8月11日(月)
クールマイユール→チェルビニア(Cervinia)2000m移動
クールマイユール→(バス)→アオスタ(Aosta)→(バス)→
シャテイヨン(Chataillin) →(バス)→チェルビニア(Cervinia)
展望台・チェルビニア・プラトー・ローザ(Plateau
Rosa)へ
チェルビニア→(ロープウェー)→プランメゾン(Plan
Maison)2548m→(ロープウェー) →プラトー・ローザ(Plateau
Rosa)3451m→(ロープウェー)→プランメゾン→(ロープ ウェー)→チェルビニア
チェルビニア泊・ホテルGorret@
4泊滞在した、クールマイユールから、チェルビニアに移動した。
ここは、名峰マッターホルン(イタリア名・モンテ・チェルビーノ4478m)のイタリア側の麓の町。
夏のリゾート地としてかなり人気のところらしいが、冬の、スキーリゾート地としての人気は、夏以上らしい。
クールマイユールとチェルビニアは、直線距離にしたら、そう遠くはないのだろうけれど、お互い、山を隔てた谷の奥にあるので、移動は簡単には出来ない。
まず、クールマイユールからアオスタの谷を下って、谷の入り口の町アオスタまでバスで行く。ここで、バスを乗り換えて、今度はチェルビニアのあるトゥールナンシェ谷の入り口の町 シャテイヨン(Chataillin)まで行く。ここで、またバスを乗り換えて、いよいよトゥールナンシェの谷に、奥深く入り、谷の一番奥のチェルビニア到着となる。
トゥールナンシェ谷を入っていくと途中狭いところもあるが、谷の最奥チェルビニアは明るく開けたところ。標高は、2000m。
5q強という近さに、スイス側のツェルマットから見たあの名峰マッターホルンのピラミッド型のそれとは違ったごつごつした岩峰の、モンテ・チェルビーノがある。
こちら側から見るとマッターホルンと言う名よりも、モンテ・チェルビーノの名があっている気がする。
チェルビニアに到着して、目の前に聳えるモンテ・チェルビーノを初めて見た時には、それが、モンテ・チェルビーノ(マッターホルン)だとは、思わなかったくらいだ。
違う山かと思ってしまった。
チェルビニアでの宿探し
チェルビニアのインフォメーション
滞在する町に着いて、まず最初にすることは、宿を決めること。
とにかく、バスターミナルからインフォメーションに向かう。
チェルビニアのインフォメーションの人たちは、感じがよくて優しかった。
ホテル案内のコーナーで、(笑顔の素敵な、とてもかわいい感じの女性だった)こちらの条件を告げると、3件のホテルをすぐにリストアップしてくれた。
そして、「今ここで決めて、連絡してあげてもいいのだけれど、どのホテルも近いから、自分で実際に行って見てから決めたほうがいいわよ」と言う。
その言葉に従って、最初のホテルに行き、部屋を見て決めた。
ホテルGorretーテラスに花いっぱいのまさにアルプスの宿、といった感じのプチホテル。
ツインルーム、バス(バスタブ有)・トイレ付、朝食込み、テレビ有、電話はあるけれど壊れていた、で、1部屋82ユーロ。
(おまけとして、インフォメーションで1ユーロで売っているハイキングマップ付き)
(結果的に今回の旅で、この宿が一番値段が高かった。チェルビニアはヨーロッパでは人気のリゾート地で、ホテルの料金は夏のこの時期はハイプライスの期間になっている。)
宿も決まって、落ち着いたので、チェルビニアの情報をもう少し得ようと、もう一度インフォメーションへ行った。
そこで、ハイキングマップを購入し、(1ユーロ)、チェルビニアの次にマクニャーガへ移動するためのバスの時刻表をもらった。
この時、応対してくれた係の男の人もとても感じがよく親切だった。
そこで、チェルビニアとは、関係がないのだけれど、ミラノに行ったときに行く予定の、「最後の晩餐」鑑賞の予約を頼んだ。
あの、レオナルドダヴィンチ作なる、「最後の晩餐」は、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に付属する、ドミニコ派修道院の食堂に描かれている。
21年間の修復を終え、鑑賞は完全予約制になっている。
