Embrasse-moi. 【オンブラセモア 私にキスをして。】 | |
「……とりあえず、退いてくれるかな」 は困惑顔だ。 「困った顔もカッコイイ……」 女性数人に囲まれて、食材を買おうと思っても自由がきかない。今日の夜には出航だというのに。 の容姿に引き寄せられた女性が、前に立ちはだかっていた。 一般人と思い、力で押しのけるのもどうかと思って出来るだけ穏便に言ってはいるが、暖簾に腕押しだ。 「帰らなきゃならないから、通してくれるかな」 ぷるぷるぷるぷるぷる。 パーカーのポケットから音がする。右手を突っ込んで取り出せば、そこには白い帽子がトレードマークの電伝虫。 取り出したはいいが、ここで会話をすれば自分が何者かがバレてしまう。出なければ出ないで、船に帰ったときの不機嫌さが目に浮かぶ。 どちらに重きを置くかを瞬時に判断して、は電伝虫に応える。 「どうしたんです? まだ時間、ありますよね?」 帰船時間まで1時間以上ある。 『俺がわかってないと思ってるのか』 「……正直、困ってます」 『大丈夫だ、それらは全部――』 「あら、イイ男ね」 『――海賊だ』 言うだけ言って切れた通信に、は息を吐く。立ちはだかっている女性たちは一般人にしか見えない。 ――同業者なら、遠慮する必要はない……けど。 今日は食材調達のみですぐ帰船する予定だったため、閃雷を持ってきていない。かわりにナイフを持っているが、これだけの人数を相手にするには役不足だろう。 「今日は買い物だけのつもりだったのに」 思わず呟けば、目の前にやってきた女性が、男から見れば魅惑的な、から見れば卑猥な体躯を揺らす。 「貴方、私の船に乗りなさい」 命令口調のそれが容姿を更に際立たせる。自分の魅力を熟知しているのだろう。男ならばこの女性に傅くかもしれないが。 「残念ながら、オレには主人がいますので」 主人という言葉に、女性の眉がピクリと動いた。 「領主に私から言ってあげる」 わざとぼかした言い方をしたため、『主人』を『領主』と思ったのだろう。 「貴女の期待には応えられません。……オレを従わせることができるのは、ただ一人」 少し遠いが、にはローの気配が感じられる。エモノを持っていないから、きっと彼はそれを持参してくれるはずだ。 「その主人と会わせなさい」 「もうすぐきますよ」 巻き込まれるのを嫌って、近くまでは来ないだろう。――とすれば。 は足元にある小石を拾い、右手でコロコロとそれを転がす。 「船に乗ったらいい思いをさせてあげるわ」 ノーと言われるとは思っていないのだろう。 「さっきも言ったけど、あんたの船に乗る気はない」 今までのゆったりとした喋りを消して、はにやりと人の悪い笑みを刻む。 ――なんか最近、キャプテンに似てきた気がするなァ。まあ、四六時中一緒にいるから、当たり前か……。 「な……っ! この私にたてつくと言うの!?」 「オレは一言も船に乗るなんて言ってねェよ。顔だけで乗せてやるなんて言われても嬉しくないしな」 ―― ROOM ―― 小さい声が、の声に隠された。 は右手をのばすと、その手の中にある小石に視線を向けた。 「それに、さっきも言ったけど、オレを従わせることができるのは1人だけだ」 ―― シャンブルズ ―― 目の前の女海賊にローの声が聞こえないようにわざと喋りを続け、右手に閃雷がきたことに目を細めた。 視界の隅にローの姿を捉える。その表情は不機嫌ではあるが、どこか楽しそうだ。 「オレの『主人』は一人だけだ」 鞘を抜かずに右手にある閃雷で地面を勢いよく突く。それだけで、その周辺へと風圧が走る。 「貴方、何者!?」 ――わからない方が、こちらとしては都合がいい。 は無言のまま閃雷を鞘から抜き右手に、左手には鞘を持つ。そのまま右手を左から右へと水平に振りぬいた。途端に強い風が走り、周りにいた船員であろう女たちが吹き飛ばされる。