
とうとうヴィクトール様は一念発起し、仕事を無理矢理片付け、二日間のお休みを奪取してきたのです。
これは丁度、一日目。


二人が来たところは、海でした。
岩場がゴツゴツと広がり、磯遊びには最適な場所。
本当はヴィクトール様としては『南の島のリゾート地』という計画があったらしいのですが、直前まで休みの計画がとれず、よってその計画も出来なくなってしまったのです。
で、日帰り・海・遊べるところの三つをキーワードにここに辿り着いたと言う訳です。


ついこの間まで真夏日が続いてたとはいっても、もう秋です。
さすがに泳ぐことなんか出来ません。
(アンジェリークの水着姿!)
というヴィクトール様の野望は露と消えてました(笑)
その代わりに『磯遊び』となったのです。


でも。
磯遊びをしてるのは、アンジェリークだけです。
ヴィクトール様はというと。


磯釣り。


釣り用のポケットの一杯ついたベストや釣り帽が良く似合ってます。
「ヴィクトール様、釣りなんてなさるんですか?」
不思議そうに少女が尋ねます。
「自分の口は自分で養わねばならない時が多数あったんでな。それから趣味だ」
「そうなんですか」
「それに釣れたての魚はうまいぞ」
「はい! じゃあ、頑張って下さいね」


暫くアンジェリークは、ひとりで磯辺を散策しました。
小さな魚や蟹、やどかりなどを見つけ、船虫の出現に驚き、カラフルな磯ぎんちゃくにうっとりしたり。
気付くと小一時間たってました。
恋人をほったらかしにしての一時間にアンジェリークは驚き、直ぐヴィクトール様のところへ戻りました。
ヴィクトール様はさっきと全く変わらない様子でおんなじ場所に立ってました。
「ヴィクトールさま、釣れました?」
「ああ、アンジェリークか」
その横のバケツにはどう見てもなにもはいってません。
「どうやら魚も休暇みたいだな」
サングラスの奥の瞳が苦笑を刻んでます。
「お前の方はどうだ? 楽しんできたか?」
「ええ、蟹ややどかりがいたんですよ♪」
「そうか・・・」
と、いいつつヴィクトール様の視線は自然、ウキの方へ。


 

アンジェリークはヴィクトール様のことが好きです。
大好きな恋人が少年のような瞳をし、何かに熱中するところを見るのは日頃『自分は子供っぽいのかな?』と思ってるアンジェリークにとって嬉しい事でした。
でも。
自分をまったく見てくれないのも、ちょっとくやしいのです。
だから。


「ねぇ、ヴィクトール様。私にも釣り、教えて下さい」
「え? お前もやるのか?」
「はい♪」
全く釣れなくてヴィクトール様も少々退屈してたのでしょう。
「じゃあ、俺の前に来い」
「はい」
むしろ喜んで教えてくれます。
「ここをこう持ってだな・・・」
「はい」
簡単に教えたヴィクトール様はアンジェリークに釣り竿を渡し、飲み物を買いにその場を離れました。
アンジェリークは、教わった通りに釣り糸を垂れ、ジッと魚がかかるのを待ってました。


「きゃーっ、ヴィクトール様!!」
どれにしよう? 日射しは暖かいから冷たいもの・・・いや、でも風は結構冷たいし、アンジェリークに風邪をひかせてもなぁ。
ヴィクトール様があれこれ自販機の前で考え込んでいると、磯辺の方からただならぬ悲鳴が聞こえてきました。
「アンジェリーク!!」
誰かになにかされたか?!
考える暇もなく、身体がダッシュしてました。


慌てて少女の元に駆け寄ると何やら必死な顔。周りには誰もいません。
「? アンジェリーク、どうした?」
「ヴィ、ヴィクトール様・・・助けてっ、引っ張られてるの!」
見ると、魚がかかったのか、凄い勢いでひきが来てます。
「よ、よしっ! 放すなよ!」
アンジェリークの後ろから釣り竿を掴みます。
「も、もう、だめぇ〜〜!」
「もうちょっと頑張れっ!!」
魚も釣られるのが嫌らしく、なかなか諦めません。
「よぉし、一気にひくぞ!」
一気に決着をつけようとヴィクトール様がぐっと足を踏ん張った時。
「きゃぁ!」
「うわぁ!」


もともとこの磯辺は岩がゴツゴツしてて、お世辞にも足場がいいとは言い難いです。そこに海辺ですからもちろん水があり、一層滑りやすくなってます。
普段だったら、ヴィクトール様にとってこんな事態は起こり得なかったでしょう。だけど、釣り竿に手を出す前にかなりあせって足場も確かめずにアンジェリークを助けた。


結果。


バシャァ〜〜ン!!
見事、二人は海に落ちてしまいました。
もちろんずぶ濡れ。
「アンジェ! 大丈夫か?!」
「はい・・・ヴィクトール様は?」
「俺は、だいじょ・・・ブ、グシュン!」
「だいじょ・・・クシュンっ!」
夏が終わったばかりといえ、空気は冷たくなってきてます。
濡れた二人は同時にくしゃみをしてしましました。見つめ合う二人。
我慢しきれず、笑いがのぼってきて。
「は、はははっ!」
「あは、あはは!」
楽し気な笑い声が、秋の澄んだ空気を揺らしました。
「ヴィクトール様もこんな事、するんですね」
「俺だって、人間だぞ。失敗くらいするさ」
釣り竿は沖の方でゆらゆら漂ってます。
「あれじゃもう、釣りは無理だな」
「ごめんなさい・・・」
「おまえのせいじゃない・・・っと」
「きゃ!」
立ち上がったヴィクトール様は同時にアンジェリークを横抱きにしました。
「降ろしてください。自分で歩けます」
「却下、だな」
そのままジャバジャバと浅瀬を歩き、岸に上がれそうなところを探します。
「・・・ほんとはね」
「ん? なんだ」
横抱きにされたまま、アンジェリークはヴィクトール様の首に腕をまわし、しっかりと掴まってました。
ヴィクトール様の耳もとで囁かれる言葉。
「釣りが出来なくなって『よかった』って思ってるんですよ」
「どうしてだ?」
「あのままじゃ、ヴィクトール様釣りに取られちゃうから」
ほんのり頬を桜色にし、恥ずかし気に微笑む恋人。
「・・・でも、すっかり濡れちゃいましたね。顔なんかも塩でべとべと」
「・・・どれ?」
え、と顔を向けたアンジェリークの唇に温もりが点りました。
「本当だ、しょっぱい」
「もう、ヴィクトール様ったら!」
ぽかぽかと胸を叩き、文句をいう恋人をもう一度、自分の唇で黙らせます。
今度はもう少し長く。
「・・・ほら、俺のだってしょっぱいだろう?」
「・・・知りません!」


ヴィクトール様とアンジェリークの休日はまだ始まったばかりです。



おしまい♪




あとがき

これは『釣りに行ったぞ記念』あんど『四日間いません、ごめんなさい』のupだな(笑)
そんなら連載をなんとかせい、って言葉も聞こえてきそうなんだけど。
実は船釣りに行って来まして、その帰り、身体中が塩っぽくなってしまったことからこの妄想が・・・。
それと今回は『二回キス』がテーマだな(笑)



TOP