日本からも国際電話で、予約が可能だけれど、出発前に電話してみたけれど、電話はつながったものの、テープによるガイダンスから変わらず、日本からの予約を断念して、出発してきた。
イタリアに着いてから、ホテルのフロントの人に頼んで電話をしてもらおうと思っていたのだった。
最初のミラノのホテルでは時間がなく、クールマイユールの宿の人は、英語が通じないし、クールマイユールのインフォメーションの人は、忙しそうで、そんなことを頼めそうな感じではなかった。
せっかくミラノに来て、、「最後の晩餐」が見られないのでは、後悔するので、予約のことは気になっていた。
予約のことを、チェルビニアのインフォメーションの人に何とか英語で頼むと、(日本語のガイドブックも見せながら。レオナルドダヴィンチ作「最後の晩餐」のことを英語で何というのか分からなかったから。)引き受けてくれた。
予約したい日にちと時間を言うと、電話をかけて予約を取り、鑑賞料金と英語でのガイド料金、予約番号、予約時間の30分前には行くようにと言ってくれた。
感謝!感謝!でした。
展望台・プラトー・ローザ(Plateau Rosa)へ
このあと、プラトーローザの展望台に行った。
ロープウェーを乗り継いで行く、3451mの展望台だ。
プラトーローザの展望台からのモンテチェルヴィーノ(マッターホルン)は、麓から見るのとは、また少し角度が違って見える。
ここからは、ヴァイスホルン、ロートホルン、モンブラン、モンテパラディーゾなどが見渡せる。フルック氷河の奥は、スイスのツェルマットだ。
ここは、イタリアとスイスの国境稜線にあり、夏スキーの一大ゲレンデになって大勢のスキーヤーで賑わっていた。
イタリア・スイスの国境です。
スキー場はスイス領で、、向かいのクラインマッターホルン(イタリア名ピッコロ・チェルヴィーノ)からも大勢のスキーヤーがやってきていた。
プラトーローザの展望台の向かいが、スイス領のツェルマットから登ってくる展望台クラインマッターホルンだとは最初結びつかなかった。
1997年にツェルマットを訪れたときに、クラインマッターホルンにも行ったのだけれど、あいにく天気が悪くて、展望台に出たものの一面真っ白で何にも見えなかったのだった。
あの時、展望がよかったならば、今回来ているプラトーローザの展望台が見渡せたバズだったのだ。
プラトーローザのレストランでスキーヤー達に混じってランチタイム。
ここでも、スキーヤー達はランチしながら日光浴をする。また、日当たりのいい席を選んで、肌を太陽にさらしている。
私たちは、なるべく日の当たらない席を選んで座り、ここでも長袖、帽子、サングラス、さすがに食事の時は手袋をしてというわけには行かないが。
クールマイユール→チェルビニア移動でのこと
シャテイヨン(Chataillin)のおばちゃん
クールマイユールからチェルビニアへの移動中のこと。シャテイヨンでチェルビニア行きのバスを待っているとき、私たちとてバスの時間くらいは分かっていたのだけれど、バスは時間が正確でないこともあるため、どのバスがチェルビニア行きなのか、心配で、バスが着くたびに行き先を、気をつけて見ていた。
すると、バスを待っていた、イタリア人のおばちゃんが、「私もチェルビニア行きに乗るんだから大丈夫!安心していなさい。」ってなことを、私たちに言ってくる。(もちろんイタリア語で)
つまり、「私も、チェルビニア行きに乗るから、チェルビニア行きのバスが来たら教えてあげるから、大丈夫。」と言うことを言ってくれているらしい。と、私たちは解釈した。
このおばちゃん、他にもイタリア人でチェルビニア行きのバスを待っている人にも同じようなことを言っている。
ここら辺の地理に不慣れな人が、バスが来るたびに、私たちと同じように行き先を確かめていると、
「あれは違う。チェルビニア行きではない。私は、チェルビニアに行くんだから大丈夫。」と言っている。
で、さて、本当にチェルビニア行きのバスが来たときには、おばちゃんは自分だけさっさと乗り場に行ってしまった。
私たちには、「あれがチェルビニア行きのバスだよ。」などと教えてなんかくれないで…。
チェルビニア行きが来たらおばちゃんが教えてくれる、と思って安心している私たちや他の人たちは置き去りにして…。
私たちは、おばちゃんの動きで、チェルビニア行きのバスを知ったのだった。