それを視界の端にとらえると、は無言のまま、突然のことに呆然としながらも立ち上がろうとする彼女たちに一撃を叩き込んだ。 意識をなくし沈んだ体を見下ろし、船長であろう、自分に船に乗るように言った女海賊を振り返る。 「どうする? 残るはあんた一人だ」 「ちゃんと閃雷を持っていけとあれほど言っただろうが」 女海賊と真正面で対峙するの後ろから、低い声がする。 「みんなに手作りお菓子を作ろうと思って楽しくなっちゃって、油断しました。すみません」 の頭を柄でこつりと叩いたローは、その場所に大きな手を置いた。 「俺がこいつの主人だ」 「死の外科医……!」 「こいつは俺のモノだ」 「こんなやつが主人とは…!」 その女海賊の台詞に、が瞬時に反応した。その台詞を発した喉元に、抜いたままの閃雷を刃が肌にあたらないように構える。 「やめておけ。時間が勿体無い」 「はい」 閃雷を鞘におさめたは、女海賊に向かって言った。 「オレが何者か、わかったんじゃないのか?」 「閃雷のか……っ!」 「ん?」 は聴き慣れているが聴き慣れない言葉に首を傾げた。先程までの言動が嘘のようなその仕草に、ローはポケットから取り出した紙を渡す。 広げてみると、そこには前と同じ、ローと背中合わせにして立つ自分の姿。だが、ONLY ALIVE の下に書かれた名前が違った。 「いつの間に?」 「今朝の新聞に入ってたのがそれだ」 「閃雷って、ひねりがないですね。……あれ?」 目の前にいた女海賊が消えていた。 「逃げて行ったぞ」 「……気づいてたけど、面倒だから気づいてないフリしたんですねキャプテン」 「雑魚に構うことはない」 「はいはい。で、何でコレを言ってくれなかったんです?」 手配書が更新されているのを知っていたら、はちゃんと閃雷を持ってきていただろう。 「言ったところで、お前は興味がないだろう」 「興味はないですけど、それなりに気を付けますよ?」 「それなりでは意味がねぇんだよ」 「あー、まぁ……少しは違うんじゃないですか? わからないですけど」 ――ONLY ALIVE 閃雷の 1億べりー ―― は手の中にあった手配書をローに返すと同時に彼を見上げた。 「来てくれたってことは、付き合ってくれるんですか?」 「あぁ」 ちらりとの顔を見やったローは、すぐにそっぽを向いた。 心配してくれたことを面映く感じながら、照れ隠しに明後日の方を向いた彼の、手配書をポケットに入れた腕に触れた。少し引っ張るようにして掴んだの指に、ローはポケットから抜いた指を慣れた様子で絡め、少し力を込めて握ったあとにするりと解いた。その指で彼女の頭を撫でて、その背を押した。 人目を気にした最低限の触れ合い。が女で、ローの恋人であると公にしていないためだ。元々、二人ともが外で触れ合うのを得意としていないため、これで十分なのだ。 は前回寄った島で、何やら本を数冊購入していた。船番をしていたペンギンが、帰ってきた彼女に何を買ったのか聞けば、料理の本と小説ということだった。 小説の内容も気になるが、料理の本の中身も気になる。 今朝、は料理の本を随分と楽しそうに見ていた。ちらりと見たが、お菓子作りが載っているようだった。 楽しそうに表情を緩めて見るは、最近は女らしさが垣間見えるようになった。賞金首としてはマズイだろうが、今まで隠していた性を、このハートの海賊団の中にいるときだけは出して欲しいと思う。 声に出したことはないが、彼女は時に危なっかしい行動を取る。まるで妹を見る兄の心境だ。ハラハラしながら見守るのも楽しい。に翻弄される船長を見るのも楽しいし、その逆も然り。最近は、二人の思いが通じ合い、ローがを翻弄することが多いが、それを見ているのが何より楽しい。 船の中で目にするようになったのは、船長の柔らかい視線。その先にはがいて、海賊船の中だとは思えないほど穏やかな空間。 はいつも飄々としていたが、船長の恋人となってからは、随分と感情を出すようになった。 