2002年・新春、八ヶ岳・赤岳

2001年12月30日(日)〜2002年1月1日(火)


 

30日
美濃戸口→美濃戸→堰堤広場→赤岳鉱泉(泊)

東京は快晴だったが、中央線・あずさが小淵沢を通過する頃は吹雪でこの日は雪の中を歩くことになるのかなと、覚悟していた。
茅野駅に着くと雪は止み、少しだけ青空も見えていた。
曇り空だったものの、赤岳鉱泉まで久しぶりの雪の感触を感じながら歩いた。
赤岳鉱泉に到着するまで雪に降られることはなかった。鉱泉から眺める稜線は、雪雲に覆われていた。
鉱泉の人に聞くと、この日、稜線上は強い風で、登山ガイドと共に来ていたパーティーも全て登山を取りやめて、鉱泉に足止め状態になってしまったそうだ。


31日
赤岳鉱泉行者小屋(文三郎道)赤岳頂上赤岳頂上小屋(泊)

31日、心配していた天気も回復しそうな様子で、朝はゆっくりと出発することにした。
朝早い時間には、どんよりとしていて、赤岳山頂も雲に覆われていましたが。文三郎道の登りにかかった、9時過ぎ頃からぐんぐんと青空が広がって阿弥陀岳がきれいに見えてきた。
11時少し過ぎには、赤岳山頂着。
近くは八ヶ岳の山々、南・中央・北アルプスの山々、麓の町々、そしてすそ野を大きく広げた富士山、と、360°の大展望でした。
昼過ぎから空は、ますます晴れ上がり、2001年最後の夕日が、富士を赤く染めて、沈んでいくのを見ることが出来ました。

この日は、大晦日。
小屋での夕食の後、宿泊者が集って忘年会がありました。小屋では、他の登山パーティーの方々とも語り合うことが出来、思い出深いひとときでした。
その後、顔なじみの小屋の方と、カウントダウンをし、2002年の新年を迎えました。


  
  


1日
赤岳頂上小屋→赤岳天望荘→(地蔵尾根)→行者小屋→赤岳鉱泉→堰堤広場→美濃戸→美濃戸口

元旦はのこの日、晴れていましたが、地平線に雲がかかり、すっきりとした御来光ではなかったですが、見ることが出来ました。
地蔵尾根からの下山は、稜線上かなりの強風で、耐風姿勢を取りながら、風の様子を見て進み無事下山しました。