幸せ、なんて陳腐な言葉は、海賊には似合わないと思っていた。けれど、美味しい食事と一緒にの表情を見るようになって、海賊でも『幸せ』と感じることができるのだと思った。 ペンギンに何気なくそんな胸中を言えば、自分も同じだと笑った。 ふんわりとした空気に包まれてはじめは困惑気味だった仲間たちも、今は慣れて、2人を眺める日々だ。 ――あーあ、俺も彼女が欲しい……。 今日の買い物はお菓子の材料のみなので、それほどの量はない。ローは甘いものが得意ではないから少し考えなければならないが、自分が作るものは基本的に全部食べてくれるのでなんとかなるだろう。 帰船した2人はそのままキッチンまでやってきた。ローはキッチン側の椅子を陣取り、手に持っていた本を広げる。何も聞かずに、はコーヒーを作って邪魔にならない場所に置いた。置かれた音に、ローは本から顔をあげての後ろ姿を見やったあと、マグカップの持ち手に指をかけた。 はキッチンにいた仲間にコーヒーを配ったあと、買ってきた材料を取り出す。 嬉しそうに顔を綻ばせた彼女は、仲間のためにデザートを作るべく、材料を手に取った。 食堂のテーブルに並べられた、色とりどりのお菓子。ふわふわの生地を焼いたその間に、クリームやジャムを挟んだお菓子――マカロン。一口サイズのため、仲間に行き渡るには相当数が必要だったが、それでも彼女は楽しそうに作っていた。 柑橘系があまり好きではないローには、甘味を抑えたチョコやコーヒークリーム、抹茶風味などの工夫を、ベポは甘いものが好きで体も大きいので、少し大きなマカロンも作った。 美味そー! という仲間たちの声に、はふわりと笑んだ。 「デザートはあんまり作ったことないから、また味見よろしくな」 笑んだまま言えば、任せとけの返事。 食いしん坊のベポにいたっては、そんな仲間の会話そっちのけで食べている。 「キャプテンは食べないんですか?」 ペンギンの問いには、「あぁ」との短い返事だけ。 仲間たちより先に食べたなどと、言えるわけがない。 ローは胸中で呟き、その胸中を悟らせないようにいつも通りを装う。 「ペンギン、食べないとなくなっちゃうよー!!」 ベポの声にペンギンは振り向き、「俺の分も残しといてくれよ」と言いつつ、そのテーブルに駆け寄っていく。それを眺める彼の横に、がやってきた。 「キャプテン、食べないんですか?」 「あぁ、さっき貰ったやつで十分だ。……それに、もっと甘いものを貰う予定だしな」 隣の彼女に聞こえるだけの音量で返答すると、ローの体に軽い拳が入る。の照れ隠しの行動は、ローの笑みと大胆な行動を誘う。 「えっ、やっ、ちょっ、ロー!?」 思わず叫んだのは、その細い体が持ち上げられたから。 「がキャプテンのこと、名前で呼んだ!」 「ローって言ってた!」 仲間たちが、がローに担ぎ上げられたことより、のローに対する呼び方の方に意識が向いている。 2人きりの時ですらキャプテンと呼ぶそれが、いつの間に変わっていたのか、仲間たちはそちらの方が気になって仕方ない。 「ロー!! おろして!!」 が更に言えば、仲間たちはからローへと視線を向けた。その答えが気になるからだ。 「おろす必要を感じねぇな。……おまえら、しばらく部屋に近づくなよ?」 言外に、近づいたらどうなるかわかってんだろうな? と言われているのがわかって、仲間たちはマカロンを頬張ったまま、こくこく頷いた。 「びっくりしたなぁ」 食堂から消えた後ろ姿を眺めつつ、シャチが呟く。それにペンギンが苦笑する。 「あのが躊躇いなく名前を呼んだことに驚きだな」 ――そこまでいくのに、かなり高度な悪戯があっただろうけど。……ご愁傷様。 「さぁてと。今日は久々に作るか!」 「俺も手伝うから、その間、ベポは操舵を頼むな」 「わかった!! おれ、頑張る!!」 仲間たちはみんな、船長とコックの恋路を応援しているのであった。 【Embrasse-moi. オンブラセモア 私にキスをして。 完】 |